イズー・マドクルウァ 3
「ウィルは……、祐樹が祐樹のまま元気だったと嬉しそうだったよ。あれからもう、三十年近く経つのか」
オービルは憂いを滲ませる。
「ウィルも、キャザリンも、父も逝ってしまった。残ったのは私一人だけだ」
オービルは澄んだ瞳で祐樹を見つめる。
「君はどれだけ時間が経とうとも、若い姿のままだ。あの時と何も変わらない」
続けざまオービルはやんわりと事実を突く。
「それとも、君にとって私達と過ごした時間は、まだほんの数分前の出来事に過ぎないのか」
オービルは顔を拭う。オービルの心持ちは沈みゆく夕陽にも似ていた。
「不思議な、とても不思議な感覚だ。君との思い出は今でも私の胸に息づいているよ」
そしてオービルは自分の過去を思い返す。その道のりは決して平坦ではなかったのを祐樹は知っていた。
「本当に、瞬きする間もない一瞬の出来事だった。血気にはやって事業に乗り出したはいいが、そこは利権争いをする人間たちの巣窟だった」
オービルは遠くを見つめる。
「私は争いにうみ疲れて早々と撤退したよ。結局、ビジネスの成功は小さなものだった」
祐樹は静かにオービルの話を聴いていた。それは何度も彼らライト兄弟の伝記で読んだ史実だった。オービルは続ける。
「私は少し、幻滅したのかもしれないね。ウィルと飛行機発明に夢中になっていた時代が懐かしいよ」
オービルは物憂げに目を細めて、静かに佇む。その姿には深い悲しみが宿っている。
「そして……二つの大戦が起こった。大量殺戮の時代がやって来た。その一翼を担ってしまったのは、まさしく私とウィルが発明した飛行機そのものだった」
オービルは人間そのものを憐れみ、自身の生涯への深い後悔の念さえ滲ませる。
「空爆で多くの命が失われた。果たして私達の、私とウィルの発明は意味があったのか。疑問に思うこともあるよ」
祐樹は迷いなく、オービルに語り掛ける。
「ウィルさんとオービルさんが叶えた夢は、絶対に意味があったと思います」
オービルは憂い気に口をつぐむ。祐樹は両手を優しく広げる。
「お二人のお蔭で俺達の未来には明るい光が射し込んでいるんです」
オービルは少し皮肉な笑みを浮かべた。そこには彼の若々しいフェロモンと毒気、妖しげな魅力の残り香があった。
「ありがとう。祐樹。素直に受け取っておくよ」
オービルは気持ち良さそうに背筋を伸ばす。
「さぁ、年寄りの退屈な昔話も終わりだ。私のもう一つの夢、木工細工の浴槽を作る夢は叶いそうにない。残念だよ」
祐樹は微笑む。オービルは満足げに呟く。
「祐樹。行くんだろう? 今すぐにでも」
「はい」
そう答えた祐樹に、オービルは何も言わなかった。祐樹は彼から離れて歩きだす。
そしてその時、背中を向け合ったまま、オービルが祐樹に呼び掛ける。
オービルが祐樹の状況をどれだけ知っていたのかは、分からない。だが彼の直感は、鋭く祐樹の現状を貫いた。
「祐樹、梨奈を……、助け出せ」
祐樹の胸に温かい気持ちが込み上げる。彼は、オービルは、三十年の時が経っても、祐樹達の事を忘れていなかった。覚えていたのだ。
祐樹は一言だけ、噛み締めるように口にする。
「俺は……、行きます」
オービルは語気に力を込める。
「行け」
祐樹は前だけを見据えると一切後ろを振り向かずに丘を駆け下りていった。オービルとの、ウィルとの、ライト兄弟との思い出を振り切るように祐樹はひたすらに走り抜ける。
祐樹は、未来を輝かせる光が目の前で瞬いた気がした。それはとても幻想的で美しかった。光と余韻に包まれて、戻って来た祐樹をレリュは優しく出迎える。
「もう、いいの?」
「はい。レリュさん。行きましょう」
レリュは何も言わずに祐樹の気持ちを汲み取った。彼女は柔らかく祐樹の手を握るとタイムワープをした。そして穏やかに風が「振れた」。




