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ギルティス―本能の楽宴―  作者: Blue NOTE(ぶるの)
第一章§夢現流浮
12/16

12 支倉周

 事務所に戻ると、珍しく明かりがついていた。

 入室する真鶴まなづるはいつものように彼女へと声をかける。

「相変わらず熱心だな、お前は」

 振り向いたのは命里めいりだ。彼女はいつものように何かを読みふけっている。

 ただしその手に書物はなく、コピー用紙にまとめられた書類だけがあった。何枚かあるそれを、定期的にめくっている。

 真鶴は冷蔵庫へと向かった。中からココアをとる。

「コーヒーでもいるか?」

 彼が気をきかせて言うと「お願い」と返ってきた。わりと珍しいことである。

 コーヒーメイカーの前に立つ真鶴は、遠目に彼女を眺めた。依然として書類に熱中している。芸能人のゴシップでも書かれているのかとも思ったが、彼女がそんなことに興味がないことをしっているので、その予想は頭の中から消す。

「ありがと」

 彼女の反対側に座ってコーヒーを置くと、彼女は軽く言った。お礼を聞いたことなど、これが初めてだった。

 彼女はコーヒーに口をつけ、書類を見続けている。

「……三嶋みしまの過去を調べたのか」

 低い声が響く。

 真鶴の言葉に命里はええ、と答える。

「なぜあなたがそんなに申し訳なさそうにしているのか、わからないけど」

「ま、他人事だけど。もし自分の過去を無理やりさらけ出されたとしたら、嫌な気分にもなるだろ」

「私は自分の過去を知られたら、魔界に帰るしかなくなるけど」

 あっけらかんとする彼女の様子に、そうだなと口元だけで笑う。

「ああそれで、三嶋のことだけど」

「彼女のことなら、これにまとめてあるわ」

 命里が先程までいた資料。それを彼女は真鶴の前に差し出した。

 だが彼はそれを受け取ることはせず、ただ腕組みをして言葉を投げかける。

「お前、三嶋彰子(しょうこ)に兄がいたことを知っていたか?」

「三嶋彰子に兄はいないわ。彼女の家族構成はきちんと調べたもの。私を誰だと思っているのかしら」

 きっぱりと言える彼女の調査能力は本物だ。徒者ただものじゃない。

 調査不足などあり得ない。

 しかし――。

「たしかに彼女に兄弟姉妹は存在しない。ただ、血族だけを兄と尊ぶわけじゃないだろ、人間は」

「……どういうことかしら」

 彼女は眉をひそめる。薄々感づいているようだった。

「ただ親しいだけの『お兄ちゃん』がいたんだ。しかし、引っ越し以来まったくの音信不通らしい。調べる価値はあるんじゃないのか」

 ココア片手に、真鶴は事務所の向こう側へと消えていった。



「退院おめでとう」

 誰も迎えに来ないと思っていたのだが、日曜日ということもあってか、彼は来ていた。

 身内なんていない。

 明後日には帰ってきてくれるという叔父夫婦でさえ……あの優しかった仮想ファミリーでさえ来てくれないのに。

 なのに。

 嬉しい気持ちでいっぱいだった。

 草薙先生にも見送られ、久しぶりの仮想じゅうきょへと移動する。

 その日は、彼と帰った。

 体に問題はない。

 路面は濡れている。昨夜は雨だったらしいが、今日は気持ちいいほどの晴れ模様だ。

 歩くことにした。彼とともに。

 彼は荷物を持ってくれた。自分の荷物だったが、今日はお祝いだ、めいっぱい甘えることにする。

 甘える相手なんかいなかった自分には……自分には許されなかったことができる相手が、ここにいるのだから。

 彼は理想ファミリーだった。

 本当の家族なんかじゃない。友達と呼べるものなのかもしれないが、自分が本当に大切と呼べるものなど……家族しか思い浮かばない。

 仲間なんて大それたものを持てるほど、自分は幸せじゃない。

 家族という幸せの根底こそが、自分の――理想。

 仮想であり、夢想でしかない理想。

 三嶋と書かれた仮初めの家。着いて、少し話をした。

「また、これで学校に通えるな」

 彼は、そう言った。

「でも……」

 でも、また普段通りの生活をしたら……。

 いいや。

 異常ストーカーでさえ、『普段通りの生活』の一部に組み込まれているのだとしたら……。

 自分は怖い。

 アレが怖い。

 また、自分で自分自身を傷つけてしまう。

 今度は、入院では済まないかもしれない。

「あの、さ……」

 恐怖心や不安感が胸を締め付ける。

 そんな状況で、自分は気づかない内に、遠慮がちに告げていた。

「今日……泊まらない…………?」

 彼はうろたえていた。

 そんな彼が、ちょっと可愛い。



支倉はぜくらまこと?」

 札差ふださし京斗けいとは問い返した。

 篠塚しのづか命里は頷いた。

「昨日の夜、真鶴が情報をくれたわ。三嶋彰子が3歳の頃までいた地域で、彼女が知り合っていた年上の男性。面倒見がよくて、よく彼女と遊んでいたそうよ」

「真鶴が?」

 張本人はソファの上で寝転がっている。眠っているわけではないようだが、マンガ本を開いて顔にかぶせていて表情は見えない。

 どこでそんな情報を仕入れたのだろうという疑問も浮かぶが、しかし――。

「その男が、今回の依頼に関係しているとでも?」

「いえ、そういうわけじゃないわ。でも少し引っ掛かるのはたしかね」

 意味深なもの言いの彼女は、まっすぐに京斗を見つめた。

「真鶴の言った通り、支倉周は音信不通らしいわね。三嶋彰子の両親が事故を起こして、彼女が引っ越した後、姿を消した」

「なんでそんなことを気にかける必要がある? そいつが三嶋夫妻の交通事故に関係してるってことか?」

「いえ。三嶋夫妻は自分たちの運転する車を電柱にぶつけただけよ。警察の捜査でも事件性はないそうよ。どうやらよそ見運転らしいけど」

「じゃあなんなんだよ、そいつ」

 苛立たしげに言う京斗。

 それとは正反対に、命里は落ち着きはらっていた。

「わからないわね」

「ああそう……」

 なぜ落ち着いていられるのか。

 頭を抱えたい心境だ。

「でも、何か引っかかる、でしょ」

「まあな。このまま無視できる存在なのかどうかわからないが。所詮は過去の人間だし」

 京斗が肩をすくめると、真鶴が上体を起こした。ぱさりとマンガ本が落ちる。

「俺が引っ掛かってんのは、『夢想と現実がループしてる』ってことの方だ。原理も原因もわからない、まるで魔法みたいな話じゃないか」

 夢の世界と現実世界との間を行き来する。

 それは当たり前のことなのに、なぜか引っ掛かる。

 真鶴の意見に、京斗は答えた。

「俺なりに考えたんだけどな、おそらくそれは、彼女の勝手な妄言だ」

 はっと目を見開く真鶴。さすがに、彼の言葉には信じられない様子だった。

「三嶋彰子が嘘をついてるってのか? それとも、ただ単に勘違いしてるって――」

「そんなことはない。彼女は確かに感じているんだろう、自分がおかしな体験をしていることを」

「だったらなんだ」

 ひと呼吸置く。

 沈黙から浮かび上がる京斗の声は、不思議な重さを孕んでいた。

「夢想と現実とがループする。彼女はただ、まっすぐに歩いているだけなんだ。いや、この場合は流されているのか。遥かな未来へ続く河に浮き、どんぶらこどんぶらことな」

「…………」

 理解に苦しむ言い回しだったが、彼は続ける。

「お前は『浮く』の反対語はなんだと思う?」

「は? そりゃお前……『浮く』の反対は『沈む』だろ」

 急に投げられた質問に戸惑う真鶴。そう、とだけ、京斗は返した。

「だがこの場合は、そうじゃないんだ。『浮く』の反対は、『流れる』なんだよ。

 浮遊と流動は対極だ。

 たしかに『浮く』の反対は『沈む』だがな。しかし上下運動の問題ではない。

 これは明らかに前後だ。前進か後退か、あるいは停滞か。

 浮遊せいししているか流動いどうしているか。それだけに過ぎないんだよ」

「…………」

 結局、何が言いたいのだろうか。

「あの……それで?」

「先程、夢の世界と現実の世界とを行き来していると言ったな。それは違う。彼女はただただ、まっすぐに流れているだけだ。

 夢の世界を抜けて現実に行き、現実の世界を抜けて夢に行く。二つの世界を行き来しているのではない、現実の先に夢があり、夢の先に現実がある。

 夢に行き着いた以前の現実と以後の現実では、まったく違う世界なんだよ。

 ただし、それは『寝る』、『起きる』という行動で意識的に切り替わるものではない。夢の世界の向こうはまた夢の世界かもしれない」

「なるほどな。彼女の“夢現ループ”の原因は、彼女自身の精神状況にあるということか」

 物理的な行動で人間の神経や心情は左右されない。ということはそこにある要因は、精神的な問題しかない。

 ストーカーという不幸が彼女の精神をそうさせたのか。

 それとも、家族の不幸が起因となったか。

 それはわからないが。

「精神的な不安定が、彼女の夢と現実のバランス感覚を狂わせたのだろうと考えられる」

 悪魔は口元だけでわらう。

 そんな彼を、真鶴は見つめた。

「だがな京斗。実際、そんなことが現実の人間に降りかかりえるのか?

 人間ってのは夢を見る状態と見ない状態を、一晩で何回も繰り返す。人間は一晩に精々一つしか憶えてはいないが、本当は何十と見ているんだろ? 自分に都合のいいものだとか悪いものだとか、そんなものばかり憶えていられるはずがない」

「おいおい。実際、三嶋彰子は夢の後に夢を見たという現実を起こしているんだぜ」

『ビルから飛び降りて腕を折ったという夢を見る夢』……その夢の中では、寝ていたはずなのに腕を折っていた。

 やっと戻ってきた現実では、腕を折っていなかった。

「いくつも見る夢の中では、ハードすぎる夢だとは思わないか?」

「悪夢を見る薬でも盛られてたのか?」

「まさか。三嶋は夢見がちな少女だ。普通の人間では体験しえないほどの不幸をわずか数年で獲得してしまったが故に、現実世界で理想ユメを見過ぎた。だから――悪夢しか見なくなっちまったんだよ」

 およそ信じられる理論ではない。

 実際、そんなことを真鶴が信じるはずもなかった。

 しかし――もし、本当にそんなことがあるのだとしたら…………。

「今日だったわね」

 突然、命里の声が介入した。

 2人の少年は、同時に振り返る。彼女は、事務所の窓の外を見上げていた。

 彼女の退院――。

 命里の声は、夕焼け色に染まる空に広がり消えた。




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