第二話
爵位を継いだ父親が賭け事に狂い、非合法のカジノに通うようになり、あっという間に財産を食いつぶしてしまったのだ。何人も愛人を囲い、母を苦しめ病人にし、その挙句、自分はおかしな病気を悪所から貰ってきて、呆気なく死んでしまった。
現在、崩壊寸前のウィルローズ家の当主は、愛人の一人が生んだ八歳になる腹違いの弟アレンが継いでいる。女性は当主になれない法律があるため、結婚して婿養子を貰うか、男子を養子に迎え、後を継がせるしか道はない。
名家とはいえ無一文に近いウィルローズ家に婿に来てくれる者があるわけはなく、ケイトリンの母親は泣く泣くお金を払って愛人の子を引き取ったのだった。その愛人はアレンを渡すと、もっと羽振りのいい男の元にさっさと嫁いでしまった。
実の母に売られた形でウィルローズ家にやってきたアレンは、しかし気丈で聡明な子供だった。継母である夫人やケイトリンにも素直で従順、屈託なく懐いた。そんなアレンにいつしか夫人も実の子のように愛情を注ぐようになり、ケイトリンも心からアレンを可愛いと思うようになっていた。
「スージー、あなたが口を利いてくれて、私も今夜、このパーティに参加できたことをとても光栄に思うわ。だけど、私が選ばれるなんてことは絶対にないから。もし、ウィルローズ家が息を吹き返すことがあるとすれば、その可能性はアレンにしかないと思うの。
アレンが聡明でいい子なのが本当に救いなの。いつかあの子が大人になってウィルローズ家を元のように盛り立てることが出来たなら……こんな幸せなことはないと思うわ」
「そうね。アレンになら出来ると私も思うわ。でも、彼が大人になるまで待てるの? もし、あなたがセドリックさまに見初められたら……ウィルローズ家は王家と親戚になる。取り立てて貰えるわ。そうすればウィルローズ家は元のような裕福でみんなの尊敬を集める立派な家に戻れるのよ」
「……無理よ」
ケイトリンは苦笑いした。
「それに、セドリックさまは怖いお方だとも聞くわ。私にはとても無理」
「そうね。セドリックさまは少し冷淡で粗暴な所があるらしいわ。だけど容姿端麗でとても優秀な軍人さまなのよ」
「だったら尚更、私には釣り合わないわ」
「いいえ。私、ケイティなら大丈夫だと思うの。頑張り屋さんで女学校の時から優秀だったあなたなら。難関の看護師の資格も取ったじゃない。病院では頼りにされているのでしょう。セドリックさまを慰め、支えられるのはあなただわ」
「まさか」
慌ててケイトリンは言った。
「確かに看護師の資格は取ったけど、それとこれとは話しが別。私が看護師をしているのはひとえに家計のため。看護の仕事は昔から興味があったし、なにより資格を取って看護師になれば仕事にあぶれることはないと思ったからよ。下世話なことを言うようだけど、今のウィルローズ家を支えているのは私の看護師としての収入なんだから」
「それはそうでしょうけどお」
唇をとがらせて、スージーは不服そうな顔をする。
この可愛らしい親友はどうも、自分のことを買いかぶりすぎているとケイトリンは思った。
美人ならまだしも、このそばかすだらけの顔をした平凡、地味、しかも実家は崩壊寸前、悪名高いウィルローズ家の娘なのだ。そのどこに王子様に見初められる要素があるというのだろう。
今夜のパーティはいつも、裕福な上流階級が暇つぶしに行うそれとは違って、国王主催の、城の大広間で行われている特別なものだ。それもそのはず、国境警備隊の隊長の任に就いているこの国の第一王子セドリックの凱旋祝いとそのお妃選びを兼ねたパーティなのだから。
それは年頃の娘たちの心を騒がせ、彼女たちの間では目に見えない気取った戦いが繰り広げられていた。
そんな怖くて面倒なものに参戦する気はケイトリンにはさらさら無い。
「とにかく、こんな隅にいてはだめよ。セドリックさまでなくても、素敵な貴公子はたくさんいらっしゃるわ。さ、行って選びましょうよ」
「え、選ぶって、そんな」
「ほら、早く」
スージーに強引に腕を取られて、仕方なくケイトリンは大広間の中央にやってきたが、だからといってどうすることも出来ず、華やかにダンスに興じている人々を遠巻きに眺めるしかなかった。
「スージー、今日は一段と可愛いね」
「スージー、どうか僕と一曲、踊ってください」
ふたりで立っていると、次から次へとスージーに貴公子たちが声を掛けてくる。躊躇するスージーの肩を指先でそっと押してケイトリンは言った。
「どうぞ、行ってきて。私は大丈夫だから」
「でも」
「楽しんで」
微笑みを向けて、スージーを踊りの輪に送ると、ケイトリンは小さく溜息をついた。そして一人になった彼女を無遠慮に射る周囲の視線に気付き、ますます居心地が悪くなる。
『ご覧になって。落ちぶれたウィルローズ家の娘が来ているわ』
『なあに、あの古めかしいドレスは。恥ずかしいったら』
『嫌だ。何を狙っているのかしら』
『ここに来るなんて。今となっては分不相応よね』
そんなこと、判っているわ。
ぎゅっと唇を噛み、ケイトリンは大広間を出るべく回れ右した。誘ってくれたスージーには悪いけれど、これ以上は耐えられそうになかった。
もう帰ると決めて、グラスを持つ手から力を抜いたその時、前から歩いてきた軍服の青年と見事に正面衝突してしまった。
「あ、すみません!」
慌てて謝り、体を離し、そしてぎょっとする。
彼女の目の前にいたのは、この国の第一王子セドリックその人だったのだ。彼の着ている式典用の白い軍服の胸元はケイトリンの持っていた発泡酒によって朱に染まっている。
「これはこれは、ご挨拶だな」
氷のような冷たい声でセドリックは言うと、空のグラスを持ったまま、呆然と立ち尽くして震えているケイトリンをみつめた。
「何の真似だ? 嫌がらせにしてはやり方がシンプルだが」
「……い、嫌がらせ? ち、違います! 不可抗力です。ただのミスです。私のドジです。申し訳ございません!」