その4
《報告。80階層支配種の魔物ノミライオンを討伐したことにより、死んだフリスキルがレベルアップ。新たにスキル「死想看破魔眼ワカリミヌマ」を獲得。「死想看破魔眼ワカリミヌマ」は……》
「ん?」
「あっ」
……。
ここは、どこだ?
《報告。地上迷宮セキドイシ80階層出口付近》
ああ。やっぱそっか。スンスン……臭くない。あのさ。俺……
《意識消失直前に死んだフリスキル「死の芳香デスノート」を完全消失。トップノート:ヤギヘビ消臭後、死んだフリスキル所持者は意識を消失。まもなく魔物バイオリンエビが増殖した魔物テッポウキノコの気配を感知して集合。魔物テッポウキノコと人間及び亜人族の死骸を捕食し、移動離散》
そっか。じゃあ予定通り、終わった。……にしても体が、痛くない。
「あの……」
「え?」
横たわっていた俺はゆっくりと声の方に首を動かす。聞き覚えのない声の主は俺の近くにちょこんと正座している。
誰?この子?
《報告。風人族の魔法使い。年齢不明。処女。ヤギヘビの巣穴に隠れていたためテッポウキノコの感染なし》
そっか。エルフの魔法使いで、処女で、ゾンビじゃないのかぁ……
「ふぁ?」
俺は驚いて上体を起こす。
「あの!大丈夫ですか?」
金髪セミロングの碧眼娘がこっちを心配そうに見ている。透き通るようなうす橙の肌。よくよく見たらすごい美人だ。エルフだけあって耳も長い。ちょっと切れ込みを入れられているけど。
《報告。エルフの治癒魔法により、死んだフリスキル所持者は人体損傷部位を回復》
そうだったのか。
「君が治してくれたのか、俺のケガ」
肩と脇腹の痛みがない。削がれた肉も折れた骨も元通りなんて、治癒魔法ってすごいな。
「はい。あの」
「助かった」
しかも異世界なのに普通に言葉が通じる。
《連絡。召喚者の脳内で魔物以外の特殊言語は基本的に自動翻訳。発音も基本的に自動調整》
なるほど、便利な異世界だ。これがあるだけありがたい。
「本当にありがとう。えっと……あったあった」
俺は意識を失う前に握っていたはずのバトルアックスが近くに置いてあること、魔物の気配が周囲にないことを改めて確認する。
「ちょっと聞いておきたいことがあるんだが、いいか?」
「はい!なんでも聞いてください!」
かしこまったエルフが背筋を伸ばしてくる。すごく気合入ってるな。
「どうやってここまで来たの?」
革服やマントは血がにじんでいるから、実はバーサーカーみたいに強いのかもしれない。
「気づいたらここにいたんです!」
「なっ!?……まさか我を忘れて戦い続けて、気づいたら80階層にいたのか?」
大砲を仕込んだ鉄の義手とか巨大な竜殺しの剣も持っていないのに、魔法と拳だけでここまで来たっていうのか?
「違います!そうじゃなくて大勢で一瞬のうちにここまで来たんです」
「大軍で攻め込んであっという間にここまで武力制圧したってことか。強いな。まるでアリゴブリ」
「だから違います!!」
《注意。転移魔法陣により強制移動》
あ、あれか。脳内再生の言っていた罠みたいな魔法か。思い出した。
「失礼だけど、もしかして魔法の罠にはまって、ここまでみんなして間違えて来ちゃった感じか?」
「そうです!私の主人であるマシュウ・ドラグノフ男爵様と腕に自信のある冒険者様たちと共に、魔法の力でここまで突然移動してしまいました」
「もしかしてそれじゃあ、君はノミライオンに襲われた人たちの生き残り?」
「そうです!あなたのおかげで危ないところを救われました!!」
「いやいや俺なんて……でもよくあのノミライオンから無事に逃げられたな。君はよほどすごいスキルと魔法をもつエル」
「ヤギのような頭のヘビの巣に逃げ込みました!」
なるほど。ヤギヘビの巣穴か。俺以外にあんな場所に入りたがるヒトがいるとは正直思わなかった。チンコが二本も生えてるヘビの巣だぞ?命がけとはいえ、肝の座ったエルフだ。
「悪いが俺は何もしてない。ノミライオンの前で倒れていただけだ。そう言えば変な臭いとかしなかったか?」
「え!?えっと!全然です!あなた様は全然臭くありませんでした!!」
「そっか。じゃあ俺からかなり離れた風上にいたんだ。だから臭わなかったし命が助かったんだ、きっと。何はともあれ生きられて良かったな」
「は……はい」
「助け損だと思われるかもしれないけれど、言っておく。俺はノミライオンが殺した冒険者のそばで、死んだフリをしていただけだ。別の誰かがノミライオンをやっつけたんだ」
誰かというか、魔物テッポウキノコだけどな。
「違います!あなたがやっつけたんです!」
拳を固く握りしめて、俺に強く言うエルフ。
「何でそう思うんだ?」
「それは、その」
「もしかして、その目で見てたのか?」
「はい!臭いのを我慢して近くでずっと見てました……あっ!」
「やっぱ臭かったか。ごめんな」
「違います!臭くなんてないです!あれは!ちょっと独特のニオイなだけで臭くなんてないです!ビックリするようなニオイだっただけです!」
身振り手振りを使い慌てて否定するエルフ。なんかものすごくテンパってる気がする。
「あのな、あれは俺のスキルで、魔物の死臭を体から出してたんだ。だから臭くない方が変だ」
「そうだったんですか!?」
そんな「ほー」って感じで驚かれると恥ずかしい。言わなきゃよかった。
「そ。ノミライオンの奴、たぶんだけど嫌そうな顔してなかったか?」
「すっごく嫌そうな顔してました。硬そうな肢でツンツンやって調べている時から「なんなのこれ?勘弁してよ」みたいな顔をしてました!」
美人のエルフ女子が全身を使いノミライオンの真似をしてくる。ちょっとひく。
「あ、ああ。そうか」
「はい!ライオンみたいな口に入れて運ぶ時なんて、赤ちゃんのおしめを変えているお母さんよりひどく歪んだ顔をしていました!」
「うん。そう、そうだよな」
「はい!」
なんでだろう。治癒してもらったのに、俺の何かは傷ついていく感じがする。
《報告。風の加護をもつ純粋エルフ少女による、死んだフリスキルへの客観的評価。死んだフリスキル所持者の心的外傷はなし》
あるって言ってんだよ脳内再生!勝手にしめくくるな!ヤギヘビのチンコ2本でビシバシ殴られるくらい精神的に傷ついてんだよ俺は!
「えっと、それで」
俺は鼻をポリポリかきながら言葉を探す。
どうしよう?
ミジンコハートの俺は「女子との会話スキル」が絶無に近いから、こういう時、何の話をすればいいのかよく分からない。かといって死んだフリスキルを披露するのはなんか嫌だ。バレるのが嫌なんじゃなくて、変態っぽい目で見られる気がするから嫌だ。
で、どうしたものか。
「あの!よろしければ私」
「?」
「あなた様のお鼻をかきましょうか?」
「……え?」
何言ってんの?こいつ。
「鼻が痒いのであれば、おかきします!」
「いや、別にいいってそんなこと。痒くないし」
「あのあの!じゃあこれ見てください!」
そう張り切ってエルフが示したのは大きめのザック。中から色々な品をいそいそと取り出して俺に見せてくる。
「これはロープ、これは火おこしに使う火打石と刃物の砥石、水筒それにコップに稀少なコンパス!こっちの袋の中にはとっておきの香辛料と塩と干し肉があります!こちらは先ほどエビみたいな魔物が食べ残した冒険者の長髪を切って束ねたものです!」
矢継ぎ早に説明をしてくるエルフ。何をそんなに慌ててるんだろう?魔物の心配か?
「こんなに色々集めてすごいな。ところで冒険者の髪なんて何に使うんだ?」
「釣り糸にも使えますし、手ぬぐいの代わりにもなります!なんなら私の髪の毛もあなた様の汚れた手を拭くのに使っていただいて結構です!」
「え?」
だから何言ってんの?さっきから。なんかそれって……
「なんでもします!私は卑しい亜人族ですが元、家内奴隷ですから治癒も夜伽もなんでもできます!ですからお願いです!この迷宮から連れ出してください!お願いします!!」
……。
《注意。夜伽とはこの場合、性的奉仕を意味する》
黙れ。
……。
……。
……奴隷。
………やっぱりそういうことか。
「あのさ」
「はい!」
「俺は微力しかないから、正直、この迷宮を生きて出られるかは分からない」
「ぃぇ……」
「だけど何とかして生きて出るつもりだ。生きて出たい。でも俺は自分ひとりの命だって守れるかどうかも分からないほど弱い」
「ぃぇ……」
「だから、もしよければ、君のすごい力で、俺を助けてくれないか?」
「ぁ……」
「君の魔法のおかげで俺は命拾いした。君がいなかったら死んだフリじゃなくてマジで死んでいたかもしれない。だから君さえよかったら俺に力を貸してくれないか?俺も君を守るから」
「……は」
「なんて言うと思うか?」
「い………ぃぃぇ」
「そうだろ?俺が君の立場だったら「たぶんコイツは心地よい言葉を並べてみせて自分を煽てて、用が済んだらどこかに捨てるつもりだきっと」って考える」
「……」
「だから悪いが、「力を貸して欲しい」なんて俺は言わない」
「……」
「そして「力を貸せ」とも俺は言わない」
俺は腰を上げる。
「置いていかないでください!何でもしますから!」
俺に必死に縋り付くエルフ。
「だったらお礼だけさせてくれ」
「?」
俺は「よっこいしょ」っと正座し、地面に手をつき、頭を下げる。
「??」
「助けてくれてありがとうございました。俺はそのお礼に、君を迷宮の外に連れていこうと思いました。連れて行ってもよろしいですか?」
「…………」
なんだろう。まわりくどいけど言葉がスラスラ~って出た。
まあ、それもそうか。思ったことをそのまま伝えただけだし。
死んだフリしかできないミジンコハートでも嘘を並べようとしなければ、言葉は出る。
ただ、助けてもらった礼を、する。
変に小難しく考えなければ、女の子ともまともに喋れるんだな、俺。
《肝心。男に必要なのは小手先の器用さではなく、思いやりと体力》
母ちゃんみたいな忠告どうも。脳内再生。
《注目。エルフに計測不要の発熱反応》
「ん?」
俺は頭を上げる……ふぁ?
「どうして……」
どうしてって何が?
「どうして、そんなに、優しいんですか……」
泣いてる!?どうしよう!俺、何か泣かすようなこと言ったか!?
「私にお礼とか……なぜ、なんで、私のような卑しい奴隷に、そのような、優しいお言葉を、かけてくださるんですか……」
お礼に、迷宮の外へ連れて行く……。
……やばい。恥ずかしい。考えてみたらなんかプロポーズみたいになってしまった。
いや、でもここじゃ、こう言うしかないだろ。
冗談抜きで、生きるか死ぬかの異世界だし。
それに、
「とは言ったけど、俺はマジで弱い。恥ずかしいけど本当に俺、死んだフリしかできない」
誰かに自分を本気で信じてもらうことは、
「だから実際のところ、君の助けが欲しい。魔法が使えて機転が利くすごい君の足を引っ張らないように俺、努力するから」
死んだフリよりずっと命がけだと思うから。
「う、うう、うわああああああーん!!!」
ひぇ!?
ギャン泣きだ!どうしよう!女子をさらにひどく泣かせてしまった!
《忠告。ここで「カタレプシー」を発動するのは、男として問題あり》
するか!ただどうしていいか分からなくて仮硬直しているだけだ!ちゃんと「だるまさんが転んだ」発動しっぱなしだぞ俺は!!
《死んだフリスキル所持者はだるまとは異なり、手がある》
何だよ今度は。
《手は何のためにあるのか》
……。
……ふ。知ってる。脳内再生なんかに言われなくたって。
ポム。
「!?」
「泣かないでくれ、な?」
超緊張したけど、女子の肩に手を乗せることに成功!!俺のミジンコハートが口から飛び出しそうだ!
《警告。ここで女の頭を撫でるのは禁物。髪型が乱れることを女は嫌う》
分かってないな、脳内再生。恋愛RPGやったことないだろ?
こういう時は女子の頭の上に男子が手をそっと乗せて撫でると女子は喜ぶって相場が決まってるんだ。
ス。……ガシッ!
あっ!エルフの頭を撫でるはずだった俺の手をエルフ自らがブロック!!そんな馬鹿な!
《注意。大切なのは下心よりも》
「ありがとう、ございます」
《ありのままの真心》
「……」
撫でようとした俺の手を、エルフの両手がぎゅっと掴んでくる。眉間をくっつけられる。
「私こそ……ぐすっ……不束者ですが……ぐすっ、ぐすっ……この命の続く限り、ご一緒させていただきます」
そう言い終えて俺を見上げるエルフ少女の泣きはらした目。すっごい輝いてて、綺麗。
「あ、ああ」
まずい。妙な気を起こしそうになった。こういう時はカタレ……
《不正解。死んだフリスキル「カタレプシー」ではなく自己紹介》
あ、当たり前だ。そんなことくらいもちろん分かってる。
「俺の名前、釘崎鉄太郎っていうんだ」
「テイザキ、テッツタロー、様」
「ああテツタロウって呼びにくいか。ならテイザキで全然かまわない」
「はい。テイザキ様」
「えっとな、「様」はナシにしよう。俺は君のご主人様じゃない。テイザキって呼んでもらっても構わない」
「いえそんな……」
「じゃあテイザキさんにしよう。名前の後ろに「さん」をつけるのは俺のいた世……住んでたところだと、一応は丁寧な表現だ。「よくは分からないけど仲良くしたい」って時に使う便利な敬称で……」
「分かりました。テイザキ様をよく分からないとは思いませんが、不束者の私のこの命の続く限りご一緒したいのでテイザキさんと呼ばせていただきます」
「そっか。じゃあ今度は君の名前を教えてくれ」
とりあえず自己紹介が済んだら相手の名前を聞く。スムーズにできてる。よし。
「私は、ピノンと申します。セカンドネームが私にもあったはずですが、奴隷契約時に取り上げられました」
「取り上げる?」
「忘却の呪文アニュイを詠唱することで、セカンドネームを失い、奴隷はご主人様の所有物となります」
「そうか。なあ、もしかして、そのご主人様はノミライオンに?」
「いえ。……治癒魔法を使える私を連れて飛び込んだヤギヘビの巣の中で、亡くなられました」
「ヤギヘビにやられたのか?」
「はい」
「そうか。気の毒に」
「……」
あれ?なんか複雑な表情になってる?どうしよう?
「まぁ、供養するためにも生き残らないとな」
「クヨウ?」
「えっと、供養っていうのは、「大変な世の中を生き抜いてきて、お疲れさまでした。ゆっくり休んでください」って亡くなった人に祈ってあげることだ。俺のお国言葉的なやつ」
「………」
またピノンがうるうる泣きそうになってる。どうしよう俺!ピンチだ!落ち着け!
どこからピノンの表情は怪しくなった?セカンドネームがなくなった、辺りまでは雲行きは怪しくなかった。
そこだ!そこまで戻ろう!
「まあ、ピノンのセカンドネームについては後で考えよう」
《発言に注意》
「え!?あっ、はいっ!もしかしてセカンドネームを一緒に考えてくださるのですか?」
「ん?ああ」
「ほんとのほんとですか!?」
《かつ忠告》
「ああ。名前くらい一緒に考えるのは構わないって。それにしてもなんだか元気になってくれて良かった」
「はいっ!!私は不束者ですがテイザキさんと命の続く限りご一緒できるくらいにとても元気です!」
《奴隷身分者にセカンドネームを与えるのは奴隷身分者を解放奴隷にし、かつ婚姻関係を結ぶことと同義》
婚姻関係?……それってまさか結婚のことか!?
「あ、えっとその、あれだ!セカンドネームについてはとにかく迷宮を出てから考えよう」
「はい!もちろん一緒に!!ですよね!?」
「そうだ。一緒に、考えることを考えよう」
「はい?」
「とにかくピノン!これからは君をピノンって呼ぶ!一緒に行動する!これでいいか!?」
「はい!運命をご一緒させていただくテイザキさん!」
もういい!この先ピノンとどうなるかなんて分からん!
とにかく生きてこの迷宮を出てから考える!
自由になれればピノンだってきっとそれでオッケーしてくれるはず!
《忠告。死んだフリスキル所持者は自身の脇のあまさと鈍感さ、そしてエルフの純粋さと嫉妬深さに注意》
脇があまいとか余計なお世話だ。こうなったら死んだフリと一緒だ。
なるようにしかならないなら、やれるだけやる。
そうだろ?
ゴゴゴ……
「「?」」
地震?
《報告。固有周波数を地上81階層で感知》
そうだ忘れてた!まさかアイツ、もう来たのか!?
《発生源は上位の魔物ベルゼブブ。タイプ:タケ。すなわち3齢幼虫が81階層に到着》
「ピノン急ごう!俺もゴツい転移魔法みたいなもののせいで迷宮の頂上に飛ばされて降りてきたんだが、上層階にはものすごく危険な魔物がいて、そいつは下の階に向かってる」
「分かりました」
ピノンは返事をするとザックから出してあった荷物をてきぱきしまう。
「あ!テイザキさん?」
「これは俺が背負うから、ピノンは自分の使える武器と防具を持ってくれ」
「え!?でも」
「適材適所!荷物持ちはガタイのでかい俺の方が向いている!魔物との戦闘になったら荷はいったん降ろしてピノンと一緒に戦う。それとももしかして俺が食糧とか持って独りで逃げると思ってたり……」
「そんなわけありません!私は不束者ですが!この命の続く限り!テイザキさんと!ご一緒するんです!疑うわけないじゃないですか!」
「そうか!ん?」
「どうかしましたか?もしかして誓いのスキンシップとか今すぐ必要ですか?」
……。
不束者ですが。この命の続く限り。テイザキさんと。ご一緒する。
さっきから同じようなフレーズを聞いているような気がするけど、これはもしかして……なわけないか。
「とにかく急ぐぞ、ピノン!」
「はい!喜んで!!」
ベルゼブブの起こしたらしい地面の揺れを体全身で感じながら、俺はピノンと一緒に79階層へと急ぎ降りて行く。
「なんだここ、ものすごく広いな」
「はい。それになんか、魔物がたくさんいますね」
地上迷宮セキドイシ79階層。
80階層までよりも強い光を放つ白い鉱物が、広大な洞内を曇り空の昼みたいに明るく照らす。足元は乾いていて、段々(だんだん)畑みたいなリムストーンプールが50メートルくらい下に向かって続いている。雨とか降って水が溜まればそこそこきれいなんだろうな。
あと魔物がウジャウジャいなければ。
《報告。地上迷宮セキドイシ79階層から60階層までは白閃鉱イユニライトと黒閃鉱ヂカブライトによる照明世界が現出。イユニライトのもたらす視覚情報を利用する魔物が複数棲息》
おっと、それはちょっとまずいんじゃないか、俺的に。
《白閃鉱イユニライトが輝いている昼間は死んだフリスキル「カタレプシー」が有効。黒閃鉱ヂカブライトによる夜間は死んだフリスキル「デスノート」が有効。ただし例外は多数あり》
例外多数か。
世の中どこだってそんなもんだろう。だから頭を使って生き延びろってことだ。
チュパチュパチュパチュパチュパ……
「テテ、テイザキさん。上になんか、なんか、たくさんいます……」
上?うわぁ……
「なんだあれ?あれ全部コウモリか?しかも頭の先が、餌食ってるときのクリオネみたいだぞ」
ラグーンシティの製薬会社が秘密裏に開発したBOW(生物兵器)みたいだ。
《報告。下位の魔物イカコウモリはセキドイシ79階層から60階層の生態系を支える存在。羽虫ドウクツガの舞う夜の時間帯に合わせて活動。すなわちイユニライトとヂカブライトの閃光切り替え後に魔物イカコウモリは群舞……》
キキキキキキキキキキキキキキキキッ!!
「ぎゃあっ!テイザキさん!テイザキさん!!テイザキさん!!!」
おい脳内再生!イカコウモリが昼なのに襲ってきたぞ!!
《報告。魔物イカコウモリは魔物ネコヤモリの接近に驚き緊急避難》
「魔物ネコに驚いて魔物コウモリが飛んでるらしい!伏せろ!!」
「はい!おわっ!?」
ネコヤモリ。頭はネコのくせに体がでかいヤモリときた。チチチッて鳴きながらイカコウモリを捕まえてムシャムシャ食べてる。
だいたいネコに生のイカなんて食わせたら腰抜かすって婆ちゃんが昔言ってたのに、平気なのかよこいつら。
《注意。イカコウモリは餌を捕食するための口器と触手がイカのように収斂進化したためイカコウモリと呼称。海棲のイカのもつ酵素を魔物イカコウモリはもたない》
へぇ。あ、俺だけが納得しててもダメだ。ピノンに教えてやらないと。
「あのコウモリみたいに飛んでる魔物がイカコウモリっていうらしくて、それを食ってるネコだかイモリだか分からない姿の魔物がネコヤモリだ」
「ご存じなんですか?」
「今知った。なぜかは分からないが、俺の頭の中には婆ちゃんより物知りの知恵袋が入っているっていうか住み着いていて、そいつが教えてくれた」
「そうなんですか。ところであの……」
ピノンのほっぺが急に赤くなる。
「どうした?……ふぁ!?」
「もう大丈夫です。ですので今はその……」
「ごめん!変なことしようとしたわけじゃない!ほんとにすまん!」
しまった。年頃のエルフ女子を前から押し倒してしかも覆いかぶさってた。しかも片手の平はあろうことか胸の膨らみに接触している!痴漢的犯罪行為!
集〇社だけじゃなくて社会を敵に回すくらい危険な行為をやらかした!
「いいです。テイザキさんなら嫌ではないですから。せめて暗くなってからで」
は?それってどういうこと?
「そ、それよりテイザキさん!あっちのあれは何ですか!?」
冤罪と間違われそうな体勢をすぐさま正し、俺はピノンの指さす方を向く。
……なんだあれ?クジャク?
お墓に立ててある卒塔婆みたいなのを尾羽からツンツン生やしたデブ鳥の周りをデカいリスが取り囲んでる。リス?でも頭の部分はハイエナみたいな感じだ。
《報告。クジャクではなく魔物ハナクジャクのメス。その周囲に群がりハナクジャクの卵を狙うのは魔物イヌリス》
「コッキャアアッ!!」「「「「グルルルルル……」」」」
トリ魔物が甲高い威嚇の声を出す。いやでも、あれだけの肉食獣に囲まれたら勝ち目はないんじゃ……
ピュパッ!バシャッ!!ジュウウウウ……
「キャウンッ!!!」
ハナクジャクの口から何かが飛び出したと思ったらイヌリス一匹の顔面に当たった。
「溶けてる!溶けてますよ!テイザキさん」
「ああ、やばいな」
ハナクジャクの透明な体液を食らったイヌリス。倒れ込んだ時にはもう頭部は骨がむき出し。たぶんもう死んでいる。ハナクジャク、何を吐いた?
《酸性の胃液》
まじか。胃酸かよ。
《注意。魔物ハナクジャクに死んだフリスキル『死の芳香デスノート』は無効》
え?なんでだ?
《魔物ハナクジャクは腐肉をあえて食らう習性あり。このため腐肉に発生する雑菌を死滅させるpH0.001の超強酸の胃液を体内に蓄積》
そういうことか。「デスノート」のする腐肉なりすましの俺にビビるどころか、かえって寄ってくる。
《酸性胃液は口内から発射可能。すなわち酸撃イリヤマズ》
「「グルルルル……」」
ハナクジャクのそんな強酸攻撃を知っているのかどうか、イヌリスの何匹かはまだハナクジャクを威嚇したまま離れない……?
ズズッズッズ……
ハナクジャクを囲んでいたイヌリスの一匹が、死んだイヌリスの死骸を引きずってハナクジャクから離れていく。
ムシャムシャムシャムシャムシャッ!!
ハナクジャクから一定の距離をとったと思ったら、イヌリスは死んだイヌリスに群がり、食べ始める。……まさか、最初から共喰いが目的だった?ハナクジャクに〝餌〟を用意してもらうために徒党を組んで……そんなわけないよな。
《魔物イヌリスは基本的に単独行動。ただし個体数増加により餌不足が発生した場合は〝餌確保〟と〝個体数調整〟のため、あえて集団行動をとる場合がある》
なるほどな……生き残るためなら何だってするってわけか。こわ。
「真ん中で卵を守っている魔物がハナクジャクで、実は共喰い狙いでハナクジャクを囲んでいた魔物がイヌリスとかいうやつらしい……ピノン?」
迷宮の奥の方をじっと見ているピノンに気づき、話すのを止める。耳が、左右別々に動いている。
「この階層は、下層へ続く道が一本だけみたいです」
「え?」
ポカンとしながら聞き返す。
「イカコウモリたちがこの先で出す信号が一か所だけ、跳ね返らない部分があります。そこがたぶん下層へ続く道だと思います」
「……」
「どうかしましたか?」
イカコウモリたちが出す信号?
それってもしかして、超音波のこと?
ピノンはもしかして、超音波を耳で拾えるの?
「なあピノン、もしかしてお前、イカコウモリが何を話しているのか分かるのか?」
「いえいえそんな!何を話しているのかはわかりませんが、お互いに何か空気を揺らしてやりとりをしているのは分かります!」
《風の加護のあるエルフの可聴域は5ヘルツから50000ヘルツ。超音波も探知可能》
嘘だろ。なんて優秀なスキルもち。
「お前、すごいな」
「そうですか?生死というか生涯を共にするテイザキさんに褒めてもらえて光栄です」
「他にも何か特技はあるのか?」
「特技ですか?そうですね」
考え込むそぶりを見せるピノン。やがて「あ」と閃いた顔をするエルフ。そして少しのけぞり胸を大きく膨らませる。なになに?
「コッキャアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッ!!!!!!!!!!」
「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「!?」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」
エルフ少女から出た何かで迷宮内が震える。
何今の?爆音?耳がキーンとなっててよく分からない。
《報告。魔物ハナクジャクの鳴き声に類似したエルフの発声》
両耳を手でおさえながら周囲の状況を俺は確認する。
「コッキャッ!?」「ヴァオヴァオッ!?」「キチチチッ!!??」
洞内で音が大反響したせいで音源が分からないのか、魔物たちの挙動が明らかにおかしい。ハナクジャクのメスが大事なはずの卵を置いて逃げていく!壁面から墜落したネコヤモリが身を起こしてダバダバと迷宮の奥へ撤退していく!イヌリスがキャンキャン鳴きながら尻尾を慌てて千切ってその場を去っていく!
「私、魔物の声真似ができます」
耳を塞いでいた俺の腕を取ったピノンが嬉しそうに教えてくれる。
「そう、か……ふぁ?」
キキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキッ!!
「ぎゃあっ!テイザキさん!テイザキさん!!テイザキさん!!!」
あれって、イカコウモリの大群!!??
「おいピノン!なんでイカコウモリがまたこっちに戻ってくるんだよ!」
「えっとえっと!たくさんの魔物がここから逃げてきたからだっ!そうです!!」
「何してくれてんだお前!」
「すみません!!一生テイザキさんに添い遂げるので許してください!!」
「くそ!こうなったら!」
《報告。「死の芳香デスノート」の充填完了》
頼む。なんでもいいから発動してくれ!
《了解。トップノート:ヤギヘビ》
ポフン。
「んぎゃあっ!!!」「「「「「「キキキキキキッ!!???」」」」」」
俺の隣に立っていたピノンが卒倒し、近づいてきたイカコウモリたちも俺の傍を通過するとパタパタ失神していく。ピノンが埋もれていく。
「まったく。声真似はいいが、音量くらい調節してくれ」
泡を吹いてるイカコウモリの一つを拾い上げてよくよく見る。これは結構食べ応えがありそうだ。
そう言えば、ピノンは魔物肉を食えるか?
《加熱調理をすれば可能》
「そっか。よか……!」
ト。
「…………」
《支持。「カタレプシー」発動が最適解》
声を消す。心音を消す。筋肉の力みを消す。筋力を生もうとする神経興奮を消す。
筋肉から出る熱を消す。一切を消す。冷たくして止める。死臭以外の全てを止める。
「……………」
いつの間にか俺の真横にいる、巨大な赤い狼。
その大きな目の中の小さな瞳孔の前で、俺は完全に死んだフリをする。
「……………」
ここにあるのはイカコウモリの失神群。まだ熱を帯び、息をするイカコウモリと、羽ばたいた奴らが巻き上げる、ヤギヘビの強烈な死臭。そして死臭源の俺。
「……………」
ガブリ。……ノシ。ノシ。ノシ。ノシ。ノシ……
俺には触れず、大量の失神イカコウモリの山を一口で頬張り、巨大な狼が遠くへ去っていく。
「ぷはあ!はあ!はあ!」
俺は息を吹き返す。
ピノンは!?いる!!ちゃんとここにいる!!失神イカコウモリの山の一番下で、しかも俺の死臭がもろについていたからたぶん食われずに済んだ!
《報告。エルフの生命反応は安定》
脳内再生の言葉で、全身から汗が噴き出す。
「はあ、はあ、はあ、はあ、はあ、よかった」
俺は尻もちをつく。
なんだよ、あの魔物……。
《報告。79階層から60階層までの支配種。上位の魔物フェンリル》
80階層のノミライオンなんかと比べ物にならないくらいの殺気。
あまりに強すぎる殺気のせいで、気づいたら「死んだフリ」をしていた。
「あれを、倒さないと59階へ行けないのか?」
《否定》
「どういうことだ?倒さなくてもいいのか?」
《60階層には上位の魔物フェンリルと同等レベルの魔物コカトリスが存在。魔物コカトリスを排除することが59階層到達への必要条件》
……。
……ちょっと待ってくれ。それは最悪の場合、
《状況によっては魔物フェンリルと魔物コカトリスの両種から襲撃を受ける場合もあり。すなわち魔物フェンリルと魔物コカトリス、両種の排除が下層進行の十分条件》
「……はは」
笑うしかない。あれだけ強いのを、しかも2匹も相手しなくちゃならないだと。
《報告。81階層で大規模騒動勃発。周波数から状況解析。上位の魔物ベルゼブブの捕食行動による下位の魔物バイオリンエビの個体数激減》
そりゃそうだ。
エビがビチビチ跳ねたくらいじゃ、あの戦車みたいなモンスターは止められない。
《魔物ベルゼブブ追撃のため下位の魔物アリゴブリンが上層から81階層へ大量侵入》
執念深いな、アリゴブリン。もしかしてあいつら、女王でも獲られたから怒ってるのか?
《可能性大。なお、魔物アリゴブリンは魔物ベルゼブブ捜索中に、さらなる下層80階入口で魔物テッポウキノコと接触。この影響により、追撃に訪れた魔物アリゴブリン集団内で魔物テッポウキノコの感染爆発が発生》
ああ、80階層の入口か。アリゴブリンゾンビがいたな。バイオリンエビに全部食べきられてなかったのか。ヤギヘビの巣穴とかあったから、そこらでテッポウキノコが生き延びたか。
《このため現在ベルゼブブと、テッポウキノコに寄生支配されたアリゴブリンの集団が81階層で武力衝突》
なるほど、81階層は大混乱だな。
《魔物ベルゼブブは現在、索敵、機動、攻撃、捕食等すべての運動の遅滞が発生》
「………」
《魔物ベルゼブブ個体もまた、魔物テッポウキノコの胞子感染克服に苦戦中》
笑ってる場合じゃないって言いたいんだな。
何とかする時間はあるから、何とかしろ。そういうことか。
《支持》
「上等だよ。腹ごしらえをしながら考えてやる。デスノート解除」
《了解》
自分とピノンの死臭を消しながら、俺はピノンの周りに転がるイカコウモリを拾い、首の骨を折りながら一か所にまとめなおす。
「むにゃむにゃ……そこはまだ心の準備ができていませんよテイザキさ~ん……」
「どんな悪夢見てんだコイツは………さっきはちゃんと守れなくてすまん」
《エルフは無事。イカコウモリの糞は燃料に使用可能》
食糧を集め終わると俺はリュックの中から道具を取り出し、火おこしの準備を始めた。
4. プロペラジェノサイド「彼岸弾」
ザザー……ザザー……
「……う」
女がようやく目を覚ます。
ザザー……ザザー……
「……」
うつ伏せの女は自分がだれで、自分が何をしているのか、ゆっくりと思い出す。
ザザー……ザザー……
「……」
微かに聞こえてくる波の音。
肥沃な土と無数の植物の醸す重厚なニオイ。
ザザー……ザザー……
そして自分の体から立ち上る、磯の、海のニオイ。
「!?」
眼と頭の焦点が合い、身を跳ね起こす女。名前は世良田莉子。
天使サンダルフォンによって異世界パイガへ召喚された人間。
天使の身分を賭けたゲーム「ソロモン」に強制参加させられ、トランプスキルを与えられただけでなく、神によってビトレイヤーに選ばれた者。
すなわち犠牲者の一人。
ガシャ。ジャララ。
「!」
完全に起き上がろうとした世良田のバランスが崩れる。彼女の片方の手首には白金の枷がついている。そしてその枷には白金の鎖がつながっている。
「おい!?お前!!」
鎖の先には、やはり枷をつけられた人間の男が一人。やはりうつ伏せに倒れていて、制服は海水でずぶ濡れ。
「起きろ!綾瀬てめぇ起きろ!!」
男の名前は綾瀬圭祐。世良田莉子と同じく天使によって「ソロモン」に参加し、神によってビトレイヤーに選ばれた者。
すなわち犠牲者の片割れ。
そして〝餌〟の片割れ。
「うう……」
空が下からろくに見えないほど植物の濃い、密林のように鬱蒼とした藪の中。
「おい起きろ!」
コンプをだらしなく制服にへばりつけている綾瀬を世良田が思い切り揺さぶる。その世良田も泥ではなく磯の白砂まみれ。制服は着たままで泳いだかのようにびしょ濡れ。
「起きろ!綾瀬!!起き」
《警告》
「!?」「ん?」
世良田と綾瀬の脳裏に流れる「天の声」。
《警告。高エネルギー反応を確認。擬似魔王が接近中》
「!!」
綾瀬を揺さぶることも忘れ、世良田の顔面が蒼白になる。
「なんだ?……あれ、お前、世良田か?ここ……どこだ?」
《警告。ジョーカーが接近中。最大限の警戒を推奨》
「はあ、はあ、はあ、はあ、はあ……」「世良田?お前何か言ったか?変な声が……」
《報告。接近するジョーカーの所持する分隊支援火器の一部解析終了》
プシューッ!
密林の、濃い藪の中を、一定のリズムで動く白い湯気。
ガチャン。ガチャン。ガチャン。ガチャン。ガチャン。
《M249ミニミ5.56mm分隊機関銃。M60E3 7.62mm多用途機関銃。M203 40mm擲弾発射器。M60 7.62mm多用途機関銃。M2 12.7mm重機関銃。M24 7.62mm狙撃銃》
波の音も葉の揺れる音も黒く塗り潰す金属音。
モワ……
生命が産む熱とは明らかに異質の熱を含んだ風が、周囲に広がる。這いつくばる二人を抜けていく。
《報告。ジョーカーはさらに多数の捕獲兵器を所持。解析中。対戦車擲弾発射筒RPGファミリー、暫定10種確認。突撃銃AKファミリー、暫定27種確認……120mm滑腔砲搭載の未完成機動戦闘車両を1輌確認》
ガチャン。ガチャン。ガチャ……プシュー……
近づいてくる金属音が止まる。列車が止まったような蒸気音が二人の鼓膜を激しく揺さぶる。
「「………」」
密林の奥をただじっと見つめるしかない世良田と綾瀬。
汗がにじむ。
緊張が走る。
「誰かと思ったら、世良田と綾瀬か」
密林の闇から響く、ジョーカーの声。
「「!!!!!」」
その声だけで心臓が止まりそうになる二人。
ジョーカー。
元同級生にして、同じく召喚者の志甫蒼空。
天使と神の犠牲者。
悲劇の主役にして殺人道化。
「そんなところで何してるの?」
《提案。武装解除。抵抗の意思を一切見せないこと。武装ヘリコプターによるミサイル攻撃及び油脂黄燐焼夷弾に注意警戒》
重油のニオイ。金属のニオイ。火薬のニオイ。ゴムのニオイ。
無機質すぎる人工物のニオイが折り重なり、塊になって二人の鼻腔に突き刺さる。
「「……」」
「二人ってそういう仲だったんだ」
藪の中の闇は、鎖と枷で結ばれた男女二人に冗談を言う。
言われて二人は自分たちを繋いでいる障害物に意識を向ける。
《報告。ビトレイヤー二名は自責の枷イザヨイニギシネによって拘束。行動制限あり。なお天使サンダルフォンの暗号魔法により拘束具の解錠は不能》
(あのクソ天使!!!)
起こった事態を一瞬で理解し、頭の血管が切れそうになる世良田。
「イザヨイ?ニギシネ?これのことか?」
情報処理が追い付かず、ただ「天の声」を復唱するだけの綾瀬。
「離れたくないのか」
プシューッ!
蒸気音とともに闇が揺らぐ。
吸い込まれるように召喚者二人は再び藪の、密林の奥を注視する。
「「!!」」
「それとも離れられないのか」
闇が熱で揺らぐ。植物が枯れる。光が差し込む。密林が薄れていく。冷え切った世良田と綾瀬の体温が体表から温められ、すぐに暑さを覚える。
((シウラソラ!!))
日の出からまもない青空の下、自分たちと同じ制服を着ているような少年。
「どっちでもいいけど」
ただ色替えをして黒いだけ。
金属繊維で織り直して黒光りしているだけ。
繊維の隙間から白煙が上がっているだけ。
内燃機関を水冷して水蒸気があがっているだけ。
「いつまでもそんなところで〝やつらの真似〟なんてしていると」
ケラチンでできていた黒髪が白いフィラメントに変わっているだけ。
眼球が動物細胞ではなく、集積回路と防弾ガラスと歯車にとって代わり、真っ黒に塗り潰されているだけ。
「本当に犯されちゃうよ?」
ただ強制召喚と強制転生を受けて、殺意と熱を全身からぶちまけているだけ。
「奴らに」
「「?」」
シュルシュルシュルシュルシュルシュルシュルシュルシュルシュルシュルシュルシュルシュルシュルシュルシュルシュル………
黒い川が大地を突如滑り出し、蠢く。黒い川は志甫めがけて流れていき、志甫に食らいつく。飛びつく。噛みつく。群がる。そして全身を幾重にも覆い尽くす。
《報告。熱源を求めて複数の魔物がジョーカーに危険接触。魔物ハゼヘビ、魔物フグヘビ、魔物ヘビイソギンチャク、魔物ツノダシヘビ、魔物クマドクヘビ、魔物ジンベエエヘビ、魔物カミナリヘビ、魔物ボラヘビ、魔物クモハブ、魔物ヤドカリハブ、魔物マムシガニ、魔物ピラニアヘビ、魔物アリゲーターマムシを確認》
蛇。蛇。蛇。蛇。蛇。蛇。蛇。蛇。蛇。蛇。蛇。蛇。
召喚者二人の前で、大量のヘビ型魔物に集られる志甫。
プシュー。フ。
白煙と一瞬の小さな青光を上げながら志甫の腕が動く。それだけでヘビがドバッと落ちる。落ちた魔物は血を吐きながら苦しそうにのたうち、痙攣した後、動かなくなる。
「こいつらは、アソコ以外なら、どこにでも現れる」
志甫が指さした方角を見る世良田と綾瀬。穴の開けられた藪から見えるのは、枯れた植物と剥き出しの石でできた白く太い道。その白い道の先にある石造りの建物跡。崩れた神殿。
「こいつらに襲われないのはアソコだけ」
魔物に集られたまま志甫はそう言い、腕を下ろし、自らが指さした方へと昇っていく。あまりの高熱で魔物たちが志甫の体表から剥がれ落ちて、苦しみながら燃えていく。それでも体温を取り戻そうと志甫に飛びついては、焼け死んでいく魔物たち。すぐに燻る火種になる。
ガチャン。ガチャン。ガチャン。ガチャン。
それが植物を燃やす。灰になる。
それでも火種は消えず、土を焦がす。腐植土まで灰になる。
それでも火種は消えず、石を焼く。砕けて砂になる。
こうして志甫の歩いた場所が白い死の道になる。
ガチャン。ガチャン。ガチャン。ガチャン……
置かれた状況がすぐに呑み込めない召喚者二人。「天の声」の教える志甫の情報が多すぎて、志甫の言葉の意味を理解するのが遅れる。
その間に、
《警告。複数の魔物がビトレイヤーを包囲。島中央の丘の神殿聖域への緊急避難を推奨》
蠢く黒い河は、別の新たな対象二名に気づき、狙い定める。
「はあ、はあ、はあ、はあ、はあ」
魔物に囲まれたことに気づき、その恐怖で動けない世良田。
「おい世良田!行くぞ!!」
今度は綾瀬が世良田を引っ張る。立ち上がらせる。走り出す。
「!」
白い道に出ようとした綾瀬は危険に気づき即立ち止まる。
熱を求めたヘビ型魔物によって白い道は埋め尽くされ、そこで燃え散る。そのため、白い道はたちまち炎の道に変わっている。
(志甫の跡はつけられない!)
歯を震わせよろよろする世良田の手を掴んだまま、綾瀬は密林を駆けあがる覚悟を決める。
《警告。魔物ハゼヘビ、魔物フグヘビ、魔物ヘビイソギンチャク、魔物ツノダシヘビ、魔物クマドクヘビは出血毒をもつ低位の魔物。ただしビトレイヤーの現時点のレベルでは状況によっては致死》
「なにやってんだ!ちゃんと走れ!!」「いや、もういや、いや!」
《警告。魔物ジンベエヘビ、魔物カミナリヘビ、魔物ボラヘビ、魔物クモハブ、魔物ヤドカリハブ、魔物マムシガニは神経毒をもつ中位の魔物。ビトレイヤーは噛まれた場合即死》
木の根元、洞、幹、枝、石の隙間、土の中。
あらゆるところに隠れていたヘビ型魔物たちがソロソロズルズルニョロニョロヌラヌラと現れて、二人を後ろから猛追する。待ち伏せて横からとびかかる。
《警告。魔物ピラニアヘビは肉食性。鋭利な歯を持つ。噛みつかれた場合、腹腔を破り内臓へ侵入する場合があるので要警戒。魔物アリゲーターマムシは肉食性。出血毒と強靭な顎を持つ。噛みつかれた場合、半身をねじ切られないよう注意》
どの魔物がどの説明かもわからず、ただ走る二人。
どの魔物がどの毒と武器をもっているかもわからず、ひたすらかけ走る二人。
ガブッ!
「痛ぁっ!」「!」
世良田を引っ張る綾瀬の枷が一気に重くなる。驚き綾瀬が振り返ると世良田が転倒している。そのアキレス腱には三匹の魔物が既に噛みついている。
《報告。魔物ヘビイソギンチャクと魔物ボラヘビ、魔物クモハブに咬まれクイーンビトレイヤー負傷。致命》
一瞬だけ血の気が引く綾瀬。
そして頭に血が上る綾瀬。
「はあ!はあ!はあ!はあ!」「……」
こん睡状態になった世良田の足首に綾瀬はとびかかる。魔物三匹を即座に世良田から引き剥がしてぶん投げる。世良田を無我夢中で肩に担ぐ。
ガブガブガブガブガブガブ!
それを妨げる無限の魔物たち。
「うううっ!!!」
《報告。魔物カミナリヘビに咬まれダイヤビトレイヤー負傷。致命》
「うる、せええ!!」
スタンガンを食らったような痺れにもひるまず、綾瀬は世良田を担いで駆け上る。
《報告》
ガブガブガブガブガブッ!
「ぐうう!」
《クイーンビトレイヤーの》
「世、良田……死ぬな……」「………………」
《覚醒を確認》
ブシュウウウアアアアアアア………バサアッ!!!!!!
血液毒と神経毒の両方が全身に回り、薄れゆく意識の中、綾瀬は視界が夜のごとく一気に暗くなったことに気づく。
「………」「………?」
肩甲骨の内側に違和感を覚えて目覚める世良田。
《クイーンビトレイヤーの裁天シリーズ「天使を篭絡する者」起動。篭絡の翼、展開》
上位の魔物ロックバードと同規模の、巨大な鷲の翼が世良田の背中に強く生える。広げた猛禽の翼は魔物の群れから世良田の全身を守る。
「綾瀬?おい綾瀬!」「………」
自分の下敷きになって倒れる綾瀬を見て叫ぶ世良田。その綾瀬の全身には幾重にも噛まれた痕。
「綾瀬!!」
魔物に足を咬まれて意識が飛ぶ、僅かな瞬間に見た男の必死の形相。怯むことなく魔物に挑みかかる男の形相が浮かぶ。
「綾瀬!綾瀬!!」「………」
《報告》
「死ぬんじゃねえ綾瀬!!!」「………重い」
《ダイヤビトレイヤーの覚醒を確認》
メキメキメキメキ……
「!!??」「痩せた方が、いいんじゃ、ねぇか?」
《ダイヤビトレイヤーの裁天シリーズ「天使を斬獲する者」起動。斬獲の爪、展開》
綾瀬の両腕の前腕の筋肉を突き破って伸びるタンパク質。
血まみれのタンパク質は乾き、黄ばみ、硬質化し、鋭利化し、鎌状に落ち着く。
「死んだかと思った……」
「あと少しでお前の体重に押しつぶされて死ぬかもしれない」
「死ねバカ……背中、痛い……」
強健な鷲の翼。
バサバサバサバサバサ………
その翼の羽根をむしり取る魔物たち。彼らが欲しいのは体温。そして血肉。
「すげぇなお前、天使みたいだ」
翼を広げたまま綾瀬の背中からどいた世良田。その世良田を見て綾瀬が感想を漏らす。
「天使とかガチで言うな」「ふっ。だな」
「アタシいますごい機嫌悪い」「なんでだ?」「ヘビに外側から羽むしられてっから」「そっか。じゃあ逆にヘビ革を毟るか」「アタシ、ヘビとかガチ無理」「じゃあ俺の背中にしがみつけ」「やだ」「なんでだ?」「アンタに守られてるみたいじゃん」「何言ってんだ?逆だろ。お前の羽の方が凄いんだから俺をヘビから守れよ。俺はヘビを毟る」「……分かった。言っとくけど勘違いすんな」「何が?」「別にアンタのこと、ガチでなんとも思ってないから」「そっか。実は俺もだ」「ウザすぎ。死ね」。
ザクシュンッ!!!!!
「「「「「?」」」」」
藪の中。
熱源が、餌が、妙な動きを始めたことで、魔物たちは困惑する。
ザクザクシュンッ!!
魔物たちは舌を口からシュルシュルと出し入れし、熱源の情報の詳細を探る。
ザクザクシュンッ!!!バサアッ!!!!
魔物たちは少し前の情報と今の情報を比較する。
ジャキンッ!!
「なんか切れたぞ鎖!」「はぁ!?ガチじゃん!すっご!」
恒温動物が二体。
「良かったな!これで俺たちトイレは別々(べつべつ)にできるぞ!」「いいから早く上まで走れ!」
それが一体になって移動している。
ザクザクシュンッ!ビョンッ!
変温動物のような下半身と、高温動物のような上半身。
上半身の高い熱が筋肉質の下半身へ流れ込み、下半身の低い熱を温めている。
ビョンビョンッ!!
おかげで熱量を増した下半身の筋肉が素早く動く。跳ねるように自分たちの〝河〟を越えていく。それだけでなく、
ザクザクザシュンッ!!
上半身の両手首から生える三日月のような二本の鎌が、同種を次々と切断していく。
「スススス……」
そして得られた情報をもとに、魔物たちは総合的に判断を下す。
シュルシュル……
羽の生えた、熱い血の流れる、鎌を備えた、筋肉質の獲物。
シュルシュルシュル……
鎌のおかげで〝とにかく〟肉にありつける機会が増えている。そのうえ、
シュルシュルシュルシュルシュルシュルシュルシュル……
「うおおおおおおおっ!!!!!!!」「どけ!ヘビどもっ!!!!!!!」
シュルシュルシュルシュルシュルシュルシュルシュルシュルシュル……
〝熱い〟餌が移動して自ら近づいてきている。
すなわち好機を得たと。
シュルシュルシュルシュルシュルシュルシュルシュルシュルシュルシュルシュルシュルシュルシュルシュルシュルシュルシュルシュルシュルシュルシュルシュルシュルシュルシュルシュルシュルシュルシュルシュルシュルシュルシュルシュルッ!!!!
「斬っても斬っても湧いてくるぞこいつら!!」
斬獲する者が無量大数の魔物を爪で狩る。
「いいから斬れ!ヘビども死ね!!!」
篭絡する者が無量大数の魔物から翼で守る。
無量大数の魔物は無量大数の魔物を食らいつつ、綾瀬と世良田を追いかける。
既に日は高くなり、もはや熱量を求める必要はない。
「「「「「「「「シャアアアアアアッ!!!」」」」」」」」
欲しいのは単純に血肉。シンプルに命が欲しい魔物たち。
それを蹴散らし、血煙の中を突き進むビトレイヤー二人。
「ぶはあっ!はあ!はあ!はあ!はあ!はあ!はあ!はあ!はあ!」
「はああ、はああ、はああ、はああ、はああ……」
その二人はとうとう、神殿聖域へとたどり着く。
「まだ生きていたんだ」
「「………」」
血まみれ、汗まみれ、泥まみれ、蔓まみれ、草まみれの二人は死にかけたおかげで、ただただ目の前の状況を観察できる。
「「はあ、はあ、はあ、はあ、はあ……」」
石畳の上。
パチパチ……
崩れた石で組まれた小さな竈の中、赤く熾った木が火の粉を立てる。
鋼鉄製の黒い大鍋が焚火にかけられ、その上にはやはり鋼鉄製の黒い中華鍋がかぶせてある。大鍋と中華鍋の隙間からは湯気が立ち上る。そして中華鍋の中では首を失ったヘビ型魔物がグツグツと海水で煮られている。
「ずいぶん時間をかけたから、もう大丈夫かな」
プシュー……
石に腰かけていたジョーカーが腕時計を見るのをやめ、立ち上がる。素手のまま、加熱した中華鍋を持ち上げる。そして大鍋の熱湯海水の中央に置いてあった純鉄製のカップも手に取る。
ガチャン。ガチャン。ガチャン。ガチャン。ゴトゴトン。
「ぼろ雑巾みたいになって、おつかれさま。用が済んだらもっとボロボロに殺してあげるから、それまでゆっくりして逝って」
そう告げ、モウモウと湯気の立ちこめる魔物鍋と沸騰させた蒸留水を二人の眼前に置く志甫。
《報告。目の前の水と料理は無毒》
「……」
世良田の目は志甫から離れない。離せない。
しかし志甫は二人を見ていない。既に元の場所に戻り、鉄の串に刺した焼き魚を手に取っている。海の彼方を見ながら魚の肉を歯で千切り、少しずつ食べている。
ズズ……
「?」
隣で上がる日常音に思わず反応して顔を向けてしまう世良田。
「あつ……」
急速に熱を失った温い蒸留水をそっと口に含み、ほっとした顔をする綾瀬。その腕から伸びるカルシウムの鎌は少しずつ中に退いている。腕が元の形に戻っていく。
「………」
何か口に出して言おうと思っても、言葉が出ない世良田。汗と呼気と出血で身体から水分を失い過ぎて、喉まで涸れていることに今更気づく。
ス。
何も言わず綾瀬が世良田を見ながら、カップを差し出す。
「……」
世良田が涙ぐむ。背中に生えた翼が体内へと退いていく。
ズズズ……ゴク。
カップを受け取った世良田は肩を震わせ、湯で口とのどを潤した。
シュルシュルシュルシュルシュルシュルシュルシュルシュルシュルシュルシュルシュルシュルシュルシュルシュルシュルシュルシュルシュルシュルシュルシュルシュルシュルシュルシュルシュルシュルシュルシュルシュルシュルシュルシュル……
「さて、そろそろいいかな」
陽が動く。
湯を飲み、飯を食い、汁を食い終え、疲れ切り呆然としている二人。
神殿を取り囲むが襲ってこない魔物をぼんやり眺めすぎて全種類の特徴と名前を覚えてしまった世良田と綾瀬にやっと、志甫の声がかかる。太陽は中天をとうに過ぎている。日差しが強い。けれど日陰は一か所しかない。志甫の上のみ。
「「……」」
真上から焼きつけるように照る日射し。熱くなる一方の地面。神殿の四方八方を囲む無数の魔物。
「まずは、壮大なゴミ箱みたいな島へようこそ」
そして鎮座する最狂の凶器。
《報告。ジョーカーの機動戦闘車両が完成。120mm滑腔砲に厳重警戒》
二人の戦意を喪失させるには十分だった。
「それで、ここへきたのはなぜ?」
微笑を揺らす志甫。
「飛ばされた」
綾瀬より先に、世良田が口だけ動かして答える。
「どうして飛ばされたの?」
「お前がここ……」「殺されて来いって」
生きるテンポと頭の回転が速い世良田の方が、綾瀬より先に簡潔に答える。
「どうして俺に殺されることになったの?」
「んなこと知るかよ!」「……ビトレイヤーになった」
肝心な答えを、綾瀬が遅れて告げる。
「ビトレイヤー?何それ?」
「……天使を殺すヤツ」
「この異世界にきた〝あの中〟で、二人だけそういう力を与えられた。それが俺たち」
「よく分からないな」
志甫が脚を組みなおす。
「天使ってあのサンダルフォンのこと?それとも「翼をください」って言った俺に対する皮肉?比喩?」
「天使は天使。あのサンダルフォンにきまってんだろ」「天使を殺させないために、ビトレイヤーをどこかに飛ばそうって話になったんだ」
「へえ。それで俺のいる場所にね。ふふふ、なるほど」
二人がかりでようやくまともな回答を得た志甫が笑う。
「ちなみに誰が〝そう〟決めたの?」
「あのブサイクのクズ委員長に決まってんだろ!」「……」
「へぇ。俺はてっきりお前の彼氏の大音師かと思ったよ」
「ざけんな!あんなクズ男だったら先に崖から突き落としてんだよ!!」「……」
「でもそうか。あの出来損ない天使にはそういう罰がオマケみたいについているんだ。それは知らなかった」
「「……?」」
綾瀬と世良田は志甫の手の先が黒く光っていることに気づく。
《ジョーカーの自動拳銃に注意》
ベレッタM92F。
一時代を築いたイタリアンオートが右手に握られている。
「等価交換だ」
左手でスライドを引きホールドオープンする志甫。息をのむ二人。
「お前たちは有益な情報を1つ僕にくれた。だからどちらか1人だけ、殺さないであげる」
「「!」」
綾瀬と世良田の脳がぐらつく。めまいが起きる。不感が消える。死の覚悟が薄れていた生の命が激しく揺さぶられる。
「はあ、はあ、はあ、はあ、はあ、はあ」
気が狂いそうになった世良田が過呼吸になり、堪えきれず、綾瀬を見る。
「俺だ」「!」
目を血走らせた世良田の息が止まる。胸に手を当てたまま、頭が真っ白になる。
(また捨……)
「お前がジョーカーに選ばれるのを止められなかったのは俺だ!だから殺されるのは俺でいい!そのかわり!」
志甫の真っ黒の眼球に白い光点が灯る。
(え?)
「世良田は助けてやってくれ!」
(何言ってんの……)
「こいつ!実はけっこう良い奴だから!頼む!」
最初から純白の頭で、土下座をする男。
「……」
かすかに鼻を鳴らす志甫。
「……バカじゃないの」「……」
両手を投げ出し、震える女。
(誰がそんなこと……)
「うわあああああああああーんっ!!!!」「……」
耐えきれなくなり、女は天を仰ぎ、哭く。
男は熱い地面に額を押し付けたまま黙る。
「………」
機械仕掛けの死神は全てを凝視する。
膨大なアルゴリズムを処理する。冬のアルファ。雪山のシータ。夜のオミクロン。橋の形をしたラムダ。家出した高校生のシグマ。入水自殺した理由オメガ……。
死神の演算した、冷たく美しい解答は、
「この島がどのへんにあるのか、天使はお前たちに言った?」
「!」「……」
女が泣くのを止める。男は自分の記憶力の弱さを悔やみ、さらに額を地面にこすりつける。
「フィリニア!フィリニアって言った!」
女が身を乗り出して全力で叫ぶ。
「フィリニア……それはどのへんにある島?」
「あの時全員でいた高い場所から、南西に三千キロ!天使かどうかは覚えていないけど、確かにあの時、みんなに聞こえる声で、そういう報せが流れた!絶対に流れた!アタシの命をかけていい!絶対にフィリニアって言葉が流れた!!南西三千キロ!!」
顔をクシャクシャにしながら世良田が志甫に向かって吠え続ける。その志甫は既に白眼を消して黒だけの眼球に戻っている。
「あっそう。……じゃあ有益情報を2つもらったから、二人とも殺さないよ。少なくとも君らが天使サンダルフォンを殺すまでは、僕は君らを殺さないと約束する」
「ほ、ほんとか!?うわっ?」
「このバカッ!大バカッ!勝手なこと言うなっ!ざけんなっ!!」
綾瀬に抱きついて泣きじゃくる世良田。
「あ、えっと、すまん」「かっこつけんなよぉ……うう、うう……」
抱きしめられ、どうしていいか分からず狼狽える綾瀬。
「やっぱりそういう関係だったんだね。良かった」
押し倒された綾瀬と押し倒した世良田を微笑みながら見つめる志甫。
「これでオトリが増えた」。
「「?」」
抱き合う男女二人は、志甫が右腕を天に向けているのに気づく。
パン。
ジョーカーが引き金を引き、ベレッタM92Fが小さく火を噴く。パラベラム弾の薬莢がカランと石の上に落ちる。
「変だと思わなかった?」
ゾゾゾゾゾゾ……
魔物たちが一斉に神殿から去り、四散する。
《警告。警告。警告。警告》
「なぜ、空を飛べてしかも銃をもつ僕が、島から脱出しないのかって」
ゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴ……
大地が上下左右に震え始める。綾瀬と世良田は身を起こして抱き合ったまま悲鳴を上げる。
「それはね」
《精霊位の魔物が出現。警戒順位変更。最優先をジョーカーから魔物リ……》
ウォオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ……
全長5キロを超える魔物が、島の周囲に浮上する。召喚者二人の脳裏を流れる天の声すらかき消す怒声を上げ、雄大な身体を大きくくねらせる。波の色が群青から水色、白に変わる。
《警告》
海面の高さがあちこちで歪む。海底が水の摩擦で唸る。歪みが集まる。
ォォォォォォォォオオオオオオオオオオオオオオオオオ………
動きながら、島を呑み込むほどの巨大な口になる。
《嘯滅波タイダルウェイブの衝撃に備えよ》
ドバアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!!!!!!!!!!!
「「うああああああああああっ!!!」」
島全体を巨大な高波が襲う。神殿も、森も、岩も、何もかもが潮を被る。潰れる。倒れる。転がる。砕ける。流れる。散る。
ザザー……ザザー……
「「………」」
ザザー……ザザー……
『こちらクロフネ』
相変わらず石に腰かけ脚を組んだままの怪物が、内臓スピーカーを体外へ露出させ、島全体に呼びかける。
怪物。
押し寄せた超高層の圧力波でも微動だにせず神殿の中に留まり、瞬時に満貫の海水を気化させて平然としているジョーカー。志甫蒼空。すなわち、
『コトリとトカゲへ。どうぞ』
空中航空母艦にして、トカマク型核融合炉で発電する原子力機動要塞。怪天。
「がはっ!?えほっ、えほっ!」「ぶはあ!ごほっ、ごほっ!」
息を吹き返し、最初に目覚めた場所に戻されていると知る召喚者二人。
二人にとって最初と違うのは、
『こちら黒船より小鳥と蜥蜴へ。どうぞ』
スピーカーによる呼びかけがあること。そして、
『〝見ての通り〟島のまわりには一匹、厄介な魔物が我が物顔で泳いでいる。神話の魔物リヴァイアサン。そいつは僕の銃声とプロペラ音に反応して攻撃してくる。つまりこのフィリニア島の管理者があの魔物。僕はこれからそれを殺す。そしてお前たちはその手伝いをする。分かったら〝彼岸〟へ戻っておいで。さもないと』
シュルシュルシュルシュルシュルシュルシュルシュル……
『本当に犯されちゃうよ?』
冷たい海水を被ったせいで再び体温が下がり、熱源を求めて這い出して来る幾千幾万のヘビ型魔物たちを前に、
「はぁ、はぁ、はぁ、はぁ……」「ふぅ、ふぅ、ふぅ、ふぅ……」
《報告。ビトレイヤー同士の心理的結束キズナによってレベルアップ補正付与》
『生命の根源は運動だ』
ムキムキ、ヴァザッ!!! ビキビキ、シャキィンッ!!!
翼と爪をそれぞれ得た、ビトレイヤーになったこと。
「ふぅ……」
コトリ。背中全体に盛りあがった筋肉で、滑空できるようになった世良田莉子。
「はぁ……」
トカゲ。前腕全体まで丈夫な鱗を得て、尻尾まで生やした綾瀬圭祐。
『止まっている奴は死ね』。
「「うおおおおおおおおおおおおおおっ!!!!!」」
二人は全身全霊で叫ぶと、自分たちにあだ名をつけたジョーカーの元へ再度突撃していった。
空気が張り詰める。
「ほ、本当にうまくいきますかね?」
「分からない。試してうまくいかなきゃそれまでだ」
「分かりました。テイザキさんと最期まで添い遂げられたのなら何も思い残すことはありません。でも本当は思い残すことがあって最後の時は思い切り私を抱」
「何言ってんだ?うまくいかなかったらまた上に戻ってイカコウモリを食って作戦を練る」
「……ですよね。はい」
《報告。上位の魔物ベルゼブブ、タイプ:タケがついに活動開始。魔物テッポウキノコを克服。方法推定、獲得免疫に加え、植物ランの種子発芽機構を模倣。テッポウキノコ胞子から栄養を逆搾取することにより胞子の発芽を阻止する能力をベルゼブブの体細胞が獲得》
なるほど。つまり俺たち二人が上層に戻って「やり直し」はできないってことか。
要するに一発勝負。
地上迷宮セキドイシ60階層。
「グルルルルルルル」「キュゥゥゥゥ……」
まずいというかやばい。
イカコウモリの食いすぎの可能性もあるが、たぶん興奮しているせいでトイレに行きたくなってきた。
この興奮。胸熱の予感。
セキドイシ頂上で見逃したロックバードVSアリゴブリン以来だ。
「ヴォアアアッ!!!」「ケアウッ!!!!」
魔物だらけの迷宮セキドイシの60階層。
この階層のメインイベントが今始まる。
フェンリルVSコカトリス。
徘徊型の支配種VS定住型の支配種。
本来なら戦うはずのない両者のマッチングがとうとう実現した。
運営、実況:釘崎鉄太郎。スタッフ:ピノン。解説:脳内再生。
「あれ?いない!」
ピノンの目にフェンリルは追えない。もちろん俺の目でも無理。ただ分かったのは相手を威嚇しながらそっと尻尾で石筍を折り取っていたことと、今もって壁のあちこちに残していく足跡と亀裂。移動速度が速すぎて見えない。
《報告。魔物フェンリルの隠し武器》
ドムンッ!
「「!!」」
石筍がコカトリスに当たる。というかコカトリスの広げた左翼が石筍を防ぐ。見切ってたのか!?まじかよ。
《は、石筍にあらず》
ザグシュッ!!!ザザザオンッ!!!
「す、すごい」
フェンリルのいつの間にか大きくなった爪がコカトリスの顔に触れる直前、コカトリスの不気味に光る右翼がフェンリルの腕の付け根めがけて、変な軌道を描きながら旋回。
ブシュウウウウ……
「ああ。初撃で二匹ともボロボロだ」
《報告。黒閃鉱ヂカブライトで覆った黒爪ネムリナガシに対し、白閃鉱イユニライトを纏った白翼ジャレユキで反撃。魔物二体ともに隠し武器を使用》
メリケンサックをつけたヘビー級ボクサーと仕込み刀の座頭市がやりあったみたいだ。
ちぎれてダラリと落ちるフェンリルの腕。
グシャグシャに潰れてボチャリと落ちるコカトリスの顔半分。
見ていてマジで寒気がする。
「あっ、傷が再生していきます!」
ふさがる傷。元に戻るフェンリルの腕。戻って相手を睨みつけるコカトリスの顔面。
「ボスキャラはやっぱすごいな」
手の汗を拭いながら感想を漏らす。
「こんなの相手にしたら、命がいくらあっても足りません!」
「ああ。だから俺たちは相手にしないんだ」
孤狼フェンリルと凶鳥コカトリス。
どちらも強いを通り越して強すぎる。
だから、互いにぶつかり合えばどちらかが滅びるのは必至。
そんなことはお互いに、とうの昔から分かっているはず。
生物も魔物も馬鹿じゃない。
だからちゃんとすみ分けて、殺し合わないようにしてきた。
すみ分け。ニッチ。
それは生存本能。
食べ物、活動時間帯、住処。
それらをわずかでもずらすことで、競争的排除をなくし、絶滅を防ぐ本能。
それがニッチ戦略。
自分だけのオンリーワンを探し出し、そこで自分がナンバーワンに君臨する生存戦略。
オンリーワンだから、ナンバーワンになれて、生き残れる。
それが生物のお約束。魔物のお約束。
約束を破れば死。それは生物も魔物も例外がない。
だから俺とピノンは二週間かけて、そのニッチを壊した。
夜行性のフェンリルと昼行性のコカトリス。
この地上迷宮79階層から60階層までは「昼」と「夜」がある。
白閃鉱イユニライトの輝く「昼」と、黒閃鉱ヂカブライトの輝く「夜」。
フェンリルは夜に獲物を狩り、昼は、60階層以外のどこかで所かまわず眠る。
「コッキャアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッ!!」
79階層から61階層を移動しながらピノンと俺はイカコウモリの超音波に頼ってフェンリルの位置を特定し、その階層近辺に潜伏。昼間になってピノンが魔物の鳴きまねをする。真似するのはもちろんハナクジャク。
「「「「「「「「「!!」」」」」」」」」
ハナクジャクの鳴き声ごときで支配種フェンリルは起きない。
けれど他の魔物は違う。
驚天動地でとにかく大移動。イヌリスもネコヤモリもイカコウモリも逃げ散る。
安全な場所を探し、階層まで上げ下げして逃げまくる。
そしてかなうはずのないフェンリルに運悪く遭遇してしまう個体が出てくる。
「グルルルル……」
勝手に集ってくる餌のニオイと自分の周囲を動き回るわずらわしさでフェンリルはしぶしぶ目を覚ます。そしておっとり食事を始める。
で、腹が満たされれば動かないのが肉食獣のお決まり。狩りのためのエネルギー温存は欠かせない。
こうして夜は動かず、いつの間にか昼に動くようになるフェンリル。
一方の俺。79階層から61階層まではあくまでピノンの護衛だが、60階層では俺がメインで仕事をする。
ポワン。
下層出口に近い縄張りから基本的に出ようとしないコカトリスの風上で、テロリストのように夜間にデスノートをやりまくる。死臭炸裂。鼻栓をしたピノンまで失神する。
「クッキャアアアアアッ!!!」
階層移動はしなくても、怒りのあまり縄張りを出てニオイの原因を探し回るコカトリス。
でもその時には俺はピノンを担いで上層に逃げている。
デスノートが充填したら、また下層60階に降りて今度は別のデスノート。
まだ俺はトップノートしか出せないが、この二週間の食事でノートの種類は少しばかり豊富になった。
ロープと岩と鉱石があれば大抵の魔物は罠と斧で仕留められる。
ピノンのハナクジャクの鳴きまねで逃げたイカコウモリはもちろん、ネコヤモリやイヌリスも含めて俺は食った。おかげでトップノートの種類はヤギヘビ、バイオリンエビ、イカコウモリ、ネコヤモリ、イヌリスの五種類もある。
「クッキャアアアアアアアッ!!!!」
コカトリスの夜の睡眠妨害には十分な種類のノート。こうして俺はデスノートをやりまくり、コカトリスの活動時間帯を昼から夜に移し、しかも縄張りの拡大に成功した。もう出会ったら即死級のナイトランナーと言っても過言じゃない。
そして現在に至る。
輝く鉱物は「白」。つまり白閃鉱イユニライトが生み出す昼。
79階層から61階層において安全地帯がもはや分からず、80階層に逃げてしまった低位の魔物たちは今頃ベルゼブブの腹の中か、テッポウキノコの苗床。ベルゼブブは各階層の魔物をほとんど絶滅させるまで降りてこない完璧主義者っぽいから逆に助かる。魔物が下から上がってくるたびに、自分自身が下に降りるのをやめてくれる。
で、困るのはフェンリルとコカトリス。
《報告。80階層に移動した魔物たちが次々にテッポウキノコに感染し、一部が下層へ逆行》
餌にしていた魔物の個体数が減る。
上層80階に逃げてしまった分と、寝ていても容易に手に入りそのまま際限なく食った分、怒りの余り走り回って腹が減り余分に食い漁った分、減る。
とにかく魔物の絶対数が上層へ行くほど激減して、仕方なくフェンリルは腹を減らして昼間、下へ下へと降りて来る。腹が減りすぎてデスノートなしでも不眠状態になり、昼も夜も関係なしに餌を探し続けているコカトリス。
だからそいつらがぶつかれば当然、ただじゃ済まない。
ニッチはなくなった。
残るは競争的排除。強いモノが生き残り、弱いモノは殺されて食われるだけ。
「はぁ、はぁ、はぁ、はぁ」「………」
フェンリルが噛みつく。コカトリスが羽ばたく。フェンリルが引き裂く。コカトリスが蹴る。フェンリルが頭突きでなぎ倒す。コカトリスが脚の爪で刺す。フェンリルが首に噛みつき窒息させようとする。コカトリスが柔軟な首を回転させてフェンリルの眼球をくちばしで何度も突き刺す。そして舌でフェンリルの脳を掻き出す。
ドズゥーンッ!!!!
勝敗が決する。
最強と最強が戦い合い、ボロボロになって生き残ったのはコカトリス。
ただでさえ気性が荒い凶悪な魔物は寝不足で死ぬほど機嫌が悪かったから、勝ちを拾えたのかもしれない。
ムッシャッ!ムッシャッ!ムッシャッ!ムッシャッ!
傷の再生すら行わず、ひたすらにフェンリルの内臓を食い漁るコカトリス。
《報告。複数の魔物ハナクジャクが60階層に到達》
「やっと来たか」
俺はピノンに「すまん」と謝り、後ろから抱きしめる。
「ちょっとテイザキさん!いくら昂ぶったからってこんな時におっぱじめるつもりですか!?」
「静かにするんだ」
俺はカタレプシーを発動する。急激な体温低下にピノンが驚いて固まる。
「……」「………」
そこらに転がる鉱石に擬態した俺とピノンに気づかず、60階に降りてきて雄叫びを放つハナクジャクたちはそのまま〝餌〟に向かって走る。
餌。
湯気を立て、旨そうな、壊れた匂いを放つフェンリル。そして、
「クッキャアアアアアアアアッ!!!!」
獲物の横取りを警戒してさらに機嫌を損ねるコカトリス。
動かないフェンリルではなく、動くコカトリスに群がるハナクジャクたち。
コカトリス。ハナクジャク。
どちらも本来であれば、定住性の魔物。
縄張りから出ずに待ち伏せる魔物。
ちがいがあるとすれば、コカトリスはメス。それに対し今襲い掛かっているハナクジャクはオス。
「勝てるはず、ないですよ」「ああ」
ハナクジャクの群れをやり過ごし、カタレプシーを解いた俺に、ピノンがつぶやく。
ビュアアッ!!ブシュウウッ!!ザシュンッ!!!!!
いくらハナクジャクが遠くから超強酸を吐こうと、コカトリスには通らない。通る前に真空刃で首を刎ねられるのがオチ。
とはいえ、それでもひるまず、コカトリスに延々と立ち向かって玉砕していくハナクジャクたち。
「どうして、どうして……」「……」
栄養失調で傷の再生が間に合わないコカトリスの傷口に、超強酸の一発がかかる。コカトリスが悲鳴を上げる。ハナクジャクとフェンリルの流した血液で滑り、転倒するコカトリス。そこに群がり襲い掛かるハナクジャクたち。コカトリスの羽をむしり、でも秒殺される。けれど次のハナクジャクがまた羽をむしりに来る。でも秒殺される。けれどまた別のハナクジャクが羽をむしる。秒殺されるも、コカトリスの肉がむき出しになる。
ブシャアッ!
「クッキャアアッ!」
今度はゼロ距離で傷口めがけて超強酸を放ち、秒殺されるハナクジャク。でもコカトリスの肉は溶け、皮膚も筋肉も神経も爛れ、骨が露出する。そこへ容赦なく集るハナクジャクたち。一切の迷いも、ためらいもない。嘴と爪と酸は支配種の骨すら破壊していく。
「テイザキさん」
痛々(いたいた)しい光景を前に、ピノンの声が俺の耳にそっと届く。
「なんだ?」
「もしかして、何かしたんですか?」
「……ああ」
「何、したんですか?」
「そうだな。口で言うのは難しいんだが」
地上迷宮セキドイシ79階層から61階層。
個体数を激減させた魔物たちの中で何が起こるか。
ヒトと同じで、同じ種族の中でも、繁殖できない個体がいる。
弱いから、魅力がないから……
理由はさまざま。
とにかくオスとメスが交尾して種を残す生き物たちは、子どもを残せる個体と残せない個体がいる。
魔物ハナクジャクもそれは例外じゃない。
ハナクジャクの場合はメスがオスを選ぶ。
オスはメスを巡って争い、より強いオスがメスに選ばれて交尾に成功し、子どもを残せる。
「魔物の数が減ったろ?ハナクジャクのオスはお前の鳴き真似に驚かないけど、餌が近くにいないもんだから、体を大きく強くするために餌を探しに移動して、それでフェンリルに見つかってパクリ」
「はい」
「そうするとハナクジャクのオスはどうなる?」
「いなくなります」
「ハズレじゃないけど、当たりじゃない。ハナクジャクの強いオスはいなくなる」
「?」
「移動能力の高い〝強い〟オスはフェンリルに食われるが、そうじゃない〝弱い〟オスはまだフェンリルに見つからず、生きてる」
「……」
腐肉を食えるハナクジャクはとにかく死骸があれば生き延びられる。フェンリルすらいやがる腐肉になった死骸は、探せばどこかにある。
こうして、強くなくてもとりあえずフェンリルから生きのびたオスは、フェンリルに食われた強いオスと戦わずして、結局メスとの交尾にありつける。
「しかもハナクジャクの場合、弱いオスほどメスへの気配りが上手い。メスにせっせと餌を運んで良く面倒を見る。子どもを何が何でも産んで欲しい本能かもしれない」
「そんな話をテイザキさんに抱きしめられながら聞かされたら私も子どもが欲しくなります」
「問題はここからだ」
「?」
「そんな〝弱い〟ハナクジャクのオスの目の前にフェンリルがもし現れたらどうなる?」
「え……」
「フェンリルが現れなくてもいい。エサが本当になくなって、それでもエサのニオイを60階層でやっとかぎつけて、その目の前に強敵コカトリスがいたらどうなる?」
「……」
「ハナクジャクの〝弱い〟オスはそれでも戦う。逃げない」
逃げるという選択肢はありえない。
「オスは何が何でも戦う。持てる全てを出し尽くして最後の最後まで戦う」
限界を超えて戦う。死ぬまで戦う。
「交尾を終え、やっとの思いで子どもを得たハナクジャクのオス個体は、絶対に逃げない」
なぜなら、
「守るべき者がある奴は、死んだフリをしたがらない」。
「キュッ!ケェエ……エアッ!」
ドスウウウウウウ―――ン!!!!
「……決死の覚悟」
「そういうことだ」
「……」
《報告。死んだフリスキル「死想看破魔眼ワカリミヌマ」がレベルアップ。魔眼の性能が向上》
動かなくなったコカトリスを確認し、俺は「死にたがり」を見分ける魔眼を解除する。
ドサ。……ドサッ。
限界突破してコカトリスを倒した瀕死の猛者たちは、本来の目的である「餌の確保」をはじめながら、次々に息絶えていく。精も根も尽き果てたから、仕方ない。
「さて」
最後のハナクジャクが息絶えたのを確認して〝現場〟に向かう俺。
「ここまで、最初から読んでいたんですか?」
ハナクジャクの肉を斧で切り取り口に入れている俺に、ピノンが尋ねてくる。
「ん?まぁ、ハナクジャクのことが分かってから、だな」
79階層から61階層までのキーストーン種。
最強でも最弱でもないけど、それがいないと生態系の多様性が崩壊する種。
ハナクジャクはまさにそれ。魔物たちには申し訳ないけど、だから選んだ。
「もぐもぐもぐ……うっぷ!」
想像以上にこれはまずい。酸っぱすぎ。まぁデスノートにはもってこい、か。
「テイザキさんは召喚者とおっしゃっていましたが、召喚者様はみなそのようなことができるのですか?」
ピノンの長い耳がどこか、震えてる。
「分からない。何せ俺はすぐにみんなと逸れたから……お?」
フェンリルの死骸がここにきて光り出す。
シュウウウウウ……ドロロ……
「うへっ」「くっさ!」
肉があっという間に溶けてなくなる。地面に腐汁が吸い込まれていく。骨だけが残る。
サー……
その骨すらも瞬く間に風化して崩れる。
キラン。
「何か光ってます」
何も残らないと思っていたフェンリルの死骸の中心に、光るものがある。
「ああ。なんだろうなアレ」
《報告。迷宮セキドイシの財宝。孤狼の弓オクリオオカミの出現》
「俺の頭の中の知恵袋いわく、この迷宮の財宝だとさ」
「ほぇ!?すごいじゃないですかテイザキさん!セキドイシの財宝って言ったらどんなガラクタでも一財産築けてしまうとの噂です!」
「そうなのか」
財宝。
こっちの都合でニッチを破壊し、たくさんの魔物の命を犠牲にして手に入れたモノ。
だから正直、うれしくはない。
とはいえ、お金になる、か。
「弓ねぇ」
《報告。孤狼の弓オクリオオカミは矢をつがえなくとも弦を弾くだけで風の刃を放つことが可能。ただし魔力を消費する》
風の刃。魔力。
「……そうか。じゃあ、はい!」
俺は弓をピノンに差し出す。
「どうしたんですか?テイザキさん」
「これは矢がなくても魔法の力で風を矢の代わりにして撃てるらしい。マジで相当なお宝だ。お前にやる」
「え?」
戸惑った表情をするピノン。耳が一度、激しく動く。
「テイザキさん」
うつむき、俺の握る弓の上に手を乗せるピノン。
「どうして私にこれをくれるのか、教えてください」
「お前の言う通り、迷宮の外に出た時にこれを売れば相当な金額になる。金があれば自立して生きていけるだろ」
「自立って、なんですか?」
「一人でも生きられるってことだ」
「……本気で言ってるんですか」
「自立に金は必要だろ」
耳がまた、いや前より激しく震えてる。
「……本気で、欲しがると思ってるんですか、私がテイザキさんからそれを」
「思ってる。お前はこの二週間で強くなった。誰にも服従しなくていいほど強くなった。だからここを出たら好きなことを好きなようにやって自由に生」
バンッ!ガランガラーン……
痛った~。手ごと弓を弾かれた。
「いらないのか。成功報酬……おっ!あぶなっ」
ドサッ!
「いるわけないでしょ!!!!」
割れるようなエルフの大声が洞内にこだまする。
「気づいてよぉ、それくらぃ……」
やば。また泣かしてしまった。
「あの……ごめん」
「?」
「お前を利用するために一緒に行動しているんじゃないって、マジで信じてもらいたいから、ちょっとからかっただけだ」
自分のことを本気で信じてもらうのは、死んだフリよりはるかに難しいから。
「………」
「俺は弓矢なんて扱えない。それにどっちかっていうと接近戦の方が得意だ。だからピノン、お前に俺の後方支援を任せたい。というわけで魔法の弓を渡した。それだけだ」
「ほんとにそれだけ、ですか」
「ああ。要らなきゃ捨てていい。それと俺を背後から撃つのは止めてくれ」
「捨てません。持っていきます。メスが近づいたら正面から撃ちます」
「そっか……おい。いつまでそうやってるつもりだ」
「嘘をついていないかどうか、はっきりするまでです」
「はっきりするまでって、どうやって確かめ」
「しないんでしょ?」
「何を?」
「死んだフリ」
「?」
「言ったじゃないですか、さっき」
「さっき?」
「守るべき者がある奴は、死んだフリをしたがらない」
「確かに言ったが、あれは魔物の場合で……」
「いきなりエルフの乙女を後ろから抱きしめて死んだフリするくせに嘘つくんですか」
「いやそうじゃなくて」
「うるさいです!」
ギュ。
「あっ、おい!」
「お願いですから少しだけ、少しだけこうさせてください」
「……」
「今度は本当……あったかい」
後ろから抱き着かれて体温をいきなり奪われたことを根に持っているらしい。仕方ない。奪う必要ないくらい既にピノンの体温は高い気もするが、俺は彼女の抱き枕になる。
コッギャ#ア%ア……
「「そうやってハナクジャクの鳴き声で脅かそうとしても」」
「俺は硬直しない」「私は離しませんから」
………。
「「ふぁ?」」
仰向けで抱き枕になって倒れている俺は胸の上のピノンと顔を見合わせる。
「コッギャ#ア%アア……」
「「!?」」
《警告。60階層の支配種を失ったことにより迷宮セキドイシが新たな階層支配種を合成中》
なんだと!?迷宮が魔物を合成?
「コッギャ……ア$ア“アア&$#ア…………ウピピピピピピ」
《緊急警報。即時の離脱勧告。石化魔法を使う上位の魔物バジリスクが出現。孵化まで110秒》
ハナクジャクたちの血肉と腸がうごめいて集まり、みるみる一つの動く塊になる。なんだ、この禍々(まがまが)しい気配……。
ググググ……
それに、今にも破裂しそうな球体……違う!開きそうな瞼だ!中には目玉が入ってるのか!?
《警告。現在地の即時離脱を提言。バジリスクの魔眼による石化魔法ノイシュヴァンシュタインは、死んだフリスキル所持者にも有効。魔眼の射程圏外への即時避難を提言》
「ピノン!全力で逃げるぞ!」「はい!!」
バトルアックスと荷物をもった俺は孤狼の弓オクリオオカミを拾ったピノンの手を引き、大急ぎで59階層へと駆け降りていった。