第一話
ここエルベレスト王国の歴史は、ある一介の騎士の白昼夢から始まる。
夏の暑い盛り。彼がなにげなく空を見上げると、青い空をかき分けるようにして黄金に光る人物が突然現れた。性別は定かでないが、それは今まで見たこともないような美しい人であったという。
その金に輝く美貌の人は、騎士の心に優しく語りかけてきた。
『これより西に行くと、銀の剣が刺さった豊かな大地がある。その土地はお前のものだ。お前はその土地の王となり、国を造りなさい。
国の周りには深い壕を掘り、高い壁を築くといい。それらはお前やお前の民を害する悪しき牙から守ってくれるだろう。
民を愛し、国を守れ。
さすればお前の一族は永く栄えるであろう』
騎士はその言葉にすぐに従った。
支度を整えると、単身、彼は西に向かって旅に出た。
彼が銀の剣の刺さった大地をみつけたのは、旅に出て三年後のことだった。幾多の困難を乗り越え、ようやくたどり着いたのは、金に輝く美貌の人が告げた通り、緑にあふれ、地下水が潤沢な豊かな土地ではあったのだが、しかし同時に深刻な問題も抱えていた。
すぐ近くに魔物が棲む広大で深い樹海があったのだ。その樹海の魔物たちは、土地に住む民たちを襲い、血をすすり、肉を喰らった。幼い子供や家畜を攫うこともあった。
騎士は魔物に怯えることしかできなかった民に、戦い方を教え、国境を守る兵士を育成した。それと同時に国の周りに深い壕を掘り、高い壁を築き、魔物の侵入を防いだ。
こうして騎士は民に敬われ、彼らの王となり、この土地を自分の一族の名であるエルベレストと名付け、国を築いたのである……。
「もういいよ。眠くなって来た」
ショーンの声に、ジェイドは朗読を止め、ぱたりと分厚い本を閉じた。本の題名は『我が国の成り立ち』である。
「もういいのですか?」
「飽きたよ」
「随分と早く飽きられるのですね。ご自分の国の歴史ですよ」
「だって、そういう童話みたいな話、どこまで本当か怪しいよ。金色に輝く美貌の人のお告げなんてそれらしく美化して、醜い事実を隠ぺいしているんじゃないの」
「と、言われますと?」
「単身で旅に出たってことになっているけど、本当はもっと大勢仲間がいたんじゃない? 旅の途中で豊かな土地をみつけて武力で土着の民から土地を奪い取った、なんていうところが真実だよ。きっとたくさんの血が流れているよ。下手したら仲間内で権力争いなんてものもあったかもね。その中で生き残った者が王となり、それが僕たちのご先祖さまというわけさ」
「……ショーンさま。滅多なことを仰らないでください」
軽くたしなめながらもジェイドは内心、舌を巻いていた。この第二王子はやはり賢い。
「かもしれないっていうちょっとした推測だよ。そんなに深刻にとらえないでくれる?」
退屈そうにショーンは両手を上に大きく伸ばすと、あくびをした。
「眠いなあ。お昼寝しよう」
「だめですよ。今はお勉強の時間です。ショーンさまが珍しく国の歴史が知りたいとお勉強に意欲的になられたようでしたので、たくさんの歴史の本を図書室からお持ちしたのですが……」
そして、自分の手にしている本に目を落とす。
「ショーンさまには難しかったでしょうか? 例えばこの本は、初等科の生徒が初めて国の歴史を学ぶ時に用いる易しい副教本なのですが」
「……お前の舌には悪魔も負けるだろうね、ジェイド」
うんざりとショーンは言うと机の上に顔を伏せた。
ショーンは今、自習時間の真っ最中だ。
彼は学校から帰るとすぐに自室でジェイドの監視の元、二時間ほど勉強をするのが日課なのだが、勉学にあまり熱心ではないショーンは何か理由を付けては外に逃げ出そうとした。しかし、今日は珍しく歴史を学びたいというリクエストがあったため、ジェイドは張り切ってたくさんの書物をショーンの部屋に持ち込んだのだが、わずか数十分で彼は飽きたと音を上げたのだった。
「ショーンさま、この本に飽きたのなら、宿題をなさってください。あるのでしょう?」
「僕はさ、ジェイド」
のろりと顔を上げると、ショーンは上目遣いにジェイドの顔を見た。
「樹海のことが気になるんだよ。その本にあるように、本当にあの樹海には魔物が棲んでいるの?」
「……樹海、ですか? 私は詳しくはないのですが……魔物はいるようですよ。随分昔のことですが、ひどい有様で命からがら樹海から逃げてきた旅人がいたという記録が残っています。その旅人の証言では醜い姿をした鬼のようなものに襲われたとか」
「鬼が棲む樹海、かあ」
「ショーンさま?」
「そんな怖いところに、何故、お兄さまとケイティお姉さまが行かなきゃならないの?」
「それは……」
「ねえ、ジェイド」
「はい?」
「その分厚い本で、今すぐお父さまとお母さまの後頭部をぶん殴って来てくれない? きっとそれで目が覚めて、樹海に行けなんて言わなくなるよ」
「……その前に、私を謀反人にしたいのですか、あなたさまは」
「だめ?」
「だめです」
「ちぇっ」
「……それは何の舌打ちでしょうか、ショーンさま」
「それじゃあさ」
不意に笑顔になって身を乗り出すショーンを、ジェイドは片手をあげて制すると冷たく言った。
「だめです」
「まだ何も言ってないよ」
「あなたさまのことです。僕も樹海に行く! などと言い出すに決まっています」
「……そんなこと」
「違いますか? 樹海には珍しい植物がたくさんあるから採取しにぜひ行きたい、お兄さまとお姉さまのお供をする、とかなんとか言い出すのでは? だいたいそのようなことを国王さまと王妃さまがお許しになるわけがありません」
「もういい。寝る」
口をへの字の曲げると、ショーンはまた机の上に顔を伏せた。
「ショーンさま、起きてください」
「……おかしいよ」
「はい?」
「お父さまもお母さまもお兄さまも、みんな少しづつ、何かがずれてて何かがおかしい……」
「ショーンさま……?」
「そのおかしいことを、ケイティお姉さまが正してくれるんじゃないかって、僕はそう思ってた。なのに……お兄さまだけでなくお姉さままでも樹海に行かせるなんて、どうしてそんなことを……ねえ、ジェイド。どうしてなんだろう?」
「それは……私にも判りかねます」
顔を上げないショーンの、その柔らかな髪を、ジェイドは優しく指先で撫でた。
「ショーンさま、お勉強をいたしましょう。今、あなたに必要なことは学ぶことです」
「学んでどうなるの?」
「賢くなります」
「賢くなってどうなるの?」
「賢くなればそれだけ、強く優しい人間になれます」
「……強く優しい?」
「はい。本当に賢い人間は、強くて優しいものです」
一呼吸、置いてジェイドは続けた。
「知識は人を救います。誰かのために何かをしたいのであれば学ぶのです。……強くなりましょう、ショーンさま」
しばらくの間の後、ゆっくりとショーンは顔を上げた。
「勉強する」
「はい」
ジェイドはにこりと微笑んだ。




