第4話 鬼哭の国、挙兵
鬼人族が幾つもの国に分かれて群雄割拠する大国家――ディアヴァロス。
鬼哭の国の落人を危機から救ったヴィクトルは、棟梁であるオロチと巫女姫ハルナの依頼を受けて再興に手を貸すことに決めた。
いきなり先祖伝来の地で挙兵しても、再び鬼滅の国に滅ぼされるのは目に見えている。
オロチは同じく鬼滅の国と対立していた国々に密書を出して、同様にディアヴァロスの名目上の帝王サナトスへも奏上し領地の回復を願い出た。
権威はあれども軍をほとんど持たない帝王サナトスは、最早権威を得るための神輿の状態であった。弑逆されないのは、長い歴史を持ち、全ての鬼人族を生み出したとされる武帝の血統が護られ続けているからこそ。
帝都ディアヴァロスは既に鬼滅の国の支配下圏なので、安全のためヴィクトルも護衛として付き添ったものの芳しい結果は得られなかった。
「めんどくせぇな。無理やり殴りこんで領土を取り返しゃいいだろがよ」
「それができぬから苦労しているのです……」
ヴィクトルの脳筋な提案に、オロチが憂鬱そうに思わずため息は吐いた。
それを黙って聞いていたハルナが補足するように口を開く。
「我が御家は名門レジカゴールの名跡を継ぐ系譜を持つのです。大義名分さえあれば他国を糾合し、立ち上がることもできるのでしょうが……」
「ふーん。なら力を示せばいいじゃねぇか……ここは帝都から遠いんだしよ」
「……!」
何気なく言ったヴィクトルに反応したのは、白髪でいつも眠っているかのように動かない老人ザガンであった。
「ヴィクトル殿、協力してくれると申されたが、その言葉相違ないか?」
「ん? ああ、別に構いやしねぇぜ? あーあれだあれ。行き掛けの駄賃って奴だ」
それを聞いたザガンが意図が読めないと言った表情になるが、すぐに頭を切り替えたようだ。
既にヴィクトルが脳筋なのは、主だった者の共通認識であった。
ザガンがオロチの方へ座ったまま体を向けると、頭を垂れる。
「殿、ここは挙兵するべきかと」
「何……? 急に何を言い出すのだ、ザガンよ」
「はい。既に鬼滅の国と一戦交えたのは事実。その戦に勝利したことを大々的に喧伝するのです。そしてレジカゴールの末裔ここにありと示す刻」
最初は理解が及ばなかったオロチも少し考えて、直ぐに納得したようだ。
鬼哭の国の動向は各国からも注視されており、ヴィクトルが無双して鬼滅軍を破ったことも知っている国もあると思われる。
「……ふむ。だがそうなると鬼滅とはもう1戦する必要がありそうだな」
「そのためのヴィクトル殿にございますれば」
「おう。任せとけって! 俺が戦えば一触即発って奴だ!」
「それを言うなら鎧袖一触だ、このド阿呆!」
ヴィクトルが自信満々に言い放った言葉に、間髪入れずに突っ込んだのはキヌであった。
あまりの大声に評定の間にいた全員が目を見開いて固まる。
すぐにハッとした表情になり謝るキヌであったが、無意識の内に口から吐いて出たのだろう。
「ともかく挙兵せずとも鬼滅の国が、再度攻めてくるのは必定なり」
そう言ったのは蒼い髪をした顎鬚を持つストロスだ。
基本的に寡黙であり冷静な言動を崩すことのない、二刀流使いの男でオロチとは乳兄弟に当たる。
「それくらいは分かるぜ。面子を潰されてそのままって訳にはいかねぇよなぁ……」
「ですが、ヴィクトル殿の御力のみで勝利しても支持は得られないのではありませんか?」
ハルナは1人だけ不安そうな表情で控えめにそう告げた。
確かに勝ち馬に乗ろうとする者は出てくるだろうが、ヴィクトル個人の力に目を向けられ過ぎると、オロチのため、ひいては鬼哭の国のためにならない。
「それはその通りだ。我らは小勢だが地理に明るい。上手く誘引して撃破、そしてヴィクトル殿に畳み掛けて頂く」
早速、軍議は始まり、決戦の地や誘引する方法、戦術に皆が頭を悩ませ始める。
議論は徐々に、喧々諤々と熱みを帯びていった。
そんな中、ヴィクトルは早く戦いたいもんだと1人別の世界へ旅立っていた。
―――
ディアヴァロスを統べる帝室に城などと言うものはない。
あるのは決して堅固とは言えないディアヴァロス御所だけ。
広大な敷地こそあれど防御機構などほとんどないため、攻め込まれでもした場合、その命は露と消えるだろう。
そんな御所の常殿で帝臣の1人が帝王サナトスと密談を交わしていた。
既に夜の帳は降りて、闇に煌めく三日月が空に浮かんでいる。
「陛下……また鬼哭の者から使者が参っておりますがどうされたので?」
「どうするもこうするもあるまい。レジカゴールの名跡を継ぐ者――オロチと言うたか? そのような者を認めるはずがなかろう」
帝臣の言葉に、些かムッとした声色で即座に言い返すサナトス。
その語気は荒く、普段の温厚な彼の口から出てくるとは考えられない。
「それでは、あの実しやかに語られている噂は……」
「可能性があるだけで理由は十分と言うことよ。言わせるでないわ」
「も、申し訳ございませぬ……」
お互いの顔を見ることも出来ない中で、帝臣は慌てて頭を下げた。
そもそも帝王が座する前には帳が存在し、日中でもその顔を拝謁することはできない。
「それよりも鬼滅国が敗れたと言うのは真なのか?」
「それが……そのような話は出ているようなのですが、彼の国は認めておりませぬ」
話題を変えたサナトスだが、彼の関心はあくまでオロチの生死にある。
彼の目的は帝室による国家の掌握だが、それが出来るか出来ないかはともかく帝室の未来を覆す可能性がある以上、放置はできない問題であった。
「使えぬのう……クラーマの忍びは雇えぬのか?」
「彼奴らは鬼滅に付いておりますれば」
「とは言え、敗れたとなれば再侵攻するのは確実であろう。このようなところで追討令なぞ出さぬ」
「ははッ……」
確かに現在も帝室を敬い、忠誠を誓う者も多いが、力を持っているかと問われれば否としか言えない。それに忠義の臣であっても覇権を握れば、サナトスが権力を持とうとすることは許さないであろう。
サナトスは最早恒例となった大きなため息を吐いた。
儘ならない世の中だと。
「会談中、申し訳ございません。東にて急報ありとのこと」
音も立てずに廊下を走り、常殿横で頭を下げる者が現れた。
帝室独自の諜報網を引き受けている忍びの者だ。
「申してみよ」
「はッ……今より10日ほど前、鬼哭の国が極東にて挙兵致した模様」
『何ッ!?』
まさかの報せにサナトスと帝臣の驚きの声が重なった。
有り得ないことが起こった。
オロチのことは鬼滅の国も憂慮していたようで、滅ぼすために全力を傾けていたのは確かだが、鬼哭の国の方から挙兵するなど考えられない。
ディアヴァロス中央部を押さえている鬼滅の国に討伐の名目を与えるようなものだ。
「何があったのじゃ……まさか鬼滅は真に敗北していたと言うことか……?」
サナトスの疑問の呟きは闇夜に解けて消えた。
―――
ガブリエルの復活を終えたレックスは、すぐに転移魔法でセル・リアン王国のザロムスへと移動していた。
宿は魔鋼級探求者に相応しい場所に変えていたのだが、当然最初の安宿に比べると天と地ほどの価格差がある。自身が不在だっただけに何気に勿体ないと思うレックスであったが、エルミナとブリジットの経験のためにも良いかと考え直した。
現在、留守の間のことを2人に聞かせ終えたところだ。
「と言う訳で無事、ガブリエルの件は解決した。迷宮探索を再開するぞ……と言うかお前ら、ちゃんと大人しく観光してたか?」
心配げに尋ねるレックスに、エルミナは微笑みながら答える。
相変わらず、悪魔族なのに天使のような笑みを見せるものだ
「はい。レガリア様。情報収集に徹しておりましたわ。ですが……」
僅かに言い淀むエルミナにレックスは不可解な顔を向ける。
何か言いにくいことでも起きたのかと不安が頭をもたげてくる。
「いやーエルミナちゃん、頑張ってたッスよ。レ――レガリア様に会いに来た人間が結構いたッス」
「ええ、ギルドマスターのエルンスト、〈黄金の狼〉の方々、探求者のリナ・スノークス、他にも知らない探求者までレガリア様を訪ねて参りましたわ」
「リナ・スノークス……? 誰だ?」
何処か懐かしいような気もするが、記憶の奥底に沈殿してしまっているらしい。
流石にレックスが覚えているのは、エルンストと〈黄金の狼〉のメンバーくらいのものだ。
「宿で魔法のスクロールを破ったといちゃもんを付けてきた女ですわ」
「あ、ああ……いたな、そんな奴も。それで内容は何だ?」
エルミナは当時のことを思い出したのか、険のある物言いだが表情自体は変わることはない。
言われてようやくレックスは、リナの顔を思い出す。
一応、彼女には借りがあることも。
「はい。エルンストはリーンの大森林と言う針葉樹林が広がる秘境の調査依頼でしたわ。リナは王都リアンの貴族調査のお誘い……と言うより命令。〈黄金の狼〉は地下迷宮の再挑戦ですわね」
リナの話の辺りで、若干、エルミナの声が低くなったが『命令』と言う言葉から彼女が苛立ったでろうことは想像に難くない。
「やることが多いな。取り敢えず明日にでも会っておくか……だがリナは気になるところだ。(セル・リアン王国内の貴族同士の権力闘争か? だとしたらあまり深く足を突っ込みたくもないな)」
「やったッス! やっとレガリア様とお出かけできて嬉しいッスよー!」
考えていたレックスにブリジットが飛び付いてくる。
こう言った反応をしてくれる存在に、思わず心が温まるのを感じていた。
今のところ、〈黄昏の帝國〉に彼女のように純粋な好意を親しげに示してくれる者はいない。
レックスがブリジットの頭を優しく撫でてやると、抱きついていた彼女が体を離して物珍しげな視線を向けてくる。
「レガリア様らしくない態度ッス……」
「気にするな、ブリジット。俺にも色々とあったと言うことだ。後、これから普段は俺のことはレックスと呼ぶように」
既に守護者たちにはそう伝えたのだから問題はない。
それに、レックスは家族同然の仲間として付き合っていきたいと今も強く感じる。
ガブリエルを復活させた時の気持ちに変わりはないと言うことだ。
「!? 何で……ッスか!? いいんスか、レガリ、レックス様!」
「普段だけな? 誰もいない時だけだぞ? 探求者の時はちゃんと偽名で呼べよな?」
「分かったッス! わーーーい!! レックス様! レックス様! レックス様!」
無邪気に喜びながら再び抱きついてくるブリジットを目を細めてレックスが見る。
何処まで分かっているのかは知らないが――
レックスは自身をジッと見つめてくる視線を感じて、そちらに目を向けた。
エルミナが頬をぷっくりと膨らませて羨ましそうに、そして悔しそうに立っている。
「エルミナ、こっちに来なさい」
相変わらずの自分の気の回らなさに辟易しながらも、レックスがエルミナに呼びかけると、おずおずと近づいて来る。
目の前まで来た彼女をそっと抱きしめると、その体が強張っているのが分かった。
緊張を解きほぐすべく、レックスはその美しく輝く金色の髪を撫でながら穏やかな声を掛ける。
「スマンな。エルミナ。留守の間、よくやってくれた。これからも頼むな。俺を支えてくれ」
その言葉を聞いてようやくエルミナの体から力が抜けて、彼女はいつもの微笑みを取り戻した。
レックスたちは久しぶりの再会で、夜通し平凡な会話に華を咲かせた。
彼女たちにとって如何に外の世界が新鮮かが十分すぎるほどに伝わってくる。
2人と別れた後に、【伝言】でレックスが「人間社会を楽しんでみろ」と言ったことに間違いはなかったようで感動、驚き、疑問、愚痴など様々な言葉が飛び交った。
エルミナは律儀にも時々、情報収集した内容を混ぜてくる辺り、彼女らしいと思わされたものだ。
この一見ほのぼのとした会話の中に潜む重要な情報に、レックスたちはまだ気付いていなかった。




