弥生時代の日本人とローマ帝国の人々が出会ったら
ローマ帝国で石造りの立派な宮殿や住居、屋敷、コロッセオなどの建造物が建てられていた頃、日本は弥生時代で、ようやく高床式倉庫などが建てられていた頃だったという。
ローマ帝国で貨幣経済となり、この時代に、既に金貨、銀貨、銅貨といったコイン、つまり貨幣が流通していた頃、日本ではようやく稲作が伝来した頃だったという。
それでは、その頃の日本人たちが、ローマ帝国の人々に出会ったとしたら…。
「おお!これがローマ帝国の都、ローマか!」
「すごいな、全部石を積み上げて造ったのか!
どれをとっても、我が国とは比べ物になりませんな!」
そうして、弥生人たちが、カエサルや、オクタビアヌスに謁見していた可能性もあっただろう。
いや、時代が時代なら、暴君ネロや、五賢帝の時代、あるいはキリスト教をローマ帝国の国教として認めた、コンスタンティヌス帝と、弥生人たちが出会っていたかもしれない。
もっとも、コンスタンティヌス帝が、キリスト教を国教として認めたのは、実際には卑弥呼の邪馬台国よりもさらに後の時代だったのだが、もしも仮に、卑弥呼とコンスタンティヌス帝を出会わせたとしたら…。
「わらわは邪馬台国の女王、卑弥呼と申す。」
「おお、そなたが邪馬台国の女王、卑弥呼か。
お噂はかねがね聞いておりますぞ。
私はローマ帝国の皇帝、コンスタンティヌスと申します。
ところで、邪馬台国の人々も、もしよければ、キリスト教を信奉してみてはいかがですかな?」
「いやいや、我が日本の国には、昔から日本の神がおりまして、それらの八百万の神様を、神社というところに奉って(まつって)おります。」
「なるほど、さようでございましたか…。」
このような会話になるのかなと…。