#17 - 地獄の楽園
空に浮かぶ魔法陣は十。
俺が【ヒュプノスの夢】に続いて使った魔法は、【魔王領域】の魔法であった。
魔王という名を冠していても、これは俺しか使えないわけではない。わけではないが、確かに使っていたのは俺一人であった。
【魔王領域】は俺のオリジナル魔法のひとつだ。
周囲の、土地や草、大気に眠る精霊を喚起し、その魔力を徴収する。徴収した魔力は、俺の魔力(MP)にすべて加算され、そして余剰魔力として貯蓄する。
この魔法は、矢を放つのではない。矢を番え、弓を引くための魔法だ。
すなわち、地獄の幕を開くための前口上。
魔法陣が回り出す。光が舞う。
そのすべてが、俺に従うように傅いた。
「お前たちは、俺の家族に弓を引いた」
声が響く。それは距離を超えて、遠くに布陣する万の軍すべての耳朶を打った。
「だから、お前たちはここで死ね」
『ッ、撃て――――ッ!!!』
大喝一声、我を取り戻した全軍によって、弓なりに放たれた矢の雨が降り注いだ。
だがそれは、地上に落下するよりも、彼に届くよりも前に、悉くが燃え尽きる。
前方から風が、炎が乱れ飛んだ。それはリンデル軍による魔法攻撃だ。だがその全て、魔法障壁によって消し飛んだ。
一歩、俺は前に進んだ。
むき出しの地面に、緑が茂り、草が生える。自然の姿を取り戻していく。
そのすべて、彼の道に傅く家来の如く。
そうだ。
彼は、万物を従える魔王。
精霊を、竜を、あらゆるすべてを率いた、真なる魔王である。
「死ね……!」
勇者の男から放たれた光の矢。
それは俺の眼前までたどり着いたが、手の一振りで消し飛んだ。
「ば、バカな……!」
「何を驚いている……。お前は本当に勇者か? 俺が戦った連中より百倍は弱いな。警戒をして損をしたよ」
男が息を呑んだ。
しかし、こんな低レベルの勇者をよこすなんて、神はどういうつもりだ?
前はレベルの上げ方から武器防具まで完全支給だったくせに……耄碌でもしたのか?
「化け物……」
誰かが呟いた。
「魔王だ……本物の……」
「なんで……なんで……簡単に、終わるはずじゃ……」
「魔王なんて、いないはずじゃなかったのかよぉ!!」
(――ん?)
魔王なんて、いないはず? どういうことだ?
(いや……そうか)
「なるほど、本当にただの名目だったわけか」
そして不幸なことに、そこには本物の魔王がいたということか。
苦笑した。連中のくじ運の悪さに。そして何よりも――
「勇者なんてものを持ち出さなければ……俺の家族に手を出そうとしなければ――
こんな地獄に来ることはなかったのに」
無造作に、指で前を指し示した。
指先に灯る、紅蓮の焔。
対軍魔法【焔の咆哮】。
一直線に伸びた焔の砲撃は、恐怖にすくむ軍勢の一角、五百人余りを貫き、爆砕して消し飛ばした。
跡に残ったのは――血も肉も蒸発した、巨大なクレータだけ。
そして、崩壊した。
誰かが絶叫したかと思えば、我先にと逃げ出していく。
一万を超える軍勢が、他人を押しのけ、踏みつぶし、我先にと逃げていく。
「無駄だよ」
瞬間、鮮血が飛んだ。
最前列を走っていた――数百の首が、一斉に飛んだのだ。
【死神の鎌】。無詠唱で放たれた血色の鎌が、視認すらもできない、風をはるかに超える速度で飛来した。
軍勢を取り囲むように配置された無数の【死神の鎌】が、逃げ出そうとする者たちを一瞬で刈り取っていく。逃げ出せる者は一人としていない。
「さあ、地獄の幕を上げよう」
◆ ◇ ◆
なんだ? なんだ、なんだ、なんだ――なんだこれは!?
加藤祐樹は絶叫していた。
少年が一歩、また一歩と歩くたびに首が飛ぶ。鮮血が舞う。誰もが絶叫し、もはや狂乱の渦であった。
「おい、これはどうなってる!?」
呆然と座り込んでいる将軍の肩を掴みこちらを向かせる。その顔は――すでに、血にまみれ、そして涙と鼻水でしわくちゃになっていた。
「我々は……何に、手を出したのだ……?」
ぽつりと、将軍が呟いた。
「これは……なんなんだ……? なんなのだこれは!? こんな、こんなバカなことがあっていいはずが……!」
「おい、このクソ筋肉ダルマ!!」
理解を超えた恐怖に混乱するばかりの将軍を殴り飛ばし、加藤は頭を抱えた。
あのガキに、『光の矢』は通用しない。それは絶対にありえないが、目の前でそうなっている。
(ならばどうする、クソ、ふざけんな、俺はこんなところで死ぬやつじゃない!)
俺は主人公なのだと、加藤は何度も何度も心の中で唱えた。
こういうとき、どうすればいい? 何冊も読んだライトノベルの中から、必要な知識を引き出そうとする。
そうだ、こういうときは――神様が、助けてくれる。
「そうだ……そうだろ。おいクソ神! てめぇ、これ、どうにかしろ! 俺を助けろ!!」
だが無論、答える声などあるはずもない。
いや、あった。
目の前に――紺色の髪のガキが立っていた。
「なっ」
声をあげようとした瞬間、顔を掴まれた。
ガキの手ではない。ガキの手から血色の巨大な腕が伸びて、俺の顔を鷲掴みにしていた。
「おい、お前、神といったな?」
「あ、う……」
「答えろ、神はどんなやつだ?」
どんなやつだと? どんなって――
「知らない……」
「知らない? 会ったんだろう? 老人か、子供か? どんなことを言っていた?」
「知らない! 俺は、俺たちは、白い部屋で、看板みたいなものがあって、声が聞こえただけで……!」
「看板? ……何を言われた」
「あなたたちは異世界に召喚されましたって! それから、それぞれに能力がひとつずつ――!」
「それぞれ? 勇者はお前ひとりじゃないのか。何人だ?」
「にじゅ、二十五人だ! 答えた、答えただろ!? だから――」
「そうか」
ゴミを投げ捨てるように、ガキが腕を振った。
吹き飛ばされる。とんでもない勢いで地面に激突し、空気が灰から残らず漏れた。
咳込み、立ち上がろうとして――
「……あ?」
地面が、真っ赤なことに気づいた。
血だ。
俺のじゃない。俺は、血を流してない。
それに、ここだけじゃない。全部――見渡す限り、全部。
赤い大地。紫色の花が、場違いに、一面に、美しく咲き誇っていた。
「な、あ……」
かたり、と足元で地面がした。
見下ろすと、そこには――
「な、あああああああ!?」
――骸骨の群れ。地面にびっしりと、敷き詰められたような骸骨の群れが、のそり、のそりと動き、俺の体に手を這わせていく。
「あづっ、あづ、あづいいいいいいいいいッ!!!」
骸骨の手は灼熱だった。
じゅう、と肌が焼かれ、焼き爛れ、骨までも食い込んでいく。
「やめ、やめて、やめぇ――!」
腕だけではない。体に、足に、顔に、そのすべてが骸骨で埋め尽くされ、灼熱の痛みに絶叫した。
その魔法の名は【地獄の楽園】。
魔王の扱う最大領域魔法の一にして、一切合切を塵芥へと帰す、血魔法第十四位階を冠した大魔法であった。




