ライト兄弟の揺り籠 2
「学校なんて退屈だ」
そう言うと祐樹は学校から抜け出し、近所の小高い丘に遊びに出掛ける。彼はプロペラ飛行機を手にして、ライト兄弟が空を飛ぶ姿をイメージする。
彼らの作り上げた飛行機は、空高く舞い上がり、祐樹はその勇姿を目に焼き付けた。祐樹はそのイメージが残る青空を、清々しげに眺める。白い雲が刻々と形を変えながら、空模様の行方を決めている。
すると祐樹に呼び掛ける女の子の声がする。
声の主は高橋梨奈。祐樹と小学校三年生の頃からの幼馴染みだ。ふんわりと毛先がカールした髪型が大人びていている。
梨奈は自転車を手押しして、間延びした声で祐樹に呼び掛ける。それは彼女が祐樹に少し懐いている証拠だった。
「おーい、祐樹。学校サボっちゃダメだぞー」
祐樹は梨奈の誘いを少し煙たがる。
「俺はこういう自由が好きなんだ」
「でも、学校ー」
再三に渡る催促にさすがの祐樹も痺れを切らす。祐樹も梨奈のことを決して悪くは思っていない。
「分かったよ。今行く!」
そう軽く舌打ちして祐樹は、丘の近くに停めていた自転車に駆け寄る。梨奈はあどけなく笑う。
「ありがと。やっぱ、祐樹は祐樹だね」
その時間は幼馴染みの二人だけのものだった。二人が自転車を押して学校へと戻る道すがら、話は自然と、ある男子生徒の話題になった。三組の橋崎真也という名前の生徒だ。
おとなしい子だったのに、一ヶ月程前からおかしな言動が目立ち始め、ついには二週間前には行方不明になってしまった。梨奈は記憶を頼りに真也を思い返す。
「真也君。どうしちゃったんだろう」
「警察は事件に巻き込まれたかもしれないって」
そう祐樹は返すと一言また付け加える。
「知ってたか? 真也って梨奈に気があったっていう話」
梨奈は指先を額にあてる。梨奈にも思い当たる節はあるようだった。
すると突然、一台の自転車が二人を追い抜いて急ブレーキを掛ける。自転車から祐樹と梨奈を睨み付けるのは、二人の同級生、金木尚人だった。
金木は祐樹の頬を軽く撫でると、二人を見おろし口にする。
「お前ら、本当に仲がいいな。ダメだろ? 高橋。生徒会長が風紀を乱したら」
金木は悪童グループのリーダー格だ。彼も真也同様、梨奈に好意を寄せていた。金木は自転車から降りると祐樹に歩み寄ってくる。金木は祐樹を威圧する。
「お前に女は似合わないんだよ。せいぜいプロペラと一緒に遊んでな」
金木は口元を拭い、笑みを浮かべる。金木は握り拳を作る。どうやら金木は挑発するように祐樹を、殴りつけるつもりのようだった。
金木が拳を高々と振り上げると、その気配を察したのか、祐樹は強張りながらも両腕を構える。
「祐樹!」
そう梨奈が大声を挙げた瞬間、時間がゆっくりと流れ出したように祐樹には感じられた。全てがスローモーションに見える。祐樹には梨奈が自分をかばおうとしたのが見てとれた。
梨奈が祐樹の服に触れ、金木の拳が期せずして梨奈の顔に当たろうとしたその時。何かが起こった。凄まじい勢いで風が「振れた」。祐樹と梨奈の体は瞬く間に21世紀日本から離れて行く。
金木と、彼を取り巻く景色は、祐樹と梨奈から遠のいていく。羽ばたく鳥の羽根のような音を残して。
気が付くと二人は、どこか見知らぬ時間と場所に運ばれていた。