9. 大きくて冷たい手
温かいものに包まれている。
でも、寒い。
体が鉛のようでうまく動かせない。
重い瞼をどうにか上げると、ベッドに寝かされていた。
部屋にはグレンさんの他に、白くて長い服を着た男の人がいて、何か話している。
グレンさんはわたしが目を覚ましたことに気付くと、すぐに近くまできてくれた。
額に乗せられた大きな手が冷たくて気持ちいい。
別の世界から来た人は具合が悪くなることがあって、わたしも恐らくそれだろうって。
「とにかく今は寝てろ」
グレンさんは短く言うと部屋を出て行ってしまった。
一人になるのは嫌だったけど、頭がボーっとして、瞼も勝手に落ちていく。
意識はすぐに暗闇の中に沈んでいった。
──カンカンカン!
ものすごい音が聞こえる……。
火の見櫓の鐘の音……?
廊下からバタバタと慌ただしい音が響く。
目を開けると、鎧をしっかり着込んで剣を佩いたグレンさんの姿。
肩には白く光る蝶が止まっている。
蝶がふっと消えると、グレンさんがわたしのところにきた。
「急ぎの仕事が入った。お前はここで寝てろ、いいな?」
え……やだ……。
いかないで……。
思わずグレンさんの手を握ると、反対の手がわたしの頭にぽんと乗る。
少し困った顔のグレンさん。
すぐ戻る、と小さく聞こえたかと思うと、今度こそ部屋から出て行ってしまった。
外は真っ暗、きっと真夜中。
窓の外では光珠がチカチカしている。
何があったのかな……。
グレンさんが出て行って、どのくらい経ったんだろう。
ちっとも眠れない。
胸の中がざわざわと嫌な感じがして、心臓がずっとうるさい。
重い体を引きずるように部屋の扉を開けると、いつもと変わらないはずの廊下に人の気配が感じられなかった。
グレンさんを探して、初めて一人で詰め所の中を歩く。
たしか、こっちの階段を降りると……広間、だよね。
こっそり覗いてみるけど、やっぱり静か。
いつも聞こえる話し声もない。
「お、どうした? こんな時間に」
後ろの暗い廊下の方から声を掛けられて「ひゃっ」と変な声が出る。
「悪い悪い、驚かせたな。……もしかして、グレンのとこの子か?」
軽く笑う声に振り返ると、鎧を着た人が立っていた。
優しそうだけど体はやっぱり大きい。
山吹色の髪をふわりと揺らしたその人は、わたしと目線を合わせるように屈む。
「俺はリカルド、グレンの同僚だよ」
「サクラです。あの……グレンさんは……?」
「あぁ、ちょっと仕事にな。東の森に行ってる」
東の森?
こんな真っ暗なのに?
仕事で?
「グレンなら大丈夫だよ。魔獣なんてすぐ片付けて帰ってくるさ」
わたしを安心させるように笑顔で話すリカルドさん。
でも……。
魔獣って、たしか危険な動物だよね?
……わたし、そんなの聞いてない……。
わたしの反応を見てリカルドさんが何か察したように言葉を繋げようとする。
「あ、いや……って、こら、君は行っちゃダメだ」
詰め所から出て行こうとしたけど、あっさり捕まってしまう。
離して、と体を捩るけど、全然離してくれない。
「いいか? 今、外は危険なんだ。君に何かあったらグレンだって悲しむ……わかるだろ?」
わか、る……わかるけど……。
でもグレンさんだって危険な目に……。
そのとき広間にバタバタと人が入ってくる。
怪我人を運んできたみたい。
「こんなときに……! ちゃんと部屋に戻るんだぞ、いいな?」
わたしに背中を向けながら怪我人の対応に向かうリカルドさん。
わたしは静かに廊下に出ると、そのまま一気に外へ走った。
振り返っちゃダメ。
もっと速く……とりあえず門の外へ……。
城門の手前までくると、広場は喧騒で満ちていた。
走り回る人、怪我人の手当をする人、大きな声で何か指示を出す人、たくさんの鎧と外套が行き交う。
静かに壁際を歩き、走る人の陰に隠れるようにして門の外へ出たわたしは、グレンさんを探すために森へ向かった。
熱なんて気にしない。
体が重いのだって、へっちゃら。
今はただ、グレンさんに会いたい!
月明かりを頼りに草原を走って、松明がぼんやり見える森の入り口を目指す。
たまに森の中が赤く光ったり、青白い稲妻みたいなものが疾るのが見えた。
グレンさん、あの中にいるの……?
やっと森の近くまできた。
森の奥からは獣の吠える声や何か爆発するような音が重なって、地を這うように響いてくる。
他の人に見つからないように、松明の近くには寄らずに、木や草を掻き分けながら森に入る。
月明かりが木々の間を揺れ、光珠のかすかな光が真っ暗な森の奥へと差し込む。
浴衣と下駄よりは歩きやすいけど、それでも寝間着の裾がどんどん汚れていく。
何回か転びそうになったけど、どうにか耐えた。
このまま進めばグレンさんに会える。
でも、グレンさんはこの広い森のどこにいるの?
もし……もし、会えなかったら……?
ふと我に返ると、一気に不安が押し寄せる。
膝がガクガクして、体に力が入らない。
ハァハァと息が切れて苦しい。
立ち止まって周りを見渡すけど、どこも景色が同じ。
今自分がどこにいるか、わからない。
……ううん、弱気になってる場合じゃない。
グレンさんに会うんだ。
額の汗を拭って顔を上げたとき。
ガサガサッ。
茂みから現れた、大きい狼のような黒い影。
四つの真っ赤な目がわたしを捕らえている。
これは……魔獣……。
喉が詰まったように、声が出せない。
魔獣が一歩また一歩と近付いてくる。
低く唸ったかと思うと、赤い目をギラつかせ、咆哮を上げながら飛び掛かってきた。
グレンさん……助けて……!
声も出せないまま蹲り、痛みと衝撃を覚悟する。
…………?
痛みが、こない……?
ゆっくり目を開けると、魔獣の姿がどこにもない。
……わたし、助かったの……?
魔獣のいた場所で影が揺れる。
もしかして、とよろけながら立ち上がった。
でも、その期待と希望は、あっさり打ち砕かれた。
バギッボギッと“何か”を噛み砕く不快な音。
木の間から差し込む月の光に照らされたのは、先程の何十倍も大きな魔獣……。
大きな尻尾がずるりと動く。
ゴキュンと“何か”を飲み込むと、わたしの方に体の向きを変えた。
巨大な影が森を揺るがす。
二股にわかれた舌がちろりと覗く。
鋭い牙が、ギラリと光った。
うそ……もうダメ……グレンさんっ……!
膝から崩れ落ち、ギュッと目を瞑る。
「──……!!」
何か聞こえた気がしたかと思うと、轟音とともにその巨大な影が倒れる。
……え……?
倒れた魔獣の向こうに見えた影に、目を奪われた。
ここまで読んでくださって、ありがとうございます。
体調が悪い中頑張ったサクラ、絶体絶命です……!
自分の体の何倍も大きな敵を目の前にするって、人生でなかなか無いと思うのですが……怖いですよね。
ではまた次回、お会いできますように。




