#01 - 黄金の記憶
「フリエ!!」
全力で扉を開け放ち、部屋の中に飛び込んだ少年を出迎えたのは、驚きの表情を浮かべた少女だった。
美しい、まるで流れるような金髪と、蒼海のような澄んだ瞳を持つ少女。
名を、フリューエンデ・エーデルハイト。
この砦を領有する騎士団、『黎明の聖槍』の騎士団長その人である。
しかし騎士団長と言われるよりも、一国の姫か深窓の令嬢かと、そう言われたほうがよほど似合う。レクナは本音としてそう思っていたが、本人に言えば殴られるか怒られるので、絶対に言うことはないだろう。
いわく、「なんだか騎士に向いてないって馬鹿にされてる気がするんです」とのことだ。
そんな風にまっすぐな彼女のことが、レクナはずっと好きだった。出会った時からずっと。
「レクナ? どうしてここに? 南部のドワーフさんたちと交渉に行ったんじゃ――」
「それはもう終わった。というか終わらせたから!」
「……ずいぶん早いんですね。まさか、また魔駿馬を……」
うっ、という表情を浮かべながら、レクナは首を振った。
今それどころではないのだ。
「レクナ、報告を聞いて大慌てで戻ってきたって」
そうして呟いたのは、背後に立っていた少女だ。振り向くと、半眼でレクナを睨んでいる。
少女の声には抑揚がなく、機嫌が読み取りづらい。
ただ付き合いの長いレクナは、はっきりと、その声から呆れのオーラのようなものを感じていた。
「魔駿馬を使ったらダメって、忠告はした」
「レクナ……」
フリエがため息を吐いて、「後で説教ですね」とばかりにかぶりを振った。
魔駿馬は、魔物の一種だ。
馬というには邪悪が過ぎる外見で、赤い目にせよまき散らすオーラにせよ、外見はまさしく凶悪な魔物である。
しかし魔物のくせにレクナに懐いており、召喚するとどこに居ても必ず飛んできてくれる、頼りになる相棒だ。
だが魔物なので、「あいつはいいやつだ」と何度説得しても無駄だった。
いや、フリエは「そうですね」と笑って頷いてくれたのだが、とにかく周囲の住民が怯えてしまうのだ。
魔物ということで教会からも目をつけられる。
魔物の使役は魔法の一種であり、世間的にも認められてはいるが、教会はいい顔をしない。
それがわかっているからこそ、レクナも魔駿馬を呼ぶことは滅多にない。よほど火急の事態でも起きない限り。
「で、でも、しょうがないだろ!?」
そうだ。今回は火急の事態だったのだ。一分一秒でも早く駆けつけなくてはならなかった。
「フリエが……妊娠したって!!」
フリエの妊娠が発覚したのは一か月前。
妙に体調が優れない、というフリエが医者にかかって発覚したのだ。
レクナは旅先でそれを聞きつけ、とにかく速攻で交渉を終わらせ、大慌てで帰ってきたのだ。
いや、仕事はちゃんと終わらせたよ? まぁ事後処理は、仲間のドワーフであるガンドロフの爺さんに全部投げてきたけど。
「……団長。だから、妊娠のことは伏せておいたほうがいいって」
「う、だ、だって」
「団長?」
「う……ごめん、シエル」
まったく、と嘆息して、しかしシエル・マーリーは口元に微かな笑みを浮かべた。
シエルは理解していた。フリエ――フリューエンデは、うっかり書いてしまったわけではない。
彼女はそんなミスをするような少女ではないし、それでは大騎士団の団長など勤まるはずがない。
しかし、それでも、一秒でも早く愛しい夫――レクナに聞かせたかったのだ。
理解しているからこそ、シエルは思った。
爆発しろこのバカップルどもが、と。
「そもそも、出産はまだ先。つわりが始まったところだから。そんな簡単に子供は生まれない」
「そ、それぐらいは分かってるって!!」
言いながらも、ふらふらとレクナはフリエへと近寄った。
「その……お腹、さわってみてもいいかな?」
レクナの言葉に、フリエは「いいですよ」とほほ笑んだ。
フリエのお腹は、まだ大きくなってもいないし、いつもと何も変わらないように見えた。
でも、服越しに感じた体温に……ふいに、レクナは泣きたくなって。
(俺に、家族が出来るのか……)
「……ありがとう、フリエ」
「はい」
守ろうと思った。幸せに笑う彼女を。これから生まれてくる家族を。
――そう。あの日が来るまでは。
◇ ◆ ◇
城壁の向こう、平原を覆いつくすほどの人の群れ。
無数に立てられた旗。それは、叙事詩に謳われる、世界を巻き込んだ聖戦の軍である。
聖戦と呼ばれる戦は、歴史にはいくつか残されている。
数百年に一度、世界を滅ぼす魔王と、世界を救う勇者の戦い。勇者と魔王の戦いは、無数の英雄譚を生み出し、後の人々の希望となった。
その英雄譚に、誰もが何度も胸を震わせた。
いつしか自分も英雄のようにと、夢見た人の数は数知れない。
今、その英雄譚が目の前にあった。
胸が躍る光景だ。そうだったはずだ。
――それが、こんなにも、絶望の味がするなんて知らなかった。
「何万だろうな、この軍勢は?」
そう言ったのは、ログウェル・グランツィオ。初代「黎明の聖槍」団長であり、最初期メンバーの一人だ。
「……こんな時でも楽しそうですね、ログウェルさん」
「そりゃそうだ。見ろよ。あっちはオーランド、あそこには公国、向こうにゃ帝国の旗だってある! いっつもいがみ合ってるクソ狸どもが雁首揃えて仲良しこよしだぜ? これが、聖戦ってやつか」
「俺たちは敵役ですけどね」
もしも叙事詩に謳われるのなら、俺たちはなんと呼ばれるのだろう?
人類の敵? それとも、裏切り者、だろうか。
「関係ないな!」
だが、そんなこと、とログウェルは笑った。
「おいレクナ。お前のやるべきことはなんだ?」
「それは――」
「お姫さんを守る、だろ」
にっかり笑って、ばしばしとレクナの背中を叩く。
「お前は姫さんを守りぬく。俺たちは生き残る。そして勝つ。敵が何千万いようが、いつも通り、俺たちは俺たちのやり方を貫くだけだ」
――なるほど。それはシンプルな答えだ。
明るく笑うログウェルに、レクナも笑った。
ああなるほど、考えるのもバカらしい。勝てるとか、勝てないとか、敵とか味方とか、正義とか悪とか、そんなものはどうでもいい。
俺は、どうしても譲れない。
誰に文句を言われても、アイツだけは守りたい。
だったら、それ以外なんて考える必要もない。
「そうですね。教えてやりましょう――勇者様なんざ、クソ食らえだって!」
「おう!」
それは、後の世に「第十六次聖戦」として――伝わらなかった戦争。
「聖戦軍」十六万、対、「黎明の聖槍」千二百。
戦力差およそ百三十倍の、聖戦という名の虐殺が、幕を上げようとしていた。
◆ ◇ ◆
そして、幕が降りる。
戦争は終わった。
俺たちは、勝利した。
ぽつり、と雨が降る。
「なんで……」
俺の傍らには、いくつもの死体が並べられていた。
ログウェル・グランツィオ。
シエル・マーリー。
アイネス・ディグリエ。ライナット・リグリオン。ガンドロフ老。
多くの、多くの、仲間の死体が。
そして――フリューエンデ・エーデルハイト。
(こんなに……軽かったっけ……)
腕の中に抱いた愛する人の重さに、俺は、胸に穴が開いたような気がした。
雨が降る。
血の河を、雨が押し流していく。
それはまるで、そこにあった命の名残でさえも。
「なんで……こうなったんだ……」
俺は、どこで間違えたんだろう?
最初から? それとも、どこかで違う何かを選んでいれば、また違う結果だったのだろうか。
時は戻らない。失ったものは、もう二度と返ることはない。
フリエは、閉じたその目を、もう開くことはない。
愛した人の亡骸を抱きながら、レクナ・バルトロメアは、ただ雨に打たれ続けることしかできなかった。
そして。レクナはこの日、魔王になった。
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