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ア・ハッピー・ニューイヤー

作者: しげはる

 ア・ハッピー・ニューイヤー。夢から覚める合図のように、どこからか、誰かの声が聞こえてくる。


 ココロは眼を開き、横たわったままで、今自分を包んでいる毛布の暖かくて柔らかい感触をゆっくりと確かめた。

 この数日間厳しい寒波が続いていた。昨晩は特に風も強かったので身体の芯が冷え切っていてなかなか寝付けなかった。

 そんなせいもあって今日は少し寝不足気味なのだがその強風も止んだ現在、暖かい毛布のおかげもあって周りの空気は少し和らいだようにも感じる。

 自分を包みこみ、一緒に寒さを凌いだその毛布の隙間から外を伺う。周りは既に明るくなっており、天幕の出入り口の隙間から眩しい光が差し込んでいた。

 空の鍋や、平積みにした数冊の書籍、通っていた中学校指定の、今では私物入れとして利用しているスポーツバッグ。

 起き上がったココロはそれらを横目に見ながら同じように枕元に置いてあった足首丈の靴を履くと天幕の外へ出た。


 雪の降り始めなのだろう、所々に雪の降り積もった風景が拡がる。

 ちらちらと小さな雪の粉が風に煽られながら舞い降りてくる。 雪も、風も冷たいが耐えられないほどでもなかった。

 曇っているが空は明るい。ココロは新しい朝の空気を胸一杯に吸い込むと天幕を離れて歩き出した。

 このあたりには同じような天幕がそこかしこに張られており、どれも薄っすらと雪の帽子を被っている。

 もう早朝ではない時間帯であるにも関わらず、寒さのためか外を出歩いている人間は少ない。そんな中、どこからか暖かくて美味しそうな、とてもよい香りが漂ってきた。あたりを見渡す。崩れた壁の向こう側で、低い壁の残骸を風よけに使って火をたいているのだろう。そこから薄い煙が立ち昇り、一緒に匂いを運んで来ていた。

 ココロは足を止めてその煙を眺めた。漂ってくる美味しそうな香りに空腹よりも安堵感を味わっていた。安心して、落ち着ける。ずっと浸っていたい、心地よいこの瞬間。


 ほんの数ヶ月前まではこんな光景は想像も出来なかった。

 戦争だったのか? テロだったのか? 人災? 事故?

 天災と考えるにはあまりにも作為的で、仮にそれが作為的に差別されたものであったとしても、結局それはあまりにも無慈悲で、徹底的で、容赦なく、そう考えるとそれは非情なまでに無作為に起こったと捉えるしかない。

 ほとんどの人類と建造物が消失する、未曾有の災禍だった。

 それは、ある日の、おそらくはある瞬間に起こった。気付いた頃には全てが終わっていた。

 都市は跡形も無いほどに破壊されていた。

 ココロの知る限り見る限りの建物道路橋などのほとんどが瓦礫と成り果てていた。

 人によれば、全世界がそのような状態になってしまっていると言う。 

 そして出遭った全ての人が言う。「目が覚めたらこうなっていた」……生き残りの誰もが、破壊のその瞬間を見ていない。目が覚めると、全てが瓦礫に変わっていた――。


 ココロはその時、たった一人で山奥のコテージの中で眠っていた。両親の休暇を利用して遊びに来ていた。弟が熱を出し、両親はココロを残してふもとの病院へ急いだ。

 不安な一夜を過ごし、それでもいつのまにか眠っていた。そして目が覚めて、一人っきりで待ち続けた……。

 丸一日待っても両親と弟は戻ってこなかった。次の夜明けにココロは山を降りることにした。

 空腹を抑えてひたすらに歩いた。そして眼下を一望できる場所へ出た。


 その光景はまさに絶望だった……。真っ黒な煙が辺りを覆っており、所々で火災が起きているがそれはほとんどを燃やし尽くした後の燻りのようなものだった。

 街だったはずの家やビルや建物のほとんどが瓦礫になって散らばり、道路の所々が大きく裂けてその近くにあっただろう車や木々を飲み込んでいた……焦土と化した風景。

 信じられない光景に呆然とするココロの背後からクラクションの音が聞こえ我に返った。


 ココロたちのようにシーズン外れにコテージを利用するものは少ない。しかし彼もその一人だった。

 その若い男性は、休暇を利用して自転車のトレーニングをするために山に入った。そして今はココロと同じ風景を見ていた。

 驚愕し呆然としてはいるが同時に、この状況を広く確認したいという焦りにも似た行動意志を湧き上がらせていた。絶望に埋没しまいとする意思があった。

 後部座席にマウンテンバイクを積んだミニバンを運転する若い男性と一緒にココロは山を降りた。


 燃料が尽きるまであちこちを走った。寸断された道路を迂回して、車が傷ついても行ける所まで行った。そして絶望しか無いことが徐々に分り始めた。

 とある町の残骸の中で、燃料の尽きたミニバンに失意の表情を見せたままそこを離れた若い男性は、それきり戻ってこなかった。


 ――それから数ヶ月、生き残りの様々な人たちと出会い助けてもらった現在。十数張りの天幕が集まったコロニーでココロは生活する。

 ココロは思う。自分を含め、みんなどうして焦土と分りきっているはずの都市部に集まってくるのだろう。

 そして集まり身を寄せ合う中にあって、どうして争いが絶えないのだろう。

 コロニーは余所者をなかなか受け入れない。優しい人たちは少数派で、いつも大勢の猜疑の目の中に置かれ、しばらくの間他人と満足に言葉を交わすことができずに孤独を味わった日々。


 絶えない小競り合いに疲弊して、どんどんしぼんでゆくよれよれの風船みたい……。


 ふいに壁の向こうの煙の側で立ち上がる人影。あ、ココロは目を見開いた。あの時ミニバンで拾ってくれた若い男性だった。

 ココロは息を弾ませて駆け寄る。若い男性はココロを認めると驚き、やがて気まずそうに力なく笑った。

 このコロニーにいたの? ココロは問う。男性は首を振る、今朝辿り着いたと言う。

 この惨状を認められずにあちこちを廻った。でもどこも同じで、それどころか日を追ってみんなは疑り深くなってゆく。

 この受け入れざるを得ない現実を理解しようとすればするほど絶望と悲しみにうちひしがれ、何も無い未来と意味の無い現在が世界を支配しているのだという感覚に囚われてしまい、希望を持つことが出来なくなっているのだと言う。

 みなが言う。目が覚めたらこんな世界になっていた……これまでの過去は夢だったのかもしれない。死んでしまっていなくなった人たちや瓦礫になる前の町並みはみんな、自分の見ていた夢だったのかもしれない……。


「この世界はみんな」若い男性は言った。「悪夢に絶望しているんだ。そしてこの悪夢から覚めることをもっと恐れている」

 ココロはその男性の哀しげに曇る瞳を、静かに見つめ続けた。この世界の現実を受け入れるには、過去の夢は、それぞれの記憶は甘美に過ぎたのだろう。

 例えこの世界が悪夢でも、見るたびに朽ちてゆくこの世界から目を覚ましたとして。

 その向こうの世界がここよりも、少なくとも生きていられるこの世界よりも、もっとましな場所なのだろうか。人々は疑いを深める。明日という新しい現実に希望を持つ事が出来ず、今という過ぎ去るしかない現在にすがりついて……今は今を生きるしかない。

 そう考えて、夢の続きに沈み浸るのも悪くないのかもしれない。


 周りを取り囲んでいる現状に失望して、希望が抜けてしまったしわしわの風船。風が吹いても飛び立つ力を持たないしぼんだ風船。呪縛されて、いいえたぶん自らを束縛して、その風船はもうそこから動く事が出来ない。

 このまま此処に留まればしぼんだままでも風船でいられる。希望から遠ざかってさえいれば、少なくとも今現在は風船として留まれる。

 もし、わずかばかりの希望が胸を満たしたとして。ほんのわずかでも風船をふくらませて、そうなったために飛ばされしまって、飛んで行った先に何があるのか分らなくてそれでも行ったとして。何か意味があるのだろうか?

 か弱い風船は流されるままに何も出来ないまま当てもなく漂うのだろう。なんて事の無い出来事が原因で、突然簡単に割れて消えてしまうことだってあるだろう。

 両親や弟のように何処へともなく消え去ってしまい、その跡には何の関係もない瓦礫のようなものしか残っていないのかも知れない。それでも……。


 ア・ハッピー・ニューイヤー! ココロは笑って若い男性に応えた。ねえ、年が明けたんだって。誰かが言っていたよ、明けましておめでとう! またひとつ年を越せたんだよ!

 若い男性はぽかんとした表情でココロを見つめていた。やがて噴き出して笑うと明るく言った。「ア・ハッピー・ニューイヤー! 明けましておめでとう!」

 雪がふわふわと舞い降りてくる。微かな風に流されながら踊るように。

 頭や、服の裾や、地面に転がる瓦礫の上にも降り立つがそのうちに溶けて消えてしまう。

 これが夢であるのなら、いつか終わりがやって来る。どうせ夢なら、楽しい夢にしてみようとココロは思う。


2ちゃん投下済み。

どうしても正月三が日のうちに投下したかったのです(当時)。


評価時に指摘された表現不足な部分を見直し、加筆訂正を入れています。

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