3. 失踪
八月三十日。十五時。
彼らの居場所は簡単に分かった。SNSで「クレイジー・パワースイッチ」を検索すると、彼らのファンたちが、メンバーが今テレビ局に入ったと、写真と共に幾つもポストされていたのだ。ポストされた時間を見ると、つい今しがたである。藤井は、直ぐにそのテレビ局へと向かい、中へと入る事に成功した。偶然にもそのテレビ局は、藤井が籍を置く警備会社が入っているテレビ局で、会社のIDが効力を発揮したのである。藤井は、足早に出演者のクロークがあるフロアへと向かう。通路沿いにあるドアを確認しながら歩くと、「CPS様」と書かれた紙が貼られた部屋があった。
「連絡が取れないってどういうことだよ!」
ノックしようとした矢先、部屋の中で怒号が響き渡った。聞き耳を立てるも、通路をひっきりなしに人が歩いて行く。藤井は、スマホを耳に充てると、いかにも電話中であるふうを装いながら、壁に身をもたれ掛け、漏れて来る声に聞き入った。
「だから、何度電話しても繋がらないんだよ……。僕も困ってる」
「どうするんだよ! 収録はもう始まるぞ? リーダー不在で……ベースなしでやれってのか!」
「とりあえず、ディレクターには、シュウジは体調不良でと言ってあるから。ベースも、急遽代わりを頼んである」
「そういう事じゃねえよ!」
「……松田さん、俺たちは五人でクレイジー・パワースイッチなんだ。リュウは、そう言いたいんだよ」
シュウジ……。
藤井はスマホでクレイジー・パワースイッチのシュウジを検索し、それが「腕に刺青のあるメンバー」であることを確認した。
そのシュウジが、どうやら行方不明らしい。しかも、収録に穴をあけるとは、余程の理由があるに違いない。迷ったが、時間がない。遥香の声が、今も耳に残っている。藤井は直接話してみることにした。ノックして、直ぐにドアを開ける。当然ながら、中にいた五人の男たちは、一斉に不躾な訪問者を見た。
「……誰だ、オッサン」
眉尻を上げ、近づいてくる金髪の男。声からして、これがリュウなのだろう。シャツから覗く胸元に、あの刺青が確認できる。
ほかにも若い男が三人。そして、マネージャーだろう。スーツを着た男が一人いた。
「いきなり申し訳ない。実は──」
そこまで言って、藤井は何も言葉を用意していなかった事に気付いた。何をどう言っていいのか、今更ながらに言葉を探していると、リュウの苛ついた声が響いた。
「なんなんだよ……!」
同時に、藤井の胸倉にその手が伸びる。藤井は、咄嗟に身をかわしながら、その手首を掴んで引いた。体が、刑事だった頃の動きを覚えている。
リュウは、藤井の予想外の行動にたたらを踏んだ。その足を引っかけ、藤井はあっという間にリュウを床に押し付けた。
「ちょ……、うちのタレントに何するんですか! 警察呼びますよ!」
「お前らこそ、俺の娘を──、遥香を誘拐しただろう!」
* * *
「……何かの間違いじゃないでしょうか」
松田は、眉間に深い溝を作ると、黒縁の眼鏡をずり上げた。リュウは肩をさすりながら、ふてくされたようにそっぽを向いている。ほかの三人も、困ったように顔を見合わせた。
クレイジー・パワースイッチのメンバーは、遥香が言っていた通り、皆それぞれ違う場所に刺青を入れていた。胸に入っているのはリュウ、首の後ろのタカ、ふくらはぎのジュン、手の甲のコウ──。
藤井は、その刺青と同じものが映り込んだ動画を指さした。
「しかし、さっきも見せたが、この刺青は、あんたらのマークだろう」
「そうだけどさあ……」
首の後ろに入れているタカは腕を組むと、呆れたようにため息をついた。
「マネしてるファンも多いぜ? なあ?」
「うん。グッズで、タトゥーシールも出してるし……」
そう言って眉尻を下げたのは、ふくらはぎに刺青を入れているジュンだ。
「タトゥーシール……」
愕然とした。そんなもの、彼らのファンがつけているとなると、一体何人を調べなければならないのか。
「とにかく、こっちもシュウジがいなくてそれどころじゃないんだ! 誘拐だってんなら、警察に行けよ!」
「君は? 君は何か知らないか!」
藤井は、部屋の外へ押しやろうとするリュウの肩越しから、一言も発さない、手の甲に刺青を入れている、唯一の黒髪メンバーであるコウを見やった。
「俺は……何も……」
それだけ言うと、コウはふいと藤井から視線を逸らす。しかし、藤井は、コウの指先が僅かに震えているのを見逃さなかった。
「頼む! なんでもいい! 気が付いたら連絡をくれ! 頼む──!」
藤井は、部屋を出される寸前、電話番号を書いたメモをリュウの胸に押し付けた。
* * *
「気分悪い。なんなんだよ、あのオッサン」
リュウは電話番号のメモを握りつぶすと、ゴミ箱に放り込んだ。
「シュウジのヤツ! 戻って来たらタダじゃおかねえ!」
「さっき、事務所の人間をシュウジの家に向かわせたから」
「とにかく、今日の収録はうまく誤魔化そうぜ、リュウ」
「すみません、クレイジー・パワースイッチさん、スタジオまでお願いします!」
アシスタントディレクターが迎えに来た。 収録の時間はもう間もなくだ。今更どうすることも出来ない。
「今行きます!」
全員がぞろぞろと部屋を出る中、ゴミ箱から藤井の電話番号が書かれたメモを拾う者がいた──。
* * *
八月三十日。十六時。
テレビ局を出ると、藤井はすぐに片岡へ連絡を取った。シュウジの自宅の場所を調べてもらうためだ。
さすがに探偵業を生業としているだけあり、片岡は直ぐにシュウジの自宅住所をメールで送って来た。ここから車で三十分くらいということもあり、藤井はタクシーを拾った。
シュウジがいたとしても、そこに遥香が居る訳ではないことは分かっている。それでも藤井の気持ちは落ち着かなかった。早く、一刻も早く──。
いつのまにか、恵理子に注意されて直したはずの貧乏ゆすりをしていた。
──恵理子。遥香を守ってくれ!
藤井は、恵理子と揃いの結婚指輪を額に押し当てて祈った。
「お客さん」
運転手に声を掛けられ、藤井は我に返った。
「もう目の前なんだけど、これ以上はちょっと厳しいですね」
運転手は困惑していた。勿論、藤井もそうである。何故なら、目的のシュウジのマンションの前に、警察車両や救急車、そして大勢のマスコミがごった返していたからだった。
「こ……ここでいい! 有難う!」
支払いを済ませて車を降りると、蒸し暑い風と共に、大勢の女の悲鳴に近い鳴き声が聞こえた。
「シュウジ! シュウジーッ!」
「噓って言って!」
「シュウジが死んだなんて、信じない!」
なんだって──?
「ちょっと、これ、どうなってる!」
藤井は、目の前で泣きじゃくっている女子高校生の集団に声を掛けた。
「シュウジが死んじゃったのよ!」
藤井は驚いた。つい今しがた会った、クレイジー・パワースイッチのメンバーやマネージャーは、このことを知らないようだった。だとすれば、藤井がテレビ局を出てから明らかになったという事だろう。この三十分の間に明らかになったとして、こんなに早く、一般人が溢れるものだろうか。
「SNS見なよ、オジサン! ネットニュースにもなってるから!」
泣きじゃくる友人を抱きかかえる様にして、同じ制服の女の子が藤井を睨む。藤井は圧倒されながら、スマホで検索した。
──今、クレイジー・パワースイッチのシュウジの家の前、警察めっちゃ来た。
──続報。事務所の人が、電話でシュウジが死んだって話してる。ヤバイ。
このポストは短時間で恐ろしい程の拡散がされていた。
ポータルサイトでもこれは速報で上がっている。
──クレイジー・パワースイッチのリーダー・シュウジさん、死亡。事務所は詳細は不明と発表。
眩暈がした。遥香への道筋が立たれた気分だった。膝が震え、思わずしゃがみ込む。
時計を見た。時刻は十六時三十七分。タイムリミットまで、四十二時間と三十分を切っている。
どうしたらいい──。恵理子──、遥香を助けてくれ──!
藤井が祈りながら指輪をはめた左手を包み込んだ時。
スマホが着信音を奏でた。