第五話
夕刻近くになって病院に向かったケイトリンは、いつものように通用口から院内に入った。
「お疲れ様です」
顔見知りの警備員に声を掛けると、何故か彼は気の毒そうにケイトリンを見て、そのまま、目を逸らして何も言ってくれなかった。
どうしたのかしら?
不思議そうに首を傾げながら更衣室に向かうべく廊下を歩いていると、いきなり後ろから腕を掴まれた。
「きゃあ! 何?」
「静かに! 私よ」
「え? シンシア?」
ケイトリンの後ろにいたのは同僚の看護師のシンシアだった。同期の彼女とは何かと助け合える仲で、信頼できる友人のひとりだ。
「どうしたの? いきなり驚くじゃない」
「あなた、何したのよ」
「え? 何の話?」
「もう、ちょっとこっちに来て」
ぐいぐい手を引っ張られて、ケイトリンは廊下の隅に連れて行かれた。
「ねえ、どうしたのよ?」
「あなた、知らないの?」
シンシアは怖い顔をしてケイトリンに言った。
「病院中……いいえ、それどころか国中で今、セドリック殿下の話しでもちきりよ」
「え!」
ケイトリンはぎくりと肩を震わせた。そしてシンシアの顔をまじまじとみつめる。
まさか昨夜のパーティでの求婚騒動がもうここまで知れ渡っているというの?
「ちょ、ちょっと待って。あのね、どんなふうに噂が広まっているのか知らないけど、セドリックさまの求婚は本気じゃないのよ……」
「は? キュウコンって何のこと?」
「え。違うの?」
ぽかんとお互いの顔をみつめ合った後、大きく溜息をついたのはシンシアだった。
「もう、あなたったら、のんびり屋さんね。今までお昼寝でもしてた? お城からのお達しを知らないなんて」
「お城からって……何かあったの?」
胸騒ぎを感じて、ケイトリンはシンシアに詰め寄った。
「何なの? セドリックさまに何か悪いことでも起こったの?」
「悪いことって言えば、そうね。最悪ね」
「最悪ってどういうこと? 早く教えて!」
「ちょっと、落ち着いてよ」
ケイトリンを押しやると、シンシアは言った。
「あのね、今日のお昼過ぎにお城から通達があったのだけど、セドリック殿下が新しい任務にお就きになるの」
「……新しい任務って、だって、セドリックさまは任務からお戻りになられたばかりよ」
「そうよね、だけど、これはセドリック殿下から志願されたことなのよ」
「志願?」
ぐっと息を呑んでから、ケイトリンは改めてシンシアに尋ねた。
「それで、その任務ってどのような内容なの?」
「あなたは『黒の樹海』を知っている?」
「え、ええ。国境近くの山間部にある広大な森のことよね? 恐ろしい森だとは噂に聞くけれど……」
「じゃあ、『虹のかかる泉』のことは?」
「……知っているわ。『黒の樹海』のどこかにあるのでしょう? どんな病も治す水が湧いているという……。ねえ、まさか、セドリックさまの任務って……」
「そう。そのまさか。国王さまが最近、体調がすぐれないんですって。そのために、『虹のかかる泉』の水をご所望らしいわ。セドリック殿下はご自分から志願なさって、国王さまのために泉の水を汲みに行くのよ」
「そんな! 無茶だわ!」
「ケイティ、落ち着いて。話しはこれだけじゃないのよ」
取り乱すケイトリンの腕を引っ張って、シンシアは深刻な口調で言った。
「その任務、あなたも行くのよ」
「……え?」
「従軍看護師として国境警備隊に付いて、あなたも『黒の樹海』に行くのよ」
「わ、私が?」
「ええ。これは国王さまが決められたこと。既に病院に正式な命令書が届いているわ。あなた……断れないわよ」
すっと血の気が引いた。黒の樹海に入るということは、それはそのまま、死を意味する。
それと判っていながら、しかし同時に胸がとくりと弾んだ。
セドリックさまのお傍にいられる……。
それは確かに喜びだった。
「ケイティ、大丈夫?」
心配そうにシンシアが、彼女の顔を覗き込む。笑って大丈夫と言おうとしたが、顔が引き攣って上手くできなかった。
「シンシア、私……自分の気持ちが判らないわ……」
ケイトリンは崩れるようにその場に座り込んだ。




