入学
一
彼は手伝いをしてくれる一方で、要求してくることも多かった。参考書を求めたりするのだ。しかも、彼女の事情も問わず、「あれを買え、これを買って」である。時にはカラオケに引っ張りまわされたことだってある。いい加減、温厚な彼女も鬱陶しく感じるようだ。しかし、いろいろ助けてもらっている立場でありながら彼の要望を一蹴するわけにもいかない。要求にこたえている時点で、完全な対等な立場である。こうなれば、彼女はこんなやつに遠慮もいらないと、ため口で話すようになっていた。
入学式の日。彼女は彼と共に学校に来ていた。彼女は彼が学校についてくるのに驚いていたが、彼にとってはそれこそついていくものと考えていたらしい。
「俺は学校の教室も把握してるし、むしろお前は何もわからないだろ。というか今更だな、バイトでは俺にも動かせておきながら学校には行かせない魂胆だったか。なんか面白くない話だ」
彼女は慌てて、悪意がなかったことを説明した。そこで彼はこれからの一連の流れを説明する。
「要綱みして。二組ね。そこの棟の二階。席は決まってるからな。俺は教室が分からなくなったうえに、席まで間違えて他人の席に座ってしまったという苦い思いでがある。おかげでクラスから悪い意味で印象づいた。お前も気をつけろよ。あと、間違っても俺に話しかけんなよ。どうしてもの時は、いつもみたいに携帯電話を持って話そうな」
今は誰も周りにいなかったが、彼は普段、ほかの人には見えないのだ。彼女は声を出さずに頷いた。
入学式が終わる。これから教室に移動するというのに、先導してくれるような先生はいない。体育館の出入り口近くにあるボードに張り付けられているクラス分けの票を見て、各自で移動しろということである。
「な? 不親切だろ?」と彼は笑った。
これが一人であるならば、随分心細い事だろう。しかし、彼女の隣には彼がいた。随分このことに救われた。彼女は安堵するが、それでも友達グループのいない人も存在するわけだ。否が応でも目に留まる。
「なあ。頼みがある。そこできょどっている名も知らぬ生徒に声をかけてやってくんねえかな? 昔の俺を見ているようで辛いんだ。頼むよ」
彼の頼みとなればどうも断りにくい。彼女はしょうがなく声をかけた。
「大丈夫ですか? ボードの前、人だかりできていますね。あなたは何組ですか?」
男子生徒は要綱を持っていなかったらしく、自分のクラスもわからなかったらしい。
「俺の携帯見せてやって。クラス分け表の写メ撮った」
そういって彼は彼女に携帯電話を渡した。彼が携帯電話を持っていることなどいろいろ彼女は聞きたかったが、それを我慢して表示された画面を男子生徒に見せた。
「私、写メ撮っておいたんです。貴方の名前が載ってるといいんですが」
「え? タッチ式携帯? すごい! あ、ぼく一組だ」
「一組でしたらあの棟の4階ですよ西の方にある部屋ですよ」
「本当だ教室も載ってる。というか進学クラスだけ二年生の棟にあるんだね。危うくほかの人についていくとこだった。ありがとう」
男子生徒は理解が気持ち悪い程早いらしく、そのまま一人で移動を開始した。
そんな男子生徒との話を聞いていたのか、近くに居た女子生徒も見せてくれないかと聞いてくる。それがかわぎりになってしまい、別の女子グループがハイエナのようにたかってきた。
「あ。こういう輩はかかわらない方がいいとみた。とっとと教室行こうや」
彼が彼女に言う。彼女はそれに応じようと、女子グループに彼の携帯電話を返すように求めた。聞こえていないのか、はたまた聞こえないふりをしているのか、返す気配は無い。
「携帯ごときいらねえや。とにかく嫌な奴は無視だ。早く行こう」
戸惑ったが、彼女は彼に手を引かれて強引に離れることになった。教室に行く途中、進学クラスの何名かはこちらに来ている者もおり、彼女は彼の願いもあって説明してあげていた。
生徒が二組の教室に集まり、自己紹介などを一通り行い、今日はそれで終わった。
二
次の日。彼女は登校する。彼女の中学校からこの高校を受験したのは、彼女だけである。つまるところ、知り合いなど居ないのだ。そのため、友達をつくるためには相応の行動が必要となる。彼女は緊張しながらも勇気を振り絞り、静かそうな女子生徒に話しかけた。
話題もうまく切り出せず、はじめましてからの改めての自己紹介始まり「中学にはなかったこの授業、どんなのかな?」「選択授業は何を選んだ?」「宿題やった? 要綱の隅に描かれてるなんて、見落としちゃうね」程度のものだ。
話しかけたおとなしそうな女子生徒は提出課題ができていなかったようである。
「次の教科ごとまで提出期限はあるし、なんなら私のを写す?」
「本当! ありがとう! 帰りにコンビニでコピーさせて!」
彼女のクラスはあまり真面目な人は少ないのか、要綱にあった課題の表記が不親切だったのか、多くが課題をやっていなかった。彼女のノートのコピーは、なぜか他の生徒にまで一日で行き渡ってしまっていた。彼女の断らない性格もあったためだ。
「このクラス、スゲー他力本願じゃねえか。俺の時のクラスで課題やってなかったのなんて、俺だけだったのに」
と彼は自慢にもならないことで威張っていた。
一通りコンビニでコピーを終えた頃、彼女らは親睦を深める意味を込め、数人で遊んだ。
「長田さん、歌、すごくうまいね」
彼女らは今、カラオケに来ていたのだ。
彼女は、彼にいろいろしつこい程に遊びに付き合わされたこともあって、自覚しないうちに上達していたようだった。彼のわがままも、悪い事ばっかりでもなくて、むしろ嬉しく思えた。
今来ているクラスの人とカラオケに来る前に、二人きりで彼とカラオケに来たある日のことだ。彼女が歌い慣れてきた時に言っていた。「お前が歌ったのは、俺の友達の持ち歌だったんだ。最初、俺はあんまり歌うのは好きじゃなくてな。友達がカラオケが好きだったんだ。カラオケ好きな二人が点数競ってた。それを俺は『僕は聞けるだけで楽しい』って言って歌わずに聞いてただけなんだけど、もうひとりの友達に『キンタの大冒険』っていう恥ずかしい歌をうたわされかけて、普通に普通の歌を歌うのかどっちかを選べって言われてそれから歌いだすようになったんだ。それから点数競う仲に、俺が加わった。羞恥心を捨てれば、たいていは誰しも歌えるんだ。お前の歌聞いて、改めてカラオケが好きだって思えた。俺は誰かが楽しく歌う声を聴くのが、何より好きだったんだよ」と。そのことを彼女はなんとなく思い出していた。
三
「長田さん、この授業、何か必要だった?」「移動教室、一緒に行きましょ」「さっきの授業、ここ、どういうこと? 本当に復習かな?」「お願い! 写させて!」
彼女はよく他の生徒から声を掛けられていた。彼女にはいつも誰かが居ると言っていい。しかし、今でこそそんな状況であるが、彼女の中学生時代はとてもではないが人が集まるような人間ではなかった。むしろ目立たず、かげがうすく、いてもいなくても何も変わらない静かな存在だったのだ。彼女はそれが嬉しく思う一方、不思議で仕方がなかったようだ。その疑問に対し、彼はこう答えた。
「お前が色々困った生徒にお節介やいちまったから、他のみんなが調子に乗って頼ってんだよ」
「お節介って! 貴方が『ああいうやつらに構ってやってほしい』とかいうからじゃない!」
「すまん。でもな、ほかの皆も、慣れない高校生活で不安なんだよ。ほら、だって。お前の行動は的確だから皆がついていきたがるんだ。そういうものなんだ」
彼女は喜ぶべきかわからなくて、取りあえず「ふーん」とこたえてやった。
「話かわるけどよ! ここ、最近できた店なんだよ! 大食いチャレンジがあってよ、誰か挑戦させてみたくね? あの杉原さんとか桑田君とかやってのけそうじゃん! 今度誘ってみてくれよ!」
「……。貴方が私にそんなことをさせるから、私についてきたら面白いことが見れる! と思ってついてくるんじゃないの? 私、周りからどんなキャラに映ってるんだろ……」
四
今日は彼女にとって記念すべき日となることだろう。さて、その記念すべき日というのはこれである。
「給料日だよ! いっくらかな!」
彼女は通帳を持ってはねていた。通帳記帳してから、敢えて金額を見ずに家まで帰ってきたのだ。
「家から帰ったら、手洗いうがいしようぜ」
彼女は彼の言葉に耳を貸さず、通帳の金額を読み上げた。
「いち! じゅう! ひゃく! せん、ま、ん? 十万円? え? なんでこんなに?」
彼女の通帳には二十万ほど入っていた。
全く身に覚えのないところから振り込まれているではないか。
「ああ。悪い。お前の通帳と身分証明書を借りた」
「え? え? 貴方、何かしたの? 何をしたの? え? 嘘……」
彼女は、どこかの金融からでも借りたのかと思った。しかし、彼はそれを察して説明する。
「いや、何も悪いことしてないって。新種のフリークを捕まえて提供したんだ。俺らが幼いころまでタガメやタイコウチを博物館か何かに持ってったら金券とか図書カード貰えるあの感覚だよ。悪い金じゃない。マジで」
「ふ、フリークって何?」
「魔力で構成された害獣だよ。知らない? たまに仰天特集でテレビとか出るじゃん」
彼はあれだ、あの、と色々説明しようとした。
「それって、もしかして魔物のこと?」
「そうそれ!」
「なんだ、魔物か……」
彼女はそんなことか、と納得する。彼はそれを捕獲していたのだ。確かに、彼は夜や休日などに姿が見えないことがあった。彼はプラバシーを守ってくれているのだと思っていたが、それだけでもなかったようだ。
「……魔物!? はぁ!?」
「繰り返すなよ。声大きいし。母さん下にいるし、電話してたじゃ言い訳に苦しいぞ」
「え? 魔物って、魔物? インターネットでしか見たことない! この辺に居たの!? 普通は山とか洞窟とか廃墟とかじゃないの!?」
「いや、いるだろ。というかイノシシとか狸みたいなもんだろ」
「いや、それはそれで滅多に見ないけど……」
「ま。しばらくは活動するよ」
「待ってよ。こんな大金、どうすればいいのよ! 逆に困るよ!」
「ちょうどいいじゃん。遊びに使おうや。んじゃお休み」