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ギルティス―本能の楽宴―  作者: Blue NOTE(ぶるの)
第一章§夢現流浮
11/16

11 兄妹

 病院から抜け出すと、陽は既に落ちかかっていた。

 この分だと到着する頃には闇に包まれるだろう――真鶴まなづるがそう考えていると、公園が見えた。

 住宅街の狭いスペースにもかかわらず、公園は充実しているように見えた。

 砂場、滑り台、ブランコなどの遊具が所狭しと並べられている。

 ふと、立ち止まった。

 何か珍しいものがあったわけでもはない。だが、引っ掛かりを覚えた。

 公園をしきりに見つめるが、その違和感に気づくことができない。

「公園……」

 公園の入り口付近に立つ真鶴は、後ろを振り返った。

 そこにあるのは何の変哲もない住居。現代風の一戸建てだ。

 表札には『三嶋みしま』と刻まれてあった。

 珍しい苗字ではない。どこにでもある、何の変哲もないものだ。しかしそんな真鶴の意識は、新聞を詰め込まれたポストに集中する。

「偶然だな」

 二階の一室には、ピンク色のカーテンが引かれてあった。中には人の気配がない。きっと閉めたままで忘れているのだろう。

「それとも現場保存か。あそこは自殺未遂事件が起こった場所だからな」

 断定する。

 ここは、三嶋彰子(しょうこ)の現在の住所だ。

 すると彼女が言っていた公園というのは、今、真鶴が背にしているものなのだろう。

 彼女は数日前までここに一人だった。そして、そこに介入してこようと迫る人物がいた。彼女は彼の精神的な圧迫に耐え切れず……手を落とそうとした。

 命を落とそうと考えた。

 ふと見かけただけだが、事情を知った上で見ると、周囲とはひときわ異彩を放っているようにも感じた。

 しばらく、見つめることしかできなかった。

 不幸の続きを演じ、不幸の終わりまでがこの建物内で果てていくことに、かけられる言葉もない。

 と――。

 真鶴は視線を感じた。

 どこからともなく見つめられている気がする。

 意識をそちらへ向けると、そこには電柱があった。等間隔に置かれた電柱の一本は、公園のすぐ脇にある。

「気のせいか」

 それだけ言って、真鶴は歩みを始める。

 電柱のすぐかげが、あかに濡れていることにも気づかずに。



 朝からの晴れ間が嘘のように崩れ落ちてきた。

「雨……?」

 屋根を叩く音に気づき、あやはカーテンを開けた。もうすっかり夏の兆しが差していたはずだったが、今では何も照らすことのできない闇が広がっていた。

 闇は濡れていた。

 しとしとと窓に当たる雨粒は小さい。

 すぐに晴れるようだ。やはり夏が近いのだろう。

 再びカーテンを引くと、ドアが鳴らされた。

 アパートのドアはよく響く。彼女が気づかないはずのない音が部屋中に広がった。

 途端、綾は顔いっぱいに笑みを浮かべて玄関へ向かった。

 そこで、彼女は自分の格好を見る。キャミソールに柔らかな素材のホットパンツ。比較的露出度の高い部屋着だったが構わない。

 もう一度ノックが響く。いつもチャイムを鳴らしてくれと言っているのだが、彼は直してはくれないらしい。

「はぁい。今開けますー……って、わぁ! どうしたの!」

 扉の向こうに立っている真鶴はずぶ濡れだった。この雨に打たれたのだろう。彼はそのままの格好で、濡れたスラックスに手を突っ込んでいる。

「もう、びしょびしょじゃない。どうしてこうなるかなあ、マナくんは」

「仕方がないだろ、さっきまでは晴れてたんだから。ま、たまには濡れるのもいいと思ってな」

 口元に、微妙に浮かんだ笑みから、彼が強がりを言っている風でないことは伝わる。しかし、彼女からしたら心配でたまらなかった。

「もー、こんな時期に風邪なんか引かないでね。待ってて、タオル持ってくるから」

「いらないよ。俺はこのままで……」

 言い終わる前に、綾の顔は真鶴の顔に接近した。

 ずい、と身を乗り出す綾に対し、真鶴の方は身を引いていた。

「それだと私が困るの。びしょびしょのままで入るなんて、非常識だよ。私だって一応女の子なんだから、お部屋は綺麗にしたいの」

「わ、悪い」

 待っててねと念を押して、綾は小走りで奥へと入った。引き出しからタオルを一枚と、念のためにバスタオルも持つ。玄関へと戻る頃には、真鶴は手持ち無沙汰にドアへと体を預けていた。

「すまない、気を遣わせて」

 謝罪の弁を述べる真鶴。その表情は心の底から反省しているようだった。

 綾はピンク色のバスタオルをいっぱいに広げ、彼を上から覆った。

 驚いて声も出ない真鶴。そんな彼をよそに、彼女は彼の頭をわしゃわしゃと拭き始めた。真鶴よりも一段上に立つ綾。彼女とは対照に靴を履いている彼だが、それでも身長は勝てなかった。

「お、おい。自分でするから、放せ、よ……」

 ピンクのバスタオルに揉まれながら、真鶴は懸命に顔を出した。

 すぐ目の前では彼の頭に手を当てている綾がいる。彼の心情とは裏腹に、彼女はにっこりとしていた。思わず、つられて笑ってしまいそうになるほど爽やかなものだった。

「駄目だよ、わがままなこと言っちゃ。ほら、暴れてるといつまでたっても乾かないから。ちゃんとしてて」

 真鶴にしてみればこんな羞恥はない。

 そんな彼の表情を見るのが、綾には楽しくて仕方がなかった。

 嬉しいのだ。いつもはムスッとした彼の弱った姿を見ることが、嬉しい。

 されるがままの真鶴は、恨めしく彼女を睨んでいた。



「三嶋さんの家? うん。知ってたよ」

 風呂を貸してもらいつつ、着替えた真鶴に問われ、綾はにっこりと返した。

 真鶴の服は乾かしている途中だ。エアコンの真正面に陣取っている。しわだらけになることは予想されたが、その時はアイロンでもかけてあげるという魂胆での対処だった。

 ということで、彼は今ジャージ姿である。当然ながら女ものしかないここにある中では、それが一番いいようにとられた。

 彼としてもまさかスカートなど穿くわけにはいかなかっただろう、丈の短いジャージを目にしても迷わず手に取った。綾の思惑は彼の凄まじい察しの良さに敗れることになった。

 テーブルの向こうで綾の作ったパスタを食べる真鶴は、手首まで見えてしまっているジャージを更にまくっている。

「三嶋彰子とは親しい間柄なのか?」

「うーん。そんな言い方をされると、そこまで親しくはないんだけどね。でも、話すことはあるよ。何気ない世間話とか、真面目で事務的な話まで。仲は良いもの」

「じゃあ高崎たかさきのことにも詳しいか?」

「高崎? 高崎慶喜(よしき)くんのことね。うん、知ってるよ。詳しくはないけど。なんでも、三嶋さんがこっちに引っ越してきた時からの仲だったんだって」

 こっちに引っ越してきた。

 それは両親が亡くなり、傷心のままの彼女が歩んで新しい場所を見つけた時の話。

「なるほどな。おそらく、高崎は三嶋の過去のこともすぐに知ったんだろう。その上での付き合いってことか」

「なんだか、理想的な気がする。相手のことを全て知った上で向き合える、って……」

「理想か」

 たしかに、言葉にするとそんなものなのかもしれない。

 だがそれはそのまま理想論でしかない。

 記憶は消せない。実際に植えつけられたものは忘れることができない。身内の、一番近い存在である両親のことともなればなおさらだ。

 現実は消えない。いくら夢を見ようと、夢想と現実とは、どうしても相容れないものなのだから。

「それはそうとマナくん。もう夏だからってびしょびしょになったりしないでね。体を冷やすと病気になっちゃうよ」

「お前こそ、そんな薄着でよく生活できるな」

「私は、家の中だもん。それに、お風呂だってこれから入るところだったし。一番風呂はとられちゃったけどね。誰かさんのおかげで」

「悪かったな。じゃあ早く入れよ、楽しみは減ってるんだろうけど」

「女の子のお風呂を楽しみにしているのは、どっちなんでしょうかねー」

「お前なあ……」

 呆れる真鶴に綾は、あははと笑った。

「冗談だよ。……なんだかお兄ちゃんみたいだな、マナくん」

 いきなり飛び出した発言に真鶴は目を丸くする。その様子を見てとってか、彼女は笑いを含みながら続けた。

「なんだろう。普段しっかりとしてるのに子供っぽさが抜けない、お兄ちゃん」

「それは弟の間違いなんじゃないか。それとも、ガキくさいとバカにしてるのか」

「ううん、違うよ。マナくんには、とってもお世話になってるもん。マナくんといると心が安らぐ。だから、やっぱりお兄ちゃんだよ」

 彼からすると、どこか釈然としない物言いだったが、これ以上追及しても得られるものがなさそうだったので、あえて言及も追求もしないことに決めた。

「そう言えば、三嶋さんにもお兄ちゃんがいたって話だったなあ」

「三嶋に……兄がいたのか?」

 それは初耳だ。ということは、三嶋彰子は交通事故の際、両親と共に兄まで亡くしていたのか。たった一度の事故で、彼女は、2人ではなく3人の身内を奪われたというのか。

 1人の違いは大きな差だ。

 数字の問題ではない。

 彼女は家族を全員失ってしまったのだから。

 いや。

 もしかすると、その交通事故の以前から亡くなっていたという可能性もあるのか。

 真鶴が思案していると、綾は大仰に手を振って否定する。

「あ、ごめんごめん。言い方が悪かったね。その人は、本当のお兄ちゃんじゃないの」

「何? それじゃあ、養子ということか?」

「ううん、それも違う。なんかね、近所に住んでる優しい人だったみたい。年齢が少し上で、よく面倒を見てもらってたから『お兄ちゃん』だったんだって」

「ふうん、なるほど。『お兄ちゃん』ね……」

「でも、こっちに引っ越してからは全然話してなかったらしいけど」

 身内ではない。

 そのことは、あまり事件に関係性はないようだと、真鶴は思考をやめた。

「その影響かな、高崎くんとの関係も」

 ぽつりと呟く綾。真鶴はその言葉に反応した。

「高崎くんってね、とても面倒見がいいの。両親を亡くして、知らない土地に迷い込んだ三嶋さんのこと、すごくよくしてくれたんだって。それは、なんだかお兄ちゃんみたいな感じだった、って……」

 そんなのがとても似合う気がしていた。

 綾はそう言った。

「誰かが支えてあげないと、三嶋さん、なんだか折れてしまいそうで」

「折れる?」

「純粋なんだよね、彼女。心が透き通ってる分、薄いの」

 その吐息はとても儚げで。

 叶うことのない夢を見ているようで。

 敵うことのない現実を見ているようで。

 とても他人のことを言っているようには見えなかった。



 服が乾くのを待って、彼女の家を出た。

 半ば無理やり持たされた傘を見る。やはり迷惑だったのだろうか、と彼は反省した。真鶴にとっては珍しい心境である。

 しかし彼女の気遣いは無駄だったのかもしれない。

 公園に着く頃には、雨はやんでいた。真鶴はたたんだ傘を片手に持っている。

 彼が帰るのは京斗や命里のいる事務所だ。

 そこへ行くまでには、この公園を通らなくともいいのだが、夕方の視線が気になったためか、彼はこうして、再びここにいる。

 小雨だったためか、真夜中の路面はうっすらと潤いの膜を帯びている。

 ふと歩きながら、公園の正面にある家に目がいった。

 柵で閉められた門の向こう――玄関の扉までに続く飛石がある。

 その一つに、真新しい泥の跡が付着していた。




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