中編
「あんた、マジでムカつくんだけど」
教室に戻ると、ピリついた空気が流れていた。
何があったのか分からないが、入り口で3人の女子生徒が揉めているようだ。
背を向けている長髪とツインテールの2人は知らないが、相対するお下げ頭の眼鏡女子だけはよく知っている。
「ムカついても駄目なものは駄目。教室に帰りなさい」
彼女は僕のクラスメイトであり、僕と同じ学級委員会に所属する学級委員長、片桐由依。
何があったか知らないが、眉間に皺を寄せて2人の女子に冷たい視線を向けている。
「は? なんでそんな風に言われなきゃいけないの?」
「なんで? それくらい自分で考えなさい。迷惑だから早く帰って」
「ちょ、ちょっとちょっとストップ」
一触即発の空気に耐えきれず、思わず3人の間に割って入る。
複数の女子に睨まれる状況は望ましくなかったが、少なくとも委員長は眉間の皺を緩めてくれた。
「あら、どうしたの橘くん。肩のところ濡れてるわよ」
「ああ、さっき顔洗って……っていやいや、そうじゃなくてさ。どうしたんだよ? この2人は?」
言いながら目を向けると、2人の女子は襟元に青いリボンを結んでいた。
近頃は後輩に縁があるらしい。
「どうもこうもないわよ。この子達が突然現れて、勝手に教室内の写真を撮ろうとしたの。だから、嫌がる人もいるからやめなさいって話をしていたところよ」
なんだそりゃ。
我がクラスには盗撮されるレベルのイケメンは居なかったはずだが。
「だから、なんでそんな偉そうに言われなきゃなんないのって言ってるんだけど。目だけじゃなくて耳も悪いの? ていうか橘先輩もなんか言ってやってくださいよ」
「理瀬ちゃんもういいよ、橘先輩にも迷惑かけちゃうから……」
「……ん?」
まただ。
昨日に引き続き、どうしてこの子達は僕の名前を知っているんだ?
本当に後輩からモテるのか?
極上めちゃモテ副委員長なのか……?
「僕にも遂にモテ期が来たか……。乗りこなすぜ、このビッグウェーブ」
「せ、先輩どうしたの……?」
「キモいこと言ってないでこの女をなんとかしてくださいよ。マジでムカつく」
「キモい!? なんで!?」
突然の罵倒に思わず2人の顔を見たところで、自分自身の勘違いに気がついた。
僕は彼女達を知っていたのだ。
「鎌田さんと狭山さんじゃん。え? こんなとこで何してんの?」
彼女達は文芸部の後輩だ。
さっきから口が悪い長髪が鎌田理瀬で、鎌田さんにくっついているツインテールが狭山美也。
入部以来部室に入り浸っている2人のことは多少知っているが、何がどうしてこうなった。
「ウチらはただ、写真を撮ろうとしただけですよ。そしたらこの女が突っかかって来たんです」
「理瀬ちゃん、もう良いから……」
つまり、委員長が言った通りか。
だとすれば悪いのは彼女達だと思うが、委員長の言い方がキツかったというのも本当だろう。
まぁ、今それを言っても余計に話が拗れそうだ。
それに段々と野次馬ギャラリーの数が増えてきたし、先生を呼ばれると面倒臭い。
「えーっと、話は部室で聞くから、とりあえず部室の前で待っててくれ。鍵借りてくるから」
「は? 橘先輩はその女の味方ですか?」
そう言って、鎌田さんは僕を睨んだ。
さっきまで可愛い後輩と弁当を食って浮かれていたのが嘘みたいだ。
「鎌田さん達の味方はしたいけど、こんな所で言い争っても仕方ないだろ。いいから一旦移動だ」
「でも、だってこの女が――」
「でもじゃない。悪目立ちしてるし、このままじゃお前らが悪役だぞ。ちゃんと話は聞くから、早く移動しようぜ」
そこで鎌田さんは好奇の視線に晒されていることに気づいたようで、「行くよ」と、狭山さんの手を引いてその場を離れて行く。
申し訳なさそうに頭を下げる狭山さんが、少しだけ気の毒に思えた。
「はぁ……。悪かったな、委員長」
「別に、橘くんが謝る事じゃないでしょ。それに本気で怒ってたわけでもないし」
「そうなのか? それにしてはバッチリ眉間に皺が寄ってたけど」
「そういうポーズよ。あんな餓鬼共相手にいちいち怒ってたらキリがないわ」
委員長はそう言って肩をすくめた。
餓鬼とか言っちゃうあたり、そこそこムカついていたらしい。
「にしても、なんで教室の写真なんか。やっぱ好きな男子でも居たのかな」
「そんな理由なら喜んで撮らせてあげたのに」
「嘘つけ」
そんな理由なら「くだらない」とか言って、尚更追っ払うだろう。
「あら本当よ。つい一昨日の放課後も、1年生の子に教室の写真を撮らせてあげたもの」
「放課後に写真?」
「ええ。先生に頼まれた用事を片付けて教室に戻ったら、知らない子が1人で教室にいて、橘くんの席あたりで何かしてたのよ。話を聞いたら、絵のモデルにするために写真を撮ろうとして、机を揃えてたらしいの。だから私も手伝ってあげたのよ」
「ふーん。でもなんでうちの教室なんだ?」
「私も気になって聞いてみたら、いろんな教室を撮影していたんですって。私にはよく分からないけど、教室にはそれぞれ個性があるらしいわよ」
「へぇ、僕にも分からないな」
まぁ、違う人間達が使っているのだから、多少の違いはあって当然だろうが、相当こだわりが強い人だったのだろうか。
偏見かもしれないが、美術系はそういうイメージがある。
「もしかすると、狭山さんもモデルにしたかったのかもしれない。さっきのツインテの子さ、文芸部で漫画を描いてるんだよ」
「いえ、それは違うと思う」
結構良い推理というか、都合の良い理由付けだと思ったのだが、委員長はピシャリと否定した。
「なんでだよ?」
「あの子達が言っていたのよ。『天使が居る教室』だとかなんとか」
「天使?」
「そう。それがクラスメイトの誰かを指しているのか、それとも本来の意味での天使なのか、判断はしかねるけどね。それを撮りに来たんでしょ」
天使。
それは昨日、佳苗ちゃんの口からも聞いた言葉だった。
天使様のおかげとかなんとか。
本当に1年生女子の間で流行っているのだろうか?
「うちのクラスに天使なぁ……」
「ちょっとなに〜? アタシの話?」
不意に、そんな自惚れたことを言いながら近づいてきたのは、クラスメイトの佐伯杏樹。
彼女は自他共に認める陽キャであり、学校で唯一金髪を許されている日本とイギリスのハーフだ。
持ち前の明るさで多少の揉め事はあっさり解決してくれる彼女だが、今回は運悪くトイレにでも行っていたらしい。
「あのな、そんなわけな――」
「そうよ。佐伯さんが可愛すぎて天使だねって話していたの」
「え〜ちょっとぉ、褒めてもなんも出ないかんね。あ、いいんちょ、チョコあるけど食べる?」
「食べる」
「…………」
照れ臭そうに微笑む佐伯からチョコを受け取り、委員長はニヤリと笑って「出たわね」と小さく呟いてから、僕をあしらうようなジェスチャーをした。
ここは任せて先に行け、という奴だろう。
僕は急いで、それでも決して走ることなく、部室の鍵を借りに事務室へと向かった。
* * * * * *
文芸部の部室がある特別教室棟の3階に行くと、鎌田さんと狭山さんが廊下で待っていた。
来ないかもしれないと思っていたから、無駄足にならなくて良かった。
「お待たせー」
「遅いですよ、パイセン」
「もう理瀬ちゃん! ごめんね先輩」
「いいよいいよ――うわ、なんだこれ」
鍵を開けて部室に入ると、思わずそんな声が出た。
ここ3週間は顔を出してなかったのだが、部室の中はすっかりと様変わりしていた。
長机には大量のコスメ類が並んでいるし、椅子には色とりどりの座布団が被せられている。
更には、誰が持ち込んだのか電子ケトルをはじめとしたティーセットまであるのだから、目を疑わずにいられない。
黒板にでかでかと描かれている謎のイケメンもかなりパンチがある。
「えっと……誰か住んでるの?」
「1年メンバーで色々持ち込んだの。あ、先輩お茶飲む? コーヒーもあるけど」
「あぁ、うん。じゃあコーヒー貰おうかな」
「はーい」
そう言って、狭山さんはケトルを手に廊下へ出た。
残った鎌田さんは適当な椅子に座ったので、僕はその正面に座る。
「随分色んな物を持ち込んだんだな」
「悪いですか?」
「いや、むしろ居心地が良くなっててビックリしたよ。なんかこう、新しい風が吹いたなって感じがする」
「ふーん」
「…………」
うん、気まずい。
鎌田さんは戦闘モードを解いてくれてないし、かと言って狭山さんが戻る前に話を進めるのも違う気がする。
そんなことを考えているうちに部室は静寂に包まれていたが、沈黙を破ったのは鎌田さんだった。
「美也の家、最近大変なんですよ」
「えっと……それは、僕が鎌田さんから聞いても良い話なの?」
聞き返すと、彼女はハッとした様子で再び黙った。
正直少し気になるけど、狭山さんの家庭事情は、多分僕が聞くべき話じゃないだろう。
「……とにかく、あたしは少しでも美也の気が紛れたら、なんでも良いんです」
「うん」
「なのにあの眼鏡の人が急に邪魔してきたんです。写真の1枚くらい良くないですか? 別にネットにあげるわけじゃないんだし」
「まぁ、そうかもな」
「でもあの人、撮るなら全員の許可を取ってからにしなさいってキレてきて、あたしもムカツいちゃって、喧嘩みたいになって……」
「そっか」
多分、委員長は本当に怒っていなかったと思う。
でも彼女を知らない人からすれば、冷たく突き放しているように感じるのも理解できる。
対応したのが佐伯なら、あんな空気にはならなかっただろう。
「委員長は、あんな感じだけど案外気のいい奴だし、面倒見も良いんだよ。いっつも冷めた顔してるから、初対面だとキレてるように見えるかもしれないけどさ」
「やっぱり先輩は、あの人の味方なんですね」
「どちらかというと、そうかもな」
答えると、鎌田さんはわざとらしく舌打ちをした。
「なんですかそれ。話にならないじゃないですか」
「鎌田さんは、ちゃんと話したのか?」
「話すって?」
「どうして写真を撮ろうとしたのか、とか」
「それは……言ってないですけど」
「話せばわかる奴だよ、あいつは」
話せば分かるし、助けてくれる。
かく言う僕も彼女には何度も助けられているから、それだけは自信を持って断言できる。
「まぁ、頑固なとこもあるし、いつもあんな感じだから、鎌田さんが嫌な気分になったのも分かる。でも、他人のクラスでいきなり写真を撮ろうとするのも良い事とは思えないかな。写真が嫌いな人だっているかもしれないだろ?」
「……そうですね」
「だからまぁ、今回はどっちもどっちって感じかな」
「…………」
彼女は少しの間沈黙し、乱暴に頭を掻きむしった。
「……いや、あたしが悪かったです。美也にも嫌な思いさせちゃったし、先輩にもあたっちゃって、すみませんでした」
そう言って頭を下げる姿は、少し意外だった。
鎌田さんはもっと我儘というか、気が強いというか、少なくとも素直に謝るタイプじゃないと思っていた。
「なんですか? ニヤニヤして」
「いや鎌田さん、思ってたより素直なんだなって」
「は、はぁ!? あたしのことなんだと思ってたんですか?」
「ごめんごめん。そういや、狭山さん遅いな」
「あぁ、美也ならさっきからドアの前で聞き耳立ててますよ」
「え?」
その瞬間、入り口の扉がガタッと鳴った。
そして下手な作り笑いをした狭山さんが顔を出す。
「あはは……入るタイミング逃しちゃった」
「美也ごめん。さっきはあたしのせいで、変な感じになって」
「気にしてなーいよ。そもそも私が行きたいって言ったんだから。先輩とも仲直り出来たみたいだし、とりあえずお茶にしよ」
電子ケトルをセットし、狭山さんはテキパキと飲み物の準備を始めた。
その様子を眺める鎌田さんの目は、先程とは打って変わって穏やかだ。
ひとまず、撮影を巡る小競り合いは、この辺で手打ちと考えていいだろう。
それに少し気になる話もある。
「委員長から聞いたんだけど、うちのクラスに天使がいるとかなんとか。それってなんなんだ? 好きな奴でも居るのか?」
「違うよー」
あっさりと否定して、狭山さんはまだ沸騰していないお湯を紙コップに注いだ。
「じゃあなんだ? まさか本物の天使って訳じゃないだろ?」
「本物っていうか、AIの天使様かなぁ」
「AIの……? ますます分かんないぞ」
なんだその、清純派グラドルみたいな言葉は。
「言葉で言っても分かりにくいですね。ちょっと待って下さい」
そう言って、鎌田さんは部室に設置されているパソコンを起動した。
そしてすぐに、画像フォルダ内の1枚の画像を拡大する。
「これです。AIの天使」
それは綺麗なイラストだった。
まるでプロが描いたかのような精密さで、教室が描かれている。
そして窓際の席には、天使がいた。
「天使……だな」
白い服を着て、金髪で、背中から翼が生えた美しい女が、こちらを見て微笑んでいる。
それは正に天使そのものだった。
「よく分からないけど綺麗だな。この絵のタイトルが『AIの天使』ってこと?」
「違いますよ。こっちも見てください」
「ん……今度は教室の写真か? っていうかこれ、僕のクラスじゃないか?」
「そうみたいですね。あたしも知りませんでしたけど」
それは何の変哲もない僕のクラスの写真だった。
とはいえ、天使どころか人っ子ひとり居ない。
「先輩はAIイラストレーターって知ってる?」
「いやごめん、そういうデジタル系は疎くて」
「最近話題の有料サイトです。写真を読み込ませると、AIがすぐにイラスト化してくれるんですよ」
「へぇ。あ、もしかして、さっきの絵はこの写真をイラスト化したってこと?」
「せいかーい! はい景品」
「ああ、さんきゅ」
受け取ったぬるいコーヒーを啜り、再びイラストを見る。
微笑む天使は美しく、神々しい。
「これは確かに撮りたくなっちゃうかもな」
もしかすると、僕たちの目には見えない本物の天使を、AIは見つけたのかもしれない。
そう思わせるほど、天使は違和感なくそこに描かれている。
「でしょ? しかもこの写真を撮影した子が『願いが叶った』って教えてくれたの。だから面白そうだし、私達もって」
なるほど、天使のいる教室っていうのはそういうことか。
委員長はこういうオカルトが好きみたいだし、良い土産話が出来た。
「そういや、この写真撮ったのって誰なんだ?」
「佳苗ちゃんって子だよ」
「え? 佳苗ちゃんって、石森佳苗さん?」
「そうそう! 先輩よく知ってるね。佳苗ちゃん滅多に来ないのに」
「まぁな」
本当は昨日知ったばかりだし、名前もさっきまで知らなかったのだけれど。
もしかすると委員長が言っていた後輩は、佳苗ちゃんのことかもしれない
「この画像、僕のスマホにコピーしていいかな?」
「共用だし良い思いますけど、先輩もそういうの信じるんですか?」
「委員長がこういうの好きなんだよ。だからまぁ、お土産に」
それから写真とイラストをスマホに送り、コーヒーを飲みながら他愛のない話をしていると予鈴が鳴り、僕たちは慌てて部室を後にした。