ガトゥ・バラディンという男 5
「当時の科学の最先端は無邪気なもので、それはなぜか私に根拠のない自信を与えてくれた。私は博覧会会場を歩いて回り、エッフェル塔にのぼった」
「エッフェル塔」
祐樹が言葉を重ねると、ガトゥは安定した心持ちで応える。
「そう、エッフェル塔。遥かな地上の高みから文明の進歩について考えてみたんだ」
ガトゥは嬉しそうに口元を緩ませる。
「私は影の差した自分の人生から少し離れてみたかった。その時私は漠然と、人類には科学を指標にした、新しい秩序が必要なのではないかと思ったんだ。そうすれば戦争もなくなるはずと」
ガトゥは自分の行き過ぎにも気づいているようだった。
「その時の私にはそう思えた。だが私のタイムワープの能力はコントロール出来ず、私は幾つもの場所を転々とした」
「どんな場所へ?」
祐樹が尋ねるとガトゥは頬に手をあてる。ガトゥのタイムワープの能力が見せた変遷は祐樹と似通っていた。
「疲れ切った私の心に安らぎを与えようとしてくれたんだろう。私がかつて憧れていた時間、場所ばかりを私の能力は選んでくれた」
そう言ってガトゥは行き来した場所を並べていく。
「産業革命時代のロンドン、大航海時代のポルトガル。フビライ・ハンの元」
ガトゥの口振りから、彼がその時代時代で、重要な役割を担ったであろうことが祐樹には分かった。ガトゥは愛おしげだ。
「そしてイスラム最盛期を誇ったイスタンブール。ギリシアのアテネにも行ったな」
ガトゥはとても嬉しそうに笑みを浮かべる。
「近代では画家、モネの庭師の手伝いもした。それはとても幸せな時間だった」
ここでガトゥは注釈を加える。これは祐樹がずっと疑問に思っていたことの一つでもあった。
「なぜかどの時代、どの場所に行っても、私の言葉は通じて、私も彼らの言葉を理解することが出来た。これは『時の迷い子』だけに生まれる不思議な能力なのだろう」
そしてガトゥは本題に戻ると祐樹のタイムワープとの共通点をあげる。
「それらは全て私の願望を満たしてくれた。ちょうど君がライト兄弟に心の安らぎを求めたように」
ガトゥは一旦間を置いて真実を告白する。
「君も、私もタイムワープの能力は『現実への忌避感』から生まれたんだよ」
ガトゥの瞳は優しく微笑んでいる。
「やがて私はタイムワープの能力を自在に操れるようになった。私は長い休息を経て未来志向が強くなっていた」
ガトゥはいよいよ禁断の扉を開けようとしていた。
「私は人類の行く先をこの目で確かめてみたくなっていた。郷愁から未来へ、というわけだ」
ガトゥは頬を軽く左手で撫でる。
「私は未来へとタイムワープをして、幾つもの歴史の分岐点に立ち会った。そしてついにその場所。『最終戦争』が終わった直後の世界に辿り着いたんだ」
ガトゥは自分の運命を静かに受け入れている。
「そこで私は出逢った。人類の再生を掲げた思想家。そう、議長、イズー・マドクルウァに」
エレベーターに強い陽差しが差し込む。陽差しは銀白色の未来都市を目が眩むほどに照らし出している。
「齢六十を超えるだろう彼は言った。『最終戦争』を起こした世界観を修正し、新しい秩序を作らなければならないと」
ガトゥの口振りには、ガトゥがかつてイズーに心酔していた事が分かった。
「闇雲に科学を信じるのでもなく、拒みもしない。絶妙なバランスで人類に平和をもたらす新時代を築こう。彼はそう言った」
今ではイズーの間違いにもガトゥは気づいているようだった。ガトゥは、当時の自分と今の自分を切り離して話をする。
「私は彼の理想に共鳴した。……だが同時に、私は知ってもいたんだ。イズー・マドクルウァが、『最終戦争』を起こした科学者、アルカノ・デレトゥ本人である事も」
いよいよエレベーターは最上階に着いた。ガトゥは口にする。
「これは私の罪だ。私は自分の理想を叶えるために、真実を隠した。私はそのカルマを背負って、イズー・マドクルウァとともに埋葬されるつもりだ」
ガトゥは最上階のフロアに祐樹を手招く。
「さぁ、私の話はこれで終わりだ。全ての真実については議長本人から聞くといい。行こう。最後の時だ」
祐樹とガトゥはエレベーターから足を踏み出し、議長室の扉を開いた。室内は広々とした楕円形をしている。そこは銀色の鈍い光に照らされていた。




