1-1 変化倏然たる白雨の日に
ホームルームの終わりを告げる鐘が鳴る。
友人と教室を飛び出す男子。スマホを手にしながら、賑やかに集まる女子。やれやれと笑い、男子に声を飛ばしながら教室を出ていく担任。
あんまり走るなよー、転んでも知らないぞー。
終業式も終わり、今から夏休みということで、どんより曇った灰色に、そこそこの雨の中でも活力は収まらない。
ずどん、いてぇ。だから走るなって言ったろー。
窓際の後方の席で、窓を伝う雫を見ながら課題やプリントをリュックへと仕舞う。
「すーみれ、一緒に帰ろー」
背後からかけられた声に振り向く。先程まで爆睡していた女子生徒の一人が、笑顔を浮かべて寄りかかってくる。
「おはよ、ひな。いいけど、傘もってるの?」
「ない!」
「だと思った」
日向。小さい頃からの幼馴染で、とても元気な同級生。その性格もさながらであるが、自分よりやや明るく、ふわりとした髪は、自分の腰まで伸びる黒髪と違い、活発な印象を受ける。
まあ、実際にとても元気であるのだが。そう、すみれは心の中で小さく微笑む。
彼女に引っ張られながら教室を後にし、階段を降りて生徒玄関へと向かう。
「あー、雨すごいね……」
外を見ると、雨足はいっそう強まっていて、水たまりは小さな浅い池のようになって広がっている。
「うーん、これ相合傘で何とかなるのかなぁ」
「まあ何とかなるでしょ!」
「……まぁ、うん」
あまり活発な方ではないと自覚している自分は、彼女に振り回されやすいというか、楽観的思考についていけない。
励まされることもあるのだが、何かにつけて世話を焼くような形になってしまう。
ザーザーと耳障りに降り注ぐ雨の中、そんなことを考えながら傘をさして、二人で歩き出す。
「ていうかさー、今日は荒れるって言ってたんだからさ。 傘の一つくらい持ってきてもいいんじゃないの」
「いやいや、毎朝ギリギリに起きて、食パンくわえて走るような私が、天気予報なんて見てるわけないじゃん?」
「昨日のホームルームの話だよ」
「え? あうっ」
首を傾げる。はみ出た頭が濡れる。
なんというか、こういう子なのだ。
「今日はついてないなぁ。 ん、あれ……」
ハンカチで、一瞬で濡れた髪を拭きながら、視線を横に向ける。
視線の先は公園で、薄暗い水玉模様に彩られている。
いつもの帰り道は賑わっているのに、今は沈黙した遊具が佇んでおり、何処と無く不気味さを感じる。
「どうかした?」
「子供が、倒れてる」
──は、
神妙な顔で、そう言った。
雨の中取り残されてしまったのだろうか、はたまたかくれんぼでもしていたら置いていかれたのだろうか。
どれもこんな、池をひっくり返したような雨の日に想像するには的外れだと、考えながら思う。
いつの間にか伸びていた彼女の指の先を、もう一度見る。
「……え」
目を見開く。
視界が悪い中ということもあるが、注視してようやく気づく異常。
ドーム型の遊具にもたれて、泥だらけの子供が倒れていた。
背丈は中学生男児のそれで、鮮やかな青色が基調の服を纏っている。
眠っているのか、死んでいるのか。人形のようにもたれかかる彼は、近寄っても目を閉じたままである。
そこまではいい、良くないがいい。問題なのは彼が泥だらけで倒れていることではないのだ。
「なにこれ、剣?」
子供が持つには不自然すぎるほど大きく、明らかにゲーム等の中にある、ファンタジー世界にありそうな道具。
それでいて、プラスチックなどで模倣され、店頭に並ぶような玩具とは思えない程の精巧な鉄の塊が、空の灰色を映し出して転がっている。
歴史上に出てきそうな合理的な武器ではなく、鮮やかに色付け、飾り付けられた儀式用の様な一振。
──寒気がする。
「連れて帰ろう」
「……本気? 明らかにおかしいでしょ。警察かどこかに電話した方が……」
返事はなく、濡れながら男の子を背負う。
「これ、持って」
そう言って、剣を見下ろす。
まあ、一応聞いていたが、分かっていたのだ。
後先考えなくて、すぐ面倒事にも手を貸してしまう。それが彼女の行動指針の根底であることは。
剣を拾って日向のあとに続く。
両手で感じるずっしりとした重みが、自分が凶器を持っているという事実を訴えかける。
明らかな非日常、ありえない現実。
でも知っている。 これは現実だと。
小さい頃から植え付けられた知識は、身勝手に常識を作り出し、是非を決め付ける。
頭の螺のズレた人だと思っていた。
でも、育ててくれた、慕ってきた唯一の肉親だったし、敬意もあった。
自身の世界を貫く憧れもあった。
でも、こういう人生を歩みたかったかと思うと、少しだけおとうさんのこと恨めしく思ったりしたことも無いわけじゃない。
濡れて冷えきった体には、ぐるぐると巡る頭では、最早雨は気にならない。 今年ものんびりとした休みを過ごせないのかと思うと、少しだけ、悲しくなる。
でも、彼女の前向きすぎる姿勢が、直ぐに手を貸す優しさが、苦手なところで、嫌いになれない理由だ。