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第一話

 失敗のひとつやふたつ誰にでもある、などと寛容なことをおっしゃってくださったのはどこのどちらさまかしら……そんなことを密かに思いつつ、ケイトリン・スザンナ・ウィルローズは、真紅の発泡酒がたっぷりと注がれたグラスを包み込むようにしっかりと手に持った。

 その失敗がひとつやふたつでなくても、そうおっしゃってくださるのかしら?

 ふうっと小さく深呼吸して、ケイトリンは改めて辺りを見回した。

 着飾った老若男女が白々しい社交辞令を交わしつつ、微笑み合い、ダンスを踊っている。

 不気味だわ。

 思わず顔をしかめてしまう。ここに集まっている人間がすべて仮面をつけているように見えた。

 上流階級が集まるこんなパーティは、何度経験してもケイトリンは好きになれなかった。というより、恐怖すら感じる。

 楽しくもないのに楽しいふりをし、面白くもないのに笑い、好きでもない相手とダンスを踊る。そんなことが普通に出来る人々がケイトリンには不思議に思えて仕方なかった。

「また緊張しているのね、ケイティ?」

 とんと軽く肩を叩かれて、振り返ると親友のスージーが笑っていた。その笑顔に救われてケイトリンは、ほっと肩の力を抜く。

「大丈夫よ、スージー。緊張なんかしていないから。今夜はあなたのおかげでここに来られたのだものね、失敗しないように慎重に行動しようと思っているだけよ」

「そう思うことが『緊張している』っていう証拠なんじゃない? ほら、そんなグラスの持ち方をしていたらせっかくおいしく冷えているお酒がぬるくなってしまうわよ」

「あ、ああ。いいの。お酒は飲まないから。それよりこぼしてしまわないか心配なのよ」

「それってトラウマ?」

 さもおかしそうにそう言ってスージーは愛らしく笑った。

「まだ子供の頃のガーデンパーティのこと、引きずっているんでしょう?」

「え? ああ、それは……」

「他ではしっかり者のあなたが、こういうパーティの席だけは緊張して失敗ばかりしているなんて、何かの呪いかと思うわね。この前、誘ったティーパーティでもお茶をこぼして、焼き立てのパイを台無しに……まあ、それはどうでもいいのだけど、やっぱり、あの時のガーデンパーティがすべての原因ね」

 ケイトリンは返事に困って、ただ微笑んだ。

 スージーの言うガーデンパーティとは、まだケイトリンが八歳の頃、スージーの家の別邸の庭で行われたパーティのことだ。略式の軽いパーティだったため、無礼講ということで身分に関係なく参加者はみんな、ざっくばらんに歓談していた。

 その頃はケイトリンの実家、ウィルローズ家は今と違って裕福だった。父親も「まとも」で、母親も寝込むことなく健康で、祖母もまだ健在だった。

 彼女のミドルネーム『スザンナ』の名づけ親でもある祖母は、ケイトリンを「スザンナ」と呼ぶ唯一の人だった。あの優しい深みのある声でそう呼ばれることがケイトリンは大好きだった。その祖母も今はもういない。

 その日、あつらえたばかりの純白のドレスを着たケイトリンは、バラの妖精のようなピンクのドレスを着たスージーとそれは楽しく過ごしていたのだが、飛んできた蜂に驚いた誰かの飼い犬がケイトリンに飛びつき、それに驚いたケイトリンが自分のドレスの裾を踏んで転び、その時、咄嗟にテーブルクロスを掴んだものだから、テーブルの上に並んでいた飲み物や料理、生クリームたっぷりのケーキなどを周囲に派手にぶちまけてしまった。それは自分の純白のドレスだけでなく、近くにいた出席者の衣装やきれいに整えた髪や顔までも盛大に汚すという大参事を引き起こしてしまったのだ。

 怒って帰ってしまった人もいたが、大半の人は苦笑いしつつも「子供のやったことだから」と許してくれた。だが、泣きじゃくるケイトリンの代わりに、父親と母親が必死に詫びているその姿は、彼女の罪悪感を更に大きいものに変えた。

 そんな傷心のケイトリンに、スージーは汚れてしまった純白のドレスの代わりに、自分のピンクのドレスを貸してくれ、「私たち、姉妹みたいじゃなくて?」と同じ色のドレスを着ていることを喜び、微笑んでくれた。あの頃からケイトリンはスージーの笑顔に救われていたのだ。

「確かにあれは顔から火が噴くほど恥ずかしい出来事だったけど、でも、あの後のこと、私、よく覚えていないのよ。ガーデンパーティは確かそのまま続けられたと思うけど、私たち家族は早くに帰ったのじゃなかった?」

「あら、違うわよ。私の貸してあげたピンクのドレスを着てしばらく一緒にいたじゃない? あの後、あなたに飛びかかった犬がごめんなさいって言うみたいにあなたの足元にじゃれて。飼い主も謝罪に来ていたわよ」

「え。そうだった? 覚えてないわ」

「そうなの? 本当にショックだったのね。うーん、これはなかなか解けない呪いかも」

「怖いこと言わないで」

 そう言って笑ってみたものの、その笑顔がぎこちないのは自分でも判っていた。

 あの時の紳士淑女たちのケーキのクリームで汚れた顔を今でもはっきりと思い出す。「いいのよ」「子供のしたことだ」そう言う口元は笑っていても、目は冷たかった。笑顔の仮面の下では怒り、嘲りの表情を隠していたに違いない。

 それから、どんな種類の、誰が主催するパーティでも、ケイトリンは苦手になった。あの白々しい空気。あの仮面の表情。そのすべてが怖い。

「ケイティ、しっかりしてよ。今夜は特別な夜なのよ」

「あ、ええ。だけど、私は関係ないわ」

「何言っているの。ウィルローズ家は名家よ。堂々としてらっしゃいな」

 そう、名家。名前だけのね。

 ケイトリンは心の中でそう付け足した。

 ウィルローズ家はこの国有数の古い家柄で、父親は侯爵だった。かつては広大な土地を持ち、たくさんの使用人を抱え、とても裕福な家だったのだが。

 けれど、それはもう過去の話だ。


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