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25. 濡れた手拭い


ふわふわ。


「……ハァ……ったく……」


低くて心地いい声。

膝と背中の下に感じる太い腕。


揺蕩う意識の中、ゆらゆらと体が揺れている。

でも不安定な感じは全くしない。


目を開けたいのに、開けられない。


──グレン……。


小さく呼んだはずの名前は、声になっていたのかな……?


重い瞼を持ち上げると、見慣れた自分の部屋。


ベッドの横の小さい棚には、水差しとコップ。

それから小さい椀に入った濁った緑色の液体。


まずそう……。


うぇ、と顔を背けると、額から生温くなった手拭いが滑り落ちた。


胸の辺りまで掛けられた毛布。


顔や体は火照っているのに、足先はものすごく冷たい。

暑いのか寒いのか、よくわからない。


「あ、目が覚めた?」


部屋の入口から聞こえる、女の人の声。

生理になったときに、いろいろ教えてくれた医務官さんだ。


ゆっくり部屋に入ってきて額の手拭いを新しいものに交換してくれた。


冷たくて気持ちいい……。


「サクラちゃん、熱で倒れたの。……覚えてる?」


「ええと……はい、何となく……」


「最近急に寒くなったから、風邪引いたのね」


エイルメーアに来て初めての風邪。


鼻水垂れてるよ、と医務官さんが小さく笑って、薄い紙をくれた。


そうだ。

せっかくだから、あのことも聞こう。


あの、と医務官さんを呼んで、最近おかしいことを話す。


風邪の引き始めだったからおかしかったの?

それとも、今度こそ、重い病気だったら……。


医務官さんは、はじめは目を丸くして、少しずつ笑顔になりながら、一つ一つ言葉を選ぶように話す。


「ねぇ、サクラちゃん。ウォルヴィーゼさんのこと、どう思ってる?」


「……ウォル、ヴィーゼさん、って……グレンのこと、ですか?」


「ええ、そう。……サクラちゃんの保護者、たしかグレン・ウォルヴィーゼさんだったよね?」


グレンってそんな名前があったんだ……。

わたし、“グレン”しか知らなかった……。


いろんな感情が、ぐるぐる回る。


ここで聞かなかったら、わたし、ずっと知らないまま過ごしてたのかな?


何でグレン、教えてくれなかったの?

みんな、どうして「グレン」としか呼ばないの?


どうしてわたし、グレンのこと……もっと自分から知ろうとしなかったの……?


夕方に近付く空と同じように、わたしの心も少しずつ傾いていく。


「……サクラちゃん?」


「……あ、はい……すみません……そうです」


目を閉じて、息を一つ、長くゆっくり吐く。


わたしは、グレンのこと、どう思ってるか。


感謝。

まず出てくるのがこれ。


尊敬とか憧れもある、かな?

あと、わたしのことを見捨てないでくれるっていう、絶対的な信頼みたいなのもある。


……それと、他には……。


──コンコン……。


グレンのとは違う、少しゆっくりなノックの音。


「……サクラさん、入っていいですか?」


この声、アレンさんだ。


「あ、はい……どうぞ」


ゆっくりと部屋に入ってきたアレンさん。

お疲れさまです、と声を掛けられた医務官さんの頬が染まる。


「倒れたと聞きましたが……具合はどうですか?」


「ちょっと鼻水と、あとは熱があって……」


「うーん……風邪、ですね」


魔力の流れに変化はなさそうですよ、とアレンさんが続ける。


「グレンが血相を変えて私を呼びに来たんです」


「……え?」


グレンが?

何で……わたしのこと、怒ってないの……?


これまでの自分の態度を思い出して、嬉しさの隙間から苦い気持ちが滲み出てくる。


でもその苦さの奥にある、じんわりした温かいもの。


これは何だろう。


「……ふふっ」


吹き出すように口元を押さえて、アレンさんが小さく笑った。


「すみません……サクラさんの百面相が可愛らしくて、つい」


「わたし、そんなに変な顔してましたか……?」


「そんなことありませんよ。でも……何かお悩みのようですね」


ちらりと視線を向けられた医務官さんは赤い顔のまま「また後でね」と言うと部屋を出て行った。


せっかくだから、アレンさんにも聞いて貰おう。


ついさっき医務官さんにしたのと同じ内容をアレンさんにも話す。


アレンさんもはじめは目を丸く、次第に優しく細めながら静かに聞いてくれた。


「……なるほど。サクラさんの言葉を聞いていると、答えは、もうどこかに見えている気がします」


でも、と続ける声は外の夕陽みたいに柔らかい。


「それを“答え”と呼ぶには、もう少し時間が必要かもしれませんね。……焦らなくていいですよ。きっと、ちゃんと辿り着けますから」


いつも柔らかい話し方のアレンさんは、難しいこともわかりやすいように教えてくれる。

でも今のは、これまでで一番掴みどころのない内容だった。


「それを掴むのは、きっとサクラさん自身の手、ですね」


わかったような、わからなかったような……。


胸のどこかで、少し何かが動いたような……。


答えは見えているけど、もう少し時間が必要?

……でも、ちゃんと辿り着ける?


なぞなぞみたい。


答えが知りたいけど、ニコニコと笑うアレンさんはこれ以上わたしに何か教えてくれる気はないみたい。


「っふ……」


アレンさんが何か堪えるように笑う。


「サクラさん、その顔……グレンにそっくりです」


「ええっ!?」


これ、前にガルドさんにも同じこと言われたよね!?


慌てて眉間に手をやる。


「わたし、もうシワになってますか!?」


「まだ大丈夫ですよ……まだ、ね」


くつくつと冗談めかすアレンさんをじとりと見ると、今度こそアレンさんが笑った。


「“だんだん似てくる”と、言いますし……」


「……え?」


「おっと……では、私はこの辺りで。サクラさん、お大事にしてくださいね」


何かに気付いたようにアレンさんが立ち上がると、扉が鳴った。


──コンコン。


このノックは……いつもの……。


わたしが返事をする前に扉が開く。


「おや、グレン、タイミングがいいですね。彼女、ほんの今目が覚めたところですよ」


魔力酔いではなく風邪のようです、とグレンに伝えながら、わたしに小さく目配せするアレンさん。


アレンさんが出て行くと、さっきまでの和やかな雰囲気はどこかへ消えてしまった。


何となく気まずい橙色の中、静けさだけが響く。


外の訓練場から聞こえてくる剣の音は、ちっとも気休めにならない。


「……ったく」


沈黙を破ったのは、グレンだった──。


ここまで読んでくださって、ありがとうございます。

グレンの本名、ついに(?)登場しました。

グレン・ウォルヴィーゼでございます。

口に出していて何度も噛みました、はい。

ではまた次回、エイルメーアでお会いできますように。

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