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第八話

 無機質な軍の施設の中を清楚な白い看護師姿で歩き回るケイトリンは目立つ存在のはずだが、そんな彼女をとがめだてする者は誰もいなかった。それどころか意図的に視界に入れないようにしているようだ。

 みんな第一部隊の任務の内容と、従軍看護師の件を知っているのだ。そしてその従軍看護師がセドリックの婚約者であるらしいことも。

 お気の毒に……。

 そんな視線を投げてくる女性士官もいたが、声を掛けてくることはなかった。

 最初の頃は、その白々とした空気が辛く落ち着かなかったケイトリンだったが、任務の準備のため、忙しく立ち働いているうちに時間は瞬く間に過ぎて、いつしかその状況も気にならなくなっていった。ただ、兵舎に泊まっているケイトリンの存在に気が付いても、何の反応の示さないセドリックの冷たい態度が悲しくはあったけれど。


「馬の扱い、本当に上手だね、ケイティ」

 厩舎で馬にブラシをかけている手を止めて、ケイトリンはニールに微笑みかけた。

「ありがとう。だけど、最初はちょっと驚いたわ。やっぱり軍人さんのお馬さんは大きくて立派ね。私が子供の頃に乗っていたお馬さんはもっと華奢だったわ」

「それはそうさ。こいつらは戦場で働く軍馬だからね。貴婦人の乗馬とはわけが違うよ」

「この子のお名前は?」

「名前?」

 きょとんとニールはケイトリンをみつめる。

「そんなのあるわけないよ。こいつらは愛玩動物じゃないんだから」

「だけど名前を呼んだりするでしょ?」

「番号で呼んでいるんだよ。今、ケイティがブラシをかけている黒い馬は三十七号。ちなみにそれは隊長の馬だからね」

「え。セドリックさまの?」

 不思議そうに首を傾げる彼女に、ニールも不思議そうに尋ねる。

「何か疑問でも?」

「だって、黒い馬よ?」

「だから?」

「王子さまは白馬に乗るものとばかり」

「……は?」

 一瞬の沈黙の後、ぷっとニールは吹き出した。

「ケイティ、ロマンス小説の読み過ぎだよ。現実にはありえないって」

「ええ? そうなの?」

 あからさまにがっかりするケイトリンに、とりなすようにニールは言った。

「白い馬は目立つよ。戦場で標的にされてしまうだろ」

「……確かにそうね」

「あ、そうだ、言い忘れるところだった。その隣の栗色の馬。それが君の乗る馬だから。今のうちに慣らしておくといいよ。ちょっとその辺を走ってきたら?」

「まあ、私のお馬さん?」

 厩舎に並ぶ他の馬より少し細身のその馬は、黒く丸い瞳でじっとケイトリンをみつめていた。そのしなやかな首にそっと手をやると、栗色の馬はヒンと小さく鳴く。

「可愛い……」

 うっとりと微笑むケイトリンに、ニールも自然と笑顔になった。

「その馬は気性が優しいんだ。ケイティにぴったりだろ。隊長が選んだんだよ」

「え? セドリックさまが選んでくださったの?」

 ケイトリンは、ほのかに頬を赤らめる。その様子を面白そうに見ているニールの視線に気が付いて、彼女は慌てて言った。

「そ、それじゃあ、この子に名前を付けてもいいかしら」

「名前? うーん、そうだね。君が使っている間だけ好きな名前で呼べばいいよ。何にするの?」

「ええっと」

 少し考えてから、ケイトリンは言った。

「バタカップ」

「バタ……何?」

「ふと、頭に浮かんだの。お花の名前よ」

「へえ、そうなんだ」

「バタカップ、私はケイティよ。これからよろしくね」

 栗色の馬に優しく声を掛けていると、厩舎の入口で微笑んでこちらを見ているユーリの存在に気が付いた。

「あら、ユーリさま」

「やあ、ケイティ。馬とお話し中?」

「はい。ご挨拶を」

「あれ、副長、もうお戻りですか?」

 こちらに歩み寄ってくるユーリにニールが声を上げた。

「実家にお帰りだったんじゃあ?」

「ああ、さっきここに戻った。お前は家族に会っておかなくてもいいのか、ニール」

「ええ……。僕は帰っても家族に歓迎されないと思うので……」

 ニールは呟くようにそう答えると、すぐにケイトリンに顔を向けた。

「ケイティは帰らなくて本当にいいの?」

「え? 私?」

「うん。この三日の間に、みんな交代で外出許可を取って実家に戻って家族に会ったり、用事を済ませたりしているんだ。もう明日の早朝には出発だから、もし家に帰るなら今の内だよ」

「そうね……」

 少し迷ってからケイトリンは言った。

「私はいいわ。もうお別れは済ませてきたもの。今、お屋敷に帰ってお母さまや弟の顔を見たら気持ちが萎えてしまって、ここに戻って来られなくなるかもしれないから」

「そうだよね。判るよ」

「今日、アンやセルコさんの姿が見えないのは、ご実家に戻っているからなの?」

「アンは早朝から外出したよ。多分、お墓参りだよ。彼女の両親は既に亡くなっているから。だけどセルコは図書館にいると思う」

「図書館?」

「うん。この施設の中に図書館があるんだけど、そこに入り浸っていると思うよ。ですよね、副長?」

「そうだな。今のうちに、たくさんの書物から黒の樹海の知識を頭に入れてくれているんだ。助かるよ」

「あら、セルコさんは本好きなの?」

「でもないと思うけど」

 どこか歯切れ悪くニールは言う。

「彼は歩く百科事典って言われている人だから」

「博識ってこと?」

「っていうか……」

「セルコはある意味、天才なんだ」

 口ごもるニールに代わって、ユーリが静かに言った。

「いつもは口数が少なくて、クリスたちの陰に隠れて目立たない男だが、とんでもない才能を持っているんだよ」

「その才能は諸刃の剣でもあるんだけど」

「諸刃の剣?」

 言っていることが判らなくて、ケイトリンはユーリとニールの顔を交互に見た。

「どういうこと?」

「……セルコは忘れることが出来ないんだ。物心ついた時から、見たり聞いたりした事をひとつ残らず記憶している。信じられないことだが」

「そう。一度読んだだけの本の内容も、全部、覚えているんだよ。すごい能力だろ?」

「……本当に? そんなこと、出来るものなの?」

「詳しいことは判っていないが、セルコの脳の記憶を司る部位には、何かしらの障害があるらしい」

 ユーリが困惑を隠さず言った。

「そのせいで忘れることができないのではないかと言われている。それは本人にも判らないことだ。しかし、忘れることが出来ないということは、便利である反面、辛いことでもあるだろう」

 ケイトリンは息を呑んだ。

 生きていれば忘れたいことのひとつやふたつ、必ずある。それを忘れることが出来ず、何もかもを頭に中に抱え込んで生きて行かねばならないなんて……ケイトリンにはその重さが想像できなかった。

「確かに諸刃の剣、ですね……」

「うん。セルコがこの第一部隊に来たのも、その記憶力のせいだし」

「そうなの?」

「彼は人の顔も忘れないから、同僚の奥さんと直属の上官の不倫を結果的に暴いちゃってね、その不倫の事実は上層部によって握りつぶされたんだけど、怒った上官にここに飛ばされてしまったんだ。セルコはそんなつもりはなかったみたいなんだけど、彼みたいに余計なことまで覚えている人間はどこでも煙たがられる。この第一部隊はこうしてお荷物ばかりが集まってくるというわけなんだ。あ、副長は違いますけど」

「似たようなものさ」


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