第6話 大草原
夜が明けて空がしらみ、太陽がゆっくりとその顔を見せ始める時刻。
真新しい装備に身を固め、俺は宿屋から南門に向けて歩を進めていた。
大振りのブロードソードを剣帯で腰に下げ、体に皮製の胸当て、手に指穴の開いたグローブ、足には革製のブーツといった具合だ。
なるべく動きやすい軽い装備にした。腰のベルトには丸い水筒と小さめのポーチを邪魔にならないように背面のベルトにつけた。
学園は二日間の休み。俺の入学は来週の頭になっている。それまでに、こなしておきたい目的が二つ―。
一つは体の調子を取り戻すこと。
もう一つはこの異世界の街の外がどうなっているか調べること。
昨日のリースから聞いた話だと、どうやら俺はあの狼の化け物と戦った後、意識を失って三日も寝込んでいたらしい。まったくそんな感覚はなく寝てても一日ぐらいだろうと思っていたので、リースから聞かされた時はびっくりした。
それまで寝込んでいた俺の世話はリースがやってくれていた。
わざわざ学園を休んでまで俺とフィリアに付いていたそうだが、それは学園の規則でも許されている。負傷したパーティメンバーの世話も学園で学ぶべき大切なことの一つ。リースもその規則に従ったまでだと微笑んでいた。
もしかしたら介抱されてる間、何度か裸にされ体を拭かれたりしたかもしれないが……、そこは聞けなかった。宿舎代はきちんと後で返しておこう。いろいろ借りを作って他人と近しい関係になるのは避けたい。
まあ当然ながら三日も寝込んでいたのなら体が鈍っている。昨日の演武中に躓き膝をついたのもそれが一因でもあるだろう。とりあえず剣を振ってどこまで自分の体が動けるか確認したい。
他にも昨日の買い物がてらにリースから有益な話が聞けた。
この世界は魔物の生息数が異常なほど多く、人類にとっては大きな脅威になっているらしい。
王都には王宮魔術師達による魔法の結界が張られているため、周囲に弱い魔物が寄り付くのは滅多にないが強力な魔物はその限りで無い。過去には魔物の群れと戦争になり、滅んだ街や村が数多あるそうだ。
だから極力安全な範囲で今日は探索してみるつもりだ。
出来ることならば俺が倒れていた湖の森を調べに行きたい。あそこは俺が最初にこの世界に来ていた場所だ。何かしらの情報があるかもしれない。
だが道自体がわからないし、まだそんな危険を冒すには早い。焦らずゆっくりだ、と自分に言い聞かせながら南門に向かった。
南門に来ると槍を持った見張りの兵士が二人。余程暇なのか兵士は立ちながらあくびをしている。だが俺に気付くと南門の前で槍と槍を交差させる。
「ずいぶん早いな、どこかに行くのか?すまんが身分証を提示してくれ」
あくびをしていた方の兵士が尋ねてくる。一応仕事は真面目にこなすようだ。
「ああ。ちょっと探索に行こうと思って、これギルドカード」
そう言ってベルトに付けているギルドカードの革紐を緩ませ、兵士に見せる。
「ふむ、冒険者ギルドの物か。……って、おいおい。ランクGⅢってお前しかも、冒険者学園の生徒じゃないか。最底辺ランクの駆け出し一人じゃ死ぬぞ!」
あれ?俺あの狼倒したからランク高いんじゃないのか?
GⅢとか割と凄そうなのに最下位なのか。そういやランクの説明は聞いてなかったな。というかあの狼自体カウントされていないのか。ギルドカード貰ったの昨日だし。
「あ、ああ。街の近くを観て体動かすだけだから大丈夫だと思う」
「うーん、まあ街の近くなら大丈夫だが。絶対城壁が見えなくなるような所にはいくなよ。まあ命がいらんのなら構わんがな」
そう言って門の兵士は交差させた槍を解いて南門を開いてくれた。兵士達に礼を言って南門を出る。
南門を出て歩いていくと眼前には整備された街道と、一面の大草原が映し出された。
辺りを見渡す。
芝生のような草が覆い茂る草原、所々に緑に染まった木々と背の高い草や色鮮やかな花が咲き乱れる。優しい風に吹かれ、さらさらと音を立て揺れ動いている。
目を凝らすと遠くには悠然と聳え立つ青々しい山脈が見える。雲にすら届きそうな山頂辺りは白い雪化粧をほんのりと纏っている。人工物のない景色はこれ程に眩く、かくも美しいものなのだろうか。
都会育ちである俺にとっては、その光景は息を呑むほどに壮観で圧倒的な美しさだった。
一歩一歩街道に沿って進む。
早朝の気持ち良さに、頬をなでる心地よい風が相まって自然と笑みが零れる。空気が美味い。
こんなに気持ちよくてさわやかな朝はいつぶりだろう、いやこれほど気持ちのいい朝は初めての経験かもしれない。
この景色の中にいると元の世界があまりにも歪で不自然に感じてしまう。
コンクリートの壁、なりやまない喧噪、息の詰まる空気感。まるで人間が作った物がひどく醜悪で世界にとってみればただの害悪でしかないような気さえしてくる。
街道をきょろきょろと見渡しながら、しばらく進んでいると遠くの方に水辺のようなものを見つけた。
あのあたりならまだ城壁は見えるようだし行ってみよう。整備された街道から外れ芝生のような草原に足を踏み入れていく。サクサクと芝生のような草を踏みしめる音が心地良い。
水辺のすぐそばまで歩を進めると近くの木々の茂みからガサガサと音がした。
―ッ。
腰からブロードソードを一気に抜いて身構える。
それとほぼ同時に緑色の肌を持つ者が木々の茂みから現れた。
身の丈一メートル少々。痩せ細った体型で手に刃こぼれしたナタを持ち、何かの動物の皮で乱雑に作られた腰巻。口元にはぎらぎらとした犬歯ばかりが生え揃う。
ゲームでも見たことあるその出で立ちはまさしくゴブリンだ。
「ギャギャッ」
ゴブリンはこっちに気が付くとナタを振りかぶり襲い掛かってきた。
ナタの攻撃をブロードソードで斬るように弾き返す。ゴブリンは大きく弾かれてナタが宙を舞う。と同時に吹き飛ばされ尻餅をついた。
うん。この程度の相手なら大丈夫だ
。
体の感覚を確かめるようにブロードソードを片手で交差するように、左右にぶんぶん振りながらゴブリンへとにじり寄る。しかしゴブリンは力量差を感じ取ったのか、後ろを向き木々の茂みへと走り出した。
(逃げた?)
逃げるくらいなら襲ってこなきゃいいのに。わざわざ追う気にもなれず、剣を鞘に納めゴブリンを見逃した。
水辺まで来るとそこには小さな鳥達が喉を潤している。水辺自体は小さな池のような大きさで、澄み切った青空と時折の雲をを映し出している
。
のどかな風景だ。これでも一応は都会育ちであった俺には新鮮で癒される。しばらく腰を下ろし鳥たちの囀りに耳を傾ける事にした。
こうしていると少しではあるが、こちらの世界のことでごちゃごちゃと思考を巡らせていた頭をほぐすことができる。未だに信じられないことばかりだが、ややあって、頭はすっきりと冷静になる。
やはり自然とはいいものだ。元の世界にもこんな景色の場所があるのなら、便利な生活を捨ててでもそこに住んでもいいと思えるくらいに。
……ドドドッ―。
鳥たちの声に耳を傾けていると、ふいに何やら地響きのようなものがしている。馬車でも向かってきているのかと街道の方へと視線を送る。だが遠くを見渡しても馬車どころか人すらいない。おかしい―。
―ドドドドドッ!
間違いない!明らかに何かこっちに向かってきている音だ。
嫌な予感と地響きが相まって肌がぴりつく。すぐさま立ち上がりブロードソードを引き抜いた。
次の瞬間、大量の魔物の群れがゴブリンの逃げ去った木々の茂みから姿を現した。
その数三十体ほどだろうか?ゴブリンばかりが多い。だが後ろに一際体の大きな猪面の醜い魔物が三体、槍を持っている。
(オークだ!)
先頭を見ると先ほどナタを落としたと思しきゴブリンが、木々の近くに落ちているナタを拾い上げ、水辺にたたずむ俺を見てくる。そしてそいつは取り返したナタを振り上げ俺を指し示す。
「ギャギャギャッー!」
その掛け声で一斉に魔物の群れが俺に突っ込んできた。一番前を行くのはゴブリンの群れ。俺は水辺に生えている一本の木を背に向けブロードソードを構える。
一対多数の状況で後ろを取られるのは一番まずい。
ゴブリン共は手にした様々な武器で襲い掛かる。先頭の一体が斧を振りかぶるよりも速く、俺は容赦なく剣でそのゴブリンの胸元を切り裂く。
胸から血が吹きだすゴブリンを前蹴りの要領で蹴って、後ろにいるゴブリン共にぶつける。
ぶつけられてひるんだ隙をついて思いっきり刺突を繰り出す、後ろから突っ込んできていたゴブリンを三体まとめて串刺しにした。
「ギャアアアァッー!!!!」
串刺しにされたゴブリン共の叫び声が響き渡る。刺さった剣を一気に引き抜くと返り血が飛び散る。それと同時にゴブリン共は静かになった。顔にどす黒い血が掛かったが気にしてられない。さらに臆することなく飛び込んでくる左右の二体を横薙ぎで一閃の元に切り捨てる。
(―いけるっ)
数は多いがあの大狼に比べたら全然大したことは無い。
昨日よりも体は軽いし動ける。あばらも痛まない。向かってくるゴブリン共を躱しては切り捨て、躱しては切り捨てる。
死角は作らないよう、常に背後に回り込まれないように動いていく。剣術に通じるものならば誰もが知っている事だ。
それだけで数はみるみる半数以上まで減った。戦況を不利だと悟ったのかゴブリン共は後ずさりを始める。
(こいつら、不利になるとすぐ逃げようとしやがって。だったら最初から襲ってくるんじゃない!)
とその時、後ろに控えてたあのナタのゴブリンは一目散に逃げ出す。
「あいつ、またッ!」
思わず声を張り上げた。
だが逃げようとしたナタのゴブリンを後ろからオークが槍で貫く。それなりにしっかりとした造りの鉄の槍だ。人間から奪ったものなのか定かでは無いが。
「ギョアアアァァッ!!」
断末魔の声をあげながらナタのゴブリンは朽ち果てた。槍の刺さったゴブリンをそのまま持ち上げオーク三体は分厚い唇を震わせ、下卑た笑いをあげている
。
どうやらあいつらオークが群れを率いているようだ。ならば狙うべきは……。
一気に駆け出し群れの最後尾のオーク共をめがけ走る。そこで自分の速さも異常にあがっていることに気が付いた。腕力の上がり幅に比べれば大したことはないだろうが確実に速度も増している。
視界にちらつく障害となっているゴブリン共を数体薙ぎ払いながら、オーク共にまで瞬時にたどり着く。
同時に素早く切り上げて、未だに笑っているオーク一体を一刀のもとに葬り去る。
笑い合っていたオーク共は俺に気が付く。が、対応が遅れ切り上げから刺突に移行する俺についていけず、二体目の心臓を貫く。
オークはゆっくりとその場に倒れ込んだ。
「フウッ―」
さすがに疲れて肩で息をする。残りは怒りに満ちた表情のオーク一体とゴブリン四体のみ。明らかにゴブリンは今にも逃げ出しそうだが、怒るオークがいる手前逃げれないようだ。
「ガアアアアァァァッ!」
怒れるオークが槍で俺を指し示すと、今にも逃げ出しそうなゴブリン共が同時攻撃で飛び掛かってきた。だがたったの四体、俺は今日初めての全力を込めた横なぎ一閃を払う。
―渾身の一撃っ。
その一閃はゴブリンの持つ刃こぼれしたショートソードもろとも、砕くように折りながら体ごと真っ二つに切り裂いた。
これで残るはオーク一体。
オークはようやく自分が置かれた状況が理解できたのか、小刻みに震えながら後ずさりを始めている。瞳のない、ただ白い目なのに明らかに恐怖が見て取れる。今のオークに俺はどのように映っているのだろうか?
さしずめ返り血で赤く染まった死神。そんなとこだろうか。
だが逃がす気はない、先ほどのゴブリンを逃がしてこの襲撃だ。こいつらは仲間を呼んでくる。門の兵士が言っていた、一人じゃ死ぬぞ。その意味が今になってわかった気がする。
恐怖で身が竦んでいるオークめがけ走る。オークはそれでも意を決して俺めがけて渾身の突きを放ってくる。
「遅いっ!」
その突きを半身で躱し、ブロードソードを横薙ぎで振り抜く。オークの首元深々と入った斬撃は、その首をあっさりと飛ばした。