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その3

(ぎょう)商人(しょうにん)「お~い!ラクダの(ミルク)(たの)む!(のど)(かわ)いて死にそうだ!」

店主(てんしゅ)「一か月ぶりだな。今日は(つめ)たい氷水(こおりみず)もあるがどうする?」

行商人「何!?今日は氷水があるのか!ならもちろん氷水だ」

店主「ラクダよりちと割高(わりだか)だぜ?」

行商人「かまうもんか!こちとら(かせ)いできたばかりだ。それに「氷水は女房(にょうぼう)(しち)に入れても飲め」ってここらじゃ言うじゃねぇか」

店主「そういうのは女房を手に入れてからいいな」

行商人「しかし今日はバカに(にぎ)わってんな」

店主「ああ。いつもの探索(たんさく)希望(きぼう)(さま)さ。ほらよ、氷水だ」

行商人「おっ!ありがてぇ。へへ、いただきます。……ゴクゴクゴクゴクゴクゴクゴクゴクッ!ぷはあっ!()(かえ)るぜぇ」

店主(てんしゅ)「あの団体(だんたい)さんが挨拶代(あいさつが)わりに水を(こお)らせた(たる)を置いていきやがった。どれだけ金持(かねも)ちなんだか。ついでに生活(せいかつ)用水用(ようすいよう)のミズトカゲでもくれりゃあ、ケツを()めても良かったがな」

(ぎょう)商人(しょうにん)「そのタダでもらった氷水を高値(たかね)で売ってるんだから、この店のヤクザ店主も地獄(じごく)(いき)確定(かくてい)だな」

店主「ここらじゃ()れるもんはなんだって売らねぇと生きていけない。地獄とたぶん一緒さ。ちなみに俺は地獄でも悪魔(あくま)に土地を()りて食堂(しょくどう)をやるつもりだ」

行商人「あっそ。なら俺は悪魔の()わりにミズトカゲを売りに行商に出向(でむ)いてやんよ。で、どこの連中(れんちゅう)だ?」

店主「(やつ)らか?素性(すじょう)は知らんよ。興味(きょうみ)もない。マルコジェノバ連邦(れんぽう)のどこぞの河川敷(かせんじき)金鉱(きんこう)をたまたま()り当てた成金(なりきん)貴族(きぞく)の名前なんざ(おぼ)えたって仕方(しかた)ない。この地で知っとかなきゃならんことは」

行商人「どのランクが、何人(なんにん)で、あの迷宮(めいきゅう)セキドイシに(いど)むかってところか」

店主「そうだ。その話題(わだい)でうちの店はもってるようなもんだからな」

行商人「冒険者(ぼうけんしゃ)ギルドでもねぇのに結構なこった。で、今回の連中は?」

店主(てんしゅ)「64人だと」

(ぎょう)商人(しょうにん)「64!?すげぇな。軍隊(ぐんたい)でいやぁ二個(にこ)小隊(しょうたい)規模(きぼ)じゃねぇか」

店主「成金(なりきん)野郎(やろう)(かね)にものを言わせたっていうのもあるだろうが、そもそもリスク承知(しょうち)冒険者(ぼうけんしゃ)(あつ)まるのは、それだけ迷宮セキドイシに魅力(みりょく)があるってこった」

行商人「地上迷宮セキドイシ……50階層(かいそう)より上に(のぼ)って生きて帰った奴はいねぇ……」

店主「そして頂上には神鳥ロックバードの巣があるって(うわさ)だ。ロックバードの(たまご)1個でも持って帰れば(みせ)が3(けん)立つぜ」

行商人「こんなボロ食堂(しょくどう)なら住居付(じゅうきょつ)きでも10軒くらい()つだろうさ」

店主「氷水の次はなんだ?ラクダのクソでも食うか?」

行商人「クソじゃなくてラクダ肉のミルク(がゆ)にしてくれ」

店主「ふん」

行商人「連中(れんちゅう)(ねら)いは?どうせ〝安物(やすもの)〟のロックバードの卵なんかじゃねぇだろ」

店主「当たり前だ。この「タルバカン」に来る命知(いのちし)らずどもの狙いはいつだって同じよ」

行商人「……ウゴエか。どいつもこいつも()りねぇな」

店主「ああ。(なぞ)(おお)迷宮(めいきゅう)セキドイシの秘宝(ひほう)ウゴエ。俺が子どもの頃聞いた冒険者の話じゃ、50階層までのどこかにあるらしいが、どんな秘宝なのか、(くわ)しいことを知る奴は誰もいやしねぇ」

行商人「そんなあるかどうかも分からねぇ宝物(たからもの)に命をかける連中の気が知れねぇよ」

店主「まったくだ。ここで生まれ育った俺ですら、そもそも迷宮が頂上まで何階層あるのかも知らん」

行商人「そう言えばあんた、何年この店をやってんだよ?」

店主「お前のお(ふくろ)がお前の親父に(だま)された時より前からだ」

行商人「そうかい……で、あの連中、腕は立つのか?」

店主「ぼちぼちだ。Bランク以上の冒険者(ぼうけんしゃ)が五人以上いて、回復(かいふく)系統(けいとう)の魔法を使える魔法使いを〝そこいらの冒険者より大勢(おおぜい)(そろ)えているらしい。成金(なりきん)貴族(きぞく)迷宮(めいきゅう)探索(たんさく)はやめとけって一応声(いちおうこえ)()けたら自慢(じまん)()にご丁寧(ていねい)に教えてくれたぜ」

行商人「へへ。なるほどな」

店主「ついでに、「魔法使いは奴隷(どれい)ばかりだから、逃げずに私のために死ぬまで回復(かいふく)魔法(まほう)を使う」とさ」

行商人「死ぬまで、か……」

店主「奴隷(どれい)(もん)があるから()げられん。(きず)()った主人(しゅじん)()()して、いざとなれば主人の身代(みが)わりにされて()わり。それが奴隷(どれい)人生(じんせい)だ。ほれ、ラクダ(にく)(めし)だ。(ミルク)は自分で好きなだけかけて食え」

行商人「どうしたんだよ、今日(きょう)(かぎ)って。いつもはラクダの乳をケチって少ししかかけてくれねぇのに」

店主「氷水でもうぼったくった。それと、奴隷どもを見てたら(むかし)を思い出してな」

行商人「?」

店主(てんしゅ)「どうか、どこぞの()いぼれヤクザ店主(てんしゅ)みたいに、()(ぬし)貴族(きぞく)だけ迷宮で魔物に食い殺されて、それでも迷宮(めいきゅう)を生き()いて出て、(うん)よく解放(かいほう)奴隷(どれい)になれますように」

(ぎょう)商人(しょうにん)「……いただきます」

3. ちょっとにおう


 ムッチャムッチャムッチャムッチャ…

 見た目は鶏肉(とりにく)っぽい白味(しろみ)(にく)。それなのにこう、なんていうか、ヒツジの肉を下品(げひん)にしたような(みょう)なニオイが口の中一杯(いっぱい)に広がる。

 ムッチャムッチャムッチャムッチャ…

 もうしわけないけど俺は思う。

 はっきり言って、あんまり美味(おい)しくない。

 ゴックン。

「ぷふぅ……とはいえ贅沢(ぜいたく)は言えないか」

 冷たい岩に(こし)を下ろして魔物(まもの)ヤギヘビの生肉(なまにく)を食べながら俺は、青白い迷宮洞窟の中で独りぼやく。

 洞窟(どうくつ)

 というか地上(ちじょう)迷宮(めいきゅう)セキドイシ。

 (たし)現在地(げんざいち)地上(ちじょう)80(かい)

 かなり冷える。体感的(たいかんてき)気温(きおん)は10℃前後ってところか。

 そのおかげで、()でてもいないのに、解体(かいたい)したばかりのヤギヘビ肉はいつだって白い湯気(ゆげ)を立てている。時々(ときどき)天井(てんじょう)から(したた)水滴(すいてき)はうなじに当たると心臓が止まるほど冷たい。しかも俺の場合何かに(おどろ)きすぎると、死んだフリスキル「カタレプシー」を引き起こすからちょいちょい面倒(めんどう)だ。

 で、迷宮(めいきゅう)セキドイシの地上80階層(かいそう)

 ただの(たて)に続く洞窟(どうくつ)(あな)じゃなくて、水平方向に1キロ以上洞穴(ほらあな)がグネグネ折れ曲がりながら、しかも枝分かれして伸びて、それでようやく下層(かそう)に続く道が数本見つかる。

 けれど「当たり」と思った下層への道は、次の階で実は全部行()()まりだったりするから、その時は本当に泣きそうになる。魔物(まもの)とのエンカウントもあるし。

 行き止まりしかなかった場合はもう一度上の層に(もど)って別の〝()りる道〟を探さないといけない。

 これはもう、れっきとした迷宮。

 レトロゲームの『ドルネコの不思議(ふしぎ)なダンジョン』よりエグイ気がする。「くさったパン」すら落ちてないし。場所によっては(くら)いし(せま)いし(すべ)りやすいし……

「あぁ~おいし。おいしいなぁ。ほんとおいし。おいしいよ、これゼッタイ……うっぷ!」

 まだ下に79階もあるのかと思うと、正直ゲンナリする。

 ムチムチムチ!……ハム。ムッチャムッチャムッチャムッチャ。

「うう……(なま)食感(しょっかん)が楽しめて……おいひぃなぁ……」

 生憎(あいにく)と火を起こせる道具がまだ見つからない。だから寒さに耐えつつ、しかも(ちょう)危険(きけん)な魔物の生食(なましょく)を現在実行中の俺。

 《注意。魔物の生食(せいしょく)危険(きけん)。魔物の生肉(なまにく)には寄生魔虫(きせいまちゅう)が大量に繁殖(はんしょく)

 脳内再生は当然ともいえることを、ちゃんと事前に俺に説明してくれた。

 それで火おこしの道具をせっせと探していたけれど、これが全然見つからない。そんな時だった。

 《報告。特殊スキル『死んだフリ』発現者の体内では寄生魔虫は全て仮死(かし)状態(じょうたい)移行(いこう)

 え?

 それってつまり、俺の場合は生食(なましょく)も平気ってことか?

 そう思ってさんざん(なや)んだ挙句(あげく)、俺は思い切って魔物を生で食べる暴挙(ぼうきょ)に出た。

 ゴックン。

 寄生(きせい)(ちゅう)に腹を食い破られる悪夢(あくむ)に最初はうなされたけれど、寝て起きたら、けろりとしている。

 《報告。ヤギヘビ捕食により体力(たいりょく)回復(かいふく)

 それどころか(のど)(かわ)きとかも減った。滴下水(てきかすい)以外の水源(すいげん)を見つけるまではどうにかこれで持ちこたえたい。

「さてさて、そろそろ出かけるとするか」

 立ち上がる俺は自分の格好(かっこう)(あらた)めてチェックする。

 ふふ。ふふふふ。

 俺の得意(とくい)科目(かもく)家庭科(かていか)

 授業中(じゅぎょうちゅう)居眠(いねむ)りと内職(ないしょく)(いそ)しんでいる他の同級生が多い中で、俺は家庭科の授業だけはきちんと受け続けた。

 なぜなら高校の理科の先生が教えてくれたからだ。

「人生で一番大切な教科は何かわかるか?家庭科(かていか)情報科(じょうほうか)だ。それだけやれば今の世の中なんとか生きられるぞ。ちなみに生態(せいたい)(けい)頂点(ちょうてん)はガジラだってことを忘れるなよ」。

 先生。俺は先生の雑談(ざつだん)だらけの授業が好きだったよ。しかも担任だったから(うれ)しかった。

 そう言えば先生……修学旅行のバスの中にいたよな?

 ………あれ?

 思い出せない。いたっけ?

「まあいいか」

 とにかく出発だ。グズグズしているとまた魔物がやってくるし、俺の(はら)()る。

 担任の先生の教えを守ったおかげで、俺は衣食住(いしょくじゅう)に関する知識は豊富な方だと思う。

 だからかなりスタイリッシュな格好(かっこう)を現在している。

 流行ではなく時代の先端(せんたん)をいくヤギヘビファッション。

 言葉で表現するならば、ヤギヘビの黒革(くろかわ)をヤギヘビの糸で()()ぎしたパジャマ。

 ちょっとサイズを間違えたせいで体にフィットしちゃっているけど、これはこれでオシャレなはず。ヤギヘビの毛は時間が経つと蛍光塗料でも塗ったかのように青く光るなんて全然知らなかった。毛糸で()っているうちに気づいた。

 これだと目立って魔物に気づかれると思ったけれど、そこはあんまり心配ないらしい。

 この地上迷宮セキドイシの魔物たちは、鼻と耳はメチャクチャ良い。

 でもそのかわり、迷宮暮らしが長いせいか、目があまりよくない。

 視覚(しかく)情報(じょうほう)よりも嗅覚(きゅうかく)聴覚(ちょうかく)(たよ)って生活している。

 だから俺のオシャレファッションにも気づかない。あいつら魔物には俺はきっとヤギヘビらしい音がしない変なヤギヘビくらいにしか思われていないはずだ。

「おっと、出発前に」

 チュポン!ゴクッ!

 ヤギヘビの胃袋(いぶくろ)でつくった水筒(すいとう)()めた滴下水を一口大きく()み、(ふくろ)を閉じ、背負(せお)いなおし、俺は音を立てないように歩き出す。

 タッタッタッタッタッ……………

「!」

 地面に(なぞ)痕跡(こんせき)発見(はっけん)

 地面を()ったらしいこの(あと)は……あいつらか。

 ゆっくりと、先に進む。

 《報告。魔物バイオリンエビの出現(しゅつげん)

 だな。

 青い水晶(すいしょう)でおぼろげに照らされた迷宮の自然(しぜん)(ゆか)を埋め尽くす、くすんだ体色の魔物バイオリンエビたち。ロブスターとかヤシガニみたいに一匹一匹がでかい。子どもの(うで)くらいはある。

 しかしそのバイオリンエビ。どれ一つとして動いていない。横倒(よこだお)し、あるいはうつ()せのまま。

「………」

 奴らが微動(びどう)だにしない理由は、身を守りつつ獲物(えもの)(いのち)()るため。

 バイオリンエビの存在(そんざい)に気づかず近づいた魔物なり生物が、奴らの背中に触れようものなら、奴らは一気にエビぞりになって、触れた相手の足をぶっ(たた)いて負傷(ふしょう)転倒(てんとう)させる。

 一匹に足を(はら)われて(たお)れて、別の一匹に首を(はた)かれて頸椎骨折(けいついこっせつ)即死(そくし)

 こんな感じで獲物を仕留める。まるで地雷(じらい)

 そして動けなくなった獲物にみんなでもぞもぞと集まり、ゆっくり、不器用(ぶきよう)な口で捕食(ほしょく)する。俺の脳内再生の情報によれば、バイオリンエビは低位の魔物だけど一撃(いちげき)必殺(ひっさつ)()ひれは当たり所が悪ければ死に至ることもあるとか。頸椎骨折した魔物を見ればそれは(うなず)けるし、実際に俺は(ひろ)った石ころを(おそ)る恐る放り投げて、思い切り打ち返されて足を打撲(だぼく)したから、あいつらの尾の強さは身に()みてわかってる。

「………」

 それでも()りず、そのへんに落ちている小石を拾う俺。

 でも、ある一匹に(ねら)いを定めてから、そうっと(ほう)る。

 コツン。

「……」

 〝その〟バイオリンエビは、ピクリともしない。

「………」

 俺は動かない横倒しのバイオリンエビの姿(すがた)をじっと見る。そして、そいつの周辺にいる他のバイオリンエビもよくよく見る。特に横倒しのバイオリンエビを集中的(しゅうちゅうてき)に見る。

 ……。

 触覚(しょっかく)の向きが2本そろっている奴と、向きがそろっていない奴。

 背中(せなか)不自然(ふしぜん)にまっすぐな奴と、自然に(まる)まった奴。

 一番後ろについている(あし)2本だけが体の後ろに向かって()びて硬直(こうちょく)している奴と、脚全(すべ)てがダラリとしている奴。

「……」

 俺は(こし)に差している(おの)をそろそろと取り出して(にぎ)る。一番近くにいて動かないバイオリンエビに近づく。

 それは、石を投げ当てたのに動かなかったのとは(こと)なる様子(ようす)のバイオリンエビ。

 つまり、触覚(しょっかく)の向きが2本そろっていて、背中が不自然にまっすぐで、一番後ろの脚2本だけが体の後ろに向かって伸びて硬直している奴。

 その頭部(とうぶ)めがけて、他のバイオリンエビに当たらないよう、

 ブオンッ!!

 振りかぶった斧を力いっぱい真下(ました)に落とす。

「キュイイッ!?」

 小さな絶叫(ぜっきょう)を上げてバイオリンエビがビクビクとのたうつ。ブルンブルンと尾を()る。だけどその時にはもう俺の斧の刃先に対して垂直にバイオリンエビは突き刺さっているから大丈夫。()(なぐ)られる心配はない。

 ゴスンッ!

 俺はもう一度斧を持ち上げて、バイオリンエビごと地面にたたきつける。めり込んでいた刃がさらに深く刺さり、頭胸部(とうきょうぶ)()れて、腹部(ふくぶ)と完全に(わか)れる。千切(ちぎ)れた身体から内臓(ないぞう)が流れ出る。そうしてバイオリンエビの腹部が動かなくなるのを俺はしばらく待つ。

 ベリベリ。ムシャムシャムシャ。

「うん。()きが良いとこいつの肉だけは何回食ってもマジで美味(うま)い」

 時計(とけい)がないから正確(せいかく)には分からないけれど、たぶん半日くらいかけて30匹近くの「死んだフリ」バイオリンエビを殺した俺は、(ころ)すたびに(から)()いて腹部(ふくぶ)のプリプリ肉を食べた。

 よくこんなに食えるなぁと自分でも思う。でも食えるから仕方(しかた)ない。

 脳内再生によれば、「カタレプシー」と「だるまさんが転んだ」の二つの死んだフリスキルをほぼ同時発動し続けているわけだから、俺はすこぶる燃費(ねんぴ)(わる)いらしい。だから腹がすぐに減る。というわけで自分でも(おどろ)くくらいよく食べる。

 ムシャムシャムシャムシャ……

 それも、できるだけ()きが()い魔物を、俺は()っている。

 ムシャムシャムシャムシャ……

 活きが良い。

 それは、死んだフリをして獲物(えもの)を待ち伏せている、あくまで死んでいない捕食者(ほしょくしゃ)

 ムシャムシャムシャムシャ……

 本当に死んでいるか、死んだフリをしているのかは、よくよく観察(かんさつ)すれば分かる。

 確証はないけれど、たぶん死んだフリをするほとんどの魔物で、死んだフリ独特(どくとく)(くせ)みたいなものがある。

 それを見破(みやぶ)りさえすれば、こちらが奇襲(きしゅう)攻撃(こうげき)を受ける可能性はぐっと()る。

「これも特殊スキルのおかげってやつか」

 最初から地面にうつ()せだったバイオリンエビを手づかみで近くに持ってきて置いて、それを眺めながら食事をする俺。

 うつ伏せバイオリンエビは全部死んでいる。

 外骨格(がいこっかく)甲殻(こうかく)は残っているけれど中身の肉や臓器(ぞうき)はだいぶ前に死んで()けて外に(なが)れ去ったらしく、甲殻の中はカラ。それを排除(はいじょ)せず、死んだフリをする自分たちの(まわ)りに並べておくのはおそらくバイオリンエビたちのカムフラージュ戦略(せんりゃく)

「ふふふふ……。お見通(みとお)しなんだよ」

 (ひと)(ごと)をブツブツ言いながら魔物肉をムシャムシャと平らげる俺。肉を頬張(ほおば)り終えるとうつ伏せ空っぽバイオリンエビの死骸を手に取る。

 スンスン……

「うぅ。くっさ」

 (から)っぽとはいえ、うつ伏せバイオリンエビの死骸に鼻を近づけると、キツい死臭(ししゅう)はかすかに残っている。いやだな。こんなニオイが(ふく)なんかについた日には……

 《報告(ほうこく)。魔物を(いっ)定数(ていすう)捕食(ほしょく)したことにより死んだフリスキルが向上(こうじょう)。新たに「デスノート」を獲得(かくとく)

「ぶふっ!?」

 驚きのあまり、口からエビ肉を()き出す。頭の中に週刊少年雑誌が浮かぶ。黒いノートが浮かぶ。死んでほしい人間の名前を書いている天才主人公とリンゴの好きな死神と爪を噛んでいる不気味な探偵が浮かぶ!

 まずい!

 ここまで死んだフリでなんとかやってきたのに今度こそお(しま)いだ!!

 名前を死神のノートに書かれる前に、余計(よけい)なことを脳内再生したせいでご臨終(りんじゅう)だ!!!

 《死んだフリスキル「()芳香(ほうこう)デスノート」の発動(はつどう)準備(じゅんび)完了(かんりょう)

「え?」

 芳香?ニオイ?どういうこと?

 《報告。ノートは現在一種類(しゅるい)のみ使用可能。スキルレベル上昇(じょうしょう)(ともな)いトップノート、ミドルノート、ラストノートの三種類の使い分けが可能(かのう)

 トップ?ミドル?ラスト?

 ああノートって、なんだ。(かお)りのことか。

 マジでびっくりした。魔物だけじゃなくて集〇社まで敵に回すところだった。

「そっか。俺はいわば調(ちょう)香師(こうし)になれたってわけか」

 俺は口元についた魔物エビ肉を取りながら納得(なっとく)する。()(あせ)(ぬぐ)う。

 《死んだフリスキル「死の芳香デスノート」の発動準備完了》

「よし。ならその力、(ため)してみるか」

 《発動》

 ポフン。

 全身からかすかに小さな音が立つ。じわ~っとした感覚が体内を流れる。

 見えないけれどたぶんガスが出たんだろう。どんな香……

「……オッハッ!?アハッ!ハッ!エヘッ!ヘッ!ゴハッ!」

 ()えきれず、俺は(こし)かけていた小岩からひっくり返る。

 このニオイは……ヤギヘビの死骸(しがい)の、一番きついヤツ。ダメすぎるヤツ。

 《死んだフリスキル「カタレプシー」発動》

 (たの)んでないわ!

 ふざけんな!

 早くスキル「だるまさんが転んだ」で解除(かいじょ)……待て。

 待てよ……。

 死んだフリの初歩である硬直(こうちょく)スキル「カタレプシー」と新たに手に入れた死臭(ししゅう)スキル「デスノート」。

 《死んだフリスキル「だるまさんが転んだ」発動》

「そういう、ことかい」

 ひょいと起き上がる。

 どうやら俺の死んだフリはさらに(みが)きがかかったらしい。

 それはそれでいいことかもしれないけれど……

「クサすぎるぞ、これ……あ」

 ビチビチビチビチッ!!

 少し(はな)れた所で死んだふりをまだ続けていたバイオリンエビたちが死んだふりをやめて後ずさり、()ねて逃げていく。それを見つめている俺の視界がにじむ。涙目(なみだめ)になる。

 そんなに俺ってクサいか?クサいよな。暢気(のんき)に死んだフリして待ち伏せなんてやってられないよな。

 鼻ってニオイに()れてすぐにニオイを感じなくなるらしいけど、そんなこと全然(ぜんぜん)ない気がする。


 ポチャポチャポチャポチャポチャン!!


「む!?」

 水に飛び込む音がした。ということは…………っしゃあ!!

 バイオリンエビの逃げた先で素敵(すてき)な音を聞いた俺は()(しゅう)(ただよ)わせたまま全力ダッシュで走る。まだ逃走中(とうそうちゅう)のバイオリンエビがさらに死に物狂(ものぐる)いで跳ねていくが、そいつらを追い抜いて俺は急ぐ。

「あった!やった!!」

 地底(ちてい)()!というか迷宮(めいきゅう)()を発見!!やった!やっと水にありつけた!!銭湯(せんとう)大浴場(だいよくじょう)並みに広いぞ!

 《注意。身の危険(きけん)を感じた魔物バイオリンエビが多数(たすう)潜水中(せんすいちゅう)

 何言ってんだ脳内再生。そんなの見りゃわかる。

 《注意。魔物バイオリンエビは身の危険を感じると》

 キュイイイイ……

「?」

 《水中で不快音(ふかいおん)(かな)でる習性(しゅうせい)をもつ》

「!!???」

 ガラスを爪で引っ()く音!?

 キュイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイッ!!

 ぐああっ!!(みみ)がおかしくなるぅううう!!

「ちっくしょう!!」

 死臭発散者に対する(いや)がらせかよ……そして相手は空中ではなく水中……

「くそっ!」

 俺は意を決し、湧き水の中に飛び込む。

 ドボンッ!!ビッシ!ビッシ!ビッシ!ビッシ!

 痛って!音攻撃に加えて尻尾攻撃かよ!?

 この数……でも水の抵抗のおかげで威力がかなり弱まってる。水中じゃなかったら死んでるかもしれない……とにかく脳内再生!デスノートだ!一発かませ!!

 《死んだフリスキル「死の芳香デスノート」発動》

 ポコポコン。

 キュイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイ………し~ん

 プカプカプカ……

「水の中だって香りはするもんだ」

 せっかくの綺麗な湧き水を死臭で汚染し、浮き上がって泡を吹く瀕死のバイオリンエビたちを見ながら俺はにやりと笑う。……あっ!

 《報告。死んだフリスキル所持者の体内から予期(よき)せぬ特殊(とくしゅ)ノート発生を確認》

「うっ、ぐす……くそ……」

 水中でスキル発動時、思わず力んだ拍子(ひょうし)

「水が冷たすぎて気づかなかったんだよぉ……」

 お(しり)から、空砲(くうほう)ではなく実弾(じつだん)を出してしまいました。


 《報告。死んだフリスキル「死の芳香デスノート」がレベルアップ。新たなノートを獲得(かくとく)。二種類の芳香をトップノートとして発動が可能》

 漏らしたウンコで汚れた服を湧き水で洗い、賢者タイムにしばし浸りながら裸で魔物エビを食べていたところ、脳内アナウンスが再び流れる。

 《確認。獲得ノートは魔物ヤギヘビの死臭、魔物バイオリンエビの死臭の二種類》

 つまりヤギヘビとバイオリンエビの死臭のどちらかを体から出せるってわけか。

「死臭、か……」

 魔物バイオリンエビの(から)()いたばかりの腹部の肉に鼻を近づける。プリプリの白身肉に臭みは全然ない。

 それに対して、死臭は本当にクサい。

 未熟(みじゅく)な肉はそもそも(にお)わず、成熟(せいじゅく)した肉は美味(うま)(にお)いが出る。

 けれど、それを通り()した()(しゅう)腐臭(ふしゅう)はとてもじゃないけど、()げたものじゃない。

 健康(けんこう)(いのち)は、そこそこうまい。

 (きず)つき、死にかけた命は、こういっちゃなんだけど、(じゅく)したように(ちょう)うまい。

 でも〝()〟はマジで不味(まず)い。

 死にかけた肉と死んだ肉には雲泥(うんでい)()がある。

 味もニオイも同じこと。

 死にかけた命は食いたくても、命を(うしな)った〝()〟を食いたいと思う奴はそういない。

 だからこそ、「死んだフリ」が特技の俺には死臭スキルはピッタリ。


 ギギ!


「お?」

 聞き覚えのある声を聞き、俺は斧だけ持って慌てて石の影に隠れて「カタレプシー」を発動する。

「ギギギ」「ギギ!」「ギギッ」「ギ」「ギギギギギ」

 やっぱりアリゴブリンか。こんな階層にもいるなんて、知らなかった。エサを探しにここまで来るのか。そういえば一つ上の階層でも(おの)とか手足(てあし)が落ちていた。

「ギッ!!」「ギ?」「ギギギギッ!」「ギ~?……ギギギッ!!!」「ギッギギ……」

 五匹のアリゴブリンが()き水の前で何やら互いに向かって(さけ)んでいる。

 たぶん「なんだこりゃ!」「どうした?」「この水めっちゃ不味くてやべぇぞおい!」「ホントかよ?……うげぇ!!」「おい、大丈夫かよ」「こんな不衛生(ふえいせい)な水を飲んで巣に帰ったら俺たちだけじゃなくて仲間も全滅(ぜんめつ)するぜ」「だよな。ありえないよな。バイオリンエビもなんか死んでるし」みたいなやりとりだと思う。口に含んだ湧き水をぺっぺと吐きながら元来た道を引き返していく、綺麗(きれい)()きのアリゴブリンたち。俺が食べようと思っていたバイオリンエビの白身肉すら気味悪がって()けてった……獲物(えもの)捜索(そうさく)略奪(りゃくだつ)放棄(ほうき)させるほどの水質(すいしつ)汚染(おせん)をして、なんか申し訳なく思う。

 ギギギギギィ――ッ!

「?」

 アリゴブリンが去ってしばらくして、多少乾(かわ)いた服を着た俺は、また迷宮を歩いている。その洞内の奥深くで響き渡るアリゴブリンの絶叫(ぜっきょう)(おどろ)いて思わずカタレプシーしかけるも、ギリギリセーフ。迷宮内はほんとに音が良く(ひび)くから嫌になる。

 それにしても、どうした?

 俺より(くさ)い奴でも出たか?考えただけでも最悪(さいあく)だな。それとも俺がまだ臭い?

 《報告。死んだフリスキル「死の芳香(ほうこう)デスノート」は現在充填中(じゅうてんちゅう)のため使用(しよう)不可(ふか)

 使わないって。それにしても……

 ギギギギギギギギギギッ!!!!

 叫び声と一緒に、地面を駆ける音が、大きくなる。

 なんだか、こっちに近づいてきている予感がする。

 《注意。アリゴブリン4体が接近中(せっきんちゅう)

「やっぱりか」

 脳内再生の声を待つまでもなく、俺は腰に差していた斧1本を抜き、両手で(にぎ)る。

 どうする?

 アリゴブリンが今迫(せま)ってくる中で硬直(こうちょく)して、やりすごせるか?見つからないか?

 《注意。状態(じょうたい)異常(いじょう)の魔物アリゴブリン4体が急速(きゅうそく)接近中(せっきんちゅう)。1体が速度(そくど)低下(ていか)。2体が転倒(てんとう)。1体が速度(そくど)()()したまま(もう)接近(せっきん)

 状態異常?

「ギギギギギギギギッ!!!」

 暗くて遠くまでよく見えない。普通のアリゴブリンじゃないのか、あれ?

 ズダゴラザッザ!ズダゴラザッザ!! ブオンッ!!ガキンッ!シュッ。

「ギギギギ――ッ!!」

 なんだこいつの顔!

 フジツボ?

 アリゴブリンの奴、フジツボに身体が(おお)われてんのか?

 《注意。体表(たいひょう)露出(ろしゅつ)しているのはフジツボではなく魔物(まもの)テッポウキノコ》

 キノコ?

 このアリゴブリンにへばりついているのが全部キノコ!?……って、え?

(いた)っ!」

 よく見たら俺、(かた)の肉が()げてる!!

 アリゴブリンの斧、受け止めたと思ってたのに!マジかよ!

「く……このお……」「ギギギギギイイイイッ!!!!!」

 アリゴブリンってこんなに馬鹿力(ばかぢから)を持ってたのかよ。

 ダメだ!力対力(ちからたいちから)じゃ押し負ける!

 ガンッ!

 (つか)同士の()り合いをあきらめる。斧を捨て、アリゴブリンの柄を(よこ)(はじ)く。

「ギギッ!!!!」

 すぐさまこちらの姿勢(しせい)を低くして、

「おりゃああっ!!」

 体勢(たいせい)(くず)れたアリゴブリンにタックルする。

「ギギイイッ!!」

 (からだ)格差(かくさ)のおかげでどうにかアリゴブリンが()きとばされて転がる。

 《注意。対象(たいしょう)は魔物テッポウキノコに寄生(きせい)された魔物アリゴブリン》

 キノコに寄生?

 《魔物テッポウキノコにより寄生(きせい)支配(しはい)された魔物アリゴブリンは狂騒(きょうそう)状態(じょうたい)危険(きけん)……状態異常のアリゴブリン2体が接近》

 (よう)するに、ゾンビってことか。

「こわ」

 冷や汗が(あご)を伝う。脳内再生によれば転んでいたらしいアリゴブリン2匹がさらにこちらに到着。3匹そろってフジツボを体中に張り付けたみたいで気色(きしょく)(わる)い。まさにゾンビ。

「ギギイッ!」「ギーッ!!」「うおおおっ!!」

 《報告》

 俺は背負っていたもう一本の斧を手に大きく振りかぶって2匹に応戦(おうせん)

 ガチーン!

「うっそ!」

 《状態異常〝悪化(あっか)〟のアリゴブリン1体の接近を確認》

 アリゴブリンゾンビ1匹が俺の斧の刃を顔面(がんめん)(あご)でキャッチ。マジで!?顔面で白刃どりなんて普通するか!?

 ボギリッ!!

 《魔物の残骸を捕食しながらまもなく接触(せっしょく)

 もう一匹のアリゴブリンゾンビが斧を上段から振り落としたせいで俺の斧の柄が一瞬で粉砕。ゾンビのくせに(かしこ)すぎる!やばいやばいやばい!!


 ドボーンッ!!


「「「「?」」」」

 何かが水に落ちる大きな音で、俺とアリゴブリンゾンビ3匹が止まる。

 みなで音の方を見る。

「ギギギギギギギギギギギギゴボボボボボ……」

 フジツボ模様がさらにびっしりと体を覆っている奴、たぶん形からしてアリゴブリンゾンビ。遅れてここにきた1匹。

「ゴボボ………」

 それが俺の水浴びをしていた湧き水でおぼれている。浮いてこないってことは、死んだのか?

 《報告。魔物テッポウキノコ及び魔物アリゴブリンは水中(すいちゅう)での生存は不可能(ふかのう)

 え?

 じゃあなんで水にダイブなんて……

 《ヤギヘビの充満(じゅうまん)する()(しゅう)が水の(かお)りを打ち消したため、地面と誤認(ごにん)

 なるほどな。そういうこ……

「ギギッ!!!!」

 ブオンッ!!!

「うああっ!?」

 (あぶ)ない!ぼうっとしていた。

 そうだ、忘れてた!俺、アリゴブリンゾンビを3匹も相手しているんだった。逃げろ!

 ブオン!ブオンッ!!

 つったって斧攻撃が連続して襲ってくる!どうする?

 《注意。死者(ししゃ)生者(しょうじゃ)興味(きょうみ)を示す。死者の(にお)いに興味は示さない》

 ……それだ!

 《死んだフリスキル「死の芳香(ほうこう)デスノート」充填(じゅうてん)完了(かんりょう)

 やってくれ!

 ポフン!

 《報告。「死の芳香デスノート」発動。トップノート、バイオリンエビ》

「ギギギッ!!」「??」「ギーギ?」

 一瞬固まるアリゴブリンゾンビ。キョロキョロと周囲を確認する。

 チャンスだ!折れてない斧はどこだ?あった!

 よし!逃げろ!!!

 タタタタタタタタタタタタタタタタタタッ!!!

「「「ギギギッ!!」」」

 (はし)ればさすがにバレるか。()ってきやがった!

「はあ!はあ!はあ!はあ!はあ!」

 魔物を見つけて食べるためと、迷宮で迷わないようにするために、俺は一つ一つの階層を結構(けっこう)丁寧(ていねい)調(しら)べている。

 《警告(けいこく)

「はあ!はあ!はあ!はあ!はあ!」

 だからどこが安全(あんぜん)かは、ある程度知っている!

 《状態(じょうたい)異常(いじょう)末期(まっき)〟のアリゴブリン1体へ、急速(きゅうそく)接近中(せっきんちゅう)

「はあ!はあ!はあ!はあ!はあ!」

 もちろんそれは、ここより上の階層!

「はあ!はあ!はあ!はあ!はあ!」

 上の階層に逃げる!上の階層ほど魔物は弱い!しかも数も少ない!上へ逃げれば何とかなる……!?

「……ギ、ギギ……ギ……」

 上層へ続く道。その道の真ん中に立ち尽くす、小人(こびと)

 たぶん、アリゴブリン。

 アリゴブリンだった奴。おそらく、アリゴブリンゾンビ。

 全身がもう、フジツボで(おお)()くされている。石膏(せっこう)で出来た彫像(ちょうぞう)みたいで、原形(げんけい)をとどめてない。

「ベェェェ……」

 聞き覚えのある鳴き声で咄嗟(とっさ)に振り向く。

 岩の隙間(すきま)に見える、ヤギヘビの……()

 おかしい。

 こいつら、獲物(えもの)を待ち構えるときは(あたま)だけ出してじっとしているはずなのに、逆に〝(しり)〟だけ出してるって、どういうこと?

 《警告。テッポウキノコの魔弾(まだん)オシラサマが》

 まさか、(おび)えてる?いったい何に?

 《発射(はっしゃ)

 ボボボボボボボボボボボボボボボボボボッ!!!

「!?」

 立ちふさがっていたアリゴブリンゾンビの体表から何かが勢いよく飛んできた!

 ヌチャ。

「なんだよコレ」

 (うす)い黄色の混じった白いペイント(だん)みたいなのが俺の服や髪に付着(ふちゃく)する。

 《報告。魔弾オシラサマは粘着(ねんちゃく)物質(ぶっしつ)(まと)った胞子(ほうし)弾丸(だんがん)。発射した胞子は生体に接触後ただちに発芽(はつが)し》

「ベェ……ベェエエエエエエエエエエエッ!!!!!」

 《宿主を寄生支配する》

 うそ!うそだろ!うそだろおい!!ヤギヘビ!

 ビョーンッ!

「ベエエエエエエッ!!」

 とぐろをまいてジャンプかよ!

 《報告》

 ガンッ!!バシバシバシッ!!!

「くっそおおお……」「ベエエエエエエエエエッ!!!!!!」

 ヤギヘビの武器である(つの)を斧で叩いたのにヤギヘビはひるまず、2本の大事なチンコを(むち)みたいに(しな)らせて俺にぶつけてくる。(いた)いし屈辱(くつじょく)だ。

 《魔弾オシラサマの第二波(だいには)に警戒》

 ボボボボボボボボボボボボボボボボボボボボボボボボッ!!!!

 取っ組み合っていた俺とヤギヘビに何かがぶつかる。また胞子弾(ほうしだん)!?

「ベエエエ……」

 チンコと胴体を振り回していたヤギヘビの様子がさらにおかしくなる。()(だま)が破裂して眼窩(がんか)からキノコが生えた!胴体もチンコもフジツボに覆われていく!

 ボボッ!!

「ぐっ!」

 動きが(にぶ)ったヤギヘビを(たて)にしたのに()けられなかった胞子弾が俺にも直撃(ちょくげき)硬式(こうしき)野球(やきゅう)のボールがぶつかったような衝撃(しょうげき)が体に走る。いやそんなことより!

 《報告。死んだフリスキルの所持者(しょじしゃ)体内(たいない)での胞子(ほうし)発芽(はつが)不可能(ふかのう)

 ……。

 な~んだ。良かった。そうならそうと早く言ってくれ。

 《報告》

「ベェ……エエ」

 今度は何だ?

 《状態(じょうたい)異常(いじょう)末期(まっき)の魔物ヤギヘビから》

 待て。まさか……

 《魔弾オシラサマ発射》

 ボボボボボボボボボボボギッ!

 〝(たて)〟が爆発(ばくはつ)!?ゼロ距離(きょり)被弾(ひだん)とか……

「!!!」

 肋骨(ろっこつ)が!かはっ!!折れた!!

 《報告。状態異常のアリゴブリン3匹が急速(きゅうそく)接近中(せっきんちゅう)

「はぁ、はぁ、はぁ、はぁ……」

 そうか。そうだった。

 《報告。テッポウキノコは地上迷宮セキドイシ80階層の(ゆう)(せん)(しゅ)

 俺は(よわ)い。

 馬鹿(ばか)だ。そんなことも(わす)れてた。

「ゲホッ!エホッ!」

 《他の魔物に胞子状態で感染(かんせん)寄生(きせい)し、発芽後(はつがご)宿主(しゅくしゅ)中枢(ちゅうすう)神経(しんけい)支配(しはい)が可能》

 胞子や毒が()かないからってなんだ。

 野球の(たま)が頭に当たれば死ぬことだってある。

「はぁ、はぁ、はぁ、はぁ……」

 《感染した宿主を狂暴化(きょうぼうか)させ捕食(ほしょく)行動(こうどう)促進(そくしん)。捕食時に魔物テッポウキノコの胞子を移植(いしょく)

 斧の(やいば)で首を()かれることだってある。

 万力(まんりき)のような(あご)胴体(どうたい)千切(ちぎ)られることだってある。

 《また宿主体内の臓器(ぞうき)で魔物テッポウキノコは増殖(ぞうしょく)成長し、体表(たいひょう)に移行。石灰質(せっかいしつ)(から)で自身を守ると同時に、魔弾オシラサマによって周囲への胞子(ほうし)散布(さんぷ)を可能とする》

 俺は弱い。死ぬ確率(かくりつ)は十分にある。

 ()げろ。逃げろ!逃げろ!!逃げろ!!!

「はあ、はあ、はあ、はあ、はあ……」

 死んだフリなんてしている場合じゃない。

 今まではただ(うん)が良かっただけだ!

 《他の魔物はバイオリンエビを(のぞ)き、魔物テッポウキノコを忌避(きひ)

 死んだフリなんかで、魔物の相手ができるわけないだろ!

 なに寝言(ねごと)言ってるんだ!

 俺の死んだフリスキルは所詮(しょせん)、ハズレスキル。どうしようもないクソスキルだ!

 《魔物テッポウキノコが優占種である階層において、あらゆる魔物はテッポウキノコとすみ分けを実行(じっこう)

「はあ!はあ!はあ!はあ!はあ!」

 《魔物バイオリンエビを(のぞ)いて》

 ポト。

「「「ギギギイイイイイイイイッ!!!」」」

 ズダゴラザッザ!ズダゴラザッザ!!ズダゴラザッザ!!!

「「「ギッ!!??」」」


 し~ん……。


「「「……ギギィイイ」」」

 よし。入ってきた。

 ズダ、ゴラ、ザッ、ザ。

 《死んだフリスキル「死の芳香(ほうこう)デスノート」充填(じゅうてん)完了(かんりょう)

 (たの)む。うまくいってくれ。


 ポフン。…………バチンッ!!!


「ギッギイイイッ!!!」「ギイイッ!?」「ギ!」

 《発射。トップノート、ヤギヘビ》

 バチバチバチバチバチンッ!!!

「「「ギギギギギッ!!!」」」

 魔物アリゴブリンゾンビ3匹が迷い込んだのは、魔物バイオリンエビの群生地(ぐんせいち)

 バチバチバチバチバチバチバチバチンッ!!!!

 その風上(かざかみ)で、カタレプシー状態で(たお)れ込んでいた俺は、スキル「デスノート」を再び発動。しかも今度のノートは、バイオリンエビの大嫌いなヤギヘビの死臭(ししゅう)

 バチバチバチバチバチバチバチバチンッ!!!!

 バイオリンエビたちがヤギヘビの死臭に耐えかね発狂(はっきょう)したように乱舞(らんぶ)

 そんなバイオリンエビに、少しでも触れようものなら、

 バチコーンッ!ゴギッ!ボギッ!ミシャッ!

 あの筋肉(きんにく)(かたまり)みたいな尾で容赦(ようしゃ)なく殴られる。折られる。砕かれる。

「「「ギギギギギギギギッ!!!!」」」

 俺の死臭から逃げようとするバイオリンエビに袋叩(ふくろだた)きにされるアリゴブリンゾンビ3匹。もう俺を追うどころじゃない。……スキル「だるまさんが転んだ」発動。

 バチバチコーンッ!!

「ギギ……?」

 ドグシャッ!!ドスドスンッ。

 リンチされたせいで握っていられなくなったアリゴブリンの斧を拝借(はいしゃく)して、俺はその瀕死(ひんし)のアリゴブリンゾンビを(くび)チョンパ。……肋骨(ろっこつ)が折れてるせいで、体を動かすのはもちろん、呼吸するだけでも死ぬほど(いた)い。

「ギギギッ!!!」「ギギッ!!」

 遠くへ去っていくバイオリンエビ集団(しゅうだん)から(から)くも逃げ()びたアリゴブリンゾンビ2匹は俺の足下(あしもと)で倒れ込み、虫の息。フジツボみたいな殻から顔を出す触手キノコだけは周囲をキョロキョロと物色(ぶっしょく)している。

「………」

 読み通りコイツら、死臭のせいで〝もう〟俺に気づいていない。

 ゴト。

 斧をゆっくり静かに持ち上げて、振りかぶる。

 ズグシュッ!!ドスッ!

「ギ」「?」

 アリゴブリンゾンビ1匹の首をまた飛ばす。

 そしてそんなことなど気づかないらしい隣のアリゴブリンゾンビがよろよろと立ち上がる。眼と耳からテッポウキノコが生えてて、俺の動きにも気づけないか。

末期(まっき)だな」

 ブオンッ、ドバンッ!!

 立ち上がるタイミングに合わせてバットのようにフルスイング。アリゴブリンの後頭部側から首を斬り落とす。

 ドサッ!ドサ。ゴロゴロ……

「ふうう……」

 魔物キノコにやられたゾンビは、どうやら首を落とすともうダメらしい。

 戦いが終わり、俺はその場に尻もちをつく。

 《報告。死んだフリスキル「死の芳香デスノート」がさらにレベルアップ。デスノートを解除(かいじょ)()にノートの消去(しょうきょ)が可能》

「じゃあ頼む。やってくれ」

 《承諾(しょうだく)。トップノート消去(しょうきょ)

 ニュルニュルニュル……

 アリゴブリンゾンビの胴体(どうたい)と、離れた首の(せつ)断面(だんめん)から垂直(すいちょく)に伸びあがるテッポウキノコ。俺の〝(いのち)〟に気づいたらしく、こっちに向かってアメーバみたいな仮足(かそく)を伸ばしてくる。

「おっと」

 シャカシャカシャカシャカ……

 俺からヤギヘビの死臭が消えて間もなく、避難(ひなん)していたバイオリンエビ集団がアメーバ仮足よりずっと早く元の場所に戻ってくる。すごく急いでいるようにも見える。

 狙いは俺じゃないよな?

 一応硬直するか。休憩(きゅうけい)したいし。

「「「「「?」」」」」「「「「「!」」」」」

 俺は完全に脱力しながら静かに観察する。

 ムチャムチャムチャムチャムチャムチャムチャムチャ………

 アリゴブリンゾンビの死骸に(たか)り、(むさぼ)るバイオリンエビたち。平たく伸ばそうとしていたアメーバ仮足も食われてる。

 食われる(じょう)()(しゅ)のテッポウキノコ。食う下位(かい)(しゅ)のバイオリンエビ。

 《報告。バイオリンエビの甲殻(こうかく)はテッポウキノコの胞子を(はじ)いて遮断(しゃだん)。またバイオリンエビ体内には、テッポウキノコを消化(しょうか)する酵素(こうそ)複数(ふくすう)あり》

 どうりで、すみ分けてないわけだ。

 普通の魔物はテッポウキノコの寄生支配が恐くて近づかない。それは脳内再生のメッセージでも知ったし、ヤギヘビの様子を見ればわかる。

 だからどの魔物もテッポウキノコの縄張(なわば)りに入らない。

 でもこうなると、獲物が近寄ってこないわけだから、テッポウキノコは無限に増えることはできない。よって階層内で見かけることはそう多くない。

 でも強力な寄生能力があるから、あくまでも(ゆう)(せん)(しゅ)にして上位種。

 一方の魔物バイオリンエビ。

 100階層から80階層で現れた様々な魔物たちに、いつだって食べられてきた。

 せっかくの必殺尾ひれアタックを決めても、関係なしに腹部を食べられているバイオリンエビを何度も見てきた。あのプリプリの生肉はうまいもんな。

 バイオリンエビは、この80階層内でも最弱(さいじゃく)(しゅ)

 それにもかかわらずバイオリンエビの個体数は、上の階層に比べてかなり多い。

 これはこのバイオリンエビが特殊(とくしゅ)能力(のうりょく)をもっているから。

 特殊能力。

 それは魔物の掃除屋(そうじや)の中でも、もっとも特殊な掃除屋としての能力。

 誰もが嫌がるテッポウキノコを(えさ)にできること。

 (べつ)階層(かいそう)から来たアリゴブリンがテッポウキノコの巣に迷い込んだ時みたいに、突如(とつじょ)()えたテッポウキノコは、バイオリンエビが最後食べる。

 そうすることで迷宮は掃除される。80階層はテッポウキノコだらけにならない。

 結果的にバイオリンエビは腹いっぱいになってその力で子孫を増やす。80階層はバイオリンエビが多くなる。

 もっとも、テッポウキノコの巣にバイオリンエビがあえて向かわない理由は、分からない。生態系のバランスってやつか?

「ほんとよくできてる。()てて……」

 硬直(こうちょく)(かい)(じょ)し、痛みをこらえながら水筒(すいとう)の水を()む俺。


 うあああああああああ―――っ!!


「?」

 スキル「デスノート」取得(しゅとく)の時ほどじゃないけど、その音に(おどろ)いて、俺は一瞬むせそうになる。

(たす)けてくれぇええーっ!」「いやあああっ!!!」

「……」

 間違(まちが)いない。

 これ、人間(にんげん)の声だ。

 人間がいる!こんなところに人間が!

 《注意。異世界パイガには人間族(にんげんぞく)のほかに亜人族(あじんぞく)が複数存在。今の声は人間族(にんげんぞく)馬人族(クーダ)

 いつも丁寧(ていねい)横槍(よこやり)説明(せつめい)ありがとう。人間族も亜人族も「人」の字が入っているから俺的には人間なんだよ。

「よいしょっと」

 シャカシャカシャカシャカ……

 首なしアリゴブリンゾンビ3匹とヤギヘビゾンビを(たい)らげ、いよいよ彫像(ちょうぞう)みたいなアリゴブリンゾンビ1匹の掃除(そうじ)に向かってくバイオリンエビの群れを見送りながら、俺は腰を上げて歩き出す。

「誰か!誰か助けてぇぇ!」「魔法だ!ファイアを使え!」「分かった!……ファイア!」

 地上迷宮セキドイシ。

 その80階層まで来たなんて、すごい。

 ひょっとして勇者か?

 それとも召喚者の誰か、か?

「ダメだ!ファイアが効かない!!」「消えた!?どこに行った!?」「ぐあああっ!」

 まぁ誰でもいい。

 とにかくそいつらは、声の感じからして、この80階層では通用(つうよう)しないってこと。

回復(かいふく)魔法(まほう)を!血が止まらない!傷の手当てを早く!」「了解です!……きゃああっ!!」

 これがよく分からない。

 俺の経験的に、この迷宮セキドイシは、階層を下っていくほど魔物の強さが逆に上がっている。

 つまり下に行くほど強い魔物がいて、上に行くほど弱い魔物がいる。

「ぎゃああああっ!!!」「おい!みんなどこだ!?」

 (あせ)っている感じの声。悲鳴(ひめい)。助けを呼ぶ声。困惑。

 集まった連中は、80階層の魔物を相手に手を()いている。

「奴はどこにいる!?」「分からない!暗闇(くらやみ)に隠れている!!頭上(ずじょう)警戒(けいかい)しろ!!!」

 じゃあどうやってこの階層まであいつらは来られた?

 下層に行くほど魔物は強いんじゃないのか?下層で力を使い果たした?

 《推測(すいそく)。迷宮内には複数の転移(てんい)魔法陣(まほうじん)が存在。下層から上層一(じょうそういち)方向(ほうこう)への転移魔法陣に侵入し、強制転移した可能性あり》

 ああなるほどね。

 じゃあ今泣き叫んでる連中は、迷宮の1階から入って、いきなりこんな所まで飛ばされたのか。なるへそ。

 だったらこの悲鳴も理解できる。

 てっきり死んだフリでもしてここまで来られたのかと思った。

「誰か!誰か助けて!!!」「こっちくんなああ!!」

 ん!?人の走ってくる気配だ。カタレプシー。

 ポト。

「「はあ!はあ!はあ!はあ!」」


 ズドオオーンッ!!!


「あっ!!」「おわああっ!?」

 ガブシュッ!!ムシャアッ!ムシャアッ!ムシャアッ!

 ドシュッ!!ジュッジュッジュッジュッ……

 ビョーンッ!!!!!

「………」

 やべぇ!何今の!?

 《報告。魔物ノミライオンは中位の魔物。80階層の支配者(しはいしゃ)

 二人の人間がこっちに走ってきたと思ったら、いきなりどデカい魔物が上から(あらわ)れて、一人はライオンみたいな口に呑み込まれて食われた。

 もう一人は、尻尾(しっぽ)に刺されて、干からびてミイラみたいになった。血を吸われた?そういえばノミみたいな顔に見えた。

 とにかく二人とも飛び跳ねた大型魔物に食われた!連れて行かれた!

「……」

 咄嗟(とっさ)にカタレプシーを発動したおかげで俺は助かった。

 (うご)く者が(そば)にいてくれれば俺の死んだフリは成功(せいこう)する。

 ……。

 動く者がその後どうなるかは、決まってる。

 ……。

「……よし」

 俺は自分の周囲が静かになったのを確認してまた起き上がり、歩き始める。

「こっちに来るな!バケモノ!!」「サンダー!!」「くそ!当たらない!!」

 声の数からすると、二十人以上はここにいる。

 それだけいれば、誰かが何とかしてくれるだろ。

 何とかしてくれなかったとしても、それだけいれば(うら)みっこなしだろ。

「ここは本当にどこなんだ!」「まだ分からない!転移魔法陣にローシカが触れて別階層に飛ばされたとしか」「ローシカあの野郎……」

 誰かを(うら)むなよ。

 バス事故のどさくさに(まぎ)れて異世界に連れ込まれたわけじゃないんだし。

 ましてやそこで俺みたいに死んだフリスキルを与えられたわけでもないし。

 ましてや……志甫(しうら)みたいにジョーカーに選ばれたわけでもないんだから。

「ここか」

 下層へと続く道にようやくたどり着く俺。

 タスケテェエエ……

 悲鳴がいつまでも止まない。

「ふう……」

 俺って、こんなに薄情(はくじょう)だったか?

 ここに来るまでに薄情になったのか?

 生き死にが日常(にちじょう)になったせいで薄情になったのか?

「…………」

 無理(むり)だ。俺には誰かを(たす)ける力なんてない。

 俺は無力(むりょく)だ。ヒーローなんかじゃない。

 俺は死んだフリで敵をやり過ごすことくらいしかできない。

 誰かを守る力なんて持っちゃいない。魔王(まおう)討伐(とうばつ)英雄(えいゆう)シリーズとか、全く関係ない。

 誰かを守るなんてのは、召喚されて立派なトランプスキルに選ばれた勇者様か、この異世界にきっといる強い戦士にでもお願いしてくれ。

 俺は卑怯(ひきょう)でも何でもいいから生き延びたいだけの、臆病者(おくびょうもの)

 ゴツン。

「?」

 あれ?先に進めない。

 なんだ?透明(とうめい)(かべ)?ガラス?強化プラスチック?下層へ降りられないんですけど?

 《報告。欲望(よくぼう)結界(けっかい)サンリンボウが前方に展開(てんかい)。下層への道を現在封鎖中(ふうさちゅう)

 封鎖中?は?え?

 どういうこと?

 なんで封鎖されてんの?

 《欲望の結界サンリンボウが展開中のため、上層から下層への移動は不可能(ふかのう)

 そうじゃなくて……ん?

 ということは下層からこの80階層への移動は可能なのか?

 《可能》

 つまり、これは誰かの仕掛(しか)けた(わな)なのか?

 《報告。欲望の結界サンリンボウは魔物ノミライオンが捕食のために仕掛けた魔法(まほう)(わな)

 ……。

 ……。

 《80階層の支配者(しはいしゃ)である魔物ノミライオンを排除(はいじょ)しない(かぎ)り、結界サンリンボウは維持(いじ)

 ……。

 ……。

 《追加(ついか)報告(ほうこく)。地上85階層で固有(こゆう)周波数(しゅうはすう)感知(かんち)発生源(はっせいげん)は上位の魔物ベルゼブブ。タイプ:シジ。すなわち2(れい)幼虫(ようちゅう)が85階層へ到着》

 ベルゼブブ……。

 《注意(ちゅうい)

 ノミライオン……。

 《()きながら()(しゅう)(はな)(もの)は》

 どいつもこいつも……。

 《あきらめの(わる)(もの)

 ……分かったよ。

「やれるだけやれってことだろ」

 (おの)(えぐ)られた腕の傷に加えて肋骨(ろっこつ)の痛みがひどすぎて、呼吸しづらくて、何か大切なことが浮かばない。つい今さっきまで考えていたことなのに……

 なんだっけ?ダメだ。(わす)れた。

 もういい。俺が無力(むりょく)なんてことは忘れた。

脳内(のうない)再生(さいせい)。ノミライオンについてもう少し(くわ)しい情報(じょうほう)をくれ」

 片手を脇腹(わきばら)にあて、もう片方の手に(おの)を握りしめ、俺は来た道を引き返した。




 地上迷宮セキドイシ。第80階層。

「……」

 64名の冒険者(ぼうけんしゃ)たちが今、転移魔法陣の仕込(しこ)まれた洞窟内(どうくつない)右往左往(うおうさおう)している。

「ここはどこだ?」「さあ」「聞いたことも見たこともねぇ」

 64名は五つの小部隊(しょうぶたい)に分かれている。すなわち、

 A班(はん)。Bランク冒険者ゴラド(ひき)いるパーティー「ギラキング」15名。

 B班。Bランク冒険者クンハ率いるパーティー「グッピーメア」11名。

 C班。Cランク冒険者アナスタシア率いる()せ集め集団14名。

 D班。Cランク冒険者マリオ率いる寄せ集め集団13名。

 E班。金鉱(きんこう)成金(なりきん)のマシュウ・ドラグノフを護衛(ごえい)する奴隷(どれい)集団(しゅうだん)「ドラグノフ」11名。

 もちろんE班を守るように布陣(ふじん)している全メンバーだが、置かれた状況があまりにも唐突(とうとつ)()に落ちず、恐怖と不安に()られている。

「やべぇ、やべぇよ」

 C班の冒険者ローシカが両手の指をソワソワ動かしながら冷や汗を垂らす。その胸倉(むなぐら)をつかむA班の冒険者ジェノバ。

「てめぇ、(さわ)るなっつった宝箱(たからばこ)を開けただろ!」

 (わな)感知(かんち)スキルをもつ冒険者ジェノバは迷宮に入ってすぐ、「宝箱には絶対に触れるな」と警告した。そして宝箱らしきものが見つかるたびに口を()っぱくして同じことを()り返し伝えた。

 しかしローシカは欲望を抑えきれず、その禁を破った。

「すまねぇ!ほんとにすまねぇ!!」

 宝箱を開いた際、箱の底に描かれていた魔法陣が暴走(ぼうそう)展開(てんかい)。周囲にいた生命反応のある個体(こたい)(すべ)てを地上80階層へと転移させた。

つまり64人の冒険者は下層から上層へワープした。

「この図……文献(ぶんけん)で見たことがある。この魔法陣は一方(いっぽう)通行(つうこう)……魔物が使う(わな)だ」

 B班の副長(ふくちょう)にして魔法使いポルカが深刻(しんこく)な言葉を口にする。一同から血の気が引く。

「魔物の巣に、俺たちは来ちまったのか」「なんてこった」

「それもこれもてめぇのせいだろうが」「すまねぇ!こうなるとは思ってなかった!」

 発達した鉱床(こうしょう)だけが光を(あわ)く放つ仄暗(ほのぐら)い洞内で始まる喧嘩(けんか)

「いい加減にしろ!!」

 それを制したのはE班の副長(ふくちょう)にしてAランク冒険者のピットマン。雇い主マシュウ・ドラグノフのボディーガードを長く(つと)める元兵士。

「ノーシュ。分かる限りで構わない。状況を教えてくれ」

 ピットマンがB班の冒険者ノーシュに声をかける。

「え、ええ」

 麻薬(まやく)で組員を洗脳(せんのう)支配(しはい)する暗殺(あんさつ)教団(きょうだん)から抜け出し冒険者になった経歴(けいれき)をもつノーシュは(てき)感知(かんち)スキルを限界(げんかい)まで発動する。

「いない」「「「「?」」」」

「タコヤンマ、オニハチグマ、カメムシセンボンバリ……警戒(けいかい)対象(たいしょう)の魔物の気配はまったくないわ」

 一度でも接触したことのある魔物の気配を感知できるスキルの所持者は各班のリーダーたちの目を見ながら(うった)える。

「ではここには何がいると言うのだ?」

 冒険者たちの雇用(こよう)(ぬし)であるマシュウが重い口を開く。

「ベエエエエエッ!!!」

 その時ヤギヘビの鋭い鳴き声が洞内に(ひび)く。

「ははっ!なんだよこの雑魚(ざこ)!」「おりゃあっ!!」

 D班が、現れた魔物ヤギヘビを斬殺(ざんさつ)している。

「ヤギヘビ……かなりレベルの低い魔物だぞ」「それが棲息(せいそく)しているエリア」

 迷宮の外では見知っているものの、地上迷宮セキドイシでは見たことのない魔物に困惑するA班のリーダーゴラドとB班のリーダークンハ。

「なぁひょっとして、上層(じょうそう)に行くほど魔物は弱くなったりとかしないのか?」

 C班の隊長アナスタシアが楽観的(らっかんてき)予測(よそく)を口にする。

「そうだ!きっそうだぜ!」「これなら神鳥(しんちょう)ロックバードの(たまご)だって手に入るんじゃねぇか!」

 魔物ヤギヘビを抹殺(まっさつ)したD班の冒険者たちが()かれて大きな声を出す。

「静かにしろ。俺たちが今上層階にいる証拠(しょうこ)はない。知られていない地下層に飛ばされたのかもしれない。とにかく油断(ゆだん)禁物(きんもつ)……」

 E班の副長ピットマンの口が突如止まる。

「……」

 D班の冒険者一人の後ろに、岩のような巨体がいつの間にか()る。ピットマン以外、誰も気づいていない。

「おいっ!」

 ピットマンが再び声を上げた瞬間、

 ガブゴギギッ!!

 噛みつかれて骨の砕ける音と同時に、巨体が暗い洞内の闇に消える。遅れてくぐもった悲鳴が頭上で上がる。それで全員が反応する。

「なんだ!?」「何が起きた!」「ハーシェル!?ハーシェルどこだ!」「血!血だぞ!!」

 (さけ)ぶA、B、C、E班。動きがないD班。

「「「「!!」」」」

 D班の連れ去られた1名を除き、魔法陣に残るD班全員の()皮膚(ひふ)が紙のように白い。全員が気づかぬ間に血液を大量(たいりょう)()かれ、意識(いしき)を失ったまま(すで)失血(しっけつ)()している。

(うそ)だろ!」「死んでる!!」「全員(ぜんいん)戦闘(せんとう)準備(じゅんび)!」「ノーシュ!魔物の正体は?」「分からない!今調べてる!!」

 緊迫(きんぱく)する一同。

 戦慄(せんりつ)しながらもE班のマシュウ・ドラグノフを守るべく戦闘(せんとう)態勢(たいせい)に入るA班とB班。

「ドラグノフ様を囲め。全員抜剣(ばっけん)!ヤニス!(ひかり)魔法(まほう)を」「分かりました!……ライトニング!!」「ミッシェルは火の準備を」「承知しました!!」

 主人であるマシュウ・ドラグノフに傷一つでも付けばどんな仕打ちが後で待っているか分からず、別の恐怖からピットマンの言葉を一言一句聞き漏らすまいとするE班。

「うあ!うああああああ!!」「ひいいいいいっ!」

 そのいずれにも属さず、ただ本能(ほんのう)(おもむ)くままに逃げ散るC班。

「おい!バラバラに行動するな!」

 寄せ集め集団のC班隊長アナスタシアだけが他班とともに残り、叫ぶ。副長グラザーは残るも、アナスタシアにしがみついて震えるばかり。

 ぎゃああっ!

 うああああああ!

 助けてーっ!!

 洞窟の先で次から次に聞こえてくる、C班隊員の声。

「せめて、敵の姿が見えれば……」

 B班で(てき)感知(かんち)スキルをもつノーシュが(くや)しそうにつぶやく。

 ボドドドド。

「「「「?」」」」

 たった今いなくなったC班が天井から()ってくる。

「え?」「は?」

 D班の冒険者とちがい、血の気はあるが、首をへし折られていて全員死んでいる。

(見せしめのつもりか!!)

 C班隊長のアナスタシアは死体が降ってきた天井を(にら)みつける。軽くて丈夫なバトルアックスを握り直す。

「ンピュ」「?」

 聞きなれない音ですぐに目線を足元に移すアナスタシア。血の気のあった死体の血の気がない。その死体の全身いたる所が中から外へ破れる。

「なんだこりゃ!」「うおっ!!」「いや、何よこれ!」

 死体の全身から()く、ノミ型幼虫(ようちゅう)魔物(まもの)

どれもこれも血を吸い肥えて大きく、切り落とした親指(おやゆび)くらいのサイズがある。

 ピピピピピ!

 死体を食い破って無数に湧いた幼虫たちが全身の筋肉を使い、周囲にはねる。

冒険者たちに付着(ふちゃく)するや否や、(よろい)をよじ登り、衣服の隙間(すきま)(もぐ)りこみ、肉に噛みつき、破り、体内に侵入する。吸血する。

「いや!なにこれいやああっ!!!」「痛てえええ!」「目が!目があああ!」

 C班の生き残りもA班もB班も関係なくパニックに(おちい)る。魔法陣のある洞内から全員が我先にと逃げ出していく。

「ファイアで冒険者もろとも焼け!」「はい!!ファイア!!」「いました!あそこです!」「獅子の頭に……虫の体」「まさしく魔物」

 ノミ型幼虫が死体からはい出るのを見た時点ですぐに冒険者たちを(たて)にして貪食(どんしょく)攻撃(こうげき)(しの)いだE班だけが同じ場所に(とど)まり、死体を()いて照明(しょうめい)を強くし、敵を視認(しにん)する。

 (てき)

 すなわちノミライオン。

 地上迷宮セキドイシ80階層の支配者。

 上層から降りて来る低位(ていい)の魔物と、地上1階からの転移魔法陣の罠にはまって(おとず)れる人を捕食(ほしょく)して生きながらえる魔物(まもの)。上位の魔物ではないが、寄生型魔物テッポウキノコの存在により魔物の生態系が極めて単純(たんじゅん)な80階という特別(とくべつ)階層(かいそう)を上手に利用し、成長を続ける(かしこ)(つよ)い魔物。

「ピットマン!」

 呼ばれて副長のピットマンは主人マシュウ・ドラグノフを見る。マシュウはヤギヘビが先ほど出てきた巣穴を指さす。「あそこは安全(あんぜん)か」というメッセージをすぐに読み取るピットマン。

「今すぐお(はい)りください!!」

 意図(いと)(さっ)し叫ぶピットマン。マシュウ・ドラグノフは回復(かいふく)(けい)魔法(まほう)を使える亜人族(あひとぞく)奴隷(どれい)ピノンと耐久力(たいきゅうりょく)(すぐ)れる奴隷(どれい)戦士(せんし)パパスタを()れてヤギヘビの()(あな)に急ぐ。

「お前はそこで蓋になって私を守れ!」

 無論(むろん)覚悟(かくご)していたパパスタは口を堅く結んで(うなず)き、ノミライオンのいる方へ体の正面を向ける。両刃剣と丸盾を構えて仁王立(におうだ)ちになる。

 ノミライオンは聴覚(ちょうかく)嗅覚(きゅうかく)を使いじっとその一部(いちぶ)始終(しじゅう)()ていたが、やがてゆっくりと魔法陣のある地面まで降りてきて、E班の残りの奴隷戦士たちの殺戮(さつりく)を始める。

「うわっ!このっ!ちょこざいな!!」

 一方、ヤギヘビの巣の中で何かが聞こえるも、振り向く余裕はもうパパスタにはない。彼にできることは、Aランク冒険者ピットマンをはじめとする同僚が絶望に呑まれながらノミライオンに息の根を止められていく姿を目に焼き付けることだけ。

「くそ……この私が……」

 魔物ヤギヘビの巣穴。

 親のヤギヘビこそ冒険者たちは仕留めたが、子のヤギヘビはまだ仕留めていなかった。

 それが巣の中で隠れていたところに、貴族マシュウ・ドラグノフは一番乗りで入ってしまった。

治癒(ちゆ)を。治癒をしろ」「ヒール!ヒール!!ヒール!!!」

 手を引っ張られ一緒に巣穴に引きずり込まれた亜人族奴隷のピノンは必死に主人マシュウ・ドラグノフの傷の手当てをする。

「ベ……ェェ……」

 親を殺された魔物ヤギヘビの子はその短い(つの)で、マシュウ・ドラグノフの(けい)動脈(どうみゃく)を切った。

「はあ、はあ、はあ、はあ…………バカ、め」

 ヤギヘビの子を()め殺しながら、マシュウ・ドラグノフもまた、(いき)()えた。

(どうしよう!どうしよう!?どうしよう?どうしよう??)

 手を主人の鮮血(せんけつ)()めながら、亜人族奴隷ピノンは頭が真白(まっしろ)になる。自分の背中(せなか)には、戦士パパスタの甲冑(かっちゅう)が当たっている。

 ズズズ……

「!?」

 そのパパスタの甲冑が上から下へと動き出す。

(なに?え?え?)

 すぐにピノンは知る。

 巣穴にもたれかかるパパスタの首がなくなっている。けれど血を抜かれ、血しぶきは上がらない。

 ソコデ見テイロ――。

 血を抜きとった後に首を食いちぎられ、文字通りただの(ふた)にされた奴隷戦士パパスタ。

 彼の守るヤギヘビの巣穴の奥に、大量の〝エサ〟をまとめる者が隠れていると見切った魔物ノミライオンの趣向(しゅこう)だった。

(どうしよう!どうしよう!?どうしよう?どうしよう??)

 狭いヤギヘビの巣穴の中、身体の柔軟な亜人族奴隷ピノンはかろうじて体の向きを変える。いまだ噴き出る主人の鮮血でピノンの背中が赤く()れる。手足を使い必死に巣穴から出ようとピノンはもがくも、蓋になったパパスタの体重(たいじゅう)が重すぎてびくともしない。

 ズシュッ。チュウウウウ……

 ゴギギ。ムシャ、ムシャ、ムシャ……。

 狩りを終えたノミライオンは冒険者たちの頭目(とうもく)であるマシュウ・ドラグノフに見せつけるように、仕留めた冒険者たちをおいしく食べてみせる。

 (のみ)のような(あし)を器用に使い、死体の(はら)を引き裂く。

 前方の獅子(しし)牙口(がこう)で、冒険者の肝臓(かんぞう)だけを選んで(むさぼ)る。

 後方の蚤の(ふん)(こう)を脳や脊髄(せきずい)に刺し込み、脳髄(のうずい)(えき)(すす)()む。

 (はらわた)の中の汚れをしごき出したうえで咀嚼(そしゃく)したり、脾臓(ひぞう)腎臓(じんぞう)の血液を飲み比べる。

「………」

 どの光景も、亜人族奴隷ピノンを絶望(ぜつぼう)させるには十分だった。

「エミーニャ!ジェノバ!……みんな無事か!?」

 目を裂かれ気を失っていたが覚醒したA班のリーダーゴラドの声が遠くで響く。

「……」

 ノミライオンは優雅(ゆうが)な食事を中止し、気だるそうに身を起こすと、跳躍(ちょうやく)する。他の魔物に(えさ)横取(よこど)りされるのを阻止(そし)すべく、天井にとりついた六本の肢を音もなく動かし、冒険者ゴラドの方へと向かっていった。

「はあ、はあ、はあ、はあ、はあ」

 首なし貧血戦士パパスタのおかげで()いた〝小窓(こまど)〟から見える、惨劇(さんげき)舞台(ぶたい)

 一方通行の魔法陣周辺に、無造作(むぞうさ)に転がる冒険者たちの死骸(しがい)。ノミライオンの(えさ)

(終わりだ。何もかも終わりだ。…………お母さん。私、もう……)

 亜人族奴隷は最期(さいご)覚悟(かくご)し、ヤギヘビの巣穴の中で大粒(おおつぶ)(なみだ)をポロポロ(こぼ)す。


トットットットット……


「?」

 驚いたピノンは大きくまばたきをする。涙が(ひとみ)から飛び、(にじ)んでいた世界がはっきりと目に(うつ)りこむ。

(誰!?あれ)

 ヤギヘビの皮を()()いだ、(みょう)な衣服をまとう少年が、魔法陣のある死の洞内に忽然(こつぜん)と現れる。

黒髪(くろかみ)、あの顔……人間族(にんげんぞく)?)

 現れた少年はバイオリンエビの頭胸部(とうきょうぶ)(から)をグローブのように二つ、両手にそれぞれはめている。どこからどう見ても(あや)しい。しかも、

「……」

 それが血まみれの魔法陣(まほうじん)の真ん中に立ち、

 トン。ポト。

 腕を前に伸ばしたまま(ひざ)をついて(たお)れる。奇天烈(きてれつ)すぎる。

(は?え?何?ええ――っ!?)

 訳が分からず混乱するピノンの鼻腔(びこう)突如(とつじょ)強烈(きょうれつ)異臭(いしゅう)が届く。

「うっ?」

(くさっ!何このニオイ!(くさ)い!……何これ!?いや!!)

 亜人族奴隷の女の中の、ドス黒い記憶(きおく)がよみがえる。血と炎と暴力(ぼうりょく)に塗り(つぶ)された凄惨(せいさん)な光景が脳裏(のうり)泡立(あわだ)ち、たちまち前も後ろも右も左も分からなくなる。

 ノシ。ノシ。ノシ。ノシ。ノシ……

「!」

 しかしノミライオンの姿を再び認めた時、ピノンの記憶の濁流(だくりゅう)はかき消える。目の前の暗い冷たい地獄に意識が戻る。違う(むな)(さわ)ぎが始まる。

「………」

 ゴラドを殺して戻ってきた魔物ノミライオンは明らかに顔をしかめている。念のために自分で仕留めた冒険者たちの新鮮な死体のニオイを嗅いで回ったあと、魔法陣の中心で倒れている〝謎の物体〟に顔を近づける。

「ウフォ……」

 少年から十メートルは(はな)れてヤギヘビの巣穴に(ひそ)んでいる亜人族奴隷ですら(はな)()がるほどの悪臭。それを直に近くで嗅いでいる魔物ノミライオンからは思わず、えずくような声が出る。

 ツンツン。

 ノミ(あし)で見知らぬ死体を(さわ)る魔物ノミライオン。生命反応を肢に生える細かい毛先で確かめ、体温を確かめ、謎の物体の死を確信(かくしん)する。

 (はな)を近づけるのも(ほお)で触れるのも嫌悪した獅子(しし)の頭部分は視力(しりょく)(おと)るその目でせめて、物体が何かをざっと確認する。(どう)はヤギヘビの色彩。先端(せんたん)(かた)突起(とっき)二つ。おそらくはヤギヘビの(つの)

 そう適当に判断(はんだん)する。

 そしてわずかに迷った挙句(あげく)、魔物ノミライオンはいやいや獅子面(ししめん)の口を広げ、〝汚物(おぶつ)〟に顔を近づける。〝触診(しょくしん)〟を担当したかわりに腐汁(ふじゅう)(いっ)(てき)たりとも()いたくないノミの頭は知らんふりをする一方で、腐汁を口内に()らしたくない獅子(しし)の頭は(きば)で肉の皮膚を(やぶ)らないよう、極力(きょくりょく)慎重(しんちょう)に持ち上げる。

「フウウ……」

 魔物ノミライオンが呼吸(こきゅう)()める。嗅覚を止める。

あとは自分の縄張(なわば)りの外へと口の中の〝汚物〟を運び()て、逃げて散らばった冒険者の死骸を残らず回収するだけ……

 ヌポリ。

「?」

 〝今後の予定〟を考えていたノミライオンの獅子の口の中に、何かが転がり込む。視力の悪い獅子の眼は、ヤギヘビの〝角〟の一本が曲がっていることになんとなく気づく。

 ムシュムシュムシュムシュムシュッ!!

「!!」

 体内で起きる突然(とつぜん)変異(へんい)に思わず〝汚物〟を口から落とすノミライオン。

「ウウウウッ!!!」

 残る異物を口から()き出そうとひっくり返り、ノミの(あし)を動かしてもがき苦しむノミライオン。その姿に目が釘付(くぎづ)けになる亜人族奴隷ピノン。呼吸を忘れる。鳥肌(とりはだ)が立つ。

(何をしたの!?)

 亜人族奴隷は、〝汚物〟扱いされた少年がノミライオンに(くわ)えられるや(いな)や、(うで)を動かしてバイオリンエビの甲殻(こうかく)グローブ一つを獅子の口内(こうない)に押し込むのを目撃(もくげき)した。

「ゴオオオオオオオオオオッ!!!!!」

 ノミライオンが叫びながらのたうち回る。そしてその体は徐々に膨れ上がる。節目(ふしめ)という節目から白い菌肉(きんにく)が顔をのぞかせる。

 ミチミチミチミチミチミチミチ……ボシャンッ!!!

内圧(ないあつ)()えられなくなったノミライオンの(そと)骨格(こっかく)がとうとう()ぜて、肉が周囲に飛散(ひさん)する。

「……ゥゥゥアアアア」

 飛散したノミライオンの肉が付着した(くび)あり冒険者の死骸(しがい)がまもなく、ゾンビのような(うめ)き声を上げ始める。起き上がったその体表にはフジツボのような模様(もよう)が浮かんでいる。


「さてと」


(うそ!!()きてる!!!)

 驚きのあまり声が()れそうになり、思わず自分の口を手で(ふさ)ぐピノン。

 テッポウキノコに寄生(きせい)支配(しはい)されたゾンビ冒険者が、体液を吸われすぎたせいでゾンビ化できないミイラ冒険者と菌糸(きんし)まみれのノミライオンの残骸(ざんがい)(にく)(むさぼ)り食う。

 そんな中、吐き捨てられ倒れていた少年はゆっくりと起き上がる。

 片方にはめたままのバイオリンエビグローブを外す。グローブの中で握っていた魔物テッポウキノコをその場に捨てる。

()っつ……」

 脇腹に手を当てながら少年は周囲を見渡し、冒険者の一人が落としたバトルアックスを見つける。手に取り、重さと(やいば)状態(じょうたい)を確認する。そしてゆっくりと立ち上がる。

食事(しょくじ)集中(しゅうちゅう)できるだろ」

 ふらつく少年(しょうねん)から(かお)強烈(きょうれつ)()(しゅう)のせいで、少年の〝(いのち)〟に気づかず夢中で捕食を続けるゾンビ冒険者たち。その体はますます魔物テッポウキノコの(きん)(おお)われていく。

(なんなの!あの人!!)

「なにせ(おれ)の死んだフリは、かなり」

 ゾンビ冒険者(ぼうけんしゃ)は自分たちの咀嚼音(そしゃくおん)食欲(しょくよく)のせいで、鋭利(えいり)(おの)()りかぶる少年の声にも音にも気がつかず、

()(ちか)いからな!」

 ブォンッ!ズグシャッ!!ドスドスン……。

 気づいた時にはみな、テッポウキノコもろとも首を()()ばされていた。



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