ラングレーへの手紙 1
タイムワープでライト兄弟の時代に戻った祐樹は、その夜、寝室を抜け出して、ウィルとオービルの書斎に忍び込んだ。紫紺の羽根団から託された2枚の偽論文を、ラングレー教授宛ての手紙に忍ばせるためだ。
ウィルとオービルのしたためたラングレーへの手紙は、祐樹の暗い心と裏腹に美しく輝いていた。祐樹が人知れず、手紙に差し挟んだ偽論文は鈍い光沢を放っているようにも祐樹には思えた。
祐樹は窓から差し込む月明かりを頼りに、二枚の論文に少しだけ目を通す。だが難しくて何が書いてあるのか祐樹には全く分からなかった。だがこのたった二枚の論文でライト兄弟の研究は闇に葬られる。
そう思うと祐樹は胸が張り裂けそうだった。だが同時に祐樹は、もう一人の冷静な自分が一つの希望を見いだしているのも感じていた。
その希望。そう……、ガトゥだ。彼がもう一度祐樹にコンタクトしてくれば、事実を告げて、紫紺の羽根団の計画を止められるかもしれない。
祐樹にとって最高の未来とは、やはりライト兄弟、彼らが認められる未来だ。例えそれが未来社会を闇で覆うものであっても。
祐樹は封筒を閉じ、ライト兄弟の書斎を後にする。祐樹はシャツの胸元を鷲掴みにして、無性に良心が痛むのを感じていた。寝室に戻り、ベッドへ潜りこんだ祐樹に梨奈が囁きかけてくる。
「祐樹、どこ行ってたの?」
祐樹は梨奈には本当のことは一切知らせないつもりでいた。祐樹の「タイムワープ」で連れ去られた彼女を、これ以上騒動に巻き込むわけにはいかない。祐樹はそう思っていた。
祐樹は最後まで梨奈に迷惑を掛けずに、21世紀日本へ帰る。そう決めていた。祐樹は、短い前髪をクシャクシャに掻き上げて答える。
「少し、夜風に当たってたんだ。眠れなかったから」
梨奈は祐樹の心を見透かしているようだった。祐樹の些細な変化、動揺も瞬時に感じとっていた。彼女は祐樹に促す。
「本当のこと。言っていいんだよ? 何か隠し事があるでしょう」
鋭い。そう思って肩が少し強張るのを感じた祐樹は、毛布を頭から被ると、体をほぐしながら梨奈に背を向ける。
「いいや。何もないよ」
梨奈は祐樹の気持ちを知ってか知らずか優しい声を掛ける。
「相談に乗るよ? いつでも正直に打ち明けていいんだから」
梨奈の言葉は、僅か二、三日の間の出来事で疲れ切っていた祐樹の胸に染み渡っていった。祐樹はつい申し訳なくなって一言ぽつりと零すだけだった。
「ありがとう」
梨奈は素直な子だ。この子を悲しませない。祐樹は胸にそう決意していた。ひんやりとした冷気が寝室を覆い、祐樹の肌に触れて行く。梨奈はもう一言、祐樹の心に添える。
「祐樹にどんなことがあっても、私は支えになるから。頼りにしてよ」
祐樹は何も喋らなかった。梨奈の優しさを前にして祐樹は言葉もなく、瞳を閉じるだけだった。窓の外から覗く月夜は、祐樹の心のように、暗く、そして時に微かな輝きを放っていた。




