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その5

「ノエル様。召喚者(しょうかんしゃ)皆様(みなさま)登録(とうろく)無事完了(ぶじかんりょう)いたしました」

「そうですか。それは結構なことです。ありがとうございます」

 純白の(きぬ)でできたローブで肌身(はだみ)(かく)す、中性的(ちゅうせいてき)な人物はギルドの受付嬢(うけつけじょう)に礼を言うと、19名の少年少女たちへ体を向ける。

所詮(しょせん)(おり)の中の(けもの)と一緒。時間さえ立てば仲間が消え死んだところで思い(わずら)うことなどない)

 人間に成りすました天使サンダルフォンは召喚者19名を見ながら満足(まんぞく)そうに(うなず)くと、息を大きく吸い込んでやや声を()る。

「皆様。お疲れさまでした。冒険者(ぼうけんしゃ)ギルドでの登録が完了いたしました。これで皆様は冒険者として、ゆくすえはその能力ゆえ、(つね)ならぬ(もの)として活躍(かつやく)されることでしょう」

 観光客(かんこうきゃく)のごとく三週間というたっぷりの静養期間(せいようきかん)を与えられ、ようやく〝トラウマ〟から抜け出し始めた召喚者19名は肩を寄り添いあい、ほっと息をつく。あるいは調子よく笑う。はしゃぐ。まるで修学旅行(しゅうがくりょこう)のように。

 〝トラウマ〟。

 国家の集合体であるマルコジェノバ連邦(れんぽう)を構成する十七の国々のうち、東端(とうたん)にあるオキシン国のエアーズロック頂上で起きた事件。召喚直後(しょうかんちょくご)通過儀礼(つうかぎれい)

 トランプスキルの中でも最凶(さいきょう)を誇るジョーカースキルを同級生の志甫蒼空(しうらそら)に押し付け、そのしっぺ返しに彼から重爆撃(じゅうばくげき)を食らい、結果的にクラスメイトの4割弱を失ったこと。

 19名はその後、(ドラゴン)に変身したサンダルフォンに連れられ、マルコジェノバ連邦最大の国家マルコジェノバ(こく)()れてこられた。

 連れてこられ、異世界(いせかい)馴染(なじ)むべく十分な衣食住と多少の魔法知識(まほうちしき)を与えられた。

「ではこれより、能力測定(のうりょくそくてい)(まい)りましょう」

 衣食住の住は、マルコジェノバ国の首都にして繁栄(はんえい)絶頂期(ぜっちょうき)にあるプリシュティアナ。

 そして今、天使に連れてこられたのはプリシュティアナで最大規模を誇る冒険者ギルド「ネルウェ」。昼夜を問わず人だかりの絶えない場所の喧騒(けんそう)体臭(たいしゅう)体温(たいおん)が19名にさらに安心感を与える。自分たちの見知った世界の繁華街(はんかがい)(かさ)なる。

「なあ、あの魔道具(まどうぐ)(はか)るんだろきっと!」

「やべどうしよう!緊張してきた」

 祝日の運転免許(うんてんめんきょ)センターのように長蛇(ちょうだ)の列ができている。その様子を興奮気味に(うかが)う少年少女たち。免許センターと異なるのは、不愛想に書類の不備で突き返される不機嫌な人がおらず、受け付けのカウンターバーで光り輝く水晶とその後に魔法刻印されたタグを見て盛りあがる人々の存在。

 魔道具(まどうぐ)アライケワ。

 登録したばかりの冒険者、力をつけた冒険者の所持する属性(ぞくせい)能力(のうりょく)武具(ぶぐ)との相性(あいしょう)判断(はんだん)する代物(しろもの)

 その水晶に両手で触れて一喜一憂(いっきいちゆう)する冒険者たちのリアクションを目の当たりにし、自分たちの置かれた境遇(きょうぐう)を頭の片隅(かたすみ)に追いやる召喚者たち。

「私、何色に光るんだろ」「っていうか、光らなかったらどうしょう?」

 ドッグタグを(にぎ)りしめながら色めき立つ声。

「俺のはこの中で多分一番毒々(どくどく)しい光を放つぜ」「(れん)的にそれは(ゆず)れないわな」

 能力判定後(のうりょくはんていご)(きざ)まれた名前とは別にタグに埋め込まれることになる鉱物。

「神様、どうか私に特別な力を」「大丈夫だよ芽衣(めい)ちゃん。私たちみんな特別だから」

 それが何の鉱物か。何色の鉱物か。どの程度の(じゅん)()の鉱物か。

仙石閣下(せんごくかっか)。思ったのですがあれ、アルコール消毒(しょうどく)されているようにはみえません。ばい菌と接触感染(せっしょくかんせん)する気がしてならないのですが」「ウヌはアホか!そんなこと気にしてどうする?それよりドキドキでおじゃる!万が一「あなた様は曼荼羅(まんだら)のごとく光り輝いておりまする」なんぞ告白された日には……」

 バラ色の未来を想像する、異世界初心者(いせかいしょしんしゃ)の若者。

「皆様の測定器具は特別に用意してございます」

 ニコニコしたまま天使サンダルフォンは19名にそう告げ、腕を軽く伸ばし、「あちらへ」と一行を(うなが)す。待ちかまえていた受付翁(うけつけおう)はサンダルフォンに一礼し、端正(たんせい)な装飾の施された(みやび)な扉をそっと開く。

 ガチャーン。

「召喚者である特別な皆様に、いきなりかような魔道具で能力をお測りするなどもってのほか。潜在能力(せんざいのうりょく)を見逃されでもしたら納得されない方もおられるでしょう。ですからもっと正確(せいかく)測定具(そくていぐ)がございますので、そちらへまずは案内いたします。どうぞついていらしてください」

 ワクワクドキドキが止まらない19名は、天使の後ろをぞろぞろと続いていく。

 バタン。

 老紳士(ろうしんし)が扉を静かに閉める。一瞬にして昼間の明りが消え、温度が消え、喧騒が消え、完全な暗闇と無音に陥って悲鳴を上げる女子。

 ボボボボボボボボボボボボ。

 松明の明りが勝手に灯る。

 そこは地下へと続く螺旋階段(らせんかいだん)。地面をくり抜いて石で固めたように続く円柱の壁面の階段を、壁に備え付けられた松明の明りだけを頼りに降りていく一行。

「足下に気を付けてついてきてくださいまし」

 まるで化け物屋敷(やしき)にでも迷い込んだかのように息をのみ、驚嘆(きょうたん)の声を()らす召喚者たち。階段を一段降りるごとに気温が下がっていく体感。

「すごい……」「なんか一気に寒くなった」

 化け物屋敷。

「これ、どこまで続いているの?下が見えない」「なんか怖い」

 (いな)

「落ちたらヤバくね?」「それな。運が悪ければ死……」「え?」「いやなんでもない」

 ここは異世界パイガ。魔物も神も魔王もいる世界。

 化け物屋敷より異常(いじょう)な化け物屋敷そのもの。

「さあ、着きました」

 冒険者ギルドの地下底(ちかてい)鋼鉄製(こうてつせい)重厚(じゅうこう)(とびら)の前で天使は足を止め、後ろを振り返る。手摺(てすり)のない螺旋階段(らせんかいだん)の恐怖で暑さを忘れ、冷や汗をかいていた19名は安堵(あんど)の息をつく。

(すで)説明済(せつめいず)みですが、召喚者様には神より(さず)かりし《(てん)(こえ)》なるものがございます。それによって亜人族(あじんぞく)の言語や文字に関しては召喚者様の脳内で翻訳(ほんやく)され、また召喚者様の発する言葉も他の者に理解できるよう変換(へんかん)されます」

 言いながら、天使は首を上に伸ばすそぶりを見せ、頭上に目を向ける。19名はその目線を追う。扉の上に掲げられた文字盤を19名は見る。脳が翻訳し、内容を伝える。

『ハネムーンキス』

「愛と祝福(しゅくふく)をもって、皆さまをご歓迎(かんげい)しましょう」

 ギギ。ゴッゴッゴッゴッゴッ……

 重い鋼鉄製の扉が内側に向かって開く。のんきに純愛(じゅんあい)卑猥(ひわい)を想像していた少年少女たちの鼻につく、血と汗と汚物と金属と砂のニオイ。

 そして暗い。何も見えないほど暗い。

 フ。

 自分たちの後ろを照らしてきた螺旋階段の松明の光は一斉に消え、何もかも見えなくなる。前の闇に向かって進むしかなくなる19名。部屋に入るしかない19名。

「こちらです」

 その先頭を進む天使の声に促され、19名は身を寄せ合いながら前におずおずと進む。

 ダムンッ!

 鋼鉄の扉が一気に閉まる音で、小さな悲鳴を上げる一同。

 ポッ!ボボボボボボ……

 室内に照明(しょうめい)仄暗(ほのぐら)く灯されていく。

「「「「「「………」」」」」」

 闇と光に慣れてきた召喚者たちは部屋の様子をつぶさに観察する。

 片手剣、両手剣、両刃剣、斧、ナイフ、槍、ハンマー、弓矢、(つえ)(たて)……

 刀剣類、短剣類、鉾槍(ほこやり)類、打撃(だげき)武器、射程(しゃてい)武器、特殊武器、(よろい)(かぶと)、盾。

 地ならしされた、円形の地面を取り囲むように設置された、あまたの武器と防具。

「……」「………」「…………」

 そして円形の地面の中央にいる三名の人物。

 全身を黒い甲冑(かっちゅう)(おお)い肌一切を隠している、細身の女。

 動物の毛皮(けがわ)皮鎧(かわよろい)(まと)っている、大柄な体躯(たいく)の男。

 細かい刺繍(ししゅう)の施された赤いローブを羽織る、白い顎髭(あごひげ)が豊かな小さな老人。

 3名とも手に獲物(えもの)は、なし。

「召喚者の皆様。ようこそハネムーンキスへ。皆様の能力はこちらの御三方(おさんかた)が特別に測定してくださいます。皆様から見て左側から順に、ブラックスワン様、ジェイク様、ラウンヤイヌ様です」

 3名の尋常(じんじょう)ではないオーラで言葉がでない19名。

「お察しの通りこの御三方は」

「サンダルフォン殿。それはまた後ほど」

 黒甲冑のブラックスワンに言われ、天使サンダルフォンは口をつぐむ。

「そうですね。その方が良いでしょう」

 天使は紳士(しんし)のごとく頭を下げる。

「どれでもいい。好きな物を選べ」

 ブラックスワンは右腕を横に動かし、召喚者19名たちに武具の選択を命じる。

 どよめきながらも、19名はキョロキョロとあたりを見まわし、武具の傍へと移動していく。

「異国の若い(むすめ)か、(うず)くぜ」

 股間(こかん)を指で掻きながら低い声で笑う毛皮のジェイクに、身の危険を感じた少女たちが急いで武器を決め始める。

(何を選ぶのかもきっと審査(しんさ)の対象なんだ!)

 そんな中、現状をあくまで試験(しけん)(とら)え直すのは、学級委員長(がっきゅういいんちょう)和布浪芽衣(わかめなみめい)。ショートソードとバックラーを選ぶ。自分の筋肉量を考え、鎧は即死を避ける胸当てのみ。

(大丈夫。私はスペードスキル。騎士(きし)だから剣との相性(あいしょう)は良いはず!)

 あくまで計算し、トラキアヘルムを(かぶ)る。耳と顔前面以外はガードする(かぶと)

(俺はキングスキルに選ばれた。特別な人間だ!!)

 自分の力を証明したくてこの瞬間を待ちわびていた男。大音師蓮(おおとしれん)。盾など目もくれず

広刃(ひろば)両手剣(りょうてけん)クレイモアを選択。ただし予備としてハンドアックスも(こし)に装備。筋力に自身のある大音師の鎧はハーフアーマーだが鍔付兜(モリオン)なし。

(ジャックスキル……絵札スキルに選ばれたのは光栄として果て、どれがいいのか?)

 選択に困った仙石大輝(せんごくたいき)はオタク仲間と相談し、とりあえずブラックスワンを真似て全身を甲冑で包む。しかしまともに息ができないことに気づき却下。顔面だけ露出したキュイラッサアーマーに変更。盾はしかしスクトゥム。重量級の大型長方形盾(ちょうほうけいたて)

「重くないのか仙石氏?」

「それが意外に軽々と動かせるのだ同志!これもジャックスキルのおかげかもでおじゃる!」

 筋力ではなくスキルとの相性(あいしょう)によって装備可能な防具があることに気づく仙石。

「さすが仙石氏!もってますな!」

「当たり前でおじゃる!」

「ところでサイリウムがないです仙石氏!」「異世界なんだから仕方ないでおじゃる」「制帽(せいぼう)もございませーん。大変参っておりまーす。みなさま~この先は気を付けて行ってらっしゃいませー」「自由でいいのよ。あなたが制帽だと思ったらどの兜も制帽。それがコスプレ道というもの」

 わいわいがやがや真面目(まじめ)にやっている4名のせいで、空気が間の抜けたように(なご)む。

「ふぉっふぉっふぉ」

 顎髭(あごひげ)をしごきつつ、乾いた声でその様子を笑うラウンヤイヌ。


「皆様、準備(じゅんび)(ととの)いましたか?」

 天使サンダルフォンが召喚者19名に声をかける。

「はい!天使様!!」「それで?誰から順番に見てもらえんだ?」「見るでごじゃる!わが鉄壁(てっぺき)の構え!」

 和布浪(わふなみ)大音師(おおとし)仙石(せんごく)の返事で、みな士気は上々。

「一度に全員を見よう」

 ブラックスワンが冷たく言い、召喚者たちに背を向ける。

「一人ずつなんざ面倒くせぇ」

 あくびをしたジェイクも目をこすり背を向け、歩き出す。

「おいおい。まさか魔法使いのじいさんだけで審査かよ?」

 大音師が残ったローブ姿のラウンヤイヌに軽口をたたく。

「ふぉっふぉっふぉ」

 ラウンヤイヌは大音師の目をギロリと見る。

「おぬしらの相手をワシらがすると言うたか?」

 ラウンヤイヌはそう言って天を指さす。一同はその指先を追って首を上げる。

「……?」

「見えぬか。ほれ」

 ボボボボボボボボボボボボ。

 螺旋階段を降ってきた時のように、会場であるハネムーンキス全体が明るく照らし出される。

「グルルルルルルルルルルルルルルルル………」

 天井に逆さまになって控える、一匹の魔物。

《警告。中位(ちゅうい)の魔物パンダグモが召喚者(しょうかんしゃ)威嚇(いかく)曳糸(ひきいと)ヨリヤガに(から)まれないよう注意。現時点の召喚者レベルでは、糸に絡みとられた場合、高確率(こうかくりつ)致死(ちし)

 召喚者19名の脳内に(ひび)く天の声。久しぶりに聞いた「死」という単語。

「パンダグモを止めるタイミングは?」

「使い物になりそうな(こま)が見定まった時点で構いません」

「それまで泳がせていいってか。全員ゴミだったらどうする?」

「好みの者だけ玩具(おもちゃ)にして結構です。召喚者に本物の勇者を(はら)ませるというのも使い道の一つかと」

「死体はもらって()いか?」

「ええ。以前魔王退治をされた時のように、強い冒険者のキメラ化にご使用していただく条件でならば、お(ゆず)りします」

 天使と試験官3名のやりとりが召喚者たちの耳に入る。その天使も試験官三名も召喚者たちの視界にはもういない。

「はぁ、はぁ、はぁ、はぁ……」

 19名から、徐々に血の気が引いていく。

「皆様を捕殺貪食(ほさつどんしょく)しようとしている魔物はパンダグモ。天の声から説明があったと思います。付け加えると、郊外の村などでたまに1匹でも出没すると、翌日までに村人は全員殺されて、その始末に軍隊が派遣されるか、Bランク以上の冒険者を対象とした緊急討伐クエスト案件に上がるのが魔物パンダグモです」

 天使のよどみない美声に、魔物の荒々しい息遣(いきづか)いに、19名が脂汗を浮かせる。

「その恐るべきパンダグモに対する皆様の雄姿(ゆうし)をこれより御三方(おさんかた)にご覧になっていただきます。ブラックスワン様、ジェイク様、ラウンヤイヌ様。この方々はみな、かつて召喚者を勇者として育て上げ、勇者とともに魔王討伐(まおうとうばつ)に成功された、(たぐい)まれなる御仁(ごじん)です」

「「「「「「!!!!」」」」」」

慈悲深(じひぶか)きモレク神は再び(よみがえ)魔王(まおう)ラクシャラーヴァに備え、魔王討伐に貢献(こうけん)した方々を深い眠りに就かせ、危急の時にまた起こすのです」

 そこまで告げて、天使は指をパチンと鳴らす。魔物パンダグモがクモのような(あし)をのっそりと動かし始める。巨大なクモの頭胸部の上に、腕を長くしたパンダの上半身が生えたような異形(いぎょう)が動き出す。

「さあ、始めましょう。御三方の御眼鏡(おめがね)(かな)う者がいるとよいのですが」

 ブシュウウッ!!!!!!!

 パンダグモのクモ部分の(あご)が開き、糸を鋭く発射(はっしゃ)する。

 会場全体に白い糸が(あみ)のように張り巡らされる。

「え?」「きゃああああっ!」

 糸の勢いだけで胸を貫かれて動かなくなる召喚者2名。()いた血が、傷口から噴きこぼれた血が、糸を赤く()らす。

「うわ!」「動けない!!誰か!」「助けて!!」

 パニックになって動き回り、粘着性の横糸(よこいと)に触れてしまい動けなくなる者3名。

「グルルル……」

 縦糸(たていと)の上をじわりじわりと動き始める魔物パンダグモ。

「くそ……」

 横糸の粘着性(ねんちゃくせい)に気づき、自分が狙われないよう慎重に移動し、魔物の(すき)(うかが)う大音師。

「じっとして!今、糸を切るから!!」

 ショートソードを必死に振り回し、とらえられた同級生の救出を試みる和布浪。しかし糸は揺れるだけで切れない。

「これではいかん!殺される!!」

 糸の衝撃を防いだ大盾を捨て、動きにくい鎧も脱ぎ、恥もへったくれもなく下着姿で逃げ回る仙石。逃げた先にあった弓矢に気づき、あわてて手に取る。

 一方、

 グイ。ビョンッ!!ドグシャッ!!

「「「!?」」」

 自分で吐いた縦糸の張力(ちょうりょく)を使って一瞬で移動するパンダグモ。

 魔物が移動する動線上(どうせんじょう)にいた召喚者の上半身だけが消し飛ぶ。残されて倒れた下半身が痙攣(けいれん)しながら出血する。ボチャリと内臓が(こぼ)れる。

 シャカ。シャカ。シャカ。シャカ。……

 糸から糸へぶっ飛び終え、パンダ腕の先にくっついている引き裂いた召喚者の上半身の骨肉をバキバキ食べながら、悠々(ゆうゆう)と移動するパンダグモ。惨劇(さんげき)発狂(はっきょう)し、武器を捨て叫び出す召喚者たち。

(やばい!)(マジで殺される!)(試験って命がけなのかよ!?)(死にたくない!!)

 大音師と一緒に行動していた4名が次々にその体を()られていく。おびただしい量の出血が地面の砂に()み込み切れず、血だまりをつくり、川となって流れる。

 ピュ。

「くそがぁっ!!」

 大音師の眼元にパンダグモが糸を吐く。瞼と鼻孔が接着され、視界がふさがれる。

 ドス。

 4名の死体に囲まれ糸を食らい光を失った大音師の背後から、パンダグモの爪が突き刺さる。

「ごはっ!!」

 心臓を(えぐ)りぬかれ、血を口を(むね)から吹き上げて仲間4名同様に倒れる大音師(おおとし)

和布浪(わふなみ)さん!魔物がこっちに!!」「来た!来た!殺される!」「落ち着いてみんな!」

 同級生4名に全力でしがみつかれて身動きが取れなくなった和布浪は他の4名もろともパンダグモの糸で巻きとられてしまう。

「「「「「!!!」」」」」」

 顔面の穴という穴を糸で(ふさ)がれ、全員窒息(ぜんいんちっそく)

 ドスドスドスドスドス!

 おまけにクモ肢の先端で頭蓋(ずがい)頭頂部(とうちょうぶ)から突き()られ、脳が(ゆか)にたたきつけた豆腐(とうふ)のように(つぶ)れる。

「もはやここまででおじゃる」「往生際(おうじょうぎわ)ですな」「来世でのまたのご利用をおまちしておりまーす」「次はコミケのある異世界(いせかい)で会いましょう」

 仙石(せんごく)に呼ばれ、集まった3名含め全員で弓矢を装備した召喚者4名は矢を魔物めがけてはなちつつ、涙ながらに心情を吐露(とろ)する。そして、

 ドゴッ!ボッ!ガンッ!ガガンッ!

 しょっぱなに糸に貫かれて死んだ召喚者2名のバラバラ切断死体を矢のごとく魔物から投げつけられ、頭や胴体を激しく損壊されて、4名とも崩れおちる。

 召喚者十九名全員死亡。

「いかがですか?」

 大部屋の天井に昇っていくパンダグモを見ながら、再び姿を現した天使サンダルフォンが試験官3名に尋ねる。

採点(さいてん)のほどは?」

「0点だ」

「発育の良い女どもだけ娼館(しょうかん)に売ったらいいかもな」

「キメラに使いたいとも思わぬ」

 試験官3名の辛口採点(からくちさいてん)を聞き、小さく鼻を鳴らす天使。

「だからあなた方を起こしたのです」

魔王討伐(まおうとうばつ)に成功した者は一人しか覚醒(かくせい)させられぬと、以前の天使から聞いていたが」

 ブラックスワンが核心(かくしん)を突く。

「それは原則(げんそく)。何事にも例外(れいがい)はございます」

 原則を(ひね)じ曲げる法理(ほうり)を見つけ出した天使がほくそ笑む。

極道天使(ギャングスター)上前(うわまえ)は、はねられそうにねぇな」

 ジェイクが言って、ため息をつく。

「それが極上の天使たる者。精霊の遥か先を行く者」

 ラウンヤイヌが召喚者の死骸を見ながらつぶやく。

「私は何が何でもゲーム「ソロモン」で勝つ。勝利の(あかつき)にはあなた方の望みは必ず(かな)えます」

「この終わらぬ悪夢(あくむ)から私を解放(かいほう)してくれるのだな?」

 黒い甲冑(かっちゅう)が問いつつ、毛皮男(けがわおとこ)に兜を向ける。

「俺は、ただ好きなように、やりたいようにまた生きて終わりてぇ」

 毛皮男は黒い甲冑に指でサインを送る。そして赤いローブの(おきな)を見る。

「精霊の座に挑めるのであれば、ワシは何者になってもよい」

 黒い甲冑も毛皮男も見ず、ただ二人に対しうなずく赤い翁。

「いずれも叶えましょう。魔王を破った召喚者たちをあなた方の代わりに()えることで」

 短い会話を終えた天使は天に両手をかざす。

「!?」

 食事を終えてリラックスしていた魔物パンダグモの様子がおかしくなる。

「止まりし命の素子(そし)よ、あるべき所へ再び(つど)え。生命の平衡(へいこう)を取り戻せ」

 天使の詠唱(えいしょう)で魔物の体が内部から膨れ上がり、炸裂する。

 ドバシャッ!!!!!

 飛び散った血肉、腸が落下しながら黄金の光に包まれる。砂金のようにキラキラと散り、地に舞い降りた時には光が消えている。裸だが、無傷の召喚者たち19名が横たわる。

「なあ、今のうちに子娘(こむすめ)ども全員の味見(あじみ)をしていいか?」

 少女たちの尻と胸を眺める毛皮男(ジェイク)

「お前の逸物(いちもつ)を入れられれば娘どもの頭と(また)(こわ)れる」

 全員の筋肉量(きんにくりょう)を見定める黒甲冑(ブラックスワン)

「オナゴに()えとるなら獏人族(テイパー)にせい。ヌシのナニを入れて喜ぶのは奴らくらいじゃ」

 召喚者の魔力量を測る長衣翁(ラウンヤイヌ)

 その試験官3名がそれぞれ片腕を前に伸ばす。手の甲にある魔法刻印(まほうこくいん)が光る。

 漆黒(しっこく)の布地に首以外の全身を包まれる、和布浪芽衣(わかめなみめい)たち召喚者10名。

 毛皮のマントをただ布団のようにかぶせられる、大音師蓮(おおとしれん)たち召喚者5名。

 赤い細布を首から下、包帯のように巻きつけられる、仙石大輝(せんごくたいき)を含む召喚者4名。

 バチン。

 天使が指を鳴らす。パンダグモの糸が燃え、パンダグモの死骸が燃える。

 19名が一斉に息を吹き返す。目を覚ます。

「ごきげんよう。生き返ったご気分はいかがでしょう?」

 ゆっくりと上体を起こす19名。

 燃えゆく糸の残骸。燃えゆく魔物の残骸。

 それらが召喚者たちに魔物パンダグモを思い起こさせる。パンダグモの攻撃を思い出させる。パンダグモにもたらされた死を思い出させる。

「ヘクセンキュッヒェ」

 試験官ラウンヤイヌがつぶやくと、部屋「ハネムーンキス」に灯る炎がさらに強くなる。昼間のように明るくなる。備えてあった全ての武器と防具が燃え上がる。

「一週間ほどまえの食事に魔道具を混ぜました。名はエンジェルダスト。皆様に覚悟を決めていただくため、少々高価ですが、ふんだんに使わせていただきました。残念ですが、もう在庫はございません」

「エンジェルダストってのは、一人分でも国が一つ買えるほど超高価な魔道具だぜ」

 ジェイドが低く笑いながら解説する。

拷問(ごうもん)のように幸運(こううん)だな。生きながら死を味わえて」

 皮肉(ひにく)たっぷりにブラックスワンが続ける。

「使う価値があったかどうか……」

 目を閉じたまま、ラウンヤイヌがしめくくる。

「これより皆様はこの三名の達人(たつじん)のもとで技を磨き、ゆくゆくは魔王(まおう)ラクシャラーヴァに挑んでもらいます。……あ、そうでした」

 ここまで全て試験官3名と(あらかじ)口裏(くちうら)を合わせて行動していた天使は、はじめて3名の知らない行為(こうい)に及ぶ。

 ルーピックキューブのような形をした魔道具アウナザを(ふところ)から1つ取り出す。瞬時にそれは3つに分裂し、試験官3名の元へ飛んでいく。3名はアナウザを手に取る。

《全体へ定期報告(ていきほうこく)

 魔道具アナウザ。

 それは、召喚者にしか聞こえない天の声を、召喚者でない者にも聞こえるようにする魔道具。試験官(しけんかん)3名はアナウザを(わた)されるとは聞いていたが、いつ渡されるかは天使から聞いていなかった。

 それが今。なぜなら、


《現在、ジョーカーは流刑(るけい)の島フィリニア(みなみ)沖合(おきあい)20kmの海底火山内(かいていかざんない)で、精霊位(せいれいい)の魔物リヴァイアサンと交戦中(こうせんちゅう)


「「「「「「「「「「「「「「「「「「「!」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」

 ジョーカーのことを思い出し、強張(こわば)召喚者(しょうかんしゃ)19名。

「「「!?」」」

 〝今回〟のジョーカーの存在をはじめて知り、驚愕する試験官3名。

「ジョーカーがもういるのか?」

 かつての天使に言われ、召喚者がみな十分に育ち、魔王討伐に挑む直前、ジョーカーを自ら指名した悲劇的過去(ひげきてきかこ)しかもたないブラックスワンが驚いて天使サンダルフォンに尋ねる。

「ええ。最初に選ばせました」

「選ばせた、だと?」

「はい。何か問題でも?」

「………」

「精霊位の魔物を相手にしていると聞こえたが、本当か?」

 かつての天使に言われ、召喚者が召喚されてすぐ強制的に自ら選び、その場ですぐに他の召喚者たちにジョーカーを仕留めさせる猟奇的過去(りょうきてきかこ)しかもたないジェイクがサンダルフォンに聞き直す。

「はい。召喚し、選定された直後から、精霊位の魔物未満の力では止められないレベルでした」

「いわゆる天才ってやつか」

「いいえ。天災的悪魔(てんさいてきあくま)です」

 精霊位の魔物。

 その正体は、ゲーム「ソロモン」で敗北(はいぼく)した天使のなれの果て。

 天使へ復帰(ふっき)するためのゲーム、つまり「ソロモン」に再挑戦(さいちょうせん)する条件(じょうけん)はただ一つ。

 ジョーカーとなった召喚者を殺すこと。

 故にジョーカーに対し、死ぬ物狂いで魔物リヴァイアサンは挑む。

 敗者復活戦(はいしゃふっかつせん)復活(ふっかつ)するために。

「海底の、しかも火山内で精霊位と戦闘……耳を(うたが)ったが、それができるほどの傑物(けつぶつ)なのか?」

 かつての天使に言われ、ジョーカーを(あらかじ)め召喚者たちに選ばせ、魔王とジョーカーを戦わせた後、傷つき弱ったジョーカーを召喚者たちに殺された戦術的過去をもつラウンヤイヌがサンダルフォンに(ただ)す。

「認めたくはありませんが傑物です。あれは運動(うんどう)する(しろ)。マグマの中であろうと水中であろうと空中であろうと普通(ふつう)に戦えます。それがご存じの通り、疑似魔王(ぎじまおう)ジョーカーです」

 重すぎる沈黙がハネムーンキスをしばらく支配する。


「エーススキルは?」


 長い沈黙を破ったのは試験官ブラックスワン。

「エースはまさか、死んではおるまいな?」

 ラウンヤイヌが念を押す。

「死ねばこのように報告が入ります。しかしいまだ報告はありません。すなわち」

 天使が召喚者19名に顔を向けたまま目を(みは)る。

「この中にいるはず。いなければならぬ」

 召喚者19名たちの中にはじめて、「エース」という言葉が(きざ)まれる。

「ジョーカースキルの唯一(ゆいいつ)対抗馬(たいこうば)であるエーススキルは皆様の中に(ねむ)っているはずです。皆様は早期にそれを開花させ、あの強きジョーカー志甫蒼空(しうらそら)を、エースと結束(けっそく)してうち倒し、各々が英雄(えいゆう)シリーズの扉を開き、魔王討伐(まおうとうばつ)悲願(ひがん)を達成してくださいませ」

 天使サンダルフォンはそう結んで扉の方へ向かっていく。

「エーススキルが誰かもわからないまま全滅(ぜんめつ)などという()き目に遭った日には、それはもう、目も当てられません。馬車馬(ばしゃうま)として生きる永劫(えいごう)輪廻(りんね)覚悟(かくご)してください」

「「「……」」」

 扉の前に立ち、背中で試験官3名を(おど)す天使サンダルフォン。

 ギギ。ゴッゴッゴッゴッゴッゴ……

 扉がひとりでに開く。進み出て、再び真後ろに体の向きを変える天使。白い歯を見せながらひろびろとした微笑を浮かべる。

「それでは皆様、私は今後、精霊位の魔物が皆様に近づかないよう、監視行動(かんしこうどう)を行ってまいります」

 ゲームに敗れた元天使(ルーザー)嫉妬(しっと)(くる)い、ゲーム中の天使(プレイヤー)の足を引っ張ることが多い、とはサンダルフォンは言わない。

「言い換えますと、召喚者の皆様のお(そば)(つか)支援(しえん)することが難しくなります。今後の修行や生き方は、技の達人であり人生の師匠となる御三方から各自ご教授されてください。そしてより一層強くなってくださいまし。そうでないと、ビトレイヤーとなった世良田様(せらださま)綾瀬様(あやせさま)()かばれませんから」

「「!」」

 召喚者19名をも追い打ちし、天使は一礼(いちれい)する。扉の外へと立ち去っていく。扉がひとりでにまた閉まる。

 タン。タン。タン。タン。タン。

馬鹿(ばか)(はさみ)使(つか)いようだ)

 死ぬ恐怖と痛みを刻みこまれた召喚者19名。

 ブラックスワン。ジェイク。ラウンヤイヌ。

 リヴァイアサン。

 〝馬鹿〟と〝鋏〟の運用法(うんようほう)をあれこれ思案しつつ、螺旋階段(らせんかいだん)を独りで登っていく天使サンダルフォン。

《報告。追跡者(ついせきしゃ)ロックバード1体が現在マルコジェノバ首都プリシュティアナの北東70kmまで接近(せっきん)

(三週間もの時間をかけ、抜かりなく召喚者と私のダミーを世界中に()()らした。周囲70km圏内(けんない)にわずか1匹?おそらくは偶然迷(ぐうぜんまよ)い込んだだけ)

「虫けらめ。蜘蛛(くも)のごとく食らってやろうではないか」

 天使にのみ聞こえる特別な「天の声」を聞きながら不敵(ふてき)に笑う天使。

臨時報告(りんじほうこく)

「?」

(そう言えばビトレイヤー二人の死亡報告(しぼうほうこく)がまだ上がってこない。ジョーカーに(なぶ)り殺されているにせよ、そろそろ一人くらい報告があってもいいはず……)

《魔王ラクシャラーヴァが淵位(えんい)魔物(まもの)ベルゼブブをオキシン国の地上迷宮(めいきゅう)セキドイシに投入(とうにゅう)

「なに?」

 天使の足が止まる。

(なぜこのタイミングで魔王が魔物をあえてセキドイシに投入する?しかも淵位の魔物だと?魔王子飼(こが)いの中でも最強と(うた)われる八刹(はっさつ)の一つをなぜ今!?)

 思案(しあん)に暮れる天使が階段を()み外す。しかし落下せず、重力を無視し、宙に浮いたままでいる。

(セキドイシの封印(ふういん)ウゴエを解くつもりか?誰のために?狙いは誰だ?私か?ジョーカーか?それともリヴァイアサン?それとも……)

 天使は浮遊(ふゆう)しながら横たわる姿勢を立て直し、出口に向かって飛んでゆく。音もなく着地する。

 ガチャーン。

「お帰りなさいませ。ノエル様」

 重さ1トンの扉を老紳士が軽々と開き、挨拶(あいさつ)する。

「ただいま戻りました。しばらくしたら、ベテランが〝初心者(しょしんしゃ)〟を連れて上がってくると思いますので、アライケワでの測定など、花嫁(はなよめ)初夜(しょや)のごとく、万事(ばんじ)丁寧(ていねい)によろしくお願いします」

心得(こころえ)ております」

(それともまさか、セキドイシ内部に召喚者の生き残りが侵入(しんにゅう)して……それはあり得ない。いや、たとえ万に一つ生きて侵入できたとしても、頂上から地上1階層までたどり着き生還した召喚者は今まで皆無(かいむ)。となれば魔王の(ねら)いはやはりウゴエか……)

 臨時報告の真意(しんい)(はか)りかねた天使サンダルフォンはそれ以上考えることをいったんやめ、邪魔者(じゃまもの)ロックバードの駆逐(くちく)(うつ)ることにした。


その5.おまえ、だれ?


「………」

 地上迷宮(ちじょうめいきゅう)セキドイシ57階層(かいそう)。肌寒く薄暗い空間。

 目の前には縦横無尽(じゅうおうむじん)()(めぐ)らされたクモっぽい魔物の糸。

 バイン。

 べた付く横糸に警戒(けいかい)しながら、心拍数と呼吸と体温を上げた俺は縦糸(たていと)に意識を集中させる。指でそっとはじく。

 バイバイン。バイン。バイバイバイン。バイン。バイバイン。

 《報告(ほうこく)中位(ちゅうい)の魔物パンダグモが高速接近中(こうそくせっきんちゅう)

 シャカシャカシャカシャカッ!!!!

 俺は代謝を一気に下げる。

 バイピンッ!ピピピピピンッ!

「!?」

 そして(はじ)き方を変えた瞬間、パンダグモが急停止(きゅうていし)する。

 いまだピノン!!

 《エルフが風刃(ふうじん)ハナチラシを発射(はっしゃ)

 キュボッ!!ドシュッ!

「ヒャンッ!!!」

 クモの頭胸部からパンダが生えたみたいな魔物が甲高(かんだか)い悲鳴を上げながら倒れる。地面から生える石筍(せきじゅん)の上に(ひそ)んでいたピノンの狙撃を胸に食らった代償は、自分で()いた横糸への接触(せっしょく)

 ズドッ!!!

 べた付く横糸に引っかかってもがいているパンダグモのパンダ部分の脳天(のうてん)を俺はバトルアックスでぶち()る。

「ヒーンッ!!!」

 パンダグモの白子みたいな脳みそがモロモロと(こぼ)れ落ちる。そのおかげでクモ部分の胴体の動きがものすごく(にぶ)る。

 ヒュボッ!ズドドドドンッ!!

 《エルフが風刃ハナチラシを連続掃射(れんぞくそうしゃ)全弾命中(ぜんだんめいちゅう)

「キュエエエエ――ッ!」

 クモ部分の目玉八つがピノンの放った風の刃を受けて(つぶ)れる。完全に動揺(どうよう)したパンダグモがあたふたと逃げ惑う。でも自分の糸に(から)まって動けない。

「よいしょっと」

 横糸を慎重に(かわ)しながら、再びパンダグモに背後から俺は近づく。

(もろ)いお(なか)(かく)せてないぞ」

 ズグシュンッ!!

 パンダグモの腹部を俺は、横に切り裂いた。


「さすがテイザキさん。ほんとにお見事(みごと)でした」

「うまく仕留(しと)められたのはピノンのおかげだ」

 薄暗(うすぐら)緑色(みどりいろ)鉱物蛍光(こうぶつけいこう)に支配された洞内の、パンダグモの巣の奥で、俺たちはイカコウモリの(ふん)を使って火を起こし、小さな橙の太陽(たいよう)色を作る。とれたての魔物肉を解体し、二人で焼いていつものように頬張(ほおば)る。

「このパンダグモの肉、ほっぺが落ちそうなほど美味(おい)しいです」

「ああ。上のパンダ部分だけは上品ではんなりとして美味い」

「何言ってるんですか。下のカリカリクモ肉のちょっと(しび)れる感じが一緒に味わえるから絶品(ぜっぴん)なんじゃないですか」

「痺れって、それ麻痺毒(まひどく)じゃないのか?」

「これはスパイスです。だってさっきから食べてますけど、全然お腹も頭も痛くなりませんし平気です」

「そうか。まあ何でもないならいいか。さすが食通ピノン」

「えっへん!……それにしても、どうして分かったんですか?」

「何のことだ?」

「パンダグモが糸の振動で獲物の仕留め方を変えているってことです」

「ああそのことか。だってここ、暗いだろ?」

 俺は火に寄ってきたヤモリたちを次々に捕まえる。指で首の骨を折る。

「しかもイカコウモリだけじゃなくてこの階層は即死(そくし)パンチをくりだすアメンボシャコとか、メチャクチャ(かた)いクワガタサウルス、それにデカすぎるモスキートエレファントまでいる」

 パンダグモのクモ(あし)の先に生えた(とげ)を切り落とし、それを串代(くしが)わりにしてヤモリを焼き鳥風に突き刺す。そして焚火(たきび)にかざす。

「こんな連中と渡り合うには、いくらクモの巣を張れるからって同じやり方で狩りはできない。獲物によって狩り方を変えなきゃパンダグモはすぐにやられる。だから戦う前に誰が相手かを絶対に知りたがる」

「でもその方法が糸の振動だなんて、普通分かりませんよ」

 ピノンも俺の真似をしてヤモリの串焼きをつくりはじめる。

「もちろん。だからピノンに頼んだ」

「テイザキさんに言われて調べて、初めて気づきました。空気の揺れ方が暴れる魔物によって違うなんて」

「ピノンがいなかったら(たし)かめられなかったし、クワガタサウルスとイカコウモリが糸に触れた時の揺れの真似なんてできなかった。そしてもちろん正確にピノンに狙撃してもらえなきゃ、今頃俺はパンダグモの腹の中だ」

 擬態振動(ぎたいしんどう)ができたのは、空気の振動を読めるピノンのおかげ。さすがエルフ。(みみ)(かん)も弓の(うで)もいい。おまけにグルメ。

「……」

「どうした?」

「本当に、謙虚(けんきょ)なんですね、テイザキさんって」

「そうか?俺は思ったことをそのまま(しゃべ)っているだけだぞ?」

 俺は焼けたヤモリの串焼きデザートを取り上げ、ピノンに渡す。

「だったらテイザキさんは本当に素敵(すてき)な人です」

「なんかそんなふうに改めて()められると()ずかしくなる」

「そうですか?それより仄暗(ほのぐら)いし、満腹(まんぷく)でいいムードなのでそろそろ子作(こづく)……」

 《全体(ぜんたい)定期報告(ていきほうこく)

「ん?知恵袋(ちえぶくろ)が何か言い始めた。ちょっと待ってくれ」

「ちっ」

 穏やかだったピノンがなぜか憎々(にくにく)しげにヤモリの串焼きを食べ始める。満腹って言ってたけどさすが女子だ。ヤモリは別腹(べつばら)におさまるらしい。

 《現在、ジョーカーは流刑(るけい)の島フィリニア(みなみ)沖合(おきあい)20kmの海底火山内(かいていかざんない)で、精霊位(せいれいい)の魔物リヴァイアサンと交戦中(こうせんちゅう)

「ジョ……」

「どうしました?女子(じょし)の話ですか?それはあまり聞きたくないです」

「いや、女子じゃなくて……」

 そうだ。忘れていた。志甫(しうら)

 お前、いきなり(ひと)りだけで変なところに飛ばされたんだよな。

 しかもそんな所に行って海底火山内(かいていかざんない)で交戦って、マグマの中で魔物と戦ってるのか?

 マグマって、元の世界と一緒だったら温度にして1000℃以上、圧力だって300メガパスカルはある。平均気温10℃、1000パスカルの地上とは桁違(けたちが)いに高いぞ。

 そんなところで……

 人の造った水爆(すいばく)のせいで生まれて、戦わされてばかりのガジラなみに気の毒だ。

 その気の毒な志甫の相手をする精霊位(せいれいい)の魔物。

 なぁ脳内再生(のうないさいせい)。精霊位って何だ?

 《説明。精霊位とは上位の魔物のさらに上の(かく)(かみ)()した運命(うんめい)(あらが)い、その目的を果たすまで命を()やす魔物のこと》

 神。マジでそういうのがこの世界にはいるのか。

 そして精霊位の魔物もまた運命(うんめい)(さか)らって志甫(しうら)と戦う……志甫みたいに(たたか)わざるをえなくてきっと戦う……

「テイザキさん。大丈夫(だいじょうぶ)ですか?」

「……ああ。一緒にいた召喚者(しょうかんしゃ)の中で、俺たちが仲間外(なかまはず)れにしたヤツがいてな。そいつがつらくても独りで精一杯頑張(がんば)ってるって、知恵袋(ちえぶくろ)が今教えてくれた」

(ひと)りで……」

「ああ。俺はそいつが仲間外れになるのを、止められなかった。自分が仲間外れにされるのが(こわ)くて、何も言えなかった」

「仕方、ないです」

「そっか。……俺、みっともないよな」

「いいえ。普通だと思います。……誰だって、仲間外れにされるのはつらいですから」

「また会えたらその時は「ごめん」って(あやま)りたい。アイツのことだから許してもらえないとは思うが」

 全員の殺しの標的にされて、勇者の踏み台なんかにされて、許せるわけがない。

 赦される前にあのドデカい鉄砲(てっぽう)で撃たれる可能性大(かのうせいだい)だ。

「テイザキさんが仲間外れにしたんじゃないって、その(かた)はきっとわかってくれると思います」

 ピノンが自分で焼いたヤモリの串焼(くしや)きを、わざわざ俺にくれる。腹いっぱいなのか?

「どうだろうな。分かってくれなくても「(つぐな)わせてくれ」くらいは言ってみる」

 あいつのことだから「何もいらないから()んで見せて」って言ってくる気もするが、その時はその時に考えよう。生態系(せいたいけい)頂点(ちょうてん)ガジラとまともにやりあって()てる奴なんていない。

「でも本当に正直なんですね、テイザキさん」

 もぐもぐヤモリ串焼きを食っている俺を見ながら、ピノンが(おだ)やかに微笑む。

「ピノンに(うそ)を言っても仕方(しかた)ない」

「そうですね。人生を共に歩む相手に嘘は厳禁(げんきん)です」

 《報告。近くに魔物ホネクイハナムシの発生を確認》

「ホネクイハナムシ?」

「え!?今なんて言いました?」

知恵袋(ちえぶくろ)がな、今度はホネクイハナムシって魔物がこの辺にいるって」

「ホントですか!?テイザキさん!」

 俺の近くでシネクネと(みょう)な動きをしていたピノンが突如(とつじょ)ゴキブリみたいな姿勢(しせい)になってシャカシャカと元気よく動き回る。

 急にどうしたんだ?パンダグモごっこか?

 《ホネクイハナムシは低位の魔物。ただし希少種(きしょうしゅ)。地上迷宮セキドイシ内ではモスキートエレファントの骨にのみ発生。摂取することで能力値(のうりょくち)やスキルを大幅(おおはば)に上昇させる効能あり》

 え?そうなの?そりゃすごい!

「あった!ありました!テイザキさん!ありましたよ!!」

 パンダグモの巣の下をシャカシャカ動いていたピノンがモスキートエレファントの骨を(くわ)えて戻ってきた。犬かお前は。

「これが、ホネクイハナムシ?」

 モスキートエレファントの割れた骨の欠片(かけら)。そこから緑色(みどりいろ)の草みたいなのが生えてる……と思ったら草は風もないのに勝手にウニョウニョ動く。

「な!?」

 草だと思ったらミミズみたいに動いてる!そしてその中から赤い触手(しょくしゅ)みたいなのをさらにたくさん伸ばしてくる!

 まさに動くカラフル素麺(そうめん)

「ちょっとキモいぞ、これ」

「すごいです!魔物の骨に生える緑の炎……昔、教えてもらった通りの姿です!!」

「ピノンはこれ、知ってるのか?」

「はい!この迷宮で()くなられたご主人様の護衛(ごえい)をなさっていた凄腕冒険者(すごうでぼうけんしゃ)のピットマンさんに教えてもらいました!魔物の骨からごくまれにしか生えないけれど、食べればものすごく強くなれる、緑の炎みたいな姿の魔物がホネクイハナムシだそうです!」

「そっか。じゃあ一緒に食ってみよう」

「え?私も食べていいんですか?」

「当たり前だろ。ピノンが強くならないと俺なんてたいしたことできないんだから、ピノンこそ食べるべきだ。見つけてきたのもピノンだろ?」

「あの私、実はここにこれ持ってくる前に結構(けっこう)食べてきました」

「分かった分かった。そういう下手(へた)な嘘はいらないから一緒に食おう」

「……」

 なんでまたウルウルしているんだこいつは。そして再びはじまるシネクネダンス。ホネクイハナムシと同じような動きに見えてくる……もしかして、さすがにもう腹いっぱいなのか?

 《鈍感(どんかん)。ちなみにホネクイハナムシはエルフも生食(なましょく)可能(かのう)

「一緒に、食べます」

「よし。知恵袋によればピノンも生で食べて大丈夫らしいが、生で食べるか?それとも焼くか?」

「生で食べます。でもその、ちょっと手で持つのは怖いので、食べさせてもらえませんか?」

「イヌみたいに骨くわえて戻ってきたのに手で持つのは怖いのか?」

「骨は平気なんです!あと(いぬ)とか言わないでください!犬に失礼(しつれい)です!」

「そうか!なんか変に聞こえたけど、だったら仕方ない。ほら、口あけて」

「は、はい。あ~ん」

 ほっぺが赤く見えるのは焚火のせいか?まあいい。ピノンにミミズ素麺投入っと。

「あ~ん」

 パク。

「!!??」「どうした?」

「んんんんっ!んんっ!んんんん!!!!」

 眼を大きく見開いたりギュッと(まぶた)を閉じたりして、しかも身振り手振りで何かをピノンが必死に(うった)えてきてる。もしかして(おど)り食いしたせいで気管(きかん)につまったか!?

「ごめん。何言ってるのか分からない。っておい!」

 俺の手にあったホネクイハナムシを手で奪い取ったピノンが俺の口にホネクイハナムシを押し込んでくる。触れるのかよおいっ……!?

「ん……」

 なにこれ?

 ……。

 ()でたカニの肢肉(あしにく)とたっぷりのカニミソが()ざったみたいな味だ。

 はっきり言って、うまい。

 モチモチ肉の、塩味の効いた、甘くて()んだ(あぶら)

 ベロベロ内臓(ないぞう)の、ほろ(にが)い、むせそうになる味の()さ。マジですごい。

 《モチモチ食感はメス体内に生息する、脂肪分(しぼうぶん)を含む細菌(さいきん)によるもの。妖味(ようみ)。ベロベロ食感はメス体内に寄生(きせい)するオスの体成分(たいせいぶん)によるもの。珍味(ちんみ)

 カニカマ業者には悪いけど、カニカマの2000倍くらいうまい。

「はへははふほほ、ふはひはへへひはふ」「ふぁあ」

 味がいつまでたっても口の中でぼやけず、感動が続く。

 たしかにピノンみたいに(よだれ)がダラダラ出てしまうのも分かる。俺も気をつけないと赤ちゃんみたいに口の中が洪水(こうずい)になりそうだ。

 ゴックン。

 はい。『孤高のグルメ』おしまい。

 《報告。パンダグモとホネクイハナムシの捕食(ほしょく)により、死んだフリスキル所持者(しょじしゃ)のレベルが大幅向上(おおはばこうじょう)。あらたに二つの死んだフリスキルを獲得(かくとく)

 二つ!?一気に二つも新しいスキルが手に入ったのか?

 うまいニョロニョロ魔物を食っただけで!?

 《一つは「飢餓(きが)咆哮(ほうこう)メシマダカ」。もう一つは「発情(はつじょう)咆哮(ほうこう)モウタマラン」》

 相変わらず変な名前だ。俺のスキルは絶対にギャグ線スキルだと思う。

 《「飢餓の咆哮メシマダカ」及び「発情の咆哮モウタマラン」は、いずれも相手の死んだフリを阻害(そがい)する》

 ああ、なるほど。

 空腹で死にかけてれば死んだフリなんてしている場合じゃないし、死んだフリなんてしていたらパートナーに逃げられて交尾(こうび)ができず、(しゅ)は残せない。

 だから発情すれば死んだフリなんてしない。

 ギャグ路線かと思ったけど、あくまで「死んだフリ」に特化(とっか)してるな、俺のスキルは。

 そうそう。こういうのでいいんだよ……おっと、まだ『孤高のグルメ』の異世界にトリップしていた。

「はぁ、はぁ、はぁ、テイザキさん」

「ん?どうした?」

「私、テイザキさんのせいでもう()れ濡れです。どうしてくれるんですか」

「食べさせてくれって言うから食べさせて、しかもいつまでも口の中で()み続けて(よだれ)ダラダラ()らせばそうなるな」

「実はダラダラなのは上だけじゃなくて下の方も……」


 カツン。カツン。カツン。カツン。……


「「?」」

 迷宮内(めいきゅうない)木霊(こだま)する、奇妙(きみょう)な音。

 カツン。カツン。カツン。カツン。……

 (くつ)の音?

 人?歩いている人?

 冒険者でもいるのか?

 こんなところに?迷宮だぞ?

 カツン。カツン。カツン。カツ。

 音が、止まった。

 《警戒(けいかい)

「フェンリルとコカトリスが死に、バジリスクが合成されたので何が起きたのかと思えば」

 女の声!?もしかして冒険者?ピノンたちの生き残り?

「よもや上層から降りて来る人間がいらっしゃるとは」

 ミシ。

 今度は何の音だ?

「ここ百年あまり、上層から降りてきた人間はおりません」

 ベキバキ。ゴシャン。ドゴッ!

 は!?

 パンダグモの巣が、壁面ごと引き剥がされてる!

 モスキートエレファントだって身動き取れないパンダグモの巣だぞ!?

「それが何者か」

 ズズズズズズズズズ……

 石が、壁が、糸ごと声の方に引っ張られていく。

「よほど特殊(とくしゅ)亜人族(あじんぞく)(したが)えているだけの、ただの人間か」

 ズズズズズズズズ……フゥン

 闇の奥から冷たい空気と殺気(さっき)が流れて、俺の体にぶつかる。

「それとも」

 フゥンフンフンフンフンフンフン……

 振り回してる。……たぶん、集めたもの全部を。

「ただの亜人族を従えているだけの、よほど特殊な人間か」

 ブンブンブンブンブンブンブンブンブン……

「どちらなのでしょうね」

「テイザキさん!」「ああ、絶対にやばい」

 パンダグモの巣を巻きとった何かが瓦礫と魔物の糸を振り回しているらしい。

 しかもすごい速さだ。

 ブン!ブン!ブン!ブン!ブン!ブン!ブン!ブン!ブン!……

 洞内がそもそも暗くて、遠くの相手の姿は全く分からない。

 ただプロペラのような音だけが聞こえてくる。

 ブン!ブン!ブン!ブン!ブン!ブン!ブン!ブン!ブン!……

 まるで、ジョーカーに選ばれた時の志甫のような音。

 どうする!どうする!?

「テイザキさん!」

「なんだピノン!」

「絶対に動かないでください!!」

「!?」

 巨大扇風機の裏側に回ったように吸い込む風が生じる中、ピノンが孤狼の弓オクリオオカミを闇に向けて構える。

 《エルフの言動を解析中(かいせきちゅう)

 ビュオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオッ!!!

 ピノンの引くオクリオオカミの(げん)から激しい風が巻き起こる。

 ふんばらないと吹き飛ばされそうだ!

 《解析終了(かいせきしゅうりょう)。エルフの言動を支持。パンダグモとホネクイハナムシの捕食により、エルフも大幅なレベルアップ》

一匹狼(いっぴきおおかみ)遠吠(とおぼ)えなぞ、60階層より下には到底響(ひび)きませんよ」

 ピノンの風のおかげかどうか、ブンブン女の声が微かに聞こえる。

 ピノンの武器オクリオオカミのことを知ってるのか、あいつは。たとしたら……

 《エルフの耳小骨(じしょうこつ)蝸牛管(うずまきかん)が変異。超精密聴覚(ちょうせいみつちょうかく)コルモゴノフ獲得(かくとく)空気渦(くうきうず)乱流(らんりゅう)の速度分布を把握。死んだフリスキル所持者に忠告(ちゅうこく)……》

 ここにきて忠告?なんだよ?

 ブン!ブン!ブン!ボッ!!!!!!!

「!」

 《エルフの風に》

 ヒュボオオンッ!!!!!

 《全てを(たく)せ》

 ドゴオオオ――ンンッ!!!

「……」

「テイザキさん!大丈夫ですか!!」

「え?」

 ピノンの声が右耳に聞こえると思ったら、左腕に激痛(げきつう)が走る。

 左わき腹も左脚(ひだりあし)も痛い?

 なんだ?何が起きた!?

 《報告。エルフの風錐(ふうすい)アオアラシにより死んだフリスキル所持者は即死(そくし)回避(かいひ)

「さすがはエルフ。風を読むのだけはお上手(じょうず)ですね」

 左耳が全く聞こえない。でもとにかく、左腕がメチャクチャ痛い。

 《ただし重傷(じゅうしょう)(ひだり)鼓膜破裂(こまくはれつ)腹腔(ふくくう)裂開。脾臓(ひぞう)破裂。左大腿直筋(だいたいちょっきん)及び左外側広筋(がいそくこうきん)断裂(だんれつ)。左腕の筋肉の大部分が断裂。左上腕骨(じょうわんこつ)左尺骨(しゃっこつ)さらに左橈骨(とうこつ)粉砕骨折(ふんさいこっせつ)

「はあ、はあ、はあ、はあ」

 もう言わなくていい脳内再生。

 とりあえず、後ろに寄りかかる。

 ポスン。

 へ?

 寄りかかろうとしたはずなのに尻もちをつき、驚いて後ろを振り返る。

 (くぼ)みの奥が見えないくらいのクレーターが、俺の左隣に大きく開いている。志甫(しうら)の大砲の(たま)でも当たったみたいに、壁がなくなってる……。

「テイザキさん!今すぐヒールをかけますから!」

「はぁ、はぁ、はぁ、はぁ」

 要するに、女の声を出す〝何か〟が、石とパンダグモの糸の塊を振り回してぶん投げた。俺はピノンのおかげでその直撃を回避できた。そういうことか……。

 《正解》

「百数年ぶりに上から人間が降りてこられたのは、どうやら特殊なエルフ個体の力によるものだったのですね。二人して転移魔法陣で下層から上層に飛ばされ、エルフの力でここまで来たのでしょう」

 まぁ、「二人して」以外はそんなに間違っていない。

「黙れ魔物!ここまで来られたのはテイザキさんのおかげだ!!ノミライオンもフェンリルもコカトリスも全部テイザキさんがやっつけた!!お前なんか足下にも及ばないくらいテイザキさんは強い!!」

 震えるピノンの怒声が洞内に鳴り響く。

「……うふふ。そうですか。使用人(メイド)のごとく主人をあくまで立てるとは、よくできたエルフですね。魔法の威力から察するに、契約(けいやく)無理強(むりじ)いされた奴隷身分(どれいみぶん)でございましょう?」

「ちがう!!」

 カツン。カツン。カツン。カツン。

「きっととびきり(あわ)れな家庭内奴隷(かていないどれい)忠誠心(ちゅうせいしん)に免じて、一度だけ生き延びる機会を与えましょう。私は今気分が高揚(こうよう)しております。なにせ上層階から人が〝どのような形〟であれ降りて来られるのは117年ぶりのことですので」

 現れたのは、どう見ても女。でも、普通じゃない。

 いつ死んでもおかしくないこんな所で、茶色のイブニングドレスを着て歩く女なんて、まともじゃない。どれだけ美人でも長髪が艶やかでも、魔物か幽霊でしかない。

「私の名はメリュジーヌ。メリュジーヌ・レイクホルト。地上迷宮セキドイシ59階層から40階層の支配種(しはいしゅ)にございます。ここで見逃したところで〝以後(いご)〟があるかどうかは存じ上げませんが、以後お見知りおきを」

 ピノン以外で、初めて迷宮内(セキドイシ)で俺に名乗ったその支配種とやらは、くるりと背中を見せる。油断、じゃなくてたぶん余裕なんだろう。くそ。

「それにしても上層(じょうそう)階の、なんと騒々(そうぞう)しいことでしょう」

 独り言か、それとも俺たちに向かって言っているのか分からない(なぞ)のぼやき。

 言語を話すところとか、身振りとか、本当に人間っぽく見えてくるからマジで怖い。初めて遭うタイプの魔物だ。

「迷宮が凶鳥バジリスクまであえて(つく)ったのは、一体どこの誰のためなのやら……」

 よく分からないことを言って、メリュジーヌは来た道を引き返していく。そっちは上層へ向かう道しかないはず……上に向かうつもりか?

「……」

 つうか、やばい。よく見たら俺、かなり出血してる。脾臓(ひぞう)やられたとか言ってたもんな……。

「テイザキさん!しっかりしてください!!」

 寒い。

 あれ?

 俺、「カタレプシー」なんてしてたっけ?「だるまさんが転んだ」をちゃんとやっていたはず。でもピノンに「動かないで」って言われたからもしかしたら咄嗟に「カタレプシー」したかも……どっちだっけ……頭が……回らない…………

「テイザキさんっ!テイザキさ……」

 ……。

 マジで嫌だ。

 マジで、それだけは嫌だ。

 ピノンを残して死ぬのだけは、マジで嫌だ。

 《忠告》

 だって、約束したから。

 生きて、迷宮を一緒に出るって。

 《エルフの風に》

 だから、今、死ぬのだけはマジで嫌だ。

 脳内再生。マジで頼む。

 《全てを託せ》

 それだけはマジで勘弁してくれ……。

 《死んだフリに、「()」は似合(にあ)わない》


「!」

「テイザキさん!目が覚めたんですね!?良かった!」

「……」

 あれ?ここ、どこ?

「もうっ!!私一人を残して勝手に死んだら絶対に許さないんだからああ!!!」

 薄暗い穴。わずかな緑の光……迷宮……セキドイシ………

 ああ。そういうことか。

「ごめん……ちょっと、死んだフリしてた」

「ばかあああああっ!!!」

 思い切り抱きしめられて、思い知る。

 ピノンの魔法のおかげで、どうやら俺は一命をとりとめたらしい。

 ほんと俺、助けてもらってばかりだな。

「ごめん。本当はマジで、死ぬかと思った」

「うう、うううっ、ぐすっ、ううう……」

 左腕以外、痛みは感じない。

 《報告。エルフの治癒魔法により死んだフリスキル所持者の左腕以外は全回復。左腕の損壊は甚大なため、完治にしばらく時間が必要》

「ありがとう。ピノン」

「………」

「ピノン?」

 《超精密聴覚(ちょうせいみつちょうかく)コルモゴノフの発動(はつどう)及び5時間にわたる治癒魔法(ちゆまほう)連続使用(れんぞくしよう)により、エルフの体力、魔力ともに枯渇(こかつ)極度(きょくど)疲労(ひろう)により気絶(きぜつ)

「………すまない」

 気を失ったピノンの顔を見つめ、その体を強く抱きしめる。眼の下の(くま)……寝ずに看病(かんびょう)してくれたのか。こんな危険な場所で気を張り詰めながら俺なんかの看病を……

「守ってもらってばかりで、本当にすまない」

 《警告。左腕の無理な使用は治癒の遅れを引き起こすため禁物(きんもつ)。エルフのためにも、安静(あんせい)を提案》

 俺は自分の左腕を見る。モスキートエレファントの頭から生える、まっすぐな(ふん)が二本、腕に当てられている。それを所持品(しょじひん)の髪の毛で(しば)り、腕はまっすぐに固定されている。

「そうだな」

 せっかく治してくれたのにまた骨折したら、ピノンに化けて出られる。

 《忠告。エルフは気絶(きぜつ)しているだけ。消耗(しょうもう)甚大(じんだい)でもまだ死亡に(いた)らず》

 物の例えだよ。それより、さっきのアレはなんだ。

 名前付きの魔物なんて、初めて見たぞ。

 《不明(ふめい)

 え?不明って?

 《メリュジーヌ・レイクホルトという魔物の存在は未確認(みかくにん)。ただし生命反応なし。ウイルス、細菌ドメイン、古細菌ドメイン、真核生物ドメインのいずれにも非該当(ひがいとう)。人間族、亜人族の固有振動数(こゆうしんどうすう)のいずれにも非該当。魔物の気配に近いものの、該当する魔物は未確認。故にメリュジーヌ・レイクホルトの正体は不明》

 ……。

 脳内再生も知らない怪物(かいぶつ)

 じゃあアイツは一体、なんなんだ?

 ……。

「まぁいいか」

 分からなきゃ、とことん自分で調べる。

 元の世界じゃそんなの当たり前だった。

 図鑑(ずかん)を片っ端からひっくりかえして調(しら)べるし、明けても()れてもじっと観察(かんさつ)して調べる。

 アリが動き出すときに、どの(あし)から動くのかだって、二年かけて観察して調べた。六本のうち中肢(なかあし)から動くって気づいた瞬間(しゅんかん)感動(かんどう)半端(はんぱ)なかった。

 あれと一緒だ。

 自分で調べてわかったほうが「いとおかし」。感慨深(かんがいぶか)いってやつだ。

 《立派(りっぱ)

 ありがとな。それにしても、このまま魔物が来ないとも限らない。それが心配だ。

 《推測(すいそく)。魔物とのエンカウントは低確率。階層の支配種(しはいしゅ)メリュジーヌ・レイクホルトを()けて魔物は移動中》

 だからここにはしばらく誰もこない、か。志甫のバズーカ砲みたいな攻撃を食らった甲斐(かい)があったってことか。

志甫(しうら)か……」

 そう言えば志甫と同じところに世良田(せらだ)綾瀬(あやせ)も飛ばされたんだった。

 確かビトレイヤーとかいうのに選ばれたせいだ。(わす)れてた。

 あいつら二人、志甫にぶっ飛ばされたとして、その後どうなったんだろう。

 マジで(ころ)されてなきゃいいけど……


「むにゃ?」

()きたか」

「テイザキさんこそ、どうして私にそんなにピッタリくっついているんですか?もしかしてムラムラして……じゃなくてテイザキさん!ケガは大丈夫ですか!!」

「びっくりした。いきなりキャラ変わるの、やめてくれ」

「心配したんですから。もう本当に」

「ピノンが寝落ちする前にも言ったけど大丈夫だ。ピノンの治癒魔法のおかげでな」

「そうですか。私なんかがお役に立てて、とてもうれしいです」

「何言ってんだ。お前がいなきゃ俺はもう二回はとっくに死んでる」

「……ですよね。だったらずっと私が傍にいないと」

「ああ」

「……ずっとですよ」

「ああ。迷宮は長い。当然だ」

「……はぁ。もう」

「どうした?」

「なんでもありません!もう平気ですからいい加減離れてください」

「あ、ああごめん」

 なんでピノンってこう、いきなり怒るんだろう。不思議だ。体をくっつけていたのは低体温症(ていたいおんしょう)にならないためなのに。

一応断(いちおうことわ)っておくが、ピノンが寝ている間にやましいことなんてしてないからな」

「なんでしないんですか!」

「ふぁ?」

「なんでもありません!(きず)がふさがったのなら行きますよ!ほら荷物持(にもつも)ってください!」

「あ、はい!」

 やっぱり機嫌悪(きげんわる)い。しょうがない。こうなったら機嫌が直るのを静かに待とう。

 《支持(しじ)(さわ)らぬエルフに(たた)りなし》


「テイザキさん。なんか(へん)なことしている魔物(まもの)がいますよ」

「ん?本当だ。何してんだあれ?」

 地上迷宮(ちじょうめいきゅう)セキドイシ。56階層(かいそう)に降りてきた俺たちは、(あし)の生えたカツオみたいな魚魔物に遭遇(そうぐう)する。生えてる脚はパンダグモみたいに明らかに虫の(あし)って感じじゃなくて、(ひれ)をゴツくして体重を(ささ)えている感じだ。

 その歩くカツオが白い何かを地面に置いている。丁寧にしゃがんで尻から出しているってことはまさかウンコか?

 《報告。カツオではなく低位の魔物カツオムシ。交尾(こうび)をせずに体内受精(たいないじゅせい)を行う魔物》

交尾(こうび)しない?」

「なっ!?何を言い出すんですかテイザキさん!いくらテイザキさんと()()げるつもりの私でも!今すぐとなるとさすがに(こころ)準備(じゅんび)ができていません!だいたいにして直球過(ちょっきゅうす)ぎます!もしかして魔物に見られながらとか、そういう変態(へんたい)……」

「いやそうじゃなくて、俺の頭の中の知恵袋(ちえぶくろ)によると、そこにいるのはカツオムシっていう魔物らしくて、こいつらは交尾をしないのに体内受精ができるそうだ。不思議(ふしぎ)だろ?」

「……ふーん。そうですか。それで?」

 あれ?せっかく機嫌が良くなったと思ったのに、ピノンまた(おこ)ってる。

 それより交尾をせずに体内受精って、どうやってやるんだ?

 《魔物カツオムシのオスは繁殖(はんしょく)のために、精子(せいし)()まった精包(せいほう)をつくり、それをランダムに地上に配置(はいち)。一方のメスは精包を見つけて(ひろ)い上げ、腹部(ふくぶ)の穴から自分の体内に取り込み、受精を完了(かんりょう)させる》

 なるほどね。それで白い袋みたいなのをオスはばらまいているわけか。

「なんでもあの白い袋の中にはカツオムシのオスの精子がつまっていて、カツオムシのメスはそれをみつけて拾って自分の体の中に入れて受精するらしい」

「そうだったんですか……ちょっと(さみ)しいですね」

 《なおオスの精包(せいほう)栄養(えいよう)豊富(ほうふ)に含まれるため、栄養を求めるメスの多くは精包を見つけると受精のためではなく、栄養補給(えいようほきゅう)のため経口吸収(けいこうきゅうしゅう)

 受精(じゅせい)に使われず、食べられちゃう精子が多いってわけか。

 《正解(せいかい)

「お腹が減ってるメスは精包を受精に使うこともあるけれど、大抵(たいてい)は食べるらしい」

「つまり精子(せいし)を食べちゃうんですか?」

「ああ。見ての通りだ」

 脳内再生の言う通り、バスケットボール(だい)の白い(ふくろ)をポロポロ()いていくカツオムシのオスと、それを見つけてはムシャムシャ遠慮(えんりょ)なく食べるカツオムシのメスがいる。

 メスが子どもを産むのに栄養は必要。

 だからメスは栄養のない精子の(かたまり)よりも、栄養のある精子の塊を選ぶ。栄養のある精包は食べらてもいいし、中身の精子をメスに受精に使ってもらえれば、生まれて来る子どもがオスの場合は、そいつが大人(おとな)になってまた栄養(えいよう)のある精包をつくるから、メスに選ばれて、子孫(しそん)を残しやすい。

 結局、精包(せいほう)の栄養の有無(うむ)選択圧(せんたくあつ)になって、オスは栄養のある精子の塊をつくるよう進化(しんか)した。そんな感じか。

 《支持》

「あの白い袋は栄養もたっぷり。子どもを産むのは大変だからメスに食べられるのも仕方ないってオスは(あきら)めてるらしい」

「……」

 ちょっと複雑そうな顔をしているピノンをわき目に、なんだろう。

 どうしてもこう、なんか好奇心(こうきしん)(おさ)えられない。

 栄養のあるカツオムシの精包ってどんな(あじ)がするんだ?

 知りたい。

 ヒョイ。

「テイザキさん?」

 ハム。

「ぎゃあ!何食べてんですか!」

 近くにあったカツオムシの精包を拾い上げた俺は我慢できず、それを食べてみる。

 モミュモミュモミュモミュモミュ……

 当たりだ。うまい。食感はグミ。

 カツオムシっていうだけあって、やっぱりカツオ出汁(だし)みたいな強い旨味(うまみ)がある。

「意外にカツオムシの精子、いけるぞ。ピノンも食うか?」

「い、いやです!」

 プイッとそっぽを向くピノン。

「そうか。じゃあ無理(むり)はしないほうがいいし、俺がこれ、全部食べちゃうな」

 モミュモミュモミュ……

 (なつ)かしい。カツオ出汁なんて異世界(パイガ)に来て味わえるなんて思わなかった。

「やっぱり!やっぱり食べます!」

 《報告。エルフも生食可能》

「ん?そうか。じゃあ新しいの一個とってくる」

「嫌です。テイザキさんのそれをちょっとだけ食べたいんです」

(おれ)精子(せいし)か?」

「ちょっ、俺の精子とか!変な言い方しないでください!!」

「ああ悪い。悪い。食いかけで良ければ、ほれ」

「テイザキさんの食いかけじゃなきゃ魔物(まもの)の精子なんて絶対(ぜったい)に食べませんから。……はむ」

 モニュモニュモニュモニュ……

「どうだ?」

「……おいしいです。もっと精子(せいし)ください」

「「精子ください」ってお前……なんか()ずかしくなるだろ」

「意地悪なテイザキさんの真似(まね)です。もっと食べさせてください」

「分かったから。とにかく機嫌なおしてくれ」

 意地悪なんてした覚えないんだけど、不機嫌(ふきげん)なのはその誤解(ごかい)のせいか。女子(じょし)(むずか)しい。

 《注意(ちゅうい)

「?」

 洞内に激しい地響(じひび)きが(とどろ)く。

 《中位の魔物クワガタサウルス、魔物モスキートエレファント、魔物アメンボシャコが接近中》

 上が静かだった分、下は(にぎ)やかってわけか。

「魔物が近づいてきている。(かく)れるぞ」

「はい!」

 カツオムシのオスとメスが群がる地帯に、中位の魔物三種類がわらわらと現れる。動きの(おそ)いカツオムシは三種類の魔物の突然の登場に驚いて散り散りに逃げようとする。

「ブイイイイイイイイッ!!!」「ジギギギギギギギギイイイッ!!」

 さっさと現れたと思ったら夢中でカツオムシの精包(せいほう)を食べていたモスキートエレファントとクワガタサウルス。樹液に集まる虫みたいに、同じ一個の精包を狙ったとお互い気づいた瞬間、(そく)バトルに発展する。

 まだ精包はたくさんあるのに、どうしてこいつらはこう視野(しや)(せま)いんだろう。

 ガキッ!!ドスドスドスンッ!!ムチュウウウッ!!

 (ちが)うか。結局最後(けっきょくさいご)は奪いあいになるから、最初に排除(はいじょ)しようっていう本能(ほんのう)か。あまり関わりたくない戦いだ。

「クワッパ!」「チェチェチェ!」

 ドバンッ!!!!

 アメンボシャコが即死級(そくしきゅう)のシャコパンチを()り出す。パンチを食らったカツオムシの体が案の定粉砕(ふんさい)する。そして食べられるカツオムシ。

 食べられているカツオムシは、ついさっきまで精包を食べていたから、あれはメスか。

 つまりカツオムシのメスをムシャムシャ食べるアメンボシャコ。

 カツオムシのオスはどうなってる?……ん?

 ポコポコ。

 逃げながら精包(せいほう)を落としていくカツオムシのオス。そのカツオムシオスとすれ(ちが)うアメンボシャコ。

 完全にスルー?

 シャコパンチしないのか?狙って食わないのか?

 よく見ると、アメンボシャコたちは一匹としてカツオムシの精包を食べない。そしてオスを襲っていない。

 襲われて食われているのはカツオムシのメスだけだ。なんで?

 アメンボシャコは腹が減っていないから?

 いや、腹が減っているからカツオムシのメスを食べてるんだろう。腹が減ってたらオスを食ったっておかしくない。なのに完全無視。栄養満点の精包も無視。

 あ!また新たにモスキートエレファントとクワガタサウルスが現れた。……あいつらはカツオムシを食ってる。カツオムシのオスも食べてる。オスメス構わず目についたカツオムシを食ってる。

 どういうこと?

「なんか、カオスですね……テイザキさん」

 気になる。アリがどの(あし)を最初に動かすのかと同じくらい、気になる。

 どうやったら、どの魔物が何を好んで食べたいのかが分かるか……あれだ。さっき手に入ったあのスキル。

 《報告。「飢餓(きが)咆哮(ほうこう)メシマダカ」の発動準備完了(はつどうじゅんびかんりょう)

 本来これは、相手の死んだフリをさせないためのスキルだけど、この際関係(さいかんけい)ない。

 ちょっと試してみるか。

「ピノン」

「はい」

「ちょっと新しいスキル使う」

「もしかしてニオイ系ですか?」

「違う。だからそんな嫌そうな顔をしないでくれ」

「分かりました。ちなみにどんなスキルですか?」

「死んだふりをさせないために、魔物をめちゃくちゃ腹ペコにさせるスキルらしい」

「それってエルフにも()いたりしますか?」

「分からない。でもピノンの腹が減ったら俺がちゃんと食わせてやる」

「分かりました。テイザキさんが一生私に食わせてくれるそのスキル、ぜひ使いましょう」

 ピノンがなんだかうれしそうだ。きっと俺のスキルに期待(きたい)してるんだな。

 (たの)む脳内再生。「メシマダカ」をやってくれ。

 《了解(りょうかい)。「飢餓の咆哮メシマダカ」発動》

 ヴワン。

 3秒くらい、俺の体が青く発光する。

 ギュルギュルギュルギュルルルルルル……

「ふぁ?」「へぇ!?」

 俺の(となり)にいる女子のお(なか)からすさまじい緊急警報(きんきゅうけいほう)発令(はつれい)

「なんですかこのスキル!」

 顔を真っ赤にして(おこ)るピノン。

「めちゃくちゃお腹が()りすぎて、かつて聞いたことがない音が出ちゃいました!」

「悪かった!イカコウモリの()(にく)があるからとりあえずこれ食べて我慢(がまん)してくれ!」

「ダイエット中なのにもう!」

 リュックの中にある魔物の干し肉を全部ピノンの前に置き、俺は魔物たちの様子を(うかが)う。

「ブイイイイイイイイッ!!!」「ジギギギギギギギギイイイッ!!」「チェチェチェ!!」

 カツオムシのオスメスを問わず食い(あさ)るモスキートエレファントたちとクワガタサウルスたち。

 けれど目の前からカツオムシが消えて、残された精包(せいほう)を見つけて食い始めるも、結局一つの精包を巡って衝突(しょうとつ)するモスキートエレファントとクワガタサウルス。両者の実力はやっぱり拮抗(きっこう)。とにかく戦う。モスキートエレファント同士もあるしクワガタサウルス同士もあるし、モスキートエレファントとクワガタサウルスのパターンもある。どれもこれも五分五分の死闘状態。

「クワッパ!」「クワッパ!」

 即死パンチを出せるアメンボシャコたちはカツオムシのメスしか(ねら)わず、メスを食い終わるとカツオムシのオスにも、オスの残した精包にも目をくれず……まじか。何匹かいるモスキートエレファントとクワガタサウルスたちに(おそ)いかかった。

 バコバコバコンッ!!!

 アメンボシャコの強烈なパンチを食らったモスキートエレファントやクワガタサウルスが転倒(てんとう)する。でも、やり返すモスキートエレファントとクワガタサウルス。

 アメンボシャコはあるいはゾウのような足で()みつぶされ、あるいはクワガタのような大顎(おおあご)で千切られる。殺されたアメンボシャコはそのまま体の一部をモスキートエレファントやクワガタサウルスに食われてる。

 けれどもそんなんじゃひるまず、アメンボシャコたちは「クワッパ」と叫びながら次々にモスキートエレファントやクワガタサウルスに襲い掛かり、動かなくなったどれかに群がって食らう。

 ん?

 (むし)(いき)なのに食われないクワガタサウルスがいる。モスキートエレファントの中にもそういうのがいる。

 死にかけているのに、アメンボシャコに食われない。

 アメンボシャコはそいつらに()みついただけで(あきら)めて、別の瀕死体(ひんしたい)(むら)がっていく。

 なんで食わない?

 ……そう言えば食われてないこいつらは、アメンボシャコより遅くここに到着(とうちゃく)した連中だ。それが何か関係があるのか?

「あ、なんはあらはへはひは!」

 口の中をジャーキーで一杯(いっぱい)にしたピノンに指摘(してき)されて大洞窟の奥に目を向ける。

 《報告。中位の魔物パンクカワニナが出現(しゅつげん)

 公衆電話のある電話ボックスほどもある巻貝(まきがい)みたいなこげ茶色の魔物がゆっくりと移動し、まだ手を付けられていないカツオムシの精包(せいほう)を目ざとく見つけては、呑み込むようにして食べていく。こいつは精包を食うらしい。

「クワッパ!」

 バコンッ!

 束の間の食事を終え、死んだフリをしたように動かないでいるパンクカワニナがアメンボシャコに殴られる。だけどパンクカワニナの(から)はシャコパンチでも壊れない。相当硬いな。

 で、一度パンチを食らったパンクカワニナはその場で地面に張り付き、全く動かない。

「クワッパ!クワッパ!クワッパ!」

 バコバコバコバコッ!!!

 シャコパンチを食らい続けても死んだふりを続けるパンクカワニナ。平気なのか?

 ボジュッ!!

 ダメか。やっぱり即死級のシャコパンチは強い。とうとうパンクカワニナの殻を粉砕。

「クワッパ!?」

 お?

 シャコパンチがパンクカワニナの殻の内側に突き刺さった瞬間、アメンボシャコが慌ててる。……腕が抜けない?

「ブイイイイイイイイッ!!!」「ジギギギギギギギギイイイッ!!」「クワッ……」

 身動きをとれないで焦っているアメンボシャコ個体へ、モスキートエレファントとクワガタサウルスがやってきてアメンボシャコを(おや)(かたき)のように抹殺(まっさつ)して捕食(ほしょく)。食い終えたらパンクカワニナにチャレンジするクワガタサウルス。でもアメンボシャコと同じようにパンクカワニナの筋肉に顎を突き刺したら抜けなくてピンチ。モスキートエレファントがクワガタサウルスの首をへし折って殺害。クワガタサウルスの首から下を食べる。そこへ集まるアメンボシャコ……。

 モスキートエレファントVSクワガタサウルスVSアメンボシャコVSパンクカワニナ

 まさにカオス。任〇堂のスマブラみたいだ。


 カツン。カツン。カツン。カツン。


「「!!」」

 その不吉な足音で俺は咄嗟(とっさ)にピノンを抱きしめて「カタレプシー」を発動する。(むさぼ)り食っていたピノンの口からジャーキーがポロポロ落ちる。

「「……」」

 大混乱(だいこんらん)(きわ)める56階層の迷宮内部(めいきゅうないぶ)。緑の暗闇から現れたイブニングドレスの人型魔物。

「騒がしいと思って来てみれば、これは一体どうしたことでしょうね」

 自ら支配種を名乗ったメリュジーヌ・レイクホルトがそうぼやきながら、争う魔物たちを眺める。魔物たちは俺の「メシマダカ」のせいで見境なく敵を襲い食らっている。

 《報告。「飢餓の咆哮メシマダカ」発動終了まであと14秒》

「クワッパ!」「クワッパ!」「クワッパ!」

 数匹のアメンボシャコがメリュジーヌの方へ近づいていく。

 バゴバゴバゴンッ!!

「「「クワッパ?」」」

 超高速即死シャコパンチが全身に当たったのに、メリュジーヌはびくともしない。笑みを浮かべたままアメンボシャコたちを見ている。パンクカワニナの(から)よりも(かた)い!?

「あなた方、何かに()かれているのですか?」

 首をかしげてアメンボシャコたちに問いかけるメリュジーヌ。


 ズンッ!


 瞬間、俺の背筋(せすじ)寒気(さむけ)のようなものが(おそ)う。

 フェンリルにゼロ距離で(にら)まれた時にも〝これ〟は、味わった。

 これがたぶん、本物の殺気(さっき)ってヤツだ。

 《報告。「飢餓の咆哮メシマダカ」発動終了》

()(もの)は落ちましたか?」「「「クワパッ!!!」」」

 アメンボシャコたちが一斉にメリュジーヌから逃げていく。

 ドグシャッ!!!!!

 そのアメンボシャコたちの背中を、何かが()(つらぬ)く。

 シャカシャカシャカシャカ……

 たくさんの、たくましい(ふし)。そして節ごとに生える、(するど)(ふと)鉤脚(かぎあし)

一仕事(ひとしごと)終えてきましたし、私も晩餐(ばんさん)にあずかるといたしましょうか」

 イブニングドレスの裾下(すそした)から伸びる、ムカデの体!?太くてデカ!!

 ジャッ!!

 イブニングドレスも女体も一瞬で消えて、全身が巨大ムカデ姿(すがた)になったメリュジーヌ。

 シャカシャカシャカシャカシャカシャカンッ!!!!!

 多足(たそく)()けた先にはとまどうモスキートエレファント。ゾウの体にゾウの頭サイズの()の頭部がある魔物の全身が、一瞬でぐるぐる巻きにからめとられる。

 ブシュッ!!ドスドスンッ!

 頭がムカデ(あご)で切り落とされて切断(せつだん)された首の中に、そのまま(もぐ)り込んでいくオオムカデ。

 バキボギゴギムシュグシャムシュグシャゴギボギギギ……

 ハリボテがしぼむようにモスキートエレファントがふにゃふにゃになり、かわりに血まみれのオオムカデが飛び出す。物の数秒で魔物ゾウの血肉を食べたのか?

 シャカシャカシャカシャカシャカシャカンッ!!!!!

 モスキートエレファントがやられる直前に正気を取り戻したクワガタサウルスたちが逃げる。けれどアメンボシャコとの戦闘で傷ついたせいで逃げ遅れ、オオムカデに追いつかれる。

 ドシュッ!

 オオムカデの顎に()まれたクワガタサウルスたちが次々に痙攣(けいれん)して倒れる。たぶん(どく)(あご)の方で咬まれた。

 ジャガジャガンッ!!

 倒れたクワガタサウルスはいったん無視し、逃げるモスキートエレファントの脚を大顎で一発切断するオオムカデ。ほぼ同じタイミングで、(たい)(せつ)波打(なみう)たせ、アメンボシャコを尾部(びぶ)で上からハエ叩きのように叩き潰すオオムカデ。こっちも一撃でペシャンコ……。

 シャカシャカシャカシャカシャカシャカ……

 死んだフリをし続けるパンクカワニナと俺とピノン以外、まともに動ける者のいなくなった段階で、オオムカデはゆっくりと痙攣(けいれん)するクワガタサウルスの元に戻ってくる。

 バキバキ。ムシャ。バキ。ムシャ。

 一番硬(かた)いはずのクワガタの(あご)(かま)部分からもろにかみ(くだ)いて捕食(ほしょく)していく。次は脚を切断されたモスキートエレファント。ハエ(たた)きで(つぶ)されたみたいなアメンボシャコ。それが終われば、残る強者たちの死体群。

 ゴキゴキゴキゴキ……シュン。

「まったくもってご馳走(ちそう)ではなく、ただのお粗末(そまつ)(さま)でした」

 熱を失い、葬式(そうしき)みたいに静かで冷たくなった迷宮56階層内。

 イブニングドレスを着る人間(にんげん)姿(すがた)に戻ったメリュジーヌが、食事の終わりを知らせる挨拶(あいさつ)をする。俺はスキル「カタレプシー」で血の気を引かせているけれど、俺が抱きしめているピノンの血の気ももう、完全に引いている。俺と同じくらいに体が冷たい。

「そうそう。言い忘れたことがございました」

 硬い音を立てながらメリュジーヌが歩く。カツオムシのオスの残骸の(そば)で止まる。

「私の住まいは50階層(かいそう)にございます。くれぐれも近づくことのないように」

 ドムンッ!!ドバシャッ!!!!

 隠れる俺たちの頭の上で、メリュジーヌに()られて壁に激突(げきとつ)したカツオムシの残骸(ざんがい)()端微塵(ぱみじん)(くだ)ける。カツオムシのオスの死骸が俺とピノンに、雨みたいに()り注ぐ。

「永遠の仮住(かりず)まいとはいえ、女の家に無断(むだん)で入るなど、言語道断(ごんごどうだん)でございましょう?」

 言い終わると、メリュジーヌはまた来た道を悠々(ゆうゆう)と引き返していく。

「「………」」

 殺気が洞内から消えたところで、俺はピノンを「カタレプシー」から解放(かいほう)する。

「無理です、アレ」

 ガタガタ(ふる)える、ピノンの声。

「……」

「フェンリルも、コカトリスも、あそこまで(こわ)いとは感じませんでした」

 目が泳ぎ、焦点(しょうてん)の合わないピノン。

「……」

「何ですか、アレ」

「……」

 アレ。

 メリュジーヌ・レイクホルト。

 正体不明(しょうたいふめい)の魔物。

 《否定(ひてい)

 否定って、何が?

 《報告。魔物を捕食するために出現したムカデモデルの魔物の正体が判明(はんめい)

 なに?マジか!

 《上位(じょうい)の魔物ネブタオオムカデ。ただし古代(こだい)絶滅(ぜつめつ)

 絶滅?(ほろ)んだのにどうしてここにいるんだ?

 目の前で魔物を食いまくってたぞ?生きてる証拠(しょうこ)だろ?

 《不明。何らかの理由で絶滅を(まぬが)れた可能性もわずかにあり。(ゆえ)(なぞ)

 人でも魔物でもないメリュジーヌ。でも絶滅したはずの魔物の姿をしたりする。

「……」

 ――そうそう。言い忘れたことがございました。

「……」

 ――私の住まいは50階層にございます。くれぐれも近づくことのないように。

「……」

 ――永遠の仮住まいとはいえ、女の家に無断で入るなど、言語道断でございましょう?

「……」

 メリュジーヌ・レイクホルト。

 ファーストネームとセカンドネームをもつ者。

 俺のカタレプシーが通用しないやつ。

 そして俺とピノンの居場所(いばしょ)特定(とくてい)できる。

 それでいて俺たちを殺さず、わざわざ自分の住処(すみか)を伝えてきた。

 永遠(えいえん)仮住(かりず)まい。(おんな)の家。

 言う必要のない〝言語道断(ごんごどうだん)〟の情報(じょうほう)

 なんで来た道をまた引き返していく?

 なんで自分の住処のある下層に戻らない?

 上層にばかり向かうのはなぜだ?ベルゼブブの相手でもするのか?

 ……。

 ……。

「ピノン」

「なんですか?」

 ぐしゃぐしゃに壊され、汚く食い散らかされたモスキートエレファント。

 上半身を食われて失い、下半身だけ壊されて不気味に残るクワガタサウルス。

「行くぞ」

「どこへ、ですか?」

 食われつくされ、残るは飛び散った体液(たいえき)とわずかな残骸(ざんがい)だけのアメンボシャコとカツオムシ。

 力なく、あるいは残された力でそれらを食い始めるパンクカワニナ。あるものは殻を割られ、あるものは無傷で、あるものは筋肉まで破られて内臓をこぼし、引きずっている。石の下に隠れていたハエや甲虫がそこにたかる。おそらくは肉を食いに、あるいは卵を産みに。その昆虫をヤモリが「キキ」と鳴きながら食べる。

「下だ」

「……」

「俺たちは迷宮(めいきゅう)一緒(いっしょ)に出る。そうだよな」

「……はい」

「それとも出たくないのか?」

 ピノンの震えが止まる。

「出たいに決まってるじゃないですか!テイザキさんと生きて一緒に出たいに決まってるじゃないですか!でもあんな!あんな速くて硬くて強い魔物!しかもヒトみたいに知能の高そうな魔物!倒せるわけないじゃないですか!!」

「……」

「どうしたんですか!?いつもみたいに否定(ひてい)してくれないんですか!?そうですよね!!あんな!あんな強すぎる魔物相手じゃ誰も勝てるわけ……」

 ポワン。

「ぎゃあっ!くっさ!!なにするんですかテイザキさん!!!」

「いつもみたいにデスノートだ。ただしトップノートは出来立てほやほやのパンダグモ」

「ふざけてるんですか!また気絶(きぜつ)しちゃうじゃないですか!!」

「何言ってんだ。気絶させるつもりなら必殺(ひっさつ)のハナクジャクをかましてる」

「そっちこそこんな時に何言ってんですかもう!………うふっ」

「どうした?」

 ピノンが涙目(なみだめ)になって笑いだす。変なやつだ。

「うふふっ……なんだかもう、テイザキさんと一緒にいると、おかしくなりそう」

「それは悪かった。すまない」

 口元を手で押さえて、頬を赤くして、クスクスと肩で笑ってる。「デスノート」パンダグモ風味の副作用かもしれない。

「本当にそうです。絶望(ぜつぼう)している自分がバカらしくなってきて、おかしくなります」

「ああ。絶望している(ひま)があったら俺はなんとかする」

「……好きすぎて、おかしくなりそう」

「何が好きなんだ?」

「なんでもありません。それより何か、作戦があるんですね?」

 ため息をつき、涙をぬぐったピノンに見つめられる。

「いや、まだない」

「テイザキさんってば!」

「本当だ。でもヒントはもらった」

「ほぇ?」

 俺は近づいてくる一匹のパンクカワニナを見つつ、自分の顔に付着したカツオムシのオスの肉を味わいながら答える。

 メリュジーヌ・レイクホルト。

 下に行けば何かあるんだな?

「あのムカデ女の言動がどうも引っかかる」

「はい。ついでにスリーサイズも引っかかります。あれ絶対パット入れてますから」

「とりあえず下層に進もう」

 俺はカツオムシの残骸を拾い、パンクカワニナの方に放る。パンクカワニナが止まり、カツオムシを食べ始める。

「下層って、いきなり50階の、あの魔物の巣に乗り込むわけじゃないですよね?」

「そんなことするわけないだろ。下に降りながらどうするかは考える」

 カツオムシの残骸に混ぜて、石ころもパンクカワニナに放る。

 コツン。ブンブンブン。

「そうですか。分かりました。どこまでもお(とも)します」

「助かる」

 食事中に石を投げられたことに怒ったみたいで、(から)を激しく振り回すパンクカワニナを見ながら俺はリュックを背負いなおし、(おの)を手にピノンと一緒にさらに下層へと向かっていく。

 魔物は飢餓(きが)咆哮(ほうこう)「メシマダカ」であらかた一カ所に呼び込んでしまったらしく、56階層にはイカコウモリくらいしかもう残っていない。

 こいつらはどこの階層にもいて、危険(きけん)察知(さっち)能力(のうりょく)が高く、しかも主食が昆虫(こんちゅう)とかだから、俺が「メシマダカ」を発動してすぐそこらへんの虫を食って腹いっぱいになって、メリュジーヌが56階層に来た時点で下層に逃げたんだろう。メリュジーヌが上層に移動したらまた56階層に戻ってくる、みたいなことを繰り返している気がする。

案外(あんがい)こういう連中が一番強いんだ」

「イカコウモリですか?」

「そうそう。体が大きいと成長するのに時間かかるし、体が小さいと腹は減るし、弱いからすぐに食われる。サイズ的に大きすぎず小さすぎず、しかも群れで行動するイカコウモリは、自分の(いのち)(ねら)われにくい。そして食べ物はそこら中にいる虫だから、()える心配もそうそうない。空気の振動(しんどう)でその場の状況(じょうきょう)がヤバイかどうかまである程度分かるから、身の危険を感じた時にはもう安全な場所にトンズラしてて問題なし。考えてみるとやっぱりしぶとくて強いだろ?」

「ええ。でもテイザキさんにはかなわないです」

「なんでだ?」

「テイザキさんはそんな強いイカコウモリを(わな)(つか)まえて料理(りょうり)しちゃうじゃないですか」

「そう言えばそうだ」

「私イカコウモリの食べ過ぎで1キロくらい(ふと)った気がします」

「そんなことないだろ。見た感じ3キロは体重が()えたと思うぞ」

「うふふ。テイザキさん。一発背後(はいご)から()っていいですか」

 なんて話しているうちにいつの間にか55階層(かいそう)に到着する俺とピノン。


 ブーンッ!


「「……ハチ?」」

 《報告。中位(ちゅうい)の魔物ツバメバチが出現(しゅつげん)

 55階層に降りてまもなく、大きめのハチ(がた)魔物(まもの)のお出まし。周囲を偵察(ていさつ)していたみたいで、俺とピノンを見つけると「エサだ!」みたいな感じでさっそく襲いかかってくる。

 ビョンッ!

 ピノンの弓オクリオオカミのひき(しぼ)った(いと)が激しく()れる。(はじ)かれた風の矢がツバメバチの四枚の(はね)の付け根を切り裂く。なんて命中(めいちゅう)精度(せいど)だ。すごい。

「さすがピノン。翅がないならハチじゃなくて」

 俺は全身をひねり、無事な右手に(にぎ)りしめたバトルアックスを構える。墜落(ついらく)しながらこっちに(せま)るツバメバチが一匹。

「ただのアリだ」

 ブオグシャッ!!

 そのツバメバチの胸部(きょうぶ)めがけて戦斧(バトルアックス)をフルスイング。

 腕だけの力で斧を振ると疲れるし威力も弱いけれど、足腰まで使うと腕の負担が減る割に威力は結構上がる。テニス部の同級生が(しゃべ)っているのを横で聞いてたことがあったけど、あれは本当だったんだと今になって思い知る。覚えててよかった。

「テイザキさん!アメンボシャコが来ました!」

 ピノンの大声で俺は「デスノート」を発動する。トップノートは考えてある。

 ずばり、カツオムシのオス。

「クワッパ!」

 カツオムシのオス死臭をまとう俺をやっぱり無視(むし)してピノンに向かって走るアメンボシャコ2匹。俺はすれ違いざまに、

 ズバンズバンッ!!

 回転(かいてん)()りをぶちかます。

「クワパ!?」

 両眼(りょうめ)触角(しょっかく)を失ったアメンボシャコたちが悲鳴に似た(さけ)びをあげながらピノンの方へ突進していく。

 ス。

 俺は(おの)を動かしピノンにしゃがむよう、無言(むごん)で合図を送る。ピノンがすぐさま姿勢(しせい)を低くする。ピノンに攻撃を当てられないままシャコパンチを繰り出しつつ先へ先へと前のめりで突き進むアメンボシャコ2匹。行く手にはこちらの〝異臭(いしゅう)〟に気づいたばかりのモスキートエレファント。(くさ)い俺にまず気づき、アメンボシャコの(きず)ついた〝(うま)そうな(にお)い〟に(おく)れて気づいたはず。

「ブイイイイイイイイッ!!!」「「クワッパ!!!!」

 ニオイが(たよ)りのモスキートエレファントと、ニオイしか頼れないアメンボシャコ。

 両種(りょうしゅ)仕方(しかた)なくぶつかる。

 ただ踏みつぶす魔物と、ただ殴る魔物。出会えばタダで()まない。

 生きのびるために、死ぬまでぶつかり合う。ピノンの弓オクリオオカミから放たれる風の矢がモスキートエレファントの眼を破壊する。肉を(えぐ)り、血の(にお)いを()き散らす。

 両種とも、眼が見えない。

 けれど互いの体液の匂いを頼りに互いの位置を把握(はあく)し、()みつぶす。(なぐ)りつぶす。

 《報告。中位(ちゅうい)の魔物クワガタサウルスが死んだフリスキル所持者の後方から加速接近中》

「ジギギギギギギギギイイイッ!!」

 クワガタサウルスが俺の後方から()(あらわ)れる。

 俺はバトルアックスをちょっとだけ手放し、「ヒュイッ」と小さく口笛(くちぶえ)を吹く。ピノンが俺を見る。俺はバトっているモスキートエレファントたちを指さしながら口元に右手を当ててハナクジャクの(くちばし)真似(まね)をする。勘のいいピノンがすぐうなずく。

「コッケエエエエエエエエエエエエエエエエエエッ!!!!」

 ピノンの遠ざかる絶叫で(おどろ)き、その場に一瞬(いっしゅん)硬直(こうちょく)するクワガタサウルス。

 逆にピノンの迫る絶叫のせいでモスキートエレファントとアメンボシャコも驚き凍り付く。でもずっと止まってはいられない。止まれば目の前の魔物に殺されるから、すぐに戦闘再開。

 キリキリキリキリキリキリキリキリキリ……

 きた。

 キリキリキリキリキリキリキリキリキリキリキリキリキリキリキリキリキリキリッ!!

 静止しているクワガタサウルスの背中に、(いし)(つぶて)のようにぶつかるイカコウモリの群舞(ぐんぶ)乱舞(らんぶ)

「ジギ……」

 クワガタサウルスがようやく(われ)に返る。とはいえ、目障(めざわ)耳障(みみざわ)りなイカコウモリに翻弄(ほんろう)される。

 俺は落とした斧を(ひろ)い、イカコウモリに気を取られているクワガタサウルスへ歩いて近づいていく。クワガタサウルスの一番硬(かた)(あご)を下から(おの)で、

「せーのっ!」

 思いきりぶん(なぐ)る。

 ガイイイーンッ!

 硬い分、体全体に振動が響いているはずの魔物は状況を良く呑み込めず、とりあえず(うろこ)に覆われた尻尾(しっぽ)をぶん回す。頭部の顎をガチガチ激しく鳴らす。どちらも無駄(むだ)大振(おおぶ)りで、運の悪いイカコウモリには当たっても、ちょこまか動き回る俺には(とど)かない。不要に大きな音を立てるせいで、俺の足音(あしおと)呼吸音(こきゅうおん)も耳で拾えない。

 《報告。中位の魔物パンダグモが接近。(らく)()リリエンテイルを発射(はっしゃ)準備中(じゅんびちゅう)

 そしてそんな〝大騒(おおさわ)ぎ〟を見逃(みのが)さないのがパンダグモ。待ち伏せ攻撃だけだと()えるこいつは漁夫(ぎょふ)()(ねら)う。ドサクサにまぎれて攻撃を仕掛(しか)けるべく、つねに機会(きかい)をうかがっている。

 ボビュッ!!

 頑丈な糸を広範囲(こうはんい)に一気に()くパンダグモ。小さくてもたくさんいるイカコウモリが糸に(とら)われて(つか)まる。大型の魔物クワガタサウルスも捕まる。

 ピピピピピピピピピピバイバイバイバイバイバイバインッ!!!!!

「…?…?…?」

 糸にかかった獲物が大漁(たいりょう)()ぎて、どこで起きるどの振動が何の魔物か分からなくなってフリーズするパンダグモ。食える時に食こうとする本能の糸があだになる。偽装振動どころの騒ぎじゃない。そりゃどうしていいか分からなくもなる。

 ビュボンッ!!

 自分の()いた糸の上で激しく()れるパンダグモの振幅(しんぷく)を読み、ピノンが風の矢を突き刺す。当たり所が悪くて悲鳴を上げながら落下してきたパンダグモのパンダ首を、俺は斧で切断する。落下の衝撃で折れてくれた首に、斧の刃はうまく入る。首チョンパに成功する。

「ブイイィィィ……」

 《注意。魔物モスキートエレファントの体当たりに警戒(けいかい)

 終わりのない戦いが当たり前なのが、魔物との戦闘。

 回転切りで眼を斬り落としたアメンボシャコに僅差(きんさ)で勝ち、俺に轟音とともに迫ってきたのは瀕死(ひんし)のモスキートエレファント。目の前で転ばれて押し潰されでもしたら、一巻の終わり。だから、

 《「死の芳香デスノート」解除(かいじょ)。トップノート:カツオムシのオス。消臭(しょうしゅう)

 突如俺がカツオムシの強烈な()(しゅう)を消したせいで戸惑(とまど)うモスキートエレファント。フレッシュな生きのいい魔物の死体の匂いに呑まれ、足がもつれる。それでも前に進もうとする。(あし)(うら)でこちらの動きを感知されないよう、そっと歩いて()ける俺。

「ブイイイイッ!!」

 自分からパンダグモの糸の巣に飛び込んでしまい、もがくモスキートエレファント。

 糸に(から)まったその死にかけモスキートエレファントを、同じく糸に絡まるも元気いっぱいのクワガタサウルスが無我夢中(むがむちゅう)()みつき、窒息(ちっそく)させ、あるいは首を折ろうとする。

 シュタ。

 自分の置かれた状況を理解できずに攻撃を続けるクワガタサウルスの頭部にピノンが大胆(だいたん)にも降り立つ。

 ビュドドドドドドドドドッ!!!!

 ピノンがゼロ距離で魔物の複眼に風の刃をぶち込む。そしてすぐに跳んで逃げる。

 ズブシャ。ズブ。ズブ。ズブブ。

 俺は俺で、クワガタサウルスの腹部(ふくぶ)気門(きもん)という気門にイカコウモリを強引(ごういん)()め込む。

 元気だったクワガタサウルスは(またた)く間に光と空気を失い、猛烈(もうれつ)に暴れ、モスキートエレファント以上に糸に絡まる。ますます動きにくくなる。

「ジッギ。ギ。ギギ……」

 ピノンが次々に打ち落とすイカコウモリを、俺がどんどんクワガタサウルスの気門に()め込んでいく。呼吸(こきゅう)ができなくて苦しみ出す。たぶん死ぬほど苦しいはず。

「ジギッ!」

 そんな地獄の苦しみは、咬みついているモスキートエレファントに命がけでぶつけるしかない。

 ゴギィ!

 盲目瀕死のモスキートエレファントのぶっとい首が折れるころ、盲目瀕死のクワガタサウルスも完全に窒息して動かなくなる。

「「「「「「「「「……」」」」」」」」」

 静寂(せいじゃく)が戻る。一度始まると間断(かんだん)のない連続(れんぞく)殺戮(さつりく)がようやく()わる。

「よし、行くぞ」「はい」

 ルーティンになった弱肉強食(ナンバー)()ませた俺とピノンは、血と(よご)れと(あせ)(はら)い、水筒の水をかわるがわる飲み、階層(かいそう)(おく)へと進む。


 ブーン……ブーン……


 55階層に降りて来るまで一度も見なかったツバメバチの羽音(はおと)をピノンに少しずつたどってもらいながら、俺はツバメバチの集まる大部屋に到達(とうたつ)する。

「あれが、ツバメバチの()ですかね?」

「そうらしい」

 そこは学校の体育館(たいいくかん)(なみ)に広い迷宮空間。薄暗(うすぐら)緑色(みどりいろ)鉱石(こうせき)ムノーガライトが天井や壁面、床からそこかしこに生えていて、魔物たちの姿を暗く緑色に照らし出す。

 一か所に固まって動かないパンクカワニナ。

 (いそが)しそうに飛び回るツバメバチ。

 そしてツバメバチたちに囲まれるようにして天井から()り下がる、ツバメバチの巨大な巣。ラグビーボールみたいな紡錘形(ぼうすいけい)だ。

 《報告。中位の魔物ツバメバチは低位の魔物アリゴブリンと同じく社会性(しゃかいせい)をもつ魔物》

 社会性をもつ……。

 ハチに()ている姿の魔物だから、そんな気はしていた。

 《巣の周囲を飛び回るツバメバチは全てメス。さらにメスは全て産卵(さんらん)能力(のうりょく)をもつ》

 つまり働きバチに相当するワーカーがメス、か。

 脳内再生。ツバメバチの女王(じょおう)は巣の中にいるのか?

 《報告。ツバメバチの女王は巣の中心部にいて(つね)産卵(さんらん)を行う。その世話(せわ)()くのはオスのツバメバチ。なお女王バチが不在(ふざい)の場合、別のメスが新たな女王として〝いつでも〟産卵を行う》

 そうか。ということは……

 《死んだフリスキル所持者の予測(よそく)支持(しじ)

「テイザキさん?」

 《発動(はつどう)準備(じゅんび)完了(かんりょう)……判断(はんだん)を》

 判断?

 スキルを発動する判断?

 《発動するかどうかは当然スキル所持者(しょじしゃ)が決めること。スキルが決めることにあらず》

 起きることが分かっているのに。

 起きることを脳内再生まで賛成支持(さんせいしじ)しているのに。

 《賛成支持は結果(けっか)確約(かくやく)ではない。発動の意思(いし)を示せ》

 あのスキルの発動を……俺が……

 《質問(しつもん)。では、発動(はつどう)しないのか?》

 いや……でも発動すればたぶん……

 《たぶんではなく、その想定は高確率(こうかくりつ)で実現する。ゆえに支持(しじ)

 だからっ!

 《質問。なぜエルフを使ってまで、〝ここ〟にきた?》

 それは……。

 《ここで〝起こせること〟を求めてきたのではないのか?》

 ……。

 《死んだフリスキル所持者に忠告(ちゅうこく)

 何が忠告だ!!発動することをためらう俺に、何を忠告するつもりだ!!


 《()んだフリに、〝きれい〟はない》。


「!!」

「テイザキ、さん?」

 《(だれ)かの(いのち)にまぎれ、(だれ)かの(いのち)でまちぶせ、誰かの命をまもる》

 ……。

 《綺麗(きれい)対極(たいきょく)にある(けが)れ。それが()んだフリ》

 ……。

 《死んだフリに善悪(ぜんあく)があるとすれば一つ》

 ……。

 《(かか)わった(いのち)見捨(みす)てるか。(いな)か》

 ……。

 《命を見捨てる、死んだフリ》

 ……。

 《それこそただの、汚物(おぶつ)

「テイザキさんってば!」

 《死臭(ししゅう)をひたすら(ただよ)わせ、ひたすら(うご)かぬ、ひたすら(つめ)たき汚物(おぶつ)

 ……。

 《釘崎(ていざき)(てつ)太郎(たろう)という死んだフリは、誰の命を(まも)る?》

「ピノン……」

「はい?」

(じつ)はもう一つ、新たに手に入れたスキルがある。それをこれから(ため)す」

「それ、私のお(なか)()るスキルだったらちょっとやめて()しいです」

「あれはやらない。これは相手を発情(はつじょう)させて死んだフリをさせないスキルだ」

「え!?……じゃあ、いいかも、です」

「でもここでやるとたぶんマズいことになる」

「そりゃ、魔物の目もありますし、私もちょっと今汚(よご)れてますので(みず)()びとかしてこないと……テイザキさん?」

 脳内(のうない)再生(さいせい)

 俺は決断した。この目で見届ける。そのためにここへ来たと認める。

 だから頼む。やってくれ。

 《了解(りょうかい)。「発情(はつじょう)咆哮(ほうこう)モウタマラン」発動(はつどう)

 ヴオン。

「「「「「「「!」」」」」」」

 3秒くらい俺の体が(あか)く光ったあと、飛び回っていたツバメバチのメスが(おどろ)き、着地(ちゃくち)する。巣の表面から中に入ろうとしていたメスのツバメバチも驚き、地面に降りて来る。あるいは壁面(へきめん)にしがみつく。

 いずれのツバメバチも、飛ぶことをやめる。

 ポコポコポコポコポコ……

 走り回り、止まり、バスケットボール大の白い球体(きゅうたい)を次々に腹部(ふくぶ)から放出(ほうしゅつ)し始めるメス個体たち。

産卵(さんらん)が始まったぞ。……ピノン?」

「はぁ、はぁ、はぁ、はぁ、テイザキさ~ん」

「……」

 ガシ。

「あはん。テイザキさんったら強引(ごういん)!そんなに激しく(もと)められたらピノン、もう我慢(がまん)できませ~ん」

「ちょっとだけ我慢して一緒(いっしょ)に見ててくれ」

「え~?我慢したらテイザキさんのテイザキさんを~ピノンに見せてくれますか~?」

「よく分からないが、あとで見せてやるから静かにするんだ」

「は~い。うふふ~。()きしめられてピノン。ドキドキが止まらな~い」

 ビシバキキ……

 巨大な巣の一部に亀裂(きれつ)(はし)る。亀裂が増える。

 ドゴオオオオンッ!

 亀裂が炸裂(さくれつ)し、崩落(ほうらく)する。

 ブブブブブブブブブブブッ!!!!!

 腹部が巨大なツバメバチが現れる。たぶん女王。

 そしてそれに付き従うツバメバチ。あれはたぶん女王の世話役(せわやく)のオス。

 《すべて正解(せいかい)

「カチカチカチカチカチカチカチッ!!!!」

 憤怒(ふんぬ)のあまり、顎を何度も鳴らす女王。そして

 グシャンッ!グシャンッ!グシャンッ!

 メス個体たちが産んだ卵を次々に()みつぶして(こわ)していく女王。

 タタタッ!タタタッ!ポコポコ。

 目立たぬよう飛ばず、走って逃げるメス個体。そして(すき)あらば(たまご)を地面や石の上に産み付け続ける。

 (たまご)

 白い、バスケットボール大の球体(きゅうたい)

「あれは~何してるんですか~?」

「ツバメバチのメスが、卵を産んでいる」

「へ~いいなぁ~。ピノンもテイザキさんの卵を()みたいで~す」

「そうか」

「あはん!(あたま)なでなでされて~うれしぃ~」

「なあピノン」

「なんですか~?」

「こいつらツバメバチはほとんどがメスで、みんな卵を()む力がある」

「は~い」

「それなのに、普段(ふだん)は卵を産まない」

「は~い」

「なんでだと思う?」

「テイザキさんがいないからで~す」

「!?……ふっ。それもそうだな」

「テイザキさ~ん?」

(たし)かに、(おれ)のせいだ」

 《報告(ほうこく)。あと37秒で「発情(はつじょう)咆哮(ほうこう)モウタマラン」が解除(かいじょ)

 37、36、35、34、33、32、……

「うふふ~もっと、なでなでしていい子いい子してくださ~い。あっ!(みみ)さわるのダメですぅ!」

 21、20、19、18、17、16、15、……

 《混沌(カオス)(そな)えよ》

「耳たぶは敏感(びんかん)だからダメですよテイザキさんてばーっ!あはっ!あぁ~ん!」

 5、4、3、2、1、0。

 《(いのち)見捨(みす)てぬために》

「「「「「「「「「「「「「!」」」」」」」」」」」」」

 ツバメバチのメスたちが止まる。女王が止まる。オスが止まる。

 我に返る魔物たち。

 ブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブッ!!!!

「テイザキさん…………何、何が起きてるんですか?」

「見ての通りだ」

 目の色を変えたツバメバチのメスたちが飛び回り、(たが)いの(たまご)破壊(はかい)し始める。

 それだけじゃなく、ワーカーであるメスが女王に攻撃を始める。

 それを女王護衛(じょおうごえい)のオスが撃退(げきたい)しようとする。

 女王は重い身体をなんとか動かしながら、(かべ)()い、()び、自分で壊した巣の中へと必死(ひっし)に戻る。

 その女王を容赦(ようしゃ)なく猛追(もうつい)するメス。追いつき、()みつき、(あし)をもぎとる。腹を食い(やぶ)る。

 女王を守ろうと護衛オスは女王のもとに向かうが、暴走したメスがオスの肢と羽をもかみ切る。八つ裂きにして殺す。

 女王は()(たい)で巣に帰還(きかん)する。破れた腹部から卵を産めなければ、死ぬしかない。

 女王が視界から消えたツバメバチのメスたちは卵という卵を徹底(てってい)して破壊し、破壊が終わると卵を産んだメス同士で殺し合いを始める。(やぶ)れた方は死ぬしかない。

 モゾモゾ。

 パンクカワニナが、やっぱりこのタイミングで動き出す。

 俺の死んだフリスキル「モウタマラン」で互いに交尾(こうび)しようと動き出したものの、産卵の場所を確保しようと走り回っていたツバメバチにあちこちからぶつかられ、驚いて身を守るべく(から)にこもっていたパンクカワニナ。

 こいつらは交尾ができず、結局死んだフリを続けた。

 でも今は(ちが)う。

 死んで動かないツバメバチのメスの死骸(しがい)めがけて、ゆっくりと移動するパンクカワニナ。

 パックン。

 ツバメバチの死骸の上にゆっくり(おお)いかぶさり、速度を落とさず通過(つうか)していく。その(あと)には何も残らない。ツバメバチが(たが)いに壊した卵の上も、パンクカワニナは通過し、その後にも何も残さない。

 性欲(せいよく)()たせず、強制的(きょうせいてき)に死んだフリを長時間(ちょうじかん)させられた報復(ほうふく)

 それは食欲(しょくよく)暴徒(ぼうと)となること。ゆえに強引(ごういん)栄養補給(えいようほきゅう)が始まる。

 《支持》

 ブブブブブカン!ブオンブオンブオンブオン!!!

 食事中のパンクカワニナにツバメバチが偶然(ぐうぜん)ぶつかる。すると今度は死んだふりをせず、電話ボックスほどもある大きな硬い貝殻(かいがら)を激しく振り回す。俺がカツオムシの残骸と一緒に石を投げつけた時とは比べものにならないくらい、激しくぶん回す。

 ガンッ!

 運悪(うんわる)(なぐ)られたツバメバチのメスは(あわ)てて逃げていく。外骨格(がいこっかく)をへこませた状態で。

 発情後にキレるツバメバチ。

 迷惑行動にキレるパンクカワニナ。

 想像通りの地獄絵(じごくえ)

 キリングフィールド。

「力を合わせて生きる奴らっていうのは、〝()()け〟を(ゆる)さない」

「ツバメバチ……ですか?」

「ああ。死ぬまで卵を産むことが(ゆる)されず、卵を産むことを唯一許された女王のために一生を(ささ)げなきゃいけない(はたら)きバチのメスは、勝手(かって)に卵を産んだ働きバチのメスを、同僚(どうりょう)を、ワーカーを、死ぬまで許さない」

「………」

「これが社会性魔物(しゃかいせいまもの)繁栄(はんえい)代償(だいしょう)究極(きゅうきょく)監視社会(かんししゃかい)ってやつだ。一歩間違(いっぽまちが)えれば全滅(ぜんめつ)する。あるいはピノンがさっき言った通り、俺がいつまでもいれば全滅する」

 と言った俺にピノンが()()いてくる。今度は(ふる)えながら。

「すまなかった。〝こわいもの〟を見せて」

「いいえ。…………テイザキさんの、テイザキさんを私は、全部受け入れます」

「そうか」

「体……すごく(つめ)たいですよ?」

「………」

「もう、できたんですね」

「ああ」

 できた。

 メリュジーヌ・レイクホルト。

 あいつを倒す算段(さんだん)はできた。

「50階に向かおう」

「……はい。(よろこ)んで」

 ピノンに声をかけた俺は、俺のせいで激変(げきへん)したツバメバチの巣に手を合わせ、まだ息のあるボロボロのツバメバチのメス一匹を捕獲(ほかく)し、巣を(あと)にした。


 地上(ちじょう)迷宮(めいきゅう)セキドイシ59階層。

(えん)()の魔物ベルゼブブの石化(せきか)一応(いちおう)成功(せいこう)

 魔物の死骸と鉱石で()り固め、上層60階への通路を完全に封鎖(ふうさ)したメリュジーヌ・レイクホルト。

(とはいえ相手は魔王の幹部である淵位の底壱(ていいち)。テッポウキノコの寄生(きせい)支配(しはい)のように、石化魔法すらも()かれる可能性(かのうせい)は高い)

 目を閉じつつ、封鎖した通路の向こう側にいる魔物たちの気配を感じ取ろうとするメリュジーヌ。魔物ベルゼブブの相手をした魔物バジリスクは(すで)に魔力を使い過ぎて死にかけている。

(フェンリルの気配が消えるよりも前にベルゼブブは現れた。つまり宝具オクリオオカミを失ったことが、底壱が送り込まれた理由ではない)

 バジリスクの状態を知ったメリュジーヌはようやく歩き出す。

(セキドイシ頂上で最初に起きた異常(いじょう)事態(じたい)。あれは魔法の波長からして、天使(てんし)による召喚(しょうかん)の儀式。異常ではあるものの、経験は何度かある。しかしその直後の淵位の召喚……かつて一度も経験がない)

 カツン。カツン。カツン。カツン。

 メリュジーヌの足音を聞いた動物も魔物も、ことごとく逃げ散っていく。

(あのエルフは1階層から上層へ転移(てんい)してきた。もし最初からエルフが(ねら)いなら、1階層あるいは迷宮の外に(てい)(いち)を送り込み、そこでエルフを仕留(しと)めれば良かったはず。底壱自体も、魔物より人間を(えさ)にした方がはるかに(やす)強化(きょうか)できるというもの)

 カツン。カツン。カツン。カツン。

 魔物パンダグモがメリュジーヌの足音に気づき、糸を急いで回収して()げる。

(すると、魔王(まおう)が底壱をわざわざ上層(じょうそう)から送り込んだ理由は二つに(しぼ)られる)

 カツン。カツン。カツン。カツン。

 アメンボシャコがパンチを(ふう)じて音を立てないようセカセカと逃げていく。

(かつて封じたウゴエを取り出す必要が生じ、セキドイシを完全に壊すため。あるいは)

 魔物イカコウモリと魔物パンクカワニナ、魔物カツオムシは全力で死んだフリをして、メリュジーヌをやり過ごす。

(あの(なぞ)めいた、おそらくは天使の異世界召喚によって現れた人間(にんげん)一刻(いっこく)も早く排除(はいじょ)するため。そのために追跡者のごとく底壱を送り込んだ)

カツン。カツン。カツン。カツン。

 微動だにせず、周囲の風景に溶け込もうと努力していた魔物クワガタサウルスと魔物モスキートエレファントだったが、突如現れた一匹の魔物ツバメバチに気を取られて、つい体の一部を動かしてしまう。顎の先が5ミリ。吻の先が1センチ。

 ドグシュッ!!!

 モスキートエレファントがメリュジーヌの(すそ)から伸びた魔物ネブタオオムカデの強靭(きょうじん)な顎に()まれて内臓を食われる。メリュジーヌの〝立ち食い〟に戦慄(せんりつ)したクワガタサウルスがあわてふためいて逃げる。切り札の(はね)を広げて逃げようとするも、久しぶりの飛翔(ひしょう)失敗(しっぱい)し、岩壁(がんぺき)激突(げきとつ)する。崩れた岩の下敷(したじ)きになり、勝手(かって)に生き()めになる。

 ブブブブブブ……

 その瓦礫(がれき)隙間(すきま)(もぐ)っていき、クワガタサウルスの生肉を体から千切っては飛び去る魔物ツバメバチのメス。それを目でおっとりと追うメリュジーヌ。

(55階層まではたどり着きましたか。やはりただ者ではないのですね)

 カツン。カツン。カツン。カツン。

 ネブタオオムカデの食い残し魔物に(たか)り、遅れて同僚(どうりょう)のワーカーを追いかけるツバメバチのメス。自分の(かたわ)らをすり抜けるのを見逃すメリュジーヌ。

(そして孤狼の弓オクリオオカミは今、50階層にある。つまり)

「いらしたのですね。私を(ころ)しに」

 ようやく「うふふ」と声をたて、セキドイシ中層の支配種メリュジーヌは自分の居住層(きょじゅうそう)へと降りていく。急がず(あせ)らず。


 カツン。カツン。カツン。カツ。

(ひどいニオイ……)

 地上迷宮セキドイシ50階層。

 (すで)に魔物ハナクジャクの()(しゅう)(じゅう)(まん)している。

(これでは鼻が、使い物になりませんね)

 カツンカツンカツンカツンカツン。

 足早に、死臭の強くなる方へ、つまり自分の(ねぐら)に戻るメリュジーヌ。

「女の家に無断で入っただけでなく、()(こう)()くなどと、あなたは一体どういう神経(しんけい)をしているのでしょう」

 死臭の立ち込める暗く細長い通路を抜けた先にある、穴だらけの巨大(きょだい)空間(くうかん)

 そこで女は優雅に言葉を投げかける。

「………」

 声の先に立つのは、一人の少年。

 ヤギヘビの皮膚をヤギヘビの毛で縫った不思議な服をまとう、黒髪の少年。

 モスキートエレファントの(ふん)添木代(そえぎが)わりにして左腕を固定している少年。

 召喚者(しょうかんしゃ)釘崎(ていざき)(てつ)太郎(たろう)

「あの奴隷(どれい)エルフはどうしたのです?もしや魔物の(えさ)にでもくれてやったのでございますか?」

 そう言いつつも、()(ろう)(ゆみ)オクリオオカミの発する魔力で弓の座標(ざひょう)正確(せいかく)特定(とくてい)できるメリュジーヌは、エルフの少女がどの(あな)通路(つうろ)(かく)れているかを(すで)感知(かんち)している。

「それにしても……」


 ブーン………


 メリュジーヌが上を見渡す。

 メリュジーヌ自身が長い時間をかけて収集し配置した色とりどりの発光(はっこう)鉱石(こうせき)で照らされた明るい空間内で、ワーカーであるツバメバチのメスたちが、縦横無尽(じゅうおうむじん)に飛び回る。

 デスノートという()(しゅう)()けながら。

 メリュジーヌという殺気(さっき)を避けながら。

「ずいぶんと賑やかになったこと」

 55階層にあったのと同じ規模(きぼ)のツバメバチの巣が、天井からぶら下がる。

 エルフであるピノンの治癒(ちゆ)魔法(まほう)回復(かいふく)させた、たった1匹のツバメバチのメスから少年が(つく)らせた、人工の巨大巣。

「………」

 1匹のツバメバチのメスを女王に仕立て、繁栄する巣を築かせた少年は動かず、メリュジーヌを静かに見つめる。

「……」

 そして少年とメリュジーヌの間にいくつも立つ、公衆電話ボックスのように大きな巻貝(まきがい)。すなわち魔物パンクカワニナ。死んだフリをしたまま、一切(いっさい)動こうとしない。

(底壱を送り込まなければならないほどの召喚者だとすれば、油断(ゆだん)はできない)

「私はペットを()趣味(しゅみ)がございませんので、全て処分(しょぶん)いたしますね」

 宣告(せんこく)して、メリュジーヌが人間の擬態(ぎたい)をやめる。

 ジャガガガガガガガガッ!!

 太古の魔物ネブタオオムカデの姿になると、召喚者の少年の元へまっすぐ爆走(ばくそう)していく。

 ブオン。

 少年の体が赤く光る。死んだフリスキル「飢餓(きが)咆哮(ほうこう)メシマダカ」が発動する。

 ズズズ……

 腹をすかせたパンクカワニナが死んだフリを続けられず、動き出す。

 ツバメバチのメスたちがネブタオオムカデを(えさ)と認識し、無謀(むぼう)にも突っ込む。

(魔物を状態(じょうたい)異常(いじょう)にする魔法を使用するのですね。しかし私には効きませんよ)

 ネブタオオムカデは(あご)で噛みつこうとするツバメバチたちを無視(むし)し、動くパンクカワニナたちを容易(たやす)く避けながら、召喚者の少年へと影のように素早(すばや)く迫る。

 ヒュボッ!カンッ! 

「?」

 ネブタオオムカデの移動用の穴通路の一つに隠れていたエルフが孤狼の弓オクリオオカミで風刃ハナチラシを放つ。それは()い動く魔物パンクカワニナの(から)に当たる。

 ブンブンブンブンブンッ!

 矢が当たるや否や、パンクカワニナは激しく殻を振り回す。動きは鈍重(どんじゅう)だが高さ2メートル重さ1トンの殻と筋肉(きんにく)(かい)をもつ魔物の動きがネブタオオムカデの走行を(さまた)げる。外骨格は無傷だが、パンクカワニナの殻を押しつけられた圧力でネブタオオムカデの内臓に(いた)みが走る。

(エルフの分際(ぶんざい)が、なめた真似(まね)を)

 高所からの連続(れんぞく)射撃(しゃげき)でそこらじゅうのパンクカワニナをばね人形のように(おど)(くる)わせるエルフに対し、(ごう)()やしたネブタオオムカデが攻撃の矛先(ほこさき)をエルフに切り()える。

 ドスンッ!ジャガガガガガガガガッ!!!!

 広間の岩壁に飛びつき、鉱石を蹴飛ばしながら多足を動かして高速で這いあがり、エルフの(こも)る穴通路に達するネブタオオムカデ。

()がさぬ)

 明るい穴通路の奥へと()けていくエルフ。それをネブタオオムカデが猛追(もうつい)……

(?)

 できず、減速する。通路内に転がる、たくさんの白い球体に眼が止まる。

(ツバメバチの(たまご)か。……そしてなぜこんなところにコイツがいる?)

 白い球体の次に現れたのは、ゆるゆる動く電話ボックス級の魔物。

 ザザァー!ヒュボッ!カン!ブンブンブンブン!

 広くない穴通路に入り込んで進むパンクカワニナと地面との狭い隙間をスライディングですり抜けたエルフはその状態でパンクカワニナに風刃ハナチラシを撃ち込む。また電話ボックスがばね人形になる。

(こしゃくな!)

 苛立(いらだ)ったネブタオオムカデが顎を大きく開く。

 ガゴミシィッ!!!

 高硬度のパンクカワニナの殻をネブタオオムカデの顎がかみ砕く。ただし筋肉塊で顎の勢いは止められる。それでもネブタオオムカデの顎は怪力を発揮し、パンクカワニナの死後硬直した(はがね)の筋肉をとうとう切断(せつだん)する。

 バクバクバクンッ!カシャカシャカシャカシャッ!!!!

 目の前に点々と転がる白い球体を頬張(ほおば)りエネルギーを補給(ほきゅう)し、エルフを追うネブタオオムカデ。エルフは既に別の穴通路の入り口にいて、ネブタオオムカデを狙撃できる体勢にある。

 ヒュボッ!ボニュンッ!

 一度パンクカワニナに殴られたネブタオオムカデの(たい)(せつ)部分(ぶぶん)をあえて狙ってくるエルフ。風の矢ごときでダメージなど通るはずもないが、その行為自体が(しゃく)(さわ)るネブタオオムカデは移動速度を増す。足先と筋肉と顎に殺意を満たしていく。

(あの小僧(こぞう)の面前で食い殺してやる)

 残忍(ざんにん)な想像を(ふく)らませながら、またもや自分のための穴通路へと飛び込むネブタオオムカデ。走る。バスケットボール大の白球。走る。逃げるエルフ。走る。邪魔するパンクカワニナ。

(なんでこんな所にまでパンクカワニナが来る?エサ不足でこんなところまで這い上るのかこいつらは)

 パンクカワニナの固すぎる筋肉を切断しながら苛立ちを隠せないネブタオオムカデ。パンクカワニナが探し回っている(えさ)であるツバメバチの卵を先に食らい尽くし、何度も何度もエルフを追う。向かってくるツバメバチのメスを虐殺(ぎゃくさつ)しては食らい尽くす。

「「「「「「「?」」」」」」」

 11回目の穴通路攻略を終えた時、魔物ツバメバチと魔物パンクカワニナの様子が急変する。

 ハッとしたネブタオオムカデは最初から同じ場所に立ち尽くす少年を確認する。

 ヴオン。

 少年の体が赤く光る。「発情(はつじょう)咆哮(ほうこう)モウタマラン」を発動。

(別の状態(じょうたい)異常(いじょう)魔法(まほう)をかけたか)

 ツバメバチのメスというメスが、あらゆる穴通路へ向かって逃げるように()っていく。

 逆にパンクカワニナが穴通路からモゾモゾと出る。最初から地面にいたパンクカワニナはパンクカワニナ同士で寄り添い、ユルユルと交尾を始める。

 ズーン……ズズーン……

 天井が震える。ツバメバチの巣全体に亀裂が走る。ツバメバチのオスたちが巣から飛び出してくる。恐る恐る巣の周りを飛び続ける。

「ガチガチガチガチガチガチガチガチガチガチッ!!!」

 やがてツバメバチの女王が巣を砕き壊して外へと現れる。狼狽(うろた)えたように飛び回るツバメバチのオス。

 ブブブブブブブブドガーンッ!!!!

 穴通路の入り口一つに自分からぶつかっていき、上半身を突き込む女王。中でコッソリ産卵しようとしているツバメバチのメスを食らおうと必死になる。が、腹部が大きすぎてつっかえたまま、中に進めない。

 ヒュボボッ!

「?」

 いつの間にか召喚者の少年の隣に立ったエルフが、少年の左腕の添木(そえぎ)に使用していたモスキートエレファントの(ふん)2本を矢にして()(はな)つ。

 ボズボズッ!

 1本の(ふん)()は、一つの穴通路の入口に刺さる。

 もう1本の吻矢はネブタオオムカデの体節と体節の柔肉(やわにく)に突き刺さる。

(エルフが()()るな!)

 皮膜を破られて、ネブタオオムカデのプライドが大きく傷つく。

 ズゥーンッ!!

 山崩れのように駆け降りてエルフと召喚者二人を抹殺しようと動いた瞬間、壁面が波のように揺れる。ネブタオオムカデの多足は本能的に壁をひっかくむように(つか)む。

「ガチガチガチガチガチガチガチガチガチガチッ!!!」

 顎を激しく動かすツバメバチの女王がモスキートエレファントの吻矢の刺さった穴通路に今度は飛びつき、全力で殴って通路を破壊する。そして間髪入れず、ネブタオオムカデのもとに跳んでくる。

(なぜ女王がこっちに来る?)

 そう思った時、自分の体に刺さる吻矢の〝付属物〟に気づくネブタオオムカデ。

(吻にツバメバチの卵をくっつけて飛ばしたというのか?)

 エルフが弓で(ふん)()を放つ瞬間、召喚者の少年はエルフに運ばせたツバメバチの卵を二つ、宙に放り投げた。

 ヒュボボッ!!

 卵を射貫いた状態でエルフの吻矢は飛ぶ。

 ボズボズッ!

 吻矢はツバメバチの卵もろとも穴通路の入り口と、ネブタオオムカデの皮膜(ひまく)に突き刺さる。

(クソが)

 ネブタオオムカデが苦々(にがにが)しげに思う。

 ツバメバチのメスの卵の()る所、()(くる)うツバメバチ女王は現れる。

 ジャガジャガジャガジャガッ!!!!

 多足だが関節(かんせつ)可動域(かどういき)には限界(げんかい)があり、体をねじって取る以外ネブタオオムカデが吻を抜く手段はない。しかしツバメバチ女王は目前に迫り、体当たりを仕掛けてくる。体重と加速度が他のメスよりはるかに大きいツバメバチ女王の攻撃はバカにならない。ネブタオオムカデでも、当たり所が悪ければただでは済まない。

(相手にするのは馬鹿馬鹿(ばかばか)しい)

 ジャガジャガジャガジャガッ!!!!

 そう判断したネブタオオムカデは目の前の穴通路に(もぐ)ってしまう。ツバメバチ女王がその壁穴をぶち割りながら全身をつっこみ、身動きもろくにとれないくせに顎だけ鳴らして威嚇する。相変わらず下半身の腹部は大きすぎて入りきらない。穴に栓をするだけになる。

間抜(まぬ)けめ。ここはあくまで私の()(あな)だ)

 女王をやり過ごしたネブタオオムカデの穴通路には、白いバスケットボール大の卵が大量に植えつけられている。

(そんなに同胞の卵を壊したいのなら代わりに壊してやる)

 白い球体を食べながら高速で先へ進むネブタオオムカデ。ツバメバチ女王が暴れて崩落(ほうらく)(ふさ)がれたばかりの穴通路を、持ち前の怪力でブルドーザーのように一気に押しのけ、開通させようとする。

(ここから出てあの小僧どもを殺したら真っ先に女王を食ってやる……?)

 ブーンブーンッ!!

(なに?)

 再開通させた目の前の穴へ、次から次に入ってくるツバメバチのオス。その後ろには「発情の咆哮モウタマラン」が切れて戦闘狂になっている、ツバメバチのメスの集団。

(人間ごときに洗脳され振り回される雑魚(ざこ)どもが。邪魔(じゃま)だ!)

 総数に対し圧倒的に数が少ないにもかかわらず、本能によって女王の護衛を続けるツバメバチのオス。図体がでかすぎて穴通路に引っかかって身動きをとれず、「頭隠(あたまかく)して(しり)(かく)さず」状態になっている女王の身体を守るため、本能はオスを二手に分けた。

 結果。女王の尻を守る少数のオスは大多数のメスに速攻で虐殺される。

 一方で女王の頭を守る少数のオスは穴通路の前から入る。穴は崩落して塞がっていたが、ネブタオオムカデのおかげで開通する。そして何も知らず、ネブタオオムカデの大顎のある頭部へと自分からオスは突っ込んでいく。

(すべて死ね)

 ガゴシャッ!ムシャムシャムシャッ!!!

 ネブタオオムカデが大顎でツバメバチのオスをかみ砕いて食らう。

 勢いは止まらず、ツバメバチのオスの後ろにいて穴通路にまだ残る〝抜け駆けメスの卵〟を破壊しようと躍起になるツバメバチのメスをもネブタオオムカデはぶち殺す。しかしツバメバチの数があまりに多すぎてなかなか前に進めない。

 しかも。

 ブブブブブブブ……

(後ろからなぜ羽音がする?)

 女王の(しり)は既に陥落(かんらく)

 ツバメバチのメスたちに女王は腹部(ふくぶ)から食われてとうに死亡し、それでも抜け駆け卵を破壊するために女王を食い貫いて穴通路を突っ走るツバメバチのメスたちがネブタオオムカデに尾部(びぶ)から(たか)る。

 ネブタオオムカデの(こも)る穴通路へ前と後ろからどんどんツバメバチのメスが入ってくる。

 もはや魔物ハチと魔物ムカデのすし()め状態。

 通常の魔物なら圧死(あっし)する状況。

(これがあの小僧召喚者の狙いか。くだらぬ!)

 ネブタオオムカデが魔力を肉体に流す。

 筋力が増し、外骨格の強度が増し、毒液の量が増える。

 目の前のツバメバチのメスをことごとくかみ殺し圧殺地獄を進む。

 ネブタオオムカデはもう食べない。

 食い過ぎた体の節々(ふしぶし)は既にどれもこれもはちきれる寸前(すんぜん)まで(ふく)れている。

 ゆえにただ殺す。()み殺す。()き殺す。()み殺す。()し殺す。()り殺す。(つぶ)し殺す。

 ひたすら殺す。殺して殺して前につき進む。

(っ!……この)

 あと少しで(あな)通路(つうろ)から出られるというところで、不意(ふい)()たれるネブタオオムカデ。

鈍間(のろま)分際(ぶんざい)で)

 ゆっくりと斜面を這いあがって、やっとのことでネブタオオムカデのいる穴通路までたどり着いたパンクカワニナが1匹。

(私に立ちはだかるのか!)

 その1匹に、

 ガギィィィイイインッ!

 ネブタオオムカデは今までため込んだフラストレーションの、

 ブオンブオンブオン!!

 全てをぶつける。

 ミチミチミチミチ……

 暴れ動く(から)を大顎の一撃で()(くだ)き、2本の(どく)(あご)をパンクカワニナの筋肉に刺し込み、毒顎のみで、硬直しつつある肉を切断しようとする。

ブオン……。

(……パンクカワニナが、襲われて暴れる?)

 毒顎でいつまでもパンクカワニナの筋肉が噛み切れないうちに、ネブタオオムカデはふと、違和感を覚える。

 ズズズズズズズ……

(それに、なぜだ?)

 魔物の筋肉を咬み千切れないまま、死後硬直するパンクカワニナとともに斜面を転がり落ちていくネブタオオムカデ。

(なぜ、私の体は(ちから)が入らない?)

 多足(たそく)はただひくつくだけで、力が全く入らない。そしてそこへ群がってくるツバメバチのメス。

 ガブッ!ガブハブガブハブガブッ!

 ひっくり返っているネブタオオムカデの柔らかい腹部に鋭いツバメバチのメスの(あご)が食い込む。やがて(たい)(せつ)(がい)骨格(こっかく)()かれ、中身のたっぷり詰まった内臓(ないぞう)が食われていく。ネブタオオムカデの体内に(するど)(いた)みが走る。

 ムシャムシャムシャムシャムシャムシャ!!

 かつて味わったことのない魔味(まみ)に取り()かれ、夢中で肉を(むさぼ)るツバメバチのメス。ネブタオオムカデの臓器という臓器が(またた)く間にツバメバチのメスの()()に消えていく。

(こいつらは共食いをし)

 ムシャムシャムシャムシャムシャムシャムシャムシャムシャムシャムシャムシャムシャムシャムシャムシャムシャムシャムシャムシャムシャムシャムシャムシャ!!

(互いの(たまご)を壊そうと()(くる)っていたのではなかったのか?)

 ひっくり返ったまま、ネブタオオムカデは元凶(げんきょう)をつくった召喚者の少年を探す。

 少年は青い光を全身から放つ。

 つまり「飢餓の咆哮メシマダカ」の発動。

(状態異常の魔法を変化させ、ツバメバチを再び洗脳。しかし状態異常魔法は私に通用しな……?)

 朦朧とする意識の中、ネブタオオムカデは大部屋の片隅で喧嘩する2匹の魔物に気づく。

「ギョッギョ!」「ギョギョギョッ!」

 白いバスケットボール大の球体をばらまき終え、互いを蹴飛ばし合いながら叫ぶ魔物個体2匹。

 魔物。

 カツオムシ。

 しかも、オス。

(……そういう、ことか)

 すべてを理解したネブタオオムカデの眼から光が消える。力んでいた肢の先がダラリとなる。顎が閉じなくなる。

(運命を分ける状態異常魔法の使用に加え、尋常ではない洞察力と頭脳と度胸……魔王がベルゼブブを送り込んだ理由がようやく分かった)

 体を食われ過ぎたネブタオオムカデは、完全に動かなくなる。

 ジジ……ドサドサドサ……

 ネブタオオムカデの肉を食らっていたツバメバチのメスたちが徐々にひっくり返る。旅立つ前のネブタオオムカデのように、(しび)れて動けなくなる。

「本当に、勝ったんですね」

 エルフが少年につぶやく。

「分からない。死んだフリかもしれないから触角(しょっかく)くらいは斬り落としておく」

「はい」

 ザスッ!ザスッ!

 動かないネブタオオムカデに近づいてきた召喚者は、右手に握るバトルアックスでネブタオオムカデの触角を断ち切る。

 ヒュボンッ!ヒュボンッ!

 召喚者の少年と一緒についてきたエルフは、痺れて動きの鈍っているツバメバチに至近距離から風刃ハナチラシを放ち、次々に絶命(ぜつめい)させていく。

「どうして、弱点(じゃくてん)がカツオムシの(せい)(ほう)だって分かったんですか?」

 ツバメバチのメスを殺しながら、エルフが召喚者に(たず)ねる。

「これは昔、センセーって大人(おとな)から(おそ)わった」

 エルフと同じくツバメバチのメスを斧で殺して回りながら、召喚者が答える。

「俺たちヒトと虫は、体のつくりが()(ぎゃく)なんだ」

「真逆?」

「そ。背中に神経(しんけい)があって腹に内臓(ないぞう)があるのが俺たちヒト。背中に内臓があって腹に神経があるのが虫。逆だろ?」

「そうなんですか」

「ああ。体の(つく)りだけじゃなくて体の中で働くクスリも真逆だったりする」

「どういうことですか?」

「同じ(くすり)でも、俺たちヒトが食べると(うま)くてうれしくなって元気が出るけど、虫が食べると元気が出るどころか体が(しび)れて何もできなくなるってことだ」

「そんなことがあるんですか?」

「ある。それに気づいた昔の人は、自分たちの腹の中に入った(わる)(むし)退治(たいじ)するために、旨い薬を飲んだんだ。名づけて虫下(むしくだ)し」

「へぇ。昔のヒト、すごすぎです」

 グルタミン(さん)

 ヒトの味覚(みかく)旨味(うまみ)として働くその化学(かがく)物質(ぶっしつ)は、ヒトの中枢(ちゅうすう)神経(しんけい)を動かすのに必須(ひっす)の物質。

 一方でグルタミン酸は節足(せっそく)動物(どうぶつ)に対し、末梢(まっしょう)神経(しんけい)を動かすために(はたら)く。

 すなわちグルタミン酸を()びたり摂取した虫は、末梢神経が勝手に興奮(こうふん)を起こす。

 末梢神経とは筋肉を支配する運動(うんどう)神経(しんけい)

 ゆえにグルタミン酸にさらされた虫の筋肉は勝手に収縮し、弛緩できなくなる。

 魔物たちの反応をつぶさに見てそのことを思い出した召喚者の少年は、〝それ〟を魔物たちに応用(おうよう)した。

 カツオムシの(せい)(ほう)

 グルタミン(さん)超豊富(ちょうほうふ)に含む精子(せいし)(かたまり)

 昆虫型(こんちゅうがた)魔物(まもの)にとって、禁断(きんだん)果実(かじつ)

 ()べれば(しび)れると分かっている魔物たちは本能的(ほんのうてき)にカツオムシの精包も、精包をつくるカツオムシのオスも()ける。

 (ゆえ)にアメンボシャコは、カツオムシのメスしか食わない。

 虫よりもヒトに近い体のつくりをもつモスキートエレファントとクワガタサウルスとパンクカワニナとパンダグモは影響がないため、カツオムシをオスメスの区別なく、精包も含めて食べる。

 キィィィィ……ン

「テイザキさん!何か光ってます!」「!?」

 そして、虫に近い体のつくりをしているツバメバチは、カツオムシのオスとその精包を避ける。

 同じく古代の魔物ネブタオオムカデもカツオムシのオスと精包を避ける。

「どうしますか!?」「光から離れろピノン!」「はい!」

 虫が食べれば(しび)れるカツオムシの精包。

 それを食べてしまった魔物ネブタオオムカデは動けなくなり、その魔物(まもの)(にく)を食ったツバメバチのメスも痺れて動けなくなった。

 そして今、召喚者とエルフによって命に(とど)めを刺され、死骸(しがい)となり、光となり、集まる。


見込(みこ)んだだけのことはありました」。


 光が凝縮(ぎょうしゅく)し、(あわ)水色(アクアマリン)に輝きながら、ヒトの型をとる。

「カツオムシの精包(せいほう)とツバメバチの(たまご)の形が酷似(こくじ)していること……嗅覚(きゅうかく)(ふう)じればネブタオオムカデが誤食(ごしょく)してしまうこと……」

 淡水光(アクアマリン)が召喚者の少年に(かた)る。

 裸形(らぎょう)の女のような体型を(たも)ったままの光はけれど、首の部分だけ赤黒(あかぐろ)()まっていく。

「よくぞ気づいてくださいました」

「誰かさんがたくさんヒントをくれたおかげで気づけた」

 召喚者の少年は光女の(にご)る首を見る。

 淡水色の光の首まわりだけ、赤黒い光が強さを増していく。

「そうですか。それは(かしこ)くて良かったです」

「お前は一体、何なんだ?」

「〝それ〟と一緒です」

 淡水色の光は手のひらを上に向けて、エルフへと伸ばす。エルフの手には孤狼の弓オクリオオカミが握られている。

「私はセキドイシの財宝(ざいほう)の一つ。百妊(ひゃくにん)一首(いっしゅ)ハタタナガシ。ヒトでも魔物でもございません」

 光はそう名乗り、力なく腕を下ろす。

「セキドイシに眠る財宝は互いに共鳴(きょうめい)します。ゆえに宝弓(ほうきゅう)オクリオオカミが移動(いどう)するはずのない59層より下に降りてきた時は、胸が時めきました」

 エルフの位置を特定できた種明かしをしつつ、水光女はうっとりとため息をつく。

「これでやっと死ねます」

「!」

 思わぬ言葉を耳にし、(おどろ)くエルフ。

「あなたほど力のある人間を(おど)す必要はないかもしれませんが、私がこうして話していられるのも時間の問題です。バジリスクの生まれ間際(まぎわ)に立ち会ったかと思います。この迷宮セキドイシは必要とあれば〝そこにある物〟で〝必要な物〟を(こしら)えます。私もこのままだとまもなく別の魔物の(うつわ)を用意され、それと融合し、支配(しはい)(しゅ)として再び復活(ふっかつ)するでしょう」

 淡水光(アクアマリン)はそこまで()げて、自分の首にそっと手を当てる。

「ですからその前に、このハタタナガシをお切りください。そうすれば新たに生まれる支配種の力をかなり()げます。宝具(ほうぐ)の力を用いず、魔物(まもの)(むくろ)だけでバジリスクのような強力(きょうりょく)支配(しはい)(しゅ)を造る場合、フェンリルやコカトリスのように合成(ごうせい)材料(ざいりょう)とする魔物自体がそもそも強くなければ迷宮セキドイシとて(むずか)しい。ですが、ここにはもうそのような強さを(ほこ)る魔物はおりません」

「「……」」

「壊したハタタナガシは決して身に付けず、迷宮の外へただ持ち出し換金(かんきん)さえすれば、それで(ざい)(きず)けるでしょう。いずれにせよあなたがたにとって(そん)はない話です」

 立っていた淡水光の塊が、音もなくそっと(ひざ)をつく。ゆっくりと(こうべ)()れる。

「さあ、宝具もろとも私をお()ねください」

 召喚者の少年は身動きせず、首を垂れた淡光女(アクアマリン)をじっと見る。

「俺の召喚者(しょうかんしゃ)とかいう(へん)な奴だから、頭の中には(みょう)知恵(ちえ)(ぶくろ)があって、そいつがバジリスクのことを色々教えてくれた」

対象物(たいしょうぶつ)を石化する()(がん)についてでしょうか?」

「そうだ。それにはとうてい(およ)ばないが、実は俺も魔眼をもっているらしい」

「そうでしょうね。そうでなければネブタオオムカデが敗北(はいぼく)するはずありませんもの」

「俺の眼は、相手が「死にたがり」かどうかが、分かる」

「それ以外にもいろいろと慧眼(けいがん)を持ち合わせている気がしてなりませんが」

「俺は「死にたがり」と「死んだフリ」しか見分(みわ)けられない」

「そうですか。それで、私はどちらでしょうか?」

「そうだな……」

 召喚者の少年は一呼吸(ひとこきゅう)()いて天井(てんじょう)を見上げる。壊れたツバメバチの巣を見る。

「どっちでもない」

「それは……そんなに私が(みじ)めに(うつ)るのですか?」

 淡水光(アクアマリン)(かたまり)が首を上げる。少年を見つめる。

「それとも私を(はずかし)めたいのでしょうか?」

「そんなつもりなんて全然(ぜんぜん)ない。俺は見えたままを伝えてる。生きてるのが(いや)すぎて(ころ)されたがっている人間にしか見えない」

 言われた淡水光(アクアマリン)(ふる)えだす。首元の首飾(くびかざ)りハタタナガシから(くろ)(もや)のようなものが澄光(とうこう)(おか)し始める。

「私は元々、人間(にんげん)です」

 召喚者を見つめ続ける水光女(アクアマリン)。その女に目を合わせず、上を向いたままの召喚者。

「ファーストネームとセカンドネームをもっていたからそれは想像(そうぞう)がついた」

貴族(きぞく)の家に生まれました」

(なんで私を見ない?さっきまであんなに私を見つめていたのに)

優雅(ゆうが)(しゃべ)り方とか身のこなしとか、それも想像(そうぞう)がついた」

身体的(しんたいてき)な理由から、親に見放(みはな)され、自暴自棄(じぼうじき)になり、いつごろからか、冒険者(ぼうけんしゃ)()()ちました」

(私を見ろ!)

「そうか」

「冒険者と共にこの迷宮セキドイシにたどり着き、そしてこのハタタナガシを手に入れたのです」

(私を見なさい!)

「そうか」

「迷宮の魔物は(つね)(つよ)い。それに対して人は常に(よわ)いのです」

(私を無視(むし)するな!無視しないで!)

「そりゃそうだ」

「強き冒険者(ぼうけんしゃ)と駆け落ちた私ですが、その冒険者とともに魔物に()()められ、とうとう心中(しんじゅう)(はか)りました」

(私から目を(そむ)けないで!)

「……」

「けれど片割(かたわ)れだけ。生き残ってしまったのは私だけです。この身にハタタナガシを()びていたから」

「それで迷宮の支配種に選ばれたわけか」

「はい。この宝具ハタタナガシは魔物と私を(つな)ぎ合わせる(かせ)。繋がれたムカデのごとき魔物が弱り()て、支配率(しはいりつ)が落ちたことでこうして私は(うった)える機会をかろうじて得られたのです」

「何を訴えたいんだ?」

「わざと、とぼけているのでしょう?」

(私を、見てよ)

「何のことだ?」

「テイザキさん。この貴族の女は、つらいから(ころ)して()しいと言っています」

「何がつらい?」

「それは……」

 エルフは口ごもる。

(生きることが嫌で殺されたがってるって、自分で言ったくせに)

 好きな男に、(はら)が立つエルフ。

「生きるのがつらいから殺して欲しい。都合(つごう)がいいな」

 ハナクジャクのデスノートを回収する召喚者。冷たい風がネブタオオムカデの巣穴に流れて来る。

「大切な人を殺して生きのびてるのに」

「ちが……」

 最後まで言おうとしたが、間違(まちが)っているとは言えず、(もく)水光女(アクアマリン)

 上を向いていた少年が、水光女(アクアマリン)に視線を向ける。


卑怯者(ひきょうもの)」。


 言われた水光女も、(となり)で聞いていたエルフも、男の言い放った言葉で(こお)り付く。

(わす)れたくて()にたがるヤツは、ただの卑怯者(ひきょうもの)だ」

 光女もエルフも思考(しこう)(てい)()し、頭が漂白(ひょうはく)される。

()きな人と一緒(いっしょ)に死んで、一緒になれるかどうかなんて、誰にも分からない」

「「………」」

「でも生きていれば、「ずっと好きだ」って思い続けられる」

 (ふる)えることでしか、感情を表現できない女二人。

()きな人を殺した責任(せきにん)はとれ。もっと()きろ」

 少年は逆手(さかて)(にぎ)った(おの)を思い切り()り上げる。

 ガシャンッ!シュオンッ!!!

「いつまでも一緒(いっしょ)だと(しん)じて()きろ」

 斧の(やいば)はメリュジーヌ・レイクホルトのハタタナガシだけを()()る。

 (ほう)()ハタタナガシのみの破壊(はかい)

 女の(たましい)は魔物の(にく)復活(ふっかつ)する代償(だいしょう)支払(しはら)うが、「それでもセキドイシの永劫(えいごう)呪縛(じゅばく)からは解放(かいほう)される」と(てん)(こえ)に教えられた召喚者は言葉を(むす)ぶ。

「言い()ぎた。調子(ちょうし)()ってごめん」

 真心からの、余計(よけい)一言(ひとこと)()えて。

「……」

 その一言を添えてしまう男を、(あらた)めて(いと)おしそうに見つめるエルフ。鼓動(こどう)が高鳴る。

「……」

 その一言が、かつて愛した冒険者の口癖(くちぐせ)だったことを思い出し、何かを(さけ)びそうになる水光女(アクアマリン)鼓動(こどう)が早まる。

 水光女は(こら)えきれなくなり、再び(こうべ)()れる。

ハタタナガシを失った光は、やがて地面から()い上がる魔物の血肉と(どろ)(にご)り始める。

褐色(かっしょく)()りのある人肌(ひとはだ)が生まれる。(つや)やかな(あか)(かみ)が生まれる。強く脈打(みゃくう)心臓(しんぞう)が生まれる。(くろ)(ひとみ)が生まれる。大粒(おおつぶ)(なみだ)が生まれる。

 生前(せいぜん)の姿に戻る。生まれたままのように、身も心も(はだか)()きながら。


「それにしても、先に進めないぞこれ」

「イカコウモリの遠い鳴き声からして、この分厚(ぶあつ)い土砂の下に下層(かそう)への入口が()もれている感じです」

 ゴロゴロゴロゴロゴロ……

「「ふぁ?」」

《報告。魔物ネブタオオムカデの魂核(こんかく)消滅(しょうめつ)したため、地上迷宮セキドイシが新たな支配種を合成中(ごうせいちゅう)

 天の声を聞いた召喚者はそっと女の方を見る。

「……」

 顔を下に向け、口に手を当てて泣く女は相変わらず姿勢を(くず)して(すわ)ったまま。

 けれどもう青く光り輝いていない。禍々(まがまが)しくもない。

 しっかりと、受肉(じゅにく)している。ネブタオオムカデたちの血肉(ちにく)で。

支配(しはい)(しゅ)は40階から50階の各層に均等(きんとう)分布(ぶんぷ)上位(じょうい)の魔物ナルカミゴーレム》

「ナルカミゴーレム……」

「ナルカミゴーレム?支配種の魔物の名前ですか!?」

「ああ。しかも知恵袋が均等分布しているとか言ってる」

《報告。40階層から50階層にかけ、階層内の全ての魔物をとりこみ合成された上位の魔物ナルカミゴーレムをセキドイシが緊急(きんきゅう)配備(はいび)

「なぁ脳内再生。それは俺たちがネブタオオムカデを倒したからか?それともあいつのせいか?あの、上にいるベルゼブブ?」

《不明。上位の魔物ベルゼブブは石化状態にあり現在のところ動きなし》

「理由は分からないとさ。でもベルゼブブのやつは魔法の力で石にされたらしい」

「とうとう石化(せきか)しましたか。バジリスクとやりあったことなんて私はもちろんありませんが、石化魔法なんてもの受けたら、普通(ふつう)おしまいですよね?」

《ただしベルゼブブからは固有(こゆう)周波数(しゅうはすう)微弱(びじゃく)だが発振中(はっしんちゅう)

「う~ん、そうでもないらしい」

「え!?」

《60階層の支配種バジリスクは魔物ベルゼブブとの戦闘(せんとう)で魔力の消耗(しょうもう)甚大(じんだい)。ベルゼブブと再戦(さいせん)した場合は排除(はいじょ)される可能性(かのうせい)(だい)

「ベルゼブブは石になってもまだ生きてて、ベルゼブブとやりあったバジリスクはもう疲れて、もしかしたらどうにもならないそうだ」

《報告。現在ベルゼブブ以上に脅威(きょうい)なのは》

「テイザキさん!石が!石が!!石が!!!あわわわ……」

《目の前にいる、セキドイシ迷宮内において最硬度(さいこうど)の魔物ナルカミゴーレムの存在》

 土砂が大小を問わず跳ね飛ぶ。死骸が、()(えき)()い上がる。融合(ゆうごう)する。

 召喚者の少年とエルフの前には、瓦礫と魔物たちの死肉を吸収して完成した巨大(きょだい)人型(ひとがた)魔物。雷石魔人(ナルカミゴーレム)

「ムムム」

 49階層への入口前に立ちはだかるナルカミゴーレムが右足(みぎあし)を引き、右腕(みぎうで)を振りかぶる。

「ピノン!」「はい!」

 召喚者の少年がエルフに合図(あいず)を送る。大きく息を吸ったエルフが移動しつつ、息を止めたまま風刃ハナチラシをゴーレムめがけて放つ。少年はエルフと逆方向に走りながら、死の芳香デスノートをはなつ。トップノートはパンダグモ。

 ボッ!!!!

「!?」

 少年の死臭(デスノート)もエルフの風矢(ハナチラシ)も全く通じず、二人に見向きもしないナルカミゴーレムは、まだ倒れている(はだか)の女めがけて、渾身(こんしん)の一撃を天から見舞(みま)う。

「メリュジーヌ!!」

 ズゴーンッ!!!

「……ム?」

 少年の(さけ)びのあと、ナルカミゴーレムの疑問符(ぎもんふ)が小さく響く。


「用が()んだら挨拶(あいさつ)なしにサヨウナラ、ですか。迷宮セキドイシも、貴族(きぞく)の家に出入(でい)りする御用(ごよう)商人(しょうにん)とたいして()わりませんね」。


 (うな)りを上げたゴーレムの巨大(きょだい)右拳(うけん)を、細い左拳(さけん)一本で受け止める女。

 ガチャ。

 裸だったはずの女の全身は頭部(とうぶ)以外(いがい)赤黒(あかぐろ)(よろい)でもう(おお)われている。

「おい大丈夫(だいじょうぶ)か!?」

「あなた様ほど強くはありませんが、私もそこまで弱くありません。それと」

 金属の摩擦音(まさつおん)を立てながら、メリュジーヌが左拳をおもむろに(ねじ)る。

 ガチャチャチャチャ……

「私を卑怯者(ひきょうもの)()ばわりしたこと、訂正(ていせい)してください」

 バギッ!!!

 殴打(おうだ)を止められていたナルカミゴーレムの(こぶし)に大きな亀裂(きれつ)が走る。

「!?」

 (あわ)てるナルカミゴーレム。

 ビシイイイイイッ!!!!

 その体から生じた(せい)電気(でんき)をメリュジーヌに流し込む。

《注意。ナルカミゴーレムの棺電(かんでん)ナルカミは1アンペアの電流(でんりゅう)を5万ボルトの電圧(でんあつ)で2秒間相手へ送電(そうでん)。すなわち人間(にんげん)なら即死(そくし)する電力量(でんりょくりょう)

「うっそ!?」

 殺人静電気について天の声で聞かされ、唖然(あぜん)とする召喚者の少年。

「今さら(うそ)などと言っても信じません。そう、訂正(ていせい)してくださらないのでしたら、仕方(しかた)ありません」

《ムカデ魔女(まじょ)注意(ちゅうい)

(ムカデ魔女?メリュジーヌのことか?)

 即死(そくし)電流(でんりゅう)を流された(よろい)姿(すがた)のメリュジーヌは顔色一つ変えず、ゴーレムの拳をなおも受け止めたまま平然(へいぜん)と立ち上がり、(みぎ)(あし)を引く。

 ズザァ。ギュ。グイ。

 (あご)を引く。小指から親指へと順番(じゅんばん)に右拳を握りしめ、腕も引く。空気が()()める。

推定(すいてい)。ムカデ魔女は奥義(おうぎ)発動(はつどう)準備(じゅんび)完了(かんりょう)

(奥義?え?え?)

「訂正していただくまで、あなたと同棲同伴(どうせいどうはん)します!」

「「ふぁ?」」

《あれは震戦苑流(しんせんえんりゅう)奥義(おうぎ)(いち)(かた)……》

 ズゴォォ――ンッ!!!!

肺喘身巡(はいぜんみめぐり)

 魔物ネブタオオムカデ級の筋力(きんりょく)と武闘家の技力(ぎりょく)を一点に集中させた、上段(じょうだん)右突(みぎつ)き。

「なんでしたら、あなたが死ぬその時までずっと」

 生前に(きわ)めた武技(ぶぎ)がナルカミゴーレムの右腕を粉砕(ふんさい)する。技の威力(いりょく)は腕に(とど)まらず、魔物の全身に重度の裂傷(れっしょう)を負わせる。

(たった一撃で電気ゴーレムがボロボロ。なんて破壊力(はかいりょく)だ。マジか……)

「テイザキさん!そこのパット女にさっさと訂正(ていせい)しちゃってください!!」

「そこのまな(いた)エルフ!それより早く魔物のコアを()()きなさい!」

 ナルカミゴーレムの体に走る亀裂(きれつ)箇所(かしょ)から(のぞ)く、紅玉(こうぎょく)。エメラルドのように(くれない)(かがや)核石(かくせき)をメリュジーヌが指さす。

「まないたぁ~?て言うか私に命令(めいれい)していいのは……」

 ヒュゥボォーンッ!!!!

「テイザキさんだけですからぁ!!」

 抗議(こうぎ)しながら全力でナルカミゴーレムの核石を正確に射貫(いぬ)くエルフ。

 風刃ハナチラシの上をいく殺傷魔風弾(さっしょうまふうだん)風錐(ふうすい)アオアラシ。

「ムウウウウウウウッ!!」

 ナルカミゴーレムの核石が砕ける。超硬質の魔物はうめき声を上げながらその場に文字通り(くず)れる。(かく)(せき)(こな)になる。

(たお)した。支配(しはい)(しゅ)の魔物をいきなり……二人とも無事(ぶじ)か!?」

「私は平気です。残るは極盛(ごくもり)パット女だけです」

「私も平気です。そして上等(じょうとう)です。まな板断崖絶壁(だんがいぜっぺき)エルフ」

「……」

 別の非常(ひじょう)事態(じたい)にようやく気づいた召喚者の少年は天の声におろおろ助けを求めるも、今回はこれといった回答も説教もなく、うろたえる。そしてひらめく。

(そうだ!こういう時はカタレプシーじゃなくて誠意(せいい)だ!余計(よけい)(うそ)は言わない!)

「なあ二人とも!俺は二人が無事なだけで十分嬉(うれ)しい!(ごく)(もり)パットとか、まな(いた)断崖(だんがい)絶壁(ぜっぺき)とかは全然(ぜんぜん)かまわない!だからこうなったら三人で力を合わせて……」

「パットではございません!!()るわけないでしょ!!!」

「まだ成長(せいちょう)()なだけです!!断崖(だんがい)絶壁(ぜっぺき)()うな!!!」

警告(けいこく)鈍感(どんかん)な死んだフリスキル所持者の()らぬ一言で状況が悪化(あっか)。女たちが凶化(きょうか)レベルアップ。ただちに開通した下層(かそう)避難(ひなん)することを進言(しんげん)

 (いか)りの足が地面を踏み砕き、風の矢がビュンビュン飛んで来たので、召喚者の少年は一目散(いちもくさん)に、49階層へと()げて行った。


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