治療
「ソフィー様、ならびにデボラ様。お待たせし、申し訳ございません」
それから時間を置かず、新たに男が入ってきた。
身なりや立ち振る舞いから察するに、どうやらこの男がラガルド伯爵らしい。
「とんでもございません。事前に伺いもせずに訪問したのは、我々ですので」
デボラが和かに笑って答える。
「そう仰って頂けるのであれば、気が楽になります。私は、カミーユ・ラガルド。ラガルド伯爵家の当主です」
「ご丁寧にありがとうございます。私は、デボラ。そして隣にいるのが、癒師のソフィーです。ソレイユ様の忠実な僕にございます」
「ソレイユ王女には過分な気遣いを頂戴し、感謝の念に堪えません。……しかし、何故我が娘が病に罹っていると?」
よくよく見れば、カミーユの顔色は悪い。
隠しきれないほどの疲労感が見て取れる。
それでもデボラに問いかけた時に一瞬見せた彼の眼光は、彼の矜持を表すかのように鋭かった。
「申し訳ありませんが、質問の意図が私には分かりかねます。ヴェルナンツ王国の王女で在らせられるソレイユ様が知らないと、何故思われるのでしょうか。ああ……もしかして、ソレイユ様の善意に疑問を?」
デボラの問いに、その場の空気が重くなる。
「いやいや、まさか。我が家如きの事情に、お忙しいソレイユ様のお手を煩わせることとなり、大変申し訳なく思っています。だからこその問いと、ご理解頂ければ」
それを払拭するかのように、カミーユは苦笑いを浮かべた。
「まあ……お気遣い、ソレイユ様の臣下として礼を申し上げますわ。……それでは早速、ご息女クロエ様に会わせて頂けますか?」
「しかし……娘は病に倒れている上、見苦しい姿をしております」
「だからこそ、ソレイユ様はソフィー様を遣わせたのです。既に治療方法が分かっている、ということであれば話は別ですが」
「……。失礼致しました。それでは、案内させて頂きます」
白旗を上げたらしいカミーユは、そのまま案内役を買って出た。
そうして屋敷内の奥へ奥へと進み、とある部屋に辿り着く。
彼がノックをして扉を開ける様を、私とデボラは一歩引いたところから見ていた。
そのおかげで、カミーユの後ろからでも件のラガルド伯爵令嬢であるクロエの部屋がよく見える。
全体的に屋敷の外装と同じく可愛らしい部屋。
質の良い調度品でありながら威圧感はなく、その可愛らしさにむしろホッコリするような、そんな優しい雰囲気だ。
ただ、残念なことに、部屋の主は病に倒れている。
そのせいか、部屋の中はどんよりとした空気が漂っているような気がした。
カミーユの後に続いて部屋の中へと入り、そのまま薄衣の帷で覆われたベッドの側に寄る。
「……お見苦しい姿を、申し訳ありません」
帷の内に入れば、消え入りそうな声でベッドに横たわる女性が呟いた。
「病が原因のことであるのに、何故、其方が謝らねばならぬ」
ポツリ、小さな声で呟き返す。
そして、その手を取って彼女の体を魔力で視た。
「……安心せよ。其方の病は、治る」
そう言葉を続ければ、カミーユが大きく反応を示す。
「どういうことですか、ソフィー様!? 貴女は、魔腐を治せると?」
「否。……彼女の病は、魔腐ではない」
「は……」
「魔腐は、魔力が奪われ続ける呪いの一種。それに対してクロエ嬢が罹った病は、本来身体の内に循環する魔力が詰まり循環しなくなる病。名を、石滞症という」
「石滞症? そのような病は、聞いたことが……」
「ないか?……まあ、非常に珍しい病故、知らずとも仕方ない。だが、彼女が石滞症である証拠に、彼女を見てみよ」
恐る恐る、カミーユが近づいて来た。
帷の内に入ると、すぐに彼女の異変に気がついて目を丸める。
「……く、クロエ……。その姿は……」
「お父様……?」
カミーユは震える手を伸ばし、首を傾げるクロエの肩を掴んだ。
「ない……っ、ないっ! クロエの美しい姿を覆っていた、あの忌々しい黒のアザが、消えている!」
「まさか……」
震える手で、クロエが帷を開ける。
そしてそのまま、近くにいた侍女に手鏡を持って来させた。
「本当に!アザが……。そういえば、熱も引いた気が……」
「ソフィー様! 誠に、ありがとうございます!」
涙ながらにカミーユが私の手を取って頭を下げる。
「……喜んでいるところ申し訳ないが、カミーユ嬢は完治しておらぬ。応急処置として、妾が無理矢理魔力を通し循環を促しただけのこと。時間が経てば、元に戻ってしまう」
「そんな!」
「安心せよ。薬を処方すれば、完治も叶うであろう」
「お願い致します……っ!……散々疑っておいて、虫の良いことを言っていることは、理解しています。ですが何卒、娘の為に薬を煎じて頂けませんか?」
カミーユが必死の形相だ。
爵位も何もない癒師としての私に、それでも何度も頭を下げる。
そんな切々と訴える様に、彼の思いの深さを感じ取った。
「……其方の願いを叶えよう」
「ありがとうございます!」
「材料があると早いが、今から伝える材料を持っているか、教えてくれぬか?」
カミーユが目配せした執事が、私の問いに応えるように頷く。
「紫露草、赤甘蜜、冬赤実、雪白草それから竜の血」
「そ、ソフィー様……」
記憶を探りつつ材料を伝えれば、執事が控えめに名を呼ばれた。目を向ければ、かなり戸惑った様子だ。
「その、紫露草と冬赤実それから雪白草は手元に在庫があります。ですが、赤甘蜜は聞いたことが……」
「知らぬかや? 千年樹の樹液であるが。確かこの国の西南方の山頂付近に千年樹があったと記憶している」
「西南方というと、ヴェルナンツ王国との国境の山ですか? 確かあそこは、強力な魔物が跋扈すると誰も近寄りません。ヴェルナンツとの交易も、その山は通らないよう別ルートを選ぶと聞いています」
ルナの時の記憶と今を混同して、たまに混乱することがある。
今回も、そうだ。
何せ千年前は、当たり前のように人が立ち入っていた場所。
けれどもそれは、当時のレベルで有能な人材が護衛として投入できたからこそのことだった。
平和な世が続き、あの山の街道の魔物を討伐できる人材が減った結果、街道が封鎖されたのだっけ。
「そうか。ならば、妾が採取して来よう。竜の血は?」
「在庫はありません。国中に確認すれば、あるいは……」
「竜であるぞ? 定期的に狩られているものでは?」
「狩るなんて、そんなそんな……。竜は上級の中でも、更に上位に位置する生き物。ですので、竜を狩るハンターなど聞いたこともありません。ハンターに依頼を出したところで、断られるのがオチでしょう」
どうやら竜の討伐についても、千年前とは変わっているようだ。
「そうなのか? では、竜の素材はどのようにして手にしている?」
「寿命で死に、そのまま野晒しとなった亡骸が運良く手に入った時ぐらいですね」
「そう、か。……ならば、今すぐ狩って来るとするか」
執事の顔が、更に引き攣った。
私の中で執事は、あまり感情を顔に出さないイメージだったのに、実際はかなり素直なものなんだなと妙に感動する。
「か、か、狩る? だ、誰が?」
割って入るように、カミーユが会話に参加した。
「誰って、妾に決まっているであろう?」
「ですが、貴女に何かあれば……」
「戦いに絶対はないが……大丈夫だと思うぞ。竜ならば、ヴェルナンツでも必要に迫られ何度も狩った」
「ヴェ、ヴェルナンツ王国では当たり前のことなんでふか?」
驚きを隠さず、遂にカミーユは噛んだ。
きっと、なかなかに珍しい光景なのだろう。
「当然、違います。ソフィー様が、それほど特出した魔法使いということです」
「そ、そうですか……」
「時間が惜しい。妾のことはさておき、竜の生息地について何か情報は?」
「は、はい。先ほど話に出た西南の山脈には険しい渓谷もあり、そこに竜が住まうと聞いたことがあります。詳しい位置は……今地図をお持ちしますので、少々お待ち下さい」
カミーユの言葉に執事が一礼すると、その場を離れた。
優雅な立ち振る舞いだけど、その足を視ると高速で動いている。そのギャップが、純粋に面白い。
内心で笑っている間に、執事が地図を持って戻って来た。
机の上にそれを広げ、カミーユが西南のとある地点を指差す。
「先程申していたのは、この辺りです」
「なるほど……デボラ、行けるか?」
「はい、問題ありません」
「では、時間が惜しい。さっさと行くぞ」
それからデボラを連れて、さっさと屋敷から出た。