その3
行商人「お~い!ラクダの乳を頼む!喉が渇いて死にそうだ!」
店主「一か月ぶりだな。今日は冷たい氷水もあるがどうする?」
行商人「何!?今日は氷水があるのか!ならもちろん氷水だ」
店主「ラクダよりちと割高だぜ?」
行商人「かまうもんか!こちとら稼いできたばかりだ。それに「氷水は女房を質に入れても飲め」ってここらじゃ言うじゃねぇか」
店主「そういうのは女房を手に入れてからいいな」
行商人「しかし今日はバカに賑わってんな」
店主「ああ。いつもの探索ご希望様さ。ほらよ、氷水だ」
行商人「おっ!ありがてぇ。へへ、いただきます。……ゴクゴクゴクゴクゴクゴクゴクゴクッ!ぷはあっ!生き返るぜぇ」
店主「あの団体さんが挨拶代わりに水を凍らせた樽を置いていきやがった。どれだけ金持ちなんだか。ついでに生活用水用のミズトカゲでもくれりゃあ、ケツを舐めても良かったがな」
行商人「そのタダでもらった氷水を高値で売ってるんだから、この店のヤクザ店主も地獄行確定だな」
店主「ここらじゃ売れるもんはなんだって売らねぇと生きていけない。地獄とたぶん一緒さ。ちなみに俺は地獄でも悪魔に土地を借りて食堂をやるつもりだ」
行商人「あっそ。なら俺は悪魔の代わりにミズトカゲを売りに行商に出向いてやんよ。で、どこの連中だ?」
店主「奴らか?素性は知らんよ。興味もない。マルコジェノバ連邦のどこぞの河川敷で金鉱をたまたま掘り当てた成金貴族の名前なんざ覚えたって仕方ない。この地で知っとかなきゃならんことは」
行商人「どのランクが、何人で、あの迷宮セキドイシに挑むかってところか」
店主「そうだ。その話題でうちの店はもってるようなもんだからな」
行商人「冒険者ギルドでもねぇのに結構なこった。で、今回の連中は?」
店主「64人だと」
行商人「64!?すげぇな。軍隊でいやぁ二個小隊規模じゃねぇか」
店主「成金野郎が金にものを言わせたっていうのもあるだろうが、そもそもリスク承知で冒険者が集まるのは、それだけ迷宮セキドイシに魅力があるってこった」
行商人「地上迷宮セキドイシ……50階層より上に昇って生きて帰った奴はいねぇ……」
店主「そして頂上には神鳥ロックバードの巣があるって噂だ。ロックバードの卵1個でも持って帰れば店が3軒立つぜ」
行商人「こんなボロ食堂なら住居付きでも10軒くらい建つだろうさ」
店主「氷水の次はなんだ?ラクダのクソでも食うか?」
行商人「クソじゃなくてラクダ肉のミルク粥にしてくれ」
店主「ふん」
行商人「連中の狙いは?どうせ〝安物〟のロックバードの卵なんかじゃねぇだろ」
店主「当たり前だ。この「タルバカン」に来る命知らずどもの狙いはいつだって同じよ」
行商人「……ウゴエか。どいつもこいつも懲りねぇな」
店主「ああ。謎多き迷宮セキドイシの秘宝ウゴエ。俺が子どもの頃聞いた冒険者の話じゃ、50階層までのどこかにあるらしいが、どんな秘宝なのか、詳しいことを知る奴は誰もいやしねぇ」
行商人「そんなあるかどうかも分からねぇ宝物に命をかける連中の気が知れねぇよ」
店主「まったくだ。ここで生まれ育った俺ですら、そもそも迷宮が頂上まで何階層あるのかも知らん」
行商人「そう言えばあんた、何年この店をやってんだよ?」
店主「お前のお袋がお前の親父に騙された時より前からだ」
行商人「そうかい……で、あの連中、腕は立つのか?」
店主「ぼちぼちだ。Bランク以上の冒険者が五人以上いて、回復系統の魔法を使える魔法使いを〝そこいらの冒険者より大勢〟揃えているらしい。成金貴族に迷宮探索はやめとけって一応声を掛けたら自慢気にご丁寧に教えてくれたぜ」
行商人「へへ。なるほどな」
店主「ついでに、「魔法使いは奴隷ばかりだから、逃げずに私のために死ぬまで回復魔法を使う」とさ」
行商人「死ぬまで、か……」
店主「奴隷紋があるから逃げられん。傷を負った主人を治癒して、いざとなれば主人の身代わりにされて終わり。それが奴隷の人生だ。ほれ、ラクダ肉の飯だ。乳は自分で好きなだけかけて食え」
行商人「どうしたんだよ、今日に限って。いつもはラクダの乳をケチって少ししかかけてくれねぇのに」
店主「氷水でもうぼったくった。それと、奴隷どもを見てたら昔を思い出してな」
行商人「?」
店主「どうか、どこぞの老いぼれヤクザ店主みたいに、飼い主貴族だけ迷宮で魔物に食い殺されて、それでも迷宮を生き抜いて出て、運よく解放奴隷になれますように」
行商人「……いただきます」
3. ちょっとにおう
ムッチャムッチャムッチャムッチャ…
見た目は鶏肉っぽい白味肉。それなのにこう、なんていうか、ヒツジの肉を下品にしたような妙なニオイが口の中一杯に広がる。
ムッチャムッチャムッチャムッチャ…
もうしわけないけど俺は思う。
はっきり言って、あんまり美味しくない。
ゴックン。
「ぷふぅ……とはいえ贅沢は言えないか」
冷たい岩に腰を下ろして魔物ヤギヘビの生肉を食べながら俺は、青白い迷宮洞窟の中で独りぼやく。
洞窟。
というか地上迷宮セキドイシ。
確か現在地は地上80階。
かなり冷える。体感的に気温は10℃前後ってところか。
そのおかげで、茹でてもいないのに、解体したばかりのヤギヘビ肉はいつだって白い湯気を立てている。時々(ときどき)天井から滴る水滴はうなじに当たると心臓が止まるほど冷たい。しかも俺の場合何かに驚きすぎると、死んだフリスキル「カタレプシー」を引き起こすからちょいちょい面倒だ。
で、迷宮セキドイシの地上80階層。
ただの縦に続く洞窟穴じゃなくて、水平方向に1キロ以上洞穴がグネグネ折れ曲がりながら、しかも枝分かれして伸びて、それでようやく下層に続く道が数本見つかる。
けれど「当たり」と思った下層への道は、次の階で実は全部行き止まりだったりするから、その時は本当に泣きそうになる。魔物とのエンカウントもあるし。
行き止まりしかなかった場合はもう一度上の層に戻って別の〝降りる道〟を探さないといけない。
これはもう、れっきとした迷宮。
レトロゲームの『ドルネコの不思議なダンジョン』よりエグイ気がする。「くさったパン」すら落ちてないし。場所によっては暗いし狭いし滑りやすいし……
「あぁ~おいし。おいしいなぁ。ほんとおいし。おいしいよ、これゼッタイ……うっぷ!」
まだ下に79階もあるのかと思うと、正直ゲンナリする。
ムチムチムチ!……ハム。ムッチャムッチャムッチャムッチャ。
「うう……生の食感が楽しめて……おいひぃなぁ……」
生憎と火を起こせる道具がまだ見つからない。だから寒さに耐えつつ、しかも超危険な魔物の生食を現在実行中の俺。
《注意。魔物の生食は危険。魔物の生肉には寄生魔虫が大量に繁殖》
脳内再生は当然ともいえることを、ちゃんと事前に俺に説明してくれた。
それで火おこしの道具をせっせと探していたけれど、これが全然見つからない。そんな時だった。
《報告。特殊スキル『死んだフリ』発現者の体内では寄生魔虫は全て仮死状態に移行》
え?
それってつまり、俺の場合は生食も平気ってことか?
そう思ってさんざん悩んだ挙句、俺は思い切って魔物を生で食べる暴挙に出た。
ゴックン。
寄生虫に腹を食い破られる悪夢に最初はうなされたけれど、寝て起きたら、けろりとしている。
《報告。ヤギヘビ捕食により体力回復》
それどころか喉の渇きとかも減った。滴下水以外の水源を見つけるまではどうにかこれで持ちこたえたい。
「さてさて、そろそろ出かけるとするか」
立ち上がる俺は自分の格好を改めてチェックする。
ふふ。ふふふふ。
俺の得意科目は家庭科。
授業中居眠りと内職に勤しんでいる他の同級生が多い中で、俺は家庭科の授業だけはきちんと受け続けた。
なぜなら高校の理科の先生が教えてくれたからだ。
「人生で一番大切な教科は何かわかるか?家庭科と情報科だ。それだけやれば今の世の中なんとか生きられるぞ。ちなみに生態系の頂点はガジラだってことを忘れるなよ」。
先生。俺は先生の雑談だらけの授業が好きだったよ。しかも担任だったから嬉しかった。
そう言えば先生……修学旅行のバスの中にいたよな?
………あれ?
思い出せない。いたっけ?
「まあいいか」
とにかく出発だ。グズグズしているとまた魔物がやってくるし、俺の腹が減る。
担任の先生の教えを守ったおかげで、俺は衣食住に関する知識は豊富な方だと思う。
だからかなりスタイリッシュな格好を現在している。
流行ではなく時代の先端をいくヤギヘビファッション。
言葉で表現するならば、ヤギヘビの黒革をヤギヘビの糸で継ぎ接ぎしたパジャマ。
ちょっとサイズを間違えたせいで体にフィットしちゃっているけど、これはこれでオシャレなはず。ヤギヘビの毛は時間が経つと蛍光塗料でも塗ったかのように青く光るなんて全然知らなかった。毛糸で縫っているうちに気づいた。
これだと目立って魔物に気づかれると思ったけれど、そこはあんまり心配ないらしい。
この地上迷宮セキドイシの魔物たちは、鼻と耳はメチャクチャ良い。
でもそのかわり、迷宮暮らしが長いせいか、目があまりよくない。
視覚情報よりも嗅覚と聴覚に頼って生活している。
だから俺のオシャレファッションにも気づかない。あいつら魔物には俺はきっとヤギヘビらしい音がしない変なヤギヘビくらいにしか思われていないはずだ。
「おっと、出発前に」
チュポン!ゴクッ!
ヤギヘビの胃袋でつくった水筒に溜めた滴下水を一口大きく呑み、袋を閉じ、背負いなおし、俺は音を立てないように歩き出す。
タッタッタッタッタッ……………
「!」
地面に謎の痕跡発見。
地面を這ったらしいこの痕は……あいつらか。
ゆっくりと、先に進む。
《報告。魔物バイオリンエビの出現》
だな。
青い水晶でおぼろげに照らされた迷宮の自然床を埋め尽くす、くすんだ体色の魔物バイオリンエビたち。ロブスターとかヤシガニみたいに一匹一匹がでかい。子どもの腕くらいはある。
しかしそのバイオリンエビ。どれ一つとして動いていない。横倒し、あるいはうつ伏せのまま。
「………」
奴らが微動だにしない理由は、身を守りつつ獲物の命を狩るため。
バイオリンエビの存在に気づかず近づいた魔物なり生物が、奴らの背中に触れようものなら、奴らは一気にエビぞりになって、触れた相手の足をぶっ叩いて負傷転倒させる。
一匹に足を掃われて倒れて、別の一匹に首を叩かれて頸椎骨折の即死。
こんな感じで獲物を仕留める。まるで地雷。
そして動けなくなった獲物にみんなでもぞもぞと集まり、ゆっくり、不器用な口で捕食する。俺の脳内再生の情報によれば、バイオリンエビは低位の魔物だけど一撃必殺の尾ひれは当たり所が悪ければ死に至ることもあるとか。頸椎骨折した魔物を見ればそれは頷けるし、実際に俺は拾った石ころを恐る恐る放り投げて、思い切り打ち返されて足を打撲したから、あいつらの尾の強さは身に沁みてわかってる。
「………」
それでも懲りず、そのへんに落ちている小石を拾う俺。
でも、ある一匹に狙いを定めてから、そうっと放る。
コツン。
「……」
〝その〟バイオリンエビは、ピクリともしない。
「………」
俺は動かない横倒しのバイオリンエビの姿をじっと見る。そして、そいつの周辺にいる他のバイオリンエビもよくよく見る。特に横倒しのバイオリンエビを集中的に見る。
……。
触覚の向きが2本そろっている奴と、向きがそろっていない奴。
背中が不自然にまっすぐな奴と、自然に丸まった奴。
一番後ろについている脚2本だけが体の後ろに向かって伸びて硬直している奴と、脚全てがダラリとしている奴。
「……」
俺は腰に差している斧をそろそろと取り出して握る。一番近くにいて動かないバイオリンエビに近づく。
それは、石を投げ当てたのに動かなかったのとは異なる様子のバイオリンエビ。
つまり、触覚の向きが2本そろっていて、背中が不自然にまっすぐで、一番後ろの脚2本だけが体の後ろに向かって伸びて硬直している奴。
その頭部めがけて、他のバイオリンエビに当たらないよう、
ブオンッ!!
振りかぶった斧を力いっぱい真下に落とす。
「キュイイッ!?」
小さな絶叫を上げてバイオリンエビがビクビクとのたうつ。ブルンブルンと尾を振る。だけどその時にはもう俺の斧の刃先に対して垂直にバイオリンエビは突き刺さっているから大丈夫。尾で殴られる心配はない。
ゴスンッ!
俺はもう一度斧を持ち上げて、バイオリンエビごと地面にたたきつける。めり込んでいた刃がさらに深く刺さり、頭胸部が割れて、腹部と完全に別れる。千切れた身体から内臓が流れ出る。そうしてバイオリンエビの腹部が動かなくなるのを俺はしばらく待つ。
ベリベリ。ムシャムシャムシャ。
「うん。活きが良いとこいつの肉だけは何回食ってもマジで美味い」
時計がないから正確には分からないけれど、たぶん半日くらいかけて30匹近くの「死んだフリ」バイオリンエビを殺した俺は、殺すたびに殻を剥いて腹部のプリプリ肉を食べた。
よくこんなに食えるなぁと自分でも思う。でも食えるから仕方ない。
脳内再生によれば、「カタレプシー」と「だるまさんが転んだ」の二つの死んだフリスキルをほぼ同時発動し続けているわけだから、俺はすこぶる燃費が悪いらしい。だから腹がすぐに減る。というわけで自分でも驚くくらいよく食べる。
ムシャムシャムシャムシャ……
それも、できるだけ活きが良い魔物を、俺は食っている。
ムシャムシャムシャムシャ……
活きが良い。
それは、死んだフリをして獲物を待ち伏せている、あくまで死んでいない捕食者。
ムシャムシャムシャムシャ……
本当に死んでいるか、死んだフリをしているのかは、よくよく観察すれば分かる。
確証はないけれど、たぶん死んだフリをするほとんどの魔物で、死んだフリ独特の癖みたいなものがある。
それを見破りさえすれば、こちらが奇襲攻撃を受ける可能性はぐっと減る。
「これも特殊スキルのおかげってやつか」
最初から地面にうつ伏せだったバイオリンエビを手づかみで近くに持ってきて置いて、それを眺めながら食事をする俺。
うつ伏せバイオリンエビは全部死んでいる。
外骨格の甲殻は残っているけれど中身の肉や臓器はだいぶ前に死んで溶けて外に流れ去ったらしく、甲殻の中はカラ。それを排除せず、死んだフリをする自分たちの周りに並べておくのはおそらくバイオリンエビたちのカムフラージュ戦略。
「ふふふふ……。お見通しなんだよ」
独り言をブツブツ言いながら魔物肉をムシャムシャと平らげる俺。肉を頬張り終えるとうつ伏せ空っぽバイオリンエビの死骸を手に取る。
スンスン……
「うぅ。くっさ」
空っぽとはいえ、うつ伏せバイオリンエビの死骸に鼻を近づけると、キツい死臭はかすかに残っている。いやだな。こんなニオイが服なんかについた日には……
《報告。魔物を一定数捕食したことにより死んだフリスキルが向上。新たに「デスノート」を獲得》
「ぶふっ!?」
驚きのあまり、口からエビ肉を噴き出す。頭の中に週刊少年雑誌が浮かぶ。黒いノートが浮かぶ。死んでほしい人間の名前を書いている天才主人公とリンゴの好きな死神と爪を噛んでいる不気味な探偵が浮かぶ!
まずい!
ここまで死んだフリでなんとかやってきたのに今度こそお終いだ!!
名前を死神のノートに書かれる前に、余計なことを脳内再生したせいでご臨終だ!!!
《死んだフリスキル「死の芳香デスノート」の発動準備完了》
「え?」
芳香?ニオイ?どういうこと?
《報告。ノートは現在一種類のみ使用可能。スキルレベル上昇に伴いトップノート、ミドルノート、ラストノートの三種類の使い分けが可能》
トップ?ミドル?ラスト?
ああノートって、なんだ。香りのことか。
マジでびっくりした。魔物だけじゃなくて集〇社まで敵に回すところだった。
「そっか。俺はいわば調香師になれたってわけか」
俺は口元についた魔物エビ肉を取りながら納得する。冷や汗を拭う。
《死んだフリスキル「死の芳香デスノート」の発動準備完了》
「よし。ならその力、試してみるか」
《発動》
ポフン。
全身からかすかに小さな音が立つ。じわ~っとした感覚が体内を流れる。
見えないけれどたぶんガスが出たんだろう。どんな香……
「……オッハッ!?アハッ!ハッ!エヘッ!ヘッ!ゴハッ!」
耐えきれず、俺は腰かけていた小岩からひっくり返る。
このニオイは……ヤギヘビの死骸の、一番きついヤツ。ダメすぎるヤツ。
《死んだフリスキル「カタレプシー」発動》
頼んでないわ!
ふざけんな!
早くスキル「だるまさんが転んだ」で解除……待て。
待てよ……。
死んだフリの初歩である硬直スキル「カタレプシー」と新たに手に入れた死臭スキル「デスノート」。
《死んだフリスキル「だるまさんが転んだ」発動》
「そういう、ことかい」
ひょいと起き上がる。
どうやら俺の死んだフリはさらに磨きがかかったらしい。
それはそれでいいことかもしれないけれど……
「クサすぎるぞ、これ……あ」
ビチビチビチビチッ!!
少し離れた所で死んだふりをまだ続けていたバイオリンエビたちが死んだふりをやめて後ずさり、跳ねて逃げていく。それを見つめている俺の視界がにじむ。涙目になる。
そんなに俺ってクサいか?クサいよな。暢気に死んだフリして待ち伏せなんてやってられないよな。
鼻ってニオイに慣れてすぐにニオイを感じなくなるらしいけど、そんなこと全然ない気がする。
ポチャポチャポチャポチャポチャン!!
「む!?」
水に飛び込む音がした。ということは…………っしゃあ!!
バイオリンエビの逃げた先で素敵な音を聞いた俺は死臭を漂わせたまま全力ダッシュで走る。まだ逃走中のバイオリンエビがさらに死に物狂いで跳ねていくが、そいつらを追い抜いて俺は急ぐ。
「あった!やった!!」
地底湖!というか迷宮湖を発見!!やった!やっと水にありつけた!!銭湯の大浴場並みに広いぞ!
《注意。身の危険を感じた魔物バイオリンエビが多数潜水中》
何言ってんだ脳内再生。そんなの見りゃわかる。
《注意。魔物バイオリンエビは身の危険を感じると》
キュイイイイ……
「?」
《水中で不快音を奏でる習性をもつ》
「!!???」
ガラスを爪で引っ掻く音!?
キュイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイッ!!
ぐああっ!!耳がおかしくなるぅううう!!
「ちっくしょう!!」
死臭発散者に対する嫌がらせかよ……そして相手は空中ではなく水中……
「くそっ!」
俺は意を決し、湧き水の中に飛び込む。
ドボンッ!!ビッシ!ビッシ!ビッシ!ビッシ!
痛って!音攻撃に加えて尻尾攻撃かよ!?
この数……でも水の抵抗のおかげで威力がかなり弱まってる。水中じゃなかったら死んでるかもしれない……とにかく脳内再生!デスノートだ!一発かませ!!
《死んだフリスキル「死の芳香デスノート」発動》
ポコポコン。
キュイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイ………し~ん
プカプカプカ……
「水の中だって香りはするもんだ」
せっかくの綺麗な湧き水を死臭で汚染し、浮き上がって泡を吹く瀕死のバイオリンエビたちを見ながら俺はにやりと笑う。……あっ!
《報告。死んだフリスキル所持者の体内から予期せぬ特殊ノート発生を確認》
「うっ、ぐす……くそ……」
水中でスキル発動時、思わず力んだ拍子に
「水が冷たすぎて気づかなかったんだよぉ……」
お尻から、空砲ではなく実弾を出してしまいました。
《報告。死んだフリスキル「死の芳香デスノート」がレベルアップ。新たなノートを獲得。二種類の芳香をトップノートとして発動が可能》
漏らしたウンコで汚れた服を湧き水で洗い、賢者タイムにしばし浸りながら裸で魔物エビを食べていたところ、脳内アナウンスが再び流れる。
《確認。獲得ノートは魔物ヤギヘビの死臭、魔物バイオリンエビの死臭の二種類》
つまりヤギヘビとバイオリンエビの死臭のどちらかを体から出せるってわけか。
「死臭、か……」
魔物バイオリンエビの殻を剥いたばかりの腹部の肉に鼻を近づける。プリプリの白身肉に臭みは全然ない。
それに対して、死臭は本当にクサい。
未熟な肉はそもそも臭わず、成熟した肉は美味い匂いが出る。
けれど、それを通り越した死臭や腐臭はとてもじゃないけど、嗅げたものじゃない。
健康な命は、そこそこうまい。
傷つき、死にかけた命は、こういっちゃなんだけど、熟したように超うまい。
でも〝死〟はマジで不味い。
死にかけた肉と死んだ肉には雲泥の差がある。
味もニオイも同じこと。
死にかけた命は食いたくても、命を失った〝死〟を食いたいと思う奴はそういない。
だからこそ、「死んだフリ」が特技の俺には死臭スキルはピッタリ。
ギギ!
「お?」
聞き覚えのある声を聞き、俺は斧だけ持って慌てて石の影に隠れて「カタレプシー」を発動する。
「ギギギ」「ギギ!」「ギギッ」「ギ」「ギギギギギ」
やっぱりアリゴブリンか。こんな階層にもいるなんて、知らなかった。エサを探しにここまで来るのか。そういえば一つ上の階層でも斧とか手足が落ちていた。
「ギッ!!」「ギ?」「ギギギギッ!」「ギ~?……ギギギッ!!!」「ギッギギ……」
五匹のアリゴブリンが湧き水の前で何やら互いに向かって叫んでいる。
たぶん「なんだこりゃ!」「どうした?」「この水めっちゃ不味くてやべぇぞおい!」「ホントかよ?……うげぇ!!」「おい、大丈夫かよ」「こんな不衛生な水を飲んで巣に帰ったら俺たちだけじゃなくて仲間も全滅するぜ」「だよな。ありえないよな。バイオリンエビもなんか死んでるし」みたいなやりとりだと思う。口に含んだ湧き水をぺっぺと吐きながら元来た道を引き返していく、綺麗好きのアリゴブリンたち。俺が食べようと思っていたバイオリンエビの白身肉すら気味悪がって避けてった……獲物捜索も略奪も放棄させるほどの水質汚染をして、なんか申し訳なく思う。
ギギギギギィ――ッ!
「?」
アリゴブリンが去ってしばらくして、多少乾いた服を着た俺は、また迷宮を歩いている。その洞内の奥深くで響き渡るアリゴブリンの絶叫。驚いて思わずカタレプシーしかけるも、ギリギリセーフ。迷宮内はほんとに音が良く響くから嫌になる。
それにしても、どうした?
俺より臭い奴でも出たか?考えただけでも最悪だな。それとも俺がまだ臭い?
《報告。死んだフリスキル「死の芳香デスノート」は現在充填中のため使用不可》
使わないって。それにしても……
ギギギギギギギギギギッ!!!!
叫び声と一緒に、地面を駆ける音が、大きくなる。
なんだか、こっちに近づいてきている予感がする。
《注意。アリゴブリン4体が接近中》
「やっぱりか」
脳内再生の声を待つまでもなく、俺は腰に差していた斧1本を抜き、両手で握る。
どうする?
アリゴブリンが今迫ってくる中で硬直して、やりすごせるか?見つからないか?
《注意。状態異常の魔物アリゴブリン4体が急速接近中。1体が速度低下。2体が転倒。1体が速度を維持したまま猛接近》
状態異常?
「ギギギギギギギギッ!!!」
暗くて遠くまでよく見えない。普通のアリゴブリンじゃないのか、あれ?
ズダゴラザッザ!ズダゴラザッザ!! ブオンッ!!ガキンッ!シュッ。
「ギギギギ――ッ!!」
なんだこいつの顔!
フジツボ?
アリゴブリンの奴、フジツボに身体が覆われてんのか?
《注意。体表に露出しているのはフジツボではなく魔物テッポウキノコ》
キノコ?
このアリゴブリンにへばりついているのが全部キノコ!?……って、え?
「痛っ!」
よく見たら俺、肩の肉が削げてる!!
アリゴブリンの斧、受け止めたと思ってたのに!マジかよ!
「く……このお……」「ギギギギギイイイイッ!!!!!」
アリゴブリンってこんなに馬鹿力を持ってたのかよ。
ダメだ!力対力じゃ押し負ける!
ガンッ!
柄同士の競り合いをあきらめる。斧を捨て、アリゴブリンの柄を横に弾く。
「ギギッ!!!!」
すぐさまこちらの姿勢を低くして、
「おりゃああっ!!」
体勢の崩れたアリゴブリンにタックルする。
「ギギイイッ!!」
体格差のおかげでどうにかアリゴブリンが突きとばされて転がる。
《注意。対象は魔物テッポウキノコに寄生された魔物アリゴブリン》
キノコに寄生?
《魔物テッポウキノコにより寄生支配された魔物アリゴブリンは狂騒状態で危険……状態異常のアリゴブリン2体が接近》
要するに、ゾンビってことか。
「こわ」
冷や汗が顎を伝う。脳内再生によれば転んでいたらしいアリゴブリン2匹がさらにこちらに到着。3匹そろってフジツボを体中に張り付けたみたいで気色悪い。まさにゾンビ。
「ギギイッ!」「ギーッ!!」「うおおおっ!!」
《報告》
俺は背負っていたもう一本の斧を手に大きく振りかぶって2匹に応戦。
ガチーン!
「うっそ!」
《状態異常〝悪化〟のアリゴブリン1体の接近を確認》
アリゴブリンゾンビ1匹が俺の斧の刃を顔面の顎でキャッチ。マジで!?顔面で白刃どりなんて普通するか!?
ボギリッ!!
《魔物の残骸を捕食しながらまもなく接触》
もう一匹のアリゴブリンゾンビが斧を上段から振り落としたせいで俺の斧の柄が一瞬で粉砕。ゾンビのくせに賢すぎる!やばいやばいやばい!!
ドボーンッ!!
「「「「?」」」」
何かが水に落ちる大きな音で、俺とアリゴブリンゾンビ3匹が止まる。
みなで音の方を見る。
「ギギギギギギギギギギギギゴボボボボボ……」
フジツボ模様がさらにびっしりと体を覆っている奴、たぶん形からしてアリゴブリンゾンビ。遅れてここにきた1匹。
「ゴボボ………」
それが俺の水浴びをしていた湧き水でおぼれている。浮いてこないってことは、死んだのか?
《報告。魔物テッポウキノコ及び魔物アリゴブリンは水中での生存は不可能》
え?
じゃあなんで水にダイブなんて……
《ヤギヘビの充満する死臭が水の香りを打ち消したため、地面と誤認》
なるほどな。そういうこ……
「ギギッ!!!!」
ブオンッ!!!
「うああっ!?」
危ない!ぼうっとしていた。
そうだ、忘れてた!俺、アリゴブリンゾンビを3匹も相手しているんだった。逃げろ!
ブオン!ブオンッ!!
つったって斧攻撃が連続して襲ってくる!どうする?
《注意。死者は生者に興味を示す。死者の臭いに興味は示さない》
……それだ!
《死んだフリスキル「死の芳香デスノート」充填完了》
やってくれ!
ポフン!
《報告。「死の芳香デスノート」発動。トップノート、バイオリンエビ》
「ギギギッ!!」「??」「ギーギ?」
一瞬固まるアリゴブリンゾンビ。キョロキョロと周囲を確認する。
チャンスだ!折れてない斧はどこだ?あった!
よし!逃げろ!!!
タタタタタタタタタタタタタタタタタタッ!!!
「「「ギギギッ!!」」」
走ればさすがにバレるか。追ってきやがった!
「はあ!はあ!はあ!はあ!はあ!」
魔物を見つけて食べるためと、迷宮で迷わないようにするために、俺は一つ一つの階層を結構丁寧に調べている。
《警告》
「はあ!はあ!はあ!はあ!はあ!」
だからどこが安全かは、ある程度知っている!
《状態異常〝末期〟のアリゴブリン1体へ、急速接近中》
「はあ!はあ!はあ!はあ!はあ!」
もちろんそれは、ここより上の階層!
「はあ!はあ!はあ!はあ!はあ!」
上の階層に逃げる!上の階層ほど魔物は弱い!しかも数も少ない!上へ逃げれば何とかなる……!?
「……ギ、ギギ……ギ……」
上層へ続く道。その道の真ん中に立ち尽くす、小人。
たぶん、アリゴブリン。
アリゴブリンだった奴。おそらく、アリゴブリンゾンビ。
全身がもう、フジツボで覆い尽くされている。石膏で出来た彫像みたいで、原形をとどめてない。
「ベェェェ……」
聞き覚えのある鳴き声で咄嗟に振り向く。
岩の隙間に見える、ヤギヘビの……尾?
おかしい。
こいつら、獲物を待ち構えるときは頭だけ出してじっとしているはずなのに、逆に〝尻〟だけ出してるって、どういうこと?
《警告。テッポウキノコの魔弾オシラサマが》
まさか、怯えてる?いったい何に?
《発射》
ボボボボボボボボボボボボボボボボボボッ!!!
「!?」
立ちふさがっていたアリゴブリンゾンビの体表から何かが勢いよく飛んできた!
ヌチャ。
「なんだよコレ」
薄い黄色の混じった白いペイント弾みたいなのが俺の服や髪に付着する。
《報告。魔弾オシラサマは粘着物質を纏った胞子弾丸。発射した胞子は生体に接触後ただちに発芽し》
「ベェ……ベェエエエエエエエエエエエッ!!!!!」
《宿主を寄生支配する》
うそ!うそだろ!うそだろおい!!ヤギヘビ!
ビョーンッ!
「ベエエエエエエッ!!」
とぐろをまいてジャンプかよ!
《報告》
ガンッ!!バシバシバシッ!!!
「くっそおおお……」「ベエエエエエエエエエッ!!!!!!」
ヤギヘビの武器である角を斧で叩いたのにヤギヘビはひるまず、2本の大事なチンコを鞭みたいに撓らせて俺にぶつけてくる。痛いし屈辱だ。
《魔弾オシラサマの第二波に警戒》
ボボボボボボボボボボボボボボボボボボボボボボボボッ!!!!
取っ組み合っていた俺とヤギヘビに何かがぶつかる。また胞子弾!?
「ベエエエ……」
チンコと胴体を振り回していたヤギヘビの様子がさらにおかしくなる。眼玉が破裂して眼窩からキノコが生えた!胴体もチンコもフジツボに覆われていく!
ボボッ!!
「ぐっ!」
動きが鈍ったヤギヘビを盾にしたのに避けられなかった胞子弾が俺にも直撃。硬式野球のボールがぶつかったような衝撃が体に走る。いやそんなことより!
《報告。死んだフリスキルの所持者体内での胞子発芽は不可能》
……。
な~んだ。良かった。そうならそうと早く言ってくれ。
《報告》
「ベェ……エエ」
今度は何だ?
《状態異常末期の魔物ヤギヘビから》
待て。まさか……
《魔弾オシラサマ発射》
ボボボボボボボボボボボギッ!
〝盾〟が爆発!?ゼロ距離で被弾とか……
「!!!」
肋骨が!かはっ!!折れた!!
《報告。状態異常のアリゴブリン3匹が急速接近中》
「はぁ、はぁ、はぁ、はぁ……」
そうか。そうだった。
《報告。テッポウキノコは地上迷宮セキドイシ80階層の優占種》
俺は弱い。
馬鹿だ。そんなことも忘れてた。
「ゲホッ!エホッ!」
《他の魔物に胞子状態で感染寄生し、発芽後、宿主の中枢神経支配が可能》
胞子や毒が効かないからってなんだ。
野球の球が頭に当たれば死ぬことだってある。
「はぁ、はぁ、はぁ、はぁ……」
《感染した宿主を狂暴化させ捕食行動を促進。捕食時に魔物テッポウキノコの胞子を移植》
斧の刃で首を裂かれることだってある。
万力のような顎で胴体を千切られることだってある。
《また宿主体内の臓器で魔物テッポウキノコは増殖成長し、体表に移行。石灰質の殻で自身を守ると同時に、魔弾オシラサマによって周囲への胞子散布を可能とする》
俺は弱い。死ぬ確率は十分にある。
逃げろ。逃げろ!逃げろ!!逃げろ!!!
「はあ、はあ、はあ、はあ、はあ……」
死んだフリなんてしている場合じゃない。
今まではただ運が良かっただけだ!
《他の魔物はバイオリンエビを除き、魔物テッポウキノコを忌避》
死んだフリなんかで、魔物の相手ができるわけないだろ!
なに寝言言ってるんだ!
俺の死んだフリスキルは所詮、ハズレスキル。どうしようもないクソスキルだ!
《魔物テッポウキノコが優占種である階層において、あらゆる魔物はテッポウキノコとすみ分けを実行》
「はあ!はあ!はあ!はあ!はあ!」
《魔物バイオリンエビを除いて》
ポト。
「「「ギギギイイイイイイイイッ!!!」」」
ズダゴラザッザ!ズダゴラザッザ!!ズダゴラザッザ!!!
「「「ギッ!!??」」」
し~ん……。
「「「……ギギィイイ」」」
よし。入ってきた。
ズダ、ゴラ、ザッ、ザ。
《死んだフリスキル「死の芳香デスノート」充填完了》
頼む。うまくいってくれ。
ポフン。…………バチンッ!!!
「ギッギイイイッ!!!」「ギイイッ!?」「ギ!」
《発射。トップノート、ヤギヘビ》
バチバチバチバチバチンッ!!!
「「「ギギギギギッ!!!」」」
魔物アリゴブリンゾンビ3匹が迷い込んだのは、魔物バイオリンエビの群生地。
バチバチバチバチバチバチバチバチンッ!!!!
その風上で、カタレプシー状態で倒れ込んでいた俺は、スキル「デスノート」を再び発動。しかも今度のノートは、バイオリンエビの大嫌いなヤギヘビの死臭。
バチバチバチバチバチバチバチバチンッ!!!!
バイオリンエビたちがヤギヘビの死臭に耐えかね発狂したように乱舞。
そんなバイオリンエビに、少しでも触れようものなら、
バチコーンッ!ゴギッ!ボギッ!ミシャッ!
あの筋肉の塊みたいな尾で容赦なく殴られる。折られる。砕かれる。
「「「ギギギギギギギギッ!!!!」」」
俺の死臭から逃げようとするバイオリンエビに袋叩きにされるアリゴブリンゾンビ3匹。もう俺を追うどころじゃない。……スキル「だるまさんが転んだ」発動。
バチバチコーンッ!!
「ギギ……?」
ドグシャッ!!ドスドスンッ。
リンチされたせいで握っていられなくなったアリゴブリンの斧を拝借して、俺はその瀕死のアリゴブリンゾンビを首チョンパ。……肋骨が折れてるせいで、体を動かすのはもちろん、呼吸するだけでも死ぬほど痛い。
「ギギギッ!!!」「ギギッ!!」
遠くへ去っていくバイオリンエビ集団から辛くも逃げ延びたアリゴブリンゾンビ2匹は俺の足下で倒れ込み、虫の息。フジツボみたいな殻から顔を出す触手キノコだけは周囲をキョロキョロと物色している。
「………」
読み通りコイツら、死臭のせいで〝もう〟俺に気づいていない。
ゴト。
斧をゆっくり静かに持ち上げて、振りかぶる。
ズグシュッ!!ドスッ!
「ギ」「?」
アリゴブリンゾンビ1匹の首をまた飛ばす。
そしてそんなことなど気づかないらしい隣のアリゴブリンゾンビがよろよろと立ち上がる。眼と耳からテッポウキノコが生えてて、俺の動きにも気づけないか。
「末期だな」
ブオンッ、ドバンッ!!
立ち上がるタイミングに合わせてバットのようにフルスイング。アリゴブリンの後頭部側から首を斬り落とす。
ドサッ!ドサ。ゴロゴロ……
「ふうう……」
魔物キノコにやられたゾンビは、どうやら首を落とすともうダメらしい。
戦いが終わり、俺はその場に尻もちをつく。
《報告。死んだフリスキル「死の芳香デスノート」がさらにレベルアップ。デスノートを解除時にノートの消去が可能》
「じゃあ頼む。やってくれ」
《承諾。トップノート消去》
ニュルニュルニュル……
アリゴブリンゾンビの胴体と、離れた首の切断面から垂直に伸びあがるテッポウキノコ。俺の〝命〟に気づいたらしく、こっちに向かってアメーバみたいな仮足を伸ばしてくる。
「おっと」
シャカシャカシャカシャカ……
俺からヤギヘビの死臭が消えて間もなく、避難していたバイオリンエビ集団がアメーバ仮足よりずっと早く元の場所に戻ってくる。すごく急いでいるようにも見える。
狙いは俺じゃないよな?
一応硬直するか。休憩したいし。
「「「「「?」」」」」「「「「「!」」」」」
俺は完全に脱力しながら静かに観察する。
ムチャムチャムチャムチャムチャムチャムチャムチャ………
アリゴブリンゾンビの死骸に集り、貪るバイオリンエビたち。平たく伸ばそうとしていたアメーバ仮足も食われてる。
食われる上位種のテッポウキノコ。食う下位種のバイオリンエビ。
《報告。バイオリンエビの甲殻はテッポウキノコの胞子を弾いて遮断。またバイオリンエビ体内には、テッポウキノコを消化する酵素が複数あり》
どうりで、すみ分けてないわけだ。
普通の魔物はテッポウキノコの寄生支配が恐くて近づかない。それは脳内再生のメッセージでも知ったし、ヤギヘビの様子を見ればわかる。
だからどの魔物もテッポウキノコの縄張りに入らない。
でもこうなると、獲物が近寄ってこないわけだから、テッポウキノコは無限に増えることはできない。よって階層内で見かけることはそう多くない。
でも強力な寄生能力があるから、あくまでも優占種にして上位種。
一方の魔物バイオリンエビ。
100階層から80階層で現れた様々な魔物たちに、いつだって食べられてきた。
せっかくの必殺尾ひれアタックを決めても、関係なしに腹部を食べられているバイオリンエビを何度も見てきた。あのプリプリの生肉はうまいもんな。
バイオリンエビは、この80階層内でも最弱種。
それにもかかわらずバイオリンエビの個体数は、上の階層に比べてかなり多い。
これはこのバイオリンエビが特殊能力をもっているから。
特殊能力。
それは魔物の掃除屋の中でも、もっとも特殊な掃除屋としての能力。
誰もが嫌がるテッポウキノコを餌にできること。
別階層から来たアリゴブリンがテッポウキノコの巣に迷い込んだ時みたいに、突如増えたテッポウキノコは、バイオリンエビが最後食べる。
そうすることで迷宮は掃除される。80階層はテッポウキノコだらけにならない。
結果的にバイオリンエビは腹いっぱいになってその力で子孫を増やす。80階層はバイオリンエビが多くなる。
もっとも、テッポウキノコの巣にバイオリンエビがあえて向かわない理由は、分からない。生態系のバランスってやつか?
「ほんとよくできてる。痛てて……」
硬直を解除し、痛みをこらえながら水筒の水を飲む俺。
うあああああああああ―――っ!!
「?」
スキル「デスノート」取得の時ほどじゃないけど、その音に驚いて、俺は一瞬むせそうになる。
「助けてくれぇええーっ!」「いやあああっ!!!」
「……」
間違いない。
これ、人間の声だ。
人間がいる!こんなところに人間が!
《注意。異世界パイガには人間族のほかに亜人族が複数存在。今の声は人間族と馬人族》
いつも丁寧な横槍説明ありがとう。人間族も亜人族も「人」の字が入っているから俺的には人間なんだよ。
「よいしょっと」
シャカシャカシャカシャカ……
首なしアリゴブリンゾンビ3匹とヤギヘビゾンビを平らげ、いよいよ彫像みたいなアリゴブリンゾンビ1匹の掃除に向かってくバイオリンエビの群れを見送りながら、俺は腰を上げて歩き出す。
「誰か!誰か助けてぇぇ!」「魔法だ!ファイアを使え!」「分かった!……ファイア!」
地上迷宮セキドイシ。
その80階層まで来たなんて、すごい。
ひょっとして勇者か?
それとも召喚者の誰か、か?
「ダメだ!ファイアが効かない!!」「消えた!?どこに行った!?」「ぐあああっ!」
まぁ誰でもいい。
とにかくそいつらは、声の感じからして、この80階層では通用しないってこと。
「回復魔法を!血が止まらない!傷の手当てを早く!」「了解です!……きゃああっ!!」
これがよく分からない。
俺の経験的に、この迷宮セキドイシは、階層を下っていくほど魔物の強さが逆に上がっている。
つまり下に行くほど強い魔物がいて、上に行くほど弱い魔物がいる。
「ぎゃああああっ!!!」「おい!みんなどこだ!?」
焦っている感じの声。悲鳴。助けを呼ぶ声。困惑。
集まった連中は、80階層の魔物を相手に手を焼いている。
「奴はどこにいる!?」「分からない!暗闇に隠れている!!頭上を警戒しろ!!!」
じゃあどうやってこの階層まであいつらは来られた?
下層に行くほど魔物は強いんじゃないのか?下層で力を使い果たした?
《推測。迷宮内には複数の転移魔法陣が存在。下層から上層一方向への転移魔法陣に侵入し、強制転移した可能性あり》
ああなるほどね。
じゃあ今泣き叫んでる連中は、迷宮の1階から入って、いきなりこんな所まで飛ばされたのか。なるへそ。
だったらこの悲鳴も理解できる。
てっきり死んだフリでもしてここまで来られたのかと思った。
「誰か!誰か助けて!!!」「こっちくんなああ!!」
ん!?人の走ってくる気配だ。カタレプシー。
ポト。
「「はあ!はあ!はあ!はあ!」」
ズドオオーンッ!!!
「あっ!!」「おわああっ!?」
ガブシュッ!!ムシャアッ!ムシャアッ!ムシャアッ!
ドシュッ!!ジュッジュッジュッジュッ……
ビョーンッ!!!!!
「………」
やべぇ!何今の!?
《報告。魔物ノミライオンは中位の魔物。80階層の支配者》
二人の人間がこっちに走ってきたと思ったら、いきなりどデカい魔物が上から現れて、一人はライオンみたいな口に呑み込まれて食われた。
もう一人は、尻尾に刺されて、干からびてミイラみたいになった。血を吸われた?そういえばノミみたいな顔に見えた。
とにかく二人とも飛び跳ねた大型魔物に食われた!連れて行かれた!
「……」
咄嗟にカタレプシーを発動したおかげで俺は助かった。
動く者が傍にいてくれれば俺の死んだフリは成功する。
……。
動く者がその後どうなるかは、決まってる。
……。
「……よし」
俺は自分の周囲が静かになったのを確認してまた起き上がり、歩き始める。
「こっちに来るな!バケモノ!!」「サンダー!!」「くそ!当たらない!!」
声の数からすると、二十人以上はここにいる。
それだけいれば、誰かが何とかしてくれるだろ。
何とかしてくれなかったとしても、それだけいれば恨みっこなしだろ。
「ここは本当にどこなんだ!」「まだ分からない!転移魔法陣にローシカが触れて別階層に飛ばされたとしか」「ローシカあの野郎……」
誰かを恨むなよ。
バス事故のどさくさに紛れて異世界に連れ込まれたわけじゃないんだし。
ましてやそこで俺みたいに死んだフリスキルを与えられたわけでもないし。
ましてや……志甫みたいにジョーカーに選ばれたわけでもないんだから。
「ここか」
下層へと続く道にようやくたどり着く俺。
タスケテェエエ……
悲鳴がいつまでも止まない。
「ふう……」
俺って、こんなに薄情だったか?
ここに来るまでに薄情になったのか?
生き死にが日常になったせいで薄情になったのか?
「…………」
無理だ。俺には誰かを助ける力なんてない。
俺は無力だ。ヒーローなんかじゃない。
俺は死んだフリで敵をやり過ごすことくらいしかできない。
誰かを守る力なんて持っちゃいない。魔王討伐の英雄シリーズとか、全く関係ない。
誰かを守るなんてのは、召喚されて立派なトランプスキルに選ばれた勇者様か、この異世界にきっといる強い戦士にでもお願いしてくれ。
俺は卑怯でも何でもいいから生き延びたいだけの、臆病者。
ゴツン。
「?」
あれ?先に進めない。
なんだ?透明な壁?ガラス?強化プラスチック?下層へ降りられないんですけど?
《報告。欲望の結界サンリンボウが前方に展開。下層への道を現在封鎖中》
封鎖中?は?え?
どういうこと?
なんで封鎖されてんの?
《欲望の結界サンリンボウが展開中のため、上層から下層への移動は不可能》
そうじゃなくて……ん?
ということは下層からこの80階層への移動は可能なのか?
《可能》
つまり、これは誰かの仕掛けた罠なのか?
《報告。欲望の結界サンリンボウは魔物ノミライオンが捕食のために仕掛けた魔法罠》
……。
……。
《80階層の支配者である魔物ノミライオンを排除しない限り、結界サンリンボウは維持》
……。
……。
《追加報告。地上85階層で固有周波数を感知。発生源は上位の魔物ベルゼブブ。タイプ:シジ。すなわち2齢幼虫が85階層へ到着》
ベルゼブブ……。
《注意》
ノミライオン……。
《生きながら死臭を放つ者は》
どいつもこいつも……。
《あきらめの悪い者》
……分かったよ。
「やれるだけやれってことだろ」
斧で抉られた腕の傷に加えて肋骨の痛みがひどすぎて、呼吸しづらくて、何か大切なことが浮かばない。つい今さっきまで考えていたことなのに……
なんだっけ?ダメだ。忘れた。
もういい。俺が無力なんてことは忘れた。
「脳内再生。ノミライオンについてもう少し詳しい情報をくれ」
片手を脇腹にあて、もう片方の手に斧を握りしめ、俺は来た道を引き返した。
地上迷宮セキドイシ。第80階層。
「……」
64名の冒険者たちが今、転移魔法陣の仕込まれた洞窟内で右往左往している。
「ここはどこだ?」「さあ」「聞いたことも見たこともねぇ」
64名は五つの小部隊に分かれている。すなわち、
A班。Bランク冒険者ゴラド率いるパーティー「ギラキング」15名。
B班。Bランク冒険者クンハ率いるパーティー「グッピーメア」11名。
C班。Cランク冒険者アナスタシア率いる寄せ集め集団14名。
D班。Cランク冒険者マリオ率いる寄せ集め集団13名。
E班。金鉱成金のマシュウ・ドラグノフを護衛する奴隷集団「ドラグノフ」11名。
もちろんE班を守るように布陣している全メンバーだが、置かれた状況があまりにも唐突で腑に落ちず、恐怖と不安に駆られている。
「やべぇ、やべぇよ」
C班の冒険者ローシカが両手の指をソワソワ動かしながら冷や汗を垂らす。その胸倉をつかむA班の冒険者ジェノバ。
「てめぇ、触るなっつった宝箱を開けただろ!」
罠感知スキルをもつ冒険者ジェノバは迷宮に入ってすぐ、「宝箱には絶対に触れるな」と警告した。そして宝箱らしきものが見つかるたびに口を酸っぱくして同じことを繰り返し伝えた。
しかしローシカは欲望を抑えきれず、その禁を破った。
「すまねぇ!ほんとにすまねぇ!!」
宝箱を開いた際、箱の底に描かれていた魔法陣が暴走展開。周囲にいた生命反応のある個体全てを地上80階層へと転移させた。
つまり64人の冒険者は下層から上層へワープした。
「この図……文献で見たことがある。この魔法陣は一方通行……魔物が使う罠だ」
B班の副長にして魔法使いポルカが深刻な言葉を口にする。一同から血の気が引く。
「魔物の巣に、俺たちは来ちまったのか」「なんてこった」
「それもこれもてめぇのせいだろうが」「すまねぇ!こうなるとは思ってなかった!」
発達した鉱床だけが光を淡く放つ仄暗い洞内で始まる喧嘩。
「いい加減にしろ!!」
それを制したのはE班の副長にしてAランク冒険者のピットマン。雇い主マシュウ・ドラグノフのボディーガードを長く務める元兵士。
「ノーシュ。分かる限りで構わない。状況を教えてくれ」
ピットマンがB班の冒険者ノーシュに声をかける。
「え、ええ」
麻薬で組員を洗脳支配する暗殺教団から抜け出し冒険者になった経歴をもつノーシュは敵感知スキルを限界まで発動する。
「いない」「「「「?」」」」
「タコヤンマ、オニハチグマ、カメムシセンボンバリ……警戒対象の魔物の気配はまったくないわ」
一度でも接触したことのある魔物の気配を感知できるスキルの所持者は各班のリーダーたちの目を見ながら訴える。
「ではここには何がいると言うのだ?」
冒険者たちの雇用主であるマシュウが重い口を開く。
「ベエエエエエッ!!!」
その時ヤギヘビの鋭い鳴き声が洞内に響く。
「ははっ!なんだよこの雑魚!」「おりゃあっ!!」
D班が、現れた魔物ヤギヘビを斬殺している。
「ヤギヘビ……かなりレベルの低い魔物だぞ」「それが棲息しているエリア」
迷宮の外では見知っているものの、地上迷宮セキドイシでは見たことのない魔物に困惑するA班のリーダーゴラドとB班のリーダークンハ。
「なぁひょっとして、上層に行くほど魔物は弱くなったりとかしないのか?」
C班の隊長アナスタシアが楽観的な予測を口にする。
「そうだ!きっそうだぜ!」「これなら神鳥ロックバードの卵だって手に入るんじゃねぇか!」
魔物ヤギヘビを抹殺したD班の冒険者たちが浮かれて大きな声を出す。
「静かにしろ。俺たちが今上層階にいる証拠はない。知られていない地下層に飛ばされたのかもしれない。とにかく油断は禁物……」
E班の副長ピットマンの口が突如止まる。
「……」
D班の冒険者一人の後ろに、岩のような巨体がいつの間にか居る。ピットマン以外、誰も気づいていない。
「おいっ!」
ピットマンが再び声を上げた瞬間、
ガブゴギギッ!!
噛みつかれて骨の砕ける音と同時に、巨体が暗い洞内の闇に消える。遅れてくぐもった悲鳴が頭上で上がる。それで全員が反応する。
「なんだ!?」「何が起きた!」「ハーシェル!?ハーシェルどこだ!」「血!血だぞ!!」
叫ぶA、B、C、E班。動きがないD班。
「「「「!!」」」」
D班の連れ去られた1名を除き、魔法陣に残るD班全員の眼と皮膚が紙のように白い。全員が気づかぬ間に血液を大量に抜かれ、意識を失ったまま既に失血死している。
「嘘だろ!」「死んでる!!」「全員戦闘準備!」「ノーシュ!魔物の正体は?」「分からない!今調べてる!!」
緊迫する一同。
戦慄しながらもE班のマシュウ・ドラグノフを守るべく戦闘態勢に入るA班とB班。
「ドラグノフ様を囲め。全員抜剣!ヤニス!光魔法を」「分かりました!……ライトニング!!」「ミッシェルは火の準備を」「承知しました!!」
主人であるマシュウ・ドラグノフに傷一つでも付けばどんな仕打ちが後で待っているか分からず、別の恐怖からピットマンの言葉を一言一句聞き漏らすまいとするE班。
「うあ!うああああああ!!」「ひいいいいいっ!」
そのいずれにも属さず、ただ本能の赴くままに逃げ散るC班。
「おい!バラバラに行動するな!」
寄せ集め集団のC班隊長アナスタシアだけが他班とともに残り、叫ぶ。副長グラザーは残るも、アナスタシアにしがみついて震えるばかり。
ぎゃああっ!
うああああああ!
助けてーっ!!
洞窟の先で次から次に聞こえてくる、C班隊員の声。
「せめて、敵の姿が見えれば……」
B班で敵感知スキルをもつノーシュが悔しそうにつぶやく。
ボドドドド。
「「「「?」」」」
たった今いなくなったC班が天井から降ってくる。
「え?」「は?」
D班の冒険者とちがい、血の気はあるが、首をへし折られていて全員死んでいる。
(見せしめのつもりか!!)
C班隊長のアナスタシアは死体が降ってきた天井を睨みつける。軽くて丈夫なバトルアックスを握り直す。
「ンピュ」「?」
聞きなれない音ですぐに目線を足元に移すアナスタシア。血の気のあった死体の血の気がない。その死体の全身いたる所が中から外へ破れる。
「なんだこりゃ!」「うおっ!!」「いや、何よこれ!」
死体の全身から湧く、ノミ型幼虫の魔物。
どれもこれも血を吸い肥えて大きく、切り落とした親指くらいのサイズがある。
ピピピピピ!
死体を食い破って無数に湧いた幼虫たちが全身の筋肉を使い、周囲にはねる。
冒険者たちに付着するや否や、鎧をよじ登り、衣服の隙間に潜りこみ、肉に噛みつき、破り、体内に侵入する。吸血する。
「いや!なにこれいやああっ!!!」「痛てえええ!」「目が!目があああ!」
C班の生き残りもA班もB班も関係なくパニックに陥る。魔法陣のある洞内から全員が我先にと逃げ出していく。
「ファイアで冒険者もろとも焼け!」「はい!!ファイア!!」「いました!あそこです!」「獅子の頭に……虫の体」「まさしく魔物」
ノミ型幼虫が死体からはい出るのを見た時点ですぐに冒険者たちを盾にして貪食攻撃を凌いだE班だけが同じ場所に留まり、死体を焼いて照明を強くし、敵を視認する。
敵。
すなわちノミライオン。
地上迷宮セキドイシ80階層の支配者。
上層から降りて来る低位の魔物と、地上1階からの転移魔法陣の罠にはまって訪れる人を捕食して生きながらえる魔物。上位の魔物ではないが、寄生型魔物テッポウキノコの存在により魔物の生態系が極めて単純な80階という特別階層を上手に利用し、成長を続ける賢く強い魔物。
「ピットマン!」
呼ばれて副長のピットマンは主人マシュウ・ドラグノフを見る。マシュウはヤギヘビが先ほど出てきた巣穴を指さす。「あそこは安全か」というメッセージをすぐに読み取るピットマン。
「今すぐお入りください!!」
意図を察し叫ぶピットマン。マシュウ・ドラグノフは回復系魔法を使える亜人族奴隷ピノンと耐久力に優れる奴隷戦士パパスタを連れてヤギヘビの巣穴に急ぐ。
「お前はそこで蓋になって私を守れ!」
無論覚悟していたパパスタは口を堅く結んで頷き、ノミライオンのいる方へ体の正面を向ける。両刃剣と丸盾を構えて仁王立ちになる。
ノミライオンは聴覚と嗅覚を使いじっとその一部始終を観ていたが、やがてゆっくりと魔法陣のある地面まで降りてきて、E班の残りの奴隷戦士たちの殺戮を始める。
「うわっ!このっ!ちょこざいな!!」
一方、ヤギヘビの巣の中で何かが聞こえるも、振り向く余裕はもうパパスタにはない。彼にできることは、Aランク冒険者ピットマンをはじめとする同僚が絶望に呑まれながらノミライオンに息の根を止められていく姿を目に焼き付けることだけ。
「くそ……この私が……」
魔物ヤギヘビの巣穴。
親のヤギヘビこそ冒険者たちは仕留めたが、子のヤギヘビはまだ仕留めていなかった。
それが巣の中で隠れていたところに、貴族マシュウ・ドラグノフは一番乗りで入ってしまった。
「治癒を。治癒をしろ」「ヒール!ヒール!!ヒール!!!」
手を引っ張られ一緒に巣穴に引きずり込まれた亜人族奴隷のピノンは必死に主人マシュウ・ドラグノフの傷の手当てをする。
「ベ……ェェ……」
親を殺された魔物ヤギヘビの子はその短い角で、マシュウ・ドラグノフの頸動脈を切った。
「はあ、はあ、はあ、はあ…………バカ、め」
ヤギヘビの子を絞め殺しながら、マシュウ・ドラグノフもまた、息絶えた。
(どうしよう!どうしよう!?どうしよう?どうしよう??)
手を主人の鮮血で染めながら、亜人族奴隷ピノンは頭が真白になる。自分の背中には、戦士パパスタの甲冑が当たっている。
ズズズ……
「!?」
そのパパスタの甲冑が上から下へと動き出す。
(なに?え?え?)
すぐにピノンは知る。
巣穴にもたれかかるパパスタの首がなくなっている。けれど血を抜かれ、血しぶきは上がらない。
ソコデ見テイロ――。
血を抜きとった後に首を食いちぎられ、文字通りただの蓋にされた奴隷戦士パパスタ。
彼の守るヤギヘビの巣穴の奥に、大量の〝エサ〟をまとめる者が隠れていると見切った魔物ノミライオンの趣向だった。
(どうしよう!どうしよう!?どうしよう?どうしよう??)
狭いヤギヘビの巣穴の中、身体の柔軟な亜人族奴隷ピノンはかろうじて体の向きを変える。いまだ噴き出る主人の鮮血でピノンの背中が赤く濡れる。手足を使い必死に巣穴から出ようとピノンはもがくも、蓋になったパパスタの体重が重すぎてびくともしない。
ズシュッ。チュウウウウ……
ゴギギ。ムシャ、ムシャ、ムシャ……。
狩りを終えたノミライオンは冒険者たちの頭目であるマシュウ・ドラグノフに見せつけるように、仕留めた冒険者たちをおいしく食べてみせる。
蚤のような肢を器用に使い、死体の腹を引き裂く。
前方の獅子の牙口で、冒険者の肝臓だけを選んで貪る。
後方の蚤の吻口を脳や脊髄に刺し込み、脳髄液を啜り呑む。
腸の中の汚れをしごき出したうえで咀嚼したり、脾臓と腎臓の血液を飲み比べる。
「………」
どの光景も、亜人族奴隷ピノンを絶望させるには十分だった。
「エミーニャ!ジェノバ!……みんな無事か!?」
目を裂かれ気を失っていたが覚醒したA班のリーダーゴラドの声が遠くで響く。
「……」
ノミライオンは優雅な食事を中止し、気だるそうに身を起こすと、跳躍する。他の魔物に餌を横取りされるのを阻止すべく、天井にとりついた六本の肢を音もなく動かし、冒険者ゴラドの方へと向かっていった。
「はあ、はあ、はあ、はあ、はあ」
首なし貧血戦士パパスタのおかげで空いた〝小窓〟から見える、惨劇の舞台。
一方通行の魔法陣周辺に、無造作に転がる冒険者たちの死骸。ノミライオンの餌。
(終わりだ。何もかも終わりだ。…………お母さん。私、もう……)
亜人族奴隷は最期を覚悟し、ヤギヘビの巣穴の中で大粒の涙をポロポロ零す。
トットットットット……
「?」
驚いたピノンは大きくまばたきをする。涙が瞳から飛び、滲んでいた世界がはっきりと目に映りこむ。
(誰!?あれ)
ヤギヘビの皮を継ぎ接いだ、妙な衣服をまとう少年が、魔法陣のある死の洞内に忽然と現れる。
(黒髪、あの顔……人間族?)
現れた少年はバイオリンエビの頭胸部の殻をグローブのように二つ、両手にそれぞれはめている。どこからどう見ても怪しい。しかも、
「……」
それが血まみれの魔法陣の真ん中に立ち、
トン。ポト。
腕を前に伸ばしたまま膝をついて倒れる。奇天烈すぎる。
(は?え?何?ええ――っ!?)
訳が分からず混乱するピノンの鼻腔に突如強烈な異臭が届く。
「うっ?」
(くさっ!何このニオイ!臭い!……何これ!?いや!!)
亜人族奴隷の女の中の、ドス黒い記憶がよみがえる。血と炎と暴力に塗り潰された凄惨な光景が脳裏に泡立ち、たちまち前も後ろも右も左も分からなくなる。
ノシ。ノシ。ノシ。ノシ。ノシ……
「!」
しかしノミライオンの姿を再び認めた時、ピノンの記憶の濁流はかき消える。目の前の暗い冷たい地獄に意識が戻る。違う胸騒ぎが始まる。
「………」
ゴラドを殺して戻ってきた魔物ノミライオンは明らかに顔をしかめている。念のために自分で仕留めた冒険者たちの新鮮な死体のニオイを嗅いで回ったあと、魔法陣の中心で倒れている〝謎の物体〟に顔を近づける。
「ウフォ……」
少年から十メートルは離れてヤギヘビの巣穴に潜んでいる亜人族奴隷ですら鼻の曲がるほどの悪臭。それを直に近くで嗅いでいる魔物ノミライオンからは思わず、えずくような声が出る。
ツンツン。
ノミ肢で見知らぬ死体を触る魔物ノミライオン。生命反応を肢に生える細かい毛先で確かめ、体温を確かめ、謎の物体の死を確信する。
鼻を近づけるのも頬で触れるのも嫌悪した獅子の頭部分は視力の劣るその目でせめて、物体が何かをざっと確認する。胴はヤギヘビの色彩。先端は硬い突起二つ。おそらくはヤギヘビの角。
そう適当に判断する。
そしてわずかに迷った挙句、魔物ノミライオンはいやいや獅子面の口を広げ、〝汚物〟に顔を近づける。〝触診〟を担当したかわりに腐汁を一滴たりとも吸いたくないノミの頭は知らんふりをする一方で、腐汁を口内に垂らしたくない獅子の頭は牙で肉の皮膚を破らないよう、極力慎重に持ち上げる。
「フウウ……」
魔物ノミライオンが呼吸を止める。嗅覚を止める。
あとは自分の縄張りの外へと口の中の〝汚物〟を運び捨て、逃げて散らばった冒険者の死骸を残らず回収するだけ……
ヌポリ。
「?」
〝今後の予定〟を考えていたノミライオンの獅子の口の中に、何かが転がり込む。視力の悪い獅子の眼は、ヤギヘビの〝角〟の一本が曲がっていることになんとなく気づく。
ムシュムシュムシュムシュムシュッ!!
「!!」
体内で起きる突然の変異に思わず〝汚物〟を口から落とすノミライオン。
「ウウウウッ!!!」
残る異物を口から掻き出そうとひっくり返り、ノミの肢を動かしてもがき苦しむノミライオン。その姿に目が釘付けになる亜人族奴隷ピノン。呼吸を忘れる。鳥肌が立つ。
(何をしたの!?)
亜人族奴隷は、〝汚物〟扱いされた少年がノミライオンに咥えられるや否や、腕を動かしてバイオリンエビの甲殻グローブ一つを獅子の口内に押し込むのを目撃した。
「ゴオオオオオオオオオオッ!!!!!」
ノミライオンが叫びながらのたうち回る。そしてその体は徐々に膨れ上がる。節目という節目から白い菌肉が顔をのぞかせる。
ミチミチミチミチミチミチミチ……ボシャンッ!!!
内圧に耐えられなくなったノミライオンの外骨格がとうとう爆ぜて、肉が周囲に飛散する。
「……ゥゥゥアアアア」
飛散したノミライオンの肉が付着した首あり冒険者の死骸がまもなく、ゾンビのような呻き声を上げ始める。起き上がったその体表にはフジツボのような模様が浮かんでいる。
「さてと」
(うそ!!生きてる!!!)
驚きのあまり声が漏れそうになり、思わず自分の口を手で塞ぐピノン。
テッポウキノコに寄生支配されたゾンビ冒険者が、体液を吸われすぎたせいでゾンビ化できないミイラ冒険者と菌糸まみれのノミライオンの残骸肉を貪り食う。
そんな中、吐き捨てられ倒れていた少年はゆっくりと起き上がる。
片方にはめたままのバイオリンエビグローブを外す。グローブの中で握っていた魔物テッポウキノコをその場に捨てる。
「痛っつ……」
脇腹に手を当てながら少年は周囲を見渡し、冒険者の一人が落としたバトルアックスを見つける。手に取り、重さと刃の状態を確認する。そしてゆっくりと立ち上がる。
「食事に集中できるだろ」
ふらつく少年から香る強烈な死臭のせいで、少年の〝命〟に気づかず夢中で捕食を続けるゾンビ冒険者たち。その体はますます魔物テッポウキノコの菌に覆われていく。
(なんなの!あの人!!)
「なにせ俺の死んだフリは、かなり」
ゾンビ冒険者は自分たちの咀嚼音と食欲のせいで、鋭利な斧を振りかぶる少年の声にも音にも気がつかず、
「死に近いからな!」
ブォンッ!ズグシャッ!!ドスドスン……。
気づいた時にはみな、テッポウキノコもろとも首を刎ね飛ばされていた。