24. 小さな笑顔
見間違い?
ううん、そんなことない。
グレンが、ほんの一瞬……でも、たしかに笑ってた。
たったそれだけのこと。
でも、胸のずっと、ずーっと奥の方で、何かがじんわりと溶けていくみたい。
グレンの、笑顔……。
よく見たいのに、ぼやける視界が邪魔する。
袖でぐしぐしと涙を拭って、急いで顔を上げる。
目の前にいたのは、いつものグレン。
「ね、ねぇ、グレン……」
「……あ?」
「今、笑った……?」
「は?」
何言ってんだコイツ、とでも言いたげな目で見られる。
「とりあえず……俺は朝の訓練に行ってくる」
お前もさっさと着替えろ、と言うとグレンは階段を降りて行ってしまった。
「…………いひゃい……」
夢だったのかな、とほっぺを抓ってみる。
ちゃんと痛い。
皺になった臙脂色を翻して歩いて行った後ろ姿。
──かっこ、良かった……。
いそいそと朝の支度を終えて、いつも通り寮の掃除を始める。
廊下を掃きながら、窓を拭きながら。
さっきの笑顔だけが、何度も頭に浮かぶ。
笑って、た……よね……?
「おーい、サクラちゃん。どうした?」
「……はい?」
「ずっと同じところ拭いてるみたいだけど……」
「あ、え……えっ!?」
掃除番の見習いさんの言葉にハッとする。
掃除、全然進んでない……!
急いで掃除を終わらせて、厨房へ走る。
「おう、どうしたサクラ、遅かったな」
まだ調子が悪りぃのか、と気遣ってくれるガルドさんにもう何ともないことを伝えて、仕込みの手伝い。
言われた通りに野菜を洗って……。
「おいサクラ……お前、手を洗いに来たのか?」
「……はい? ……あっ!?」
洗っていたはずの野菜は全て桶の底に沈んでいる。
豪快に笑ったガルドさんに謝ると、気を引き締めて野菜の泥を綺麗に洗う。
それにしても。
グレンって、あんな風に笑うんだ……というか、グレンが笑ったの、初めて見た……。
「おいサクラ、お前どこかき混ぜてんだ?」
「……え? ……す、すみません!」
スープの鍋をかき混ぜていたはずなのに。
お玉はいつの間にか鍋の外側をぐるぐると回っていた。
「いや、いいんだが……無理すんなよ?」
「は、はい……」
ガルドさんの目に本気の心配が宿っている。
今度こそ、汚名返上しなきゃ。
次は料理の盛り付け。
ガルドさんが焼いた肉を乗せるお皿に、葉物野菜を千切って置いていく。
そういえば。
グレンにお礼を言われたのも初めてだった。
あんなに不格好な縫い物だったのに……あんなに柔らかい表情で……。
「サクラ……そりゃ鳥の餌か?」
「……あぁっ!?」
平たいお皿の上に広がる、バラバラになった野菜。
ガルドさんがみじん切りにしたスープの中の根菜より、よっぽど小さい。
これじゃスプーンで掬わないと食べれない。
「……サクラ……」
ガルドさんの目が、心配を通り越して哀れみ一色に染まった。
「今日は昼飯食ったら休んどけ」
そう言われた瞬間、昼の鐘が鳴る。
一気に騒がしくなる食堂。
喧騒に飲まれてわたしもバタバタと動く。
ほわーっとしていた頭が一気に冴えた。
人の波が少し落ち着いた頃、グレンが食堂に入ってくる。
レオンさんと何か話してる、けど……。
その存在を意識した瞬間、なんとも説明し難いドキドキに襲われる。
何、この感じ……?
ひらひらと手を振るレオンさんに、わたしはちゃんと手を振り返せてる?
どんな顔をして二人を、グレンを見ればいい……?
一瞬グレンと目が合う。
か、顔が熱い!
すぐに目を逸らしたのを不審に思ったのか、グレンが近付いてくる。
つかつかと鳴る足音。
どくんどくんと鳴る心臓。
二つの音だけがやけに響く。
「……お前、熱でもあんのか」
「へっ?」
裏返った素っ頓狂な声に驚く。
「顔赤けぇぞ」
「な……何でもないっ!」
なぜかガルドさんの後ろに隠れてしまった。
「何だお前ら、喧嘩でもしたのか?」
「し、してません!」
「……してねぇよ」
重なる声。
「わ……わたし、お皿洗ってきます!」
きょとんとした二人を残して戦線離脱。
挙動不審なのはわかってる、でも今は無理。
なぜかグレンの顔を見れない、話せない。
おかしい……やっぱりわたし、どうかしてる。
今度こそ本当に病気なのかな……。
外はだいぶ涼しくなってきているはず。
みんなも夏ほど暑そうにしてない。
それなのに、わたしだけこんなに熱いなんて。
ちらりと目だけ動かして食堂を見る。
食堂の真ん中辺りのテーブルで、レオンさんとグレンが厨房の方を向きながら食事をとっている。
ニコニコ、いや、ニヤニヤとこちらを見ながら何か喋るレオンさん。
グレンは軽く首を傾げながら何か返している。
これは……レオンさんに聞けば何か知ってるのかな。
でもグレンはいつも「アイツに聞いてもロクなこと言わねぇ」って言ってる。
それについては概ね同意だけど、今回はグレンには聞けない。
だって、グレンを見るとおかしくなるんだもん。
……と考えていると、ふとグレンと目が合う。
ガシャン!
お皿が一枚、犠牲になった。
「うわっ……すみません、ガルドさん!」
「気にすんな、怪我はねぇか?」
ほら、やっぱりおかしい……。
結局その後、お皿を十枚以上犠牲にしてしまった。
「サクラ、これ以上割られると食堂の皿がなくなっちまうぞ! ……ハッハッ、冗談だ! 今日はもう上がってゆっくり休め!」
手伝いに来てるのに、逆に迷惑かけちゃった……。
ガルドさんが怒らないでいてくれることに、不甲斐なさが増す。
ぺこりと頭を下げて厨房から出ると、銀色の壁。
顔を上げなくてもわかる。
でも、ゆっくり顔を上げる。
「……やっぱ調子悪りぃんじゃねぇか」
まただ……。
「部屋まで一人で戻れるか?」
顔が熱い……。
「……おい」
体も熱い……。
……ん?
本当に熱い?
「お前……風邪か?」
「ええと……どう、だろう……?」
一瞬の間の後、視界の上半分が隠れた。
ひたっと冷たいものがおでこに当たる。
「……〜〜っ!?」
「やっぱ熱ちぃな……」
ほら、と手を差し出される。
すぐに反応できず、見つめていると「転ぶと危ねぇだろ」と上から声が降ってきた。
思わず顔を上げると、窓からの光を受けて少し明るく見える、澄んだ琥珀色と目が合う。
……ああ、そうか。
わたし──。
そこでわたしの意識は途絶えた。
ここまで読んでくださって、ありがとうございます。
昼過ぎの活動報告にも書いたのですが、先週更新の第二十三話、大変なことになっておりました……!
今は修正したものを載せてあります。
これからも見捨てずに、そしてサクラとグレンの物語を楽しんでいただけたらと思います。
ではまた次回、エイルメーアでお会いできますように。




