商談
その翌日。
私のもとに、フェリクスがやって来た。
彼はエトワーゼ商会の会頭。
エトワーゼ商会といえば、ヴェルナンツ王国でも三本の指に入る大商会。
特に魔道具に力を入れていて、その品揃えの豊富さは他商会に追随を許さない。
その巨大商会の会頭を勤めるフェリクスは、とても若々しい姿をしている。
四十代一歩手前の年齢だが、普通に二十代と言われても何の疑問も持たないぐらいだ。
「ご無沙汰しております、姫様」
「久しいの、フェリクスよ」
フェリクスは目を細めて嬉しそうに笑う。
「早速ではあるが、其方は聞いているか?妾が国交の一端を担うと」
「……なんと、まあ……」
楽しそうに、フェリクスは笑った。
「ということは、その国交時の諸々の品に関して、当商会に仕入れをお任せ頂けると?」
「勿論。でなければ、呼ばぬ」
「対価は?」
「おや? 支払いに色を付けるのでは、足りぬと?」
「高くつきますが、宜しいので? この国、ザッと確認したところ流通が成熟していない。オマケに、姫様が求められるレベルのものとなれば、どうしても輸入に頼らざるを得ないものもあります。……栄えある金烏の者として、無条件で協力したいのですが、さりとて私は商人。奉仕精神だけではやっていけないのですよ」
彼との縁は十数年前に、投資に失敗して路頭に迷った彼を拾い、手元で育てたことから始まった。
当時は弱々しくて可愛らしかったというのに、今はなんともまあ強かになったこと。
楽しくて、思わず口角が上がる。
「ふふふ、そうよなぁ。妾もこの国に来て初日に市を見回ったが、なかなか見栄えが悪かった。市全体がそうなのだから、店側の自助努力が足りぬというよりかは、政の問題であろう」
彼は頷きも首を横に振ることもしない。
ただ笑みを浮かべて、言葉の続きを待っていた。
「それはそうとな、まだ秘中の秘であるが、今回宮中を大掃除をしている。それから金烏の皆には、その後の処理を頼んでいる」
「ほう……それはそれは……」
「特にラザールは、楽しむ気満々であった。……久々に、本気の彼奴が見れるぞ」
「ヴェルナンツ王国の影の宰相と呼ばれた、あの方が、ですか……。それは、素晴らしい。姫様は?」
「差配はラザールに任せる。無論、妾は責任者として動向は全て把握するが。……いかんせん、妾は政が苦手であるからな」
「ご謙遜を。姫様が苦手と仰るのであれば、誰もが不得手となりましょう」
フェリクスはニコニコと笑っていた。
「所詮、妾は代々のルナ継承者の知識を借用しているに過ぎぬ。謂わば、借り物の力よ。ラザールには、とてもとても及ばぬ」
「とはいえ、姫様はラザールを独りにはしますまい。姫様が盾となり矛となられる……そして姫様に守られれたラザールが、自由に力を振るわれる。……そうであれば、商会からの請求額が莫大な金額になろうとも、問題なさそうですね」
「協力してくれると?」
「旨味のある投資先に投資をしない商人は、いませんよ。仮にいたとしたら、その商会は良くて現状維持、早晩潰れるかと」
「ほほほ、そうかもしれぬな」
「……独立国家を創るおつもりで?」
全く……随分と煽ること。
私の反応を見逃すまいと、まるで探りを入れているかのような彼の視線は、不思議と不快ではない。
「これはおかしなことを。フレール王国は、独立国家であろう?」
「……ああ、表現を間違えました。姫様の手中に国を収めるおつもりで?」
「拾い物をするだけよ。……隙を見せたあの男が悪い」
そう言えば、フェリクスは楽しそうに笑い声をあげた。
「楽しそうな祭りですな。私も、是非とも主催者側に立たせていただきたいものです」
「相応の働きを期待しても?」
「顧客の期待値を超えろ、とは姫様の口癖では?」
「ならば、楽しみにしておこう」
「……それでは今後、私は表向き、新たな販路を求めて長期出張ということになりましょう」
ヴェルナンツで一・二を争う商会の会頭が長期で店を空けるということは、それなりの理由が必要だ。
つまり彼は本腰を入れてフレール王国の開拓に乗り出す、と宣言をしているということ。
「そうか、そうか。そなたの配慮はありがたい。……その間、商会は?」
「ジルに任せます」
「であれば、商会も問題なかろう」
「最大の出資者たる姫様に安堵頂けたのであれば、幸いです」
フェリクスの軽快な言葉に、思わず笑った。
「……其方ならば、妾の期待を越えた働きをしてくれよう。よろしく頼むぞ、フェリクス」
「承知致しました」
その後、フェリクスと入れ違いでデボラが部屋に入って来た。
「……さっき、フェリクスさんとすれ違いましたが」
「この国で、本腰を入れて商売をしてくれるようじゃ」
「ああ、やっとですか。……今のところ、この国には小さな店しか置いてないですもんね。情報収集には重宝してましたけど、ヴェルナンツの生活を知る身としては不便で不便で」
エトワーゼ商会は各国に小さな支店を置いている。
その理由は利益というよりも、私への協力のためであり、情報収集の拠点だ。
尤も、得られた情報を自身で商売に活用するあたり、立派な商人だが。
「フェリクスが自ら陣頭指揮を取るそうじゃ」
「うわー、楽しみですね」
「うむ。……さて、其方の用件は?」
「ご命令頂いていた、イーデア王国の情報です」
「助かる。残念ながら、妾は他国の事情に明るくない。ルナ継承者として幾分か頭にはあるが、カビの生えた昔の情報ばかりじゃ」
「はい、そうかと思いまして歴史関係の説明は割愛させていただきます。一応、書面を作っておいたので、暇な際に見ておいて下さい」
「うむ、手間をかけた」
「とんでもないです。……まず、今回の使節者。責任者は王弟であるユリウス様です」
「どのような人物か?」
「宰相の地位に就き、王であるコンラートを支える素晴らしい弟との評判です。裏をとっていますが、今のところ特に野心があるようには見受けられません」
「ふむ、なるほど。イーデア王国の王は、中々得難い肉親をお持ちのようだ」
「確かにそうですね。どっかの王国とは大違いです」
「それは懐かしい妾と其方の母国のことか?……まあ、確かに義弟や義妹は妾の邪魔ばかりする困った者たちであったな」
デボラは言葉を返さずに、ニコリと笑った。
「……話を戻します。イーデア王国は、フレール王国の隣国であり、ヴェルナンツとも国境を面している国です。また、イーデア王国にとってフレール王国は、同規模かつ共にヴェルナンツと隣接しているため、昔から強固な協力関係にありました。……尤も、近年はバタバタとフレール王国の王が変わったことで、最小限の交流に留まっていたようですが」
「……今回の交流会、表向きは両国の友好を再確認……という平凡な理由であるが、何か他の理由があるのでは?」
「先に伝えた通り、過去から強固な友好関係を築き上げてきたからこそだと思いますよ。……それとも、何か気になる点でも?」
「それならば何故、宰相の地位にいる王弟が来る?」
そう問いかけた瞬間、デボラはニンマリと笑った。
「……其方の見立ては?」
「フレール王国は、これまで通り友好関係を続けるに値する国なのか。その見極めでしょう」
「背景は度重なる王の交代、その末のフランシスの戴冠、更に妾の輿入れ、といったところか」
「ご明察です。……大分、不安視しているようで。特に姫様の輿入れによって、フレール王国がヴェルナンツに取り込まれるのではないかと」
「……ということは、妾が前面に出ることは……」
「更に不安にさせるだけでしょう。正に、火に油ですね」
クスクス、と楽しそうにデボラは笑った。
「どうされますか? 今からでも、役目を返上なさいますか?」
「そうせぬ……否、できぬと分かっているだろうに」
溜息と共にボヤけば、更にデボラは笑った。
「役目を返上しようとしたところで、あの男が受け入れるかは別の話よ」
仮にイーデア王国の思惑を理解した上で、私を交流会の責任者に任命したのであれば、フランシスの評価を改める必要がある。
……尤も、決して良い意味ではない。
『何を考えているのか分からない危なっかしい男』から『危ない男』という形で悪い方向に深化しただけのこと。
「……それに、此度の役目は妾にも旨みはある」
彼女は笑うことを止め、伺うような視線を向けてくる。
「ヴェルナンツに盲従しておらぬ者と知己となれる……それは、妾にとって益であろう?」
「ふふふ……はははっ。危険な御言葉ですね。イーデア王国と同盟を組んで、我らが母国を引き摺り落とすおつもりですか? ふふふ……そんな素敵な御言葉を頂けるなんて、嬉しくて仕方ありません」
「其方、そこまでヴェルナンツを憎んでいたのか?」
「心外ですねぇ。恨み憎しみを募らせるほど、国に関心などありません。謂れなき理由で私を村から追放した者たちは姫様の手で報いを受けさせて下さいましたし。……単純に、崇拝する姫様を窮地に立たせようとする邪魔者たちを一掃したいと思うからこそ、ですよ」
「ふふ……知らなかったぞ」
「何がです?」
「妾のことを、其方がそこまで思っていてくれているとは」
「……。私も金烏の一員ですから」
「そうであったな。……話を戻そう、ヴェルナンツとイーデアの関係性は?」
「良いとでも?」
「勿論、そのようなことは考えておらぬ。単純に、直近の出来事で面白い出来事は何かないか?」
「……そうですねぇ。例えば、こんなのはどうです?」
続いて出た彼女の説明に、思わず口角が上がった。
「……それは、良い。上手くいけば、足を引っ張れるな」
「ふふふ……想像するだけで、楽しいです」
「そういえば、この国の調査はどうなっている?」
「ああ、産物やら地形やらの調査ですか? セリーヌと組んで一通り国中を回りました。今、彼女が報告書を纏めてますので、完了したら報告すると思います」
「そうか。楽しみにしている、と伝えておいてくれ」
「承知致しました」
その後、デボラはご機嫌なまま部屋を出て行った。




