#08 - 真田晃司は勇者である
俺は、大学のキャンパス内にあるカフェで、温かいコーヒーを口に含むと、はあと息を吐いた。
俺の名前は、真田晃司という。真田という名前から「戦国武将っぽい」と言われることもあるが、何の関係もないただの大学生だ。
いや、ただの大学生とも言えないのかもしれない。
「……川村、陽介、か」
手帳に書かれたその名前を、この二年、忘れたことなど一度もなかった。
俺はかつて、七人の仲間と共に『勇者』として異世界に召喚された。そして異世界から帰還したのが二年前。
一年にも及ぶ集団失踪事件から帰還した俺たちは、一部の新聞やニュースで騒がれたこともある。
しかし半年もした頃に沈静化して、俺たちは『地元ではちょっと知られている顔』ぐらいで落ち着いた。
正直、そうなってほっとしたものだ。何しろ『異世界に召喚された』なんて言えるはずもないからだ。警察には相当しつこく聞かれたが、俺たちは何も話さなかった。
今思い出しても荒唐無稽だし、同じく異世界に召喚された仲間以外、誰も信じたりしないだろう。頭がおかしくなったと思われて、家族や友人に心配をかけるのも馬鹿らしい。
そしてそれ以上に、俺たちが話したくなかったのは『川村陽介』が原因だった。
魔王が死に際に残した言葉。自分は日本人だったという告白。
あの時、初めて自覚したのだ。「俺たちは人を殺した」という事実を。
誰にも責められはしないかもしれない。異常な状況下で、俺たちは魔王を倒して元の世界に戻ることだけを目標に、あの異世界で戦い抜いた。帰ってきてみれば一年しか経過していなかったのは驚きだったが。
俺たち八人は、帰って来てからも、何度も連絡を取っているし何度も会っている。だが話題に『川村陽介』の名前が挙がったことは一度もない。
きっと、誰もが同じ気持ちなのだろう。
(……1967年生まれ……37歳で行方不明……)
それは、ネットの片隅にあった行方不明者情報サイトの、川村陽介に関する情報だった。2004年に行方不明となった彼は、どのような想いであの世界を生きて、そして魔王になったのだろう?
分からない。分かりたくなかった。魔王を斬ったときの感触が、未だ手にこびりついているように思えたからだ。
何か方法が違えば、和解できたのだろうか? いや、彼を殺さなければ俺たちは元の世界に戻れなかったのではないか?
だから仕方ないのか? 本当に?
何度も同じ疑問が脳裏をよぎり、そのたびに眠れない夜を味わった。きっと俺だけではなく、八人全員が。
溜め息を吐く。『考えても仕方のないこと』と、溜め息と一緒に吐き出す方法を、この二年間で学んでいた。
「おっす先輩、お昼ッスか?」
「ああ、正吾」
同じゼミの後輩に声をかけられて、俺は頷いた。
今野正吾。黒髪黒目、ひょろりとした長身の男だ。
「これから食おうと思ってな。お前もか?」
「うす! 先輩、第二食堂のほうで、うまいかつ丼知ってます?」
「ああ、リニューアルとか言ってたっけ?」
「あれこないだ食ったんすけど、マジうまかったッスよ! 値段もいいし、おすすめッス!」
「へぇ、今度食ってみるかな」
他愛ない会話をしながら、俺たちはカフェのレジに向かう。
「お前がカフェって珍しいんじゃないか?」
「あー俺にゃ似合わないっすからねー。先輩みたいなイケメンなら似合うんすけど」
「イケメンって、俺がか?」
「あー出たイケメンスマイル。いっすよねーイケメンは得で」
「俺、彼女も居たことないんだけど」
「は? マジっすか!?」
その後もくだらない話をつづけながら、カフェで食事を済ませ――頼んだのはクラブハウスサンドで、正吾はカレーだった――俺たちはカフェを後にした。
「先輩、この後ゼミっすよね?」
「おう」
正吾は、大学では数少ない友人の一人だ。
とはいえ、そこまで深い仲でもない。俺はこの世界に帰って来てからどうにも、あの八人以外に『仲間』のようなものを作れないでいた。
俺たちがゼミで使っている研究室の扉を開けると、中にはまだ誰もいない。俺たちが一番乗りか。
「誰も来てないっすねー」
「まぁ、まだ少し早いしな」
俺はカバンを適当に置いて、正吾のほうを振り向いた。
振り向いて――目を剥いた。
「お前……それ」
「は?」
正吾の足元には、青く光り輝く、魔法陣のようなものがあった。
(あれは……!)
見覚えのある、光り輝く魔法陣。一瞬、竦みそうになる足に活を入れ、呆然としている正吾に向かって声を張り上げた。
「正吾、離れろ!!」
「えっ?」
咄嗟に正吾に手を伸ばす。
その瞬間、視界は真っ白い光に包まれた。
◆ ◇ ◆
目を開けたとき――そこは、石室のような場所だった。
(やはり、か……)
くそっ、と毒づく。あの光は、俺たちが異世界に召喚されたときに見た光だった。
周囲を見渡す。
石室はかなり広かった。正面には祭壇のようなもの、そして鎧に身を包んだ兵士と、数人の神官、錫杖を持つ美しい女がいた。
兵士たちは兜に包まれていて分からないが、神官たちはどこか興奮している表情だった。女のほうは、よく分からない。
それだけではない。俺の周りには、黒髪黒目の人間が、三々五々という感じで散らばっていた。数は……二十人以上はいる。
怪我はなさそうだが、全員、突然の事態に混乱しているように見えた。
「正吾! 怪我はないか?」
「え? あ、はあ……」
近くに座り込んでいた正吾の肩に手を置くと、彼はあいまいにうなずいた。
しかしこの世界が、前と同じなんだとしたら……。
「……えと、先輩、あの神様ってやつ、会いました?」
「ん? 会ったのか」
「ええ……つっても、顔も見てねぇっすけど……なんかちょっと機械みたいというか……」
(なに……?)
俺が前に異世界に召喚されたとき、正吾の言うように神様に会った。今回は会っていない。たぶん、俺の召喚はイレギュラーだったのだろう。
しかし、神は老人の姿だったはずだが……。
「皆様、突然のことに混乱しているかと思います」
そこに、女の柔らかい声が響いた。
「まずは、はじめまして。私はこのリンデル王国の王女、シャルティア・セレストラ・フォン・ストリフと申します。ようこそ我が国へ、勇者の皆様」
王女と名乗った女が優雅に腰を折る。
その美貌は、日本ではとても見ることのできない、透き通った雰囲気を持つ美女だった。
にこりと微笑みかけられて、男の大半が赤面する。
「まずはお詫びしたいと思います。平穏に暮らしていらっしゃる勇者様を、この場にお呼びしたことを。しかしお聞きください。今、この国は未曽有の危機にあるのです」
王女が手を広げると、真田たちの頭上に光が降り注いだ。
その魔法は、よく知っていた。祝福の魔法――何度となく、戦いの中で世話になった強化の魔法。
だがそれを知らぬ者にとって、その魔法は、王女を神々しい天女に見せたに違いなかった。
そして、真田晃司は知っていた。彼女が次に何を言うかを。
「勇者様。どうか、世界を魔王の手よりお救いください――」
◆ ◇ ◆
「勇者たちの様子はどうだ」
リンデル王国、円卓――
円卓といっても、言葉通りのものではない。本来円卓とは、卓につく全ての者が平等であるものだ。しかし、その円卓には玉座があった。王しか座ることを許されぬ座が。
その玉座に座りながら発した王の言葉に、卓についていた貴族たちは笑った。
「問題ございませぬ。最初は混乱していたようですが、今では魔王討伐に協力する、と」
「魔王か――」
王は嗤った。
魔王など、この世界にはいない。いや正確には、神代に謳われた魔王はいない、というべきか。
魔を率い、世界と戦った本物の魔王。妖精や竜、亜人のすべてを従えたという真なる覇王。そんなものはこの世界にはいない。
勇者が戦うのは、このリンデル王国が作り出した魔王なのだから。
「道化には踊ってもらわねばならん。おい、勇者への加護は手厚くしろ。国賓として扱え。男には女を与え、女には玉をくれてやれ」
「無論でございます、陛下」
「勇者とやらが大変うらやましゅうございますな」
はは、と笑う円卓の貴族たち――この国の最高権力たちに、王もまた笑みを浮かべた。
「なに、この俺が世界を統べれば、奴らは用済みだ。そうなれば、無論お前たちにくれてやるとも」
貴族たちが、一斉に目を細め、笑みを浮かべた。
魚のようだ、と王は思う。餌を投げれば、我先にと食いついて水面を泡立てる。他の者の餌など知ったことではない。
そんな、醜悪な顔をしていた。そしてそんな醜悪さこそが、世界の真実の姿であると王は知っていた。
「それでは陛下、最初の一手は?」
「無論、決まっている」
円卓に広げられた地図。己の領土が青く塗られたその地図の、東の端を指さした。
「この俺に煮え湯を飲ませた、ラタナントの青獅子……奴が治める、セダムをおいて他にはない」
ラタナントの青獅子。ロクス・アーノック。
西の守りを任されるこの男こそ、自分の仇敵だと、バーノック・フォン・ストラフ・リンデルは獰猛な笑みを浮かべた。
しかし彼は、いや彼らは知らない。
その場所に、本当に手を出してはならないものがいることを。
自分たちが、破滅に向かう一歩を踏み出したことを。