第二章 憂慮 6
自宅に着いてから、しばらく部屋で考えていた。
なぜだろう。絶対的な明日への不安は、確かに存在しているけど、高揚と交差する思いが私を少しだけ大きくしている。
憂いの気持ちは昔より随分と減っているように思う。
自身の感情と行動は、乱雑に鎖をかけて、心の奥底に閉じ込めてしまったはずなのに。
変化があったのは、天音さんと……出会ってからだ。
ベッドに仰向けになって、天井の白い壁紙と会話の練習をした。
少しの眠気と殴り合ってから、キッチンに立って夕食の準備を始める。
普段より気分が良いから、食材も軽やかに包丁で切れる。
煮込まれる汁物の具も早く火が通る気がした。
母の帰宅時間は何時頃だろう。
帰宅は深夜になることもあるけど、仕事というわけではなくて、食事会や飲み会に参加しているらしい。
十八時前に業務は終了しているから、社会人の交友は時間がかかるんだな……と思っていた。
毎日、母の分も作って冷蔵庫に入れている。
それを食べてくれたことはなくて、主に翌日の私のお弁当に変化していた。
今日は、一緒に食べたいな……。
母が食べてきたとしても、学校に行けたことを伝えておきたい。
夕方のバス停で『人に想いを伝えることは、とても大事なんだよ』と、天音さんが言っていた。
久しぶりに母と対面で話してみたい。
うまく話せるか、わからないけど。
今日の献立は、母の好きな和風ハンバーグ、豚汁、小松菜と油揚げの炒めものなどを用意した。
喜んでくれると……いいな。
外で食べてくると思うけど、一口でも食べてくれたら嬉しい。
自室に戻って日々の惰性でシャーペンだけが減っていく勉強をする。
玄関の方で物音がしたから、緩やかであった手の動きを止めた。
時計の針は二十一時過ぎをさしている。普段より帰宅が早いみたい。
階下に行くと、廊下に母の姿は見当たらず、ダイニングが明るくなっている。
静かに引き戸を横に動かすと、キッチンで水を飲んでいる母の後ろ姿が目に入った。
なんて声をかけたらいいのかな。
普通の……一般家庭って、どういう感じで話を始めるんだろう。
そんなこと考えて……話なんてしないんだろうな。
「ちょっと……！ びっくりさせないでよ！」
振り返った母は、私の姿に驚いて大きな声を上げた。
手に持っていたグラスの水で流しを勢いよく泣かせる。
その声と音に応じて、私の体も大きく動いた。
「……なに？ なんか用？」
「ご飯作ったから……一緒に……」
「食べてきたから……大体、私の分はいらないって、いつも言っているでしょ。
私へのあてつけ？ 料理もしない母親で、ごめんねって言わせたいの？」
「そんなこと……思ってないよ……」
「そう？ いつもなに考えているかわからないような表情しているから、そう思っているけど？」
母からはお酒の匂いがした。
香水や衣類の香りとも違うシャンプーの真新しい香りが私の鼻腔に柔らかく入ってくる。
母の私を睨みつける眼差しと相反する香りが私の思考を混乱させていく。
何でこうなるんだろう。
私は……母と仲良く話したいだけなのに。
母とご飯を一緒に食べたいだけなのに。
