第9話 連なる者と少女たち1
「クックック。ようやくだ。これでおもしろくなってきたぞ」
暗闇が全てを支配する部屋。
唯一の光は男の持つ水晶球の仄かな光明のみ。その光明はくつくつと歪んだ笑みを浮かべる、その男をぼんやり照らし出す。荘厳なる玉座に頬杖をつきながらだらりと鎮座する男は、手元の水晶球を喰い入るように見つめている。
「この時をどれほど待ち詫びたことか。なかなかに面白い。生み出し育み、そして奪う狂楽。悪くはない。悪くはないが……」
黒よりも黒い上質なローブ。全ての光を飲み干し、まるで存在さえも許そうとはしない、その佇まい。縁には黄金色で紋様とも、何らかの文字とも取れる刺繍が鮮やかに縫い付けられている。男はそのローブから覗かせる口元を揺れ動かす。
「少々物足りぬな。そう思わぬか、クロウよ?」
「……いつから気づいていた?」
どこからともなく低く掠れた声が、暗闇に支配される部屋に漏れた。
部屋の片隅。男の鎮座する玉座から斜め後方。水晶球から漏れる光に当てられた柱の黒い影は揺れ動き、やがて人の形へと変化を遂げる。
「ふんっ。最初から気づいておったわ」
「さすがだな。今度こそ寝首を掻いてやろうと思っておったのに」
クロウと呼ばれた男は全身黒尽くめで、まるで黒い包帯のような布を全身に巻きつけた様相。ゆらゆらと揺らめきながら玉座に座す男にゆるりと近寄る。まるで陽炎のようにそこに実体があるのか、無いのか定かですら無い。
「それが出来るのなら真っ先に我がそちの首刎ねておるわ。それよりもそなたも見ておったのだろう?あの召喚の儀を」
「ああ。見ていたとも」
顔を覆い尽くす黒い布の狭間より、ギョロギョロとクロウの紅い瞳が男の持つ水晶球を捉える。その眼は白目までも黒く染まり一層不気味な輝きを放っている。
「魔族どもめ。ようやくだ。ようやく我の遺産を紐解きおった」
「だが見る限り邪魔が入ったようだが?」
「ああ。余計な真似をしてくれる。だが、これはこれで面白いではないか」
男の口端は歪み、より一層高く吊り上がる。水晶球の仄かな光に照らされ、その口元は邪悪な笑みを作り出す。
「あの憑代の骨。ただの人の骨ではないな。面白い。やってくれるではないか」
「やつらの正体はどうあれ、これでとうとうお前の望みが叶ったな」
「はっ、馬鹿を言え。それはこれからだ」
ローブの男はまるで吐き捨てるようクロウに答えると、徐ろに水晶球にその手の平を向ける。黒紫の光を放ち、その不穏で醜悪な魔力の塊は水晶球へと吸収されていく。
「まさかあれを送ったのか?間違いなく死ぬぞ」
クロウはその紅蓮の瞳をほんの僅かばかり見開いた。
「死んだのならそれまでよ。器では無かったということだ」
男は片手で仄かな光を放つ水晶球を撫で回す。そして再び歪めた笑みを浮かべるとくつくつと笑い始めた。
「さて、これからおもしろくなるぞ。餌は与えてやったのだからな。もっと我を楽しませよ。そして足掻くが良い。お前を活かすも殺すもお前次第なのだから」
男の持つ仄かな光を発する水晶球。そこには水辺に倒れ込む一人の青年を映し出していた。
☆☆☆☆☆
わたしとフィリアは一人の不思議な男に命を救われた。
あの日は冒険者学園が朝から少しピリついていたのを覚えている。なんでも王都の西に広がるグラス湖の森に魔物の活性化が見られ、大規模な冒険者が雇われたみたい。
それに伴うように緊急の課題クエストが冒険者学園にも出された。外部からの森の監視と冒険者のサポート任務。森の探索と討伐は本業の冒険者のみだった。
本業の冒険者に比べたら危険はうんと低い。それに報酬は普段の課題クエストの三倍。いつものようにフィリアと相談して参加することに決めた。
報酬がいいこともあったけど、それ以上に手柄が欲しかった。なぜなら手柄を立てて認めてさえ貰えれば、特例で一人前の冒険者として扱ってもらえるから。
クエストだって冒険者と同じように普通に受けられる。あと四年も待ってなんかいられない。一日でも早く一人前の冒険者にならなければ……。わたしとフィリアの目的のためにも。
準備を整え学園前の集合地点に集まると学園長がいた。
いつものクエストより危険かもしれないから、気をつけるよう出発前にわざわざ忠告に来てくれていた。派遣される生徒はわたし達を含めて五組。一応この監視任務のリーダーとしてD級のベテラン冒険者リアンさんが参加することになった。
王都より三時間。リーダーとして雇われたリアンさんの先導でわたし達は無事森の監視場所に着く。
「では監視の任務を始めるぞ。数百メートルおきに五組それぞれ別れ、森を注視。油断はするな。常に臨戦態勢を取れ。何かあった場合はすぐに俺を呼ぶこと。いいな?」
『はいっ!』
五組全てのパーティが返事をする。その瞳に映るのは尊敬と憧れ。当然だ。D級冒険者ともなると『神魔の塔』の探索さえ許可されている。
この国だけではなく世界中から冒険者が集い、そして目指す豊穣なる恵みの塔。神魔の塔。
王都の北に聳え、神話にも描かれる。古来より神々が住まうとされ、遥か昔より幾度もの冒険者や英雄、果ては勇者の挑戦すら尽く退けてきた。
未だ塔の解明は進んでおらず、記録にあるかぎり人類の到達した最高地点は、塔の二割にも満たないと云われておりその塔の大半がまだ見ぬ未開の地だ。全ての冒険者の憧れの地であり、そしてわたしとフィリアの目指す場所でもある。
リーダーのリアンさんの指示に従い、わたしとフィリアは森の監視に着く。だが一刻が過ぎても森は不気味なほど静寂に包まれていて、生命感が無い。まるで嵐の前の静けさを髣髴とさせるように。
「フィリア、離れたらダメよ?」
「うん」
コクリと頷くとフィリアはいつものようにわたしの手を握ってきた。もう片方の手に短いワンドを握りしめて。
「ぎゃああああっ!」
その時、前方の森から絶叫が響き渡った。わたしはとっさに剣を引き抜き身構える。
(―近いっ)
距離的には目と鼻の先だろう。隣のパーティは気づいたが、リーダーのリアンさんと、離れているパーティは距離が遠く気づいていない。
どうしよう。ここでみんなを呼んで一緒に向かうのが一番いい。けど、だけど……。みんなと一緒だと大きな功績は挙げられない。認められない。
これはチャンスだ。緊急の課題クエストで功績を挙げることができたら間違いなく特例に大きく近づける。だけど、フィリアも危険に巻き込んでしまう。どうすれば……。
思案している時間は無かった。隣のパーティがリアンさんに報告に行こうとしている。
「お姉ちゃん、行こう」
わたしが迷っているのを察してか、フィリアが手を取り促して来る。フィリアもこれは大きなチャンスだと理解しているのだろう。
「ごめんね。フィリア、付き合ってくれる?」
「うん。大丈夫」
絶対にフィリアだけは何があっても守りきろう。
そう心に決め、わたしとフィリアは森に走りだした。
森の街道を分け入って声のした方向に進む。こっちで間違いないはず。警戒しながらも確実に歩を進めていく。
「ぐあああっー!」
二度目の絶叫が轟く。間違いなくこっちだ。
逸る気持ちを抑え足早に駆ける。視界の先に開けた場所を捉える。たぶんあそこ。もう一度気を引き締め、覚悟を決めた。
開けた場所に出る。
そこで見たものにわたしは自分の愚かさと稚拙さに打ちのめされた。
真っ黒い体毛に覆われた、見上げるほどある巨躯な体の狼。頭からは一本の角が生え、ぐるぐると獰猛な唸り声を上げている。間違いなくわたしとフィリアで手に負える相手ではない。これは逃げるべき相手。だけど……。
すでに大狼はリースをその眼に捉えており、威嚇している。臨戦態勢だ。すんなり逃がしてくれるようにはとても見えない。
フィリアは倒れている冒険者二人に駆け寄って、治癒魔法第一階梯の『キュア』を使っている。
フィリアの手より放たれた淡い緑の光が冒険者を優しく包む。だが冒険者達はピクリとも動かない。すでに血溜まりができ始めている。
(あの出血量じゃもう……)
それを見てフィリアも手遅れと判断したのか、ほんの少しだけ悲しそうな表情をした。だがそれも一瞬。今度は先手とばかりに、大狼めがけワンドを構えると攻撃魔法を唱える。
「……ストーンブロウ」
フィリアの持つ魔法の中では最高威力の魔法である、地術魔法第三階梯『ストーンブロウ』。大狼の足元から大きな石の拳が轟音を混じらせ、勢い良く飛び出す。大狼は足元より現れた石の拳によって空中へと打ち上げられた。
だが大狼は空中でぐるりと一回転すると、何事も無かったかのようにズシンと着地した。
「フィリアの魔法が効いてない!?」
わたしは驚愕した。フィリアの最高威力の魔法ですら大狼に大したダメージを与えられていない。
「……はあ、はあっ」
フィリアの荒い息遣いが聞こえてくる。ちらりとフィリアを見ると立っているのも、やっとの状態。唯でさえ魔力の消費が桁違いに大きい治癒魔法に地術魔法第三階梯の連続使用。身体への負担が大きすぎる。わたしが、わたしがなんとかしなきゃ。
「やああああっ!」
剣を両手で持ち、一直線に大狼に向かい突きを放つ。狙いは目だ。片目でも潰せば逃げる隙が出来るかもしれない。
だが大狼はものともせず、わたしの全力の突きを頭の角で打ち払った。
「ぐうっ!」
弾かれた衝撃で体ごと飛ばされる。強い。これまで戦ってきた魔物の中でも桁違いなほど。
「……お姉ちゃん、下がって」
すでに膝をつき倒れ込みながらフィリアがワンドを大狼に向けている。
「フィリアだめ!もう限界でしょ!?」
その言葉とほぼ同時に、フィリアは二度目の『ストーンブロウ』を撃ち放った。
しかし大狼はフィリアの魔法と同時に大きく後ろへと飛び退いた。石の拳が地面から勢い良く飛び出す。不発だ。フィリアの限界を超えた魔法は虚しく空を切った。
「……お、ねえちゃん。にげ、て」
倒れこみなんとか顔だけは上げているものの、フィリアはもう自力で動くことも出来ないだろう。魔力枯渇で意識すら怪しい。
絶対にフィリアを置いて逃げたりしない。今のわたしにできること、それはできるだけ戦闘を長引かせて応援を待つ。この状況で助かる可能性があるのならそれしかなかった。
フィリアと大狼の間に入り、守るように位置を取る。じりじりと自身の方へと注意を引き付けながら。
大狼はまるで狩りを楽しむかの如く、ゆったりとした歩みで、にじり寄ってくる。このまま下がり続ければフィリアが危ない。
選択肢は無かった。こちらから立ち向かうしか無い。身体から震えが走る。でもやるしかない。
「はああああっー!」
わたしは剣を構え愚直にも大狼に仕掛ける。勝てるなんて思っていない。ただ少しでも時間を稼ぐ。それのみだ。
わたしは大狼の目を狙って横薙ぎの斬撃を繰り出す。だが大狼はその斬撃に合わせて、今度は前足の爪で強引に打ち払う。
「……くはっ!?」
先程の角よりも遥かに強烈な一撃に吹き飛ばされた。身体に痛みが走る。だけど、まだだ。まだ、わたしは戦える。とっさに大狼の顔に向け手を翳す。
「ファ、ファイアボール!」
炎術魔法第一階梯『ファイアボール』を放つ。わたしの魔力と第一階梯の魔法じゃ大したダメージにもならない。そんなことはわかっている。それでも、僅かでも時間を稼がないと。
大狼の顔に『ファイアボール』が直撃した。
だがまるで何事もなかったかのようにブルブルと顔を振り、ゆっくりとこちらへと向かってくる。
わかっていた。わかっていたが、それでもやはり。
(悔しいっ……)