1-5 変化倏然たる出会いの日に
目を凝らす。再び頭痛がし始めるが、起きたばかりの時よりは大分和らいでいる。さほど気に留める必要もない程度の障害でしかない。
目前のドームの壁、腰を下ろして手を当てる。そこに、僅かに青白く感じる円を見つける。
ひどく不安定だが、通れないことはない程度に生きている。
時雷亀裂が発生し、シルエットは僅かにうねっている。まあ程々に危険な失敗作。タイミングを少し違えれば、虚空に飛ばされて、四肢がはじけるか内臓が潰れるかという感じの出来損ない。
恐らくこれが、辿ってきた扉なのだろう。
「君、綺麗な目だね」
肩が跳ねる。
再び意識外からの声に、驚きを隠せない。
布の中に眠る柄に手を当てなかっただけ、今回は自制が効いたほうであると、自負していたい。
真横に少女の顔がある。やや長めの黒髪に黒目、この世界において一般的な容姿と思えるが、覗き込んでいる目の昏さと、またしても気配を感じなかったという二つが、心にもの恐ろしさを与える。
いや、もしかしたら気配を感じ取れないのは、自身の不調のせいかもしれない。しかし、その一点を鑑みても、心拍の増加を抑えられるほどにはたり得ない。
「そりゃ、どうも。君は?」
「ん、瑠璃。新宮瑠璃」
「ルリ、ね。目の色ってのは……? 少なくとも、初対面の相手に話しかける言葉としては、少し違うと思うけど」
「そう、かな。私がその色、好きだった、だけ。気にしないで」
そう言って、静かに手を振る。
その色──自分の目の色は確か黄緑色だったはずだ。
目が覚めてから、鏡を見てはいないが、自身の容姿を忘れてしまったわけではない。
そうか、と一言だけ返し、首をめぐらす。
いつの間にか、純恋の近くに人影が増えている。
背丈は自身と変わらないくらい、快活そうな茶の短髪。程よく焦げた肌に、筆のはみ出たショルダーバッグを抱えている。
双方話に夢中なのもあり、こちらにも一人増えたことには、気づいていないように思える。
「あなたが、噂の異世界人?」
「──なんだ、ここの報道機関は、民家全ての情報を中継でもしてるのか」
「ううん、すみれねぇと、かおるが、話してるから」
「ああ……聞こえてるのか?」
「盗み聞きは、得意」
「そいつは便利だな。諜報員として雇いたいところだ」
「……遠慮しとく」
肩を竦め、立ち上がる。
小柄な体格には似合わない、妙に大人びた仕草。
違和感を内に秘めつつ、合わせて膝を伸ばす。
その手には、小型の機械が握られていた。
ペタペタと触れたかと思うと、純恋の方へと、無表情で手を振る。
──いつの間にか、一人増えている。
短髪で、茶髪とも言えないが、やや明るめの髪色。
健康的な少年、といった印象を受ける。
「二人の友人か?」
「ん。四人とも、幼馴染だよ」
「そうか。……は?四人?」
目を閉じて頷く。
「もうすぐ、ひなねぇも、来る」
「ほう、そうか」
「知ってるの?」
「もちろん知らないけど」
何というか、独特な少女だな、と思う。
容姿に目立った特徴はない、なんてことのない少女。
それなのに、仕草や発言から感じるのは、どこか達観した雰囲気。
それを見て、何故かぼんやりと浮かぶ違和感を、手で払う。
自分が何者なのか知ったものではないが、こういう事情に深く触れるものではないだろう。と、滑稽な自傷思考を巡らせたことに、一人苦笑を浮かべる。
「なんか、あなたって、変だね」
「んあ?そりゃどういう意味か少々話を──」
「おーい!瑠璃、響!何してんの?」
「ん、すみれねぇ。遊具の近くに、不審者がいたから、話しかけてた」
「おい」
「あー、不審者には話しかけちゃだめだよ?危ないからね?」
「うん。ごめんなさい」
「おーい、俺の扱いどうなってんだ」
「いやだって、不審者であることは間違いないでしょ。服装ももともと着てたやつだし、その手包みの中身考えてみなさいよ」
「んまあ、そりゃあ…………」
なんてことだ、何も言えない。
「えと、君が……響?でいいんだよな?」
若干の不振か戸惑いか。純粋な疑問だけでない質問が投げかけられる。
響、というのはたった今ついた呼称だ。自分自身を正確に表す符号ではないが、恐らく純恋がそう伝えたのだろう。
「ん?──ああ、そうだな、響だ。よろしく、かおる」
「え、なんで名前、知ってんだ……?」
伸ばした手を前に、不信感を固めた視線を投げてくる。
これは、順番を間違えたやつか。
「いやなに、瑠璃から聞いただけだ。別に裏から拾ってきたとか、脅して嗅ぎまわったとか、そんなんじゃない」
「うら……は?」
「響、それ、初対面の相手に、話しかける言葉としては、少し、違うと思うけど」
「………………」
距離が一歩分だけ広がる。なんなら間違いなく、心の距離はさらに広がっている。
完全に、瑠璃との会話に引きずられていた。
おそらく一般住民であろう、青年期入りたて程の少年少女にこんな言い回しをして、にこやかに返事が来るはずもない。事実得られたのは、この半開きになった目線と、冷たい疎外感だけである。
同時に視界に収まっている、この平然と返してくる少女が異質なだけだ。
……誤解を解かなければなるまい。
「私が、先に声、かけた。薫のことも、言った」
「えっ、瑠璃が……?」
疑いの目は残したままなものの、ややたじろぐ。
一押しすればいけるか。
「そうだ。だから、俺は怪しい者じゃない」
「……なあ、すみれねぇ。今連絡しなきゃいけないのは、警察と両親、どっちだと思う」
「両方かな」
「…………」
なんでだろう。どうしてなんだろう。
ここは誤解が解けて、次の話題に進めるはずの段階では。
「それ、初対面の相手に、話しかける言葉としては、少し、違うと思うけど」
再び背後から刺された声に、一人項垂れることしか出来なかった。