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第九話

 自虐的に笑うユーリに、ケイトリンは恐る恐る尋ねた。

「あの、お荷物って……全員そうなんですか? その、例えばアンも? 彼女は優秀な人ですよね?」

「優秀なら優秀で、それが不幸に繋がることもある」

 どこか疲れたようにユーリは笑った。

「彼女には同じ部隊に付き合っていた男がいた。アンは彼より優秀な軍人だったため、次第に男の心が離れて行ったんだ。婚約までしていたらしいが、あっさりと振られて男は一般女性と結婚した。アンが長かった髪を切り、男のようにふるまうようになったのはそれからだ。彼女は自分から志願してこの部隊に来た。志願の理由を聞いた殿下に彼女は一言、こう言ったそうだ」

「この部隊なら早く死ねそうだから、よ」

 アンの明るい声が割り込んできて、そこにいた全員がぎくりとして厩舎の入口を振り返った。そこにはニコニコと笑うアンがいた。

「嫌だわ、みんなで私の陰口?」

「ち、違うよ」

 慌ててニールが言った。

「そんなつもりはなかったんだよ」

「冗談よ」

 軽くウィンクして、アンは言う。

「本当のことだからいいわ。いつかケイティには話そうと思っていたし」

「アン、早く死ねるって……」

 今にも泣き出しそうな顔のケイトリンに、アンは優しく言った。

「彼に振られた時、言われたの。お前は俺がいなくても大丈夫だろうって。俺のことが必要じゃないお前と一緒になったら、俺は自分の居場所が判らなくなりそうだって。それでその男が選んだのは、何の才能もなさそうな、か弱くて可愛い女性だった。男って自分より弱い女がいいのね? 私はその時、お前は女じゃないって言われた気がしたわ。だから、女として生きるのを止めた。とか言っても、中身をそっくり男と入れ替えることはできないから、外見だけになってしまったけどね。それでも外見重視の男どもには効果はあるわ。連中は私を見ると、あれはないなって肩をすくめるの。

 私はね、女として生きるのを止めた代わりに、軍人として死んでやろうと決めているの。それも早いうちに。だからここにいるのよ」

「そんな……」

「他の連中がここにいる理由もついでに教えてあげるわ。

 クリスはモテすぎてここに飛ばされたの。上官の奥さんや同僚の恋人に迫られたんだって。挙句、修羅場になって大騒ぎ。本人は指一本触れてないって言っているけど、どうかしらね?

 トムは若くて経験の浅い上官に度々、助言をしていたの。緊急事態の場合、上官が馬鹿だと部下の命にも関わるからね。だけど、そのトムの気持ちは伝わることは無くて、ついには煙たがれてここに追い払われた。

 フランは後輩を庇って嫌味な先輩と喧嘩して、仲裁に入った上官をその勢いで殴ってここに飛ばされたの。

 みんな、馬鹿よね。笑える」

 ケイトリンはゆっくりと首を横に振った。笑えないわと小さな声で呟くのが精一杯だった。


 その日の夕刻、ケイトリンは栗色の馬、バタカップを慣らすため、ひとり馬上の人となって国境の高い壁の前にいた。

 その昔、黒の樹海から人や家畜を襲うためにやってくる魔物を防ぐために築かれたというその頑強な国境壁(こっきょうへき)は、今、彼女の前に黒々とそびえ、その存在感を嫌というほど誇示していた。

 国外に出るには、この壁に連絡している国境塔のスロープあるいは階段を、徒歩か馬に乗って登る。常駐している門番が跳ね橋を降ろし、それを渡って壁の外に下り立つのだ。

 明日、ケイトリンたちが向かう黒の樹海は国境からそう遠くない。

 山間部に入り、ひとつ山を越えれば、眼下に広がる黒く禍々しい樹海がそれだ。そこまでは馬を使えば半日でたどり着く。

 ケイトリンは目を閉じて、その光景を想像した。

 黒く深い森は、不気味な静けさを以てして、ケイトリンたちを迎える。肌を刺すような冷たい空気が、ここは人が入ってはならない場所だと教えるだろう。

 木々が重なり、陰鬱に沈む闇の向こうには、得体の知れないものどもが蠢き、その牙で、その爪で、闖入者を切り裂くための準備を始めている……。

「おい!」

「きゃあああ!」

 突然、背後から声を掛けられて、ケイトリンは空気が揺れるほどの悲鳴を上げた。驚いて跳ねるバタカップを、その背後の人物が腕を伸ばし、手綱を引いて治めた。

「おい、落ち着け。そんなに驚くことはないだろう」

「セ、セドリックさま……」

 振り返ると、黒馬に乗ったセドリックが困惑顔でこちらを見ていた。かっと顔を赤くして、ケイトリンは慌てて言う。

「も、申し訳ございません。ちょっと、考えごとをしておりまして……」

「そうか」

 短く応じると、セドリックは、さっきまでケイトリンが凝視していた国境壁をみつめた。

「……怖いか?」

「え?」

「ついて来なくてもいいぞ。病気になったとか、適当に理由を作ればいい。俺が城に話しを通しておく。大丈夫だ、斧は持っていかないから。……そもそもお前が黒の樹海に行くことはないんだ」

「セドリックさま……あの、私を心配してくださっているんですか?」

「馬鹿」

 言下に言うと、セドリックは彼女から顔を背けた。

「足手まといはいらないだけだ。お前のような素人が隊にひとりでもいると、全員を危険に晒すことになりかねない。俺が心配しているとしたらそこだ」

「あ、ですよね」

 ケイトリンは思わず、暗い溜息をついた。

「本心を言うと、とても怖いです。今すぐにでもお屋敷に帰りたいくらい」

「だったら」

「でも!」

 ケイトリンは自分でも驚くほど、強く言った。

「行きます! 私も黒の樹海に!」

「……無理をするな」

「無理をします!」

 そう言い切った瞬間、自分でもおかしくなって、ケイトリンは思わず笑った。

「無理をして、みなさんと一緒に黒の樹海に行きます」

「行ってどうする。お前は黒の樹海に、背中に羽の生えた可愛い妖精が棲んでいるとでも思っているのか? あの森に巣食うのは人を襲う化け物どもだ。こちらにその気がなくとも森に入るということは、そんな連中と戦うということを意味する。訓練を受けていないお前は戦い方を知らないだろう」

「……はい。私は看護師ですから、軍人さんの戦い方は知りません。喧嘩もしたことはありません。剣を持てば手が震えます。きっと弱いです。でも……」

 ぐっと息を呑んで、ケイトリンは言った。

「みなさんが怪我をすれば心を込めて治療することは出来ます。そうしてみなさんをお支えします。それが……私の戦い方です」

「……そうか」

 冷たい彼の瞳が、ふっと優しく揺れた。

「確かにな。戦い方は人によってさまざまだ」

 セドリックは、手綱を操って来た道に馬を返すと背中越しにケイトリンに言った。

「じき、夜になる。足元が明るいうちに基地に戻るぞ、我が従軍看護師どの」

「……え?」

 とくりと胸が鳴った。

 我が従軍看護師どのって……言われた?

 それはつまり、セドリックさまに……認めて貰えたってこと?

「おい、ドジ娘、何をしている!」

 ぼんやりしているケイトリンにセドリックは容赦なく怒鳴る。

「早くしろ、愚図はいらんぞ!」

 言うなり、セドリックは馬の腹を蹴ると一気に駆け出した。

「あ、は、はい!」

 慌ててケイトリンもバタカップを走らせる。


 夕刻の風が強く吹き付けてきた。

 その中に、彼女は微かに甘い香りをみつける。前を走るセドリックの、なびく髪の香りだろうか。

 それはまるで媚薬のように、ケイトリンの心を熱くくすぐるのだった。




ここまでお読みいただき、ありがとうございます。

ようやく前半が終わり、折り返し地点です。

後半も引き続き読んでくださるととても嬉しいです (^^)/

これからもどうぞよろしくお願いします。

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