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ライト兄弟の揺り籠 1
「ライト兄弟のキティホークまで飛んで行け!」
そう言って中学三年生、相模祐樹は、小高い丘の上からゴム動力のプロペラ飛行機を空に向かって放り投げた。
プロペラ飛行機は白い雲の佇む空へと舞い上がり、軽く一回転してみせる。七色に眩しい風が吹き抜けて、祐樹は満足そうにその飛行機を眺めていた。
空を飛ぶ。この夢を初めて実現させたのはウィルとオービルのライト兄弟だった。
アメリカ、ノースカロライナ州キティホーク、「キル・ビル」という名の丘が臨める砂浜で、彼らは人類史上初めて「空を飛ぶ人」になった。
そのライト兄弟は祐樹の憧れであり、彼の蒼い思春期の受け皿だった。ライト兄弟は、祐樹にとってファンタジーの中の住民だった。
そのファンタジーが、プロペラ飛行機を運ぶ風のように、気紛れで移ろいやすいものだと知りながらも、彼は心の拠り所にしていた。
彼は「揺り籠」に揺られる幼子のように、ライト兄弟の物語にずっと守られると信じていたのだ。
夢見がちな十代の思いを抱えながら。