第二話
小鳥たちのラヴコールで目を覚ましたケイトリンは、慣れない寝袋から這い出すと大きく伸びをして強張った体をほぐした。そして早朝の空気を胸一杯に吸い込む。
怖い森だと思っていたけれど、朝の空気はなんて清々しいのかしら。
彼女を取り巻く森の景色は、そろそろ夏の気配も消えて、秋色に染まりつつある。明け方の淡い色の空から緩やかに下りてくる日の光は、それらの色彩を柔らかく映し出していた。
きれいだわ。
森の景色に心を奪われて辺りを見回していると、野営の際に獣除けのために熾こした焚火の炎が、小さくくすぶって今にも消えそうになっていることに気が付いた。
昨夜の火の番はサムとニールだった。ふたりが交代で睡眠を取りながら火が消えないように焚火の傍に座って見張るはずだったのだが、今、火の番をしているニールは座ったまま、うつらうつらと船をこいでいた。
もう、ニールったら。
寝ているところをみつかったらまた怒鳴られてしまうわよ。
声を掛けるべくニールに近づこうとした時、背後でかさりと音がした。誰かが落ち葉を踏んだ足音だと気が付いて、ケイトリンは慌てて振り返る。
「セドリックさま?」
ケイトリンは驚いて声を上げた。
彼女の後ろに立っていたのは穏やかな笑みを口元に浮かべたセドリックだったのだ。
「いつの間に……」
「早いな。眠れなかったのか?」
穏やかな声で話し掛けるセドリックに、ほっと息をついてケイトリンは言った。
「いえ。ただ、このような状況で眠ることに慣れていないものですから、早くに目が覚めてしまったのです」
「そうか。そうだろうな」
「あの……ニールのこと、あまり怒らないで欲しいのですが……火が消えてしまいそうなのです。火は絶やさない方が良いかと……」
「構わない。そんなことより話しがあるんだ。こっちに来てくれないか」
「話し、ですか?」
頷くとセドリックは森の奥へと歩いて行く。慌ててその背中を追いながら、ケイトリンは言った。
「お待ちください。まだ、みなさん眠っていらっしゃいます。離れてよろしいのですか?」
「内密な話しだ。誰にも聞かれたくない。ふたりだけになりたいんだ、ケイティ」
え?
思わず足を止めたケイトリンをセドリックが肩越しに振り返った。
「どうした?」
「……あなた、誰?」
「何を言っている」
セドリックは困ったように笑った。
「俺は見ての通り、セドリックだ。それ以外、何に見えるというのだ?」
「確かに、お姿はセドリックさまです」
ケイトリンはじりじりと後ずさりながら言った。
「ですが、中身は違います」
「……何故、そう思う?」
「セドリックさまは私のことを、ケイティと名前で呼んだりいたしません」
一瞬の間の後、ふっとセドリックは邪悪に口元を歪めた。
「ああ、これは失敗だ。観察が甘かったようだな」
ぎらりと目が光った。それは人のものではない。野獣の目だ。
はっと息を呑み、慌てて踵を返そうとしたケイトリンの肩を、セドリックの姿をした男が素早く掴んだ。
「おっと、逃がさないよ。お前は俺と一緒に来るんだ」
「嫌! 放して!」
抗って身を捩る彼女の首に、男は容赦なく腕をからませると、力づくで森の奥へと引きずる。喉を絞められて悲鳴を上げることも出来ない。意識が遠のきそうになった時、いきなり茂みの中に放り出された。
はっと体を起こそうとしたケイトリンの上に男は馬乗りになると押さえつけ、抗う彼女の白衣の裾を荒っぽく捲り上げた。
相手が何をしようとしているのか察してケイトリンは激しく体を捩って抵抗した。男に体を触られるだけで悪寒が走る。
「やめて! セドリックさま、助けて!」
「騒ぐなよ。どうせみんな眠っている。聞こえやしない」
穏やかな声でそう言うと、男は声とは裏腹に乱暴に自分の足を彼女の足の間に割り込ませて強引に開かせた。
「お前を殺す気も喰らうつもりもない。ただ」
彼はゆっくりとケイトリンに体を密着させると、耳元で囁く。
「俺の妻になって欲しいだけだ」
「……は?」
ケイトリンは唖然とした。その一言で恐怖が吹き飛び、代わりにじわじわと怒りが込み上げてきた。
この方はまた何を言っているの?
至近距離にあるセドリックの端正な顔を彼女は睨んだ。今、自分を押さえつけているのが本物のセドリックでないことは判っていたが、それでも腹が立った。
妻になれなんて、そんなことを言ってまた私の心を弄ぶのね……!
「お前の魂とその体は無垢で穢れがない。それを俺に捧げてくれ」
「な、何を勝手な……!」
くちづけをしようと迫ってくるセドリックそっくりの顔を、ケイトリンはこれ以上ないほど力を込めて平手で打った。
「あなたの妻になんかならないわ!」
「……そうか」
獣の低いうなり声を上げて、男は改めてケイトリンに顔を向ける。




