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伍、うり

※差別の助長をする積もりは一切ありません。


 (ささら)は耳が良い。


 この世ならざるものすら聞き分けるその聴力は、意識すれば自室でだらりと寝転がっていたとしても、近所界隈の情報を集める事等容易い。仮に意識していないとしても、隣接するアパートの生活音と云うものは筒抜けである。

 そしてその日も自室でだらりとしていた簓の耳には、珍しく或る男の苦悩の声が聞こえて来た。


「───冗談じゃない⋯⋯!だが⋯⋯ううっ⋯⋯」


 牛山だ。

 平素物静かな彼からすると、考えられ無い。武道の心得が有ると云う牛山は、無駄口はおろか生活音もあまりさせない。会社に出突っ張りでアパートにはあまり居ない事も理由ではある。


(⋯⋯もんさんは、いっつもうるさいけどね)


 足音、扉の開閉、馬鹿みたいな独り言。果ては(いびき)に歯軋り。女を連れ込まないだけの分別はあるが、簓の耳に全て聞こえて来る騒音の元だ。

 そしてその騒音の元は、自身の事を完全に棚上げして牛山に怒鳴り込みに行った。


「──おいっ‼︎うるせぇぞブンヤ‼︎」


 ドンドンと無遠慮に扉を叩き始めた様なので、簓は仕方無く腰を上げた。安普請なのだから、乱暴に扱われると壊れてしまうかもしれないからだ。






***






「なんでぇ。見世物小屋くらい一人で行けねぇのかよ」

「⋯⋯その、一人だと目立つだろう?取材だと気取られたら、此方としても困るのだ⋯⋯⋯⋯」


 バスと地下鉄を乗り継ぎ、簓達三人は見世物小屋が出ていると云う桜ヶ淵へと辿り着いた。

 見世物小屋と云えばおどろおどろしい()し物と云うイメヱジの枠に漏れず、桜ヶ淵に建てられた小屋は薄汚れ、怪し気な文面の看板が立てられている。


「はん、『蛇女』『蛸男』に『河童』かよ⋯⋯ま、タテカン情報じゃそう目新しいもんは無ぇな。取材する価値があるとは思えねぇ」

「そ、そうなのか?」


 流石は下町で遊び歩いて居るだけはある。簓は見世物小屋なんて危ないからと云う母の言い付けで、入り口の前を通った事すら無い。それは牛山もだろう。馬込の言葉に心底分からぬとばかりに首を傾げているのだから。


「兎も角、こんな何処ッにでも有る小屋なんざ取材して何になるんだよ?他にもあるじゃねぇか、ガキ連れて行くんだからよ」

「⋯⋯それは、そうなんだが⋯⋯ああ、昨年荒川に出来た()()とかかい?」

「いや、彼処はガキにゃつまらねぇだろ⋯⋯何かでけぇ風呂屋だったし⋯⋯十二階に歌舞伎座、上野公園⋯⋯ガキにゃそう云うので良いンだよ、なあ?」


 そう言って馬込は簓に目配せするが、簓としては人混みはあまり好きでは無い。なので、曖昧に笑うだけに収めておく。それに牛山だって、本当は簓を連れて行きたくは無かったに違い無い。


「もんさん、牛山さんは目的が有って此処に来たんだよ。僕を連れて来てくだすったのはひと足早い職場見学みたいなモノだよ」

「何だい、そうなのか?」


 簓の言葉を聞き、馬込は目を瞬いて牛山に尋ねた。真実は()()では無いのだが、理由を話せない牛山は簓に同意した。


「あ、ああ。実はそうなんだ⋯⋯」

「そうかい、そんじゃあ簓はしゃんとしねぇとな」


 そうして三人は天幕を潜り、簡易な受付にちょこんと座っている小汚い老婆に入場料を支払った。(因みにその金は牛山が払った。付き合って貰って居るからと)


「⋯⋯()()、しかも葉っぱ付きかい、まあええわ」

(ん?)


 金を受け取った老婆が、本当の本当に小さな声で呟いた。聞こえたのは簓だけの様で、牛山も馬込も老婆にはもう見向きもしない。あまりにも小さな声だと思ったのだが、実際は心の声だったのかもしれない。


(冬瓜?)


 もう少し詳しく聞きたい所だったが、馬込がずんずん順路を進んで行ってしまったのでそれは叶わない。牛山はと云うと、じっと足下を見ながらゆっくりと歩いている。


「⋯⋯⋯⋯あの、牛山さん」

「⋯⋯⋯⋯何だろうか?」

「実は初めての見世物小屋だから、ちょっと怖いんです。手を繋いでくれませんか?」

「⋯⋯⋯⋯⋯⋯それはたすか⋯⋯⋯⋯いや、そう云う事なら⋯⋯仕方が無いね」


 そう言って頷いた牛山は、簓へ左手を差し出した。右手でその冷たい手を掴むと、しっとりと汗ばんでいた。

 お察し頂けるかと思うが、牛山はどうも怪談や幽霊ものが苦手らしい。必死に隠しているのだが、うるさく響き渡る心音は恐怖で染まっていた。


(⋯⋯⋯⋯大丈夫かな?)


 そんな不安が過ぎるも、簓は牛山の手を牽いて受付から順路に沿って角を曲がる。すると、壁面一杯に地獄の風景が描かれていた。


「ぐっ⋯⋯⋯⋯うっ⋯⋯⋯⋯⁉︎」

(⋯⋯⋯⋯此れは先が思い遣られる)


 牛山は必死に悲鳴を抑えているが、何が怖いのだろうか。ただ閻魔大王が真っ赤な強面で描かれているだけでは無いか。恐ろしい獄卒と亡者も描かれては居るが、大王に比べれば胡麻粒の様な存在である。

 一先ずぎゅうっと目を閉じてしまった牛山は見なかった事にして、簓はゆっくりと歩いた。そうして地獄の風景を通り過ぎて、また角を曲がると少し開けた空間へと出た。竹製の檻や大きな台座、物珍しい動物や張りぼて、剥製を飾っているのだ。

 隣からは少しだけ緊張が解れた気配がする。どう見ても作り物や動物なので、怖がる要素が減ったからだろう。


 しかし、簓は張りぼてを見て首を傾げた。


(⋯⋯⋯⋯なんか、ぼそぼそ言ってる?)


 無機物ならば喋らない、なんて事は無い。簓はこれまでだって石だったり櫛だったりの声を聞いて来た。しかし決して物珍しいものでは無いが、辻の境石でも古物でも無い張りぼてが喋るのは初めての事だ。

 さて、何を言っているのだろうと耳を澄ませようとした時、ちょっと先から馬込が近付いて来た。


「何でぇ簓、ブンヤと手ェ繋いで。⋯⋯まさか怖ぇってのか?お前が?」

「⋯⋯⋯⋯うん、まあね?」


 揶揄う様に目を(すが)める馬込に腹が立ったが、此処は未来の上司の顔を立てる為にぐっと我慢をした。


「しかしなぁ、取り敢えず此処の目玉ってのはよく分からん。この先は大掛かりな演し物用の舞台で、休日しかやらん予定らしい」

「そうなの?」


 確かに先には舞台があると思われる入り口が、順路とは別に設けられていた。天幕で覆われたその入り口には札が掛けられているので、馬込はそこの注意書きを読んだのだろう。


「平日でも大入りなら別なんだろうな。取り敢えず今日は⋯⋯ほれ、其処の河童でも眺めとくとしようや」


 そう言って馬込が示した先には、竹の囲いの中で痩せた小男がだらりと身体を投げ出して居た。


「うっ⋯⋯⁉︎」


 男は全裸で、茫洋とした眼をしていた。そんな人間を見たら、どう考えてもすぐに警官を呼ぶべきなのだが、どうすれば良いのか逡巡してしまう。

 見た瞬間、河童だと思ってしまったのだ。ボサボサの蓬髪、禿げた頭頂、赤黒い鱗の様な皮膚、そして不自然に裂けた唇。

 そのあまりの様相に、簓は牛山の手を握り締めた。


「⋯⋯⋯⋯これは、酷い⋯⋯」


 息を呑んだ簓の隣で、牛山は呟いた。


「矢っ張りそうだよな。河童だからってなぁ、もう少し飯くらい食わせてやりゃ良いのに」

「⋯⋯違う、彼は河童じゃない。ただのハンセン病患者だ」

「はんせい⋯⋯?」

「⋯⋯ああ、知らないなら良い。兎に角彼は人間であって、無理矢理河童にされてるんだ」


 牛山が言葉を濁したのは訳が有る。この病は“癩病(らいびょう)”と云う呼称で広く知られ、その上感染し易いと()()されて居る。その為不必要な差別の対象となって居るのだ。

 そして本来、癩病患者は政府の隔離施設へと送られなければならない筈なのである。

 ところが、馬込は特に驚いた様子も無く鼻の頭を掻いた。


「よっく分からんが、この一座は嘘吐いてるってだけだろ?それに其処の河童にゃ気の毒だが、見世物小屋じゃこんなのはよく有る話だ」

「そう、なのか?」


 見世物一座はまず人の売り買いが前提である。非健常者ならば自らを売り込む場合もあるし、貧乏ならば要らぬ子供を売る。そして健常な子供であっても、芸を仕込むと名目で肉体に瑕疵を付けられたりするものなのだ。其処に有るのは人間の尊厳では無く、金になるか如何かだけ。


 勿論(被害届が無い以上)官憲も見て見ぬ振りなのだが、牛山は唸った。


「⋯⋯しかしこのままで良い筈が無い。矢張りこの一座は⋯⋯⋯⋯」


 そこまで呟いて、牛山はさっと周囲に目配せした。平日で客の入りが少ない為か、この展示場には一座の者は誰も居ない。隙間から覗いて居る可能性は有るが、簓でも無い限り声が拾われる事は無いだろう。


「早く此処から出なくては」

「金払ったのはお前だし、見るもんも無ぇし。良いけどよ⋯⋯お?」


 そう言って真っ先に進もうとした馬込の手を、簓は空いた左手で掴んでいた。





***





「⋯⋯⋯⋯可笑しいね?」


 受付の老婆は首を傾げた。後ろの仕切りをちょいと開け、中に居る息子達に声を掛ける。


「まだ通らんのかい?」

「ああ、見るもんなんか殆ど無いんだけどな」


 息子達は麻縄と鈍器を詰まらなそうに振る。


「この場所じゃ、碌に捕まえちゃ無いからなぁ」

「矢ッ張り()()にゃ他に小屋も娯楽も多いから、冷やかしの子供もそこまで来やしねぇ」


 この場所に構えたのが間違いだったろうと、息子の一人が恨めしそうに母親を見た。母親からすれば育ちの良い()()()()()が欲しかっただけだ。勿論そんな上品な家庭の子供が見世物小屋に出入りする筈も無く、当てが外れたと云った所だ。


「こんな事なら京まで足伸ばした方が良かったンじゃねえの?」

「馬鹿言うんじゃ無い。アッチはみかじめがべらぼうに掛かるんだ」

「ケチった結果が、特に人気(ひとけ)も無えこんな場所だろ⋯⋯」

「ああ、ああ、アタシが悪かった。葉山辺りならみかじめ無しできっと入れ食いだったろうよ」


 御用邸や資産家の別荘が立ち並ぶ葉山に、こんな下品な小屋を立てる許可が降りる筈が無いのだが、老婆はもう投げ遣りだった。


「兎に角、兎に角だよ。今日の獲物で此処から離れるよ。商品は何時も通りに⋯⋯⋯⋯⋯⋯⁉︎」


 息子達に指示を出そうとした老婆は、大勢の足音と共に乱暴に開けられた天幕に驚いて言葉を切った。


「ああ、すまんね。俺達ゃこう云う者なんだがね」


 ずいっと鼻先に出された真っ黒な手帳。そんな物を出されずとも、老婆達は彼等が何者なのか理解出来てしまい、力が抜けてへなへなと床に手をついた。

 息子が一人、咄嗟に大舞台の裏手に在る出入り口へ走った様だったが、何故だか老婆は其方にも警官が待っている気がしてならなかった。





***





 警察署から帰された時にはすっかり陽が暮れていて、簓は肩を落とした。こんなに遅くに帰ったら、母に叱られるだろう。

 溜め息を吐く簓の背中を、牛山は優しく叩いた。


「⋯⋯済まない、お母さんには私からも謝らせて欲しい」

「あ、有難う御座います⋯⋯!」

「発端は私だったからね。⋯⋯それに、君には怖い思いをさせてしまった⋯⋯」


 実際怖がって居たのは牛山だったのだが、其処は触れない。

 生温かい笑顔を牛山に向けて居ると、別の方向から馬込が頭を乱暴に撫でて来た。


「しかし流石は簓、勘が良いガキだなぁ。よく待ち伏せされてると気付いたもんだ」


 元々牛山の取材の目的と云うのが、各地で起こっていた人攫い事件だった。原因はただの家出、神隠し、変質者、果ては親が口減らしでどっかに遣ったのだとか、よくある話である。特に考えられていたのが、地方巡業者達が子供を連れ去ってしまうと云う恐ろしい話だ。芸人にしてしまうのか、他所に売り飛ばすのか。今回の一座は他所に売り飛ばすつもりだったらしい。

 そもそも一座は噂になっていたらしい。人攫いのあった頃大体近くに小屋を建てていたとか、老婆を座長に全く似ていない息子達で構成されて居るとか、碌に見る物も無い小屋なのに、休日の舞台を遣る事も無くその地を発つとか。そんな不自然な見世物一座、噂にならない筈も無い。

 それも今回は如何やら、簓を攫ってとんずらする積もりで居たと。その事は刑事達は勿論、牛山と馬込も簓には言う積もりは無いらしい。


(⋯⋯二人が実は、僕より危険だった事を知らせない方が良いかな?)


 あの時、大舞台の入り口を教えてくれたのは張りぼて達だった。そして河童はぼうっとした目で二人を見て、「飯が来た」と言ったのだ。そしてぼそぼそと喋る張りぼて達は、河童に対して怯えとも取れる声を上げていた。


 人攫いに遭ったのは子供だけでは無い。大人も何人も消えて居る。来場の少ない子供達は、大概大人に手を牽かれて遣って来る。簓の様に。

 あの時老婆が言った冬瓜が簓ならば、葉っぱは牛山と馬込の事になる。


 葉っぱは何処へ行ったのだろう。

冬瓜は「とうが立った瓜」の事。彼等からすれば、簓はちょっと大きい子供でした。見た目が普通なので、行き先は鉱山とかその辺に違いありません。

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