月舘という男
「俺が秘密にしていることを一つ話すから、お前も一つ秘密にしていることを話せよな」
髪の毛を今風にパーマにしている男、米村は、緊張している面持ちで言った。一方、米村と向かい会っている男は、さわやかな表情を浮かべてそこにいて、そこにいるだけで何の変哲も無いこの校舎の屋上が不思議な空気に包まれる。
その男、月舘は、女子のような柔和な顔をほころばせている。相も変わらず詰襟の似合わない男だ、と米村は思った。
「じゃあ、まずは、俺から言うからな、俺からだ、俺が言ったら、お前もちゃんと話せよな」
米村のその言葉に、月舘は微妙に眉根をよせて曖昧に見える表情をしかしなかった。
「ちゃんと返事しろよな」
念を押すように、米村は月舘に突っかかるようにして言った。
「わかったよ。米村くん、うん、米村くん、わかってる」
米村はその言葉に満足して息を詰めて話そうとしたが、周りに誰もいないだろうな、と疑心に駆られてもう一度言うのをためらった。誰もいないはずの屋上だったが、右を見て左を見てさらに右を見て確認をした。月舘は、米村がまるで横断歩道でも渡ろうとしているみたいだ、と思った。
「俺の秘密、言うぞ……、ああっ!! まだ誰にも言ってないからな!! もし、この俺の秘密が広まっていたら、出所はお前しかないから、ちゃんとわかんだぞ、秘密だぞ」
「わかったよ」
「うん、今度はいい返事だ。言うぞ、言うぞ? 俺はな、俺は、木村サヤカさんが好きなんだ!!」
米村は顔を真っ赤にして、ついに言ったぞという妙な達成感に包まれていた。
「木村サヤカって言うと、二組の子だよね? ふーん、そうなんだ……」
月舘は、米村のことをてっきりホモだと思っていたので少し驚いた。
「そうだ、これが俺の秘密だ。今度はお前の番だぞ。俺は好きな人の話をしたから、お前も好きな人の話をするか、それ以上の秘密を打ち明けなきゃいけないからな。しょぼい奴だと、許さないからな」
「……わかったよ」
月舘は、少しの間黙っていた。
それから、おもむろに米村の近くへと歩み寄っていき、そして、首を前へもたげて米村の耳元に囁くようにして言った。
「僕の秘密を話すよ。……僕は、実は、たった一度だけ世界を変える力を持っているんだ」
誰かが仮に見えないところで聞き耳を立てていても、絶対に米村以外には聞こえない声量で、月舘は細心の注意を払って呟いたようだった。
一拍遅れて、米村は声帯を震わせる。
「え、いや、……待てよ、嘘だろ? え、おいおい、嘘だろ? そんな話じゃ、俺納得できねえよ。それともそれが本当だっていうなら証明してみろよ、なんか見せてみろよ」
「ダメだよ、だって一回しか使えないから、今見せるために使ってしまうなんてことは出来ないよ」
「ああ、そうだな……、って、いや待て待て、そんなんじゃ納得できないぜ? 使ったことないのにどうして自分にそういう力があるってわかるんだよ」
空は透き通るような青空で、長袖だと少し暑い季節だった。米村の額は、少し汗が光っていた。時折吹く風が、米村には心地良かった。一方、月舘だけは変わらず涼しげな表情をしていた。
「わかるから、わかるんだよ。僕は一回だけそれを使えるんだってね」
「そんな無茶な。どっからその根拠の無い自信はくるんだ? そんなのあれだ、若者特有の熱しやすい妙な思い込みに過ぎないぜ」
月舘はふるふると首を横に振った。
「違うんだ、僕の力は確かにあるんだ。しかもそれは、みんなが持っているような普通のものなんだよ。でもそれが、僕の場合はとても分かりやすくて、しかも自分でそれを知っているというだけのことなんだ」
米村は理解できないといったふうに、ポカンと間抜けな顔をする。
月舘はそんな米村を置いて、屋上の扉を開けて去って行った。
風はいつの間にか止んでいて、じっとりとした汗が米村のシャツを濡らしていた。
月舘という男はとにかく人づきあいのしない人間だ。
それが、米村の抱いた第一印象であった。
二年三組というのは、比較的にぎやかなクラスだった。クラス替えの初日でも、早くもある程度のグループが出来ている。米村も知り合いだけは多かったため、特別どのグループに所属するということもなく、声をかけられては話し込んでを繰り返していた。
まぁこのクラスだったら俺もあぶれることは無さそうだし、問題はなさそうだな、と米村は思った。
そうは言ってもあまり仲良くはなりそうにないやつも、このクラスにやはりいる。月舘って奴、このクラスから浮いている。この様子だと元々浮いていたんだろう。
出席番号順に座っているから、今のところは接点はゼロだ。そして、この先もきっと俺とは関わりはなさそうだ。
と思った。席決めはくじ引き。
くじを引いたら、奴と隣になった。なんてこった。こいつの隣というのは少々気まずい。沈黙が伝染するというか、周りが静かになってしまう。そして、目つきにどこか癪に障る雰囲気がある。
月舘は、結局、米村の右隣の席だったから、米村の目には嫌でも月舘の行動の全てが映った。
あまり積極的には人と関わろうとはせずに、一人で本を読んでいることが多い。顔は柔和で決して不細工とは言えないが、それを補って余りあるださいキノコ頭。陰気という印象しか与えないだろう。成績は中の中、ありとあらゆる科目が目立つことは無い。そういう人間だった。しかし、米村は一般的なそれとは違った印象を、いつのまにか、月舘に感じていた。
ちりも積もれば山となる。うっすらとした疑惑は、やがて、確信へと至る……。
国語の授業中、月舘は、机の下で別の本を読んでいた。本を読みながら、国語の教科書もそつなくページを繰っていた。
当てられても、隣に今どこをやっていたのか、なんて聞くことも無く、すらすらと読んでいった。
「――わすれじの ゆくすゑまでは かたければ けふをかぎりの いのちともがな」
一度もどもることなく読み終わった。
英語の時間も同じだった。ネイティブのような発音ではなかったが、ただし、それはわざとそうやっているようだった。ネイティブ並みに発音をしたら逆に浮いてしまう、それを考慮して、わざと普通のその他大勢の生徒が発音しているように日本語英語を喋っているようだった。
「ジ young folks are delighted, ビコゥズ last night a ヘビィ fall of snow made for us what the ジャパニィズ poets so prettily call a ”a silver world.”」
そつなくこなしている月舘の様子を見ているうちに、こいつの沈黙は、クールとかそういう類のものではないのだ、という考えが頭に浮かんだ。そうか、こいつは、周りの人間をなめているのだ。沈黙は、けだるさから来ていて、だから、ムカつくのだ。
しかし、お前手を抜いているだろとか、もっと本気で生きろよ、なんてそんな熱い言葉、俺の耳を素通りしかしないし、そんなことを言うつもりはない。ただ、頑張ったらこいつは化けるのでは、なんてことを思った。
頑張ったら俺だって出来た、というのは最も無意味で乾燥した言葉の一つだろう。努力出来るかどうかもその人の資質のうちだ。結局出来なかったのなら、これほど無意味なことはないだろう。だけど、彼を評するときにこれほど的確な言葉はないだろうと思われた。彼は、少し本気でやればきっと大抵のことは大抵の人よりそつなくこなすことが出来る人間だろう。
ただ、俺はこのどこか怠惰な性質を兼ね備えながら、絶妙なところでバランスを取っているこの男を自分の同類だと思った。月舘の生き方は、どこか周りの人間を下に見ている気がした。斜に構えている。特別な何かを探している目だ。
「米村」
米村の左斜め後ろから、怒りを込めた声が聞こえた。米村は、しまった、と思ったが後の祭りだ。
「お前これはなんだ!」
米村は机の下でやっていたゲームを、英語の教師に奪い取られた。
「月舘、お前も何をやっているんだ!」
月舘は机の下で読んでいた本を、英語の教師に奪い取られた。
「お前ら昼休みに、職員室来い」
二人のうちのどちらが誘うということもなく、しかし一緒に職員室に向かった。二人一緒の方が楽だと二人とも分かっていたからだった。
二人はこってりとしぼられて、職員室を後にした。
「お前のせいで無駄にお説教をくらっちまったじゃねえか」
米村は、月舘に向かって悪態をつく。月舘はじとっと髪の下に隠れた目で米村を睨んだ。
「………………………………僕のせいってそれはどういうこと?」
「なんだ、お前喋れるのか、てっきりしゃべんねえと思ったよ」
「………………」
「俺は、お前に気を取られてたから、あいつの接近に気付けなかったんだよ」
「……むしろ、僕が怒られたのは君のせいでしょう。あそこで君が怒られなかったら彼は僕が下で本を読んでいたことには気づかなかった」
「お前が視界にちらついて仕方ねえんだよ」
「はっ、何それ、どういうこと。僕の何が気になったの? ……もしかして、そっち系の趣味?」
月舘は、それまで無表情だったが、軽く吹き出すように笑った。
「ちげえよ。 お前はな、なんでも手を抜きすぎなんだよ、いくらなんでも目につくぜ、やれば出来るくせにな」
「ッ! …………そんなことを言われたのは始めてだね」
月舘の表情は、真剣な表情へと変わっていた。
「だが図星だろう?」
「図星……なのかな?」
「ははっ、自分のことなのに何で疑問形なんだ、まあいいさ。お前昼飯まだ食ってないよな、一緒に食べんか?」
「いいよ、どこで食べる?」
「良いとこ知ってんだ、俺」
二人は教室に戻ってそれぞれ鞄から弁当を取り出して、米村を先頭に二人は歩いた。
「いいとこってここ?」
月舘が疑問を投げかけたのも無理はない。米村が連れてきたのは、三階の薄暗いつきあたりの階段の踊り場だった。階段の先には屋上へと繋がる階段があるが、いつも鍵がかかっている鉄のドアが行く手を遮っている。
「せっかちだな、月舘。こっからだ」
米村はそのまま階段を上がり、そして、鉄の扉に手を掛けそのままドアノブを回した。
「あっ」
鉄の扉はそのままギギギギと軋みながら開いて、ドアの隙間から外の光が帯になって階段を照らす。
「あれ、ここどうして開くの? 鍵がかかっていたと思うけど」
「ああそれはな、ここ見てみろよ」
米村が指をさしたのはドアノブの鍵穴のところで、月舘は注意して覗きこんだ。
「鍵穴にガムがへばりついて固まってるだろ。だから、教員がそこの鍵を閉めたくても閉めれないようになっちまってるんだよ」
「一体いつから……」
「ホント、誰がこんなことしちまったんだろうな~」
そんな米村に、月舘は、しょうがない人だなとでも言いたげに肩をすくめた。
「はあ」
「いっしっし、いいとこだろ。誰にも邪魔されないし、二人でゆっくり飯が食える」
「……二人きり」
「ん? なんかいったか?」
これが二人のファーストコンタクトであった。ちなみに、月舘による米村の第一印象は、同性愛者で固まっていた。
公立川鷹中学校。
四方を山に囲まれて、中央に川が流れる少し都会から離れた普通の街にある普通の学校。
水力発電のために、この街を貫く川はダムでせき止められており、そのせいで水流はとても遅く、緑色に濁っている。しかし、そのおかげでそこはカヌーやボートの練習に適した広い水平に広がる水面が出来上がり、この中学校にはボート部が存在する。ボート部がある学校は全国的にもそう多くは無く、従って他のメジャーな競技と比べると簡単に全国大会へと進むことが出来る、ということもあってボート部が人気だ。
その点を除けば、別段変わったところはない、普通の中学校だろう。特別な進学校でもないし、普通に男女共学だし、致命的なまでに荒れている学校というわけでもない。
よくある中学校だし、よくある毎日の繰り返しだし、いじめは普通くらいにはある、そういう普通の学校だ。
米村は、いそいそと四限目に使ったノートと教科書の片づけを始めて、弁当を取り出す。
どっと盛り上がって嬌声が聞こえる。
教室の中央の机を5つ程陣取って楽しそうに馬鹿笑いしているグループがある。昼休みと言えど、他のクラスからまで人が来ているのはその求心力の現われか。輪の中心で机に腰かけて、皆の視線を集めているのが有宮ヒカリというこの学校でも有名な女子だ。にぎやかなクラスというのは、彼女によることも大きい。
米村が今日も月舘と飯を食べるか、と腰を浮かせて、隣の月舘に視線を送って立ち上がろうとしたとき、有宮がずかずかと近付いてきた。
「米村さ、最近うちらとの付き合い悪いじゃん」
「……いいだろ? 別に」
確かに最近はもっぱら米村は月舘とばかり一緒にいた。
「あたしなりに心配してやってんじゃん。だって、あんた、友達だけは多いのに。それなのに最近つるんでるのが、急にもやしみたいな奴じゃ、なんか弱みでもにぎられてるんじゃないかと思ってさ。なんにせよ、困ってたら言えよ。そんな奴と付き合ってたら友達もすぐにいなくなっちまうからな」
米村は、拳を強く握った。
ぬけぬけとこいつは、月舘に聞こえるようにわざと言ってやがる。それだけじゃない、こいつのグループの連中にも聞こえるようにしてる。8人ほどこちらを見て、にやにやと汚い笑顔を向けている。
「月舘行くぞ」
米村は、なるべく有宮と関わらないように、振り向かずに教室から出て行った。
急ぎ足で廊下を歩く米村の後を、月舘は追いかける。月舘は、すぐに米村の横に並び、いつもと同じように屋上を目指して歩き始める。
「有宮さんは、やたらと僕に手厳しいね」
「ああ、あいつはああいう女だからな。男勝りというか、そういう性質の奴だから、大人しい男をとことん嫌うんだよ、理不尽だな」
「……僕はいないほうがいいかな」
「……ん? ……らしくないじゃないか? いや、なんというか、月舘……そこまで深刻に考えていたのか、すまない。いや、いて良いんだぞ、あいつに何言われたって関係ない」
「ああ、違うんだ。僕自身が悪口を言われていることは全く気にしてないんだ。そうではなくて、米村くんの友達が減るぞとかなんとか言ってたじゃないか、それが僕は……心配なんだよ」
「はっ、なるほどな、だがな、それだとお前は俺を馬鹿にしている。 俺がその程度でお前と関わるのを止める安っぽい人間に見えるんだな、お前には? それこそ気にしなくて良いことだ。仮に俺が干されて、誰も話しかけてこなくなったとしたら、それはそもそもそいつらが友達なんかじゃなかった、それだけの話だ」
「ふふふ、ははは、そっか。米村くん、熱いね」
「茶化すなこら、恥ずかしくなるだろ!」
いつも通り屋上に上って、そして、二人で一緒に弁当を食べて、他愛のない話をする。
そして、主にどうでも良い話題を吹っかけていたのは、いつも米村の方だった。米村は、大仰に手を広げる。
「世の中理不尽だよな、そして無意味だ、そう思うだろう、月舘」
また始まった、と思いながら、月舘はコンビニ弁当の人参の煮物を咀嚼した。
米村は毎日、ある意味中学生らしい議論を好み、例えば、昨日は人間は生きている意味があるのか、というなんとも出口の見えない命題について語っていたのだ。米村が最終的に下した結論は、人工知能が人間をじきに超えるのだから、人間は生きている意味が無くなるのだ! であり、ならなぜお前は生きているのだとツッコミを入れたくなるものだったが、月舘は適当にうなずいて聞いていた。
今日も、またよくわからない話をするのだろうと月舘は思っていた。
無視すると米村は怒るということがわかっているので、とりあえず、月舘は肯定とも否定ともつかない首の動きを適当に行う。
その月舘の反応に満足して、米村は続ける。
「頭の悪そうな不良がモテる、というこの世の中がだ!」
「つまり、どうして自分がもてないのか、ということだね」
「いや、断じてそんな個人的で小さな話をしているのじゃなくて、全体の傾向の話だ!!」
「へー、なるほど」
完全に月舘は棒読みだ。そういえば二組の木村サヤカが、二組のやんちゃ坊主と付き合っている噂が立っているのを月舘は思い出した。
「で、どうしたらモテると思うよ、月舘」
「……凄く個人的な話だね」
「気にするな」
「かっこいい所を見せればモテるんじゃない?」
「凄く漠然として曖昧じゃないか、もうちょっと考えろ、月舘」
「米村くんは部活動とかやってないの? スポーツで男らしいところを見せれば良いと思うよ」
「俺が帰宅部なの知ってるだろ、馬鹿にしてんのかコラ」
「……そんな米村くんにも活躍のチャンスがあります」
「なんだ?」
「来週のイベントと言えば?」
米村は、あぐらを組みながらやや右に傾き首をひねる。
「言えば? なんだっけ、なんかあんのか? 勿体ぶらずに喋れよ」
「球技大会があるでしょう……。そして、そこで活躍すればきっと」
「モテモテに!! おおおおお、それだ!! どうして気付かなかったんだ、俺は!! いや、待て、俺は何の球技に出ることになってたっけ?」
月舘はそんなことも覚えてないのかと言うように目を細めて、米村を眺めた。つい三日ばかり前にクラス会で誰がどの競技に出るかは割り振られたばかりだった。
「僕と一緒で、ソフトボールだよ」
「ソフトボールかぁ。活躍できるかわからんな。ソフトボールって別に得意ではないんだが」
「それでもやるしかないだろうね。例の二組の木村サヤカが付き合ってるのではないかという疑惑があるヤンキーも実はソフトボールやることになってる」
「なんやと!!」
「そして、ピッチャーを務めるらしい」
「ほほう! ぼっこぼこにしてやるぜ!!」
「得意じゃないんだろ? ソフトボール……ま、いいさ。ただし、準決勝に行かないと当たらない」
「そこまで行って、ぼっこぼこにしてやろやないけ!! って詳しいな、月舘」
「調べておいてあげたんだよ」
米村は、月舘はどうやって調べたのだろうと少し気になったが、それよりも気になることがあった。
「月舘、お前はソフトボール得意か?」
「全然やったことないね」
全くやったことは無い、と言った月舘の表情からは、しかし、一ミリの隙間も無い自信が漏れ出ているように、米村には見えた。
「でも、お前はやれば出来る、と」
「それは僕を買いかぶりすぎだよ。僕が言いたいのはそういうことじゃない。米村くんも活躍するチャンスはある、僕が考えているのは一貫してそのことに尽きるよ」
「ほう、俺に活躍するチャンスがあるっていうのは、一体どんな根拠が?」
「準決勝まで順調にいけるかはわからないけど、少なくとも準決勝の二組のヤンキーは別もの。奴は米村くんと同じで、ソフトボール部でも何でもないただのヤンキーだ。つまり、二人は同じ土俵に立っているというわけさ」
「いける!! この勝負勝った!!」
「こらこら、早い早い。同じ土俵なんだから、普通にやってたら勝負はわからない」
米村はその言葉にぶすっと機嫌を悪くして、トントンと人差し指で地面を叩く。
「なんだよっ、俺が負けるっていうのかよ」
「そうじゃないよ。そうならないために練習をしておこう、ということさ。どうだい、早速今日バッティングセンターに行かない?」
「ふぅん、そうだな、バッティング練習を頑張るか。腕が鳴るぜ」
箸を持っている手をぐるぐると回して、米村ははりきった。米村は、月舘の妙な視線を感じて月舘の顔を盗み見た。月舘は弁当を食べ終わっていて、米村の様子を静かに見つめていた。
米村は、時々この月舘という男をどうしても分からない、と思うことがあった。
月舘と打ち解けてきたという感じはしているが、月舘のことを知ることで一層よく分からないことも出てきた。今でも気になることと言えば、やはり、月舘の秘密だ。何を思って、あんな冗談を言ったのか。月舘は冗談とかそういったことは言わない人間だから、『たった一度だけ世界を変えれる』という言葉は頭に残った。まさか、冗談ではなく月舘は本当のことを言っている?
そんなわけはないだろう。いくらなんでも、ファンタジー過ぎる。
「ファンタジーだよな」
「ん、何? 米村くん」
「いや、何でもない」
米村も弁当を食べ終わって、弁当を布巾で包みなおす。結ぶとき、生地が擦れてキュッと音が鳴った。米村は、どんよりと全体的に白く曇った天気を見上げて、そのまま仰向けに寝転がった。
「月舘は球技大会の話を他人事みたいに話してるけど、お前はどういうっていうか、そうやな、球技大会にかける意気込みとかないんか」
月舘も仰向けになって寝そべった。一拍遅れて
「僕は無いよ」
と月舘は答えた。米村は少しだけ目線を横にずらして、月舘の顔を窺うがやはり何を考えて何を思っているのか、よくわからなかった。何とも言えない表情をしているとしか言えない顔だ。
「好きな奴にいいとこ見せようとか無いのか、そもそも好きな奴とか誰なのか俺は知らんのだがな」
「僕はそんなつもりは一切ないよ。僕には多分そういうことはふさわしくない」
米村は、そのときは月舘の表情がわかった。ただ、月舘にはしっくりこない表情だ。いつも飄々としている月舘が、とても悲しそうだった――。




