面談
「……本日、モルドレッド伯爵が来るようです。報告が遅くなったこと、誠に申し訳ございません」
四人組の冒険者と知り合った翌日、レリアが頭を下げた。
「……モルドレッド伯爵が?」
確か、この国の王フランシスの恋人であるリゼットの父親か。
「何故?」
「あの男の婚姻手続きを進めるため、と」
「道理に合わぬ。モルドレッド伯爵にとってこそ、妾が目障りな存在であろう。それなのに、その男が自ら妾の婚姻手続きを進めるとな……?」
ヴェルナンツ王国から、圧力がかかったか? ……否、あの王妃がいる限り、私のことを省みることなどないだろう。
「……調査が足りず、申し訳ございません」
もう一度、レリアが頭を下げた。
「其方が頭を下げる必要はない。……どうせ、先触れや進講もなかったのであろう? でなければ、其方の口より調査などという言葉は出ぬ」
「……左様にございます」
「本に、巫山戯た国よな」
笑みが溢れた。
苛つきが積み重なると、逆に笑えてくるものらしい。
それから、レリアの手で磨かれた。
いつものように動き易さ重視ではなく、大国の姫らしい服装。装飾品の数々。
……勿論、王妃の傀儡となった我が母国が準備してくれる筈もなく、秘密裏に誂えたものだ。
そして、どこをどうしたのか分からないような複雑な編み込みがされた髪。
ナチュラルに見せかけて、複雑な工程を経て化粧で作り込んだ顔。
あっという間に、ヴェルナンツ王国第一王女らしい女が出来上がった。
そしていつの間に準備したのか、応接室も埃一つなく掃除され、家具類も刷新されていた。
……一人でこれだけの準備を短時間で行ったレリアは有能だと、改めて凄いと思う。
応接室で待っていると、まずはレリアが呼び出された。
「……其方が、ヴェルナンツ王国第一王女の侍女か?」
「左様にございます」
「モルドレッド伯爵が、お越しだ。至急、ヴェルナンツ王国第一王女に会わせよ」
「はて……モルドレッド伯爵、ですか? そのような報せは一切受けておりませんが」
既に情報を掴んでいても、彼女はそれをおくびにも出さない。
声から一切の揺らぎは感じ取れず、純粋に疑問に思っているかのようなそれだ。
「閣下はお忙しい方だ。本日も、わざわざ合間を縫ってお越しくださったんだ。無礼であろう」
「……申し訳ございませんが、急ぎであれば尚のこと、先触れは必要かと。その忙しい閣下を待たせる訳には行きませんので、私としても心苦しくあります」
ありふれた、皮肉合戦だなと思う。
ヴェルナンツ王国では存在しないものとして渦中に加わったことはなかったけれども、王妃や貴族たちのバチバチとした皮肉合戦は日常茶飯事だった。
ありふれた、はそれ故の感想かもしれない。
「……では、閣下。我が主人の支度が必要ですので、少々室内でお待ち下さい」
勿論、仕度は既に終わっている。
けれども、待ち構えていたことをあからさまには見せないよう、少し時間を置いた。
そうして、モルドレッド伯爵が待つ応接室に入った。
「……其方が、モルドレッド伯爵か?」
「左様にございます。私が、オーブリー・モルドレッド。フレール王国で、伯爵の位を頂いております。お目にかかれて光栄です、ソレイユ王女」
私の入室と共に立ち上がり、そして挨拶をした後に頭を下げる。
入室直後は値踏みをする視線を向けていたにも関わらず、頭を下げる直前は若干驚いたように目を見張っていたのは気のせいか。
……否、恐らく気のせいではない。
伯爵本人も自身の変化に気がついていたからこそ、顔を隠すために頭を下げたのであろう。
「ソレイユ・ルナ・ヴェルナンツである。……さて、其方は何用で参ったか。随分と急であったな」
「急な訪問、誠に申し訳ございません。ですが、国事でございますれば、どうかご容赦を」
「ふふふ……国事、か。其方が、か?」
扇子で口元を隠しつつ、問いかけた。
もしも扇子で隠していなかったならば、酷く歪んだ笑みを晒していたことだろう。
「これは手厳しいですな。……畏れ多くも王に信任を頂戴しておりますれば、こうして王の手足となり動こともございます」
「そうか、そうか。……火急の要件に其方を寄越すとは、余程信頼が厚いと見える」
クスクスと、笑みが漏れた。
モルドレッド伯爵は何も言葉を返さず、ただ小さく笑みを浮かべていた。
「それで、本題は?」
「……我らが王、フランシス・ド・フレール国王との婚姻の儀にございます」
一瞬、躊躇った。……何が、彼をそうさせているのか。
本当に気をつけていなければ、気づかないほどの些細な間。
すぐに立て直し、柔らかな笑みで流れるように発言するその様は、如何にも貴族らしい。
「……続けよ」
「生憎と、王は暫く多忙にございます。そのため大変恐縮ではございますが、婚姻届のみ先にサイン頂き、提出をさせて頂ければと存じます」
そう言って、伯爵は懐から婚姻届を出した。
何も手が加えられていない、真っさらな婚姻届を。
……そうきたか。
そうか、これならばモルドレッド伯爵が来た理由も分かる。
彼にとっては、恐らく私がサインしようがしまいがどちらでも良いのだろうから。
気がつけば、声を上げて笑った。
淑女らしくないと分かりつつも、楽しくて思わず。
チラリとモルドレッド伯爵を見れば、若干顔を引き攣らせていた。
……引き金を引いた張本人だというのに、何故そんな表情を浮かべるのか。
「久方ぶりに面白い冗談を聞いた故、笑ったことは許せ。……まさか、本気ではなかろう?」
「……いえ、本気です。もしも誤解を与えてしまったのであれば、それは私の不徳の致すところです」
「誤解? ふふ……其方、妾を見くびっているのか」
モルドレッド伯爵が、固まった。
その額から、一筋の汗が落ちていくのが目に入る。
「妾の、ヴェルナンツ王国第一王女のサインは、そこまで軽いものではない」
何せ、白紙の婚姻書だ。
本当に、相手方にフランシスの名が書かれるのか。
適当な人物が相手方の欄に書く可能性がある以上、書けるはずもない。
そもそもで、だ。
王が婚姻届を提出する際、何故司祭の前でサインをするのかと言えば、本人が書いたと万民に証明するためだ。
それができない以上、婚姻届を書くつもりも提出するつもりもない。
後々揚げ足を取られ、変な因縁をつけられても、困る。
「フランシス殿が忙しいのであれば、妾との婚姻を急ぐ必要もなかろう。今まで通りで良い」
「しかし……」
「良いな?」
「……はっ」
再度念押しすれば、モルドレッド伯爵は頭を下げつつ了承した。
「……モルドレッド伯爵よ。あまり、妾を困らせてくれるな」
優しく聞こえるよう、努めて穏やかな声音で話しかける。
「と、言いますと……?」
「其方にとって、今この状況は悪くないであろう。……だが、あまり五月蝿いと、妾も手で振り払いたくなるぞ? 妾に静かにして欲しくば、あまり五月蠅くしてくれるな」
「……大変恐縮ですが、何を仰られているのか……私には、理解できません。ただ、貴女様が大変恐ろしい方、ということは理解しました」
「其方こそ、何を言っているのか。今の妾は吹けば飛ぶような存在よ」
「はて……貴女様こそ、冗談がお好きなようだ」
互いに、笑った。
笑みは時として威嚇になるのだな、と頭の隅でそんなことを思う。
「それでは、私は失礼させて頂きます。本日は突然の訪問にも関わらず、お時間を頂戴し、誠にありがとうございました」
優雅に一礼すると、モルドレッド伯爵は部屋を出て行った。