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楽しいサーカス

 ガラクタだらけの町。

 瓦礫だらけの道。

 灰色の世界を、車いすを押す青年とその周りを楽しそうに回る黒い犬。

 いや、それは犬ではない。正確には犬の形をしたロボット。愛玩用機械の一つである。

 「ほら、はぐれないようにこっちにおいで」

 車いすから聞こえてきた声に反応するようにして犬は車いすの上に飛び乗る。

 と、がたりと車いすが小さくはねた。どうやら大きな瓦礫に引っかかってしまったようだ。

 「大丈夫か?」

 青年は車いすに座る少女に尋ねる。すまないと続く言葉に少女は大丈夫だと笑ってみせた。

 「本当に、外ってごつごつなんですね」

 「いや、まあ昔はここまでなかったけどな」

 そうなんですかと青年の言葉に耳を傾ける少女はつい最近まで自分の家だけが世界だった。

 帰ってこない両親、訪れぬ『変化』に少女は外に出ることを決意する。

 青年はそんな少女とともに、誰もいない世界をこうして歩いているのだ。

 そこにあった何かを読み取りたいのか、それとも死に場所を探しているのか。

 少女には青年の考えは分からない。同様に青年にも少女の考えは分からない。

 世界が終わった後に出会った二人は、居場所のない者たちの常として、こうして二人でより添いながら旅を続けている。


 目的のない、わからない当てもない旅。


 壊れた町は車いすの少女に対して厳しいものだった。

 それでも少女は満足していた。憧れの空がいつでも見ることができるのだから。

 車いすの少女との旅は青年の足を遅くした。

 それでも青年は満足していた。もし死ぬことになっても、それは孤独ではないから。


 歪な旅。歪な二人。


 そんな二人の耳に奇怪な音が聞こえたのは、どこまででも続く旅の途中、ある遊園地の前でのことだった。




 キィキィと何かをひっかくような音、ノイズ交じりのそれが音楽だと理解できたのはその音の発信源の近くに来た時だった。

 「怖いところですね……」

 少女の言葉に青年は否定できなかった。

 ほんの少し前まではとても賑わっていたであろうその場所も、壁も入口も崩れ、人がいない廃墟となって今はその明るい色合いがより一層不気味さを際立てる。

 「ここは昔遊園地だったんだ」

 「遊園地……そういえば、昔一度だけ来たことがある気がします」

 青年の言葉に少女は悲しげに眉をひそめて返す。

 とても遠い記憶。おぼろげにしか覚えていないそれは、どんどんと崩れていき今の姿へと変わっていく。

 そのことにさびしさと、ほんの少し安らぎを覚えながらも少女はその門を見上げた。

 「入って、みるか?」

 人がいるかもしれない。その人がどんな人かはわからないが、音楽を流す機械を動かせる大人なのだろう。

 どうするかと青年は少女に問う。人と会いたくないのなら、この場所から立ち去る選択が一番だ。

 しばし迷っていた少女は、だが、まっすぐにその遊園地を指さして「行こう」といった。




 「やあやあ!君たちが久しぶりのお客さんだよ。最近誰も来なくてねえ、僕、すっごく寂しかったんだ!」

 迎えたのはさびしいという言葉が宙返りをするくらいに明るい声の男。

 白く塗られた顔、涙形の模様に赤い付け鼻。男は自分をピエロだといった。

 「サーカスのメンバーにも会えなくて、暇で暇でしょうがなかったんだ!よければ僕のとっておきのショーを見ていかないかい?」

 ウインクとともに提案された言葉に青年は戻ろうと少女に声をかけようとした。

 しかし少女は『とっておきのショー』というものに心を惹かれたらしく、反射のように頷いた後だった。


 「すみません、ご迷惑でしたか?」

 「いや――――君がいいのなら、それで」

 客席であっただろう場所に車いすを置き、隣の席だっただろう場所に腰掛ける。

 「ではでは、ちょっと準備をしてきますねえ!」

 ピエロはそう言って笑顔で舞台裏に向かう。少女はサーカスは初めてだと胸を躍らせているらしく、青年は少女のために帰りたいという思いを胸の中に秘めてそうか、と返す。

 『えー、ごっほん。それではご来場の皆々様、これからは現実ではない夢の世界。楽しい時間の始まりでーす!』

 ピエロのアナウンスとともにブザーが鳴り響く。

 青年と少女、それに何も理解していない犬型ロボットだけのための、楽しいサーカスの始まりだ。


 『さあさあまずはピエロの玉乗りに、ピエロの綱渡り、もちろん床の上の綱ですけれどね、高いところは軽業師の領域で、ピエロは地べたを這いずり回るのがお似合いってえことでございます。ほらほらお客さん、手品はいかが?火の輪くぐりはいかが?いがぐりはいかが?あらいらない、そいつは失礼』


 軽快な声とともに行われるそれは、青年には耐えられないものだった。

 少女は大丈夫だろうかと舞台から無理矢理視線を引きはがし、少女の方を見る。

 何が行われているのかわかっていないはずの犬は舞台を真剣に見つめている。番犬の機能もついていたのだろうか、知らない人間に警戒している子犬のように見える。

 少女は、少女はただじっとそれを見つめていた。

 読めない表情は会話が途切れた時に彼女がよくするもので、彼女にとってはいつもの顔。

 彼女はどんな感情もその顔に乗せずにショーを見つめる。それが彼女の使命であるように。

 「いやはや、本当はもっとうまく綱渡りができるのにねえ。一輪車にも乗れやしない。おかしいなあおかしいなあ」

 ピエロの言葉は青年の心を突き刺し続ける。

 耐えきれない、叫びたくなった青年の手を少女が握った。

 「大丈夫ですか?」

 自分は大丈夫だと言外に少女は伝える。

 「君は大丈夫そうだな」

 俺はだめだと言葉にせずに青年は伝える。

 少女はそれも仕方ないですと、感情のこもらない声で呟いた。

 そんな二人をしり目にピエロのショーは続いている。

 舞台にはピエロしかいない。軽業師も、奇術師も、猛獣使いだって存在しない。

 ピエロしかいないサーカスは歪だった。

 自分たちにはぴったりだなと青年は自嘲する。狂っているのだ、いや、その表現もおかしいか。

 もう終わった世界で見せられる、終わってしまったショー。

 終わりも始まりもない少女だけがそれを見つめ続けた。


 何周も同じショーを見せられ続ける。

 ピエロはそれに気づいていないのか、同じところで同じ失敗をする。

 それが耐えられなくなってきた。青年は気が狂いそうだった。

 「もうやめろよ」

 ぽつりとつぶやいた声は、ちょうどピエロの声が途切れた瞬間だったためによく響いた。

 「うん?つまらなかったかい?ちょっと待っていておくれ、ちゃあんと玉乗りを成功させるさ」

 笑うピエロが耐えられなかった。青年は叫び続ける。

 「お前が乗れるわけないだろう!だって――――!」


   ≪お前、足がないじゃないか≫


  無言、無音。

 少女は青年を見つめる。

 ピエロはぽかんとした顔をして、そして困ったように笑った。

 「そ、そう、そうだね、そうだよね。僕は、もう」

 誰も楽しませることができないんだとピエロは泣いた。

 メイクが取れてしまうくらい、たくさんたくさん泣いた。

 彼は命は助かったが落ちてきた瓦礫に足を切断されたらしい、青年はその話を気まずく感じながら聞いていた。

 彼の夢を終わらせたことに責任を感じていた。青年が耐えていれば、彼は客を楽しませるピエロで居続けることができたのだ。

 今、目の前にいるのは青年たちと同じ世界に取り残された存在だった。哀れは中年男性は青年たちの前で肩を丸めてぼそぼそと呟く。

 「君たちは強いね、現実を見ようだなんて。僕は逃げているのさ。何が楽しい時間だよ、君たちを巻き込んで、自分の現実逃避をしていただけじゃないか」

 ピエロはメイクを取ってしまえば卑屈な只の人間だった。青年と何も変わらない。

 けれど、彼は足がない。だからここから動くことができないのだ。

 「軽業師はね、ちょうどあの時間練習してたんだ。瓦礫と一緒に降ってきた。猛獣使いは動物たちと一緒に今もいるよ。生きてるかなんて知らないけれど。僕はずっとここで待ってる、現実から逃げることができる時を」

 「そうか」

 「君たちとは違うんだ、弱いんだよ」

 そう言って肩を震わせる。ピエロ失格だと自嘲しようとして失敗している。

 可愛そうに、そう言葉にするのは簡単だ。その言葉による傷から目をそらせば。

 「――――楽しかったですよ」

 ぽつりとつぶやいたのは少女だった。

 青年とピエロだった男の視線を受けて、静かに少女は話し出す。

 「私が家にいる間、貴方が楽しませてきたいろんなお客さんと同じように。私は初めてサーカスを見ることができました。貴方がずっとここで耐えていてくれたから、サーカスというものを知ることができました。貴方という人と出会えました」

 青年は少女を見つめる。淡々とした声は次第に震え始めた。彼女はまだ、長時間喋ることができない。

 それでも伝えたいことが少女にはあるのだと青年は分かった。

 ピエロだった男も、静かに少女を見ている。

 複数の視線に少女は怯えた。それでも、口にしようと決めた思いを必死で言葉にまとめていく。

 そんな少女の手を青年が握った。そのことに、少女は安堵を覚える。

 暖かい手。それは今まで生きていた家の中では存在しなかったものだ。

 母がいなくなってから、青年に合うまで。短いようで長い時間無意識に欲していたそれに触れられて、少女は言葉を紡いでいく。

 「私は、一人でした。両親も私のためにいろいろしてくれて、それは一人になることで、あまり、言葉はうまくありません。でも、でも、私は幸せでした」

 とつとつと、つっかかりながら紡がれる言葉はとても人間的で、温かみがあった。

 「でも、この人に出会って、外に出ることができて、知りたかったこと、たくさん知りました。知りたいなんて思えないくらい、遠かったことも。サーカスも、遊園地も、私の思い出に、今、なっています」

 「そうか、外には出なかったんだね」

 ピエロだった男の言葉に頷く。

 あの家は、自分の殻だった。少女は唐突に思った。

 それは別に他人を傷つけることではない。ピエロだった男が、ピエロであり続けたように。

 少女があの家の中で機械に生かされる少女であっても、誰も困らなかった。

 「けれども、きっとあの殻の中に閉じこもっていたらあなたに合えなかったから」

 少女の言葉にピエロだった男が目を見張る。驚きを大げさに表すのは見に染みついたピエロのくせだろうか。

 ならば、この男はピエロなのだろう。青年は結論付ける。

 足がなかろうと、仲間がなかろうと、どんなにぼろぼろになっても笑顔を浮かべ続け、笑顔を作り出す男は立派に今を生きていた。

 「そうだね、僕も、現実逃避しながら誰かに会いたかった。君たちが来てくれて、本当にうれしんだ。僕はピエロだ、ピエロにしかなれないんだ。それなのに誰も見に来てくれない、それが寂しかったけれど、それは我がままなのかもしれないね」

 ピエロだった男は笑う。ピエロは笑う。

 涙を顔に描いて、表情は笑っているのがピエロだから。

 「私には、正しいことは、わかりません。でも、ひとつだけわかること、あります」

 そう言葉を切って、少女は固い笑みを浮かべた。

 彼女の、今の精いっぱいの笑顔。


 「素晴らしい時間をありがとう、ピエロさん」



 彼らは歩く。誰もいない道を、道とは呼べない荒れた瓦礫の街を。

 「よかったのか、あれで」

 ぽつりと漏らした青年に少女はゆっくり目を閉じる。

 思い浮かぶのは、泣きながら笑うピエロの顔。

 これからもずっとピエロであり続けることを選んだ、優しい優しいピエロの顔。

 「いいんでしょう、これで。何が正しいかなんて、終わった世界では意味がないことだから」

 だから私たちは歩き続けるのでしょうと少女がいい、歩いてるのは俺とこいつだけどなと青年は黒い犬を指して笑った。


 楽しい楽しいピエロのサーカス


  お客様はもういないけれど


 これまでもこれからも、ずっとずっと楽しいサーカス


                                           ――――了


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