存在 【AINA】
ごめんなさい……
愛奈はただ心の中でそう何度も何度も繰り返していた。
ごめんなさい……!
息が苦しい。いつの間にか走り出していた。だが、どこに走っているのかは知れない。あたしは、どこに向かっているのだろう……
『愛奈?』
つぶやいた幼馴染の声音が耳から離れない。
どうしていつもこうなのだろう。自分にとって大切な人はいつも傷つき、離れてしまう。そんなこと、望んでいない……
息が苦しくなり、足をとめた。気がつけばそこは幼いころによく未来と来た公園――
「…………」
何度も酸素を肺に送り込みながらその公園を見渡す。
もちろん、暗くて全体を見渡すことはできない。できないけれど、記憶は鮮明に思い出された。まだ幼く、何も知らなかったあの頃――
あたしは、なんて罪深いのだろう。いったい、何人傷つければいいのだろう。
わからなかった。
わからないから……この負の連鎖が続いてしまうのだろう。
ふと見上げた夜空には星一つ見えなかった。
大会当日。未来が抜けた分には一年生が入ることになった。中学の時からバスケ部で、部長を務めていたらしい。もちろん技術は申し分ないが、未来には届かなかった。
「未来、大丈夫かな」
「……大丈夫だよ。未来だもん」
ふと投げかけられた言葉に胸がえぐられる思いだったが、平静を装った。
一人が乱れれば、チームも乱れる。たとえそれがマネージャーだったとしても。いや、マネージャーだからこそ、だ。マネージャーは選手を常に見守り、励まさなければならない。一年前からずっとやってきたことなのに、今更それが身にしみる思いだった。
その時、唐突に審判の笛が鳴った。試合開始の合図だ。
「これより、丘の上高等学校対桜田南高等学校の試合を始めます。礼!」
「お願いしまーす!」
我が桜田南のセンターがジャンプボールへと入る。丘の上のセンターは中学のころから有名な二年生だ。背なら負けていないが、ジャンプでどうしても負けてしまう――
ボールが宙へと投げられる。それと同時にセンター二人が跳んだ。
ボールの先導権を握ったのは。
「蓮!! 行くぞ!!」
「おう!!」
桜田南だった。
思わず気持ちが沸き立つ。
応援席の女子たちが悲鳴にも似た歓声を上げた。
「行けーっ!! そのままシュート!!」
誰かがそう叫んでいる。
愛奈は片時もボールから目を離さず追っていた。
昨日の練習でやったパス回し。フォーメーション。うまく通っていた。
だが、昨日、この練習中に――
「ナイッシュー!!」
ひときわ大きくなった歓声にハッとした。
ふと顔をあげれば桜田南がシュートを決めていた。スコアを握りしめ、愛奈は今の試合だけに集中する。
(今は試合にだけ集中しなきゃ。勝たなきゃ、未来は試合に出れない……)
入院は余儀なくされたが、もう二度とバスケができなくなるわけではない。しかも勝ち進めば県大会がある。県大会までには期間があるし、勝てれば未来は試合に出ることができるのだ。
だから。
(お願い――)
ペンを握る指は細かく震えている。心臓は大げさな音で鳴っている。
(勝って――!)
ただ祈ることしかできなくても。声を掛けてあげることしかできなくても。
これがあたしのできることすべてだから。
目の前には激しい攻防を繰り広げる選手たちがいる。隣には声の続く限り叫び続ける仲間がいる。
未来。みんな、がんばってるよ――
今は病院で一人仲間の勝利を祈っているであろう未来にそうつぶやいた。
ハーフタイムにはいり、選手たちが戻ってきた。みな、汗でユニフォームが体に張り付いて気持ち悪そうにしていた。
一年生がタオルを配り、愛奈たちマネージャーは飲み物を用意する。その間に顧問が選手に指示を出す。
いつもの光景だが、ここで疲れ切った選手たちをいやすのが未来の役割だった。
明るく、周りをひきつける力がある未来はよどんだ空気の中でもみんなを引っ張ることができた。それにみんな救われていたのだ。
だが、今彼はいない。それは、みんなにいったいどう影響しているのかは一目瞭然だった。
(みんな、何も言わない)
言葉を発するのも億劫なのか、それとも言葉にできないのか。
点数は五点差で桜田南が勝っている。だが、まだハーフタイム。油断はできない。
「……よし。みんな行って来い!! これに勝てばニ回戦だ。未来のためにも頑張ってこい!!」
顧問がキャプテン、悠の背中を強めに叩くと選手の目に少し光が戻ったような気がした。
「――おっしゃあ行こうぜ!!」
「未来にも試合に出てもらわねーとな!!」
「桜田――ファイ!!」
「オオ!!」
円陣を組んで声をあげた選手たちを見て愛奈は言葉を失った。
みんな、未来のために頑張ろうとしている。
彼はそんなにもみんなに好かれていたのか。
複雑――だった。なぜかは分からないが、モヤモヤした。
(あたし――変)
「ピ――!!」
体育館に高らかに音が鳴り響いた。
愛奈は心にかかった霧を気にしながらもコートに視線を送った。
――もうすぐ、試合に決着がつこうとしている。