紫紺の羽根団の指示 2
祐樹の返事にダデュカは満足げに頷く。当然彼は、祐樹が紫紺の羽根団に抵抗出来ないのを知っている。だから祐樹が改めて協力する姿勢を見せたことに満足しているようだった。
「それは結構。自分の立場を良くわきまえた適切な判断だ」
祐樹は一度息を飲み、顔をゆっくりとあげるとダデュカに訊く。
「それで、俺に出来ることは何かありますか? ウィルさんやオービルさんを直接傷つけるなんて俺には出来ませんよ」
ダデュカは悠然と答える。
「ライト兄弟の身体を傷つける作戦は、たった今破棄された。余程切迫しない限り暴力の行使はない」
その返事に祐樹は一先ず安心した。だがダデュカは畳みかける。
「俺達は心理的に彼らを追い詰めていく。……ラングレーという男を?」
祐樹はすかさず答える。その名前はデイトンへライト兄弟が戻って以来、頻繁に出てきた名前だからだ。
「知っています。ライト兄弟を支援した大学教授」
「その通り。祐樹、隠し立てをしないのは望ましい態度だ」
ダデュカは祐樹の反応に満足し、左手で右腕をさらりと撫でる。
「俺達はラングレーを利用して、ライト兄弟の社会的抹殺を図る。ライト兄弟を科学界から追放し、少しでも航空技術の進歩を遅らせる」
それは祐樹にとってとてもショッキングな内容だった。だが祐樹はその気持ちを覆い隠してダデュカに尋ねる。
「それだけで十分?」
「ああ。このわずかな干渉だけで、未来は大きく変わる」
ダデュカはそう応えると、薄い唇にうっすらと笑みを浮かべて、顎元をさする。
「ライト兄弟の飛行機発明が歴史に与えた影響は想像以上に大きい。フランス革命やロシア革命よりも重要な歴史のターニングポイントになっているようだ」
ダデュカは神経質に、右指先に左手を触れながら話を続ける。
「だからこそ、ライト兄弟には捨て石になってもらう。彼らが本来、歴史で受けるべき評価を先送りにする。それだけでいいんだ」
「それだけで?」
祐樹がダデュカを見据えてそう訊くと、ダデュカは一度瞬きして答える。その答えは歴史に干渉し続ける彼らならではのものだった。
「歴史は絶妙なバランスで立っている一本の釘のようなものだ。少し床を揺らしただけでどの方向にも倒れる」
ダデュカは指先で釘を倒す仕草を見せる。
「一度、床を揺らすことさえ出来れば、どうにでも変えられるのが、つまりは我々人類の歴史なんだよ」
祐樹はダデュカの考えをよく聴いた。彼らは「善」ではない。ただ同時に絶対的な「悪」でもない。彼らは「アゼテリ」に抵抗して闘っているだけだ。それが正しいのかどうか、いいことなのかどうか。祐樹には分からない。
ただ一つ言えるのは今無暗に、紫紺の羽根団に反発しても祐樹と梨奈は、無事に21世紀日本へは戻れない、という事実だった。
ふと祐樹はレリュの刺すような視線を感じた。レリュは、祐樹が自分からアイデアを出すことさえ求めているようだった。レリュにとって紫紺の羽根団は、人類を解放する「希望」そのものだった。自分が「悪」に成りうるとは考えもしない。
レリュは、祐樹が紫紺の羽根団に諸手をあげて協力するのを求めていた。レリュの左腕のタトゥーが「天使」をかたどっていたのは皮肉な話だった。
祐樹はダデュカとレリュの顔を代わる代わる見つめて訊く。




