第三話
「ふうん。ドジか」
「殿下」
セドリックの傍にいた金髪の青年がそっと囁くように言った。
「抑えてください。場をわきまえて。しかも相手は女性です」
「だから何だ」
にっと邪悪に笑うと、セドリックはケイトリンにぐいと近づいた。そして、値踏みするようにじろじろと彼女の顔を、そして体を見る。
「お前、名は?」
「え。あ、あの、ケイトリン・スザンナ・ウィルローズ、です」
「ケイトリン・スザンナ?」
「は、はい。ケイトリンと……ケイティと親しい人には呼ばれています」
「ウィルローズ、か。聞いたことがある名だな」
「はあ……」
ウィルローズか、と言ったセドリックの声には嘲りがあった。きっと、知っていてわざと言っているのに違いない。恥ずかしくなってケイトリンは顔を俯けた。
「おい、ドジ娘」
「え。はい」
「これをどうしてくれる。軍服は軍人の誇りなのだがな」
「も、申し訳ありません!」
「謝罪はもういい。俺が聞いているのはどうするのかということだ」
「……どうと言いますと?」
「それを俺に聞き返すか?」
「か、重ね重ね、申し訳ありません!」
恐ろしくて、ケイトリンは後ずさった。どんと冷たい壁が背中に当たって、彼女の退路を塞ぐ。
気が付くと音楽も止んでいて、周囲を見るといつの間にかダンスも歓談も終わっていた。セドリックとケイトリンを中心に人々は遠巻きに輪を作り、ふたりを注視しているのだった。
そのしんと張りつめた空気と人々の冷めた視線に圧されて、ついにケイトリンはへなへなとその場に座り込んでしまった。そして次の瞬間、ケイトリンの頬をかすめるように、どんとセドリックの軍靴が重たく壁を突いた。
ひっと息を呑み、ケイトリンはますます体を固くする。
こんな靴で顔を踏まれたら、低い鼻がますます低く……どころか潰れてしまうわ。
そう思った後ですぐに慌てて頭を振った。
ああ、そんなことよりも、早く非礼をお詫びしなければ……! もしここで私が殺されてしまったら、遺された病気の母とまだ幼い弟が路頭に迷ってしまう!
「お、お、お許しを……どうか、お許しを」
「あ? 何だ? 聞こえんぞ」
刺すようなその声にケイトリンは恐る恐る顔を上げる。真下から見上げるセドリックの顔は、こんな角度から見ているのにも関わらず完璧に美しかった。
もし、無垢な娘をたぶらかす悪魔がいるのだとしたら、こんな美しい顔をしているに違いないとケイトリンは本気で思った。
「何か言ったか、ドジ娘」
「あ、あの……お、お許しください、セドリック殿下。い、命だけはお助けを……な、何でも致しますので……」
「何でも? 本当か」
「は、はい」
「そうか」
すっと足を壁から離すと、セドリックはケイトリンの正面にしゃがみ込み、至近距離に顔を寄せた。ケイトリンは更に後ろに下がろうとしたが壁に阻まれてそれ以上の身動きは叶わなかった。
「あ、あの?」
「何でもするのだな?」
「は、はい」
「では、ドジ娘。俺の妻になれ」
時間が止まった。
ケイトリンは呆然と目の前の美貌の人をただみつめた。