その5
「ノエル様。召喚者の皆様の登録が無事完了いたしました」
「そうですか。それは結構なことです。ありがとうございます」
純白の絹でできたローブで肌身を隠す、中性的な人物はギルドの受付嬢に礼を言うと、19名の少年少女たちへ体を向ける。
(所詮は檻の中の獣と一緒。時間さえ立てば仲間が消え死んだところで思い煩うことなどない)
人間に成りすました天使サンダルフォンは召喚者19名を見ながら満足そうに頷くと、息を大きく吸い込んでやや声を張る。
「皆様。お疲れさまでした。冒険者ギルドでの登録が完了いたしました。これで皆様は冒険者として、ゆくすえはその能力ゆえ、常ならぬ者として活躍されることでしょう」
観光客のごとく三週間というたっぷりの静養期間を与えられ、ようやく〝トラウマ〟から抜け出し始めた召喚者19名は肩を寄り添いあい、ほっと息をつく。あるいは調子よく笑う。はしゃぐ。まるで修学旅行のように。
〝トラウマ〟。
国家の集合体であるマルコジェノバ連邦を構成する十七の国々のうち、東端にあるオキシン国のエアーズロック頂上で起きた事件。召喚直後の通過儀礼。
トランプスキルの中でも最凶を誇るジョーカースキルを同級生の志甫蒼空に押し付け、そのしっぺ返しに彼から重爆撃を食らい、結果的にクラスメイトの4割弱を失ったこと。
19名はその後、竜に変身したサンダルフォンに連れられ、マルコジェノバ連邦最大の国家マルコジェノバ国に連れてこられた。
連れてこられ、異世界に馴染むべく十分な衣食住と多少の魔法知識を与えられた。
「ではこれより、能力測定と参りましょう」
衣食住の住は、マルコジェノバ国の首都にして繁栄の絶頂期にあるプリシュティアナ。
そして今、天使に連れてこられたのはプリシュティアナで最大規模を誇る冒険者ギルド「ネルウェ」。昼夜を問わず人だかりの絶えない場所の喧騒と体臭と体温が19名にさらに安心感を与える。自分たちの見知った世界の繁華街と重なる。
「なあ、あの魔道具で測るんだろきっと!」
「やべどうしよう!緊張してきた」
祝日の運転免許センターのように長蛇の列ができている。その様子を興奮気味に窺う少年少女たち。免許センターと異なるのは、不愛想に書類の不備で突き返される不機嫌な人がおらず、受け付けのカウンターバーで光り輝く水晶とその後に魔法刻印されたタグを見て盛りあがる人々の存在。
魔道具アライケワ。
登録したばかりの冒険者、力をつけた冒険者の所持する属性、能力、武具との相性を判断する代物。
その水晶に両手で触れて一喜一憂する冒険者たちのリアクションを目の当たりにし、自分たちの置かれた境遇を頭の片隅に追いやる召喚者たち。
「私、何色に光るんだろ」「っていうか、光らなかったらどうしょう?」
ドッグタグを握りしめながら色めき立つ声。
「俺のはこの中で多分一番毒々(どくどく)しい光を放つぜ」「蓮的にそれは譲れないわな」
能力判定後、刻まれた名前とは別にタグに埋め込まれることになる鉱物。
「神様、どうか私に特別な力を」「大丈夫だよ芽衣ちゃん。私たちみんな特別だから」
それが何の鉱物か。何色の鉱物か。どの程度の純度の鉱物か。
「仙石閣下。思ったのですがあれ、アルコール消毒されているようにはみえません。ばい菌と接触感染する気がしてならないのですが」「ウヌはアホか!そんなこと気にしてどうする?それよりドキドキでおじゃる!万が一「あなた様は曼荼羅のごとく光り輝いておりまする」なんぞ告白された日には……」
バラ色の未来を想像する、異世界初心者の若者。
「皆様の測定器具は特別に用意してございます」
ニコニコしたまま天使サンダルフォンは19名にそう告げ、腕を軽く伸ばし、「あちらへ」と一行を促す。待ちかまえていた受付翁はサンダルフォンに一礼し、端正な装飾の施された雅な扉をそっと開く。
ガチャーン。
「召喚者である特別な皆様に、いきなりかような魔道具で能力をお測りするなどもってのほか。潜在能力を見逃されでもしたら納得されない方もおられるでしょう。ですからもっと正確な測定具がございますので、そちらへまずは案内いたします。どうぞついていらしてください」
ワクワクドキドキが止まらない19名は、天使の後ろをぞろぞろと続いていく。
バタン。
老紳士が扉を静かに閉める。一瞬にして昼間の明りが消え、温度が消え、喧騒が消え、完全な暗闇と無音に陥って悲鳴を上げる女子。
ボボボボボボボボボボボボ。
松明の明りが勝手に灯る。
そこは地下へと続く螺旋階段。地面をくり抜いて石で固めたように続く円柱の壁面の階段を、壁に備え付けられた松明の明りだけを頼りに降りていく一行。
「足下に気を付けてついてきてくださいまし」
まるで化け物屋敷にでも迷い込んだかのように息をのみ、驚嘆の声を漏らす召喚者たち。階段を一段降りるごとに気温が下がっていく体感。
「すごい……」「なんか一気に寒くなった」
化け物屋敷。
「これ、どこまで続いているの?下が見えない」「なんか怖い」
否。
「落ちたらヤバくね?」「それな。運が悪ければ死……」「え?」「いやなんでもない」
ここは異世界パイガ。魔物も神も魔王もいる世界。
化け物屋敷より異常な化け物屋敷そのもの。
「さあ、着きました」
冒険者ギルドの地下底。鋼鉄製の重厚な扉の前で天使は足を止め、後ろを振り返る。手摺のない螺旋階段の恐怖で暑さを忘れ、冷や汗をかいていた19名は安堵の息をつく。
「既に説明済みですが、召喚者様には神より授かりし《天の声》なるものがございます。それによって亜人族の言語や文字に関しては召喚者様の脳内で翻訳され、また召喚者様の発する言葉も他の者に理解できるよう変換されます」
言いながら、天使は首を上に伸ばすそぶりを見せ、頭上に目を向ける。19名はその目線を追う。扉の上に掲げられた文字盤を19名は見る。脳が翻訳し、内容を伝える。
『ハネムーンキス』
「愛と祝福をもって、皆さまをご歓迎しましょう」
ギギ。ゴッゴッゴッゴッゴッ……
重い鋼鉄製の扉が内側に向かって開く。のんきに純愛や卑猥を想像していた少年少女たちの鼻につく、血と汗と汚物と金属と砂のニオイ。
そして暗い。何も見えないほど暗い。
フ。
自分たちの後ろを照らしてきた螺旋階段の松明の光は一斉に消え、何もかも見えなくなる。前の闇に向かって進むしかなくなる19名。部屋に入るしかない19名。
「こちらです」
その先頭を進む天使の声に促され、19名は身を寄せ合いながら前におずおずと進む。
ダムンッ!
鋼鉄の扉が一気に閉まる音で、小さな悲鳴を上げる一同。
ポッ!ボボボボボボ……
室内に照明が仄暗く灯されていく。
「「「「「「………」」」」」」
闇と光に慣れてきた召喚者たちは部屋の様子をつぶさに観察する。
片手剣、両手剣、両刃剣、斧、ナイフ、槍、ハンマー、弓矢、杖、盾……
刀剣類、短剣類、鉾槍類、打撃武器、射程武器、特殊武器、鎧、兜、盾。
地ならしされた、円形の地面を取り囲むように設置された、あまたの武器と防具。
「……」「………」「…………」
そして円形の地面の中央にいる三名の人物。
全身を黒い甲冑で覆い肌一切を隠している、細身の女。
動物の毛皮と皮鎧を纏っている、大柄な体躯の男。
細かい刺繍の施された赤いローブを羽織る、白い顎髭が豊かな小さな老人。
3名とも手に獲物は、なし。
「召喚者の皆様。ようこそハネムーンキスへ。皆様の能力はこちらの御三方が特別に測定してくださいます。皆様から見て左側から順に、ブラックスワン様、ジェイク様、ラウンヤイヌ様です」
3名の尋常ではないオーラで言葉がでない19名。
「お察しの通りこの御三方は」
「サンダルフォン殿。それはまた後ほど」
黒甲冑のブラックスワンに言われ、天使サンダルフォンは口をつぐむ。
「そうですね。その方が良いでしょう」
天使は紳士のごとく頭を下げる。
「どれでもいい。好きな物を選べ」
ブラックスワンは右腕を横に動かし、召喚者19名たちに武具の選択を命じる。
どよめきながらも、19名はキョロキョロとあたりを見まわし、武具の傍へと移動していく。
「異国の若い娘か、疼くぜ」
股間を指で掻きながら低い声で笑う毛皮のジェイクに、身の危険を感じた少女たちが急いで武器を決め始める。
(何を選ぶのかもきっと審査の対象なんだ!)
そんな中、現状をあくまで試験と捉え直すのは、学級委員長の和布浪芽衣。ショートソードとバックラーを選ぶ。自分の筋肉量を考え、鎧は即死を避ける胸当てのみ。
(大丈夫。私はスペードスキル。騎士だから剣との相性は良いはず!)
あくまで計算し、トラキアヘルムを被る。耳と顔前面以外はガードする兜。
(俺はキングスキルに選ばれた。特別な人間だ!!)
自分の力を証明したくてこの瞬間を待ちわびていた男。大音師蓮。盾など目もくれず
広刃の両手剣クレイモアを選択。ただし予備としてハンドアックスも腰に装備。筋力に自身のある大音師の鎧はハーフアーマーだが鍔付兜なし。
(ジャックスキル……絵札スキルに選ばれたのは光栄として果て、どれがいいのか?)
選択に困った仙石大輝はオタク仲間と相談し、とりあえずブラックスワンを真似て全身を甲冑で包む。しかしまともに息ができないことに気づき却下。顔面だけ露出したキュイラッサアーマーに変更。盾はしかしスクトゥム。重量級の大型長方形盾。
「重くないのか仙石氏?」
「それが意外に軽々と動かせるのだ同志!これもジャックスキルのおかげかもでおじゃる!」
筋力ではなくスキルとの相性によって装備可能な防具があることに気づく仙石。
「さすが仙石氏!もってますな!」
「当たり前でおじゃる!」
「ところでサイリウムがないです仙石氏!」「異世界なんだから仕方ないでおじゃる」「制帽もございませーん。大変参っておりまーす。みなさま~この先は気を付けて行ってらっしゃいませー」「自由でいいのよ。あなたが制帽だと思ったらどの兜も制帽。それがコスプレ道というもの」
わいわいがやがや真面目にやっている4名のせいで、空気が間の抜けたように和む。
「ふぉっふぉっふぉ」
顎髭をしごきつつ、乾いた声でその様子を笑うラウンヤイヌ。
「皆様、準備は整いましたか?」
天使サンダルフォンが召喚者19名に声をかける。
「はい!天使様!!」「それで?誰から順番に見てもらえんだ?」「見るでごじゃる!わが鉄壁の構え!」
和布浪、大音師、仙石の返事で、みな士気は上々。
「一度に全員を見よう」
ブラックスワンが冷たく言い、召喚者たちに背を向ける。
「一人ずつなんざ面倒くせぇ」
あくびをしたジェイクも目をこすり背を向け、歩き出す。
「おいおい。まさか魔法使いのじいさんだけで審査かよ?」
大音師が残ったローブ姿のラウンヤイヌに軽口をたたく。
「ふぉっふぉっふぉ」
ラウンヤイヌは大音師の目をギロリと見る。
「おぬしらの相手をワシらがすると言うたか?」
ラウンヤイヌはそう言って天を指さす。一同はその指先を追って首を上げる。
「……?」
「見えぬか。ほれ」
ボボボボボボボボボボボボ。
螺旋階段を降ってきた時のように、会場であるハネムーンキス全体が明るく照らし出される。
「グルルルルルルルルルルルルルルルル………」
天井に逆さまになって控える、一匹の魔物。
《警告。中位の魔物パンダグモが召喚者を威嚇。曳糸ヨリヤガに絡まれないよう注意。現時点の召喚者レベルでは、糸に絡みとられた場合、高確率で致死》
召喚者19名の脳内に響く天の声。久しぶりに聞いた「死」という単語。
「パンダグモを止めるタイミングは?」
「使い物になりそうな駒が見定まった時点で構いません」
「それまで泳がせていいってか。全員ゴミだったらどうする?」
「好みの者だけ玩具にして結構です。召喚者に本物の勇者を孕ませるというのも使い道の一つかと」
「死体はもらって良いか?」
「ええ。以前魔王退治をされた時のように、強い冒険者のキメラ化にご使用していただく条件でならば、お譲りします」
天使と試験官3名のやりとりが召喚者たちの耳に入る。その天使も試験官三名も召喚者たちの視界にはもういない。
「はぁ、はぁ、はぁ、はぁ……」
19名から、徐々に血の気が引いていく。
「皆様を捕殺貪食しようとしている魔物はパンダグモ。天の声から説明があったと思います。付け加えると、郊外の村などでたまに1匹でも出没すると、翌日までに村人は全員殺されて、その始末に軍隊が派遣されるか、Bランク以上の冒険者を対象とした緊急討伐クエスト案件に上がるのが魔物パンダグモです」
天使のよどみない美声に、魔物の荒々しい息遣いに、19名が脂汗を浮かせる。
「その恐るべきパンダグモに対する皆様の雄姿をこれより御三方にご覧になっていただきます。ブラックスワン様、ジェイク様、ラウンヤイヌ様。この方々はみな、かつて召喚者を勇者として育て上げ、勇者とともに魔王討伐に成功された、類まれなる御仁です」
「「「「「「!!!!」」」」」」
「慈悲深きモレク神は再び蘇る魔王ラクシャラーヴァに備え、魔王討伐に貢献した方々を深い眠りに就かせ、危急の時にまた起こすのです」
そこまで告げて、天使は指をパチンと鳴らす。魔物パンダグモがクモのような肢をのっそりと動かし始める。巨大なクモの頭胸部の上に、腕を長くしたパンダの上半身が生えたような異形が動き出す。
「さあ、始めましょう。御三方の御眼鏡に適う者がいるとよいのですが」
ブシュウウッ!!!!!!!
パンダグモのクモ部分の顎が開き、糸を鋭く発射する。
会場全体に白い糸が網のように張り巡らされる。
「え?」「きゃああああっ!」
糸の勢いだけで胸を貫かれて動かなくなる召喚者2名。吐いた血が、傷口から噴きこぼれた血が、糸を赤く濡らす。
「うわ!」「動けない!!誰か!」「助けて!!」
パニックになって動き回り、粘着性の横糸に触れてしまい動けなくなる者3名。
「グルルル……」
縦糸の上をじわりじわりと動き始める魔物パンダグモ。
「くそ……」
横糸の粘着性に気づき、自分が狙われないよう慎重に移動し、魔物の隙を伺う大音師。
「じっとして!今、糸を切るから!!」
ショートソードを必死に振り回し、とらえられた同級生の救出を試みる和布浪。しかし糸は揺れるだけで切れない。
「これではいかん!殺される!!」
糸の衝撃を防いだ大盾を捨て、動きにくい鎧も脱ぎ、恥もへったくれもなく下着姿で逃げ回る仙石。逃げた先にあった弓矢に気づき、あわてて手に取る。
一方、
グイ。ビョンッ!!ドグシャッ!!
「「「!?」」」
自分で吐いた縦糸の張力を使って一瞬で移動するパンダグモ。
魔物が移動する動線上にいた召喚者の上半身だけが消し飛ぶ。残されて倒れた下半身が痙攣しながら出血する。ボチャリと内臓が零れる。
シャカ。シャカ。シャカ。シャカ。……
糸から糸へぶっ飛び終え、パンダ腕の先にくっついている引き裂いた召喚者の上半身の骨肉をバキバキ食べながら、悠々(ゆうゆう)と移動するパンダグモ。惨劇に発狂し、武器を捨て叫び出す召喚者たち。
(やばい!)(マジで殺される!)(試験って命がけなのかよ!?)(死にたくない!!)
大音師と一緒に行動していた4名が次々にその体を狩られていく。おびただしい量の出血が地面の砂に沁み込み切れず、血だまりをつくり、川となって流れる。
ピュ。
「くそがぁっ!!」
大音師の眼元にパンダグモが糸を吐く。瞼と鼻孔が接着され、視界がふさがれる。
ドス。
4名の死体に囲まれ糸を食らい光を失った大音師の背後から、パンダグモの爪が突き刺さる。
「ごはっ!!」
心臓を抉りぬかれ、血を口を胸から吹き上げて仲間4名同様に倒れる大音師。
「和布浪さん!魔物がこっちに!!」「来た!来た!殺される!」「落ち着いてみんな!」
同級生4名に全力でしがみつかれて身動きが取れなくなった和布浪は他の4名もろともパンダグモの糸で巻きとられてしまう。
「「「「「!!!」」」」」」
顔面の穴という穴を糸で塞がれ、全員窒息。
ドスドスドスドスドス!
おまけにクモ肢の先端で頭蓋を頭頂部から突き割られ、脳が床にたたきつけた豆腐のように潰れる。
「もはやここまででおじゃる」「往生際ですな」「来世でのまたのご利用をおまちしておりまーす」「次はコミケのある異世界で会いましょう」
仙石に呼ばれ、集まった3名含め全員で弓矢を装備した召喚者4名は矢を魔物めがけてはなちつつ、涙ながらに心情を吐露する。そして、
ドゴッ!ボッ!ガンッ!ガガンッ!
しょっぱなに糸に貫かれて死んだ召喚者2名のバラバラ切断死体を矢のごとく魔物から投げつけられ、頭や胴体を激しく損壊されて、4名とも崩れおちる。
召喚者十九名全員死亡。
「いかがですか?」
大部屋の天井に昇っていくパンダグモを見ながら、再び姿を現した天使サンダルフォンが試験官3名に尋ねる。
「採点のほどは?」
「0点だ」
「発育の良い女どもだけ娼館に売ったらいいかもな」
「キメラに使いたいとも思わぬ」
試験官3名の辛口採点を聞き、小さく鼻を鳴らす天使。
「だからあなた方を起こしたのです」
「魔王討伐に成功した者は一人しか覚醒させられぬと、以前の天使から聞いていたが」
ブラックスワンが核心を突く。
「それは原則。何事にも例外はございます」
原則を捻じ曲げる法理を見つけ出した天使がほくそ笑む。
「極道天使の上前は、はねられそうにねぇな」
ジェイクが言って、ため息をつく。
「それが極上の天使たる者。精霊の遥か先を行く者」
ラウンヤイヌが召喚者の死骸を見ながらつぶやく。
「私は何が何でもゲーム「ソロモン」で勝つ。勝利の暁にはあなた方の望みは必ず叶えます」
「この終わらぬ悪夢から私を解放してくれるのだな?」
黒い甲冑が問いつつ、毛皮男に兜を向ける。
「俺は、ただ好きなように、やりたいようにまた生きて終わりてぇ」
毛皮男は黒い甲冑に指でサインを送る。そして赤いローブの翁を見る。
「精霊の座に挑めるのであれば、ワシは何者になってもよい」
黒い甲冑も毛皮男も見ず、ただ二人に対しうなずく赤い翁。
「いずれも叶えましょう。魔王を破った召喚者たちをあなた方の代わりに据えることで」
短い会話を終えた天使は天に両手をかざす。
「!?」
食事を終えてリラックスしていた魔物パンダグモの様子がおかしくなる。
「止まりし命の素子よ、あるべき所へ再び集え。生命の平衡を取り戻せ」
天使の詠唱で魔物の体が内部から膨れ上がり、炸裂する。
ドバシャッ!!!!!
飛び散った血肉、腸が落下しながら黄金の光に包まれる。砂金のようにキラキラと散り、地に舞い降りた時には光が消えている。裸だが、無傷の召喚者たち19名が横たわる。
「なあ、今のうちに子娘ども全員の味見をしていいか?」
少女たちの尻と胸を眺める毛皮男。
「お前の逸物を入れられれば娘どもの頭と股が壊れる」
全員の筋肉量を見定める黒甲冑。
「オナゴに飢えとるなら獏人族にせい。ヌシのナニを入れて喜ぶのは奴らくらいじゃ」
召喚者の魔力量を測る長衣翁。
その試験官3名がそれぞれ片腕を前に伸ばす。手の甲にある魔法刻印が光る。
漆黒の布地に首以外の全身を包まれる、和布浪芽衣たち召喚者10名。
毛皮のマントをただ布団のようにかぶせられる、大音師蓮たち召喚者5名。
赤い細布を首から下、包帯のように巻きつけられる、仙石大輝を含む召喚者4名。
バチン。
天使が指を鳴らす。パンダグモの糸が燃え、パンダグモの死骸が燃える。
19名が一斉に息を吹き返す。目を覚ます。
「ごきげんよう。生き返ったご気分はいかがでしょう?」
ゆっくりと上体を起こす19名。
燃えゆく糸の残骸。燃えゆく魔物の残骸。
それらが召喚者たちに魔物パンダグモを思い起こさせる。パンダグモの攻撃を思い出させる。パンダグモにもたらされた死を思い出させる。
「ヘクセンキュッヒェ」
試験官ラウンヤイヌがつぶやくと、部屋「ハネムーンキス」に灯る炎がさらに強くなる。昼間のように明るくなる。備えてあった全ての武器と防具が燃え上がる。
「一週間ほどまえの食事に魔道具を混ぜました。名はエンジェルダスト。皆様に覚悟を決めていただくため、少々高価ですが、ふんだんに使わせていただきました。残念ですが、もう在庫はございません」
「エンジェルダストってのは、一人分でも国が一つ買えるほど超高価な魔道具だぜ」
ジェイドが低く笑いながら解説する。
「拷問のように幸運だな。生きながら死を味わえて」
皮肉たっぷりにブラックスワンが続ける。
「使う価値があったかどうか……」
目を閉じたまま、ラウンヤイヌがしめくくる。
「これより皆様はこの三名の達人のもとで技を磨き、ゆくゆくは魔王ラクシャラーヴァに挑んでもらいます。……あ、そうでした」
ここまで全て試験官3名と予め口裏を合わせて行動していた天使は、はじめて3名の知らない行為に及ぶ。
ルーピックキューブのような形をした魔道具アウナザを懐から1つ取り出す。瞬時にそれは3つに分裂し、試験官3名の元へ飛んでいく。3名はアナウザを手に取る。
《全体へ定期報告》
魔道具アナウザ。
それは、召喚者にしか聞こえない天の声を、召喚者でない者にも聞こえるようにする魔道具。試験官3名はアナウザを渡されるとは聞いていたが、いつ渡されるかは天使から聞いていなかった。
それが今。なぜなら、
《現在、ジョーカーは流刑の島フィリニア南の沖合20kmの海底火山内で、精霊位の魔物リヴァイアサンと交戦中》
「「「「「「「「「「「「「「「「「「「!」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」
ジョーカーのことを思い出し、強張る召喚者19名。
「「「!?」」」
〝今回〟のジョーカーの存在をはじめて知り、驚愕する試験官3名。
「ジョーカーがもういるのか?」
かつての天使に言われ、召喚者がみな十分に育ち、魔王討伐に挑む直前、ジョーカーを自ら指名した悲劇的過去しかもたないブラックスワンが驚いて天使サンダルフォンに尋ねる。
「ええ。最初に選ばせました」
「選ばせた、だと?」
「はい。何か問題でも?」
「………」
「精霊位の魔物を相手にしていると聞こえたが、本当か?」
かつての天使に言われ、召喚者が召喚されてすぐ強制的に自ら選び、その場ですぐに他の召喚者たちにジョーカーを仕留めさせる猟奇的過去しかもたないジェイクがサンダルフォンに聞き直す。
「はい。召喚し、選定された直後から、精霊位の魔物未満の力では止められないレベルでした」
「いわゆる天才ってやつか」
「いいえ。天災的悪魔です」
精霊位の魔物。
その正体は、ゲーム「ソロモン」で敗北した天使のなれの果て。
天使へ復帰するためのゲーム、つまり「ソロモン」に再挑戦する条件はただ一つ。
ジョーカーとなった召喚者を殺すこと。
故にジョーカーに対し、死ぬ物狂いで魔物リヴァイアサンは挑む。
敗者復活戦に復活するために。
「海底の、しかも火山内で精霊位と戦闘……耳を疑ったが、それができるほどの傑物なのか?」
かつての天使に言われ、ジョーカーを予め召喚者たちに選ばせ、魔王とジョーカーを戦わせた後、傷つき弱ったジョーカーを召喚者たちに殺された戦術的過去をもつラウンヤイヌがサンダルフォンに質す。
「認めたくはありませんが傑物です。あれは運動する城。マグマの中であろうと水中であろうと空中であろうと普通に戦えます。それがご存じの通り、疑似魔王ジョーカーです」
重すぎる沈黙がハネムーンキスをしばらく支配する。
「エーススキルは?」
長い沈黙を破ったのは試験官ブラックスワン。
「エースはまさか、死んではおるまいな?」
ラウンヤイヌが念を押す。
「死ねばこのように報告が入ります。しかしいまだ報告はありません。すなわち」
天使が召喚者19名に顔を向けたまま目を瞠る。
「この中にいるはず。いなければならぬ」
召喚者19名たちの中にはじめて、「エース」という言葉が刻まれる。
「ジョーカースキルの唯一の対抗馬であるエーススキルは皆様の中に眠っているはずです。皆様は早期にそれを開花させ、あの強きジョーカー志甫蒼空を、エースと結束してうち倒し、各々が英雄シリーズの扉を開き、魔王討伐の悲願を達成してくださいませ」
天使サンダルフォンはそう結んで扉の方へ向かっていく。
「エーススキルが誰かもわからないまま全滅などという憂き目に遭った日には、それはもう、目も当てられません。馬車馬として生きる永劫の輪廻を覚悟してください」
「「「……」」」
扉の前に立ち、背中で試験官3名を脅す天使サンダルフォン。
ギギ。ゴッゴッゴッゴッゴッゴ……
扉がひとりでに開く。進み出て、再び真後ろに体の向きを変える天使。白い歯を見せながらひろびろとした微笑を浮かべる。
「それでは皆様、私は今後、精霊位の魔物が皆様に近づかないよう、監視行動を行ってまいります」
ゲームに敗れた元天使は嫉妬に狂い、ゲーム中の天使の足を引っ張ることが多い、とはサンダルフォンは言わない。
「言い換えますと、召喚者の皆様のお傍に仕え支援することが難しくなります。今後の修行や生き方は、技の達人であり人生の師匠となる御三方から各自ご教授されてください。そしてより一層強くなってくださいまし。そうでないと、ビトレイヤーとなった世良田様と綾瀬様が浮かばれませんから」
「「!」」
召喚者19名をも追い打ちし、天使は一礼する。扉の外へと立ち去っていく。扉がひとりでにまた閉まる。
タン。タン。タン。タン。タン。
(馬鹿と鋏は使いようだ)
死ぬ恐怖と痛みを刻みこまれた召喚者19名。
ブラックスワン。ジェイク。ラウンヤイヌ。
リヴァイアサン。
〝馬鹿〟と〝鋏〟の運用法をあれこれ思案しつつ、螺旋階段を独りで登っていく天使サンダルフォン。
《報告。追跡者ロックバード1体が現在マルコジェノバ首都プリシュティアナの北東70kmまで接近》
(三週間もの時間をかけ、抜かりなく召喚者と私のダミーを世界中に撒き散らした。周囲70km圏内にわずか1匹?おそらくは偶然迷い込んだだけ)
「虫けらめ。蜘蛛のごとく食らってやろうではないか」
天使にのみ聞こえる特別な「天の声」を聞きながら不敵に笑う天使。
《臨時報告》
「?」
(そう言えばビトレイヤー二人の死亡報告がまだ上がってこない。ジョーカーに嬲り殺されているにせよ、そろそろ一人くらい報告があってもいいはず……)
《魔王ラクシャラーヴァが淵位の魔物ベルゼブブをオキシン国の地上迷宮セキドイシに投入》
「なに?」
天使の足が止まる。
(なぜこのタイミングで魔王が魔物をあえてセキドイシに投入する?しかも淵位の魔物だと?魔王子飼いの中でも最強と謳われる八刹の一つをなぜ今!?)
思案に暮れる天使が階段を踏み外す。しかし落下せず、重力を無視し、宙に浮いたままでいる。
(セキドイシの封印ウゴエを解くつもりか?誰のために?狙いは誰だ?私か?ジョーカーか?それともリヴァイアサン?それとも……)
天使は浮遊しながら横たわる姿勢を立て直し、出口に向かって飛んでゆく。音もなく着地する。
ガチャーン。
「お帰りなさいませ。ノエル様」
重さ1トンの扉を老紳士が軽々と開き、挨拶する。
「ただいま戻りました。しばらくしたら、ベテランが〝初心者〟を連れて上がってくると思いますので、アライケワでの測定など、花嫁の初夜のごとく、万事丁寧によろしくお願いします」
「心得ております」
(それともまさか、セキドイシ内部に召喚者の生き残りが侵入して……それはあり得ない。いや、たとえ万に一つ生きて侵入できたとしても、頂上から地上1階層までたどり着き生還した召喚者は今まで皆無。となれば魔王の狙いはやはりウゴエか……)
臨時報告の真意を測りかねた天使サンダルフォンはそれ以上考えることをいったんやめ、邪魔者ロックバードの駆逐に移ることにした。
その5.おまえ、だれ?
「………」
地上迷宮セキドイシ57階層。肌寒く薄暗い空間。
目の前には縦横無尽に張り巡らされたクモっぽい魔物の糸。
バイン。
べた付く横糸に警戒しながら、心拍数と呼吸と体温を上げた俺は縦糸に意識を集中させる。指でそっとはじく。
バイバイン。バイン。バイバイバイン。バイン。バイバイン。
《報告。中位の魔物パンダグモが高速接近中》
シャカシャカシャカシャカッ!!!!
俺は代謝を一気に下げる。
バイピンッ!ピピピピピンッ!
「!?」
そして弾き方を変えた瞬間、パンダグモが急停止する。
いまだピノン!!
《エルフが風刃ハナチラシを発射》
キュボッ!!ドシュッ!
「ヒャンッ!!!」
クモの頭胸部からパンダが生えたみたいな魔物が甲高い悲鳴を上げながら倒れる。地面から生える石筍の上に潜んでいたピノンの狙撃を胸に食らった代償は、自分で吐いた横糸への接触。
ズドッ!!!
べた付く横糸に引っかかってもがいているパンダグモのパンダ部分の脳天を俺はバトルアックスでぶち割る。
「ヒーンッ!!!」
パンダグモの白子みたいな脳みそがモロモロと零れ落ちる。そのおかげでクモ部分の胴体の動きがものすごく鈍る。
ヒュボッ!ズドドドドンッ!!
《エルフが風刃ハナチラシを連続掃射。全弾命中》
「キュエエエエ――ッ!」
クモ部分の目玉八つがピノンの放った風の刃を受けて潰れる。完全に動揺したパンダグモがあたふたと逃げ惑う。でも自分の糸に絡まって動けない。
「よいしょっと」
横糸を慎重に躱しながら、再びパンダグモに背後から俺は近づく。
「脆いお腹が隠せてないぞ」
ズグシュンッ!!
パンダグモの腹部を俺は、横に切り裂いた。
「さすがテイザキさん。ほんとにお見事でした」
「うまく仕留められたのはピノンのおかげだ」
薄暗い緑色の鉱物蛍光に支配された洞内の、パンダグモの巣の奥で、俺たちはイカコウモリの糞を使って火を起こし、小さな橙の太陽色を作る。とれたての魔物肉を解体し、二人で焼いていつものように頬張る。
「このパンダグモの肉、ほっぺが落ちそうなほど美味しいです」
「ああ。上のパンダ部分だけは上品ではんなりとして美味い」
「何言ってるんですか。下のカリカリクモ肉のちょっと痺れる感じが一緒に味わえるから絶品なんじゃないですか」
「痺れって、それ麻痺毒じゃないのか?」
「これはスパイスです。だってさっきから食べてますけど、全然お腹も頭も痛くなりませんし平気です」
「そうか。まあ何でもないならいいか。さすが食通ピノン」
「えっへん!……それにしても、どうして分かったんですか?」
「何のことだ?」
「パンダグモが糸の振動で獲物の仕留め方を変えているってことです」
「ああそのことか。だってここ、暗いだろ?」
俺は火に寄ってきたヤモリたちを次々に捕まえる。指で首の骨を折る。
「しかもイカコウモリだけじゃなくてこの階層は即死パンチをくりだすアメンボシャコとか、メチャクチャ硬いクワガタサウルス、それにデカすぎるモスキートエレファントまでいる」
パンダグモのクモ肢の先に生えた棘を切り落とし、それを串代わりにしてヤモリを焼き鳥風に突き刺す。そして焚火にかざす。
「こんな連中と渡り合うには、いくらクモの巣を張れるからって同じやり方で狩りはできない。獲物によって狩り方を変えなきゃパンダグモはすぐにやられる。だから戦う前に誰が相手かを絶対に知りたがる」
「でもその方法が糸の振動だなんて、普通分かりませんよ」
ピノンも俺の真似をしてヤモリの串焼きをつくりはじめる。
「もちろん。だからピノンに頼んだ」
「テイザキさんに言われて調べて、初めて気づきました。空気の揺れ方が暴れる魔物によって違うなんて」
「ピノンがいなかったら確かめられなかったし、クワガタサウルスとイカコウモリが糸に触れた時の揺れの真似なんてできなかった。そしてもちろん正確にピノンに狙撃してもらえなきゃ、今頃俺はパンダグモの腹の中だ」
擬態振動ができたのは、空気の振動を読めるピノンのおかげ。さすがエルフ。耳も勘も弓の腕もいい。おまけにグルメ。
「……」
「どうした?」
「本当に、謙虚なんですね、テイザキさんって」
「そうか?俺は思ったことをそのまま喋っているだけだぞ?」
俺は焼けたヤモリの串焼きデザートを取り上げ、ピノンに渡す。
「だったらテイザキさんは本当に素敵な人です」
「なんかそんなふうに改めて褒められると恥ずかしくなる」
「そうですか?それより仄暗いし、満腹でいいムードなのでそろそろ子作……」
《全体へ定期報告》
「ん?知恵袋が何か言い始めた。ちょっと待ってくれ」
「ちっ」
穏やかだったピノンがなぜか憎々(にくにく)しげにヤモリの串焼きを食べ始める。満腹って言ってたけどさすが女子だ。ヤモリは別腹におさまるらしい。
《現在、ジョーカーは流刑の島フィリニア南の沖合20kmの海底火山内で、精霊位の魔物リヴァイアサンと交戦中》
「ジョ……」
「どうしました?女子の話ですか?それはあまり聞きたくないです」
「いや、女子じゃなくて……」
そうだ。忘れていた。志甫。
お前、いきなり独りだけで変なところに飛ばされたんだよな。
しかもそんな所に行って海底火山内で交戦って、マグマの中で魔物と戦ってるのか?
マグマって、元の世界と一緒だったら温度にして1000℃以上、圧力だって300メガパスカルはある。平均気温10℃、1000パスカルの地上とは桁違いに高いぞ。
そんなところで……
人の造った水爆のせいで生まれて、戦わされてばかりのガジラなみに気の毒だ。
その気の毒な志甫の相手をする精霊位の魔物。
なぁ脳内再生。精霊位って何だ?
《説明。精霊位とは上位の魔物のさらに上の格。神の課した運命に抗い、その目的を果たすまで命を燃やす魔物のこと》
神。マジでそういうのがこの世界にはいるのか。
そして精霊位の魔物もまた運命に逆らって志甫と戦う……志甫みたいに戦わざるをえなくてきっと戦う……
「テイザキさん。大丈夫ですか?」
「……ああ。一緒にいた召喚者の中で、俺たちが仲間外れにしたヤツがいてな。そいつがつらくても独りで精一杯頑張ってるって、知恵袋が今教えてくれた」
「独りで……」
「ああ。俺はそいつが仲間外れになるのを、止められなかった。自分が仲間外れにされるのが恐くて、何も言えなかった」
「仕方、ないです」
「そっか。……俺、みっともないよな」
「いいえ。普通だと思います。……誰だって、仲間外れにされるのはつらいですから」
「また会えたらその時は「ごめん」って謝りたい。アイツのことだから許してもらえないとは思うが」
全員の殺しの標的にされて、勇者の踏み台なんかにされて、許せるわけがない。
赦される前にあのドデカい鉄砲で撃たれる可能性大だ。
「テイザキさんが仲間外れにしたんじゃないって、その方はきっとわかってくれると思います」
ピノンが自分で焼いたヤモリの串焼きを、わざわざ俺にくれる。腹いっぱいなのか?
「どうだろうな。分かってくれなくても「償わせてくれ」くらいは言ってみる」
あいつのことだから「何もいらないから死んで見せて」って言ってくる気もするが、その時はその時に考えよう。生態系の頂点ガジラとまともにやりあって勝てる奴なんていない。
「でも本当に正直なんですね、テイザキさん」
もぐもぐヤモリ串焼きを食っている俺を見ながら、ピノンが穏やかに微笑む。
「ピノンに嘘を言っても仕方ない」
「そうですね。人生を共に歩む相手に嘘は厳禁です」
《報告。近くに魔物ホネクイハナムシの発生を確認》
「ホネクイハナムシ?」
「え!?今なんて言いました?」
「知恵袋がな、今度はホネクイハナムシって魔物がこの辺にいるって」
「ホントですか!?テイザキさん!」
俺の近くでシネクネと妙な動きをしていたピノンが突如ゴキブリみたいな姿勢になってシャカシャカと元気よく動き回る。
急にどうしたんだ?パンダグモごっこか?
《ホネクイハナムシは低位の魔物。ただし希少種。地上迷宮セキドイシ内ではモスキートエレファントの骨にのみ発生。摂取することで能力値やスキルを大幅に上昇させる効能あり》
え?そうなの?そりゃすごい!
「あった!ありました!テイザキさん!ありましたよ!!」
パンダグモの巣の下をシャカシャカ動いていたピノンがモスキートエレファントの骨を咥えて戻ってきた。犬かお前は。
「これが、ホネクイハナムシ?」
モスキートエレファントの割れた骨の欠片。そこから緑色の草みたいなのが生えてる……と思ったら草は風もないのに勝手にウニョウニョ動く。
「な!?」
草だと思ったらミミズみたいに動いてる!そしてその中から赤い触手みたいなのをさらにたくさん伸ばしてくる!
まさに動くカラフル素麺!
「ちょっとキモいぞ、これ」
「すごいです!魔物の骨に生える緑の炎……昔、教えてもらった通りの姿です!!」
「ピノンはこれ、知ってるのか?」
「はい!この迷宮で亡くなられたご主人様の護衛をなさっていた凄腕冒険者のピットマンさんに教えてもらいました!魔物の骨からごくまれにしか生えないけれど、食べればものすごく強くなれる、緑の炎みたいな姿の魔物がホネクイハナムシだそうです!」
「そっか。じゃあ一緒に食ってみよう」
「え?私も食べていいんですか?」
「当たり前だろ。ピノンが強くならないと俺なんてたいしたことできないんだから、ピノンこそ食べるべきだ。見つけてきたのもピノンだろ?」
「あの私、実はここにこれ持ってくる前に結構食べてきました」
「分かった分かった。そういう下手な嘘はいらないから一緒に食おう」
「……」
なんでまたウルウルしているんだこいつは。そして再びはじまるシネクネダンス。ホネクイハナムシと同じような動きに見えてくる……もしかして、さすがにもう腹いっぱいなのか?
《鈍感。ちなみにホネクイハナムシはエルフも生食可能》
「一緒に、食べます」
「よし。知恵袋によればピノンも生で食べて大丈夫らしいが、生で食べるか?それとも焼くか?」
「生で食べます。でもその、ちょっと手で持つのは怖いので、食べさせてもらえませんか?」
「イヌみたいに骨くわえて戻ってきたのに手で持つのは怖いのか?」
「骨は平気なんです!あと犬とか言わないでください!犬に失礼です!」
「そうか!なんか変に聞こえたけど、だったら仕方ない。ほら、口あけて」
「は、はい。あ~ん」
ほっぺが赤く見えるのは焚火のせいか?まあいい。ピノンにミミズ素麺投入っと。
「あ~ん」
パク。
「!!??」「どうした?」
「んんんんっ!んんっ!んんんん!!!!」
眼を大きく見開いたりギュッと瞼を閉じたりして、しかも身振り手振りで何かをピノンが必死に訴えてきてる。もしかして踊り食いしたせいで気管につまったか!?
「ごめん。何言ってるのか分からない。っておい!」
俺の手にあったホネクイハナムシを手で奪い取ったピノンが俺の口にホネクイハナムシを押し込んでくる。触れるのかよおいっ……!?
「ん……」
なにこれ?
……。
茹でたカニの肢肉とたっぷりのカニミソが混ざったみたいな味だ。
はっきり言って、うまい。
モチモチ肉の、塩味の効いた、甘くて澄んだ脂。
ベロベロ内臓の、ほろ苦い、むせそうになる味の濃さ。マジですごい。
《モチモチ食感はメス体内に生息する、脂肪分を含む細菌によるもの。妖味。ベロベロ食感はメス体内に寄生するオスの体成分によるもの。珍味》
カニカマ業者には悪いけど、カニカマの2000倍くらいうまい。
「はへははふほほ、ふはひはへへひはふ」「ふぁあ」
味がいつまでたっても口の中でぼやけず、感動が続く。
たしかにピノンみたいに涎がダラダラ出てしまうのも分かる。俺も気をつけないと赤ちゃんみたいに口の中が洪水になりそうだ。
ゴックン。
はい。『孤高のグルメ』おしまい。
《報告。パンダグモとホネクイハナムシの捕食により、死んだフリスキル所持者のレベルが大幅向上。あらたに二つの死んだフリスキルを獲得》
二つ!?一気に二つも新しいスキルが手に入ったのか?
うまいニョロニョロ魔物を食っただけで!?
《一つは「飢餓の咆哮メシマダカ」。もう一つは「発情の咆哮モウタマラン」》
相変わらず変な名前だ。俺のスキルは絶対にギャグ線スキルだと思う。
《「飢餓の咆哮メシマダカ」及び「発情の咆哮モウタマラン」は、いずれも相手の死んだフリを阻害する》
ああ、なるほど。
空腹で死にかけてれば死んだフリなんてしている場合じゃないし、死んだフリなんてしていたらパートナーに逃げられて交尾ができず、種は残せない。
だから発情すれば死んだフリなんてしない。
ギャグ路線かと思ったけど、あくまで「死んだフリ」に特化してるな、俺のスキルは。
そうそう。こういうのでいいんだよ……おっと、まだ『孤高のグルメ』の異世界にトリップしていた。
「はぁ、はぁ、はぁ、テイザキさん」
「ん?どうした?」
「私、テイザキさんのせいでもう濡れ濡れです。どうしてくれるんですか」
「食べさせてくれって言うから食べさせて、しかもいつまでも口の中で噛み続けて涎ダラダラ垂らせばそうなるな」
「実はダラダラなのは上だけじゃなくて下の方も……」
カツン。カツン。カツン。カツン。……
「「?」」
迷宮内に木霊する、奇妙な音。
カツン。カツン。カツン。カツン。……
靴の音?
人?歩いている人?
冒険者でもいるのか?
こんなところに?迷宮だぞ?
カツン。カツン。カツン。カツ。
音が、止まった。
《警戒》
「フェンリルとコカトリスが死に、バジリスクが合成されたので何が起きたのかと思えば」
女の声!?もしかして冒険者?ピノンたちの生き残り?
「よもや上層から降りて来る人間がいらっしゃるとは」
ミシ。
今度は何の音だ?
「ここ百年あまり、上層から降りてきた人間はおりません」
ベキバキ。ゴシャン。ドゴッ!
は!?
パンダグモの巣が、壁面ごと引き剥がされてる!
モスキートエレファントだって身動き取れないパンダグモの巣だぞ!?
「それが何者か」
ズズズズズズズズズ……
石が、壁が、糸ごと声の方に引っ張られていく。
「よほど特殊な亜人族を従えているだけの、ただの人間か」
ズズズズズズズズ……フゥン
闇の奥から冷たい空気と殺気が流れて、俺の体にぶつかる。
「それとも」
フゥンフンフンフンフンフンフン……
振り回してる。……たぶん、集めたもの全部を。
「ただの亜人族を従えているだけの、よほど特殊な人間か」
ブンブンブンブンブンブンブンブンブン……
「どちらなのでしょうね」
「テイザキさん!」「ああ、絶対にやばい」
パンダグモの巣を巻きとった何かが瓦礫と魔物の糸を振り回しているらしい。
しかもすごい速さだ。
ブン!ブン!ブン!ブン!ブン!ブン!ブン!ブン!ブン!……
洞内がそもそも暗くて、遠くの相手の姿は全く分からない。
ただプロペラのような音だけが聞こえてくる。
ブン!ブン!ブン!ブン!ブン!ブン!ブン!ブン!ブン!……
まるで、ジョーカーに選ばれた時の志甫のような音。
どうする!どうする!?
「テイザキさん!」
「なんだピノン!」
「絶対に動かないでください!!」
「!?」
巨大扇風機の裏側に回ったように吸い込む風が生じる中、ピノンが孤狼の弓オクリオオカミを闇に向けて構える。
《エルフの言動を解析中》
ビュオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオッ!!!
ピノンの引くオクリオオカミの弦から激しい風が巻き起こる。
ふんばらないと吹き飛ばされそうだ!
《解析終了。エルフの言動を支持。パンダグモとホネクイハナムシの捕食により、エルフも大幅なレベルアップ》
「一匹狼の遠吠えなぞ、60階層より下には到底響きませんよ」
ピノンの風のおかげかどうか、ブンブン女の声が微かに聞こえる。
ピノンの武器オクリオオカミのことを知ってるのか、あいつは。たとしたら……
《エルフの耳小骨と蝸牛管が変異。超精密聴覚コルモゴノフ獲得。空気渦の乱流の速度分布を把握。死んだフリスキル所持者に忠告……》
ここにきて忠告?なんだよ?
ブン!ブン!ブン!ボッ!!!!!!!
「!」
《エルフの風に》
ヒュボオオンッ!!!!!
《全てを託せ》
ドゴオオオ――ンンッ!!!
「……」
「テイザキさん!大丈夫ですか!!」
「え?」
ピノンの声が右耳に聞こえると思ったら、左腕に激痛が走る。
左わき腹も左脚も痛い?
なんだ?何が起きた!?
《報告。エルフの風錐アオアラシにより死んだフリスキル所持者は即死を回避》
「さすがはエルフ。風を読むのだけはお上手ですね」
左耳が全く聞こえない。でもとにかく、左腕がメチャクチャ痛い。
《ただし重傷。左鼓膜破裂。腹腔裂開。脾臓破裂。左大腿直筋及び左外側広筋断裂。左腕の筋肉の大部分が断裂。左上腕骨、左尺骨さらに左橈骨が粉砕骨折》
「はあ、はあ、はあ、はあ」
もう言わなくていい脳内再生。
とりあえず、後ろに寄りかかる。
ポスン。
へ?
寄りかかろうとしたはずなのに尻もちをつき、驚いて後ろを振り返る。
窪みの奥が見えないくらいのクレーターが、俺の左隣に大きく開いている。志甫の大砲の弾でも当たったみたいに、壁がなくなってる……。
「テイザキさん!今すぐヒールをかけますから!」
「はぁ、はぁ、はぁ、はぁ」
要するに、女の声を出す〝何か〟が、石とパンダグモの糸の塊を振り回してぶん投げた。俺はピノンのおかげでその直撃を回避できた。そういうことか……。
《正解》
「百数年ぶりに上から人間が降りてこられたのは、どうやら特殊なエルフ個体の力によるものだったのですね。二人して転移魔法陣で下層から上層に飛ばされ、エルフの力でここまで来たのでしょう」
まぁ、「二人して」以外はそんなに間違っていない。
「黙れ魔物!ここまで来られたのはテイザキさんのおかげだ!!ノミライオンもフェンリルもコカトリスも全部テイザキさんがやっつけた!!お前なんか足下にも及ばないくらいテイザキさんは強い!!」
震えるピノンの怒声が洞内に鳴り響く。
「……うふふ。そうですか。使用人のごとく主人をあくまで立てるとは、よくできたエルフですね。魔法の威力から察するに、契約を無理強いされた奴隷身分でございましょう?」
「ちがう!!」
カツン。カツン。カツン。カツン。
「きっととびきり憐れな家庭内奴隷の忠誠心に免じて、一度だけ生き延びる機会を与えましょう。私は今気分が高揚しております。なにせ上層階から人が〝どのような形〟であれ降りて来られるのは117年ぶりのことですので」
現れたのは、どう見ても女。でも、普通じゃない。
いつ死んでもおかしくないこんな所で、茶色のイブニングドレスを着て歩く女なんて、まともじゃない。どれだけ美人でも長髪が艶やかでも、魔物か幽霊でしかない。
「私の名はメリュジーヌ。メリュジーヌ・レイクホルト。地上迷宮セキドイシ59階層から40階層の支配種にございます。ここで見逃したところで〝以後〟があるかどうかは存じ上げませんが、以後お見知りおきを」
ピノン以外で、初めて迷宮内で俺に名乗ったその支配種とやらは、くるりと背中を見せる。油断、じゃなくてたぶん余裕なんだろう。くそ。
「それにしても上層階の、なんと騒々(そうぞう)しいことでしょう」
独り言か、それとも俺たちに向かって言っているのか分からない謎のぼやき。
言語を話すところとか、身振りとか、本当に人間っぽく見えてくるからマジで怖い。初めて遭うタイプの魔物だ。
「迷宮が凶鳥バジリスクまであえて創ったのは、一体どこの誰のためなのやら……」
よく分からないことを言って、メリュジーヌは来た道を引き返していく。そっちは上層へ向かう道しかないはず……上に向かうつもりか?
「……」
つうか、やばい。よく見たら俺、かなり出血してる。脾臓やられたとか言ってたもんな……。
「テイザキさん!しっかりしてください!!」
寒い。
あれ?
俺、「カタレプシー」なんてしてたっけ?「だるまさんが転んだ」をちゃんとやっていたはず。でもピノンに「動かないで」って言われたからもしかしたら咄嗟に「カタレプシー」したかも……どっちだっけ……頭が……回らない…………
「テイザキさんっ!テイザキさ……」
……。
マジで嫌だ。
マジで、それだけは嫌だ。
ピノンを残して死ぬのだけは、マジで嫌だ。
《忠告》
だって、約束したから。
生きて、迷宮を一緒に出るって。
《エルフの風に》
だから、今、死ぬのだけはマジで嫌だ。
脳内再生。マジで頼む。
《全てを託せ》
それだけはマジで勘弁してくれ……。
《死んだフリに、「死」は似合わない》
「!」
「テイザキさん!目が覚めたんですね!?良かった!」
「……」
あれ?ここ、どこ?
「もうっ!!私一人を残して勝手に死んだら絶対に許さないんだからああ!!!」
薄暗い穴。わずかな緑の光……迷宮……セキドイシ………
ああ。そういうことか。
「ごめん……ちょっと、死んだフリしてた」
「ばかあああああっ!!!」
思い切り抱きしめられて、思い知る。
ピノンの魔法のおかげで、どうやら俺は一命をとりとめたらしい。
ほんと俺、助けてもらってばかりだな。
「ごめん。本当はマジで、死ぬかと思った」
「うう、うううっ、ぐすっ、ううう……」
左腕以外、痛みは感じない。
《報告。エルフの治癒魔法により死んだフリスキル所持者の左腕以外は全回復。左腕の損壊は甚大なため、完治にしばらく時間が必要》
「ありがとう。ピノン」
「………」
「ピノン?」
《超精密聴覚コルモゴノフの発動及び5時間にわたる治癒魔法の連続使用により、エルフの体力、魔力ともに枯渇。極度の疲労により気絶》
「………すまない」
気を失ったピノンの顔を見つめ、その体を強く抱きしめる。眼の下の隈……寝ずに看病してくれたのか。こんな危険な場所で気を張り詰めながら俺なんかの看病を……
「守ってもらってばかりで、本当にすまない」
《警告。左腕の無理な使用は治癒の遅れを引き起こすため禁物。エルフのためにも、安静を提案》
俺は自分の左腕を見る。モスキートエレファントの頭から生える、まっすぐな吻が二本、腕に当てられている。それを所持品の髪の毛で縛り、腕はまっすぐに固定されている。
「そうだな」
せっかく治してくれたのにまた骨折したら、ピノンに化けて出られる。
《忠告。エルフは気絶しているだけ。消耗は甚大でもまだ死亡に至らず》
物の例えだよ。それより、さっきのアレはなんだ。
名前付きの魔物なんて、初めて見たぞ。
《不明》
え?不明って?
《メリュジーヌ・レイクホルトという魔物の存在は未確認。ただし生命反応なし。ウイルス、細菌ドメイン、古細菌ドメイン、真核生物ドメインのいずれにも非該当。人間族、亜人族の固有振動数のいずれにも非該当。魔物の気配に近いものの、該当する魔物は未確認。故にメリュジーヌ・レイクホルトの正体は不明》
……。
脳内再生も知らない怪物。
じゃあアイツは一体、なんなんだ?
……。
「まぁいいか」
分からなきゃ、とことん自分で調べる。
元の世界じゃそんなの当たり前だった。
図鑑を片っ端からひっくりかえして調べるし、明けても暮れてもじっと観察して調べる。
アリが動き出すときに、どの肢から動くのかだって、二年かけて観察して調べた。六本のうち中肢から動くって気づいた瞬間の感動は半端なかった。
あれと一緒だ。
自分で調べてわかったほうが「いとおかし」。感慨深いってやつだ。
《立派》
ありがとな。それにしても、このまま魔物が来ないとも限らない。それが心配だ。
《推測。魔物とのエンカウントは低確率。階層の支配種メリュジーヌ・レイクホルトを避けて魔物は移動中》
だからここにはしばらく誰もこない、か。志甫のバズーカ砲みたいな攻撃を食らった甲斐があったってことか。
「志甫か……」
そう言えば志甫と同じところに世良田と綾瀬も飛ばされたんだった。
確かビトレイヤーとかいうのに選ばれたせいだ。忘れてた。
あいつら二人、志甫にぶっ飛ばされたとして、その後どうなったんだろう。
マジで殺されてなきゃいいけど……
「むにゃ?」
「起きたか」
「テイザキさんこそ、どうして私にそんなにピッタリくっついているんですか?もしかしてムラムラして……じゃなくてテイザキさん!ケガは大丈夫ですか!!」
「びっくりした。いきなりキャラ変わるの、やめてくれ」
「心配したんですから。もう本当に」
「ピノンが寝落ちする前にも言ったけど大丈夫だ。ピノンの治癒魔法のおかげでな」
「そうですか。私なんかがお役に立てて、とてもうれしいです」
「何言ってんだ。お前がいなきゃ俺はもう二回はとっくに死んでる」
「……ですよね。だったらずっと私が傍にいないと」
「ああ」
「……ずっとですよ」
「ああ。迷宮は長い。当然だ」
「……はぁ。もう」
「どうした?」
「なんでもありません!もう平気ですからいい加減離れてください」
「あ、ああごめん」
なんでピノンってこう、いきなり怒るんだろう。不思議だ。体をくっつけていたのは低体温症にならないためなのに。
「一応断っておくが、ピノンが寝ている間にやましいことなんてしてないからな」
「なんでしないんですか!」
「ふぁ?」
「なんでもありません!傷がふさがったのなら行きますよ!ほら荷物持ってください!」
「あ、はい!」
やっぱり機嫌悪い。しょうがない。こうなったら機嫌が直るのを静かに待とう。
《支持。触らぬエルフに祟りなし》
「テイザキさん。なんか変なことしている魔物がいますよ」
「ん?本当だ。何してんだあれ?」
地上迷宮セキドイシ。56階層に降りてきた俺たちは、脚の生えたカツオみたいな魚魔物に遭遇する。生えてる脚はパンダグモみたいに明らかに虫の肢って感じじゃなくて、鰭をゴツくして体重を支えている感じだ。
その歩くカツオが白い何かを地面に置いている。丁寧にしゃがんで尻から出しているってことはまさかウンコか?
《報告。カツオではなく低位の魔物カツオムシ。交尾をせずに体内受精を行う魔物》
「交尾しない?」
「なっ!?何を言い出すんですかテイザキさん!いくらテイザキさんと添い遂げるつもりの私でも!今すぐとなるとさすがに心の準備ができていません!だいたいにして直球過ぎます!もしかして魔物に見られながらとか、そういう変態……」
「いやそうじゃなくて、俺の頭の中の知恵袋によると、そこにいるのはカツオムシっていう魔物らしくて、こいつらは交尾をしないのに体内受精ができるそうだ。不思議だろ?」
「……ふーん。そうですか。それで?」
あれ?せっかく機嫌が良くなったと思ったのに、ピノンまた怒ってる。
それより交尾をせずに体内受精って、どうやってやるんだ?
《魔物カツオムシのオスは繁殖のために、精子が詰まった精包をつくり、それをランダムに地上に配置。一方のメスは精包を見つけて拾い上げ、腹部の穴から自分の体内に取り込み、受精を完了させる》
なるほどね。それで白い袋みたいなのをオスはばらまいているわけか。
「なんでもあの白い袋の中にはカツオムシのオスの精子がつまっていて、カツオムシのメスはそれをみつけて拾って自分の体の中に入れて受精するらしい」
「そうだったんですか……ちょっと寂しいですね」
《なおオスの精包は栄養が豊富に含まれるため、栄養を求めるメスの多くは精包を見つけると受精のためではなく、栄養補給のため経口吸収》
受精に使われず、食べられちゃう精子が多いってわけか。
《正解》
「お腹が減ってるメスは精包を受精に使うこともあるけれど、大抵は食べるらしい」
「つまり精子を食べちゃうんですか?」
「ああ。見ての通りだ」
脳内再生の言う通り、バスケットボール大の白い袋をポロポロ置いていくカツオムシのオスと、それを見つけてはムシャムシャ遠慮なく食べるカツオムシのメスがいる。
メスが子どもを産むのに栄養は必要。
だからメスは栄養のない精子の塊よりも、栄養のある精子の塊を選ぶ。栄養のある精包は食べらてもいいし、中身の精子をメスに受精に使ってもらえれば、生まれて来る子どもがオスの場合は、そいつが大人になってまた栄養のある精包をつくるから、メスに選ばれて、子孫を残しやすい。
結局、精包の栄養の有無が選択圧になって、オスは栄養のある精子の塊をつくるよう進化した。そんな感じか。
《支持》
「あの白い袋は栄養もたっぷり。子どもを産むのは大変だからメスに食べられるのも仕方ないってオスは諦めてるらしい」
「……」
ちょっと複雑そうな顔をしているピノンをわき目に、なんだろう。
どうしてもこう、なんか好奇心が抑えられない。
栄養のあるカツオムシの精包ってどんな味がするんだ?
知りたい。
ヒョイ。
「テイザキさん?」
ハム。
「ぎゃあ!何食べてんですか!」
近くにあったカツオムシの精包を拾い上げた俺は我慢できず、それを食べてみる。
モミュモミュモミュモミュモミュ……
当たりだ。うまい。食感はグミ。
カツオムシっていうだけあって、やっぱりカツオ出汁みたいな強い旨味がある。
「意外にカツオムシの精子、いけるぞ。ピノンも食うか?」
「い、いやです!」
プイッとそっぽを向くピノン。
「そうか。じゃあ無理はしないほうがいいし、俺がこれ、全部食べちゃうな」
モミュモミュモミュ……
懐かしい。カツオ出汁なんて異世界に来て味わえるなんて思わなかった。
「やっぱり!やっぱり食べます!」
《報告。エルフも生食可能》
「ん?そうか。じゃあ新しいの一個とってくる」
「嫌です。テイザキさんのそれをちょっとだけ食べたいんです」
「俺の精子か?」
「ちょっ、俺の精子とか!変な言い方しないでください!!」
「ああ悪い。悪い。食いかけで良ければ、ほれ」
「テイザキさんの食いかけじゃなきゃ魔物の精子なんて絶対に食べませんから。……はむ」
モニュモニュモニュモニュ……
「どうだ?」
「……おいしいです。もっと精子ください」
「「精子ください」ってお前……なんか恥ずかしくなるだろ」
「意地悪なテイザキさんの真似です。もっと食べさせてください」
「分かったから。とにかく機嫌なおしてくれ」
意地悪なんてした覚えないんだけど、不機嫌なのはその誤解のせいか。女子は難しい。
《注意》
「?」
洞内に激しい地響きが轟く。
《中位の魔物クワガタサウルス、魔物モスキートエレファント、魔物アメンボシャコが接近中》
上が静かだった分、下は賑やかってわけか。
「魔物が近づいてきている。隠れるぞ」
「はい!」
カツオムシのオスとメスが群がる地帯に、中位の魔物三種類がわらわらと現れる。動きの遅いカツオムシは三種類の魔物の突然の登場に驚いて散り散りに逃げようとする。
「ブイイイイイイイイッ!!!」「ジギギギギギギギギイイイッ!!」
さっさと現れたと思ったら夢中でカツオムシの精包を食べていたモスキートエレファントとクワガタサウルス。樹液に集まる虫みたいに、同じ一個の精包を狙ったとお互い気づいた瞬間、則バトルに発展する。
まだ精包はたくさんあるのに、どうしてこいつらはこう視野が狭いんだろう。
ガキッ!!ドスドスドスンッ!!ムチュウウウッ!!
違うか。結局最後は奪いあいになるから、最初に排除しようっていう本能か。あまり関わりたくない戦いだ。
「クワッパ!」「チェチェチェ!」
ドバンッ!!!!
アメンボシャコが即死級のシャコパンチを繰り出す。パンチを食らったカツオムシの体が案の定粉砕する。そして食べられるカツオムシ。
食べられているカツオムシは、ついさっきまで精包を食べていたから、あれはメスか。
つまりカツオムシのメスをムシャムシャ食べるアメンボシャコ。
カツオムシのオスはどうなってる?……ん?
ポコポコ。
逃げながら精包を落としていくカツオムシのオス。そのカツオムシオスとすれ違うアメンボシャコ。
完全にスルー?
シャコパンチしないのか?狙って食わないのか?
よく見ると、アメンボシャコたちは一匹としてカツオムシの精包を食べない。そしてオスを襲っていない。
襲われて食われているのはカツオムシのメスだけだ。なんで?
アメンボシャコは腹が減っていないから?
いや、腹が減っているからカツオムシのメスを食べてるんだろう。腹が減ってたらオスを食ったっておかしくない。なのに完全無視。栄養満点の精包も無視。
あ!また新たにモスキートエレファントとクワガタサウルスが現れた。……あいつらはカツオムシを食ってる。カツオムシのオスも食べてる。オスメス構わず目についたカツオムシを食ってる。
どういうこと?
「なんか、カオスですね……テイザキさん」
気になる。アリがどの肢を最初に動かすのかと同じくらい、気になる。
どうやったら、どの魔物が何を好んで食べたいのかが分かるか……あれだ。さっき手に入ったあのスキル。
《報告。「飢餓の咆哮メシマダカ」の発動準備完了》
本来これは、相手の死んだフリをさせないためのスキルだけど、この際関係ない。
ちょっと試してみるか。
「ピノン」
「はい」
「ちょっと新しいスキル使う」
「もしかしてニオイ系ですか?」
「違う。だからそんな嫌そうな顔をしないでくれ」
「分かりました。ちなみにどんなスキルですか?」
「死んだふりをさせないために、魔物をめちゃくちゃ腹ペコにさせるスキルらしい」
「それってエルフにも効いたりしますか?」
「分からない。でもピノンの腹が減ったら俺がちゃんと食わせてやる」
「分かりました。テイザキさんが一生私に食わせてくれるそのスキル、ぜひ使いましょう」
ピノンがなんだかうれしそうだ。きっと俺のスキルに期待してるんだな。
頼む脳内再生。「メシマダカ」をやってくれ。
《了解。「飢餓の咆哮メシマダカ」発動》
ヴワン。
3秒くらい、俺の体が青く発光する。
ギュルギュルギュルギュルルルルルル……
「ふぁ?」「へぇ!?」
俺の隣にいる女子のお腹からすさまじい緊急警報が発令。
「なんですかこのスキル!」
顔を真っ赤にして怒るピノン。
「めちゃくちゃお腹が減りすぎて、かつて聞いたことがない音が出ちゃいました!」
「悪かった!イカコウモリの干し肉があるからとりあえずこれ食べて我慢してくれ!」
「ダイエット中なのにもう!」
リュックの中にある魔物の干し肉を全部ピノンの前に置き、俺は魔物たちの様子を伺う。
「ブイイイイイイイイッ!!!」「ジギギギギギギギギイイイッ!!」「チェチェチェ!!」
カツオムシのオスメスを問わず食い漁るモスキートエレファントたちとクワガタサウルスたち。
けれど目の前からカツオムシが消えて、残された精包を見つけて食い始めるも、結局一つの精包を巡って衝突するモスキートエレファントとクワガタサウルス。両者の実力はやっぱり拮抗。とにかく戦う。モスキートエレファント同士もあるしクワガタサウルス同士もあるし、モスキートエレファントとクワガタサウルスのパターンもある。どれもこれも五分五分の死闘状態。
「クワッパ!」「クワッパ!」
即死パンチを出せるアメンボシャコたちはカツオムシのメスしか狙わず、メスを食い終わるとカツオムシのオスにも、オスの残した精包にも目をくれず……まじか。何匹かいるモスキートエレファントとクワガタサウルスたちに襲いかかった。
バコバコバコンッ!!!
アメンボシャコの強烈なパンチを食らったモスキートエレファントやクワガタサウルスが転倒する。でも、やり返すモスキートエレファントとクワガタサウルス。
アメンボシャコはあるいはゾウのような足で踏みつぶされ、あるいはクワガタのような大顎で千切られる。殺されたアメンボシャコはそのまま体の一部をモスキートエレファントやクワガタサウルスに食われてる。
けれどもそんなんじゃひるまず、アメンボシャコたちは「クワッパ」と叫びながら次々にモスキートエレファントやクワガタサウルスに襲い掛かり、動かなくなったどれかに群がって食らう。
ん?
虫の息なのに食われないクワガタサウルスがいる。モスキートエレファントの中にもそういうのがいる。
死にかけているのに、アメンボシャコに食われない。
アメンボシャコはそいつらに噛みついただけで諦めて、別の瀕死体に群がっていく。
なんで食わない?
……そう言えば食われてないこいつらは、アメンボシャコより遅くここに到着した連中だ。それが何か関係があるのか?
「あ、なんはあらはへはひは!」
口の中をジャーキーで一杯にしたピノンに指摘されて大洞窟の奥に目を向ける。
《報告。中位の魔物パンクカワニナが出現》
公衆電話のある電話ボックスほどもある巻貝みたいなこげ茶色の魔物がゆっくりと移動し、まだ手を付けられていないカツオムシの精包を目ざとく見つけては、呑み込むようにして食べていく。こいつは精包を食うらしい。
「クワッパ!」
バコンッ!
束の間の食事を終え、死んだフリをしたように動かないでいるパンクカワニナがアメンボシャコに殴られる。だけどパンクカワニナの殻はシャコパンチでも壊れない。相当硬いな。
で、一度パンチを食らったパンクカワニナはその場で地面に張り付き、全く動かない。
「クワッパ!クワッパ!クワッパ!」
バコバコバコバコッ!!!
シャコパンチを食らい続けても死んだふりを続けるパンクカワニナ。平気なのか?
ボジュッ!!
ダメか。やっぱり即死級のシャコパンチは強い。とうとうパンクカワニナの殻を粉砕。
「クワッパ!?」
お?
シャコパンチがパンクカワニナの殻の内側に突き刺さった瞬間、アメンボシャコが慌ててる。……腕が抜けない?
「ブイイイイイイイイッ!!!」「ジギギギギギギギギイイイッ!!」「クワッ……」
身動きをとれないで焦っているアメンボシャコ個体へ、モスキートエレファントとクワガタサウルスがやってきてアメンボシャコを親の仇のように抹殺して捕食。食い終えたらパンクカワニナにチャレンジするクワガタサウルス。でもアメンボシャコと同じようにパンクカワニナの筋肉に顎を突き刺したら抜けなくてピンチ。モスキートエレファントがクワガタサウルスの首をへし折って殺害。クワガタサウルスの首から下を食べる。そこへ集まるアメンボシャコ……。
モスキートエレファントVSクワガタサウルスVSアメンボシャコVSパンクカワニナ
まさにカオス。任〇堂のスマブラみたいだ。
カツン。カツン。カツン。カツン。
「「!!」」
その不吉な足音で俺は咄嗟にピノンを抱きしめて「カタレプシー」を発動する。貪り食っていたピノンの口からジャーキーがポロポロ落ちる。
「「……」」
大混乱を極める56階層の迷宮内部。緑の暗闇から現れたイブニングドレスの人型魔物。
「騒がしいと思って来てみれば、これは一体どうしたことでしょうね」
自ら支配種を名乗ったメリュジーヌ・レイクホルトがそうぼやきながら、争う魔物たちを眺める。魔物たちは俺の「メシマダカ」のせいで見境なく敵を襲い食らっている。
《報告。「飢餓の咆哮メシマダカ」発動終了まであと14秒》
「クワッパ!」「クワッパ!」「クワッパ!」
数匹のアメンボシャコがメリュジーヌの方へ近づいていく。
バゴバゴバゴンッ!!
「「「クワッパ?」」」
超高速即死シャコパンチが全身に当たったのに、メリュジーヌはびくともしない。笑みを浮かべたままアメンボシャコたちを見ている。パンクカワニナの殻よりも硬い!?
「あなた方、何かに憑かれているのですか?」
首をかしげてアメンボシャコたちに問いかけるメリュジーヌ。
ズンッ!
瞬間、俺の背筋を寒気のようなものが襲う。
フェンリルにゼロ距離で睨まれた時にも〝これ〟は、味わった。
これがたぶん、本物の殺気ってヤツだ。
《報告。「飢餓の咆哮メシマダカ」発動終了》
「憑き物は落ちましたか?」「「「クワパッ!!!」」」
アメンボシャコたちが一斉にメリュジーヌから逃げていく。
ドグシャッ!!!!!
そのアメンボシャコたちの背中を、何かが刺し貫く。
シャカシャカシャカシャカ……
たくさんの、たくましい節。そして節ごとに生える、鋭く太い鉤脚。
「一仕事終えてきましたし、私も晩餐にあずかるといたしましょうか」
イブニングドレスの裾下から伸びる、ムカデの体!?太くてデカ!!
ジャッ!!
イブニングドレスも女体も一瞬で消えて、全身が巨大ムカデ姿になったメリュジーヌ。
シャカシャカシャカシャカシャカシャカンッ!!!!!
多足で駆けた先にはとまどうモスキートエレファント。ゾウの体にゾウの頭サイズの蚊の頭部がある魔物の全身が、一瞬でぐるぐる巻きにからめとられる。
ブシュッ!!ドスドスンッ!
頭がムカデ顎で切り落とされて切断された首の中に、そのまま潜り込んでいくオオムカデ。
バキボギゴギムシュグシャムシュグシャゴギボギギギ……
ハリボテがしぼむようにモスキートエレファントがふにゃふにゃになり、かわりに血まみれのオオムカデが飛び出す。物の数秒で魔物ゾウの血肉を食べたのか?
シャカシャカシャカシャカシャカシャカンッ!!!!!
モスキートエレファントがやられる直前に正気を取り戻したクワガタサウルスたちが逃げる。けれどアメンボシャコとの戦闘で傷ついたせいで逃げ遅れ、オオムカデに追いつかれる。
ドシュッ!
オオムカデの顎に咬まれたクワガタサウルスたちが次々に痙攣して倒れる。たぶん毒顎の方で咬まれた。
ジャガジャガンッ!!
倒れたクワガタサウルスはいったん無視し、逃げるモスキートエレファントの脚を大顎で一発切断するオオムカデ。ほぼ同じタイミングで、体節を波打たせ、アメンボシャコを尾部で上からハエ叩きのように叩き潰すオオムカデ。こっちも一撃でペシャンコ……。
シャカシャカシャカシャカシャカシャカ……
死んだフリをし続けるパンクカワニナと俺とピノン以外、まともに動ける者のいなくなった段階で、オオムカデはゆっくりと痙攣するクワガタサウルスの元に戻ってくる。
バキバキ。ムシャ。バキ。ムシャ。
一番硬いはずのクワガタの顎鎌部分からもろにかみ砕いて捕食していく。次は脚を切断されたモスキートエレファント。ハエ叩きで潰されたみたいなアメンボシャコ。それが終われば、残る強者たちの死体群。
ゴキゴキゴキゴキ……シュン。
「まったくもってご馳走ではなく、ただのお粗末様でした」
熱を失い、葬式みたいに静かで冷たくなった迷宮56階層内。
イブニングドレスを着る人間姿に戻ったメリュジーヌが、食事の終わりを知らせる挨拶をする。俺はスキル「カタレプシー」で血の気を引かせているけれど、俺が抱きしめているピノンの血の気ももう、完全に引いている。俺と同じくらいに体が冷たい。
「そうそう。言い忘れたことがございました」
硬い音を立てながらメリュジーヌが歩く。カツオムシのオスの残骸の傍で止まる。
「私の住まいは50階層にございます。くれぐれも近づくことのないように」
ドムンッ!!ドバシャッ!!!!
隠れる俺たちの頭の上で、メリュジーヌに蹴られて壁に激突したカツオムシの残骸が木っ端微塵に砕ける。カツオムシのオスの死骸が俺とピノンに、雨みたいに降り注ぐ。
「永遠の仮住まいとはいえ、女の家に無断で入るなど、言語道断でございましょう?」
言い終わると、メリュジーヌはまた来た道を悠々(ゆうゆう)と引き返していく。
「「………」」
殺気が洞内から消えたところで、俺はピノンを「カタレプシー」から解放する。
「無理です、アレ」
ガタガタ震える、ピノンの声。
「……」
「フェンリルも、コカトリスも、あそこまで怖いとは感じませんでした」
目が泳ぎ、焦点の合わないピノン。
「……」
「何ですか、アレ」
「……」
アレ。
メリュジーヌ・レイクホルト。
正体不明の魔物。
《否定》
否定って、何が?
《報告。魔物を捕食するために出現したムカデモデルの魔物の正体が判明》
なに?マジか!
《上位の魔物ネブタオオムカデ。ただし古代に絶滅》
絶滅?滅んだのにどうしてここにいるんだ?
目の前で魔物を食いまくってたぞ?生きてる証拠だろ?
《不明。何らかの理由で絶滅を免れた可能性もわずかにあり。故に謎》
人でも魔物でもないメリュジーヌ。でも絶滅したはずの魔物の姿をしたりする。
「……」
――そうそう。言い忘れたことがございました。
「……」
――私の住まいは50階層にございます。くれぐれも近づくことのないように。
「……」
――永遠の仮住まいとはいえ、女の家に無断で入るなど、言語道断でございましょう?
「……」
メリュジーヌ・レイクホルト。
ファーストネームとセカンドネームをもつ者。
俺のカタレプシーが通用しないやつ。
そして俺とピノンの居場所を特定できる。
それでいて俺たちを殺さず、わざわざ自分の住処を伝えてきた。
永遠。仮住まい。女の家。
言う必要のない〝言語道断〟の情報。
なんで来た道をまた引き返していく?
なんで自分の住処のある下層に戻らない?
上層にばかり向かうのはなぜだ?ベルゼブブの相手でもするのか?
……。
……。
「ピノン」
「なんですか?」
ぐしゃぐしゃに壊され、汚く食い散らかされたモスキートエレファント。
上半身を食われて失い、下半身だけ壊されて不気味に残るクワガタサウルス。
「行くぞ」
「どこへ、ですか?」
食われつくされ、残るは飛び散った体液とわずかな残骸だけのアメンボシャコとカツオムシ。
力なく、あるいは残された力でそれらを食い始めるパンクカワニナ。あるものは殻を割られ、あるものは無傷で、あるものは筋肉まで破られて内臓をこぼし、引きずっている。石の下に隠れていたハエや甲虫がそこにたかる。おそらくは肉を食いに、あるいは卵を産みに。その昆虫をヤモリが「キキ」と鳴きながら食べる。
「下だ」
「……」
「俺たちは迷宮を一緒に出る。そうだよな」
「……はい」
「それとも出たくないのか?」
ピノンの震えが止まる。
「出たいに決まってるじゃないですか!テイザキさんと生きて一緒に出たいに決まってるじゃないですか!でもあんな!あんな速くて硬くて強い魔物!しかもヒトみたいに知能の高そうな魔物!倒せるわけないじゃないですか!!」
「……」
「どうしたんですか!?いつもみたいに否定してくれないんですか!?そうですよね!!あんな!あんな強すぎる魔物相手じゃ誰も勝てるわけ……」
ポワン。
「ぎゃあっ!くっさ!!なにするんですかテイザキさん!!!」
「いつもみたいにデスノートだ。ただしトップノートは出来立てほやほやのパンダグモ」
「ふざけてるんですか!また気絶しちゃうじゃないですか!!」
「何言ってんだ。気絶させるつもりなら必殺のハナクジャクをかましてる」
「そっちこそこんな時に何言ってんですかもう!………うふっ」
「どうした?」
ピノンが涙目になって笑いだす。変なやつだ。
「うふふっ……なんだかもう、テイザキさんと一緒にいると、おかしくなりそう」
「それは悪かった。すまない」
口元を手で押さえて、頬を赤くして、クスクスと肩で笑ってる。「デスノート」パンダグモ風味の副作用かもしれない。
「本当にそうです。絶望している自分がバカらしくなってきて、おかしくなります」
「ああ。絶望している暇があったら俺はなんとかする」
「……好きすぎて、おかしくなりそう」
「何が好きなんだ?」
「なんでもありません。それより何か、作戦があるんですね?」
ため息をつき、涙をぬぐったピノンに見つめられる。
「いや、まだない」
「テイザキさんってば!」
「本当だ。でもヒントはもらった」
「ほぇ?」
俺は近づいてくる一匹のパンクカワニナを見つつ、自分の顔に付着したカツオムシのオスの肉を味わいながら答える。
メリュジーヌ・レイクホルト。
下に行けば何かあるんだな?
「あのムカデ女の言動がどうも引っかかる」
「はい。ついでにスリーサイズも引っかかります。あれ絶対パット入れてますから」
「とりあえず下層に進もう」
俺はカツオムシの残骸を拾い、パンクカワニナの方に放る。パンクカワニナが止まり、カツオムシを食べ始める。
「下層って、いきなり50階の、あの魔物の巣に乗り込むわけじゃないですよね?」
「そんなことするわけないだろ。下に降りながらどうするかは考える」
カツオムシの残骸に混ぜて、石ころもパンクカワニナに放る。
コツン。ブンブンブン。
「そうですか。分かりました。どこまでもお供します」
「助かる」
食事中に石を投げられたことに怒ったみたいで、殻を激しく振り回すパンクカワニナを見ながら俺はリュックを背負いなおし、斧を手にピノンと一緒にさらに下層へと向かっていく。
魔物は飢餓の咆哮「メシマダカ」であらかた一カ所に呼び込んでしまったらしく、56階層にはイカコウモリくらいしかもう残っていない。
こいつらはどこの階層にもいて、危険察知能力が高く、しかも主食が昆虫とかだから、俺が「メシマダカ」を発動してすぐそこらへんの虫を食って腹いっぱいになって、メリュジーヌが56階層に来た時点で下層に逃げたんだろう。メリュジーヌが上層に移動したらまた56階層に戻ってくる、みたいなことを繰り返している気がする。
「案外こういう連中が一番強いんだ」
「イカコウモリですか?」
「そうそう。体が大きいと成長するのに時間かかるし、体が小さいと腹は減るし、弱いからすぐに食われる。サイズ的に大きすぎず小さすぎず、しかも群れで行動するイカコウモリは、自分の命は狙われにくい。そして食べ物はそこら中にいる虫だから、飢える心配もそうそうない。空気の振動でその場の状況がヤバイかどうかまである程度分かるから、身の危険を感じた時にはもう安全な場所にトンズラしてて問題なし。考えてみるとやっぱりしぶとくて強いだろ?」
「ええ。でもテイザキさんにはかなわないです」
「なんでだ?」
「テイザキさんはそんな強いイカコウモリを罠で捕まえて料理しちゃうじゃないですか」
「そう言えばそうだ」
「私イカコウモリの食べ過ぎで1キロくらい太った気がします」
「そんなことないだろ。見た感じ3キロは体重が増えたと思うぞ」
「うふふ。テイザキさん。一発背後から撃っていいですか」
なんて話しているうちにいつの間にか55階層に到着する俺とピノン。
ブーンッ!
「「……ハチ?」」
《報告。中位の魔物ツバメバチが出現》
55階層に降りてまもなく、大きめのハチ型魔物のお出まし。周囲を偵察していたみたいで、俺とピノンを見つけると「エサだ!」みたいな感じでさっそく襲いかかってくる。
ビョンッ!
ピノンの弓オクリオオカミのひき絞った弦が激しく揺れる。弾かれた風の矢がツバメバチの四枚の翅の付け根を切り裂く。なんて命中精度だ。すごい。
「さすがピノン。翅がないならハチじゃなくて」
俺は全身をひねり、無事な右手に握りしめたバトルアックスを構える。墜落しながらこっちに迫るツバメバチが一匹。
「ただのアリだ」
ブオグシャッ!!
そのツバメバチの胸部めがけて戦斧をフルスイング。
腕だけの力で斧を振ると疲れるし威力も弱いけれど、足腰まで使うと腕の負担が減る割に威力は結構上がる。テニス部の同級生が喋っているのを横で聞いてたことがあったけど、あれは本当だったんだと今になって思い知る。覚えててよかった。
「テイザキさん!アメンボシャコが来ました!」
ピノンの大声で俺は「デスノート」を発動する。トップノートは考えてある。
ずばり、カツオムシのオス。
「クワッパ!」
カツオムシのオス死臭をまとう俺をやっぱり無視してピノンに向かって走るアメンボシャコ2匹。俺はすれ違いざまに、
ズバンズバンッ!!
回転斬りをぶちかます。
「クワパ!?」
両眼と触角を失ったアメンボシャコたちが悲鳴に似た叫びをあげながらピノンの方へ突進していく。
ス。
俺は斧を動かしピノンにしゃがむよう、無言で合図を送る。ピノンがすぐさま姿勢を低くする。ピノンに攻撃を当てられないままシャコパンチを繰り出しつつ先へ先へと前のめりで突き進むアメンボシャコ2匹。行く手にはこちらの〝異臭〟に気づいたばかりのモスキートエレファント。臭い俺にまず気づき、アメンボシャコの傷ついた〝旨そうな匂い〟に遅れて気づいたはず。
「ブイイイイイイイイッ!!!」「「クワッパ!!!!」
ニオイが頼りのモスキートエレファントと、ニオイしか頼れないアメンボシャコ。
両種が仕方なくぶつかる。
ただ踏みつぶす魔物と、ただ殴る魔物。出会えばタダで済まない。
生きのびるために、死ぬまでぶつかり合う。ピノンの弓オクリオオカミから放たれる風の矢がモスキートエレファントの眼を破壊する。肉を抉り、血の臭いを撒き散らす。
両種とも、眼が見えない。
けれど互いの体液の匂いを頼りに互いの位置を把握し、踏みつぶす。殴りつぶす。
《報告。中位の魔物クワガタサウルスが死んだフリスキル所持者の後方から加速接近中》
「ジギギギギギギギギイイイッ!!」
クワガタサウルスが俺の後方から駆け現れる。
俺はバトルアックスをちょっとだけ手放し、「ヒュイッ」と小さく口笛を吹く。ピノンが俺を見る。俺はバトっているモスキートエレファントたちを指さしながら口元に右手を当ててハナクジャクの嘴の真似をする。勘のいいピノンがすぐうなずく。
「コッケエエエエエエエエエエエエエエエエエエッ!!!!」
ピノンの遠ざかる絶叫で驚き、その場に一瞬硬直するクワガタサウルス。
逆にピノンの迫る絶叫のせいでモスキートエレファントとアメンボシャコも驚き凍り付く。でもずっと止まってはいられない。止まれば目の前の魔物に殺されるから、すぐに戦闘再開。
キリキリキリキリキリキリキリキリキリ……
きた。
キリキリキリキリキリキリキリキリキリキリキリキリキリキリキリキリキリキリッ!!
静止しているクワガタサウルスの背中に、石礫のようにぶつかるイカコウモリの群舞乱舞。
「ジギ……」
クワガタサウルスがようやく我に返る。とはいえ、目障り耳障りなイカコウモリに翻弄される。
俺は落とした斧を拾い、イカコウモリに気を取られているクワガタサウルスへ歩いて近づいていく。クワガタサウルスの一番硬い顎を下から斧で、
「せーのっ!」
思いきりぶん殴る。
ガイイイーンッ!
硬い分、体全体に振動が響いているはずの魔物は状況を良く呑み込めず、とりあえず鱗に覆われた尻尾をぶん回す。頭部の顎をガチガチ激しく鳴らす。どちらも無駄に大振りで、運の悪いイカコウモリには当たっても、ちょこまか動き回る俺には届かない。不要に大きな音を立てるせいで、俺の足音も呼吸音も耳で拾えない。
《報告。中位の魔物パンダグモが接近。絡糸リリエンテイルを発射準備中》
そしてそんな〝大騒ぎ〟を見逃さないのがパンダグモ。待ち伏せ攻撃だけだと飢えるこいつは漁夫の利も狙う。ドサクサにまぎれて攻撃を仕掛けるべく、つねに機会をうかがっている。
ボビュッ!!
頑丈な糸を広範囲に一気に吐くパンダグモ。小さくてもたくさんいるイカコウモリが糸に囚われて捕まる。大型の魔物クワガタサウルスも捕まる。
ピピピピピピピピピピバイバイバイバイバイバイバインッ!!!!!
「…?…?…?」
糸にかかった獲物が大漁過ぎて、どこで起きるどの振動が何の魔物か分からなくなってフリーズするパンダグモ。食える時に食こうとする本能の糸があだになる。偽装振動どころの騒ぎじゃない。そりゃどうしていいか分からなくもなる。
ビュボンッ!!
自分の吐いた糸の上で激しく揺れるパンダグモの振幅を読み、ピノンが風の矢を突き刺す。当たり所が悪くて悲鳴を上げながら落下してきたパンダグモのパンダ首を、俺は斧で切断する。落下の衝撃で折れてくれた首に、斧の刃はうまく入る。首チョンパに成功する。
「ブイイィィィ……」
《注意。魔物モスキートエレファントの体当たりに警戒》
終わりのない戦いが当たり前なのが、魔物との戦闘。
回転切りで眼を斬り落としたアメンボシャコに僅差で勝ち、俺に轟音とともに迫ってきたのは瀕死のモスキートエレファント。目の前で転ばれて押し潰されでもしたら、一巻の終わり。だから、
《「死の芳香デスノート」解除。トップノート:カツオムシのオス。消臭》
突如俺がカツオムシの強烈な死臭を消したせいで戸惑うモスキートエレファント。フレッシュな生きのいい魔物の死体の匂いに呑まれ、足がもつれる。それでも前に進もうとする。足裏でこちらの動きを感知されないよう、そっと歩いて避ける俺。
「ブイイイイッ!!」
自分からパンダグモの糸の巣に飛び込んでしまい、もがくモスキートエレファント。
糸に絡まったその死にかけモスキートエレファントを、同じく糸に絡まるも元気いっぱいのクワガタサウルスが無我夢中で咬みつき、窒息させ、あるいは首を折ろうとする。
シュタ。
自分の置かれた状況を理解できずに攻撃を続けるクワガタサウルスの頭部にピノンが大胆にも降り立つ。
ビュドドドドドドドドドッ!!!!
ピノンがゼロ距離で魔物の複眼に風の刃をぶち込む。そしてすぐに跳んで逃げる。
ズブシャ。ズブ。ズブ。ズブブ。
俺は俺で、クワガタサウルスの腹部の気門という気門にイカコウモリを強引に詰め込む。
元気だったクワガタサウルスは瞬く間に光と空気を失い、猛烈に暴れ、モスキートエレファント以上に糸に絡まる。ますます動きにくくなる。
「ジッギ。ギ。ギギ……」
ピノンが次々に打ち落とすイカコウモリを、俺がどんどんクワガタサウルスの気門に詰め込んでいく。呼吸ができなくて苦しみ出す。たぶん死ぬほど苦しいはず。
「ジギッ!」
そんな地獄の苦しみは、咬みついているモスキートエレファントに命がけでぶつけるしかない。
ゴギィ!
盲目瀕死のモスキートエレファントのぶっとい首が折れるころ、盲目瀕死のクワガタサウルスも完全に窒息して動かなくなる。
「「「「「「「「「……」」」」」」」」」
静寂が戻る。一度始まると間断のない連続殺戮がようやく終わる。
「よし、行くぞ」「はい」
ルーティンになった弱肉強食を済ませた俺とピノンは、血と汚れと汗を掃い、水筒の水をかわるがわる飲み、階層の奥へと進む。
ブーン……ブーン……
55階層に降りて来るまで一度も見なかったツバメバチの羽音をピノンに少しずつたどってもらいながら、俺はツバメバチの集まる大部屋に到達する。
「あれが、ツバメバチの巣ですかね?」
「そうらしい」
そこは学校の体育館並に広い迷宮空間。薄暗い緑色の鉱石ムノーガライトが天井や壁面、床からそこかしこに生えていて、魔物たちの姿を暗く緑色に照らし出す。
一か所に固まって動かないパンクカワニナ。
忙しそうに飛び回るツバメバチ。
そしてツバメバチたちに囲まれるようにして天井から釣り下がる、ツバメバチの巨大な巣。ラグビーボールみたいな紡錘形だ。
《報告。中位の魔物ツバメバチは低位の魔物アリゴブリンと同じく社会性をもつ魔物》
社会性をもつ……。
ハチに似ている姿の魔物だから、そんな気はしていた。
《巣の周囲を飛び回るツバメバチは全てメス。さらにメスは全て産卵能力をもつ》
つまり働きバチに相当するワーカーがメス、か。
脳内再生。ツバメバチの女王は巣の中にいるのか?
《報告。ツバメバチの女王は巣の中心部にいて常に産卵を行う。その世話を焼くのはオスのツバメバチ。なお女王バチが不在の場合、別のメスが新たな女王として〝いつでも〟産卵を行う》
そうか。ということは……
《死んだフリスキル所持者の予測を支持》
「テイザキさん?」
《発動準備完了……判断を》
判断?
スキルを発動する判断?
《発動するかどうかは当然スキル所持者が決めること。スキルが決めることにあらず》
起きることが分かっているのに。
起きることを脳内再生まで賛成支持しているのに。
《賛成支持は結果の確約ではない。発動の意思を示せ》
あのスキルの発動を……俺が……
《質問。では、発動しないのか?》
いや……でも発動すればたぶん……
《たぶんではなく、その想定は高確率で実現する。ゆえに支持》
だからっ!
《質問。なぜエルフを使ってまで、〝ここ〟にきた?》
それは……。
《ここで〝起こせること〟を求めてきたのではないのか?》
……。
《死んだフリスキル所持者に忠告》
何が忠告だ!!発動することをためらう俺に、何を忠告するつもりだ!!
《死んだフリに、〝きれい〟はない》。
「!!」
「テイザキ、さん?」
《誰かの命にまぎれ、誰かの命でまちぶせ、誰かの命をまもる》
……。
《綺麗の対極にある穢れ。それが死んだフリ》
……。
《死んだフリに善悪があるとすれば一つ》
……。
《関わった命を見捨てるか。否か》
……。
《命を見捨てる、死んだフリ》
……。
《それこそただの、汚物》
「テイザキさんってば!」
《死臭をひたすら漂わせ、ひたすら動かぬ、ひたすら冷たき汚物》
……。
《釘崎鉄太郎という死んだフリは、誰の命を守る?》
「ピノン……」
「はい?」
「実はもう一つ、新たに手に入れたスキルがある。それをこれから試す」
「それ、私のお腹が減るスキルだったらちょっとやめて欲しいです」
「あれはやらない。これは相手を発情させて死んだフリをさせないスキルだ」
「え!?……じゃあ、いいかも、です」
「でもここでやるとたぶんマズいことになる」
「そりゃ、魔物の目もありますし、私もちょっと今汚れてますので水浴びとかしてこないと……テイザキさん?」
脳内再生。
俺は決断した。この目で見届ける。そのためにここへ来たと認める。
だから頼む。やってくれ。
《了解。「発情の咆哮モウタマラン」発動》
ヴオン。
「「「「「「「!」」」」」」」
3秒くらい俺の体が赤く光ったあと、飛び回っていたツバメバチのメスが驚き、着地する。巣の表面から中に入ろうとしていたメスのツバメバチも驚き、地面に降りて来る。あるいは壁面にしがみつく。
いずれのツバメバチも、飛ぶことをやめる。
ポコポコポコポコポコ……
走り回り、止まり、バスケットボール大の白い球体を次々に腹部から放出し始めるメス個体たち。
「産卵が始まったぞ。……ピノン?」
「はぁ、はぁ、はぁ、はぁ、テイザキさ~ん」
「……」
ガシ。
「あはん。テイザキさんったら強引!そんなに激しく求められたらピノン、もう我慢できませ~ん」
「ちょっとだけ我慢して一緒に見ててくれ」
「え~?我慢したらテイザキさんのテイザキさんを~ピノンに見せてくれますか~?」
「よく分からないが、あとで見せてやるから静かにするんだ」
「は~い。うふふ~。抱きしめられてピノン。ドキドキが止まらな~い」
ビシバキキ……
巨大な巣の一部に亀裂が走る。亀裂が増える。
ドゴオオオオンッ!
亀裂が炸裂し、崩落する。
ブブブブブブブブブブブッ!!!!!
腹部が巨大なツバメバチが現れる。たぶん女王。
そしてそれに付き従うツバメバチ。あれはたぶん女王の世話役のオス。
《すべて正解》
「カチカチカチカチカチカチカチッ!!!!」
憤怒のあまり、顎を何度も鳴らす女王。そして
グシャンッ!グシャンッ!グシャンッ!
メス個体たちが産んだ卵を次々に踏みつぶして壊していく女王。
タタタッ!タタタッ!ポコポコ。
目立たぬよう飛ばず、走って逃げるメス個体。そして隙あらば卵を地面や石の上に産み付け続ける。
卵。
白い、バスケットボール大の球体。
「あれは~何してるんですか~?」
「ツバメバチのメスが、卵を産んでいる」
「へ~いいなぁ~。ピノンもテイザキさんの卵を産みたいで~す」
「そうか」
「あはん!頭なでなでされて~うれしぃ~」
「なあピノン」
「なんですか~?」
「こいつらツバメバチはほとんどがメスで、みんな卵を産む力がある」
「は~い」
「それなのに、普段は卵を産まない」
「は~い」
「なんでだと思う?」
「テイザキさんがいないからで~す」
「!?……ふっ。それもそうだな」
「テイザキさ~ん?」
「確かに、俺のせいだ」
《報告。あと37秒で「発情の咆哮モウタマラン」が解除》
37、36、35、34、33、32、……
「うふふ~もっと、なでなでしていい子いい子してくださ~い。あっ!耳さわるのダメですぅ!」
21、20、19、18、17、16、15、……
《混沌に備えよ》
「耳たぶは敏感だからダメですよテイザキさんてばーっ!あはっ!あぁ~ん!」
5、4、3、2、1、0。
《命を見捨てぬために》
「「「「「「「「「「「「「!」」」」」」」」」」」」」
ツバメバチのメスたちが止まる。女王が止まる。オスが止まる。
我に返る魔物たち。
ブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブッ!!!!
「テイザキさん…………何、何が起きてるんですか?」
「見ての通りだ」
目の色を変えたツバメバチのメスたちが飛び回り、互いの卵を破壊し始める。
それだけじゃなく、ワーカーであるメスが女王に攻撃を始める。
それを女王護衛のオスが撃退しようとする。
女王は重い身体をなんとか動かしながら、壁を這い、跳び、自分で壊した巣の中へと必死に戻る。
その女王を容赦なく猛追するメス。追いつき、噛みつき、肢をもぎとる。腹を食い破る。
女王を守ろうと護衛オスは女王のもとに向かうが、暴走したメスがオスの肢と羽をもかみ切る。八つ裂きにして殺す。
女王は死に体で巣に帰還する。破れた腹部から卵を産めなければ、死ぬしかない。
女王が視界から消えたツバメバチのメスたちは卵という卵を徹底して破壊し、破壊が終わると卵を産んだメス同士で殺し合いを始める。敗れた方は死ぬしかない。
モゾモゾ。
パンクカワニナが、やっぱりこのタイミングで動き出す。
俺の死んだフリスキル「モウタマラン」で互いに交尾しようと動き出したものの、産卵の場所を確保しようと走り回っていたツバメバチにあちこちからぶつかられ、驚いて身を守るべく殻にこもっていたパンクカワニナ。
こいつらは交尾ができず、結局死んだフリを続けた。
でも今は違う。
死んで動かないツバメバチのメスの死骸めがけて、ゆっくりと移動するパンクカワニナ。
パックン。
ツバメバチの死骸の上にゆっくり覆いかぶさり、速度を落とさず通過していく。その後には何も残らない。ツバメバチが互いに壊した卵の上も、パンクカワニナは通過し、その後にも何も残さない。
性欲を満たせず、強制的に死んだフリを長時間させられた報復。
それは食欲の暴徒となること。ゆえに強引な栄養補給が始まる。
《支持》
ブブブブブカン!ブオンブオンブオンブオン!!!
食事中のパンクカワニナにツバメバチが偶然ぶつかる。すると今度は死んだふりをせず、電話ボックスほどもある大きな硬い貝殻を激しく振り回す。俺がカツオムシの残骸と一緒に石を投げつけた時とは比べものにならないくらい、激しくぶん回す。
ガンッ!
運悪く殴られたツバメバチのメスは慌てて逃げていく。外骨格をへこませた状態で。
発情後にキレるツバメバチ。
迷惑行動にキレるパンクカワニナ。
想像通りの地獄絵。
キリングフィールド。
「力を合わせて生きる奴らっていうのは、〝抜け駆け〟を許さない」
「ツバメバチ……ですか?」
「ああ。死ぬまで卵を産むことが許されず、卵を産むことを唯一許された女王のために一生を捧げなきゃいけない働きバチのメスは、勝手に卵を産んだ働きバチのメスを、同僚を、ワーカーを、死ぬまで許さない」
「………」
「これが社会性魔物の繁栄の代償。究極の監視社会ってやつだ。一歩間違えれば全滅する。あるいはピノンがさっき言った通り、俺がいつまでもいれば全滅する」
と言った俺にピノンが抱き着いてくる。今度は震えながら。
「すまなかった。〝こわいもの〟を見せて」
「いいえ。…………テイザキさんの、テイザキさんを私は、全部受け入れます」
「そうか」
「体……すごく冷たいですよ?」
「………」
「もう、できたんですね」
「ああ」
できた。
メリュジーヌ・レイクホルト。
あいつを倒す算段はできた。
「50階に向かおう」
「……はい。喜んで」
ピノンに声をかけた俺は、俺のせいで激変したツバメバチの巣に手を合わせ、まだ息のあるボロボロのツバメバチのメス一匹を捕獲し、巣を後にした。
地上迷宮セキドイシ59階層。
(淵位の魔物ベルゼブブの石化は一応成功)
魔物の死骸と鉱石で練り固め、上層60階への通路を完全に封鎖したメリュジーヌ・レイクホルト。
(とはいえ相手は魔王の幹部である淵位の底壱。テッポウキノコの寄生支配のように、石化魔法すらも解かれる可能性は高い)
目を閉じつつ、封鎖した通路の向こう側にいる魔物たちの気配を感じ取ろうとするメリュジーヌ。魔物ベルゼブブの相手をした魔物バジリスクは既に魔力を使い過ぎて死にかけている。
(フェンリルの気配が消えるよりも前にベルゼブブは現れた。つまり宝具オクリオオカミを失ったことが、底壱が送り込まれた理由ではない)
バジリスクの状態を知ったメリュジーヌはようやく歩き出す。
(セキドイシ頂上で最初に起きた異常事態。あれは魔法の波長からして、天使による召喚の儀式。異常ではあるものの、経験は何度かある。しかしその直後の淵位の召喚……かつて一度も経験がない)
カツン。カツン。カツン。カツン。
メリュジーヌの足音を聞いた動物も魔物も、ことごとく逃げ散っていく。
(あのエルフは1階層から上層へ転移してきた。もし最初からエルフが狙いなら、1階層あるいは迷宮の外に底壱を送り込み、そこでエルフを仕留めれば良かったはず。底壱自体も、魔物より人間を餌にした方がはるかに易く強化できるというもの)
カツン。カツン。カツン。カツン。
魔物パンダグモがメリュジーヌの足音に気づき、糸を急いで回収して逃げる。
(すると、魔王が底壱をわざわざ上層から送り込んだ理由は二つに絞られる)
カツン。カツン。カツン。カツン。
アメンボシャコがパンチを封じて音を立てないようセカセカと逃げていく。
(かつて封じたウゴエを取り出す必要が生じ、セキドイシを完全に壊すため。あるいは)
魔物イカコウモリと魔物パンクカワニナ、魔物カツオムシは全力で死んだフリをして、メリュジーヌをやり過ごす。
(あの謎めいた、おそらくは天使の異世界召喚によって現れた人間を一刻も早く排除するため。そのために追跡者のごとく底壱を送り込んだ)
カツン。カツン。カツン。カツン。
微動だにせず、周囲の風景に溶け込もうと努力していた魔物クワガタサウルスと魔物モスキートエレファントだったが、突如現れた一匹の魔物ツバメバチに気を取られて、つい体の一部を動かしてしまう。顎の先が5ミリ。吻の先が1センチ。
ドグシュッ!!!
モスキートエレファントがメリュジーヌの裾から伸びた魔物ネブタオオムカデの強靭な顎に咬まれて内臓を食われる。メリュジーヌの〝立ち食い〟に戦慄したクワガタサウルスがあわてふためいて逃げる。切り札の翅を広げて逃げようとするも、久しぶりの飛翔は失敗し、岩壁に激突する。崩れた岩の下敷きになり、勝手に生き埋めになる。
ブブブブブブ……
その瓦礫の隙間に潜っていき、クワガタサウルスの生肉を体から千切っては飛び去る魔物ツバメバチのメス。それを目でおっとりと追うメリュジーヌ。
(55階層まではたどり着きましたか。やはりただ者ではないのですね)
カツン。カツン。カツン。カツン。
ネブタオオムカデの食い残し魔物に集り、遅れて同僚のワーカーを追いかけるツバメバチのメス。自分の傍らをすり抜けるのを見逃すメリュジーヌ。
(そして孤狼の弓オクリオオカミは今、50階層にある。つまり)
「いらしたのですね。私を殺しに」
ようやく「うふふ」と声をたて、セキドイシ中層の支配種メリュジーヌは自分の居住層へと降りていく。急がず焦らず。
カツン。カツン。カツン。カツ。
(ひどいニオイ……)
地上迷宮セキドイシ50階層。
既に魔物ハナクジャクの死臭が充満している。
(これでは鼻が、使い物になりませんね)
カツンカツンカツンカツンカツン。
足早に、死臭の強くなる方へ、つまり自分の塒に戻るメリュジーヌ。
「女の家に無断で入っただけでなく、死香を焚くなどと、あなたは一体どういう神経をしているのでしょう」
死臭の立ち込める暗く細長い通路を抜けた先にある、穴だらけの巨大空間。
そこで女は優雅に言葉を投げかける。
「………」
声の先に立つのは、一人の少年。
ヤギヘビの皮膚をヤギヘビの毛で縫った不思議な服をまとう、黒髪の少年。
モスキートエレファントの吻を添木代わりにして左腕を固定している少年。
召喚者。釘崎鉄太郎。
「あの奴隷エルフはどうしたのです?もしや魔物の餌にでもくれてやったのでございますか?」
そう言いつつも、孤狼の弓オクリオオカミの発する魔力で弓の座標を正確特定できるメリュジーヌは、エルフの少女がどの穴通路に隠れているかを既に感知している。
「それにしても……」
ブーン………
メリュジーヌが上を見渡す。
メリュジーヌ自身が長い時間をかけて収集し配置した色とりどりの発光鉱石で照らされた明るい空間内で、ワーカーであるツバメバチのメスたちが、縦横無尽に飛び回る。
デスノートという死臭を避けながら。
メリュジーヌという殺気を避けながら。
「ずいぶんと賑やかになったこと」
55階層にあったのと同じ規模のツバメバチの巣が、天井からぶら下がる。
エルフであるピノンの治癒魔法で回復させた、たった1匹のツバメバチのメスから少年が造らせた、人工の巨大巣。
「………」
1匹のツバメバチのメスを女王に仕立て、繁栄する巣を築かせた少年は動かず、メリュジーヌを静かに見つめる。
「……」
そして少年とメリュジーヌの間にいくつも立つ、公衆電話ボックスのように大きな巻貝。すなわち魔物パンクカワニナ。死んだフリをしたまま、一切動こうとしない。
(底壱を送り込まなければならないほどの召喚者だとすれば、油断はできない)
「私はペットを飼う趣味がございませんので、全て処分いたしますね」
宣告して、メリュジーヌが人間の擬態をやめる。
ジャガガガガガガガガッ!!
太古の魔物ネブタオオムカデの姿になると、召喚者の少年の元へまっすぐ爆走していく。
ブオン。
少年の体が赤く光る。死んだフリスキル「飢餓の咆哮メシマダカ」が発動する。
ズズズ……
腹をすかせたパンクカワニナが死んだフリを続けられず、動き出す。
ツバメバチのメスたちがネブタオオムカデを餌と認識し、無謀にも突っ込む。
(魔物を状態異常にする魔法を使用するのですね。しかし私には効きませんよ)
ネブタオオムカデは顎で噛みつこうとするツバメバチたちを無視し、動くパンクカワニナたちを容易く避けながら、召喚者の少年へと影のように素早く迫る。
ヒュボッ!カンッ!
「?」
ネブタオオムカデの移動用の穴通路の一つに隠れていたエルフが孤狼の弓オクリオオカミで風刃ハナチラシを放つ。それは這い動く魔物パンクカワニナの殻に当たる。
ブンブンブンブンブンッ!
矢が当たるや否や、パンクカワニナは激しく殻を振り回す。動きは鈍重だが高さ2メートル重さ1トンの殻と筋肉塊をもつ魔物の動きがネブタオオムカデの走行を妨げる。外骨格は無傷だが、パンクカワニナの殻を押しつけられた圧力でネブタオオムカデの内臓に痛みが走る。
(エルフの分際が、なめた真似を)
高所からの連続射撃でそこらじゅうのパンクカワニナをばね人形のように踊り狂わせるエルフに対し、業を煮やしたネブタオオムカデが攻撃の矛先をエルフに切り替える。
ドスンッ!ジャガガガガガガガガッ!!!!
広間の岩壁に飛びつき、鉱石を蹴飛ばしながら多足を動かして高速で這いあがり、エルフの籠る穴通路に達するネブタオオムカデ。
(逃がさぬ)
明るい穴通路の奥へと駆けていくエルフ。それをネブタオオムカデが猛追……
(?)
できず、減速する。通路内に転がる、たくさんの白い球体に眼が止まる。
(ツバメバチの卵か。……そしてなぜこんなところにコイツがいる?)
白い球体の次に現れたのは、ゆるゆる動く電話ボックス級の魔物。
ザザァー!ヒュボッ!カン!ブンブンブンブン!
広くない穴通路に入り込んで進むパンクカワニナと地面との狭い隙間をスライディングですり抜けたエルフはその状態でパンクカワニナに風刃ハナチラシを撃ち込む。また電話ボックスがばね人形になる。
(こしゃくな!)
苛立ったネブタオオムカデが顎を大きく開く。
ガゴミシィッ!!!
高硬度のパンクカワニナの殻をネブタオオムカデの顎がかみ砕く。ただし筋肉塊で顎の勢いは止められる。それでもネブタオオムカデの顎は怪力を発揮し、パンクカワニナの死後硬直した鋼の筋肉をとうとう切断する。
バクバクバクンッ!カシャカシャカシャカシャッ!!!!
目の前に点々と転がる白い球体を頬張りエネルギーを補給し、エルフを追うネブタオオムカデ。エルフは既に別の穴通路の入り口にいて、ネブタオオムカデを狙撃できる体勢にある。
ヒュボッ!ボニュンッ!
一度パンクカワニナに殴られたネブタオオムカデの体節部分をあえて狙ってくるエルフ。風の矢ごときでダメージなど通るはずもないが、その行為自体が癪に障るネブタオオムカデは移動速度を増す。足先と筋肉と顎に殺意を満たしていく。
(あの小僧の面前で食い殺してやる)
残忍な想像を膨らませながら、またもや自分のための穴通路へと飛び込むネブタオオムカデ。走る。バスケットボール大の白球。走る。逃げるエルフ。走る。邪魔するパンクカワニナ。
(なんでこんな所にまでパンクカワニナが来る?エサ不足でこんなところまで這い上るのかこいつらは)
パンクカワニナの固すぎる筋肉を切断しながら苛立ちを隠せないネブタオオムカデ。パンクカワニナが探し回っている餌であるツバメバチの卵を先に食らい尽くし、何度も何度もエルフを追う。向かってくるツバメバチのメスを虐殺しては食らい尽くす。
「「「「「「「?」」」」」」」
11回目の穴通路攻略を終えた時、魔物ツバメバチと魔物パンクカワニナの様子が急変する。
ハッとしたネブタオオムカデは最初から同じ場所に立ち尽くす少年を確認する。
ヴオン。
少年の体が赤く光る。「発情の咆哮モウタマラン」を発動。
(別の状態異常魔法をかけたか)
ツバメバチのメスというメスが、あらゆる穴通路へ向かって逃げるように散っていく。
逆にパンクカワニナが穴通路からモゾモゾと出る。最初から地面にいたパンクカワニナはパンクカワニナ同士で寄り添い、ユルユルと交尾を始める。
ズーン……ズズーン……
天井が震える。ツバメバチの巣全体に亀裂が走る。ツバメバチのオスたちが巣から飛び出してくる。恐る恐る巣の周りを飛び続ける。
「ガチガチガチガチガチガチガチガチガチガチッ!!!」
やがてツバメバチの女王が巣を砕き壊して外へと現れる。狼狽えたように飛び回るツバメバチのオス。
ブブブブブブブブドガーンッ!!!!
穴通路の入り口一つに自分からぶつかっていき、上半身を突き込む女王。中でコッソリ産卵しようとしているツバメバチのメスを食らおうと必死になる。が、腹部が大きすぎてつっかえたまま、中に進めない。
ヒュボボッ!
「?」
いつの間にか召喚者の少年の隣に立ったエルフが、少年の左腕の添木に使用していたモスキートエレファントの吻2本を矢にして撃ち放つ。
ボズボズッ!
1本の吻矢は、一つの穴通路の入口に刺さる。
もう1本の吻矢はネブタオオムカデの体節と体節の柔肉に突き刺さる。
(エルフが図に乗るな!)
皮膜を破られて、ネブタオオムカデのプライドが大きく傷つく。
ズゥーンッ!!
山崩れのように駆け降りてエルフと召喚者二人を抹殺しようと動いた瞬間、壁面が波のように揺れる。ネブタオオムカデの多足は本能的に壁をひっかくむように掴む。
「ガチガチガチガチガチガチガチガチガチガチッ!!!」
顎を激しく動かすツバメバチの女王がモスキートエレファントの吻矢の刺さった穴通路に今度は飛びつき、全力で殴って通路を破壊する。そして間髪入れず、ネブタオオムカデのもとに跳んでくる。
(なぜ女王がこっちに来る?)
そう思った時、自分の体に刺さる吻矢の〝付属物〟に気づくネブタオオムカデ。
(吻にツバメバチの卵をくっつけて飛ばしたというのか?)
エルフが弓で吻矢を放つ瞬間、召喚者の少年はエルフに運ばせたツバメバチの卵を二つ、宙に放り投げた。
ヒュボボッ!!
卵を射貫いた状態でエルフの吻矢は飛ぶ。
ボズボズッ!
吻矢はツバメバチの卵もろとも穴通路の入り口と、ネブタオオムカデの皮膜に突き刺さる。
(クソが)
ネブタオオムカデが苦々(にがにが)しげに思う。
ツバメバチのメスの卵の在る所、荒れ狂うツバメバチ女王は現れる。
ジャガジャガジャガジャガッ!!!!
多足だが関節の可動域には限界があり、体をねじって取る以外ネブタオオムカデが吻を抜く手段はない。しかしツバメバチ女王は目前に迫り、体当たりを仕掛けてくる。体重と加速度が他のメスよりはるかに大きいツバメバチ女王の攻撃はバカにならない。ネブタオオムカデでも、当たり所が悪ければただでは済まない。
(相手にするのは馬鹿馬鹿しい)
ジャガジャガジャガジャガッ!!!!
そう判断したネブタオオムカデは目の前の穴通路に潜ってしまう。ツバメバチ女王がその壁穴をぶち割りながら全身をつっこみ、身動きもろくにとれないくせに顎だけ鳴らして威嚇する。相変わらず下半身の腹部は大きすぎて入りきらない。穴に栓をするだけになる。
(間抜けめ。ここはあくまで私の巣穴だ)
女王をやり過ごしたネブタオオムカデの穴通路には、白いバスケットボール大の卵が大量に植えつけられている。
(そんなに同胞の卵を壊したいのなら代わりに壊してやる)
白い球体を食べながら高速で先へ進むネブタオオムカデ。ツバメバチ女王が暴れて崩落し塞がれたばかりの穴通路を、持ち前の怪力でブルドーザーのように一気に押しのけ、開通させようとする。
(ここから出てあの小僧どもを殺したら真っ先に女王を食ってやる……?)
ブーンブーンッ!!
(なに?)
再開通させた目の前の穴へ、次から次に入ってくるツバメバチのオス。その後ろには「発情の咆哮モウタマラン」が切れて戦闘狂になっている、ツバメバチのメスの集団。
(人間ごときに洗脳され振り回される雑魚どもが。邪魔だ!)
総数に対し圧倒的に数が少ないにもかかわらず、本能によって女王の護衛を続けるツバメバチのオス。図体がでかすぎて穴通路に引っかかって身動きをとれず、「頭隠して尻隠さず」状態になっている女王の身体を守るため、本能はオスを二手に分けた。
結果。女王の尻を守る少数のオスは大多数のメスに速攻で虐殺される。
一方で女王の頭を守る少数のオスは穴通路の前から入る。穴は崩落して塞がっていたが、ネブタオオムカデのおかげで開通する。そして何も知らず、ネブタオオムカデの大顎のある頭部へと自分からオスは突っ込んでいく。
(すべて死ね)
ガゴシャッ!ムシャムシャムシャッ!!!
ネブタオオムカデが大顎でツバメバチのオスをかみ砕いて食らう。
勢いは止まらず、ツバメバチのオスの後ろにいて穴通路にまだ残る〝抜け駆けメスの卵〟を破壊しようと躍起になるツバメバチのメスをもネブタオオムカデはぶち殺す。しかしツバメバチの数があまりに多すぎてなかなか前に進めない。
しかも。
ブブブブブブブ……
(後ろからなぜ羽音がする?)
女王の尻は既に陥落。
ツバメバチのメスたちに女王は腹部から食われてとうに死亡し、それでも抜け駆け卵を破壊するために女王を食い貫いて穴通路を突っ走るツバメバチのメスたちがネブタオオムカデに尾部から集る。
ネブタオオムカデの籠る穴通路へ前と後ろからどんどんツバメバチのメスが入ってくる。
もはや魔物ハチと魔物ムカデのすし詰め状態。
通常の魔物なら圧死する状況。
(これがあの小僧召喚者の狙いか。くだらぬ!)
ネブタオオムカデが魔力を肉体に流す。
筋力が増し、外骨格の強度が増し、毒液の量が増える。
目の前のツバメバチのメスをことごとくかみ殺し圧殺地獄を進む。
ネブタオオムカデはもう食べない。
食い過ぎた体の節々(ふしぶし)は既にどれもこれもはちきれる寸前まで膨れている。
ゆえにただ殺す。咬み殺す。轢き殺す。踏み殺す。刺し殺す。斬り殺す。潰し殺す。
ひたすら殺す。殺して殺して前につき進む。
(っ!……この)
あと少しで穴通路から出られるというところで、不意を打たれるネブタオオムカデ。
(鈍間の分際で)
ゆっくりと斜面を這いあがって、やっとのことでネブタオオムカデのいる穴通路までたどり着いたパンクカワニナが1匹。
(私に立ちはだかるのか!)
その1匹に、
ガギィィィイイインッ!
ネブタオオムカデは今までため込んだフラストレーションの、
ブオンブオンブオン!!
全てをぶつける。
ミチミチミチミチ……
暴れ動く殻を大顎の一撃で噛み砕き、2本の毒顎をパンクカワニナの筋肉に刺し込み、毒顎のみで、硬直しつつある肉を切断しようとする。
ブオン……。
(……パンクカワニナが、襲われて暴れる?)
毒顎でいつまでもパンクカワニナの筋肉が噛み切れないうちに、ネブタオオムカデはふと、違和感を覚える。
ズズズズズズズ……
(それに、なぜだ?)
魔物の筋肉を咬み千切れないまま、死後硬直するパンクカワニナとともに斜面を転がり落ちていくネブタオオムカデ。
(なぜ、私の体は力が入らない?)
多足はただひくつくだけで、力が全く入らない。そしてそこへ群がってくるツバメバチのメス。
ガブッ!ガブハブガブハブガブッ!
ひっくり返っているネブタオオムカデの柔らかい腹部に鋭いツバメバチのメスの顎が食い込む。やがて体節の外骨格が剥かれ、中身のたっぷり詰まった内臓が食われていく。ネブタオオムカデの体内に鋭い痛みが走る。
ムシャムシャムシャムシャムシャムシャ!!
かつて味わったことのない魔味に取り憑かれ、夢中で肉を貪るツバメバチのメス。ネブタオオムカデの臓器という臓器が瞬く間にツバメバチのメスの胃の腑に消えていく。
(こいつらは共食いをし)
ムシャムシャムシャムシャムシャムシャムシャムシャムシャムシャムシャムシャムシャムシャムシャムシャムシャムシャムシャムシャムシャムシャムシャムシャ!!
(互いの卵を壊そうと病み狂っていたのではなかったのか?)
ひっくり返ったまま、ネブタオオムカデは元凶をつくった召喚者の少年を探す。
少年は青い光を全身から放つ。
つまり「飢餓の咆哮メシマダカ」の発動。
(状態異常の魔法を変化させ、ツバメバチを再び洗脳。しかし状態異常魔法は私に通用しな……?)
朦朧とする意識の中、ネブタオオムカデは大部屋の片隅で喧嘩する2匹の魔物に気づく。
「ギョッギョ!」「ギョギョギョッ!」
白いバスケットボール大の球体をばらまき終え、互いを蹴飛ばし合いながら叫ぶ魔物個体2匹。
魔物。
カツオムシ。
しかも、オス。
(……そういう、ことか)
すべてを理解したネブタオオムカデの眼から光が消える。力んでいた肢の先がダラリとなる。顎が閉じなくなる。
(運命を分ける状態異常魔法の使用に加え、尋常ではない洞察力と頭脳と度胸……魔王がベルゼブブを送り込んだ理由がようやく分かった)
体を食われ過ぎたネブタオオムカデは、完全に動かなくなる。
ジジ……ドサドサドサ……
ネブタオオムカデの肉を食らっていたツバメバチのメスたちが徐々にひっくり返る。旅立つ前のネブタオオムカデのように、痺れて動けなくなる。
「本当に、勝ったんですね」
エルフが少年につぶやく。
「分からない。死んだフリかもしれないから触角くらいは斬り落としておく」
「はい」
ザスッ!ザスッ!
動かないネブタオオムカデに近づいてきた召喚者は、右手に握るバトルアックスでネブタオオムカデの触角を断ち切る。
ヒュボンッ!ヒュボンッ!
召喚者の少年と一緒についてきたエルフは、痺れて動きの鈍っているツバメバチに至近距離から風刃ハナチラシを放ち、次々に絶命させていく。
「どうして、弱点がカツオムシの精包だって分かったんですか?」
ツバメバチのメスを殺しながら、エルフが召喚者に尋ねる。
「これは昔、センセーって大人から教わった」
エルフと同じくツバメバチのメスを斧で殺して回りながら、召喚者が答える。
「俺たちヒトと虫は、体のつくりが真逆なんだ」
「真逆?」
「そ。背中に神経があって腹に内臓があるのが俺たちヒト。背中に内臓があって腹に神経があるのが虫。逆だろ?」
「そうなんですか」
「ああ。体の造りだけじゃなくて体の中で働くクスリも真逆だったりする」
「どういうことですか?」
「同じ薬でも、俺たちヒトが食べると旨くてうれしくなって元気が出るけど、虫が食べると元気が出るどころか体が痺れて何もできなくなるってことだ」
「そんなことがあるんですか?」
「ある。それに気づいた昔の人は、自分たちの腹の中に入った悪い虫を退治するために、旨い薬を飲んだんだ。名づけて虫下し」
「へぇ。昔のヒト、すごすぎです」
グルタミン酸。
ヒトの味覚に旨味として働くその化学物質は、ヒトの中枢神経を動かすのに必須の物質。
一方でグルタミン酸は節足動物に対し、末梢神経を動かすために働く。
すなわちグルタミン酸を浴びたり摂取した虫は、末梢神経が勝手に興奮を起こす。
末梢神経とは筋肉を支配する運動神経。
ゆえにグルタミン酸にさらされた虫の筋肉は勝手に収縮し、弛緩できなくなる。
魔物たちの反応をつぶさに見てそのことを思い出した召喚者の少年は、〝それ〟を魔物たちに応用した。
カツオムシの精包。
グルタミン酸を超豊富に含む精子の塊。
昆虫型魔物にとって、禁断の果実。
食べれば痺れると分かっている魔物たちは本能的にカツオムシの精包も、精包をつくるカツオムシのオスも避ける。
故にアメンボシャコは、カツオムシのメスしか食わない。
虫よりもヒトに近い体のつくりをもつモスキートエレファントとクワガタサウルスとパンクカワニナとパンダグモは影響がないため、カツオムシをオスメスの区別なく、精包も含めて食べる。
キィィィィ……ン
「テイザキさん!何か光ってます!」「!?」
そして、虫に近い体のつくりをしているツバメバチは、カツオムシのオスとその精包を避ける。
同じく古代の魔物ネブタオオムカデもカツオムシのオスと精包を避ける。
「どうしますか!?」「光から離れろピノン!」「はい!」
虫が食べれば痺れるカツオムシの精包。
それを食べてしまった魔物ネブタオオムカデは動けなくなり、その魔物肉を食ったツバメバチのメスも痺れて動けなくなった。
そして今、召喚者とエルフによって命に止めを刺され、死骸となり、光となり、集まる。
「見込んだだけのことはありました」。
光が凝縮し、淡い水色に輝きながら、ヒトの型をとる。
「カツオムシの精包とツバメバチの卵の形が酷似していること……嗅覚を封じればネブタオオムカデが誤食してしまうこと……」
淡水光が召喚者の少年に語る。
裸形の女のような体型を保ったままの光はけれど、首の部分だけ赤黒く染まっていく。
「よくぞ気づいてくださいました」
「誰かさんがたくさんヒントをくれたおかげで気づけた」
召喚者の少年は光女の濁る首を見る。
淡水色の光の首まわりだけ、赤黒い光が強さを増していく。
「そうですか。それは賢くて良かったです」
「お前は一体、何なんだ?」
「〝それ〟と一緒です」
淡水色の光は手のひらを上に向けて、エルフへと伸ばす。エルフの手には孤狼の弓オクリオオカミが握られている。
「私はセキドイシの財宝の一つ。百妊一首ハタタナガシ。ヒトでも魔物でもございません」
光はそう名乗り、力なく腕を下ろす。
「セキドイシに眠る財宝は互いに共鳴します。ゆえに宝弓オクリオオカミが移動するはずのない59層より下に降りてきた時は、胸が時めきました」
エルフの位置を特定できた種明かしをしつつ、水光女はうっとりとため息をつく。
「これでやっと死ねます」
「!」
思わぬ言葉を耳にし、驚くエルフ。
「あなたほど力のある人間を脅す必要はないかもしれませんが、私がこうして話していられるのも時間の問題です。バジリスクの生まれ間際に立ち会ったかと思います。この迷宮セキドイシは必要とあれば〝そこにある物〟で〝必要な物〟を拵えます。私もこのままだとまもなく別の魔物の器を用意され、それと融合し、支配種として再び復活するでしょう」
淡水光はそこまで告げて、自分の首にそっと手を当てる。
「ですからその前に、このハタタナガシをお切りください。そうすれば新たに生まれる支配種の力をかなり削げます。宝具の力を用いず、魔物の骸だけでバジリスクのような強力支配種を造る場合、フェンリルやコカトリスのように合成材料とする魔物自体がそもそも強くなければ迷宮セキドイシとて難しい。ですが、ここにはもうそのような強さを誇る魔物はおりません」
「「……」」
「壊したハタタナガシは決して身に付けず、迷宮の外へただ持ち出し換金さえすれば、それで財を築けるでしょう。いずれにせよあなたがたにとって損はない話です」
立っていた淡水光の塊が、音もなくそっと膝をつく。ゆっくりと首を垂れる。
「さあ、宝具もろとも私をお刎ねください」
召喚者の少年は身動きせず、首を垂れた淡光女をじっと見る。
「俺の召喚者とかいう変な奴だから、頭の中には妙な知恵袋があって、そいつがバジリスクのことを色々教えてくれた」
「対象物を石化する魔眼についてでしょうか?」
「そうだ。それにはとうてい及ばないが、実は俺も魔眼をもっているらしい」
「そうでしょうね。そうでなければネブタオオムカデが敗北するはずありませんもの」
「俺の眼は、相手が「死にたがり」かどうかが、分かる」
「それ以外にもいろいろと慧眼を持ち合わせている気がしてなりませんが」
「俺は「死にたがり」と「死んだフリ」しか見分けられない」
「そうですか。それで、私はどちらでしょうか?」
「そうだな……」
召喚者の少年は一呼吸置いて天井を見上げる。壊れたツバメバチの巣を見る。
「どっちでもない」
「それは……そんなに私が惨めに映るのですか?」
淡水光の塊が首を上げる。少年を見つめる。
「それとも私を辱めたいのでしょうか?」
「そんなつもりなんて全然ない。俺は見えたままを伝えてる。生きてるのが嫌すぎて殺されたがっている人間にしか見えない」
言われた淡水光が震えだす。首元の首飾りハタタナガシから黒い靄のようなものが澄光を冒し始める。
「私は元々、人間です」
召喚者を見つめ続ける水光女。その女に目を合わせず、上を向いたままの召喚者。
「ファーストネームとセカンドネームをもっていたからそれは想像がついた」
「貴族の家に生まれました」
(なんで私を見ない?さっきまであんなに私を見つめていたのに)
「優雅な喋り方とか身のこなしとか、それも想像がついた」
「身体的な理由から、親に見放され、自暴自棄になり、いつごろからか、冒険者と駆け落ちました」
(私を見ろ!)
「そうか」
「冒険者と共にこの迷宮セキドイシにたどり着き、そしてこのハタタナガシを手に入れたのです」
(私を見なさい!)
「そうか」
「迷宮の魔物は常に強い。それに対して人は常に弱いのです」
(私を無視するな!無視しないで!)
「そりゃそうだ」
「強き冒険者と駆け落ちた私ですが、その冒険者とともに魔物に追い詰められ、とうとう心中を図りました」
(私から目を背けないで!)
「……」
「けれど片割れだけ。生き残ってしまったのは私だけです。この身にハタタナガシを帯びていたから」
「それで迷宮の支配種に選ばれたわけか」
「はい。この宝具ハタタナガシは魔物と私を繋ぎ合わせる枷。繋がれたムカデのごとき魔物が弱り果て、支配率が落ちたことでこうして私は訴える機会をかろうじて得られたのです」
「何を訴えたいんだ?」
「わざと、とぼけているのでしょう?」
(私を、見てよ)
「何のことだ?」
「テイザキさん。この貴族の女は、つらいから殺して欲しいと言っています」
「何がつらい?」
「それは……」
エルフは口ごもる。
(生きることが嫌で殺されたがってるって、自分で言ったくせに)
好きな男に、腹が立つエルフ。
「生きるのがつらいから殺して欲しい。都合がいいな」
ハナクジャクのデスノートを回収する召喚者。冷たい風がネブタオオムカデの巣穴に流れて来る。
「大切な人を殺して生きのびてるのに」
「ちが……」
最後まで言おうとしたが、間違っているとは言えず、黙す水光女。
上を向いていた少年が、水光女に視線を向ける。
「卑怯者」。
言われた水光女も、隣で聞いていたエルフも、男の言い放った言葉で凍り付く。
「忘れたくて死にたがるヤツは、ただの卑怯者だ」
光女もエルフも思考が停止し、頭が漂白される。
「好きな人と一緒に死んで、一緒になれるかどうかなんて、誰にも分からない」
「「………」」
「でも生きていれば、「ずっと好きだ」って思い続けられる」
震えることでしか、感情を表現できない女二人。
「好きな人を殺した責任はとれ。もっと生きろ」
少年は逆手に握った斧を思い切り振り上げる。
ガシャンッ!シュオンッ!!!
「いつまでも一緒だと信じて生きろ」
斧の刃はメリュジーヌ・レイクホルトのハタタナガシだけを断ち斬る。
宝具ハタタナガシのみの破壊。
女の魂は魔物の肉で復活する代償を支払うが、「それでもセキドイシの永劫呪縛からは解放される」と天の声に教えられた召喚者は言葉を結ぶ。
「言い過ぎた。調子に乗ってごめん」
真心からの、余計な一言を添えて。
「……」
その一言を添えてしまう男を、改めて愛おしそうに見つめるエルフ。鼓動が高鳴る。
「……」
その一言が、かつて愛した冒険者の口癖だったことを思い出し、何かを叫びそうになる水光女。鼓動が早まる。
水光女は堪えきれなくなり、再び首を垂れる。
ハタタナガシを失った光は、やがて地面から這い上がる魔物の血肉と泥で濁り始める。
褐色で張りのある人肌が生まれる。艶やかな赤い髪が生まれる。強く脈打つ心臓が生まれる。黒い瞳が生まれる。大粒の涙が生まれる。
生前の姿に戻る。生まれたままのように、身も心も裸で泣きながら。
「それにしても、先に進めないぞこれ」
「イカコウモリの遠い鳴き声からして、この分厚い土砂の下に下層への入口が埋もれている感じです」
ゴロゴロゴロゴロゴロ……
「「ふぁ?」」
《報告。魔物ネブタオオムカデの魂核が消滅したため、地上迷宮セキドイシが新たな支配種を合成中》
天の声を聞いた召喚者はそっと女の方を見る。
「……」
顔を下に向け、口に手を当てて泣く女は相変わらず姿勢を崩して座ったまま。
けれどもう青く光り輝いていない。禍々(まがまが)しくもない。
しっかりと、受肉している。ネブタオオムカデたちの血肉で。
《支配種は40階から50階の各層に均等分布。上位の魔物ナルカミゴーレム》
「ナルカミゴーレム……」
「ナルカミゴーレム?支配種の魔物の名前ですか!?」
「ああ。しかも知恵袋が均等分布しているとか言ってる」
《報告。40階層から50階層にかけ、階層内の全ての魔物をとりこみ合成された上位の魔物ナルカミゴーレムをセキドイシが緊急配備》
「なぁ脳内再生。それは俺たちがネブタオオムカデを倒したからか?それともあいつのせいか?あの、上にいるベルゼブブ?」
《不明。上位の魔物ベルゼブブは石化状態にあり現在のところ動きなし》
「理由は分からないとさ。でもベルゼブブのやつは魔法の力で石にされたらしい」
「とうとう石化しましたか。バジリスクとやりあったことなんて私はもちろんありませんが、石化魔法なんてもの受けたら、普通おしまいですよね?」
《ただしベルゼブブからは固有周波数が微弱だが発振中》
「う~ん、そうでもないらしい」
「え!?」
《60階層の支配種バジリスクは魔物ベルゼブブとの戦闘で魔力の消耗甚大。ベルゼブブと再戦した場合は排除される可能性大》
「ベルゼブブは石になってもまだ生きてて、ベルゼブブとやりあったバジリスクはもう疲れて、もしかしたらどうにもならないそうだ」
《報告。現在ベルゼブブ以上に脅威なのは》
「テイザキさん!石が!石が!!石が!!!あわわわ……」
《目の前にいる、セキドイシ迷宮内において最硬度の魔物ナルカミゴーレムの存在》
土砂が大小を問わず跳ね飛ぶ。死骸が、屍液が舞い上がる。融合する。
召喚者の少年とエルフの前には、瓦礫と魔物たちの死肉を吸収して完成した巨大な人型魔物。雷石魔人。
「ムムム」
49階層への入口前に立ちはだかるナルカミゴーレムが右足を引き、右腕を振りかぶる。
「ピノン!」「はい!」
召喚者の少年がエルフに合図を送る。大きく息を吸ったエルフが移動しつつ、息を止めたまま風刃ハナチラシをゴーレムめがけて放つ。少年はエルフと逆方向に走りながら、死の芳香デスノートをはなつ。トップノートはパンダグモ。
ボッ!!!!
「!?」
少年の死臭もエルフの風矢も全く通じず、二人に見向きもしないナルカミゴーレムは、まだ倒れている裸の女めがけて、渾身の一撃を天から見舞う。
「メリュジーヌ!!」
ズゴーンッ!!!
「……ム?」
少年の叫びのあと、ナルカミゴーレムの疑問符が小さく響く。
「用が済んだら挨拶なしにサヨウナラ、ですか。迷宮セキドイシも、貴族の家に出入りする御用商人とたいして変わりませんね」。
唸りを上げたゴーレムの巨大な右拳を、細い左拳一本で受け止める女。
ガチャ。
裸だったはずの女の全身は頭部以外、赤黒い鎧でもう覆われている。
「おい大丈夫か!?」
「あなた様ほど強くはありませんが、私もそこまで弱くありません。それと」
金属の摩擦音を立てながら、メリュジーヌが左拳をおもむろに捩る。
ガチャチャチャチャ……
「私を卑怯者呼ばわりしたこと、訂正してください」
バギッ!!!
殴打を止められていたナルカミゴーレムの拳に大きな亀裂が走る。
「!?」
慌てるナルカミゴーレム。
ビシイイイイイッ!!!!
その体から生じた静電気をメリュジーヌに流し込む。
《注意。ナルカミゴーレムの棺電ナルカミは1アンペアの電流を5万ボルトの電圧で2秒間相手へ送電。すなわち人間なら即死する電力量》
「うっそ!?」
殺人静電気について天の声で聞かされ、唖然とする召喚者の少年。
「今さら嘘などと言っても信じません。そう、訂正してくださらないのでしたら、仕方ありません」
《ムカデ魔女に注意》
(ムカデ魔女?メリュジーヌのことか?)
即死電流を流された鎧姿のメリュジーヌは顔色一つ変えず、ゴーレムの拳をなおも受け止めたまま平然と立ち上がり、右脚を引く。
ズザァ。ギュ。グイ。
顎を引く。小指から親指へと順番に右拳を握りしめ、腕も引く。空気が張り詰める。
《推定。ムカデ魔女は奥義発動準備完了》
(奥義?え?え?)
「訂正していただくまで、あなたと同棲同伴します!」
「「ふぁ?」」
《あれは震戦苑流奥義、壱の型……》
ズゴォォ――ンッ!!!!
《肺喘身巡》
魔物ネブタオオムカデ級の筋力と武闘家の技力を一点に集中させた、上段右突き。
「なんでしたら、あなたが死ぬその時までずっと」
生前に極めた武技がナルカミゴーレムの右腕を粉砕する。技の威力は腕に留まらず、魔物の全身に重度の裂傷を負わせる。
(たった一撃で電気ゴーレムがボロボロ。なんて破壊力だ。マジか……)
「テイザキさん!そこのパット女にさっさと訂正しちゃってください!!」
「そこのまな板エルフ!それより早く魔物のコアを撃ち抜きなさい!」
ナルカミゴーレムの体に走る亀裂箇所から覗く、紅玉。エメラルドのように紅に輝く核石をメリュジーヌが指さす。
「まないたぁ~?て言うか私に命令していいのは……」
ヒュゥボォーンッ!!!!
「テイザキさんだけですからぁ!!」
抗議しながら全力でナルカミゴーレムの核石を正確に射貫くエルフ。
風刃ハナチラシの上をいく殺傷魔風弾。風錐アオアラシ。
「ムウウウウウウウッ!!」
ナルカミゴーレムの核石が砕ける。超硬質の魔物はうめき声を上げながらその場に文字通り崩れる。核石が粉になる。
「倒した。支配種の魔物をいきなり……二人とも無事か!?」
「私は平気です。残るは極盛パット女だけです」
「私も平気です。そして上等です。まな板断崖絶壁エルフ」
「……」
別の非常事態にようやく気づいた召喚者の少年は天の声におろおろ助けを求めるも、今回はこれといった回答も説教もなく、うろたえる。そしてひらめく。
(そうだ!こういう時はカタレプシーじゃなくて誠意だ!余計な嘘は言わない!)
「なあ二人とも!俺は二人が無事なだけで十分嬉しい!極盛パットとか、まな板断崖絶壁とかは全然かまわない!だからこうなったら三人で力を合わせて……」
「パットではございません!!盛るわけないでしょ!!!」
「まだ成長期なだけです!!断崖絶壁言うな!!!」
《警告。鈍感な死んだフリスキル所持者の要らぬ一言で状況が悪化。女たちが凶化レベルアップ。ただちに開通した下層へ避難することを進言》
怒りの足が地面を踏み砕き、風の矢がビュンビュン飛んで来たので、召喚者の少年は一目散に、49階層へと逃げて行った。