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第三話

「ちょっと、何黙っているのよ!」

「あ、ごめんなさい」

 慌ててケイトリンは言った。

「朝からいらっしゃるなんて、何か急なご用件なの?」

「朝から来るなんて迷惑って言いたいの?」

「いえ、違うわ、そうではなくて」

「あなたの勘違いを正すには早い方が良いと思ってこうして朝から来てあげたんじゃない。感謝なさいよ」

「あ、そうなの? それはどうも。それで、私の勘違いって……」

「あなたのお屋敷、最悪ね」

 アリアナはケイトリンの言葉を遮ると、切り込むように言った。

「散々、待たされて暇だったから、さっき、お屋敷の周りをお散歩してきたのだけど、ひどいものね。何なの、この荒れ放題の庭に、ひび割れだらけのお屋敷は。空き家かと思っちゃった」

「アリアナ、あなた、いくらなんでも失礼だわ!」

 立ち上がりかけたスージーの腕をそっと押さえて、ケイトリンはアリアナに穏やかに微笑んだ。

「ごめんなさい。手が回らなくてこの有様なのよ」

「ふうん。本当に貧乏なのね」

「え、ええ。あの、それで、アリアナさん。ご用は何かしら……?」

「そうね、本題に入りましょうか。こんなところにいつまでもいたくないし。……用って言うよりは警告に来たのよ」

「警告?」

「そう。勿論、セドリック殿下のことよ。あなたが勘違いしているだろうと思って」

「あの、勘違いってセドリックさまの求婚のこと? だったら大丈夫よ。あれは本当の求婚じゃないのは私も判っているから」

「そんなの当たり前じゃない!」

 不意に激昂してアリアナは言った。

「あの方は誰のことも愛したりしないわ! ましてやあなたなんかに求婚なんて……ありえない!」

「あ、あの、アリアナさん?」

「少しぐらい気のあること言われたからって思い上がらないでよ! いい? もうあの方に近寄らないで! 殿下と結婚すれば、この家を立て直せると思っているのかもしれないけど、そんな馬鹿な夢を見ていると今に大変なことになるわよ!」

「いえ、私はそんなこと思っていないわ」

「どうかしら?」

 目を眇めてケイトリンを見ると、アリアナは言葉を続けた。

「あなたは知っているかしら? 私はセドリック殿下の花嫁候補なのよ。まあ、すべては伯母さまの思惑だけどね。これまで何度かお会いしたけれど、目を合わせてもくださらないわ。私なんていないも同然って感じ。どんな服を着ても、どんなお化粧をしても同じだった。なのに」

 きっと、ケイトリンを睨むように見る。

「あなたは大勢の中から、あの方に選ばれて、あの瞳にみつめられて、悪ふざけだろうと何だろうと求婚までされて……なんて憎たらしい!」

 唇が細かく震えていた。ケイトリンは、はっとしてアリアナをみつめた。

 この方は、セドリックさまに恋をしているのだわ。

「言っておくけれど、伯母さまは怖いお方よ。セドリック殿下とあなたの仲をお許しにはならないわ。お許しになるくらいなら、いっそのこと……」

「え?」

「な、何でもないわ。と、とにかく」

 アリアナはつんとそっぽを向くと言った。

「セドリック殿下と昨夜、何があったのか知らないけど、警告しておくわ。あなたが考えるよりも現実は厳しいってこと。殿下のことは諦めるのね。あなたのためよ。言いたいことはこれだけ。よく考えるのね」

 そして彼女はワンピースの裾をひるがえすと、足早に庭園を去って行った。

「ひどい言い方ね」

 アリアナの姿が見えなくなると、溜息交じりにスージーが言った。

「女学校時代はとてもおとなしくて、いるかいないか判らないくらいに地味な女の子だったのに、今はあんなにきつい女性になってしまうなんて」

「おとなしい人だったのね。私、申し訳ないくらい彼女の記憶がないのよ」

「仕方ないわ。アリアナは透明人間とあだ名されるくらい存在感が無かったもの。それに、あなたは途中で女学校を辞めてしまったし、お家のことも大変でそれどころじゃなかったものね」

「ええ、そうだけど、でも透明人間なんて……」

「今のアリアナからは考えられないでしょう? 彼女、よく上級生に目を付けられて、成り上がりだのなんだのといじめられていたから、目立たないように気を付けていたのだと思うわ。それがいつの間にか透明人間になっていたというわけね」

「いじめられていたなんて……お気の毒ね」

「だけど、女学校を卒業したら途端に派手になってしまって。どういう心境の変化かしら」

「きっと、自分の存在を知って欲しい人ができたのよ」

「え? なあに、それ」

「透明人間じゃいられないほど好きな人ができたのよ。鮮やか女性に変身したくなるほどに」

「好きな人って……セドリック殿下?」

「だと思うわ。警告に来たなんて仰っていたけれど、本当は昨夜のことが気になって、いてもたってもいられなくて、朝から私の様子を見に来たのよ」

「ま。図々しいわね」

「お可愛らしいじゃないの」

 微笑むケイトリンを、スージーはやれやれと肩をすくめる。

「本当にあなたは人が好いのだから……まあ、いいわ。とにかくあなたが殿下に傷つけられていなくて良かった……あら、良かったのかしら?」

「え? どういうこと」

「殿下と既成事実を作ってしまうのも悪くない選択肢だったかもってこと」

「スージーったら! やめてよ」

「だって、殿下は素敵な方だったんでしょう?」

「え? ええ、まあ……」

「それに私たち、もうすぐ二十歳だわ」

「まだ十九歳よ」

「そんなの、すぐよ。すぐ歳をとっちゃうわ」

 憂鬱そうにスージーは言う。

 それにつられて、ケイトリンもつい溜息をついてしまった。

 この国では女性は十八歳、男性は二十歳をもって成人とし、同時にそれが結婚を許される年齢となる。

 彼女たちのような上流階級に属する女性たちの大半は初等学校を卒業した後、いわゆる花嫁学校といわれる女学校に進む。そこで三年間、良妻賢母の教育を受け、十五歳で卒業する。

 卒業した彼女たちは、親に決められた結婚相手がいる場合は結婚できる歳になるまで花嫁修業にいそしみ、相手が決まっていない者は、よりよい相手をみつけるために社交界デビューを果たす。何かを志し、上の学校へ進学する者や就職する者はほとんどいない。

 誰が決めたことでもないが、彼女たちの属する世界では、女性は二十歳までに婚約あるいは結婚するのが当たり前、それが出来ない者は上流階級の女性として失格、という昔から続く暗黙のルールを引きずっていた。そのカビの生えた古い価値観は、新しい感覚を持つ若い女性たちを大いに悩ませていた。


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