仮母の和蘭撫子
私にはとても大切な子供がいます。 それは人間の子供で、私はその子の母親の育てていた花でした。子供は女の子で、髪の毛をいつも一つに結んでいました。
「ただいま。 今日学校でね、せんせいに褒められたよ! テスト100点とったよ!! 見て!!」
とても頭が良くいつも私に学校であった事を沢山話してくれました。 この子は朝いつも自分で髪を結んでいきます。 まだまだ小さな手は不器用で、結び終わる頃には髪の毛はぐちゃぐちゃです。 しかし私は毎日よく頑張ったねと褒めるのです。 私は自分についた虫さえ払えないのに、この子供は見えない後ろの髪を結ぶのですから大した者です。 私の言葉は子供にきちんと届いているようでした。
「ただいま、今日ね給食が好きな物だったよ! でもハンバーグはやっぱりお母さんのが美味しいなぁ」
子供が寂しげに言います。 こんな時私はとてもとても自分がもどかしくなるのです。 こんな時、他の花はどうしているのでしょう? 私はどうすればいいのかわかりません。 花には人を元気にする力があるのだと私を育てていた母親は言っていた。 今こそそれを発揮する時なのに、私の力はどこに行ってしまったのか。
「ただいま………うぅぅ、髪の毛、ぐちゃぐちゃっていわれた。 むすべないなら、切れって………でもこの髪は、おかあさんが、褒めてくれたから切りたくないよぉ」
子供が泣いていた。 私は、私は怒りというのもを初めて知った。 この子供が泣くのは耐えられない。 何故泣かせるのか!! 何故誰も守らないのだ!! 髪くらい私が結ってやろう。 その髪結いの紐がいけないのだ。 私の葉を使いなさい。 私の葉ならばきっと綺麗に結べるはずだから。
私は必死に話しかけた。 しかし何故か子供は私の言葉をちっとも理解しなかった。 私は憤慨し困窮した。 長く生きてきたが、私は子供一人笑顔に出来ない。 そんな情けなさが何より一番腹正しかった。
翌日子供は、髪を切った。
私は項垂れた。 それが悪かったのだろう。 根腐れを起こした。 私はゾッとした。 今までは母親が手入れをしていたが、子供はまだ小さく根腐れ等気付かないだろう。 子供は毎日私に水を与えた。 私は何とか耐えようとした。
私が枯れたら誰がこの子にお帰りを言うのか? 誰がこの子の学校の話を聞いてやるのか? 誰がこの子の《母親》となるのか!
気付いてた。 子供が私を《母親》の代わりにしていることを。 私は、私は、枯れる訳にはいかないのだ。
それでもこの根は腐れていった。 苦しい、痛い、楽になりたい。 それでもこの子が泣くよりはマシだった。
一日でも長くお帰りを言ってやりたい。 一時でも長く私はこの子の顔を、声を………側にいたい。
「ただいま~あれ? 何か、色が違う? うそ!! どうしよう!! 枯れないで!! 置いて行かないで!!」
やっと気付いた時にはもうどうしようもなかった。 そうなってやっと気が付く。
あぁ、私はこの子供が愛おしいのだ。 ずっと大きくなっていく様を見ていたかった。 この子供が今より大きくなるのを見ていたかった。
きっとこの子は沢山笑う事だろう。 そして沢山悩む事だろう。 嫌だけれど沢山涙を流すことだろう。 私はこの子が成長する様を母親のように見ていきたかったのだ。 けれど私は花だ。 花なのだ。
この子のこの手が、いずれ大きくなり沢山の物を掴み、恋をして、大人になって、私が知りもしない世界を一人で生きていかなければならないのだ。 その世界に私は居ない。 それが悔しい。 悲しい。 置いて逝きたくない。 私の居ない世界で、この子が泣くのが耐えられない。
けれど時は無情にも過ぎ去り、私の命は花びらが散り落ちる様に私から離れて行く。 私は忘れない。 例えこの花が枯れようとも。 私はお前を忘れはしないよ。
沢山笑ってくれた、沢山話してくれた、お前のただいまを聞くのが何より楽しかった。 お前の髪を結ってやりたかった。 お前が話す話はどれもこれも覚えていよう。
私が見る世界はここで終わってしまうけれど、この子の世界は続いていて、それはとてもとても愛おしい物だと知った。
私の声は届かないだろう。 けれど私もお前の母のように命が終わろうとも見守っているよ。
この子の未来がどうか良いものであるように。 私に出来るのはそう祈る事だけ。 それでも、私の葉はピクリとも動かない。 お前の涙を拭う事すら出来ない。 それでも願っている。 祈っている。 お前が泣かない様に。 幸せが沢山訪れる様に。
花の力は願う事だけ。 それでも確かに私はお前を愛していたよ。
「枯れないで!!」
泣かないで、見えなくても側にいるよ。
この葉が枯れたら。 お前の頭を撫でにいこう。
娘よ、どうか幸せに。
花は枯れようとも、お前を愛している。