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第三話

 長い廊下を曲がり、階段を降りようとして、ケイトリンはそこで思わず足を止めた。下からモップやバケツなどの掃除道具を抱えて三人のメイドがこちらに向かって上がって来ていたのだ。

 自分の今の姿を思うと、誰にも会いたくないのが本心だったが、仕方がない。ケイトリンはあえて顔を上げ、堂々と階段を降りて行った。

 メイドたちはケイトリンに気が付くと、すっと階段の端に寄り、一列に並んで道を譲った。すれ違う時、彼女たちはケイトリンに向かって丁寧に頭を下げる。

「おはようございます」

 ケイトリンはできるだけにこやかにそう言うと、メイドたちの前を行き過ぎようとしたが、その時、彼女たちのひそひそ声が聞こえてきた。

『ねえ、あの人、落ちぶれた貴族の娘なんでしょう?』

『そうそう。セドリックさまも遊ぶならもっとマシな相手を選べばいいのに』

『あのひどい格好。まるで商売女ね』

 そのトゲのある言葉にケイトリンは傷つかないわけはなかったが、それでも俯くのは嫌だった。彼女は笑顔を崩すことなく真っ直ぐに前を見て、階段を降りて行った。そんな彼女の足元に、音もなくすっとモップの柄が差し出された。

 冷たく固い感触を足首の辺りで感じたが、その時はもう遅かった。ケイトリンは大きくバランスを崩し階段を踏み外していたのだ。長い階段の途中でのこと。下まで転げ落ちれば無傷では済まないだろう。

 突然のことに悲鳴を上げることも出来ず、ケイトリンの体は宙に投げ出されていた。

 落ちる……!

 もう駄目だとぐっと目を閉じた時、自分の体を優しく抱きとめてくれた人がいた。その人は軽々とケイトリンを抱き上げると、階段の端で固まっているメイドたちを睨みつけた。

「お前たち、これはどういうことですか」

 静かだが、怒りのこもったその声には迫力があった。メイドたちは一斉に身を縮めると頭を下げる。

「あ、あの、私たちは何も」

「モップの柄で、こちらのお嬢さまの足を引っかけたのを私はこの目で見ましたよ」

「あ、あの……も、申し訳ございませんでした!」

「まさか、本当にお転びになるとは思わなくて」

「ほんのいたずらのつもりでした……」

「まったく。大惨事になるところでしたよ。反省してください」

「は、はい!」

 恐縮して深く頭を垂れる三人の様子をしばらく見た後、彼はひとつ頷くと言った。

「もういい。行きなさい」

「はい!」

 三人のメイドは我先にと逃げて行った。その背中を見送ると、彼はゆっくりとした足取りで階段を降り、階下にたどり着く。そして自分の腕の中で固まっているケイトリンを見下ろすと言った。

「大丈夫ですか、お嬢さま」

「……は、はい」

 震える声で答えてから、自分が知らない青年に抱き上げられていることに気が付いて、ケイトリンは慌てて言った。

「お、下ろしてください……!」

「はい、只今」

 するりと廊下に下ろされたケイトリンはそのまま、そこにへたり込みそうになる。それを青年は優雅な仕草でそっと支えた。

「あ、すみません。もう、大丈夫ですので。あの、あなたは?」

「これは失礼いたしました」

 黒いスーツに身を包んだ彼は、丁寧に頭を下げた。

「私はジェイドと申します」

「ジェイド、さま?」

「私に敬称は必要ありません。ジェイドとお呼び捨て下さい、お嬢さま」

「あ、あの、助けてくださってありがとうございました。その、何が何だか判らなくて少々、混乱しています」

「無理もありません」

 にこりと爽やかに笑いかけると彼は言った。

「メイドたちの幼い嫉妬です。あなたに恥をかかせてやろうといたずらをしたのでしょうが、危ないところでした。私がいて良かったです」

「私に嫉妬、ですか? こんな私に?」

「ご自身を卑下なさるのはよくありません。謙遜と卑下は違いますよ、お嬢さま」

「はあ。ですが私は本当に嫉妬されるような者では」

「セドリックさまに愛されておいでです。それは嫉妬されるに十分な理由ですよ」

「まあ、それは誤解です!」

 慌ててケイトリンは言った。

「あのパーティでの求婚は、あの方の悪ふざけです。結果的に朝帰りになってしまいましたが、何もありませんでしたし」

「それは、あなたを大切にしている証拠ではありませんか?」

「絶対に違うと思います」

 きっぱりと言い切るケイトリンに、困ったように笑うとジェイドは言った。

「実は私はあなたさまをお迎えにあがったのです」

「え? どういうことでしょう?」

「私はショーン第二王子の警備兼教育を任されている者です。ショーンさまがぜひあなたにお会いしたいとお待ちなのですが、一緒に来ていただけますか?」

「……ショーンさまが?」

 ケイトリンは唖然としてジェイドの顔を見返すことしかできなかった。


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