第一部 迷宮脱出篇 その7
鉄太郎「う~ん」
山人「電動ドリルの刃先を原木の樹皮に対してまっすぐにする。そう。そしてゆっくりトリガーを引く」
ウィーンッ!
鉄太郎「こう?」
山人「向きはそのままでいい。もう少し深くまで掘らないと駒菌は刺さらない」
鉄太郎「わかった!」
ウィーーンッ!
山人「それくらい」
鉄太郎「ふう。やっと3個開いた」
山人「その調子で頑張って。自分の力で穴をあけていこう。では次、お父さん」
蟇目「あ、はい!お願いします」
山人「なんですか?これ」
蟇目「あ、いやその。なんていうのか、お礼かな」
山人「お礼?」
蟇目「うちの息子がいつも君の世話になってるから。ほんの少しだけど……」
山人「ここでの仕事は休日のボランティア指導員だけですから、気にしないでください。ですのでこのお金は受け取れません。気持ちだけで充分です」
蟇目「いやいや。鉄太郎が君に懐いて迷惑をかけているのは知ってる。あいつが放課後、君にいつも虫採りに連れて行ってもらっていると、近所の人から教えられた」
山人「そうですか。でしたらこのお金で虫採り網や標本作成キットなどを買い与えてください。俺のハンドメイドだとその分俺の時間が奪われます。いずれにしても俺に気遣いは不要です」
蟇目「そうか。……何から何まで、気が利かなくてすまない」
山人「いいえ。都会から引っ越してきたばかりで、田舎の生活に馴染むのは大変でしょうから、お子さんに気が回らないのは仕方がないと思います」
蟇目「そう言ってもらえると、本当に救われる」
山人「救……そうですか」
蟇目「なぁ、もしよければなんだけど、聞かせてもらえないか?」
山人「何を、でしょうか?」
蟇目「君は鉄太郎を虫採りに連れて行ってくれる際、アイツとどんな話をしているんだい?」
山人「話?」
蟇目「ああ。鉄太郎はその、私にはほとんど何も話してくれない」
山人「彼と話、ですか。夜の森に昆虫を捕りに行くだけなので、動物の生態について以外は、あまり話しません。音がすると昆虫など色々(いろいろ)逃げてしまいますので」
蟇目「そっか……」
山人「ただ、なんとなくですが」
蟇目「?」
山人「助けて」。
蟇目「………」
山人「いつもそう、鳴いているような気がします。クワガタムシの幼虫のように」
蟇目「……そうか」
山人「虫は美しい。命以外何も持ち合わせていないから。命を繋ぐこと以外、眼中にない」
蟇目「……」
山人「それで、あなたは?」
蟇目「……ふう」
蟇目「仕事も家庭も、毎日が単調でつまらない。何か刺激が欲しかった。とはいえ金をつぎ込んでスリルを味わうギャンブルには興味が湧かないし、酒も体が受けつけない」
山人「……」
蟇目「システムエンジニアなんてやってるから、仕事の延長戦みたいなEスポーツはやりたくないし、何かの収集癖もない。旅行も人混みが苦手だから好きじゃない。だからとりあえず、筋トレでも。そう思ってフィットネスジムに通い始めた」
山人「……」
蟇目「単純に汗を流し肉体が疲労すればこの鬱憤はいつの日か晴れるだろう。本当にそれくらいにしか考えていなかった」
山人「……」
蟇目「ジムマシンの揃う部屋の隣のスタジオでは、ダンスのレッスンをやってた。結構激しい動きをして代謝を良くするやつだ」
山人「……」
蟇目「そこで、彼女を見つけた」
山人「彼女?」
蟇目「本当に一目惚れだった。何が何だかわからない。まるで、強い雷に打たれたみたいに思考が停止してしまって、ただ彼女に見とれた」
山人「……」
蟇目「ジムに通い続けるうちに、我慢ができなくなって、声をかけた。相手はまだ高校生だった」
山人「……」
蟇目「学校が終わった後、ジムで他人に混じりダンスを踊り、汗を流した後は帰宅してひとり夕飯を食べ、学校の宿題をする。それが彼女の毎日。彼女の日常」
山人「……」
蟇目「それを、俺は壊した」
山人「……」
蟇目「彼女がジムから上がるころを見計らってファミレスに誘い、少しずつ、俺たちは会話を重ねた」
山人「……」
蟇目「上流階級の親の見栄のため、幼い頃から自分らしさを封じられて育ったこと。そのせいで人と歩調を合わせるのが苦痛で、学校でも孤独であること。独りでいることの不満や不安を解消するためにジム通いを、仕事漬けで家にろくに帰ってこない両親に申し出たこと。そして心の中に埋められない隙間を絶えず感じていること」
山人「……」
蟇目「俺はそこまで彼女のことを知った時、強く思った」
山人「自分ならその隙間を埋められる……ですか?」
蟇目「ああ。言葉にすると、なんとも陳腐だ」
山人「……」
蟇目「しょうもないな。彼女より年下の、それも中学生の君にこんな話をしてしまうなんて」
山人「これ以上は聞かない方が良いですか?」
蟇目「いや。……鉄太郎の恩人の君には、最後まで懺悔させてくれ」
山人「……」
蟇目「俺は彼女と、とうとう一線を越えてしまった。後戻りできない関係にまで進んでしまった。意味は、分かる?」
山人「多少は分かります」
蟇目「俺も、その少女も、真剣だった。けれど俺には既に子どもが二人もいる。妻もいる。要するに、俺は悪い奴だった」
山人「……」
蟇目「彼女の両親が彼女の異変に気づき、俺に罰を下そうとした。警察に被害届が出され、俺は逮捕。そして拘留。でも、無罪」
山人「有罪にならなかったのは、証拠不十分が原因ですか?」
蟇目「法律にも詳しいのか君は………未成年の少女を性欲の道具に利用している証拠を得られず検察は不起訴……法廷後に弁護士から教えられた。当然だ。俺はそんな目であの子を見たことなんてない」
山人「ではあなたはなぜあなたを〝悪い奴〟と言うのですか?」
蟇目「……大騒ぎになって、あの子は嫌というほど世間の注目を浴びた。それでさらに精神を病んだ。だから俺は悪い奴だ。それに俺は自分の家庭をボロボロにした。妻も娘も俺とは一切口をきかなくなった。当然だな」
山人「……」
蟇目「末っ子の鉄太郎も、俺のせいだ。裏切ったことはもちろん、俺と妻、俺と娘が毎日のように家の中で口汚くののしり合っているせいで、幼いアイツの心は傷ついた。小学校から「誰とも全然口をきかない」と連絡されて思い知った。俺は俺の衝動で何もかも壊してしまったと」
山人「……」
蟇目「世間体を気にした妻は離婚ではなく慰謝料と子どもの養育費、別居生活を求めてきた。娘も当然妻についていく。鉄太郎も妻についていくと思った。けれど鉄太郎は何も言わない。体をこわばらせて、動かず、ただじっとしている。一言も話さない」
山人「……」
蟇目「妻は鉄太郎の治療費も俺に要求した。……困り果てた俺はそして、ここを知った」
山人「はぁ……治療目的の山村留学は、正しい利用法とは言えないと思いますが」
蟇目「それは、知っていた。断られるのを承知で転校を頼んだが、家族でこの地に転居するなら、という条件で認めてもらえた」
山人「家族……」
蟇目「そう。家族じゃない。家族の半分だ。しかも死んだフリをした息子と、死なせようとした父親だ。まともな家族じゃない」
山人「……」
蟇目「……」
山人「終わりですか?」
蟇目「いや。始まりだ」
山人「え?」
蟇目「息子の山村留学で俺の人生まで好転するなんて、そんな都合のいいことは考えていなかった。けれどこの村は、こんな俺にさえも優しい」
山人「……」
蟇目「買ったばかりのランドセルみたいに綺麗なこの村に、俺を知る人はそもそもいない。そして俺を知ったところでどうこうしようという人も今のところいない。俺は悪い奴に変わりないけれど、それを責める人もまだ現れない。この村の人はみな若々しく、誰も彼も、村の活性化のために目を輝かせていて、俺みたいなつまらない奴の過去を穿り回す物好きなんて現れない」
山人「……」
蟇目「そして何よりの好転は、鉄太郎が君に巡りあえたこと」。
山人「……」
蟇目「息子は君のおかげで少しずつ心の傷を癒し、外に向けてきっと開いてきている。君に出会えなければ、あんなに生き生きした子どもには戻れなかったと思う」
山人「どうでしょうね」
蟇目「だから改めてお礼を言いたい。本当にありがとう」
山人「俺は彼に、動物とは何かを少し教えただけです」
蟇目「謙虚だな。君はここの生まれなのか?」
山人「いいえ。遠くから引っ越してきました。俺が小学生の時です」
蟇目「家族と一緒に?」
山人「はい。妹と二人で。両親は二人とも引っ越す前に、事故で亡くなりました」
蟇目「そうか。余計なことを聞いてしまった。気を悪くしないでくれ」
山人「いいえ。たいしたことではないので気にしないでください」
蟇目「…………両親は、良い人だったか?」
山人「さあどうでしょう?それを見極める前に俺は両親を失っていますから」
蟇目「そうか」
山人「少なくとも、妻子持ちなのに未成年の少女と真剣交際していたという話は聞いていません」
蟇目「キツイな、君は」
山人「事実を述べただけです。俺は両親の贅肉は覚えていますが、心の贅肉までは覚えていません」
蟇目「……鉄太郎がどうして君に懐いているのか分かった気がする」
山人「どういう意味でしょう?」
蟇目「君には際限がない。あるのかもしれないけれど、まるで分からない。命しか持ち合わせていない虫がひたすら飛んだとしても、たどりつけないほど広い。虫がひたすら命を増やし続けても、溢れないほど深い。そしてその中に〝何か〟をたくさん秘めている」
山人「……」
蟇目「だから鉄太郎はきっと伸び伸びできて、充実できて、君に心を開き、慕うのだろう。頼もしい父の背中を無垢な子が追うように」
山人「……」
蟇目「話が長くなった。すまない。でもとにかくありがとう」
山人「礼を言われるほどのことはしていません。……それと」
蟇目「?」
山人「彼が俺に懐いてくるのはたぶん、俺と似ているところがあるからだと思います」
蟇目「似ている?」
山人「はい。彼は山に入り、俺と遭遇し、そのことに気づいた」
蟇目「……」
山人「山は公平です。生と同じ量だけ死がある。それが山」
蟇目「……」
山人「そして彼は敏感です。生の中で、破壊と創造のどちらが先に起きているのかまで、見えている」
蟇目「?」
山人「破壊しなければ創造できない。誰かに壊される前に自分で自分を先に壊し、自分を創りなおすことで、本来訪れるはずだった崩壊に抗う。それが生。抗えなくなった状態が死。それが彼には見えている」
蟇目「……」
山人「とはいえ山にいつまでもいると、見なくてもいいものまで見えてしまう。山は境界線があやふやですから」
蟇目「境界線?」
オニイチャーン!
蟇目「あ、鉄太郎」
山男「〝こっち〟と〝あっち〟を隔てる境界線。それがあやふやだから生まれる、死に近い生と、生に近い死。簡単に言えば、死んだフリと……」
鉄太郎「マソラお兄ちゃん!今日も虫採りに行こ!」
永津真天「……話の途中ですが、失礼します」
蟇目「………」
鉄太郎「マソラお兄ちゃん!今日はどこに連れてってくれるの?」
永津真天「そうだね。また〝あっち〟に行ってみようか」。
7. 秘宝ウゴエ
ボリッボリッボリッボリッ。
《報告。死んだフリ所持者がナルカミゴーレムの核石を捕食。核石に保存されたヤギヘビの記憶を死んだフリ所持者へ転送中。転送完了》
なんだろう、この味。
「ピノンさん!テツタロウのように惚けている場合ではありません!震戦苑流奥義。壱の型、肺喘身巡!!」
ズドンッ!!!
「ムウウウウウウーーッ!!」
「ぼおっとなんてしてないですから!風錐アオアラシ!!」
ビュボォ――ンッ!!
「ウウウッ!ムム!」
バシイイイイイイイイイッ!!!!
「それとテイザキさんのこと、テツタロウとか呼び捨てにするのやめてください!だいたいにして馴れ馴れしいじゃないですか!中層でいきなり現れたくせに!風盾ガネノメレンゲ!!」
バシイイイン!ヒュオオオオオオオオオオオッ!!!!
《報告。死んだフリ所持者がナルカミゴーレムの核石を捕食。核石に保存されたノミライオンの記憶を死んだフリ所持者へ転送中。転送完了》
ボリッボリッボリッボリッ。
ナルカミゴーレムの核石のこの味わい。
猛毒って脳内再生が言うものだから警戒してたが。
「馴れ馴れしいもなにも、将来の夫を下の名前で呼ぶのは当然でしょう!悔しければあなたは私に決戦を挑み、勝ったうえでテツタロウと下の名前で呼べばよいのです!震戦苑流奥義!弐の型!!環噛粉壊刻獅!!!」
「はぁ!?将来の夫!?決戦!?何勝手なこと言ってるんですか!!そんなの全部認めない!風鎌ムヅラバサミ!!」
ボリッボリッボリッボリッ。
《報告。死んだフリ所持者がナルカミゴーレムの核石を捕食。核石に保存されたネコヤモリの記憶を死んだフリ所持者へ転送中。転送完了》
「認めるかどうかはテツタロウの決めることです!あなたの決めることではありません!!震戦苑流奥義!参の型!!雲雷弔鯨斬!!!」
「余計なこと言ってないで、さっさとそうやってゴーレムの体だけぶっ壊してください!風錐アオアラシ六連!!」
ボリッボリッボリッボリッ。
《報告。死んだフリ所持者がナルカミゴーレムの核石を捕食。核石に保存されたイヌリスの記憶を死んだフリ所持者へ転送中。転送完了》
「ふふ!実はテツタロウと下の名前で呼べないのが悔しいのでしょう!私は呼べますわ!テツタロウテツタロウテツタロウテツタロウ震戦苑流奥義壱の型!肺喘身巡二重連!!」
「むっきいいいっ!言えますから!呼べますから!!テッツタツ……テッツ……テッタロ……テツッタロウ……あああもう!!!ゴーレム邪魔すんな!!!風鎌ムヅラバサミ3連!!」
ボリッボリッボリッボリッ。
《報告。死んだフリ所持者がナルカミゴーレムの核石を捕食。核石に保存されたアメンボシャコの記憶を死んだフリ所持者へ転送中。転送完了》
「テツタロウ……何といい響きでしょう。まるで生まれる前からこの名前を呼ぶのが私の定めだったかのようです」
「何が定めだ!私だってテツタロウって……あっ!言えた!!言えたやった!!風盾ガネノメレンゲ!!」
《報告。死んだフリ所持者がナルカミゴーレムの核石を捕食。核石に保存されたクワガタサウルスの記憶を死んだフリ所持者へ転送中。転送完了》
「今のは偶然ですわ!震戦苑流奥義弐の型!環噛粉壊刻獅九連!!」
「テツタロウさん!私テイザキさんのことテツタロウさんって呼んでもいいですか!?風錐アオアラシ十六連!!」
ボリッボリッボリッボリッ。
《報告。死んだフリ所持者がナルカミゴーレムの核石を捕食。核石に保存されたモスキートエレファントの記憶を死んだフリ所持者へ転送中。転送完了》
《報告。死んだフリ所持者がナルカミゴーレムの核石を捕食。核石に保存されたハイエナトンボの記憶を死んだフリ所持者へ転送中。転送完了》
《報告。死んだフリ所持者がナルカミゴーレムの核石を捕食。核石に保存されたパンクカワニナの記憶を死んだフリ所持者へ転送中。転送完了》
《報告。死んだフリ所持者がナルカミゴーレムの核石を捕食。核石に保存されたツバメバチの記憶を死んだフリ所持者へ転送中。転送完了》
《報告。死んだフリ所持者がナルカミゴーレムの核石を捕食。核石に保存されたカツオムシの記憶を死んだフリ所持者へ転送中。転送完了》
「それどころじゃないようです。やはりあれからずっと、思案にふけっております」
「……止めないと」
「ええ。そのためにもここにいる全てのナルカミゴーレム。ぶっ壊しますわ」
「あなたと意見が一致するのは癪に障るけど、協力します!」
「「はあああああああっ!!!」」
ボリッボリッボリッボリッ。
こんな所で、こんな気分になるなんて、思いもよらなかった。
こんな所?
ここはどこだ?
ああ。地上迷宮セキドイシの中だ。
たしか、41階層まで降りてきた。
ナルカミゴーレムの弱点が核石なのが分かったけれど、壊しても核石がそのままだとまたゴーレムは復活する。
だから俺が食べることにしたんだった。
食べる。
《報告。ナルカミゴーレムの核石は超猛毒。死んだフリスキル所持者以外の者が口にすれば即死》
なんて言われて、仕方なくピノンにもメリュジーヌにも食べさせられないから、俺が食べている。煎餅みたいな感じでポリポリ食べ続けているけれど、元々毒は俺に効かないらしいし、不思議とお腹に全然たまらない。だけど気分がこう、重くなる。
重い。
重いというか、違うな。
何か、引っかかる。
忘れていることを思い出せそうな感じ。
でもどうしても出てこない。
何か子どものころの記憶だと思うけれど、出てこない。
思い出そうとするたびに、魔物の姿で記憶が埋め尽くされる。
別にそれをグロいともキモいとも思わないけれど、とにかくそれが蓋をする。
蔓みたいに絡んで、先に進めない。
俺は何かを忘れてる。
でもそれが何かを、思い出せない。
ゴーレムの核石を食べれば食べるほど、何かが思い出せそうなのに、思い出せない。
もう食べるのをやめる?
……。
……。
できないな。それは。
だって、
「キキキ……」
「ん?」
我に返った俺は地面の落とし穴トラップから鳴き声が溢れていることに気づく。
「ああ、もう一杯になったか。ずいぶん増えたんだな」
クイ。
枕くらい大きなネズミ。
迷宮の魔物がナルカミゴーレムの一部にされたせいで階層内の魔物が激減。そのせいか昆虫があふれ、その昆虫を餌にしていた大ネズミのクイが生態系の頂点になれたらしく、クイが大増殖。これは結構おいしくて食べ応えがあって、腹を空かせたピノンとメリュジーヌの大好物だから、ゴーレム戦であまり役に立てない俺は食糧確保としてクイの捕獲に専念している。ついでにゴーレムの後始末である核石食いも。
ボリッボリッボリッボリッ。
俺は口の中で核石をかみ砕きながら、トラップに掛かったクイを一匹ずつ取り出す。
ゴギッ!ズッ。プシュ。
首の骨をねじりながらへし折り、腹を爪で開き、内臓を引きながら取り出して集める。内臓はまたトラップに使える。だから集めておいて、中身を取り出したクイを俺は隣に積み上げていく。女子二人の大好物にクイが寄ってこないよう、内臓を取り除いたクイの周りにはナルカミゴーレムの核石を粉末にしたもので〝結界〟を張っている。盛塩以上に効果はあると思う。山盛りの内臓はコソコソと節足動物や生きたクイに盗まれるけれど、内臓抜きクイには手を出してこない。
ボリッボリッボリッボリッ。ゴギッ!ズッ!ブジュ。
慣れてるせいか、自分で言うのもなんだけれど、解体の手際は悪くない。
でもそれがなぜか、引っかかる。
ボリッボリッボリッボリッ。ゴギッ!ズッ!ブジュ。
肉屋で修業なんてしたことなのに、俺、最初からこんなに器用だったっけ?
なんか、この異世界に来てから色々と変わった気がする。
死んだフリスキルを身に付けたのはもちろんだけれど、俺、動物の解体なんてこんなにうまくできたっけ?
ボリッボリッボリッボリッ。ゴギッ!ズッ!ブジュ。
考えてみたら、魔物の急所なんかも結構最初からなんとなく見当がついた。
だから何とか生き延びられた。
これは偶然なのか?
それとも召喚特典?
ボリッボリッボリッボリッ。
そうなのかもしれないけれど、そうじゃない気もする。なんかもやもやして気持ちが悪い。
まあいいか。とにかく二人のためにクイを捌こう。
で、二人は……ふぁ?
何、あの量。
ゴーレムって、こんなにたくさんいたの?
41階層ってこんなにたくさんのゴーレムがいるの?
まるでゴブリンだ。それを二人であんなにたくさんサクサク仕留めてる。
すごいぞ。
俺なんてゴーレムの静電気で感電してすぐに死ぬかもしれないくらい弱いのに……。
なんて、誰かと自分を比較しても仕方ない。
適材適所。俺は俺。
俺に今できることはピノンとメリュジーヌに少しでも美味しい食事を用意すること。
美味しい食事。
ボリッボリッボリッボリッ。
……。
もう考えるな。そして何も感じるな。
……。
火を、熾そう。「山」の「夜」ノ、焚火ノヨうな火ヲ。
「よく焼けてる。二人とも食べて大丈夫だぞ」
ゴーレムの群れが沈黙する。頼もしい二人が風と拳で打ち倒した。
「「いただきます」」
ムシャムシャと豪快に食べるピノン。
上品なのに一口がメチャクチャでかいメリュジーヌ。
「二人ともいい食べっぷりだ」
「ほひひいへふ!ほほほひふ!」
「エサに恵まれて大きく育ったネズミだから旨いのは当然だ」
何を言ったのか分からないけれど、適当にピノンに合わせる。
「それもあるでしょうけれど、味付けが絶妙なのです。焼肉は天才を必要とする。かつて同じ冒険者パーティーにいた料理人がそう言っておりました」
「焼肉に天才って、大袈裟だな」
「とんでもございません。スープは食材の量と作り手の知恵と修行でどうにかなっても、シンプルに塩だけで焼く肉ほど難しく天才を必要とする料理はない。あの料理人あがりの冒険者が言っていたのは真だと、テツタロウの料理を食べてつくづく実感したします」
「塩って言うか、ナルカミゴーレムが雷で焦がした土だぞこれ」
「焦がした土を使うってアイデアがテイッ、テツタロウさんのすごいところなんです!」
「そうか?そんなに褒められるとなんか照れるな」
「「褒めます!」」
「褒めても焼いたクイ以外、何も出せないぞ?」
「「出させます!!」」
「ほぇ?」
「テツタロウさん!40階は素通りしましょう!」
口にクイの肉片をくっつけたピノンが声を張る。
「まな板エルフに賛同するのは嫌ですが、私もまな板に賛成です!」
同じく口が油まみれのメリュジーヌも強い声。
「ちょっと待てオイ。まな板は余計だろ。しかも2回言ったなパット」
「ピノンさん。今は言い争っている場合ではありません。それと私がパットでないことはこの前の水浴びでお見せしました」
「あんなのはただのカムフラージュ!私は騙されないから!だいたいそっちが喧嘩売ってきたんでしょ!」
犬同士のけんかみたいに威嚇し合う二人。
「おいおい。落ち着けって二人とも」
「テツタロウさん!」「テツタロウ!」
「なんだ?」
二人に睨まれる俺。
「お願いですから40階層の探索はやめてください!」
「秘宝ウゴエはあきらめて、39階層へ行きましょう!」
そのことか。
「ごめん。それは、できない」
できない理由。素通りできない理由。
素通りしようとすればできるのかもしれないけれど、40階を無視できない理由。
「「だからどうして!?」」
それは、
「助けて」。
「「?」」
「聞こえるんだ。45階層にいた時からずっと。そして下に降りるにつれて強くなっている」
「「……」」
「助けて。……俺に助けを求める声が、俺の耳の中で響いている」
「テツタロウさん!そんなの、待ちかまえる魔物の罠に決まってます!」
罠。そうかもしれない。
「まな……ピノンさんの言う通りです。40階層に眠る秘宝ウゴエを守る魔物の罠です!」
「……」
「何度も申し上げておりますが、このメリュジーヌ・レイクホルト。地上迷宮セキドイシに囚われて二百余年。40階層に到達した冒険者もしくは勇者を名乗る者46名のうち、誰一人として40階層から生きて戻った者はおりません!」
ああ。何度もメリュジーヌに教えてもらった。
「みな「秘宝ウゴエの声に導かれた」と階層入口の岩壁に彫り刻み、名を刻み、そして命を散らしてしまったのです!この目で見てきたのですから間違いございません!」
40階層自体には何度か足を運んでいるというメリュジーヌ。
元、中層の主。
迷宮セキドイシの財宝である魔道具ヤマミサキの生贄。
魔道具ヤマミサキを通じて、迷宮に棲む魔物たちの情報に精通した専門家。
「なぁメリュジーヌ」
「なんでしょう。テツタロウ」
「メリュジーヌは40階層の奥へ進んだことがあるのか?」
「進んだことなどありません!私をとりこんだ魔道具ヤマミサキが畏れ、40階層深部への侵入を常に拒んでいたからです。……進んでいればどれだけ早く、ラクになれたことか」
「……ヒキョーモノ」
「何か言いましたか、断崖絶壁エルフ」
「断崖絶壁言うな!!」
「オホンッ!とにかく私を縛っていた魔道具は40階層奥、すなわち迷宮の核心である秘宝ウゴエに接触することをひどく嫌いました。ですが私は知っております。魔物たちの悲鳴を」
「……」
「悲鳴?何かがパッ……メリュジーヌさんには聞こえているの?」
「伊達に200年も支配種をしておりません。とり憑かれたように40階層へ向かう魔物を何度も見ました。それに直感的に気づいた魔物たちはひたすら怯え、その者には手を出さず、闘争を挑みません。ただ見送る。〝呼ばれた者〟をただ見送るのです」
「呼ばれた者?」
「そうです」
憑かれて、呼ばれた……。
「そして40階層奥に呼ばれた魔物たちからあがる、末期の悲鳴。40階層から59階層の支配種をしていた私はその絶叫を迷宮の壁や地面ごしに何度も聞きました」
どうして、呼ばれる……。
「支配種ですら名前も存在も知らない魔物が秘宝ウゴエを守り続けていること。その魔物に呼ばれて魔物や冒険者が向かい、彼の者の餌食になっていること。これはもうまちがいござません」
「支配種すら知らない魔物、か」
「はい」
「どうしてそいつは40階層から動かないんだ?」
「それは秘宝ウゴエを守るためでございます!」
「ウゴエを、そいつは守りたいのか?」
「それは!……私には分かりません」
「そうか」
「テツタロウさん!40階層の魔物が秘宝を守りたいかどうかなんて関係ありません!初見殺しの魔物に出会ってテツタロウさんにもしものことがあったら私は嫌です!一緒に生きてこのセキドイシを脱出すると約束したじゃないですか!!だからいい加減思い直してください!」
初見殺しの魔物……。
「こんな言い方したら薄情だと思われると分かって言いますけれど、テツタロウさん以外の誰かが「秘宝ウゴエが欲しい」なんて言ってたら、私はとっくにその人を見捨てて39階層へ降りてます!41階層でわざわざゴッキーみたいに湧いてくるナルカミゴーレムをメリュジーヌさんなんかと一緒に一週間も倒し続けたりなんて絶対しません!」
「私もよテツタロウ。こんなゴキブリみたいなエルフと協力して一週間もナルカミゴーレムを退治するなんて正気の沙汰じゃないわ。でもテツタロウ。あなたのためにそれを続けた。おかげで前以上に筋肉がついて引き締まってしまったわ」
「おいムカデパット。「ゴキブリみたいな」のくだり、要らないでしょ?だいたいゴッキーみたいな色してんの、そっちでしょ?」
「ゴキブリみたいにシャカシャカと移動して核石だけをコソコソ破壊しているのだからゴキブリと大差ございません」
「腹ごなしにちょっと運動しませんか。私のオクリオオカミがあなたをオクリオオカミしたいって言ってますんで」
「上等です。久しぶりに試してみたい技があるので、肩慣らしになるかはわかりませんが受けて立ちましょう」
「そこなんだ」
「「ふぁ?」」
「運動」
「「ウンドウ?」」
「俺に届く声の主が魔物か秘宝かは、俺にもわからない。仮に魔物からの声だとして、そいつは動けない」
「「……」」
「助けて。毎日、毎時間、毎分のように俺には声が聞こえる。俺の知恵袋の声とは違う、誰かの声で「助けて」っていつもいつも言っている」
「「……」」
「俺がどうにかしたいのはたぶん、誰かの命じゃない。誰かが動けないままでいること」
「「?」」
「何者をも圧倒する力を持っている魔物。けれど40階層から出られない魔物。それは動けない魔物」
「「……」」
「呼ぶことしか、部屋の中で餌を食べることしか許されていない魔物。秘宝を守るためかどうかは知らないが、とにかく動くことを許されない魔物」
「「……」」
「自由になれず助けてほしくて、見返りに何でもすると言って動く」
「!」
「自由になれず殺してほしくて、見返りに自分の弱点を教えて動く」
「!」
「それすらやらず、ずっと何百年も同じ場所にいて、ただ餌を求める声をあげているしかない魔物。ただしその言葉は、俺の耳には「助けて」と響く」
「「………」」
「幼虫は、孵化していつか移動できる日が来るから、同じ場所に留まれる。でも40階層の奥にいる魔物は、動かない秘宝を守るために、ずっと動けずにいる」
「「……」」
「生きているのに、動きたくない者はいない」
「「……」」
「動きたいのに動けない者。それは誰かに無理やり死んだフリをさせられている者」
「「……」」
「死んだフリを強制されるのはつらい。たぶん死ぬよりも」
「テツタロウさん……」「テツタロウ……」
「なんでだろうな。そう感じたんだ」
ずっと前から。
「迷宮魔物の死と生でできたゴーレムの核石を食べ過ぎたからかもしれない。おかげで色々分かった。とくに40階層で殺された魔物たちの記憶は」
「「え!?」」
「だから〝初見殺し〟じゃない。俺は誰かの「助けて」を聞きながら、40階層にいる魔物に倒された餌魔物たちの記憶を見られた。だから俺はもう何度も何度も殺されて、奥にいる魔物をそこそこ知っている」
「それでも、あえて行くんですか?」
「ああ。だから、行ってもどうにかなるくらい相棒たちが強くなるまで気長にここで待つことにした」
「この41階層でテツタロウが駄々(だだ)をこねていたのはもしや」
「俺みたいな弱い奴が偉そうに言うのもなんだけど、二人が40階層の魔物に太刀打ちようになるまでの修行のつもりだった」
「「……」」
「やっぱり怒ってるか?二人とも」
「とても怒っています」「ええ、激しく」
「そうか。すまない。じゃあもっとクイを焼くから許してくれ」
「テツタロウさん!」「テツタロウ!」
「俺の命だけじゃなくて二人の命を巻き添えにして闘う以上、俺は絶対に負けない。核石を食べに食べ、記憶の中で負けに負け、実戦では勝てると確信できるまで策は練った。頼むから俺を信じてくれ。今回だけは、俺が勝つことは最初から決まっている」
「「!」」
「嘘は言わない。お前たち二人にここまでさせておいて、俺は嘘なんて言わない。それとお願いがある。俺を置いて逃げないでくれ。俺の策は、俺の隣にピノンとメリュジーヌがいてくれるから成立する。申し訳ないが、俺に二人の命をあずけてくれ」
「何言ってるんですか」「ほんとうにもう」
「やっぱりだめか?」
「「あなたに命をかけるのは当たり前でしょう!」」
「そうか。……助かる」
「一生を共に歩むと決めたテツタロウさんを置いて逃げるエルフなんていません。……ムカデ女は知りませんが」
「セキドイシを出たらそのまま一緒に結ばれるテツタロウを置いて逃げる女なんていません。奴隷エルフの場合は知りませんが」
「一緒に結ばれるとか、何ドサクサに紛れてほざいてんのムカデ女」
「あら奴隷エルフこそ「共に歩む」だなんて抜け駆けできると思っていたのですか?」
「ちなみに俺はクイをたくさん食べて、よく眠る元気な女子がタイプだ」
「「しゃおらっ!!」」
既に2匹のオオネズミをそれぞれ平らげているピノンとメリュジーヌが焼きあがっているオオネズミを食べ始める。ちょっと罠で取りすぎて、しかもかなり食事用に潰しちゃったから、食べないとせっかくの命がもったいない。
「ほんほひおへひんははへははへふへ!」
「ふふはひ!ほっひほほふひひほほひへははははへふほはへひんへひょ!!」
「二人とも何言ってるのか全然わからないけれど、肉をがっついている姿は見ていてすごく嬉しいぞ」
食べる。
肉。
焚火。
そして「助けて」。
……。
俺の中で何かが、引っかかる。
どれもこれも一度、俺は経験している。
でもそれがいつのことだか思い出せない。
この異世界パイガに来るずっと前に、俺はこの光景に似たものを経験している。
そんな気がしてならない。
でもとにかく、思い出せない。
思い出そうとしても、出てくるのは闇。
闇が包み込んで先が見えない。
闇が薄れてくると、現れるのは、家族の日常。釘崎家の毎日。
いつも怒鳴っていた父さん。
名前は蟇目。
信心深い家に生まれたから、悪霊を寄せ付けない破魔の矢の名をつけられたとか。昔言っていた気がする。とはいえ考えてみたら字面はヒキガエルの目玉。やっぱり気の毒。
その反動かどうか、生まれてきた俺には鉄太郎と命名。
ゴツすぎだろ。苗字と合わせたら鉄の釘だし。
そして。
いつも父さんに怯えている母さん。
名前は……あれ?ヤバい。思い出せない。あれ?え、どうして?
そう言えば俺って姉ちゃんもいたよな。……マジで名前が出てこない。ヤバい。
変な譫言をいつも言っていたから、ちょっと怖くて近づけなかった。
それは覚えているのに、母さんと姉さんの名前が出てこない。
どうしたんだ俺?
父さんが恐かったこと以外、何も思い出せない。
とにかく父さんが恐くて、死んだフリしていたんだ。
そうだよな。
……。
……。
……そうだっけ?
分からない。〝これ〟も、異世界につれて来られたせいなのか?
記憶が混濁している。
記憶。
……は。
…………近い。
何かに近い………そうだ。生ニ近イ死。
誰かが俺に、そう教えてくれた。
死に近い生と、生に近い死。
死んだフリスキルと、死んだ者の記憶。
……。
両方を持ち合わせれば、生き残れる。
俺の中の〝何か〟がそう言っている。
これは理屈的にも間違っていない。
考えれば考えるほど、その通りだ。
ゴーレムの核石を食べたおかげで、そのことも思い出した。
「テツタロウさん!おかわりください!」
「私もですテツタロウ!何なら生でもいいわ!!」
「ちゃんと焼けているのがたくさんあるから、よく噛んで慌てず食べてくれ」
と言ったものの、クイをそれぞれ10匹も平らげた女子二人にはちょっと引いてしまい、話すタイミングを模索する。
「大事な話がある」
「そういうの、今は止めてもらえませんか~うっぷ」
「40階層の奥にいる魔物なんだが」
「テツタロウ。話す前に水をくださいませ。うっぷ」
「水か。分かった。はい………実は40階の奥にいる魔物には厄介な攻撃が一つある」
「「だから~」」
「相手の嫌がる悪口を言ってくる。けっこうへこむと思うが、鋼のメンタルをもつ二人なら……」
「「オェェェェェ」」
俺の前から走り去った美女二人から何かが聞こえて来るけれど、気にしない。
きっと闘いの前の自己暗示か何かだ。
ゲロゲロゲロッピーになんてなっていないと信じよう。
「はぁ、はぁ、はぁ、はぁ、テツタロウさん。作戦を教えてください」
キラキラ目を輝かせて戻ってくるピノン。汗だくで鼻水出てる。美女台無し。
「はあ、はあ、はあ、はあ。テツタロウ。ところでどうやって魔物を倒すのですか?」
こちらもキラキラの目。というか涙目。口の端から何か液がこぼれてる。美女台無し。
「二人とも水を汲んであるから、口の中と顔をさっぱりさせてから俺の話を聴いてくれ」
「「すみません。洗ってきます」」
地上迷宮セキドイシ40階層。
元支配種メリュジーヌの情報、そして死んでいった魔物たちの記憶によれば、ここに秘宝ウゴエがある。
そしてそれを護る最強の魔物がいる。
「魔物の名前はトモビキスライム。とにかく口が悪い」
「スライムって、あのプニョプニョしているかわいい魔物ですよね?」
「スライムと言えば低位の魔物の象徴。低位の分際で口が悪いとは、早々に成敗したいものです」
「かわいいかどうかは分からない。それと、俺の知恵袋によれば、低位とは言わないらしい」
「かわいくなくて悪口を言うスライムですか?ただのムカつく奴じゃないですか」
「ではテツタロウの中にあるチエブクロのお告げは何と?」
「特異の魔物」
「トクイ?」「何ですかそれ?」
「ある条件を満たす場合において精霊位の魔物に匹敵する力をもつ魔物。それが特異の魔物だとさ」
「「精霊位っ!?」」
「ある条件とは「この先にある秘宝封印の間アメンフララの中に在る」こと。そして俺はトモビキスライムのいるその部屋アメンフララで奴を仕留める。つまり俺たちはこれから精霊位の魔物の相手をする」
「「……」」
「追加情報は以上。あと忘れてた。知恵袋によれば、上にいるベルゼブブの様子がおかしい。石化魔法がとうとう解けるかもしれない。要するに時間がもうない。トモビキスライムとの戦いは一度きり。しかもベルゼブブが来るまでの制限時間付き。二人とも何か質問はあるか?」
「うふ。もう何もないです」
「私も。うふふふ……」
口をあんぐりあけて呆気に取られていた二人が、いつの間にか笑い出す。
「なんで笑ってるんだ?」
「一週間メチャクチャ修行したのに、震えが止まりません」
「二百年間で一番暴れた一週間だったのに、体が強張るのを感じるわ」
「そりゃあ精霊位の魔物が相手だから仕方ないだろ」
「そういうテツタロウさんは、全くいつもと変わらない」
「というかリラックスそのものに見えますわ」
「こう見えて結構緊張している。でも二人がいてくれるから大丈夫だ」
魔物ベルゼブブが動き出すギリギリまで粘って稼いだ時間。
この間に、二人はさらに強くなった。
今ならフェンリルとだってまともにやり合える気がする。
「私なんかでも精霊位に勝てますか?」
「私もです。こんな冒険者崩れ、魔物の肉に宿った私なんかが及ぶのかどうか……」
「無理だろうな」
「「!?」」
「ピノンとメリュジーヌ、そして微力だけど俺もいる。三人がいるからどうにかなる。それだけだ」
これは本当。
「「そこまで言ってくださるなんて」」
それくらいに精霊位の魔物は容赦なく強い。上位の魔物フェンリルとは別格。
一人で勝つことはまず不可能。……たぶんジョーカーに選ばれた志甫ですら無理。
「愛しています」「死ぬほどに」
「ああ。二人が戦って強くなることを心から好きなのは知ってる。だから力を合わせて乗り切るぞ」
「「……はあ」」
「そう。ため息をしっかりついてくれ。リラックスしていないとトモビキスライムの毒舌でメンタルをやられる可能性がある」
「まったくそういうところが……うふ」
「テツタロウらしい。ふふふ」
そうこう言っているうちに、俺たちは40階層奥にある封印の間アメンフララにたどりつく。
想像通り、ナルカミゴーレムはここまで一匹も現れなかった。
もう現れる必要がないってことなんだろう。
《報告。地上迷宮セキドイシ40階層。秘宝ウゴエ封印の間アメンフララに到達》
ああ、着いた。
ゴゴ。シュウウウウ……
分厚い花崗岩の扉が左右に勝手に開いていく。「助けて」の声がひときわ大きく一度だけ聞こえた後、俺の耳から引く波のように消える。「助けて」と一緒に、頭の中で引っかかっていた何かも消えていく。
ただ目の前のことだけに意識が向く。
思考が研ぎ澄まされていく。
死んだフリをしながら戦う、いつものように。
「これが、秘宝ウゴエの封印された場所」
蝋燭の明かりで照らした程度の薄暗い部屋の中、冷や汗をにじませながらピノンが恐る恐る歩を進める。
「………」
ゴクンとつばを飲みこみつつ、一歩一歩慎重に足を運ぶメリュジーヌ。
「二人とも、止まった方が良い」
「「?」」
俺はもう何度も見ているから二人に静止を促す。
俺はザックに入れてきたクイ1匹分の肉を取り出し、それを前に放る。
ドサ!……ゾブゾブゾブゾブゾブゾブ!!!!!!
「「!!」」
磨き上げた大理石のタイルで埋め尽くしたような床から、ゾル状態のスライムがしみ出してくる。集合してゲル状になる。クイの肉は薄桃色のスライムに呑み込まれてあっという間に消化される。
「こんにちは。俺は釘崎鉄太郎」
「……」
「俺の助けを求めたのはお前か?」
「……」
「違うのか。だったら秘宝ウゴエに会わせて欲しい。助けを待っているはずだから」
スライムに適当に言葉を投げながら、俺は様子をうかがう。
「テツタロウさん!何を暢気なこと言ってるんですか!」
「この気配!……それに、シャレにならない魔力!!」
「黙れ。負け犬とちっぱいと年増デブ」。
「「「………」」」
《報告。トモビキスライム第1形態による精神攻撃バトウにより、エルフとムカデ女の心拍数が乱降下》
「二人とも……」
「おいスライム。ぶち殺すぞオメェ」
弓を握るピノンの腕の血管が浮きあがる。黄金色のセミロングが風でなびいてスーパーサ〇ヤ人みたいだ。
「スライム。なんて千切り甲斐のある見た目でしょう」
両拳を合わせ、パキパキと音を鳴らすメリュジーヌ。鎧姿と相まって『北〇の拳』のラオウに見えてきた。
「かかってこい。まな板チビの大根足。行き遅れの甲冑はみ肉デブ」
「「くたばれええええええっ!!!」」
すごい。
挑発にのせられた振りをしてくれと頼んだけど、本当に挑発にのっているようにしか俺には見えない。
《忠告。エルフとムカデ女は真に激昂》
……。
それも想定内。大丈夫……たぶん。
ボヨオオーン!
「胸につく~はずの脂肪は~腹につき」
「風錐アオアラシィィィ!!」
キュパオオオオオオオオオオンンッ!!!
「買い手なし~鎧と筋肉~ドレスかな~」
ボヨオオオォォン!
「震戦苑流奥義壱の型!肺喘身巡ぃぃぃぃ!!」
ドムゴオオオンンッ!!!!!!!!!
ライフル弾のような螺旋風と大砲みたいな拳弾がゲルに直撃する。部屋全体が揺れて天井からパラパラと礫が落ちてくる。
二人のキレキレ攻撃によって川柳スライムのゲル部分が大きく流動する。内部にある菫色の核が露出する。すごい。核の露出が予想以上に早い。偶然か!?
《女の怒りによる必然》
ゾブブッ!!
「「!!」」
トモビキスライムの菫色の核だけが一気に増えて、ゲルを捨てて空間内に散らばる。ゲルが地面の下に再び消えていく。
ゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴ……
天井が動く。上層との境目が次々に消えて、筒抜けとなっていく。
やっぱり壮観だ。
首都圏の雨水をためる外郭放水路みたいに巨大な空間が完成する。
そこへ空の星のごとく散っていくトモビキスライムの核たち。
満点の菫色の星々が俺たちを見下ろす。
《報告。トモビキスライム第1形態がゲルなし多核体を形成》
ここからが初見殺し。
ナルカミゴーレムの記憶によれば、トモビキスライムに挑んだ者たちの7割がここで死んだ。
「ふぅううう……」
《報告。エルフが超精密聴覚コルモゴノフ発動。乱流解析開始》
ピノン。間に合ってくれ。遅れれば、
ヒュボンッ!!!!
核の1つがライフル弾より早い超高速で移動し、ピノンに衝突……
メキャッ!!
「ぐっ!!!」
《報告。エルフの解析終了前に、気配感知に成功したムカデ女がエルフの致命傷を回避》
ギリギリ間に合ったメリュジーヌがピノンへの攻撃を鎧の装甲でカバーする。
気配感知。戦闘における先読み。
やっぱり戦闘経験が俺たちの中でずば抜けて豊富なメリュジーヌは頼りになる。
「メリュジーヌさん!」
「これくらいなんともありません!それより次が来ます!!」
「はい!!風盾ガネノメレンゲ!」
《エルフが空気の乱流解析終了。同時に風属性魔法を発動》
ヒュボンッ!!!ボウッ……ボッ!
背中と体の正面から強力な逆噴射の風を出したピノンが、核の衝撃に耐えられず吹き飛ぶ。
「うわっ!」「しっかりしなさいピノン!!」
「はぁはぁはぁはぁ、大丈夫……」
大丈夫なわけがない。
いくら風を読み、逆風で押し返しても、弾丸より早いあの核の移動を完全には止められない。
当たれば良くて骨折。悪ければ内臓も何もかも吹き飛ばされて則終わる。
――全体デ、攻撃シテコナイ。残酷ナ奴ラハ、我ラノ死ヲ、眺メテイル。
ここで殺された魔物の多くがそう言い遺した。
――マルデ星ノヨウニ流レテ、殺シニ来ル。ソレヲ皆デ眺メテイル。
殺された魔物たちは、ただ殺されたわけじゃない。
トモビキスライムという魔物をちゃんと見抜いて死んでいった奴も、中にはいた。
ヒュボンッ!!
今度は俺めがけて飛んできた核。
「せあっ!」
ヒュオンッ!ドムオンッ!!!!
それを、ピノンの支援魔法の風をまとったメリュジーヌの右上段回し蹴りが弾く。鋼鉄と風のタッグが核の軌道を逸らしてくれた。
ドゴオオオオオオンッ!!!!!!
「マジで助かった」
「お安い御用です。テツタロウ」
口から血を流すメリュジーヌとピノンが俺の周りに駆け戻る。トモビキスライムから見て、まとまった俺たちは恰好の的になる。
カンカン。
俺は握るバトルアクスの頭で地面を2回たたく。
ピノンとメリュジーヌはうなずくと、俺のザックに括り付けてある、焼いたクイに二人の手が伸びる。
トモビキスライム第1形態。
「「「「「胸騒ぎ~胸がないから~気のせいだ~」」」」」
「ふぅ、ふぅ、ふぅ、ふぅ、ふぅ」
ヒュボンッ!ズドンッ!!!!
上空に散りばめられた多核体は、全体で一気に攻撃して来ない。
「「「「「ゴリマッチョ~寝返りすごくて~皆起きる~」」」」」
「はぁ、はぁ、はぁ、はぁ、はぁ」
ヒュボンッ!キュボボボボボボボボンッ!!!
一体から数体が、星のように流れて殺しに来る。
ヒュボボンッ!ズドキュボボボオーンッ!!
それはまるで、メカジキと一緒。
攻撃する瞬間、攻撃する個体はかすかに光り、自分が敵に攻撃することを周囲に知らせる。そうすることで同士討ちを避ける作戦。上ほど暗い巨大空間はそのための布石。
《死んだフリ所持者へ報告。準備完了》
ならば俺は、〝それ〟を壊せばいい。
ヴン。
《飢餓の咆哮「メシマダカ」発動》
青く光り始める俺と同じタイミングでピノンとメリュジーヌがクイの肉にかぶりつく。
キラキラキラキラキラキラキラキラキラキラキラキラキラキラキラキラ。
ばれないようにコッソリ光り合っていた核たちがどれもこれも遠慮なしに強い光を放ち、全体が勝手に攻撃モードに入る。
ピノンもメリュジーヌも俺も、魔物から見れば所詮は肉の塊。
「腹が減れば獲物はさっさと仕留めて、食らいたいよな!」
ギギギ。ドスンッ!
それに対して技を構えるピノンとメリュジーヌ。
核を睨みながら弓の弦を引き絞るピノン。
歯を食いしばり体をねじり利き足の踵を浮かせるメリュジーヌ。
二人とも長いゴーレム戦で練り上げた闘気が湯気のように立ち上る。
ヒュボボボボボボボボボボボボボボボボボボボボボボボボボボボボボボボボボボボボボボボボボボボボボボボボボボボボボボボボボボボボボボボボボボボボボボボボ!!!!
《報告。エルフが超精密聴覚コルモゴノフと風刃ハナチラシ72連撃を発動》
先の先。
トモビキスライムの核が加速する瞬間を狙ってのピノンの連続掃射。
キュボスンッ!!!!!!!
俺たち三人を狙ったはずの核たちの軌道がピノンの風にぶつかり、ずれる。
ジシッ!キュボスススッ!!!!!
核の軌跡はさらに収束し、俺だけに向けられる。正確には俺の鳩尾にだけ、向けられる。
《報告》
ズゴズゴオオオオワンッ!!!
《ムカデ女が震戦苑流奥義弐の型、環噛粉壊刻獅を発動。最接近核に衝突。核の運動を静止》
ゴーレムすら蹴り砕くメリュジーヌの強靭な脚が、俺に迫るくる核を中段回し蹴りと三日月蹴りの瞬足コンボで止める。
「いまだ!」「はい!」「うわっ!」
蹴りで核衝突を止めた反動を利用して、メリュジーヌが俺とピノンを掴んだままその場から離脱する。
チッ!
メリュジーヌにいきなり蹴り止められた核複数。
キュボメキャッ!
その複数核に、猛スピードで後続する核集団。
メキャメキャメキャメキャメキャッ!
収束したスライム核たちは互いに衝突し合う。摩擦で爆竹のように光と炎と熱が周囲に炸裂する。菫が紅蓮になる。
ズゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴンッ!!!!!
爆音を上げながら核が核にダメージを負わせる。
「ピノンさん!」「ピノン!」
「風盾ガネノメレンゲ!!」
縦穴の中全てを焼き尽くすかのような大炎上。
「「「くううううっ!!!」」」
その中で、菫色の核がボロボロになっていく。
ズムンッ!ズムンッ!ズムンッ!
「テツタロウさん!」「天井が閉じていきますわ!」
隔壁を閉ざすように、迷宮の天井が閉ざされていく。地は燃えたまま、「天」だけが低くなる。
「はぁ、はぁ、はぁ……」
ゾビュビュビュビュビュビュビュビュビュビュ……
その「地」も、床からしみだした桃色のゼリーで鎮火していく。菫色の核が破損箇所を再生させながら、核表面に一つの大きな黒丸模様を浮かべる。
「これでいい」
ギョロッ!!
眼球のようになった核がこちらを凝視してくる。
魔物たちの死を通じて何度も見た煉獄の光景。
《報告。核の損傷が甚大と判断した魔物トモビキスライムが空間内へゲルを再召喚》
「テツタロウさん!」「テツタロウ」
「ああ。第1関門は突破したらしい!これからだ」
青く光っていた俺は飢餓の咆哮「メシマダカ」を止め、斧で地面を3回たたき、二人に合図する。
「「はい!!」」
ピノンが治癒魔法で、メリュジーヌとピノン自身を回復させる。
その間に、秘宝の間アメンフララには様々な蛍光鉱物が異常な速度で生え、そこから光を放ち始める。
空間が一気に明るくなる。
「ふう……」
この光景も何度も見ている。
精霊位級の魔物による、地獄の演出第2幕。
グチュポグチュオグチュポグチュポ……
増殖するゲルの中に既に逃げ込んでいる大量の核。それでもゲルの増殖は止まらない。
《報告。トモビキスライムが第2形態に移行。ゲルを纏った多核体が出現》
「「ふうぅ、ふうぅ、ふうぅ、ふうぅ、ふうぅ」」
ピノンとメリュジーヌの竹筒を吹くような深い息遣いが俺の耳に伝わる。
「大丈夫だ」「「……」」
二人が緊張恐怖するのも無理はない。
――タダ胸苦シイ。逃ゲルコトモ隠レルコトモ出来ヌ。
トモビキスライムの第1形態を辛くも生き残った者のうち、これで死んだ者が9割。
つまりここで、秘宝の間アメンフララの侵入者はほぼ全滅している。
でも、それでも、
「もう一度言う」
「「?」」
「二人が俺の傍にいてくれれば勝利できることを、俺は知ってる。信じてくれ」
「……喜んで!」
「……もちろんです!」
三人で力を合わせる。それ以外に勝機はない。
それくらいこの状態のトモビキスライムは、無敵のようにズルくて強い。
――万策ハ尽キタ。何ヲシテ良イノカ分カラヌ。全テハ終ワッタ。
何度も死んだ経験がなければ、太刀打ちできるなんて絶対に思えない状況。
何度も死ななければ〝万策〟の最適解なんて見つけられない状況。
ドムドムドムドムドムドムンッ!!
「火炎弾です!ピノンさん!」「はああああっ!!!」
ヒュボボボボボボボボボボッ!!!ドゴバーンッ!!!!
放物線を描いて飛んできた溶岩の塊を風刃ハナチラシで打ち落とすピノン。
「うっ!何て威力!土と火の合成魔法だなんて!」
それでも炸裂した溶岩片がこちらに飛んできて、破片からピノンと俺を護って負傷したメリュジーヌ。
「ヒールウィンド!!ヒールウィンド!!」
それを治癒魔法で急ぎ治すピノン。
グチュポポグチュ……
その間も、当たり前のようにゲルを増殖させ、膨張し、精神的圧迫まで加えてくるトモビキスライム。
ドムドムドムドムドムンドムドムドムドムドムドムドムドムドムドムドムンッ!!
「風刃ハナチラシ!!」
ヒュボボボボボボボボボボボボボボボンッ!!!!!ドゴバアアアンッ!!!!
「メリュジーヌさん!」「私のことはいいですから!続けなさい!!」
空間を押しつぶしながら、全体魔法を放ってくる魔物トモビキスライム。
ブニョオオンッ!!!
「「!?」」
ザシュンッ!!
突如スライムの棘のように伸ばしてきたゲルを、俺はバトルアックスで切断する。
「ブラフだ」
ピノンとメリュジーヌに刺されなかったゲルが慌てて地面の下に消えていく。
「「?」」
「〝この手〟もあると思わせるハッタリ。大丈夫。棘は俺が叩く」
「「はい!!」」
待ち受けるのはスライムに潰されるか、魔法に殺られるか、刺し殺されるか。
ドムドムドムドムドムンドムドムドムドムドムドムドムドムドムドムドムンッ!!
どれか分からないまま、ただ死が訪れる。
ヒュボボボボボボボボボボボボボボボンッ!!!!!ドゴバアアアンッ!!!!
どれか分からないから、もう死を待ち望む。
ブニョオオオンッ!!!ザシュザシュザシュンッ!!!
生の絶望からの、死の切望。
そのどれにも属さないための、勝利の糸口。それは、
「二人とも。これからスライムの体内に突入する」
トモビキスライムの〝思う壺〟になること。
「奴の肉を絶対に口に入れるな!」
「「はい!!」」
口だけじゃない。目。鼻。耳。
敵の穴という穴からスライムは侵入して神経を冒そうとする。
モニュンッ!!!
トモビキスライムからすれば、自らの体内に入られるのは、文字通り思う壺。
コポ。
「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「?」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」
そしてそうならないために、俺たちにはピノンの〝風〟が必要になる。
ゴポン……ボボボボボボッ!!!!
《報告。エルフが風盾ガネノメレンゲを発動。気泡が魔物トモビキスライムの中で多数発生》
多核体であるゲルの中で、ピノンが風属性魔法を使い、空気の塊を乱発する。
それが俺たちの顔を含め、全身を膜のように覆う。
窒息をかろうじて免れる。泡がスライムのゲルの移動を邪魔し、俺たちの体内侵入を阻止する。
ポムポムポムポム。
スライム核たちが次々と〝次の一手〟を生み出す。
トモビキスライムが溶岩弾の次に体内で用意する武器は、水雷。
フワフワフワフワ……
人の頭ほどある金平糖みたいな物体は、ゼリーの中をただ漂っているだけならいい。
けれど、
ジジジジジジジバチチチ!!!
核が静電気を送ることで、水雷は起爆する。
ドブボーーン………ブンブンブ~ン
トモビキスライムはゲルの密度を遠隔操作することで圧力波を四方八方から俺たちにぶつけてくる。
「ブホッ!」「フウウッ!」「アフッ!!」
同時に蛸殴りに合う感覚。骨が軋む。内臓がよじれる。構えていなければ一瞬で意識を失う。
「「「フゥゥゥゥ……」」」
弱い俺も含め、三人して何とか意識を保つ。
けれどピノンの用意した空気はますます薄くなる。窒息と寄生を免れるための空気が圧力波で剥がされかける。
カンカン。
俺はバトルアックスの斧刃の側面を爪で弾く。強く頷いたメリュジーヌの全身から鎧が剥がれる。裸形の全身に、血管か太く無数に浮かぶ。
《報告》
メリュジーヌの体を覆う鎧は一部のみ。
左足と右脚。
ビキビキビキビキビキッ!!!!
《ムカデ女が技を発動。震戦苑流奥義》
白眼を剥いたメリュジーヌが強靭な筋肉を稼働させる。
《参の型、雲雷弔鯨斬》
右脚と、その先にスキューバダイビングのフィンのようにつながったムカデ型の甲冑が大きく波打つ。
ヴオオオオオオオ……
「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「?」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」
高密度筋肉の収縮を自在に操るメリュジーヌの本気蹴り。
参の型は、本来ならナルカミゴーレムを迷宮壁ごと一撃で切断してきた胴回し回転蹴り。
その器用怪力を今度は、
オオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ………
ゼリーを、ゲルを、トモビキスライムの中の全てを動かすために使う。
オオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ………
俺を掴み、右脚全体でゼリーを蹴り続けるメリュジーヌ。
そして彼女の左足を覆うのはムカデの頭部。ムカデの頑丈な顎はトモビキスライムを食い破って地面にガチリと食らいつき、メリュジーヌのスパイクになって彼女の体を固定する。
ヴオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ……
「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「!」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」
大規模な対流が発生して否応なく自分の定位置から動かされるトモビキスライムの核たち。ついでに流れる、自分たちで生み出した大量の水雷。
ギチチチチチ……
俺が命がけで掴むのは、ピノンの両足。滝つぼの中のようにカオス状態の乱流の中、ピノンは孤狼オクリオオカミの弦を引き絞り、その瞬間を待つ。
その瞬間。
それは「茶葉のパラドックス」。
お湯と紅茶葉の入ったティーカップをスプーンでかき混ぜると、外向きの遠心力が働くはずなのに、茶葉は最後、カップの隅へと広がらない。広がっても最後は中心に集まる。一見するとまさに矛盾。
ヴオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ……
でも実は、液体の粘性でこれは説明がつく。
粘性とは流体のもつ摩擦のこと。
スプーンでかき混ぜられている表面部分ほど、紅茶には強い遠心力が働く。
でもかき混ぜられていない底部分は、ティーカップと紅茶との間で摩擦が働くから、遠心力が弱くなる。紅茶の粘性が遠心力を弱める。
この遠心力の差がカップの中の紅茶に上下の流れ、つまり二次流を生みだす。
ギチチチチチチィ………
今回の「スプーン」はメリュジーヌの蹴り。「ティーカップ」は魔物トモビキスライムの巨体。
上下逆さまのティーカップの下から、スプーンで激しくかき混ぜる。「紅茶」ではなくスライムのゲルを。
とはいえ結果は同じ。
二次流によって集まる場所が、下ではなく上になるだけ。
キュボオオオンッ!!!!!!!!!
「茶葉」が集まったその瞬間。
ガオーンッ!チッ!!
ティーカップの茶葉のように集まったトモビキスライムの多核と水雷に、ピノンの風錐アオアラシが突き刺さる。
ボボボボボボボボボボボボボボボボボボボボボバンッ!!!
空気の生む摩擦熱で水雷が起爆。そして周囲の水雷を誘爆。
「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「!!?」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」
目玉のような多核を粉々にして焼き尽くす。
ボビシャアアアアッ!!!!!!!
爆発の圧力でスライムのゲルが周囲に飛び散る。三階建ての家くらいある水風船が爆発したみたいにゲルが四方八方にぶちまけられる。
「ぶはっ!」「えほっ!」「げほっ!げほっ!」
ゲルから解放された俺たちはその場に倒れ込む。
シュンッ!
「「「?」」」
すぐに倒れた地面を見る。
星?
急ぎ周囲を見渡す。
大きなプラネタリウムの底に閉じ込められたかのように、真っ暗闇の中、満天の星々(ほしぼし)が縦横無尽にいつの間にか広がる。
……。
「テツタロウさん!なんか!なんか大変なことになってます!」
「テツタロウ!!これは一体何!?」
「二人とも。いよいよだ」
首筋の毛が逆立ってくるのを感じる。
いよいよだ。
いよいよ、始まる。
《警告。魔物トモビキスライムが亜空間サンズノカワを展開。死んだフリスキル所持者を含め、エルフとムカデ女を亜空間内に併呑。さらに魔物トモビキスライムは亜空間内で第3形態に変化》
亜空間サンズノカワ。
トモビキスライムだけが何でもできる、何をしても許される、トモビキスライムのための無限空間。
――ココニ至ラバ、全テノ望ミヲ捨テヨ。
生還率0%の亜空間。
閉じ込められて、無事脱出した者のいない永久の闇夜。
ここまで到達できたごく僅かな魔物と冒険者の遺言は、たったこれだけ。
「テツタロウ!!」
フ。
大きな赤い狼が俺の真横にいる。いつの日にか味わったのと同じ殺気。
ガブッ!ドゴンッ!!!!
俺を食いちぎろうとした魔物フェンリルを、メリュジーヌがとび膝蹴りで止める。
ヒュボボボボボボボボボボボボボボボボボボッ!!!!!!!
俺に近づいてくる他のフェンリルたちを牽制するために、ピノンが風刃ハナチラシを射つ。横射。縦射。斜射。掃射。追射。全方位に矢をはなつ。
「はあああああっ!!」
貫手、鈎突き、裏拳、下突き、肘打ち、膝蹴り、三段蹴り。
俺に近づく魔物コカトリスを全て薙ぎ掃うメリュジーヌ。
無限フェンリル。無限コカトリス。そして、
《報告。多数の擬似魔物フェンリルと擬似魔物コカトリスに加え、擬似魔物ネブタオオムカデと擬似魔物バジリスクが出現。擬似魔物バジリスクは石化魔眼の使用が可能》
予想通り。
亜空間サンズノカワの中では、トモビキスライムはどんな魔物も召喚できる。
《否定。魔物の召喚ではなく、あくまでも魔物への擬態》
そうだった。擬態。ミミクリー。
つまりトモビキスライム自身が迷宮セキドイシの全ての魔物に擬態できる。能力まで全てをコピーした、完璧な擬態ができる。
しかもトモビキスライムの核は無数。
つまりあらゆる魔物による無限攻撃。
「二人とも、目を瞑れ」
こんなの普通じゃ勝てるはずなんてない。
「え?」「そんなことしたらフェンリルに殺られ」
「殺られない」
無限攻撃。
それを仕掛けるのは召喚された魔物ではなく、あくまでトモビキスライムたち。
同じ亜空間の中にいる、最強を騙る魔物トモビキスライム。
《報告。発動準備完了》
「ここは俺がやる番だ」。
「「……了解」」
ヴン。
《発情の咆哮「モウタマラン」を発動》
俺が体から赤い光を放つ。
効いてくれ!頼む。
「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「………」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」
すべての攻撃が、止まる。
ヒュウウウウウウウウウ……
満天の星を散らした闇が急激に白んでいく。
白は光に変わり、光が全てを包んだ後、もとの秘宝ウゴエ封印の間アメンフララに戻る。
シ~ン……。
震えて汗まみれのピノンとメリュジーヌがおそるおそる眼を開く。
「「?」」
じっとしているトモビキスライムたち。
どれもこれも擬態をしていない。
薄桃色のゲルを身につけ、菫色の核は動かない。
つまり、死んだフリ。
誰も彼も死んだフリを死んでいる。
「ど、どういう……」「ことなのですか?」
二人は思い出したように俺を探し、見る。そしてギョっとする。
「「テ……」」
「種の本能ってやつだ」
食用にしたクイの皮革を剥ぎ、それらを継ぎ接ぎしてつくった被り物を被った俺は、斧を担いで歩き出す。
「亜空間展開は究極魔法。トモビキスライムたちの統合意志によって生み出される超級技術。とにかくみんなで〝力を合わせ〟ないと、亜空間は維持できない」
ドグシャッ!
動かないトモビキスライムに、斧を振り落ろす俺。菫色の核が砕けて、ついでに薄桃色のゲルが床に散る。
「で、力を合わせられるのは、もちろんみんな同じ情報を、この核の中に持っているから」
多細胞生物が分化によって臓器や組織や器官を作れる理由と同じ。
ドグシャッ!
赤い光を放ったまま、仮面の俺は斧を振り下ろし続ける。
「俺の死んだフリスキル「モウタマラン」は、相手を発情させる」
ドグシャッ!ドグシャッ!
「発情させられたトモビキスライムのクローンたちはすると、シンプルに願いはじめる」
ドグシャッ!!
「生き延びたいと」
ドグシャッ!ドグシャッ!ドグシャッ!
「生殖するために生き延びたい。であれば、あえて自分から戦うことはしない。他の誰かに戦いは任せる。トモビキスライム。特異の魔物」
ドグシャッ!
「自分の能力値が高いことは自分が一番良く知っている。だから自分のクローンである誰かに戦いは任せていい。そして自分だけは生き残る」
ドクシャッ!
「こうなると要は」
ドグシャッ!
「集まっただけの単細胞生物と同じ」
ドグシャッ!ドグシャッ!ドグシャッ!
「単細胞生物が協力する際に死活問題となるのは、誰が生殖細胞を担うかということ」
ドグシャッ!ドグシャッ!ドグシャッ!ドグシャッ!ドグシャッ!
「生殖細胞以外は生きていても無駄。生殖細胞になれないのなら、集い協力するだけ無駄」
ドグシャッ!ドグシャッ!ドグシャッ!ドグシャッ!ドグシャッ!ドグシャッ!
「それに気づいたトモビキスライムの核は、自分だけが生殖細胞になろうとする」
脳なんて、神経細胞の集合なんて、つまらないことはもうしない。
思考も魔法詠唱もやらない。
魔力消費も亜空間構築も行わない。
「それは死んだフリを始めるということ」
脳味噌みたいな亜空間展開魔法使いの攻略法は、空間展開者の脳死。
すなわち神経細胞を生殖細胞に変えればいい。
自らが展開した亜空間に獲物を閉じ込めておくだけでは気が済まず、自ら亜空間に飛び込み、獲物を自ら始末しようとした者の末路。
「そして生殖細胞となった核たちを、俺が本当に死なせていく」
そこまで言って、俺はいったん手を止める。ピノンとメリュジーヌを見る。
「これが話していなかった作戦の最後のオチだ。ちょっと手が足りないから手伝ってく、れ……?」
目を閉じている二人は股に手を挟んで何やらモゾモゾしている。
「もっと喋ってくださいテツタロウさ~ん!」
「テツタロウ!その甘い声をもっと聴かせてぇ!!」
《報告。エルフとムカデ女も猛烈に発情中。死んだフリスキル所持者の説明内容を聞いていない。声だけに反応中》
そうか。まあ仕方ない。俺のこれは、そういうスキルだ。
せっかくクイのお面を被って「ヒトのオスはここにいません」アピールをしても、変な妄想をされたらどうにもできない。
俺は長話をやめる。
仲間二人に戦闘を任せすぎた罰だ。俺一人でスライムの止めを刺すしかない。
「ピノン!メリュジーヌ!二人ともおつかれさま!!少し休んでてくれ!!!」
「「名前呼ばれたっ!ああ~んっ!!!」」
死んだフリスキル「モウタマラン」をフル稼働したまま、俺は死んだフリを続ける魔物トモビキスライムを独りで片付けることにした。
《報告。トモビキスライムの撃破により、死んだフリスキル所持者のレベルが上昇。「発情の咆哮モウタマラン」と「飢餓の咆哮メシマダカ」の威力及び効果適用範囲がさらに拡大。称号「色情郷」「飢餓宮」を獲得》
最後のトモビキスライムを破壊し終えたところで、脳内再生からお知らせが入る。
敵の命の止めだけ刺すという、一番美味しいところをもっていった俺らしく、レベルアップと同時に変な称号まで手に入る。
周囲をもう一度確認して、俺は死んだフリスキル「モウタマラン」を止める。
「はっ!?テツタロウさん!……ちょっとメリュジーヌさん!何ナメクジみたいにくっついてくるんですか!変なところ触るのやめてください!」
「いや~ん……あっ!テツタロウ!なっ!私としたことが!こんなまな板エルフを相手にっ!あなたこそ私から離れなさい!!」
勝手に大変なことになっている二人から距離をとって俺は腰を下ろし、汗まみれの仮面を脱ぎ、手拭で顔をふく。
なぁ脳内再生。このトモビキスライムの核は食べても大丈夫か?
《報告。魔物トモビキスライムを捕食した場合、長期にわたる副作用はあり》
どういうことだ?
俺は毒は効かないんじゃないのか?
《毒ではなく呪いのため、死んだフリスキル所持者にも効果あり。亜空間魔法の使用者を体内に取り込んだ場合、捕食した者の亜空間を使用できる可能性はあり。ただし亜空間魔法は精神に支障をきたす恐れあり。そしてそれを呪いという》
なるほど。
《食せば、抑圧している内面を悪夢として見る恐れあり》
それは、なんかこわい。
トモビキスライムも死の芳香「デスノート」の一つに使えるかもと思ったけど、食べるのはとりあえずやめておこう。
《とはいえ実用面においては便利。装備品、食糧、水、鉱石、動植物及び魔物の死骸の回収と収納に有用》
いくら利便性が高いからって、悪夢を見続けるってわかったらそんなもの取り込むわけない。
《支持。デメリットがメリットを大きく上回る》
というわけで、俺はトモビキスライムの核を捨てる。
先へ進むとしよう。
秘宝封印の間アメンフララ。そのさらに奥へと続く扉。
その扉がいつの間にか開いている。この先が本当の秘宝の間
「二人とも。そろそろ行くけど、大丈夫か?」
ナメクジごっこを終えた二人に声をかける。
「あ、はい!」
「もちろんですわテツタロウ」
ピノンとメリュジーヌの身支度を待って、俺は二人とともに扉の奥へ進む。
「この先に……」
唾を呑み込むメリュジーヌ。
確かに、部屋の中を見ていると俺も緊張してゴックンしたくなる。
《忠告。セキドイシの秘宝を守る空間全体はいまだに魔力を残す。警戒を怠るべからず》
そんなこと言われると心拍数が上がるからやめてくれ。
「テツタロウ?どうしたのです?」
「部屋の中にはまだ何かあるかもしれない。二人とも油断するな」
「「はい」」
俺は攻守ともに対応するべく、バトルアックスの柄を短めに握ってアメンフララの奥へとさらに進む。
ウォンウォウォンウォン……
「なんですか、あれ?」
「おそらくはあれが、セキドイシの秘宝ウゴエ」
古びて風化した祭壇が、ある。
その祭壇の上に浮かぶ、着物の帯のように太い銀色の紐。
それが形を絶えず変えながら、ウニョウニョ絡まって動いている。
《報告。ウゴエは位相幾何学体を維持。紐状の柩の7つの結び目を破壊すれば、柩は開くと推定》
「俺の脳内再生によると、あの結び目を全部破壊すればウゴエは開くらしい」
「え!?あの動いているウニョウニョの重なる所ですか!」
「そうらしい。できるかピノン?」
「う~ん……とりあえずやってみます!」
ピノンが孤狼の弓オクリオオカミの弦を引き絞る。
ヒュボボボボボボボンッ!
ガシャガシャガシャガシャガシャガシャガシャン!
「すご」
集中したピノンの風の連続矢が、動く結び目七つに全てぶつかる。
「ふん!これくらいできてもらわないと困りま……?」
ガシャーンッ!!ブワッ!!!
「「「!!??」」」
紐の結び目が壊れた途端、紐全体が音を立てて崩れ、中から水晶のように透明な光る何かがあふれ出る。
よく見たらどれもこれも魚の形をしている。
ハゼ。フグ。エイ。タイ。アジ。オコゼ。ウツボ。アナゴ。マグロ。カツオ。マンボウ。サメ。イワシ。サンマ。……すごい。なんて数だ。まるで水族館の中から魚群を眺めているみたいだ。
《退避!》
え?
ガシャガシャガシャガシャガシャガシャ ザシュッ!!
「痛!?」
え?ええ?なに?
《警告。隠れていた魔物トモビキスライム単細胞生物体1体の衝突を確認。死んだフリスキル所持者の左眼球を破壊》
あれ。片眼が、見えない。
ドサ。
「テツタロウさん?テツタロウさん!!テツタロウさんっ!!!」
「テツタロウ?どうしたのテツタロウ!?目が……なんてこと……」
尻もちをつく俺。仰向けに倒れる俺。二人に囲まれる俺。
《死んだフリスキル所持者の体内に入ったことで魔物トモビキスライムの死亡を確認。解析中……魔物トモビキスライムの大量核分裂時に生じた突然変異体と判明。変異体は感情を司る遺伝子の一部が欠損。このため飢餓の咆哮「メシマダカ」も発情の咆哮「モウタマラン」の効果も弱く、亜空間展開にも参加せず、予め室内に隠れていた模様》
そっか。
魔物全部が全部同じ奴、同じクローンなんてわけ、ないよな。変異は低確率とはいえ、一定のペースで常に起きる。
だから、都合よく、物事が運ぶわけない。
相手は特異の魔物トモビキスライム。条件付き精霊位の魔物トモビキスライム。
そんなトモビキスライムが俺なんかに、こんな簡単にやられるはずなんてない。
ヘッドショットか。
……。
こんな終わり方、マジでしたくなかった。
「テツタロウ!どうか死なないで!ピノンさん!!治癒魔法を!!」
二人を連れて、
「分かってます!!ヒールウィンド!!ヒールウィンド!!」
迷宮を出たかったなぁ。
《複数の水晶魚との衝突により魔物トモビキスライムの運動エネルギーは減衰。脳挫傷はエルフの治癒魔法で回復の見込みあり。ただし眼球内で、トモビキスライムが亜空間展開術式を記した記憶遺伝子を、死んだフリスキル所持者の周囲の視細胞に水平伝播して死滅。このため左眼球内の視細胞が呪詛による被害に遭った状態。すなわち視細胞に治癒魔法の届く見込みなし》
宙を泳ぐ魚のおかげで即死は回避、か。でも左目の再生は訳あって無理。
俺の命はまだ終わらないらしい。
なら、それでいい。それで十分。
目は二つある。一つあればとりあえず、生きていける。
俺が殺していった魔物たちの命に比べれば、俺の目玉の一つくらい安い。
生きてるだけで、丸儲けだ。
《楽観視することを否定。片方の失明は必至。さらに亜空間展開の呪詛は死んだフリスキル所持者の精神に悪影響を及ぼしかねない》
そういえば脳内再生が、トモビキスライムを食べると精神を病むって言ってたな。
「ヒールウィンド!ヒールウィンド!!ヒールウィンド!!!」
「テツタロウ!私たちが必ず助けます!だからお気を確かにしてくださいませ!!」
《怪我により、死んだスキル所持者が亜空間を所持することはもはや強制。ゆえに、死んだフリスキル所持者の精神の浸食をいかにして抑えるかを現在計算中……》
いつも前向きにアシストしてくれて助かる。脳内再生。
《忠告。期待値を下げよ。亜空間魔法展開者で精神汚染をきたさなかった者は皆無》
じゃあ、それもまた受け入れるさ。
俺がオカシクなって他人様に迷惑をかけるようになったら、その時は泣いている二人にとどめでも……
フワ~ン。フワワ~ン。
「?」
なんだ?
何かが、こっちに向かって、飛んでくる。今度は目に見えるほどゆっくりだ。
フワ~ン。
まるで、クラゲが泳いでいるみたいだ。でもさっきの水晶みたいな光を放っていない。
水色。
まるでアクアマリンみたいなキラキラした光を放ちながら、こっちにクラゲが泳いできている。
フワ~ン。
ピノンもメリュジーヌもまるで、気づいていない。
俺のことなんかより、自分たちの心配をして欲しい。
あれがトモビキスライムの変異体だったら、今度は二人の命を狙っているかもしれない。
あれ。
俺の体、動かない。脳をやられたからか?
でも意識ははっきりしている。
そして片目でも、あのフワフワは、ちゃんと目で追えてる。
フワワン。フワワン。
近づいてきたと思ったら、俺とは一定の距離を保ったまま、その場で宙を漂ってる。
こちらの隙を伺ってるのか?
何かのタイミングを計っているのか?
それとも俺の見間違い?片目だから起きる目の錯覚か?
――これ、あげる。
声?
女の子の声?
誰だ?
――これ、あげる。もう使わないから、あげる。
あげるって、何を?
《解析中。暗号判明。最適化の組合せを求める数式術。……計算終了まで250億年以上かかる恐れあり。遺伝的アルゴリズム使用決定》
――あげるのは、似てるもの。
《DNAコンピューター稼働。遺伝子操作開始。選択アルゴリズム、交叉アルゴリズム、突然変異アルゴリズム起動》
フワワン。
何と似てるんだ?
《解析中。得られた解をPCRで増幅中……》
――死んだフリ。
死んだフリって、俺と似ているのか、それは?
――似てる。死んだフリをするのと、
《解析終了。解が判明。……極めて危険な魔剣》
――実は狂暴なところが。
……。
……。
だから俺にそれをくれるのか?
――それだけじゃないけど、あげる。
《不支持。眼球内の亜空間呪に加え、魔剣の所持は副作用を伴う恐れあり》
……。
……。
くれる理由がそれだけじゃないって、何なんだ。教えてくれ。
――うれしかった。
?
――助けてくれてありがとう。だからお礼にこれあげる。
……。
そっか。
《不支持》
ごめん脳内再生。俺は、もらう。
《……是非もなし》
――超曲面破裂。6次元ユークリッド空間から5次元部分多様体を孵化。
ヒュウウウウウウウウ……
《報告。死んだフリスキル所持者の体内に魔剣シュクラサンゴが侵入》
サンゴか……死んだフリで狂暴……なるほどな。
《……提案》
俺が自分勝手すぎて、もう人生あきらめろってか?脳内再生。
《否定》
じゃあ、なんだ?
《左眼球内の変異型魔物トモビキスライムの亜空間展開術式は既に解読。亜空間名カルミナブラーナ》
なるほど。
それで?
《亜空間カルミナブラーナは内部に核を持たない場合、死んだフリスキル所持者を呑み込んで、最後は消滅する》
まるでブラックホールみたいにやばいな。
《その予想を支持。そこで魔剣シュクラサンゴを亜空間カルミナブラーナの核として据えることを提案》
そんな曲芸みたいなこと、できるのか?
《死んだフリスキル所持者が魔剣に適合した幸運を利用すれば可能。ただし魔剣シュクラサンゴの力は最小限に抑えられる。亜空間支配のため、使用できる収納用空間範囲も限定される。しかし精神汚染の進行度合いは大幅に抑制可能》
いいことづくめにしか聞こえないんだが。
《片目を失明し、呪いの亜空間を背負うことは、良いこととは言えない》
魔剣っていうからには武器だろ?
武器が手に入っておまけに大きなカバンまで手に入った。
しかもたくさんの魔物の命を奪っておいて目玉一個を犠牲にしてすむなら安い。
《お人よしめ。小さく弱き命を落とさぬよう、ゆめゆめ用心せよ》
心配してくれてありがとう。脳内再生。
《……熱感知》
?
《熱感知なら可能。死んだフリスキル所持者の左頬にピット器官を発現。赤外線を用いて左視野を補え》
ヘビみたいな能力まで……マジでありがとう。
《亜空間カルミナブラーナへ魔剣シュクラサンゴを格納。亜空間の核として接続開始》
俺は、みんなに支えられて、生きてる。
「テツタロウ!しっかりして!!」
だから絶対に、あきらめない。
「ヒールウィンド!ヒールウィンド!!ヒールウィンド!!!」
生きることを、守ることを、
《接続完了。エルフの治癒魔法により脳の欠損部も再生。視神経正常。ピット器官完成》
絶対にあきらめない!
《死んだフリスキル所持者、釘崎鉄太郎。目覚めよ》
「……あ」
「テツタロウ!」「テツタロウさん!!」
メリュジーヌに膝枕をしてもらっている俺は、二人を見上げる。
「二人とも、大丈夫か?」
「何言っているのですか?」「大丈夫なのはテツタロウさんでしょ!!」
「ああそっか。俺はたぶん、大丈夫。二人のおかげだ」
「よかったです。ぐすっ、ぐすっ」「先に死んだら絶対に、許さないですから」
「死なないから平気」。
「「「?」」」
「平気?」
「「「……」」」
えっと。
《先刻魔剣シュクラサンゴを進呈してきた者と推定。代謝ならびに魔力測定を開始》
えっと、そうじゃなくて。
「名前、なんていうの?」
その、格好がやばい。
「あ、俺?」
「そ」
「俺は、鉄太郎」
「テツタロー……じゃあテッチ」
「テッチ?」
「うん。テッチ。テッチよろしく」
「「……誰?」」
ギロリと謎の少女を見るピノンとメリュジーヌ。
髪は水色のショート。瞳は黄色。
見た目は明らかに少女。
ピノンより少し幼く見える少女。
「私はアステロイダ・シンクヴェトリル」
「「……」」
ピノンとメリュジーヌはアステロイダと名乗った少女の顔をじっと見た後、首の下へと目線を下げていく。
これは、まずい。
なんというか俺はちょっと、直視できない。
透明感のある白っぽい肌。
それをわずかしか覆っていない、マイクロビキニ。
しかもブラトップがヒトデときた。
「何ですかその格好。っていうかどこから湧いて出たんですかあなた」
「ちっぱいがオクリオオカミで壊した柩から出てきた」
「そう柩から……って「ちっぱい」は余計だ!!」
「柩?ということはあなたが秘宝ウゴエ?」
「知らない。アステはずっと閉じ込められてた。ムカデデブより長い時間ずっと」
「「長い時間ずっと」の前に何か言いましたか?」
なぜか出会って数秒で一触即発の空気になってる。
「ちょっと待ってくれ。ピノンとメリュジーヌ。こいつはさっき、俺を助けてくれたんだ」
「こいつじゃなくてアステ」
「ああごめん。アステが俺をつけてくれた」
「治癒魔法で助けたのは私です。このロリビキニではありません」
ジト目で俺を見るピノン。
「私も声掛けをいたしました!」
泣きそうな眼で俺を見るメリュジーヌ。
「そうなんだけど、えっと、どこから説明すればいいのか。あ、そうだ。魔剣だ。魔剣をくれたんだ」
「マケン。なんですかそれ?」「魔剣……どこかで聞いたような」
「テッチとアステが一つになった時空」
「「……」」
《報告。嘘ではないがエルフとムカデ女に妙な誤解を生む表現なので、訂正の必要あり》
「二人とも落ち着いてくれ。一つになったっていうのは喩えだ」
「どの辺が喩えなんですか?」「一つになったことは否定しないのですね?」
「そうじゃない!確かに心と体の一部も一つになったかもしれないが」
「「はぁ?」」
《墓穴》
「そしてテッチはアイの力で強くなった」
アイって……なんて説明したらいいんだ脳内再生!
「「………」」
《警告。エルフとムカデ女が殺気放出中》
「アレも前より大きくなった」》
「こんのおおお!?んぎゃあああ!」「神泉苑流じゅつぅああああっ!!」
「ピノン!メリュジーヌ!」
アステロイダのヒップ部分のボトムからいきなり触手が生え伸びて、ピノンとメリュジーヌをつるし上げた!しかも絡みつく!これまた直視できない光景だ!
くそ!ここまで来てミッドナイトとノクターンに強制送還されることになるのか……
「斬って」
「え!?」
斬るって、何を?
「イソギンチャク」
「何この触手!絡まって……痺れて……」「鎧の隙間を入ってきますこれ!……毒……」
「このままだと二人は眠って、その間に窒息しちゃう。だから斬って」
「……」
アステロイダに凝視された俺は、立ち上がる。バトルアックスを握り直す。
「気を付けて」
分かってる。二人を傷つけないように切らないと。
「テッチも食べられちゃうよ」
は?
ゾビュゾビュゾビュゾビュッ!!!
イソギンチャクの触手が猛烈な勢いで枝分かれをし、俺に襲いかかる。
バインッ!!
斧の刃をかろうじて触手に当てても、弾力が高すぎて弾き返される。
ギュルオンッ!
「うおっ!?」
たちまち俺は片足を巻きとられ、ひっくり返してつるし上げられる。
「足首でよかった。首なら窒息して死んでる」
アステロイダにされるがままの俺。
《斬れ》
だからそんなことは分かってる。
《魔剣で斬れ》
え?
《亜空間カルミナブラーナを開く。魔剣の力を得て、斬れ》
そんなこと言われても、魔剣の力なんてどう使えばいいのか……
《汝の〝悪夢〟が知っている》。
……。
………。
…………。
「スー、フー……」
《亜空間展開!》
シュパオンッ!!!!!!!!!!!
「……」
ひっくりかえっていた体勢を戻しながら、地面に着地する。
ドシャドシャドシャドシャドシャ……
アステロイダのビキニから伸びていたイソギンチャクの触手が細断されて落ちる。
ォォォォォォォォ……
「これが、魔剣」
俺は、手に握る禍々(まがまが)しい柄を見る。斧頭を見る。刃を見る。
「そ」
「テツタロウさん、今の」「早すぎて、剣の動きが見えませんでした」
「テッチの魔剣サンズオクリ。サンゴはやっぱりテッチに似合う」
《魔剣シュクラサンゴの力を宿した新たな魔剣「珊瑚の斧サンズオクリ」を獲得。追加情報、目の前のヒトデ娘は最強と謳われた亜人族の末裔、すなわち海星人族と判明。能力値からして王族》
「おっと」
脳内再生の情報を頭で処理している最中、裸足のアステロイダにタックルを受けたのに気づかず、倒れる。
ドサッ。
「テッチすごい。助けに来てくれたのがテッチでよかった」
チュ。
「!」
「ロリビキニ何してんだゴラアアッ!!っていうか体が痺れて動けない!!何とかしてくださいテツタロウさん!!」
「離れなさいハレンチ娘!そして私に分解できない毒の正体を教えなさい!!何とかしてテツタロウ!!」
「あ、あの」
「何?」
「二人の痺れ毒、治してくれないか?」
俺は胸の上にいるアステロイダに頼む。
「無理」
「どうして?」
「だって……」
「?」
スー、スー
寝てる!?寝落ち?
《報告。海星人族の娘はセキドイシの封印から解放された安堵と魔力の酷使により疲労。回復のための睡眠に移行》
「まじか。やれやれ」
俺はアステロイダを横に寝かせ、ゆっくり起き上がる。
《報告。エルフとムカデ娘の体内でそれぞれ毒の分解が進行。ざっくり言えば、そのうち治る》
「俺の知恵袋によれば二人の具合はじきによくなるらしい。少し休もう」
俺は立ち上がり、ザックを探す。けれどどこにもない。
《既に亜空間カルミナブラーナの中に荷物はあり》
ああそうか。収納してくれたのか。
《用心せよ。亜空間は底なしの闇。気を許せば闇は容易く汝を呑みこむ》
「わかってる」
失った左眼の奥にわずかな熱を感じる。
ドン。
気づけば水筒が左手の上にある。
「とりあえずは水だ」
キュポン。
水筒の栓を抜き、俺はピノンとメリュジーヌに水を飲ませに向かった。
蟇目「どうした?」
鉄太郎「ん?」
蟇目「さっきから窓の外ばかり見て、どうしたんだ?閉めないと雨が降りこんで……」
鉄太郎「お父さんは、聞こえる?」
蟇目「聞こえるって、雨の音か?」
鉄太郎「違うよ」
蟇目「違う?……ん?何の音だ、これ」
ヴィンヴィィーン……メキメキメキ、ドドーン……
鉄太郎「チェーンソーで樹木を伐る音だって、マソラお兄ちゃんは言ってた」
蟇目「チェーンソー……」
鉄太郎「狸が音真似をするんだって」
蟇目「こんなにそっくり、しかもはっきりと聞こえるものなのか……」
鉄太郎「狸はいつも、こっそり人のことを観察しているから、なんでもマネできるって、マソラお兄ちゃんは言ってた」
蟇目「タヌキ…………マソラ君は今、どこにいるんだ?」
鉄太郎「雨が降る前までは一緒だったけど、雨が降り出してから、「先に帰っていなさい」って言われたから、知らない」
蟇目「雨が降る前の森の中でも、こんな音が聞こえたのか?」
鉄太郎「……」
蟇目「鉄太郎?」
テツタロウ「聞こえたし、狸もいっぱいいた」。
蟇目「え?」
鉄太郎「ちょっと前に、「狸は人の音真似をする」ってマソラお兄ちゃんに教えてもらってて、今日虫取りに行った時にも、チェーンソーの音が聞こえた。だからお兄ちゃんに「狸がいるなら見てみたい」って言ったら、狸の所に連れてってくれた」
蟇目「……」
鉄太郎「狸は人に化けてて、みんなチェーンソーとか、見たこともない道具をもってた」
蟇目「……」
鉄太郎「狸は人の真似をしたがるんだよってお兄ちゃんは言って、「ちょっとここで待ってて」って、狸たちのほうに行っちゃった」
蟇目「……」
鉄太郎「狸たちはお兄ちゃんが現れてすぐは、お兄ちゃんをひどく怖がってたけど、お兄ちゃんが何か話し始めると、狸たちはすごく怒って、お兄ちゃんを突き飛ばした」
蟇目「……」
鉄太郎「あと、お兄ちゃんのこともつかんで、叩いた。手をグーにして」
蟇目「……」
鉄太郎「お兄ちゃんは口から血を流して、ほっぺも片方膨らませて戻ってきて、それでその時からね、雨が降ってきてね、言ったの」
蟇目「……何て?」
鉄太郎「風邪を引くといけないから、鉄太郎は先にお家に帰ってなさいって」
蟇目「マソラ君は、それで、マソラお兄ちゃんは何をするって言ったんだ?」
鉄太郎「悪い狸を〝ここ〟から追い払うって、言った」。
蟇目「………」
鉄太郎「お兄ちゃん、大丈夫かな。狸にまたパンチされてないかな」
蟇目「ちょっと、留守番を頼む!」
鉄太郎「お父さん?」
蟇目「万が一マソラ君に何かがあるといけないから、様子を見て来る!」
鉄太郎「ぼくも行く!」
蟇目「ダメだ!危ないから待ってなさい。それに鉄太郎がもしも雨に濡れて風邪を引いたらマソラ君は悲しむし、虫採りにだって行けなくなって、鉄太郎もつらいだろう?」
鉄太郎「うん……分かった。お留守番する」
ザァァァァァ――……
蟇目「はぁ、はぁ、はぁ、はぁ、はぁ、はぁ、はぁ……なんだ、あれは」
ブクブクブクブクブク……・
マソラ「こんな夜更けの雨の中」
蟇目「!?」
マソラ「しかもこのような所に、何か用事ですか?」
蟇目「はぁ、はぁ、はぁ、はぁ、はぁ、はぁ、はぁ……あれは?」
マソラ「あれ?一体どれのことですか?」
蟇目「あれだ!今、私がライトで照らしているあそこだ!」
マソラ「あれは、湖面に湧く大量の泡です」
蟇目「そういうことを聞いているんじゃない!」
マソラ「と言いますと?」
蟇目「あれは!何を沈めた?」
マソラ「沈める?泡の正体は湖底の細菌が発生させたメタンガスかもしれませんよ」
蟇目「あんなに一か所だけで大規模に泡が立つはずがない!それにこの、山の斜面から続く泥のタイヤ痕!どうみても車が転落した痕だ!事故でも起きたのか?」
マソラ「事故……そうですね。事故と言えば事故」
蟇目「?」
マソラ「泡の正体はハイエースバンかもしれませんし、キャラバンかもしれませんし、エブリイかもしれません」
蟇目「はぁ、はぁ、はぁ、はぁ、はぁ、はぁ、はぁ」
マソラ「何人乗っていたのか。どんな状態にされて乗ったのか。誰も知りません」
蟇目「はぁ、はぁ、はぁ、はぁ、はぁ、はぁ、はぁ」
ザァァァァァ――……
マソラ「ケーブルを切断された投光器も、油圧ポンプとエンジンが壊された重機も、届け出をせず無許可で伐採を行っていた違法盗伐者も、血まみれのチェーンソーも、あなたが追いかけてきた車の泥轍も、全ては雨が流す」
蟇目「はぁ、はぁ、はぁ、はぁ、はぁ、はぁ、はぁ」
マソラ「ここは山。都合の良いことも悪いことも、全てが水に流れる場所。だから誰も彼も居場所がある。そして誰も彼も突然いなくなる」
トトテ、トトテ、トテ、テトトテンッ!
蟇目「!?」
マソラ「スマホの着信音が聞こえますね」
トトテ、トトテ、トテ、テトトテンッ!……トトテ、トトテ、トテ、テトトテンッ!
マソラ「つい先ほど、衛星通信端末モデルが山道に落ちていたので拾ったのですが」
トトテ、トトテ、トテ、テトトテンッ!……トトテ、トトテ、トテ、テトトテンッ!
マソラ「電話に出ますか?」
蟇目「!?」
マソラ「気になりませんか?誰が誰のために何の目的で通話を試みているのか」
蟇目「……」
マソラ「出れば手に入れた何かが壊れるかもしれませんし、出なければ手に入れた何かを失うかもしれません」
蟇目「…………」
マソラ「では、湖に捨てますね」
蟇目「待ってくれ!」
マソラ「?」
蟇目「出る。電話に出る!」
マソラ「そうですか。ではどうぞご自由に」
ピ。
蟇目「もしもし……」
鉄太郎「お父さん?」
蟇目「……テツタロー?」
鉄太郎「お父さん聞いて!狸がね!狸がね!お外にいっぱいいるの!」
蟇目「!!」
ザァァァァァ……
蟇目「おい鉄太郎!狸って一体何のことだ!?」
鉄太郎「え!?お父さん聞こえない!あっ……」
ヴアンッヴアンッヴアンッッ!!!ツー、ツー、ツー。
蟇目「鉄太郎!?鉄太郎!!返事をしてくれ鉄太郎!!」
山人「チェーンソーみたいな音が山から聞こえますね。確かあちらは釘崎さんのご自宅……それにしても狸は音真似がうまい。死ぬほどに」
ヴァンヴァンヴァン……ヴィィィィィィィィィン……
マソラ「どこで何を切ろうとしているのやら」
蟇目「君は一体、何を知……」
山人「そんなことより湖の傍の山道の、ガードレールの壊れているこんな待避所にいつまでも立っていると〝誰か〟が〝誰か〟に〝あれ〟されてしまいますよ?」
蟇目「はぁっ!はあっ!……くそっ!」
山人「そう。振り返らず走ることです」
ザァァァァァ……
山闇「雨が止む前、夜が明ける前、そして手遅れになる前に、闇児の元へ帰れ」。




