束の間の休息 1
デイトンへ帰ってからのライト兄弟は慌ただしかった。晴れて助手になった祐樹達に部屋をあてがい、飛行実験の論文を準備する。彼らはラングレー教授への手紙も書いていく。
祐樹達にはライト兄弟の長男、エドが使っていた部屋があてがわれた。祐樹達の世話をしたのはライト兄弟の妹、キャザリンだった。
キャザリンは陽気で愛嬌のある女性だった。訊くとウィルとオービルの世話をしているという。そんなキャザリンは約束ごとを三つ、祐樹達とする。
「いい? 朝は六時半には起きるように。食後の食器運びはそれぞれが担当。洗濯は自分でするように。お願いね」
キャザリンは、梨奈が一張羅だと知ると、早速服を用意した。清楚なドレスを着せられた梨奈は、祐樹にはおかしくて、祐樹は笑った。だが、梨奈は鏡に映った自分の姿を眺めて嬉しそうだった。そして軽く祐樹に肘鉄を喰らわせた。
キャザリンはエドのスーツを着るように祐樹にも勧める。スーツを着た祐樹を見て吹き出すのを、梨奈は忘れなかった。祐樹は軽く咳払いをする。
時間は瞬く間に過ぎて、夕食時には、出掛けていたウィルとオービルが帰宅した。そしてウィルはふと、祐樹に写真を現像する技術はあるかと尋ねた。
ウィルとオービルはなぜか祐樹達に相当期待していた。梨奈の話から、祐樹達が相当な知識の持ち主だと判断しているようだった。大まかなプロセスだけは知っている。祐樹がそう答えるとウィルは、手が空いたら暗室に来るように手招いた。
祐樹は暗室に入ると、そこでウィルの悩みを聞いた。
ウィルは、ラングレー教授が、自分達の飛行実験の成功を嫉妬しないかと、心配しているようだった。ラングレー教授は人格者だ、と前置きした上でウィルは訥々と話していく。
「教授はこの分野での頭領なんだよ。飛行実験に成功するとしたら教授だろうと誰もが思っていた。それが僕らのようなアマチュアに先を越されてしまった。いい気分じゃないだろう」
オービルも手作業をしながら、ウィルの言葉を引き継ぐ。
「ラングレー教授は、俺達が表舞台に出るのを心地よく思わないかもしれない」
史実には、ラングレー教授とライト兄弟の不仲などどこにも残っていない。だから祐樹は素直に大丈夫だと念を押す。
「きっと教授はお二人の成功を喜んでくれますよ」
オービルは、祐樹の言葉だけでは確信がもてないようだった。ポツリと寂しげに零す。
「『きっと』ね。だけど夢が叶った瞬間、掌を返す人々が世の中にはいるんだ」
祐樹は、陰のあるオービルの物言いに口をつぐむしかなかった。するとその沈黙を破るように、写真の現像をしていたウィルが歓声をあげる。
「よし! 一枚仕上がったぞ。最高だ。フライヤー号の勇姿がしっかりと映ってる」
祐樹とオービルの心は、偉大な発明を前にして晴れやかになっていく。
暗室の薄明かりに浮かび上がるフライヤー号は勇ましい。ウィルは満足げだった。
子供のように喜ぶウィルの姿を見て祐樹はとても嬉しかった。激情家のオービル、控えめなウィル、祐樹は、その二人を間近にして光に包まれているような気分だった。
その日、夕食時には、梨奈がライト一家にすっかり馴染んだところを見せた。梨奈はライト一家に問われるがまま、にわか仕込みの知識で地層の研究についてお喋りをしていく。
祐樹はそんな梨奈を見て、しっかり者はいつの時代に来てもしっかり者だと思っていた。梨奈は梨奈で自分に任せっきりの祐樹の膝を、指で軽くつねった。梨奈は自分ばかりが場を繋がなければならなかったのが不満だったようだ。
やがて食事は終わり、祐樹と梨奈の二人は寝室に入った。祐樹と梨奈は、その時になって改めて二人が置かれた状況について考え始めた。




