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第三話

「それなら力づくで奪うまでだ」

 男に強引に体を引き寄せられてケイトリンは体中に嫌悪感が走った。

「やめて!」

 絶叫して必死に抵抗したが男の体はびくともしない。

 セドリックさま……!

 絶望の中で祈るようにその名を呼んだ時、ひゅっと風を切る鋭い音が彼女の耳元をかすめた。それと同時に男の呻き声が聞こえ、ケイトリンをとらえていた腕が呆気なく外れた。

 何が起こったのか判らないまま、ケイトリンは自由になった体を慌てて起こした。傍らに倒れている男に目を向けてはっとする。その背中には深々と矢が刺さっていたのだ。そしてなによりケイトリンが目を見張ったのは、ぴくぴくと痙攣している男の体が、次第に灰色の毛並を持つ大きな(けもの)へと変化していったことだ。

 これは……狼?

 狼がセドリックさまに化けていたというの?

 気が付くと、周りの景色も変わっていた。

 早朝の森だったのが、今は暗い夜の姿に戻っていたのだ。

 まだ夜? だけど、さっきまで小鳥のさえずりが聴こえる清々しい朝だったのに……。

 ケイトリンは目に前で起こっていることが理解できず座り込んだまま、倒れて動かない狼をただ呆然とみつめていた。そんな彼女に厳しい声が飛ぶ。

「何をしている! そいつから離れろ、ドジ娘!」

「……セ、セドリックさま?」

 かすれた声でケイトリンは彼の名前を呼んだ。

 顔を上げると、半弓を構えたセドリックの姿がそこにあった。その凛々しい姿を見た途端、ケイトリンは安堵してぽろぽろと涙をこぼした。

「泣くな」

 鋭く言うと、セドリックは半弓を放り捨て、代わりに腰の剣を引き抜く。足元に置いていた角灯(ランタン)を片手に持つと、それを掲げて大股で歩み寄った。

「……不眠症が役に立つこともあるのだな」

 皮肉に呟いた後、倒れている狼の姿を無感情に見下ろした。そしてケイトリンに冷たく命じる。

「邪魔だ、どいていろ」

「……何をなさるおつもりですか」

「その獣にとどめを刺す。まだ生きているようだからな」

「い、いけません!」

 ケイトリンは慌てて、倒れている狼とセドリックの間に割って入り、庇うように両手を広げた。

「お前、何をしているんだ?」

「殺生はだめです!」

「馬鹿!」

 セドリックは心からそう言うと、剣先を構わずケイトリンに向けた。

「そいつはお前を襲ったのだぞ!」

「判っています。でも、この狼は怪我をして弱っているのです」

「だから何だ!」

「どんな理由があろうと抵抗できないものに一方的に攻撃を加えるなんて、絶対にしてはいけないことです。それは……卑怯なことです」

「卑怯だと?」

 怒りでセドリックの握る剣が震えた。

「よくもそんなことが言えるな。……とっととそこをどけ!」

「嫌です!」

「この馬鹿!」

 ケイトリンを押しのけ、狼にとどめを刺そうと剣を振りあげたその時、うずくまっていた狼が素早く立ち上がった。体を大きく捩ってつむじ風を起こすと、その風圧にセドリックが目を背けた隙に、狼はあっという間に森の暗闇の中に駆け去ってしまった。それはほんの一瞬の出来事で、驚いたケイトリンが振り返った時には舞い上がる落ち葉しか見えなかった。

 セドリックは咄嗟に狼の後を追ったが、深追いは危険と判断して、途中で立ち止まり悔しそうに森の奥を睨みつけていた。

「……くそっ」

「セドリックさま……」

 謝るべきかと迷いながら口を開いたが、言葉が浮かばず結局何も言えなかった。ケイトリンが沈黙して項垂れていると、背中を向けたまま、セドリックが静かに言った。

「無事か」

「……え? はい。少し足に擦り傷が出来たくらいで大した怪我はしていません……」

「……体は……無事なのか」

 再度、問われてケイトリンは、ようやくセドリックが何が言いたいのか判った。かっと頬が羞恥で熱くなる。

「な、何もされていません。私は抵抗しました。誓って何も……!」

「判った、もういい」

 セドリックは震えているケイトリンに近づくと、その腕を取って来た道を戻り始めた。部隊が野営している場所にたどり着くまで、セドリックは一言も口を利かなかった。


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