第四話
「女ってつまらないわね」
どこかぼんやりとスージーが言った。
「生まれた時からもう未来は決められているのだもの。親が薦める『立派な青年』の妻になり、子供を産んで母になり、子育てが終わったら婦人会のボランティアなんかで暇をつぶして、そのうち歳をとって容色が衰えて、誰にも相手にされなくなって、そしておばあさんになって呆気なく死んでしまうのよ」
「嫌だ、スージーったら。悲観し過ぎよ。あなたの人生はそんな単純なものじゃないわ」
「そうかしら。だけど、ケイティは別。あなたは素敵よ」
「え? どうして?」
「あなたは自分の力で生きている。自分の未来を自分で作れる人だわ」
「それって、看護師の仕事をしていることを言っているの? だとしたらそれはそんなに立派なものじゃないわよ。あなたもご存じの通り、私の家は父親のせいでこんなに落ちぶれてしまったわ」
ケイトリンは改めて、荒れ放題の庭園を見渡した。
「もしそうじゃなかったら、私も女学校卒業したら結婚の準備を始めていたと思うわ」
「ケイティ……」
「父親が亡くなって、心労で母が倒れた。最初はただの風邪だと言われていたのが、悪化して肺炎を起こしたわ。それ以来、母は肺を悪くして少し忙しくしようものなら、息が切れて倒れてしまう。それでも家のため、私や弟のために頑張る母が痛々しくて……。
女学校を辞めると私が母に言ったのは、卒業まで一年を残す十四歳の時だったわ。学費は母の実家が出してくれていたから、母は家のことは気にせず、ちゃんと卒業しなさいと言ってくれたけど、私は違うと思ったの。だって、女学校を卒業してもこの手の中には何も残らない。良妻賢母の教育は今に私には必要なかった。同じ学費を払うなら、手の中に確実に残る教育を受けたかったの。それで女学校を中退して、看護学校に入り直したのよ。それは生きるため。それだけの選択だったわ」
看護学校で二年間の教育を受けた後、ケイトリンは見習い看護師として、正看護師の資格を取る勉強を続けながら病院で働き始めた。そして、正看護師の資格試験に合格したのは一年後の十七歳の時だった。
その頃には『お嬢さまのお医者さんごっこ』などと陰口を叩いていた先輩や同僚たちも、ケイトリンの真摯な働きぶりに、彼女を仲間として認めていた。
「ねえ、スージー。私は好きな方と結婚して、その方を支え、家を守り、子供が出来たら愛を注いで育んで、家族と共にそうして生きていくことをつまらないなんて思わないわよ」
「そうね。それは判るのだけど」
少し、迷ってからスージーは言った。
「だけど、それは好きな方と結婚できてのことじゃない? 私の父も母も、私の気持ちを大切にしてくれて結婚のことはうるさくは言わないけれど、それでも、候補の男性を家に招くことはよくあるの。確かにみなさん、素敵な方。だけど……」
「だけど?」
「ときめかないのよ!」
「まあ」
目を潤ませて訴えかけるように言うスージーにケイトリンは心から驚いた。いつも柔らかく微笑んでいる親友がそんなことを思っていたとは。
「みなさん、優しくて誠実よ。大変な資産家の方や、将来、確実に出世される方もいらっしゃるわ。だけど、どうしても私の心はときめかないの。この方だわ! と思える方に出会えないのよ。なのに、二十歳までに結婚しなくてはならないの? そうしないと私は女性として失格なの? 両親に恥ずかしい思いをさせてしまうのかしら?」
「スージー……」
ケイトリンはそっとスージーの白い華奢な手を握った。
「大丈夫よ。無理に結婚なんてすることはないわ。大切なのはあなたが幸せになること。幸せになれない結婚なんてすることないわ」
「ケイティ」
「私はあなたの味方よ。何があっても、絶対よ」
それから少し声を落とすと、彼女は言った。
「スージー、私の企みを教えてあげましょうか」
「企み?」
「ええ。私ね、思っていることがあるの。私たちは、泣いて産まれてくるじゃない?」
「それは、赤ちゃんは泣いて産まれてくるものよ」
「そう。だから、死ぬ時は笑って死んでやろうと思っているの」
「なあに、それ?」
きょとんと問い返す親友に、ケイトリンは微笑む。
「私が産まれてきた時、私は泣いて、周囲の人たちは祝福して笑ってくれている。だから、死ぬ時は泣いている周囲の人たちに笑って言うの。『楽しい人生だったわ。もう充分だからお先に失礼するわね』って。……私はそんな風に笑って死ねるような人生を送るの。それが私の企みよ」
「笑って死ねるような人生……そう。それは素敵ね」
「何でも自分の思い通りにはならないわ。人に迷惑をかけたり、意地悪をしたり、我儘を言ってはいけない。それさえちゃんと判っていれば、好きに生きていいと私は思っているの」
「やっぱり、ケイティは素敵な人よ」
スージーはギュッとケイトリンの手を握り返した。
「私も笑って死にたい。そのためには幸せにならなきゃね」
「ええ。あなたなら幸せになれるわ、大好きなスージー」
「ケイティ、私もあなたが大好き」
ふたりはみつめあい、心から笑い合った。
足を忍ばせて階段を上がると、ケイトリンはそっと自分の部屋に入った。急いでドレスを脱ぐと、いつも着ている水色のワンピースに着替える。ぼろぼろになった若草色のドレスはブラシでざっと汚れを落とすと、丁寧にたたんでクローゼットの奥に仕舞った。どんなにひどい有様になってもこれだけは捨てることは出来ない。祖母の大切な形見であり、そしてなによりも、楽しかった一夜の思い出の品だ。
もう二度と、セドリックさまとふたりきりでお会いすることはないわね……。
小さく溜息をついて、ケイトリンは静かにクローゼットの扉を閉じた。
階段を降りて台所へ向かうと、おいしそうな匂いが漂ってきた。
「お母さま?」
台所を覗いて驚いた。母親が鍋を火にかけ、食事の支度をしている。
「まあ、起きていて大丈夫なの?」
「あら、ケイトリン。帰ったのね」
「え、ええ。ごめんなさい。朝帰りになってしまって。あの、今、スージーとお庭でお話しをしていて……」
「そう、昨夜はガーランドのお屋敷に泊めていただいたのね。きっとそうだと思って心配はしていなかったけれど、連絡ぐらいはよこしなさい。あなたは年頃の娘なのだから、悪い噂が立ったらどうするの?」
「あ、ええっと、そうね、ごめんなさい。あの、朝食の支度は私がするわ」
嘘をついてしまった。
罪悪感はあったが、本当のことを話せるはずもなく、ケイトリンはしどろもどろになりながら、母親の近くに行って鍋を覗き込んだ。
「お、おいしそうなスープね」
「ええ、これはほとんどアレンが支度してくれたのよ。私は煮込んだだけ。もう出来ているのよ。ほら、お皿を出して。それとも朝食は済ませてきたの?」
「あ、いいえ。お母さまも召し上がる? 後は私がするわ」
慌てて棚からふたり分の食器を出した。
テーブルに並べながら、ちょっと悲しい気分になったのは、昨夜の小さな冒険が楽しかったからだろうか。ケイトリンはあえて笑顔を作って、お皿にたっぷりとミルク色のスープを注いだ。




